1.導入
みなさま、おはようございます。5月からマルコ福音書の説教を始めてちょうど2カ月が経ちましたが、今日の箇所でマルコ福音書の最初のステージといいますか、初めの部分が終わります。ここまではイエスが鮮烈なデビューを飾るという局面です。無名の青年であったイエスがガリラヤで一躍人々の注目を集めるようになっていく、時の人になる、そのような過程でした。前回のカペナウムの会堂での場面では、イエスは人々に強い印象を与えた二つのことを行っています。
その一つは、教えることでした。イエスは会堂での説教を通じて、人々に衝撃を与えました。その教えは新しく、しかも権威あるものだったからです。その教えの内容はマルコ福音書にはほとんど記されていませんが、後に書かれた福音書、特にマタイ福音書を読むと、イエスがどんなことを教えられたのかが分かります。イエスは旧約聖書の教え、モーセの律法の解釈について、当時の律法の教師たちが教えていたものとは大きく異なることを教えられました。「敵を愛しなさい」というのはその代表的なものです。しかもイエスは、そうした教えを先輩教師たちの教えを受け継いだものとしてではなく、彼自身の考えとして、また彼自身の権威によって教えました。このように力強く教えるこの若者はいったい何者なのだろうかと、聴衆は論じ合いました。イエスが会堂で行ったもう一つの業は、悪霊払いでした。イエスは会堂の会衆の一人に取りついていた悪霊を、ひと言で追い払いました。人々は、悪霊さえ言葉一つで従えるイエスの権威に驚嘆しました。このように、イエスの宣教を特徴づける二つのこと、「教えること」と「悪霊を追い払う」ことをカペナウムの安息日の会堂で行ったイエスですが、今日の箇所ではイエスの第三の行動の柱が記されています。それは「病を癒すこと」でした。病の癒しは、医者であるルカによって書かれたルカ福音書によれば、悪霊払いの一環として描かれています。どういうことかと言えば、病気の原因は悪霊に憑かれていたためなので、悪霊を追い払うことで病を癒すわけです。それに対しマルコ福音書では、少し様子が異なります。それは、「悪霊払い」と「病の癒し」は別々のものとして描かれているということです。注意して読むとお分かりのように、マルコ福音書ではイエスは悪霊払いの場合は言葉を発するだけで悪霊を追い出しますが、病を癒す場合は患者に触れる、接触することでその病を癒しています。マルコ福音書は病の癒しは悪霊払いとは区別されるべきものだ、という意図に基づいて書かれているということです。これはマルコとルカ福音書が矛盾しているということではなく、それぞれ独自の視点、強調点を持っているということなのです。このように、マルコ福音書によればイエスの宣教の三本柱は「教えること」、「悪霊を追い出すこと」、そして「病を癒すこと」でした。しかし、この三つはいずれも重要ではありますが、それらはイエスの宣教活動の中心ではありませんでした。さらに重要な、第四の事柄があるのです。それは何かといえば、38節にあるように、「福音を告げ知らせること」でした。福音、つまりグッド・ニュースを人々に告知すること、それこそイエスが最も重要視していた事柄でした。福音を伝えることと、教えることとは別々のものです。イエスの教えとは、イエスを信じ、イエスに従いたいと願う人に対し、それでは具体的にどう生きればよいか、それを教えるものです。それに対し、福音を宣べ伝えるというのはニュースを伝えることであり、そのニュースを信じるか信じないかは、そのニュースを聞いた人次第です。ですからイエスは人々が福音を信じるかどうかは分からなくても、ともかくもすべての人にそのニュースを伝えようとしたのです。
ではイエスが伝えた福音、グッド・ニュースの内容とは何でしょうか?ここで注意していただきたいのは、その知らせが「イエスを信じれば、死んだら天国に行ける」というような、今日しばしば福音として語られるメッセージとは大きく異なっていたことです。イエスが伝えようとしたニュースとは、人は死んだらどうなるのか、そして死後に天国と呼ばれる素晴らしい世界に行くにはどうすればよいのか、そういう内容のものではなかったのです。むしろイエスが語ったのは、この世界についてでした。イエスが伝えたグッド・ニュースは、マルコ福音書のイエスの最初の言葉から明らかなように、「神の王国の到来は近い」というものでした。イエスの宣教の中心には「神の王国」がありますが、福音とはその王国が、今イエスの言葉を聞いている人々の間に到来しつつあるというニュースなのです。イエスはこのニュースの信頼性を高め、この良き知らせが真実であることを保証するために、他の三つの業、つまり神の王国のもたらす祝福を指し示すしるしとして、新しい教えと悪霊払いと病の癒しを行ったとさえ言えます。このことに注意しながら、今日の聖書箇所を詳しく読んで参りましょう。
