ライバル宣教師たち
第二コリント11章1~15節

1.導入

みなさま、おはようございます。先週から第二コリント書簡の中でも最後の部分、10章から13章までを学んでいます。先週もお話ししたように、この10章から13章まではひとまとまりの独立した部分です。ここでパウロは、自分から心が離れかけているコリント教会の人々に必死で訴えかけ、今コリントに来ている新しい宣教師たち、彼らはエルサレム教会と関係の深いユダヤ人宣教師たちなのですが、彼らに耳を貸してはいけない、彼らを信用してはいけないと強い口調で警告します。前回の10章でも彼らのことを遠回しに言及していたパウロですが、この11章以降では彼らを直接名指しし、いわば全面対決のような形になっています。

しかも、その言及の仕方が非常に激しいものになっています。まずパウロは、彼らのことをエデンの園でアダムとエバを騙した蛇になぞらえています。8節では彼らのことを「大使徒」と呼んでいますが、これはもちろん本気でそう言っているのではなく皮肉です。「彼らは自分たちのことを大使徒だと自惚れているようだが」というほどの意味です。そしてその舌鋒はだんだんと激しくなり、彼らを「にせ使徒」であるとか、しまいには「サタンの手下ども」とまで呼ぶようになります。さすがに同じクリスチャンの宣教師を「サタンの手下」とまで呼ぶというのは衝撃的で、私もこの箇所を読む度に動揺を覚えます。では、パウロがサタンの手下と呼ぶこれらの宣教師たちとは、いったいどんな人だったのでしょうか。

一つ確認しておきたいのは、パウロも彼らのことを詐欺師、つまりコリント教会の人たちを騙して彼らからお金を巻き上げようとしている犯罪者だとか、そういう風に見ていたわけではありません。むしろ、彼らは初代教会の総本山であるエルサレム教会からの推薦状を携えて来るような、れっきとした宣教師でした。また、本物のメシアはイエス様ではなく、自分こそがそうなのだとかいうような、いわゆる異端的な教えを広めている人たちでもありませんでした。さらにいえば、パウロはこれらの宣教師たちと、おそらく直接会ったことはありませんでした。パウロの二度目のコリント教会の訪問の際に、彼らとのいくらかの接触はあったかもしれませんが、この時パウロはすぐにコリントを去ってしまったので、彼らとよく知り合う機会はなかったでしょう。ですからパウロの彼らに対する知識は伝聞に基づくものです。ではなぜパウロが、それほどよく知っているわけでもない彼らのことをそこまで目の敵にしたのかといえば、そこにはいくつかの理由がありました。

