サウル王の死
第一サムエル31章1~13節

1.序論

みなさま、おはようございます。これまでじっくりとサムエル記を読み進めて参りましたが、今日でその前半、第一幕が終わります。イスラエルの初代の王であるサウルの死をもって幕を閉じるわけです。それは壮絶で悲劇的な死ですが、英雄的な死に方でもありました。今日は物語の一つの結末であるサウルの死について考えて参りましょう。

今回のサウルの死は、予告されていた死であるということに注意したいと思います。サウルは自分が死ぬということを承知の上で最後の戦いに臨んだのです。というのも、サウルが霊媒師を通じて預言者サムエルの霊を召喚した時に、サムエルはサウルにはっきりと「あす、あなたも、あなたの息子たちも私といっしょになろう」と予告していたからです。私といっしょになるとは、お前たちも私と同じように死者の世界の仲間入りをすることになるのだという意味です。でも、お前は明日死ぬ、と言われて自分が死ぬ運命にある戦場にわざわざ行くでしょうか。サウルが強い性格の人で、「そんな預言など信じない。人の運命があらかじめ決まっているなどということがあるものか。自分の運命は自分で切り開くのだ。そんなふざけた預言は私が間違っていたことを証明してやる」という固い信念から戦場に向かったのでしょうか?そうとは思えません。なぜなら、このサムエルの預言を聞いたサウルは「サムエルのことばを非常におそれた」と書かれているからです。サウルにとって、預言者サムエルの言葉は神の言葉でした。自分は間違いなく死ぬのだ、しかも明日に、ということをこの時サウルは確信したのでした。しかも、戦争に行っても自分だけでなく自分の子どもたちまで殺されると言われて、モチベーションが果たして保てるものなのでしょうか。

我が国もかつて、「特攻」ということをやりました。若い優秀な軍人たちに、片道の燃料だけを搭載した飛行機に乗せて、アメリカの軍艦に突撃するという自爆攻撃をさせたのです。彼らは自ら志願して特攻に向かったことになっていますが、それは事実ではありません。というのも、最初に特攻隊の話を聞かされた青年たちの中で、誰一人特攻を志願する人はいなかったからです。しかし、上官たちから強要されて、自ら志願したということにさせられて、それで特攻に向かわされたのです。そして特攻に失敗すると、数か月間折檻部屋のようなところに閉じ込められて、次こそ死んでこいと、いわば洗脳させられて再び特攻に向かわされたのです。自ら好んで死ぬしかないという戦場に赴く人などはいないわけです。特攻隊はしばしば美談のように語られることがありますが、あれは自己犠牲というよりも、自分の保身のために無茶苦茶な作戦を立てた軍部のお偉いさんたちの犠牲者という方が正しい理解だと言えるではないでしょうか。

しかし、サウルの場合、彼は王なので、彼に命令できる人など誰もいませんでした。サウルが嫌だと言えば、彼は前線になど赴く必要はなく、陣地の一番奥深くで息をひそめて隠れていることもできたはずなのです。それなのに、今日の記述を読むと、彼は前線に立って敵の矢面となって、まるで義経を守った武蔵坊弁慶のように体中に矢を受けて死んでいます。なぜサウルはそんなことをしたのでしょうか。今まで、自分が王の位を失うという運命にあらがって、必死でダビデを殺そうとしてきたように、保身が信条だったサウルが、なぜ最後の最後でこのような勇猛果敢な行動に出たのか、そのわけには非常に興味深いものがあります。

ここでサウルは最後に意地を見せたのでしょうか?これまで自分なりにイスラエルの王として一生懸命やってきたのに、サムエルからは全く評価してもらえずに、無情にも王失格の烙印を押され続けたサウルですが、その彼が最後は王らしく華々しく戦場で死のうとしたのでしょうか。確かにサウルにも王としての意地があったのかもしれません。しかし、亡霊のサムエルの託宣を聞いて震え上がったような人が、そんなに劇的に変わるものでしょうか?死ぬのを恐れていたサウルが、息子たち共々戦場で華々しく散っていくほどに闘志に溢れた戦士になる、その劇的な変化はいったいどこから生まれたのでしょうか?

