故郷での拒絶
マルコ福音書6章1~13節

1.導入

みなさま、おはようございます。マルコ福音書はマタイ福音書やルカ福音書とは違い、イエスの誕生物語やイエスの少年時代の記述がありません。イエスが30歳前後の年齢に達し、伝道を始めるところから始まります。ですから、故郷でどんな少年時代を過ごしたのか、ということは分かりません。むろん、マルコ福音書でもイエスは「ナザレの人イエス」と呼ばれているので、彼がナザレ出身であることは分かりますが、イエスと故郷ナザレの人々との関係については、これまではほとんど言及されませんでした。たった一度だけ、イエスと故郷の人々との関係を垣間見せる場面がありました。それは、イエスの家族がナザレからカペナウムにいるイエスのところに会いに来るという場面でした。しかし、イエスの母や兄弟たちがやって来た目的は、イエスに伝道活動をやめさせて、故郷に連れ戻すためでした。彼らはイエスが気が違ってしまったという噂を真に受けて、イエスを止めに来たのでした。このエピソードから分かるように、イエスとその郷里の人々との関係は必ずしも良好ではありませんでした。

その家族との気まずい再会の後も、イエスの目覚ましい活躍は続きます。これまでお話ししたように、いま私たちはイエスが行った10の驚くべき奇跡について学んでいます。これまでは四つの奇跡を見て参りました。そのように大活躍を続けるイエスですので、そのイエスが故郷に帰ることはまさに「錦を飾る」ことになるのではないかと思われます。私たちの時代でも、自分たちの住んでいる地域から有名人が出れば、誇らしく思います。オリンピック選手の活躍などでも、一番それを喜んでいるのは故郷の人たちです。ですから、世間の注目を浴び、驚くべき業を行うイエスの活躍を喜ぶのはナザレの人たちなのではと思わけですが、そうではなかったことが今回の箇所で明らかになります。

今日お読みいただいた聖書箇所は、このイエスの里帰りに関するエピソードと、イエスが十二弟子を伝道旅行に派遣するという二つの場面から成っています。この二つは全然別の出来事のように思われますが、実はそうではありません。ナザレでの出来事は、イエスの行っている活動が、必ずしもすべての民衆の支持を得ていたわけではないことを端的に示しています。これまでの福音書の記述によれば、イエスはユダヤの政治的あるいは宗教的権力者たち、つまりヘロデの一門やパリサイ派とは敵対的な関係にありましたが、民衆からは常に好意的に迎えられていました。しかし、今回のナザレの一件では、民衆の側からイエスに対する疑問の念、不信仰が表明されます。しかも故郷の人々からです。これほど大きな働きをしているイエスを、その郷里の人々が受け入れなかったというのは驚きです。しかし、このナザレの人々の反応は、イエスと彼らの近しい関係を考えると、納得できる部分もあります。身近な例で話してみましょう。例えば子供のころからよく知っていて、自分とは同じような境遇の人だと思っていた仲間が、急に世間から注目を浴びてもてはやされるようになると、なんだか自分が置いて行かれたような、寂しい気持ちになることがあるかもしれません。友達の成功が素直に喜べないのです。なんで彼だけ、あるいは彼女だけ特別になってしまうんだろう、とつい思ってしまうのです。しかし、その幼馴染がさらにもっと成功して、だれもその成功を否定できないレベル、例えば将棋の藤井聡太さんや野球の大谷翔平さんのレベルまでいってしまえば、もう羨むという気持ちを通り越して、その成功を素直に賞賛できるようになるでしょう。このように考えると、イエスについてのこの時点での世間の評価は、まだ絶対的なものではなかった、ということなのかもしれません。イエスの活動を賞賛する人だけでなく、それに疑問を感じる人たちや反発する人たちも少なからずいた、ということです。ナザレの人々は、イエスに対して否定的な評価を下す人たちのほうに強く影響されてしまっていたようです。それは彼らが、自分たちの村から出たイエスが特別な人間だということをなかなか受け入れられなかったからでしょう。

イエスでさえ、このように評価が分かれていたのですから、その弟子たちについてはなおさらのことです。イエスはこの時点で初めて、彼らに独自の伝道活動に当たらせます。彼らは将来、イエスから離れて一本立ちした伝道者としての活動をすることになりますが、そのための訓練が必要だったのです。しかし、彼らに対する民衆の対応は必ずしも好意的なものばかりではないでしょう。そのことを暗示させるのが、イエスのナザレにおける拒絶だったのです。こうしたことを念頭に置きながら、今日の箇所を詳しく見ていきましょう。