注意したいのは、パウロと反目状態にあったのは、コリント教会にいた宣教師たちだけではなかったということです。小アジアのガラテヤ教会にも、パウロが「かき乱す者たち」と怒りをもって呼んだ宣教師たちがいましたし、マケドニアのピリピ教会にもパウロが「犬たち」と呼んだ宣教師たちがいました。おそらくこれらの各教会の宣教師たちは別々の人たちだと思われますが、パウロは自分が開拓したいくつかの教会に、後から自分とは考え方の異なる宣教師たちがやってきて、教会に混乱をもたらすという状況に非常に危機感を抱いていました。繰り返しますが、ガラテヤ教会やピリピ教会にやってきた宣教師たちと、今回のコリント教会にやってきた宣教師たちとは別々の人たちである可能性の方が大きいのですが、しかし彼らにはある共通点がありました。それは彼らがユダヤ人であること、あるいはユダヤ教徒であることを非常に大切にしていたということです。ガラテヤ教会でパウロに敵対する宣教師たちは、ガラテヤの異邦人信徒に割礼を受けるように勧めました。ユダヤ教にとっての割礼は、キリスト教における洗礼のような意味を持っていました。ですから割礼を受けた異邦人クリスチャンは、ユダヤ人クリスチャンになってしまうのです。私たち日本人のクリスチャンが割礼を受けるとユダヤ人クリスチャンとなる、そういうことです。したがって、ガラテヤ教会で異邦人信徒たちに割礼を受けるように勧めた宣教師たちは、彼らにイエスを信じるだけでなく、ユダヤ人になる、ユダヤ教徒になることを求めたということになります。もちろん彼らにも悪意があったわけではないでしょう。創世記には、アブラハムの子孫はみな割礼を受けなさいという教えがあるので、これらの宣教師たちも「あなたも割礼を受けてアブラハムの子孫になって、約束の祝福を受けなさい」と聖書に基づいて勧めたのでしょう。しかしそうなると、異邦人にとってクリスチャンになるということは、同時にユダヤ人にならなければならないということになります。そして異邦人クリスチャンが割礼を受けてユダヤ人になってしまうなら、教会にはユダヤ人しかいないことになってしまいます。そのような状況は、「ユダヤ人も異邦人もない教会」、ユダヤ人と異邦人との敵意の壁を打ち破ることこそ福音の真理であると信じていたパウロには到底容認できないものでした。コリント教会に来ていたユダヤ人宣教師たちは、コリント教会の人たちに割礼を促すことはしなかったようですが、しかし彼らは自分たちがユダヤ人であること、アブラハムやヤコブやダビデの子孫であることを大変誇りにしている人たちでした。彼らがコリント教会で影響力を増すと、ユダヤ人であるということが教会の中で特別なステイタスとなってしまい、パウロの目指す「異邦人もユダヤ人もない教会」というヴィジョンからは大きく後退してしまうことになります。パウロはそのような状況は何としても避けたいと思っていました。

二つ目の理由は、コリント教会の複雑な状況でした。これまで何度かお話ししたように、パウロとコリント教会との関係はこれまであまりうまくいっていませんでした。パウロの「悲しみの手紙」により、一応はその関係は修復されたかに見えたのですが、それでもパウロに不満を持つ一部の人たちが残っていました。その彼らが、エルサレム教会から来たユダヤ宣教師たちと結びついてしまったのです。これらのユダヤ人宣教師たちも、どうもパウロのことを初めから良く思っていなかったようです。ですから彼らがタッグを組むと、やっとまとまりかけてきたコリント教会が再び混乱してしまう、そうするとエルサレムへの献金プロジェクトも再び頓挫してしまうかもしれない、そういう危機感をパウロは抱いていたのです。

そして三つ目として、パウロは彼らがキリストの謙虚な生き方に倣っていないと見ていました。彼らはエルサレム教会の推薦状を持ってきて、自分たちは優れた教師だと自己宣伝し、あまつさえパウロのことを揶揄するようなこと、つまりパウロの話し方はなっていないとか、そういう批判めいたことを吹聴して、コリント教会の人々のパウロへの信頼を奪って、自分たちへの支持を集めようとしました。そんな彼らの態度は、謙虚で自己犠牲的なイエスの生き方からかけ離れているとパウロは確信しました。彼らの生き方がイエスの生き方を反映していないなら、彼らはイエスを正しくコリントの人々に伝えることに失敗している、だから彼らの福音は本当の福音ではなく、彼らの宣べ伝えるイエスは本当のイエスではない、そう確信したのです。ですからパウロは彼らのことを「サタンの手下」という、非常に厳しい言葉で非難したのです。

とはいえ、パウロの言葉はあまりにも厳しすぎるように思えます。同じ宣教師をここまで言ってしまっていいのだろうか、という思いも正直あります。しかし、パウロはそれほどまでに追い込まれていたともいえます。そういう危機的な状況を考えながら、今日のみことばを読んでいきましょう。

2.本文

では、1節から読んでいきましょう。パウロは「私の少しばかりの愚かさをこらえていただきたいと思います」と言っていますが、これは何を言っているのでしょうか。パウロは先の10章12節で、ライバル宣教師たちが彼らとパウロのことを比較していることについて「知恵のないことだ、愚かなことだ」と批判していました。しかしパウロは11章以降で、彼らの土俵に乗ることを決意します。つまり彼らが私と比較してあれこれ言うのなら、私も彼らと自分を比較してみましょう、彼らが私に対して何かを誇るなら、私も負けていないことを証明しましょう、ということです。ですから「少しばかりの愚かさ」とは、宣教師たちの愚かな挑発に乗って、彼らとの愚かな誇り合戦に参戦することです。その内容は、特に次週以降の説教箇所で詳しく取り上げます。