2.本文
さて、前回の説教ではカペナウムでのある安息日の出来事を学びました。そして、ペテロとアンデレの家で行った病の癒しは、その日の午後の話です。ですから、午前中の礼拝が終わって、説教者が自宅に戻った、そのような感じです。イエスはカペナウムで宣教している間、愛弟子であるペテロとアンデレの家に滞在していたのです。すると、シモン・ペテロの奥さんのお母さん、ペテロから見ればしゅうめとが高熱で苦しんでいました。30節に「人々は」とありますが、これは見ず知らずの人たちがという意味ではもちろんなく、ペテロの家族の人たちは、ということです。つまりこれは公の場で行われた癒しではなく、私的な場で、家族内部の人たちの間でのみ目撃された癒しだということです。その意味では、ここでの癒しは先の会堂での悪霊払いとは対照的な奇跡だと言えます。悪霊払いは会堂での礼拝中という、公衆の面前で行われた業だったからです。イエスが最初の癒しを、いわば隠れたところで行ったのにはそれなりの理由がありました。当時のユダヤ人は安息日を厳守していて、安息日には基本的に治療行為を禁止していました。32節に、「夕方になった。日が沈むと、人々は病人や悪霊につかれた人をみな、イエスのもとに連れて来た」とありますが、人々は日が沈むのを待ってから、病人をイエスのもとに連れて来ました。そのわけは、ユダヤ教では日没で日付が変わる、つまり日没で安息日が終わるからです。安息日が終わり、治療行為が認められる時間を待って、人々は病人を癒していただくために連れて来たのでした。ですから日没前の午後にシモンのしゅうとめを癒したイエスの行為は、ユダヤ人にとっては一種のフライングで、そのことが公になるとイエスは論争に巻き込まれる恐れがありました。実際、後にイエスは自らそのような論争を引き起こしていくのですが、この時点ではイエスは穏便に、ひそやかに治療行為を行ったのでした。
その癒し方は、先ほども申しましたが、悪霊払いとは大きく異なるものでした。イエスの病の癒しには二つの特徴がありました。その一つは、体の接触を通じて癒すということです。これには大きな意味がありました。当時は病にある人は、宗教的な意味で汚れているという偏見を持たれていました。私たちも、病気の人から病をうつされたくないと、残念ながら無意識のうちに距離を置いてしまうことがありますが、古代世界の人たちはあからさまにそういう意識を持っていました。ですから病の人は、健康な人から触れられるだけでうれしく感じる、自分は受け入れられているという安心感を受けたのです。イエスは、宗教的に触れてはならないとされている人にも積極的に触れて病を癒しました。これは驚くべきことでした。イエスはからだの接触を通じて、病人の傷ついた孤独な魂に触れたとも言えます。イエスの癒しの第二の特徴は、病人の側にも治りたいという強い願いと、そしてイエスには病を癒す力があると信じる強い信頼を求めたことです。マルコ福音書には、人々の信頼がないところでは、イエスは癒しの業を行えなかった、という記述があります。癒しを行うのはイエスですが、癒しを受ける側にもイエスへの全幅の信頼が必要だったのです。
さて、そのような特徴を踏まえたうえで、イエスが行った最初の癒しを見ていきましょう。ペテロのしゅうとめは熱病だったとあります。どれくらいの熱だったのかは分かりませんが、家族がすぐにイエスに助けを求めたことから見れば、相当の高熱、命にかかわるほどのものだったのが分かります。この場合、本人は意識がもうろうとしていたでしょうから、その家族にイエスへの強い信頼があったのが分かります。イエスはまず彼女に近づき、彼女の手を取られました。それから彼女の体を起こしました。すると熱が引きました。それは劇的な回復でした。普通高熱が引いても、しばらくはからだがふらふらして何もする気が起きないものですが、この場合はペテロのしゅうとめはすぐに元気になって、イエスたちをもてなしました。熱を出していたのがうそのようです。ペテロの家族たちはびっくりし、改めてイエスの大きさ、偉大な力を感じたことでしょう。
