*今回の説教には録音がありません。ご了承ください。
1.導入
みなさま、おはようございます。だいぶ気温も下がり、秋が深まって参りました。さて、これまでイエスの活躍を見て参りましたが、今日の箇所では珍しくイエスは登場しません。イエスの噂が聞こえてくるだけです。では、今日の聖書箇所の主役は誰かと言えば、バプテスマのヨハネと、ヘロデ大王の息子でガリラヤの領主だったヘロデ・アンティパスの二人です。バプテスマのヨハネはこれまでにも登場しましたが、ヘロデ・アンティパスは今回初めての登場です。そこで、このヘロデ・アンティパスという人物の背景やヨハネとの関係についてまずお話ししたいと思います。
ヘロデという名前は福音書や使徒の働きに何度も登場しますが、ヘロデは一人ではなく何人もいます。つまりヘロデ一族の人々が何人も登場しているのです。このヘロデ家は複雑な家族関係を持っていたので、こんがらがってしまうことも多いので少し整理してみましょう。そもそもヘロデ一族とはそのような一族かと言えば、彼らはユダヤ人ではなくエドム人でした。エドムとは、族長ヤコブのお兄さんであるエサウの子孫を指します。ヤコブの子孫であるユダヤ人とエサウの子孫であるエドム人は代々ずっと仲が悪く、旧約聖書にもエドムに対する非常に厳しい預言がたくさん出てきます。例えばイザヤ書34章5節には次のような不吉な預言があります。
天ではわたしの剣に血がしみ込んでいる。見よ。これがエドムの上に下り、わたしが聖絶すると定めた民の上に下るからだ。
さらに8節にはこうあります。
それは主の復讐の日であり、シオンの訴えのために仇を返す年である。エドムの川はピッチに、その土は硫黄に変わり、その地は燃えるピッチになる。
このように、エドムに対する凄惨とも言えるような神の報復の預言があります。エドムとユダヤは隣国同士でありながら、非常に仲が悪かったのです。隣国同士といえば、現在の日本と韓国も残念ながら関係が非常に悪化していますが、その原因は20世紀に日本が力づくで朝鮮を併合したことにあります。日本は欧米各国のように支配した地域を植民地とはせずに、むしろ同化政策、つまり朝鮮人を日本人に同化させるという政策を採りました。この同化政策が非常に深い禍根を残すことは私たちが現に体験していることでありますが、実はユダヤ人もエドム人に対して同化政策を実施しました。イエス様が誕生する100年ほど前、ユダヤ人は強国となり周辺民族を次々と征服していました。その時に征服された民族の一つがエドム人だったのですが、ユダヤ人はエドム人にモーセの律法を押し付け、彼らにユダヤ人として生きるように強制したのです。これはかつて日本が朝鮮の人たちにしたことと同じことです。そして、ユダヤ教に改宗させられたエドム人のリーダーだったのがヘロデ一門でした。そのヘロデ一門が、当時の地中海世界の覇者であるローマ帝国の力を借りて逆にユダヤ人を征服し、ユダヤの王に収まったのです。彼はユダヤ民族の王族の娘と結婚し、自分がユダヤの正統な王であることをユダヤ人たちに認めさせようとしました。日本でいうと、朝鮮出身の青年がアメリカ合衆国の後ろ盾で日本の内閣総理大臣にまで出世し、皇族の娘を奥さんにするようなものです。
かつて日本は朝鮮の人たちを日本人にした、と申しましたが、法律上はそうでも、日本人の意識の中では日本と朝鮮とは明確に線引きされていて、朝鮮人に対する差別意識や優越感は強く残っていました。エドム人をユダヤ人に改宗させたユダヤ人も、エドム人に対する根強い差別意識がありました。そのエドム人であるヘロデに支配されることにユダヤ人たちは反発し、ヘロデも彼らを従えるために時には懐柔策を採用したり、あるいは恐怖政治を行ってユダヤ人の反発を恐怖で押しつぶそうとしました。そのヘロデ家で最初の王になったのがあの有名なヘロデ大王、幼子イエスを殺そうと嬰児大虐殺を行った人物です。しかし、このヘロデ大王はイエスの少年時代に死んで、彼の広大な領地は彼の三人の息子に分割されました。