2節と3節では、パウロは自分のことを花嫁の父になぞらえています。では花嫁とは誰かと言えば、それはコリント教会の信徒たちのことで、花婿とはイエス・キリストのことです。パウロはコリント教会を花婿であるイエス様に嫁がせる、その父親の役目を自分は担っていると言っているのです。当時のユダヤ社会では、父親は嫁入り前の娘の、古い言い方をすれば操を守る義務がありました。もっと平たくすれば、娘に悪い虫がつかないようにする義務があったのです。ここでパウロにとっての悪い虫とは、新しい宣教師たちのことです。パウロはさらに、彼らを悪い虫どころか、エデンの園でアダムとエバを騙した蛇に譬えています。このエデンの園の蛇はサタンを象徴すると考えられますので、パウロはなんとコリントにいる宣教師たちのことを悪魔の使いのように言ったということです。ではなぜパウロは、いわば同業の宣教師たちのことをそこまで言うのかといえば、それは彼らが別のイエス、異なる御霊、異なる福音を宣べ伝えているからだ、と4節で述べています。では、ライバル宣教師たちが一体どんな「福音」を宣べ伝えていたのかといえば、その詳しい内容は分かりません。ただ、いわゆる今日のキリスト教カルト、教祖が「実は私こそ再臨のキリストなのだ」というような分かりやすい異端的な教えを述べていたのではないのは明らかです。もしそうなら、パウロははっきりとそう指摘したでしょうし、コリント教会の人も聞く耳を持たなかったでしょう。教理的には、彼らはそれほどおかしなことは教えていませんでした。むしろパウロが問題にしたのは、宣教師たちの行動がイエス様の歩みを反映していない、彼らは主イエスのように柔和で謙虚でまっすぐな歩みをしていないという点にありました。これらの宣教師たちの、自分の優秀さを喧伝するようなやり方はイエス様とはまったく異なっている、それゆえに彼らの伝えるイエスは「別のイエスだ」と断じたのです。パウロが他の宣教師たちを評価する際に、彼らの教える内容だけでなく、彼らの生き方そのものを見ていたというのは私たちにも非常の大きな示唆を与えます。人間は言っていることやっていることが一致して初めて、本物だと認められるということです。パウロはコリントの人々がそのような宣教師たちを受け入れてしまっている状況について、「あなたがたはみごとにこらえているからです」と皮肉をこめて叱責しています。

5節と6節では、パウロは自分を宣教師たちと比較して、「私は自分をあの大使徒たちに少しでも劣っているとは思いません」と言っています。先ほども言いましたが、パウロはライバル宣教師たちのことを「使徒」だとは思っていませんが、ここでは皮肉を込めて彼らを「大使徒たち」と呼んでいます。「使徒」というのは特別な地位でした。それは、イエス様の地上の生涯に最後まで付き従い、主イエスから直々に福音を宣べ伝えるように選ばれた人たちのことです。12使徒のリーダーであるシモン・ペテロがその代表格です。パウロ自身は生前のイエス様に会ったことがないので、彼が使徒かどうかというのは実は微妙な問題でした。実際、「使徒の働き」ではルカはパウロのことを使徒とは呼んでいません。しかしパウロは、自分は復活のキリストから直々に宣教のために召されたのだから、自分は間違いなく使徒なのだと主張していました。ライバル宣教師たちは、パウロはイエス様に会ったこともないのに使徒だというのだから、自分たちだって当然使徒なのだ、と主張していたのでしょう。そのことを聞いたパウロが彼らのことを皮肉交じりに「大使徒たち」と呼んだのです。パウロはその宣教師たちが自分のことを、話し方がなっていないと言っているのを知っていました。6節ではそのことを認めたうえで、「しかし知識についてはそうではない」と書いています。これは間違いなくそうだったでしょう。実際、どんな宣教師と比較しても、聖書の知識に関してパウロの右に出る者はいなかったでしょう。パウロもこんな自慢はしたくなかったのですが、いわば売られた喧嘩ということで、ライバル宣教師たちに自分は決して負けてはいないということを、ここで改めて強く主張しているのです。