これは私の想像というか、こうあってほしいという願いも含んだ解釈なのですが、サウルが死を覚悟して戦場に臨むことができたのは、おそらく霊媒師の女の恩情に触れたためではないかと思います。サウルは自分が王であることを隠して霊媒師の女に会いに行き、サムエルの霊を呼び出してもらいました。霊媒師の女からすれば、イスラエルでは霊媒は禁じられているので、そんなことをすれば後から死刑だ、と言われないような依頼だったわけですが、サウルが必死で願うので聞いてその願いを聞いてあげました。それは命がけの行動でした。実際、彼女はサウルに「私は自分のいのちをかけて、あなたが言われた命令に従いました」と言っています。そして彼女もサウルと共に、サムエルの死の託宣を聞きました。その託宣におびえ、すっかり意気消沈したサウルのことも見ました。しかし彼女はサウルを見て、「なんとだらしのない。王様のくせに、そんなことでどうやって王様が務まりますか」と叱責したり、あざけったりはしませんでした。むしろ、がっくりきているサウルに寄り添って、彼が今一番必要としているものを提供しました。それは温かい食べ物でした。そしてその食べ物はサウルを生き返らせました。もしかするとサウルを生き返らせたのは、食べ物ではなく女霊媒師の情けだったのかもしれません。こういうとあまりにもロマンティックに聞こえてしまうかもしれませんが、人間というのは案外単純な生き物で、こういう情けを受けたことでサウルは最後の戦いに行くための勇気と理由を得たように思えるのです。こういう人情に溢れた民を一人でも多く助けたい、守りたい、自分はそのために王になったのではなかったのか、とこのように初心に帰ってサウルは戦いに行ったのだと、私はそのように考えたいのです。

2.本論

では、1節から読んでまいりたいと思います。イスラエルの最初の王、サウルの最後の描写にしてはあまりにも簡潔な、事務的だとすら言いたくなるほど短い記述です。アキシュ王率いるペリシテの軍勢はイスラエルの軍と戦いました。これまでは勝ったり負けたりを繰り返してきたイスラエルとペリシテ人の戦いですが、今回はあっけないほどのペリシテ軍の勝利でした。まさに完膚なきまでの勝利です。ペリシテ軍と戦うために王となったサウルですが、残念ながらペリシテ軍を打ち破るほどの強大な軍隊を築き上げることはできなかったのです。ペリシテ軍の前に蹂躙されるイスラエル軍は、死体の山を築きました。