2.本文

6章1節には「イエスはそこを去って」とありますが、「そこ」とは二つの大きな奇跡を行った町であるカペナウムのことです。そこでイエスは、12年もの間長血を患っていた女性を癒し、またユダヤの会堂管理者のヤイロの12歳の娘を死からよみがえらせました。そこではイエスの業が目覚ましいものだったことだけでなく、イエスを通じて働く神の力への、人々の側の強い信仰も強調されていました。これらの出来事の後、イエスは故郷であるナザレに向かいます。カペナウムからナザレまでは約40キロ、マラソンランナーなら2時間ほどで駆け抜ける距離ですが、その旅路をイエスは弟子たちと共に徒歩で歩んでいきました。今や有名人となっていたイエスですので、安息日の土曜日の礼拝に、ゲストスピーカーとして招かれました。会堂に集うのは、少年のころからイエスを知っている人たちですので、あの坊やがどんな立派な話をするのかと、期待と好奇心がないまぜになった気持ちでイエスのメッセージに耳を傾けました。そして、イエスの話す内容は彼らの期待以上のものでした。明らかにイエスは旧約聖書について十分な知識を持っていて、しかもその深い意味を汲み取って話しました。しかし、あのイエス君がいったいどこでこれほどのことを習ったのか?という疑問が彼らの心に浮かびました。彼は小さいころから大工の見習いをして、大人になってからもいつも大工仕事に忙しくしていたではないか。聖書の勉強などする時間がなかったではないか。エルサレムに留学して、みっちり聖書研究をしてきたということなら話は分かるけれど、彼はいままでずっと私たちと一緒にいたではないか。そんな風に考え、イエスがどこでこんなに深い知識を得たのか、かえって怪しむような気持になりました。

また、噂に聞こえてくるイエスが行ったという数々の驚くべき癒しの業というのも、本当の話なのか未だに信じられない思いでした。なぜならイエスがそういう力ある業をナザレで行ったのを見たことがなかったからです。そういうわけで、彼らはイエスの圧倒的なメッセージを聞いても、素直に感心することができず、いつの間にイエスがこんな高度な教育を受ける機会を得たのか、私たちの知らない所で、どういう特別なルートやコネがあったのか、そんなことばかり考え始めてしまいました。彼らにとって、イエスは自分たちの仲間の一人であり、自分たちとは違う特別な人であるということが受け入れられませんでした。ですからせっかくイエスの素晴らしいメッセージを聞いた後も、それを素直に味わうことが出来なかったのです。

同時に、イエスの家族たちのイエスに対する否定的な態度や評価も、彼らに影響を与えていたことでしょう。イエスの家族たちは、まだイエスのことを認めていませんでした。それどころか、家族の大黒柱という大事な役割を放棄して、夢みたいなことを始めた無責任な兄というようなマイナスの感情を抱いていました。こうした家族の思いがナザレの人々の間にも伝播したこともあり、どうにもイエスに対して心を開けなかったのです。マルコは彼らの反応を、「こうして彼らはイエスにつまずいた」と記しています。

イエスの方もメッセージを終えた後の聴衆の反応を見て、落胆しました。イエスにしては珍しく、ボヤキのようなことを口にしています。「預言者が尊敬されないのは、自分の郷里、親族、家族の間だけです。」こう語ったとき、イエスの頭にあったのは、旧約聖書の大預言者エレミヤのことかもしれません。エレミヤも、故郷の人から受け入れられませんでした。それどころか、なんと彼が生まれ育った故郷のアナトテの人々が自分を殺害しようとしているという計画を知り、深く落胆し、また憤慨しました。エレミヤ書11章21節にはこうあります。

それゆえ、主はアナトテの人々について、こう仰せられた。「彼らはあなたのいのちをねらい、『主の名によって預言するな。われわれの手にかかってあなたが死なないように』と言っている。」

エレミヤの郷里の人たちは、エレミヤに対して死にたくなければ主の名によって預言をするな、と脅したのです。イエスも、マルコ福音書ではそこまでは書かれていませんが、ルカ福音書ではナザレで説教をした際に、人々から命を狙われたと記されています。なぜ、故郷の人々がエレミヤやイエスに対して、こんなに冷たい態度を取るのか、それはなかなか難しい問題ですが、その一つの原因は、預言者の語る言葉というのが必ずしも人々の聞きたい言葉ではなかったことが挙げられるでしょう。「良薬は口に苦し」と言いますが、神の言葉は決して耳障りの良いものではありません。むしろ、魂にぐさりと響くような、自分が直視したくない現実を突きつけるような、そういう厳しさを含んでいます。そのような厳しい言葉を、自分の良く知っている家族や親類から聞かされるのは、全く知らない他人から言われるよりも遥かに堪え、それだけ反発を呼び起こしてしまうということがあるのでしょう。イエスの教えも、耳障りの心地よい、神の恵みだけを強調するものではなく、ナザレの人々に悔い改めを求めたり、大きなチャレンジを与える内容も含んでいました。こうした厳しい言葉を、小さいころから知っているイエスから聞かせられることを面白くないと感じた大人たちがいても不思議ではないのです。