その三人の息子の一人が、今回の聖書箇所に登場するヘロデ・アンティパスです。このヘロデ・アンティパスについては二つのことが言えます。一つは、彼がローマ帝国に忠実な人物だったということです。ヘロデ大王は三人の息子に領地を引き継がせたと言いましたが、この三人は皆ローマ帝国の首都ローマで教育を受けています。かつて世界を支配した大英帝国は、植民地の現地の人たちのリーダー候補を本国のオックスフォードやケンブリッジに送ってそこで教育を受けさせ、イギリス・シンパにして植民地に送り返すということをしていましたが、ヘロデの息子たちも将来ローマ帝国の傀儡としてユダヤを治めるべく訓練を受けたのです。ですから彼らのユダヤ支配はローマ帝国のためのものでした。彼らが特に気にしていたのは、ローマへの税金をきちんと徴収することと、とにかくローマへの暴動や反乱を起こさないようにすることでした。もし彼らの支配地域で何度も暴動が起こると、彼らはローマから無能と見なされ更迭される恐れがあったからです。実際に彼の兄はエルサレムを任されたものの、わずか十年で更迭されてしまいました。
アンティパスの人柄を知る上でもう一つ重要な事柄は、これは彼に限らずヘロデ一門に言えることですが、性的に乱脈だったということです。ヘロデ・アンティパスのみならずヘロデ家の人たちは、いわゆる略奪婚を繰り返していました。マルコ福音書によれば、ヘロデは自分の兄弟であるピリポの奥さんを奪って、自分の奥さんにしてしまいました。この略奪婚は大変な問題をアンティパスにもたらすことになります。というのも、アンティパスはヘロデヤと結婚するために、自分の奥さんを離縁したからです。しかもその先妻とは、ナバテヤ王国の王の娘でした。娘に恥をかかされたナバテヤ王国の王は怒ってアンティパスに戦をしかけ、アンティパスは敗北します。アンティパスはその後も失政が続き、主イエスが世を去られた数年後に領地を剥奪されて流刑に処され、その地で死んでいます。
このヘロデ・アンティパスがバプテスマのヨハネを捕まえて、彼を殺したというのが今日の話なのですが、なぜアンティパスはバプテスマのヨハネのように民衆から高い尊敬を集めていた人物を殺したのでしょうか?マルコ福音書によれば、それはヨハネが彼の略奪婚を非難したからだということになります。むろんそれも理由の一つですが、それだけではありませんでした。紀元1世紀のユダヤ人の歴史家ヨセフスは、バプテスマのヨハネがヘロデに捕まり処刑された顛末を記録していますが、それによればアンティパスがヨハネを処刑したのは、バプテスマのヨハネがあまりにも民衆から人気があったために、彼が反乱のリーダーとして担がれて、ガリラヤで暴動が起こるのを未然に防ぐためだったということなのです。むろん、自分の略奪婚のことを非難されて怒っていたということもあるでしょうが、それ以上に自分の管轄地で大きな暴動が起きることでローマ帝国から叱責される、最悪の場合は更迭されるのをアンティパスは恐れたのでしょう。
そして、バプテスマのヨハネがそのような政治的理由で殺されたことは、イエスの今後にも暗い影を落とします。イエスもまたバプテスマのヨハネように、いやそれ以上に民衆からの支持を集めていました。ガリラヤの人たちの中には、このイエスこそ自分たちをヘロデやローマの圧政から救ってくれるのではないか、と期待をかける人も多かったのです。そして、そのような人物はヨハネのように、アンティパスの警戒心を掻き立てただろうということです。そのような政治的背景を踏まえながら、今日の箇所を読んで参りましょう。
2.本文