さて、この出来事は秘密にしておくことができず、おそらく人々の口から口へとうわさが伝わったのでしょう。町中の人々がさまざまな病に苦しむ病人をペテロの家に連れてきました。とはいえ、群衆も安息日の規定を気にして、安息日違反と責められることがないように、安息日が終わる日没まで待って、それからイエスに癒しを求めたのでした。人々が連れて来たのは、純粋に病気だった人たちだけでなく、悪霊に憑かれた人たちもでした。それはカペナウムの会堂でのイエスの鮮烈な悪霊払いが人々の間に瞬く間に伝わったからでした。イエスは安息日の奉仕の疲れも見せずに、片っ端から病人や悪霊に憑かれていた人たちを癒していきました。これは壮観というか、見ていた人たちにイエスに対して畏敬の念を引き起こすには十分な奇跡の連続だったことでしょう。おそらくイエスに治せない病は何もなかったのでしょうから、これは医療行為というより純粋な奇跡です。イエスは病の人には触れることを通じて癒し、悪霊に憑かれた人に対しては触れることなく言葉だけで悪霊追放を行いました。悪霊たちはイエスに対して何かを言おうとしましたが、イエスは悪霊たちが話すことさえお許しになりませんでした。それは悪霊たちが「神の聖者よ。神の子よ。神の遣わした世界の審判者よ」、とイエスの正体を言い出しそうになったからでした。
イエスはご自身がどんな方であるのかということを、この時点では人々には秘密にしていました。これは不思議なことです。イエスは神の王国の到来を告げ知らせながら、誰がその王国の王であるのかは秘密にしていたのです。もちろんイエスご自身がその王、メシア王なのですが、イエスはまだそれを人々に伝えるのは早いと考えていました。イエスがなぜご自身の正体を秘密にしておられたのか、それについては研究者たちからいろいろな説明がなされてきました。それらの中でも、最も納得できる説明とは、人々がメシアという存在の意味を誤解していたからだというものです。後に、ペテロはイエスこそメシア王だと告白しますが、彼はそのメシア王が殺されるというイエスの予告が理解できませんでした。なぜならペテロたちが待ち望んでいたのは勝利する王、自分たちを支配する強大なローマ帝国さえ滅ぼすことができるような軍事的な天才、ダビデ王の再来だったからです。しかし、イエスには武力でローマを倒すという考えは全くありませんでした。イエスの狙いは、武力を用いずにローマさえ上回る永遠の王国を打ち立てることでした。そんなことが可能なのか、と人々はいぶかるでしょうが、イエスは本気でした。イエスの狙いは、革命を起こして今の政治システムを変えるとか、そういうことではありませんでした。むしろイエスは、人々の考え方そのものを変えようとしたのです。それは、力の強い者がすべてを独占してよいとか、人々の上に立つ者は人を自由に使うことが許されるとか、そういう今の人々が抱く常識を打ちこわし、むしろ頂点にいるはずの王が積極的に人々に仕える、人々に自分のために死ねと命じるのはなく、むしろ人々のために自ら命を捨てる王、そのような王を戴く王国、そのような王国を人々の心に植え付け、それを彼らの生き方に反映させる、それがイエスの目的でした。同時にイエスは自分が伝えようとする王の姿と、人々が求める王とのギャップに気が付いていました。この時点で自分が神から油注がれた王であることを人々に明かせば、群衆は自分を王に担ぎ上げてローマに反乱を起こすかもしれない、そういう事態をイエスは懸念していました。ですから、自分が何者であるのかということについては、この時点では慎重に秘密にしておられたのです。
さて、こうしてイエスのカペナウムでの大変忙しい一日が終わりました。朝から会堂にゲストとして呼ばれ、そこで説教をし、その際に悪霊を追い払いました。礼拝が終わってペテロの自宅に戻ると、そこには重病人がいたので、その病を癒しました。それから日が暮れて安息日が終わると一休み、というわけにはいきませんでした。ペテロの家の前には、これらの驚くべきイエスの業のうわさを聞き付けた群衆が病人たちを連れて長蛇の列をなしていました。イエスはこれらの人を厄介払いすることはせず、一人一人を癒していかれました。最後の病人の病の癒しが終わったときは、もう深夜だったことでしょう。イエスはもうくたくただったはずです。私のような一介の牧師でも、日曜日のすべての行事が終わると精魂尽き果てる感じになります。イエスの疲れはそれこそ大変なものだったと思います。しかし、イエスはそんな大忙しの後だったにもかかわらず、早朝まだみんなが寝ている時、暗い間に起き出して、お一人で静かで寂しい場所に退かれ、そこで熱心に神に祈っておられたのです。ものすごいですね。