このように、イエスの郷里への帰還は、凱旋とは程遠いものでした。ナザレの人々はイエスを神の預言者として受け入れようとしなかったのです。しかし、彼らの不信仰は驚くべき副作用、あるいは反作用をもたらしました。なんと、イエスは癒しの業を行うことができなかったのです。「できない」という率直な言葉をマルコは書き残していますが、イエスにできないことがある、というのは私たち信仰者にとっては信じがたいことかもしれません。マルコより後に書かれたマタイ福音書では、この点に配慮したのか、「できない」ではなく「なさらない」と書き改めています。しかし、誤解を恐れずにいえば、イエスは本当に癒しを行うことができなかったのでしょう。なぜなら、癒しの業というのはイエスの、あるいは神の一方的な行為だけでなく、癒される側のイエスへの、そして神への全幅の信頼を必要とするものだからです。たとえイエスがいくら直したいと思っても、それを受ける側がそれを望まない、あるいはイエスを信頼していないという状況では、イエスの力は発揮されないのです。この残念な状況についてのイエスの反応として、マルコは「イエスは彼らの不信仰に驚かれた」と記しています。驚いた、ということはイエスにとっては意外だったということです。しかし、イエスは家族たちの先の反応から、ナザレの人々の不信仰もある程度は予測できたのではないかと思います。ですから驚いたというのは、自らの癒しの業が、如何に相手側の信仰を必要としているかを改めて思わされた、そういう自然な驚きだったのかもしれません。先の章では、イエスの方は意識していなかったのに、相手側の長血を患う女性の信仰がイエスの力を引き出したという場面がありましたが、その彼女が信仰によって癒されたことと、ナザレの人々の不信仰によって癒しが行えなかったこととは、まさに対照的なことでした。このナザレでの出来事はイエスにとっても落胆させられることだったでしょうが、しかしイエスはこのことにもめげず、近隣の村々で福音を宣べ伝えました。

さて、7節以降では場面が大きく変わります。イエスは弟子たちを始めて伝道旅行に派遣しますが、それに際してのイエスの教えが書かれています。イエスは十二弟子を二人ずつのペアにしました。なぜ二人なのかといえば、やはり伝道においては助け合いが必要で、一人よりも二人の方が心強いためでしょう。使徒の働きでも、伝道は基本的に二人で行われていました。あのパウロも、最初はバルナバとタッグを組んで伝道を行っていました。それと同時に、二人ずつペアにしたことは、旧約聖書のすべてのことは二人か三人の証人によって確認されるべきだ、という教えを意識したものであるとも言えます。イエスは福音を受け入れない村は、足の裏のちりを払い落として立ち去りなさいと教えていますが、福音を受け入れなかったという事実は二人の使徒によって確認される必要があったということです。

イエスは二人組の使徒たちに、悪霊を追い払う権威を委譲しました。悪霊を追い出す力が人から人へと委譲できる、というのは驚くべきことですが、しかしよくよく考えればそんなことはあり得ないことです。そのような委譲は人から人ではなく、神から人へ、という場合のみに可能なのです。そう考えると、このさりげない記述の中には、イエスが神と等しい方である、ということが示唆されているように思われます。

イエスは彼らが伝道旅行に旅立つに際して、本当に必要最小限のものしか持たせませんでした。パンも水も、お金すら持たせませんでした。持参を許したものといえば、くつと杖だけでした。私たちの感覚では、ちょっと無謀な感じもしますが、日本でも托鉢僧という修行僧がいます。彼らも無一文で全国を行脚し、信者のお布施だけで生活をしています。しかし、十二弟子の場合は、イエスから悪霊を追い出す権威を与えられています。彼らから悪霊を追い出してもらって助けられた人たちは、自然とお礼をするでしょうから、托鉢僧よりも恵まれた立場にいたと言えるかもしれません。彼らはある町や村に入ったならば、一軒の家に泊めてもらって、そこから動いてはならないともイエスから教えられます。このことは、これは伝道旅行であって、人々から接待を受けるためにやっているのではない、ということを改めて確認したものだと思われます。もっと待遇の良い家を、という風に家々を渡り歩くのはだめだということです。