では6章の14節から読んで参りましょう。イエスはカペナウムを中心に活動をしていましたが、段々とその活動領域を広げ、今や彼の名声はガリラヤ全土に響き渡ることになりました。そのことは、当然ガリラヤの領主であるヘロデ・アンティパスの耳にも届きました。イエスについては様々なうわさがありました。イエスの行う尋常ならざる業や奇跡について、どうしてそんなことが出来るのか、と人々は論じあっていたのです。ある人々は、預言者として尊敬されていたバプテスマのヨハネ、彼は既に死んでいましたが、彼がよみがえったのだと考えました。バプテスマのヨハネ自体は、生前は奇跡を行うことはありませんでした。彼は火の出るような激しい説教と、厳しい生き方で人々に強い印象を与えましたが、イエスのような力ある業を行ったわけではありません。しかし、そのヨハネが死者の中からよみがえったのならば、イエスの行う異常な奇跡も説明できるのではないか、と考えたのです。また別の人々は、イエスがエリヤの再来ではないかと考えました。エリヤはイエスが活躍した時代から900年も前の人ですが、彼は死ぬことなく、生きたまま天に引き上げられたと信じられていました。ですから、世の終わりに際してエリヤが再び現れるという信仰があったのです。旧約聖書の最後の一節、それはマラキ書ですが、そこにはエリヤ再来の預言があります。
見よ。わたしは、主の恐ろしい日が来る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす。彼は、父の心を子に向けさせ、子の心を父に向けさせる。それは、わたしが来て、のろいでこの地を打ち滅ぼさないためだ。
預言者エリヤは、死人をよみがえらせるという驚くべき奇跡を行ったと聖書に記されています。ですからイエスがこのエリヤの再来ならば、イエスの行っている奇跡も説明できるのではないか、とある人たちは考えたのです。
さらに別の人たちは、イエスがエリヤの再来だとまでは考えなかったけれど、大きな奇跡を行った大預言者モーセやヨシュア、あるいはイザヤやエリヤ、エレミヤと並ぶような預言者と一人としてイエスを受け止めていました。
ヘロデ・アンティパスはこうした様々なうわさを聞きましたが、彼自身はイエスがバプテスマのヨハネのよみがえりではないかと考え、恐れていました。なぜならアンティパスこそ、ヨハネを殺した張本人だったからです。バプテスマのヨハネとヘロデ・アンティパスとの関係は、預言者エリヤと当時のイスラエルの王であるアハブ王との関係にどこか似たところがありました。アハブ王は、王である自分を厳しく叱責するエリヤを疎ましく思っていましたが、他方で内心では彼のことを神の人として恐れる気持ちもありました。しかし妻のイゼベルに背中を押されるようにして、エリヤの殺害に動きますが、最後の最後に悔い改めて主に立ち返ったという王です。アンティパスも、自分の行状を厳しく叱責するヨハネを疎ましく思い、また同時に反乱の火種になりかねないヨハネに対する民衆の人気を懸念し、ヨハネを捕らえて幽閉することにしました。しかし、では彼がヨハネを憎んでいたかといえば、そう単純な話ではありませんでした。19節と20節にはこうあります。
ところが、ヘロデヤはヨハネを恨み、彼を殺したいと思いながら、果たせないでいた。それはヘロデが、ヨハネを正しい聖なる人と知って、彼を恐れ、保護を加えていたからである。また、ヘロデはヨハネの教えを聞くとき、非常に当惑しながらも、喜んで耳を傾けていた。
このように、ヘロデ・アンティパスの妻ヘロデヤは、アハブの妻イゼベルのようにヨハネを殺したかったのですが、アンティパスがそれを許さなかったのでした。しかし、彼は宴会の席で酔った勢いでヘロデヤの娘に何でも望むものを挙げると約束してしまいました。その失言を捉えたヘロデヤはヨハネの命を夫に要求し、ヘロデ・アンティパスもそれを拒むことが出来ずにヨハネの命を奪ってしまいました。しかしアンティパスは内心ではこのことを深く後悔しており、痛みを感じ続けていました。ですからイエスのうわさを聞いた時、自分が心ならずも殺してしまったヨハネがよみがえったのだと思い込んだのでした。他の福音書を見ても、ヘロデはかなり悪辣な人物として描かれていますが、このマルコの記述を見ると、彼は意外にも神を恐れる正しい心を失っていなかったように見えます。これが人間の心の不思議なところで、どうしようもない悪人に思えるような人が意外な仏心を見せることがありますが、アハブ王にもヘロデ・アンティパスにもそのような面があったのが分かります。