私も自分が恥ずかしくなるような、そのようなイエスの徹底した神への献身の姿がここにはあります。では、イエスは何を祈っておられたのでしょうか。それは、これから自分がどのような行動を取るべきか、その行動の指針を求めて祈っておられたのだと思われます。カペナウムで、それこそ鮮烈なデビューを果たしたイエスですから、人々は彼をほおっておきません。カペナウムの人たちがまっさきに考えたのは、イエスをいかにしてカペナウムにとどめ置くかということでした。カペナウムで病に苦しむ人は昨日の夜イエスが癒した人たちだけではありません。他にも多くの病人がいました。こうした病人を癒していただくためにも、イエスにはまだこの町に留まってもらわなければ困ります。またイエスの名声がガリラヤに広まれば、ガリラヤ中から多くの人々がイエスに会うためにカペナウムにやって来るでしょう。そうすると、カペナウムは一躍大変有名な街になって、観光客がたくさんやってきて商売繁盛ということもあり得ます。また、イエスに取り入って、誰をイエスに会わせるか、イエスと人々とをつなぐ仲介役のような立場になれば、イエスに会わせてくれと賄賂を握らせてくる人々からお金を受け取って金持ちになれるかもしれないという、よからぬ動機を抱いた人もいたかもしれません。ともかくも、カペナウムの人たちはライジング・スターとも言うべきイエスを自分たちの町のスターにしてしまおうと、そういう野望を抱きました。イエスにしても、カペナウムに留まった方が楽だったかもしれません。自分に心酔する信者たちから献金を集めて、新しい立派な会堂を建てて、そこで彼の名声を聞きつけて全国各地からやって来る人たちの相手をする、それだけで巨大な教団を作り上げることもできたでしょう。わざわざ知らない地を訪ねていくよりも、その方が効率的だったでしょう。
しかし、イエスが神から示された道、それはカペナウムを後にして、未知の領域へと進んでいくことでした。イエスはカペナウムで名声を博したすぐ翌日に、もうカペナウムを経つことを考えていたのです。せっかく有名になったのに、もったいないと思うかもしれませんが、イエスはそうは考えなかったのです。イエスは「さあ、近くの別の村里へ行こう。そこにも福音を知らせよう。わたしは、そのために出て来たのだから」と言われました。ガリラヤは小さな土地で、日本で一番小さな県とさほどかわらないほどの面積しかありませんでしたが、そこには20万人ちかくの住民が住んでいたと思われます。数百人から数千人の人々が住む小さな町や村がたくさんありました。イエスの目的は、ガリラヤにいるすべての病人を癒すことよりも、むしろガリラヤの全住民に福音を伝えること、神の王国が近づいた、その到来はもうすぐだというニュースを伝えることにありました。イエスは出来るだけ早く、そして多くの人にニュースを伝えようとしました。もしイエスの目的が、教会建設であったならば、使徒パウロのように大きな都市に1年、2年と留まり、そこで地道に人々に教え、人々との信頼を深めていったことでしょう。しかし、イエスはわずか数日で村から村へ、町から町へと渡り歩き、少しも時間を無駄にしようとはされませんでした。イエスの行動は、選挙期間中に町から町へと渡り歩いて寸暇を惜しんで選挙演説を繰り返す、そういう政治家に近いものであったかもしれません。このイエスの宣教活動の切迫感、緊急性はどこから来たのでしょうか。それは、神の民であるイスラエルが大いなる歴史の転換点に立っているというイエスの確信から来るものでした。イエスは、自分には残された時間が少ないと感じていました。イエスの狙いは、人々の心の方向性を変える、悔い改めさせることでした。イエスの時代の人々の心は戦いに向いていました。自分たちを支配するローマ帝国は、真の神を信じない邪悪な帝国である。神はこの邪悪なローマが滅びることをお望みである。だから自分たちは、神のためにこの悪い帝国と戦わなければならない、そう信じていました。もちろんローマの圧倒的な力は嫌と言うほど見せつけられてきました。まともに戦っては勝てない。しかし、神が助けてくださるならどんなことも不可能ではないと、そう信じていました。しかし、確かに神にできないことはありませんが、問題はイスラエルがローマと戦って勝つことを、本当に神が望んでおられるかどうかでした。イエスは、このように戦いへと向かう人々の心に根本的な方向転換を求めました。イエスのもたらそうとする神の支配、神の王国は、敵を悪魔か何かのように考えて憎み戦うことではなく、敵をさえ愛する、そのような根本的な方向転換、悔い改めによってのみ実現する、それがイエスの伝えようとした「福音」でした。神はそのような新しい世界をもたらそうとしている、そのように行動するための勇気と力を人々に与えようとしておられる、そしてその証拠がイエスの悪霊払いや病の癒しでした。