しかし、このように圧倒的な劣勢の中でも、サウルもその息子たちも逃げませんでした。これから五百年後に、ユダ王国がバビロンによって滅ぼされたときに、ユダ王国の最後の王ゼデキヤはエルサレムを逃げ出して隣国に逃げ延びようとしたところを捕まえられています。それと比べると、サウルとその息子ヨナタンたちの勇気は大したものです。彼らは全軍が総崩れになる中でも踏みとどまり、戦い続けました。その中で、英雄ヨナタンが戦死しました。ヨナタンのこれまでの活躍からすれば、彼の死についての記述はあまりにもあっさりしていてショックを受けるほどです。ヨナタンの最期がどうだったのか、もう少し詳しく知りたいとは誰もが思うのではないでしょうか。ヨナタンだけでなく、サウルの他の息子たち、アビナダブ、マルキ・シュアも戦死しました。自分の愛する息子たちが次々に戦死するのを目撃したサウルは胸がつぶれるほど辛かったでしょうが、それでも彼は戦い続けました。これはすごいことだと思います。ダビデと比べると、サウルは悪い王だったというのが定説になっていますが、しかしダビデは王になってからは自分では戦場に立たずに、自軍が戦争をしている最中に部下の兵士の奥さんと不倫するというとんでもないことをするようになりました。それに比べれば、最後の最後まで戦場に立ち続け、味方が総崩れになる中でも孤軍奮闘したサウルは本当に立派だと思います。おそらく戦っていたペリシテ軍も、全線で勇敢に戦う背の高い兵士がまさか王様のサウル王だとは思わなかったようです。というのも、彼らは戦が終わった翌日になって、サウルの遺体を見て初めてサウル王だと気が付いたからです。サウルは勇敢な兵士のように、前線で戦っていました。彼と相対していたペリシテ軍も、王としてではなく勇猛果敢な一兵士としてサウルを見ていたのでしょう。サウルのあまりの激しい戦いぶりに、ペリシテ軍は攻撃をサウルに集中しました。こうして、獅子奮迅の働きをしたサウルも、とうとう致命傷を負ってしまいました。サウルは敵に打ち取られることを潔しとせずに、道具持ちの部下の兵士に介添えを頼みます。ペリシテ軍にやられる前にとどめを刺して欲しいと命じたのです。これは自殺ではありません。というのもサウルはすでに致命傷を負っていて、助からないことを知っていたからです。しかし、道具持ちは躊躇しました。道具持ちというと、織田信長に仕えた森蘭丸が有名ですが、サウルの道具持ちもサウルに心酔していた若者だったのでしょう。王を手にかけるということが恐れ多くてどうしてもできなかったのです。それを見たサウルは、剣を取ってその上に覆いかぶさって剣が体を貫くようにしました。日本で言えば切腹のようなものです。このサウルの壮絶な最期を見届けた道具持ちの若者も、サウルの後を追ってサウルと同じように自らを剣で貫きました。殉死です。こうしてサウルもその息子も部下たちも、みな戦場で散りました。

王や王子たちが死んだのを知ったイスラエルの兵士たちはみな逃げてしまいました。こうしてイスラエルの陣地はペリシテ軍によって占領されてしまいました。戦が終わって戦場を見回っていたペリシテ軍は、その時初めてサウル王やヨナタンが死んでいるのに気が付きました。おそらく武具が立派だったので王族だと気が付いたのでしょう。つまり、昨日戦っている最中はそれがサウルだとは気が付いていなかったのです。それからペリシテ人たちはサウルの遺体を辱めました。かつてペリシテ軍がエリの一族に率いられたイスラエルを打ち破ったときに、契約の箱を戦利品として持ち帰り自分たちの神々に奉納しましたが、今度は敵将であるサウル王の武具をアシュタロテにある彼らの神々の宮に奉納しました。これはつまり、ペリシテ人の神がイスラエル人の神に勝ったことを誇示するためでした。さらにはサウル王の遺体の首をはねて、べテ・シャンというところの城壁でさらし首にしました。サウルだけでなく、勇猛果敢なヨナタンたち息子の首もはねてさらし首にしたのです。まさに死者に鞭打つような行為ですが、イスラエルに勝ったということを示すために相手の大将を辱めようとしたのです。日本の歴史で有名なさらし首になった人物があの平将門ですが、源義朝などの有名な武人がさらし首になっています。日本でも斬首が禁止されるようになったのは、やっと明治時代のことでした。

さて、このサウルたちの痛ましい状況に心を痛めた人たちがいました。それはヤベシュ・ギルアデの人たちでした。かつてヤベシュ・ギルアデの人たちはアモン人のナハシュという残虐な王に追い詰められ、住民全部が右目をえぐり取られそうになりました。その時、王になったばかりのサウルが救世主のように登場し、イスラエル軍を率いてアモン人を追い払ってくれました。その時の恩を、ヤベシュ・ギルアデの人たちは忘れていませんでした。彼らは決死の覚悟でペリシテ人の目を盗み、サウルやヨナタンたちの遺体を盗み出し、ねんごろに葬りました。それだけでなく、サウルの死を悼んで七日間断食をしました。この一件からも、サウル王がイスラエルの民に愛されていた王だったということが分かります。