さて、ここまではヘロデ・アンティパスのことを中心に考えてきましたが、ではもう一人の主役であるバプテスマのヨハネはどうだったのでしょうか。彼はどのような気持ちでこの理不尽な死を受け止めたのでしょうか。このバプテスマのヨハネの心の動きについてマルコ福音書はほとんど何も記しませんが、マルコの後に書かれたマタイ福音書では、ヨハネがどんな気持ちで牢にいたのかを伺わせる記述があります。獄中にいたヨハネは弟子たちをイエスの元に遣わし、あなたが私たちの待ち望んでいる救世主なのかどうか、と尋ねたのです。ヨハネはイエスがいったい誰なのか、確信が持てず考えあぐねていたのです。
イエスとバプテスマのヨハネとの関係については、福音書はそれほど詳しく書いてはいませんが、イエスがバプテスマのヨハネから洗礼を授けられたということは事実です。しかし、バプテスマのヨハネの授けた洗礼は、後のキリスト教会の聖礼典となる洗礼とは同じではないことに注意する必要があります。確かにバプテスマのヨハネの元にやって来た人々は罪を告白しましたが、ヨハネの授けたバプテスマはその罪を洗い清めるため、というわけではなかったようなのです。先ほど紹介した1世紀の歴史家ヨセフスによれば、ヨハネのバプテスマの目的は罪の赦しを与えるためではありませんでした。ヨハネに限らず、当時のユダヤ人たちは身をきよめるために熱心に沐浴をしていましたが、ユダヤ教においてはキリスト教のように、沐浴の目的を罪の赦しとは考えていなかったのです。ヨハネの行っていたバプテスマについても、それを行った場所について注目すべきです。ヨルダン川は、ユダヤ人の歴史において救いと深く結びついた場所です。そしてヨハネがヨルダン川で行ったことは、はるか昔にモーセの後継者であるヨシュアがヨルダン川を渡ったことを思い起こさせるものでした。ヨハネは、ヨルダン川で人々にバプテスマを授けた際、象徴的な意味で彼らにヨルダン川を渡らせたとも言えます。では、それにはどんな意味があったのでしょうか?ヨシュアたちはヨルダン川を渡った後に、神の決定的な救いの業を目撃しました。ヨハネもこのヨルダン川でのバプテスマという象徴的な行動を通じて、神が決定的な救いの業をなされる日が近いということを人々に伝えようとしたのです。イエスがヨハネからバプテスマを受けたのは、その罪を赦してもらうためではなく、むしろヨハネが示すように神が決定的な救いの業をなさる日は近いと確信したからでしょう。ですからヨハネに共感し、しばらくの間はヨハネと行動を共にしたのです。
しかし、では神がいったいどんな行動をなされるのか、その点についてヨハネとイエスは見解を異にしたのだと思われます。イエスがヨハネを離れて、独立して行動を開始したのは、ヨハネとは違う神のヴィジョンを示そうとしたからでした。ヨハネは神の裁きの日が近いと確信していました。神は、ユダヤの地を支配するローマを滅ぼすだけでなく、神に忠実に歩まないユダヤ人をも神は裁くと考え、ユダヤの人々に熱心に悔い改めを説きました。イエスも神の裁きが下ることを警告しましたが、しかしイエスがもっと強調しようとしたのは、イスラエルの中の見捨てられた人々を憐れまれる愛の神でした。イエスが警告した神の裁きは、そのような見捨てられた人々をユダヤ社会の中で生み出しているユダヤのエリートたちに対するものでした。ですからイエスは見捨てられた人々への神の愛を示すために、病の癒しを自らの宣教の中心に据えました。しかし、ヨハネはそのことが理解できませんでした。救世主はむしろ、神の敵を滅ぼすことをその使命の中心に据えるはずだ、と考えたのかもしれません。そのためにヨハネはイエスに弟子たちを遣わして、あなたは本当にメシアなのかと尋ねさせたのです。