7節以降では話題が変わり、パウロは難しい問題を扱っています。パウロはコリント教会から謝儀を受け取らなかったのですが、そのことが実はいろいろな問題を生み出していました。パウロがコリント教会から謝儀を受け取らない理由については、第一コリント9章でも詳しく説明していました。パウロ自身は、主イエスが福音を宣べ伝える者はその宣教の働きから生活の糧を得るべきだと命じておられたことを知っていましたが、パウロは自分はその権利を用いないのだと言っています。主の働き人としての権利を用いずに自らの手で肉体労働をすること、そうしてコリント教会に経済的な負担をかけないことがパウロの誇りであり、誰もその誇りを奪うことはできないと語っています。これ自体は立派な態度なのですが、しかしそのことがコリント教会においていくつかの問題を生じさせました。

まず第一に、パウロの後からやって来たライバル宣教師たちがコリント教会から謝儀を受け取ったことです。同じ宣教師なのに、パウロは受け取らずに彼らが謝儀を受け取るのはなぜか。それはパウロが彼らより劣っていて、謝儀を受け取る資格のない、いわば無資格の宣教師だからだ、というようなことを言う人がいたのです。そういう人たちは、パウロがエルサレム教会やアンテオケ教会などの大教会から推薦状を持ってきていなかったことを問題にしました。パウロは自分には推薦状など必要ない、私の推薦状はあなたがたコリント教会そのものなのだとこの手紙の中で書いていますが、そういう弁明をする必要があったのは、自分に対しての批判を意識してのことでした。

第二の問題はさらに厄介なもので、それはパウロが謝儀を受け取る権利を用いないと誇っていたにもかかわらず、別の教会、つまりマケドニアのピリピやテサロニケ教会からコリントでの働きを支えてもらうために献金を受け取っていたことが明らかになったことでした。パウロは、「マケドニヤから来た兄弟たちが、私の欠乏を十分に補ってくれました」と書いています。コリント教会としては、どうして自分たちの教会での牧会のために他の教会から献金を受け取るのかと、少し馬鹿にされたような気持になったかもしれません。特にパウロがピリピやテサロニケ教会と仲が良いことは良く知られていたので、パウロは私たちのことがそんなに好きではないのか、と勘繰ってしまったのかもしれません。この点については、パウロも説明に苦労したものと思われます。11節では「私があなたがたを愛していないからでしょうか」と書いていますが、それはこうした批判があることを意識してのことでしょう。

さらに第三の問題として、パウロが今熱心にエルサレム教会への献金をコリント教会に促していることもあらぬ疑いを呼び起こしてしまいました。パウロはエルサレム教会への献金と言っているが、自分の当座の活動資金をそこから調達しているのではないか、自分たちを騙しているのではないか、とつぶやく人たちが現れたのです。実際、少し先の12章16節で、パウロは「私は、悪賢くて、あなたがたからだまし取ったのだと言われます」と書いています。

このように、パウロの謝儀を受け取らないという行動は、むしろより深刻な疑念を引き起こしてしまいました。他の教会からは謝儀を受け取っているのだから、より豊かな教会であるコリント教会からも受け取ってもよいのではないかとも思われるのですが、パウロはここで、私は今後もあなたがたからは謝儀を受け取らないと宣言しています。パウロがこの点では頑なとも思える態度を取り続ける理由は、彼のライバル宣教師たちがコリント教会から謝儀を受け取っていることにありました。パウロは彼らがコリント教会から謝儀を受け取っていることについて、少し先の20節で「食い尽くされても」と非常にきつい言い方で非難しています。パウロとしては、コリント教会から謝儀を受け取ることで、彼らと同列になってしまうのは受け入れられないことだったのです。それで11節ではこう書いています。