そして、最後にイエスの厳しい言葉が続きます。弟子たちの悪霊払いや病の癒しという素晴らしい働きにもかかわらず、彼らが伝える福音を受け入れようとしない町や村があるならば、足の裏のちりを払い落としていきなさい、と命じられます。このジェスチャーは、私はするべきことはしました、だからあなたがたが今後どうなろうとも、私には責任がない、というある種突き放したメッセージです。この言葉の背景にあるのは、エゼキエル書のメッセージです。エゼキエル書3章18節には次のようなみことばがあります。

わたしが悪者に、『あなたは必ず死ぬ』と言うとき、もしあなたが彼に警告を与えず、悪者に悪の道から離れて生きのびるように語って、警告しないなら、その悪者は自分の不義のために死ぬ。そして、わたしは彼の血の責任をあなたに問う。

これはよくよく考えると、大変重大な神のことばです。悪者に悔い改めるようにとのメッセージを神から受けながら、それを悪者に伝えない場合、悪者が死ぬだけでなく、そのメッセージを伝えなかったものもその悪者の死の責任を問われるということです。よくこのみことばを読んで、伝道者になった、という証しを聞きますが、そのような重さを持ったみことばです。しかし、すぐ後の次の節にはこうあります。

もしあなたが悪者に警告を与えても、彼がその悪を悔い改めず、その悪の道から立ち返らないなら、彼は自分の不義のために死ななければならない。しかしあなたは自分のいのちを救うことになる。

つまり、きちんとメッセージを伝えたならば、相手がそれを聞いて悔い改めなかったとしても、その責任はメッセンジャーにはない、ということです。足の裏のちりを払ったイエスの弟子たちも、きちんと使命を果たした以上、結果については責任を問われないということです。このことは私たちにも当てはまります。私たちも福音を伝える時に、もちろん相手がそれを受け入れてほしい、信じてほしいと願います。しかし、もし相手が聞いてくれなかったとしても、それはあなたや私の責任ではありません。がっかりはしても、自分を責める必要はないのです。しかし、伝えることそのものを放棄する場合は、その場合は私たちは神から責任を問われるということも事実です。福音を上手に伝える必要はありませんが、実直に誠実に伝える必要はある、ということです。

さて、このように具体的な指示を与えられた弟子たちは、実際に人々に悔い改めを説き、また神の支配が本当に到来していることの証拠として、悪霊を追い出したり、大勢の病人を癒したりしました。しかし、そのような神の業を見ても、彼らを信じなかった人たちがいました。イエスのことでさえ受け入れない人がいる以上、弟子たちを受け入れない人たちも当然いたのです。

3.結論

まとめになります。今日は、イエスが郷里ナザレで人々から拒絶され、また彼らの不信仰ゆえに奇跡を行うことができなかったこと、それに次いでイエスが十二弟子を伝道旅行に派遣したところを学びました。イエスが故郷で受け入れられなかったのは、人々がイエスのことを子供のことから知っていて、その先入観が強すぎて、今のイエスをありのままに見ることができなかったのです。「男子、三日会わざれば刮目して見よ」という日本のことわざがありますが、イエスも神に導かれてダイナミックに成長していたのですが、ナザレの人たちにはそれが見えなかったのです。彼らの不信仰は、彼ら自身に不利益をもたらしました。イエスから病を癒してもらえなかったからです。ある意味では、彼らはそれに満足したかもしれません。「ほら、やっぱりイエスはイエスじゃないか。そんなすごいことが出来はずがないよ。病の癒しだなんて、ただの噂だったんだ」と、彼ら自身の先入観が裏付けられたからです。しかし、本当にイエスに病を癒してもらいたかった人たちにとっては、これは大いなる不幸でした。

このような、ある意味での失敗体験も、イエスは自分の弟子たちにそのまま隠すことなく見せました。それは、彼らも同じような体験をすることを見越してのことでした。イエスも十二弟子も、伝道活動はいつも順調ではなく、それどころか人々の無理解や偏見に苦しめられてきたのです。私たちも当然そうした事態に直面することはあり得ます。しかし、それでも私たちは神から召されたものとして、誠実に福音を、言葉だけでなく生活そのもの、生き方そのもので表していきたいと願うものです。お祈りします。

イエス・キリストの父なる神様。そのお名前を讃美します。今日はイエスの故郷での挫折について、特に学びました。人々に福音を伝えることは簡単ではありませんが、私たちにも勇気と誠実さをお与え下さり、その任に当たることができますように。われらの救い主イエス・キリストの聖名によって祈ります。アーメン

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