その後、ヨハネがイエスの意図を正しく理解するようになったのかどうか、福音書は何も語りません。彼が死に赴く時、何を思ったのかは分かりません。自分の志はイエスに引き継がれたと安心して死んでいったのか、あるいはまたもやもやした気持ちを抱え続けていたのか、それは分かりません。しかし、イエスの方がヨハネの死に深い衝撃を受けたのは確かです。マルコにはその記述がありませんが、マタイ福音書には次のような下りがあります。
それから、ヨハネの弟子たちがやって来て、死体を引き取って葬った。そして、イエスのところに行って報告した。イエスはそのことを聞かれると、舟でそこを去り、自分だけで寂しい所に行かれた。(マタイ14:12-13)
イエスにとってヨハネは数少ないメンターのような人でした。その人の悲劇的な末路に、自らの運命を重ね合わせたのかもしれません。イエスの目には、徐々にですがはっきりと、自らを待ち受ける十字架が見えてきたのです。
3.結論
まとめになります。今日の箇所では、イエスではなくヘロデ・アンティパスとバプテスマのヨハネという二人の人物を中心に見て参りました。ヘロデ・アンティパスは複雑な人物で、自分の立場上バプテスマのヨハネを迫害しますが、内心では彼を尊敬し、共感すらしていました。彼はヨハネを殺してしまったことを悔いて、イエスの中にヨハネの亡霊を見たのでした。他方で、バプテスマのヨハネのとっても、その死は決して黙って受け止められるようなものではなかったでしょう。彼は神の救いは近いと確信し、人々にもそのように伝えたのですが、その実現を見ることなく死んでいったのですから。いや、実際には神の救いはイエスの癒しの業の中にすでに現れていたのですが、それは彼が考えていたような救いではなかったのです。
このように見ると、まるで正反対に見えるヘロデ・アンティパスとバプテスマのヨハネは、その悲劇性という意味ではどこか通じるものがあるという気さえします。ヘロデ・アンティパスの気持ちも私たちには分かる部分があるのではないでしょうか。正しいことをしたいと願い、正しい行動をしている人を応援したいと願いつつも、自分の置かれた立場がそれを許さない、ということが私たちの人生にはままあります。また、バプテスマのヨハネの気持ちもわかるのではないでしょうか。私たちは、神様ならきっとこのように行動してくださる、私たちをこのようにして救ってくださる、という期待を抱くわけですが、どうも神はそれとはまったく別のことをなさろうとしている、と気が付くことがあります。その時に、これまで自分が抱いてきた期待を捨て去るというのは簡単なことではありません。むしろ自分の期待に固執してしまう、ということが往々にしてあります。
こうしてみると、私たちもある面ではヘロデ・アンティパスであり、バプテスマのヨハネである、と言えるのかもしれません。しかし、神はこのような私たちの弱さをもよくご存じです。私たちが弱いからといって、神は私たちを切り捨てることはなさいません。ですから、自分がヘロデのようだとか、ヨハネのようだと感じる時があっても、自分にがっかりしても神にがっかりしないようにしましょう。神はいつでも私たちにやり直すチャンスを与えてくださいます。むしろ、聖書の中で大活躍する人は、みな大きな挫折をした人ばかりです。ペテロしかり、パウロしかりです。ですから、どんなに自分が惨めに感じるときにも神を信頼し、前を向いて歩んで参りましょう。お祈りします。
イエス・キリストの父なる神様、そのお名前を讃美します。今日はヘロデ・アンティパスとバプテスマのヨハネと言う、対照的な人物の生涯を考えました。私たちにも通じる弱さを持った彼らですが、私たちがどんな時にもあなたへの信仰を持ち続けることができるように、私たちを強めてください。われらの救い主、イエス・キリストの聖名によって祈ります。アーメン