3.結論

まとめになります。今日はサムエル記上の主役の一人であるサウルと、その息子で英雄のヨナタンの、あっけないほどの死にざまを見て参りました。サウルはこれまで、真のヒーローであるダビデの敵役、ヒールの役回りをしてきたので、こういう最期を迎えるのは当然ではないか、と思われるかもしれません。しかし、今日の箇所を詳しく見れば分かるように、サムエル記の記者の描写は本当にそっけないものではありますが、サウルの最期の活躍は目を見張るものがありました。彼は絶望的な状況でも、最後の最後まで孤軍奮闘し、王としての職責を全うしたのです。さすがは神によって選ばれ、油注がれた王だ、と思えるような最期でした。もちろん、イエス様の教えを知る私たちは戦争を美化することはできませんし、戦場で国のために華々しく散ることが英雄的だ、などという風にも考えるべきではありません。サウルの死がどれほど英雄的なものだとしても、その生き方がそのまま私たちの模範となることはありません。サウルやダビデ、あるいはヨナタンの信仰には学んでも、その戦いに明け暮れた人生を私たちはそのまま受け入れることはできません。ただ、サウルの神から与えられた使命とはペリシテ人からイスラエルを守ることでしたので、彼は最後までその職責に忠実だったということです。

歴史は勝者によって書かれる、と言われます。サムエル記を読んでいけば分かりますが、これからサウル王朝は断絶し、代わってダビデ王朝の時代になります。サムエル記は勝った側のダビデ王朝の視点で描かれていますので、サウルに代わってダビデが王となるのは必然だった、と読者に思わせるような書き方になっています。ですから実際以上にサウルを悪者として描く傾向があるのは否めないと思います。聖書にそんな偏った視点があるのか、と思われるかもしれませんが、神の霊感を受けた聖書記者は同時に人間でもあります。人である聖書記者の歴史観がその記述に反映するのは当然のことです。ですからサムエル記を読む際には、ダビデの記述は若干割り引いて、サウルの場合は反対に割り増しして読むのがちょうどよいかもしれません。私たち日本人には判官びいきという心情があります。負けた者、敗れていった者の中に美しさを見る、という心情があります。サウルの悲劇的な人生に惹かれるものがあるとしたら、そういう心情のなせるわざなのかもしれません。

では最後に、神はサウルの人生をどのようにご覧になったのかを考えてみたいと思います。神様の御心を推し量るというのはおこがましいことではありますが、しかしサウルを王として選ばれたのは神ご自身です。神はご自分が選んで王として任命されたサウルの生涯をどのように見たおられるのかを考えることは有益だろうと思います。サウルについては神から見捨てられたのだ、というような意見が多いですが、しかし今回の箇所を読むと別の可能性があるように思います。人間はみないずれ死にます。ですからどう生きるか、ということと同時に、どう死ぬか、というのも大きなテーマです。特に後世に名を遺すような人は、その死にざまが人の心を打ちます。日本の歴史で言えば、負け戦を覚悟の上で、忠義のために死んでいった真田幸村、楠木正成、あるいは武蔵坊弁慶のような人が大変人気があるのはそのためです。彼らの美しい散り方が、まるで桜の散り際のように人の心を打つのです。そしてサウルやヨナタンは、まさにそのような散り際を見せました。対照的に、年老いたダビデは若い女性を侍らせる耄碌した老人になってしまいます。このダビデとサウルの最期を見ると、神はサウルに名誉ある最期を与えた、つまりサウルを大いに評価していたのではないか、と思えるのです。神はご自身が選ばれた人を決して見捨てることはない、ということをサウルの最期を見て思わされます。お祈りします。

イスラエルの王として最期まで勇敢に戦ったサウルを召した神様、そのお名前を讃美します。サウルの人生には、いろいろな問題や失敗がありましたが、しかし神は最期まで彼を見捨てることなく、王としての生きざまを全うすることができました。私たちもまた、終わりまで主の道を忠実に歩むことができますように。われらの救い主イエス・キリストの聖名によって祈ります。アーメン

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