しかし、敵を憎むよりも愛しなさいというようなメッセージが人気のないものであることは、今日の国際情勢を見ても分かることかもしれません。イエスは「悔い改めて、私を信じなさい」というメッセージを伝えましたが、興味深いことにこれと全く同じことをユダヤ人たちに伝えた人物がいました。それは『ユダヤ戦記』という、紀元66年から70年までのローマに対するユダヤの大反乱、ユダヤ戦争の歴史を記したヨセフスという人物です。イエスは十字架に架けられたのが紀元30年とすると、その約40年後の大戦争の歴史をヨセフスは詳しく記録しました。ヨセフスは大祭司の家系に連なる貴族でしたが、ユダヤ戦争が始まったときはローマへの反乱軍を率いるガリラヤ地方の司令官として活躍しました。しかし、実際にローマと戦ってそれは勝てないと見切り、早々と降伏しました。その後はローマ軍に従軍する顧問のような地位を手に入れ、ローマ軍に対してエルサレムに立て籠もって籠城戦を続ける同僚のユダヤ人に強く降伏するように促しました。その時の言葉が、「悔い改めて、私を信じなさい」というものでした。つまりローマに徹底抗戦するという方針を悔い改める、方向転換し、私を信じて武器を置いて降伏しなさい、悪いようにはしないから、と言う意味です。イエスが「悔い改めて、福音を信じなさい」と語ったときにも、実は同じような意味がありました。ガリラヤにはローマに対して戦おうという好戦的な空気がありましたが、イエスはそのような敵意を捨てて、悔い改めなさい、方向転換しなさいと勧めたのです。福音とは、神はそのような暴力的な手段ではない、別の道を示しておられる、それは敵を愛することで実現する神の支配なのだ、ということでした。イエスはそのことを人々に伝えるために、人々の無理解に苦しみながらも、ガリラヤ全土に福音を伝え続けたのです。
3.結論
まとめになります。今日はイエスがカペナウムで八面六臂の大活躍をし、大いに名声を博したにもかかわらず、カペナウムを早々と立ち去り、足早に新しい村や町に向かおうとした、そういう場面を見て参りました。イエスの狙いは、多くの人々を信者にしてメガ・チャーチを作ったり、大教団を組織することではありませんでした。むしろ、ローマ帝国への敵意を募らせて戦争への道を突き進もうとするガリラヤの人たちに、別の道があることを示すこと、そしてその別の道こそ神が望んでおられる道、神の王国への道であることを示すことでした。その道が確かに神の望んでおられるものであることを示すために、イエスは人々を悪霊から解放したり、病を癒したりされたのです。イエスは悔い改めを求めました。それは偶像を捨てて真の神を信じなさいとか、そういう悔い改めではありません。ガリラヤの人たちは熱心に真の神を信じていたからです。むしろイエスが求めた悔い改めとは、神に対する信仰、熱心を示す方法を劇的に変えなさいということでした。ガリラヤの人たちは、神の敵と戦う、神の敵を滅ぼすことで神への信仰を示そうとしました。しかしイエスは、神が求めておられるのはそのような信仰ではない、むしろすべての人を愛する、敵でさえ愛する、そのような行動を通じて神の人々への愛を体現することでした。まさにイエスはそのような生き方をしていったのですが、イエスは人々にも自分を信じて自分に倣うことを求めました。
そして、このイエスの要求は私たちにも向けられています。私たちは今、平和を作るためにはどうすべきかを問われています。それは、世界の半分を悪の陣営と定義して、それと戦うことを通じてではないはずです。むしろ、自らの陣営の持つ暴力性、そういうものを直視し、反省すべき点は反省しなければなりません。私たちがそのような謙虚な心を持って歩むことができるように、お祈りします。 イエス・キリストを平和のためにガリラヤに遣わされた父なる神様、そのお名前を讃美します。今朝は、イエスが休む間もなくガリラヤの町々を行き巡り、平和の福音を宣べ伝えたところを読んで参りました。今世界は、再び武力には武力で、という空気に包まれつつありますが、主イエスが指し示した平和への道を私たちが歩み、また人々にも指し示すことができるように、どうか力をお与えください。われらの救い主、イエス・キリストの聖名によって祈ります。アーメン