しかし、私は、今していることを今後も、し続けるつもりです。それは、私たちと同じように誇るところがあるとみなされる機会をねらっている者たちから、その機会を断ち切ってしまうためです。

ここでパウロが何のことを言っているのか、分かりづらいですね。ここでパウロのいう「私たちと同じように誇るところがあるとみなされる機会をねらっている者たち」とは、ライバル宣教師たちのことです。自分と彼らとは同列ではない、そのことを示すために私は謝儀を受け取らない、とパウロは言っているのです。パウロは暗に、彼らの福音宣教がお金のためだということを明らかにするために、私は彼らと違って謝儀を受け取らないのだ、と言っているようにも思えます。しかし、これはどうなのかなという気も致します。イエス様も福音の働きから謝儀を受け取るのは当然のことだと言っておられるので、この点でパウロが彼らとの差別化を図ることにどれほどの意味があるのか、正直なところ疑問です。

そして13節から15節は、先ほども言いましたがパウロの手紙の中でも最もつまずきを覚える箇所です。パウロはライバルの宣教師たちのことを「にせ使徒」がとか、「人を欺く働き人」、さらには「サタンの手下」とまで呼んで酷評しています。第二コリントの註解書をいくつか読んでも、パウロが本当に他の宣教師たちのことをサタンの手下だと信じていたということはないだろう、と見ている学者がほとんどです。ここでは勢い余って、いわば言葉の綾(あや)でこういう強い言葉になってしまったのだろうということです。しかし、これらの宣教師たちは今コリント教会で牧会にあたり、教会から謝儀も受けている教師たちです。その彼らのことを、教会員全員の前で読み上げる公開書簡で「サタンの手下」と呼んだことはとんでもない騒動をもたらしたことでしょう。前任の牧師が、後任の牧師のことを皆の前で「悪魔の手下」と呼ぶようなものですから。実際、そのように信徒たちの前で名指しされた宣教師たちが怒り心頭に達したことは想像に難くありません。パウロは初代教会の宣教師チームの中ではもともと一匹狼的なところのある人でしたが、こういう手紙を書くことでますます敵を作ってしまったのもやむを得ないことだったでしょう。

私自身も、いくらパウロ先生でも同じキリスト教宣教師をここまで酷評してよいのだろうか、と思ってしまうのです。少し先の23節では、パウロもライバル宣教師たちのことを「キリストのしもべ」だと認めています。キリストのしもべを裁けるのはキリストだけであり、他のしもべではないとパウロ自身もローマ人への手紙で言っていることを思えば(ローマ14:4)、ここでのパウロの態度はいささか度が過ぎていたようにも思えます。しかし、パウロにのしかかっていたプレッシャーや危機感があまりにも大きかったので、強すぎる口調になってしまったのでしょう。

3.結論

さて、今日はパウロが他の宣教師たちを痛烈に批判するという、非常に重たい箇所を学びました。先週も言いましたが、同じ宣教師仲間に対して、ここまで攻撃的にならなくてもよいのではないかとも思います。このライバル宣教師たちも、無牧のコリント教会に来て、これまで彼らなりに一生懸命コリント教会のために働いてきたという事実はあるわけです。もちろん、ライバル宣教師たちにも非難されるべきことがあります。彼らはコリント教会を一から立て上げた、いわば創業者であるパウロに対してもっと敬意を払うべきでした。パウロに批判的なコリント教会の一部の信徒たちと結託して、反パウロ的な空気をコリント教会で作るなどということは決してやってはいけないことでした。彼らに対し、パウロが怒るのも当然です。いずれにせよ、教会の牧会者同士がいがみあって一番迷惑するのは教会の信徒たちです。コリント教会の人たちからすれば、先生方に早く仲直りしてほしい、そういう気持ちだったことでしょう。

どんな教会も、ある程度の歴史があれば、かならず牧会者の交代があります。新しく来る先生が、前の先生のやり方をそのまま受け継いだり、前の先生とよく似たタイプの先生が来ることもあるでしょうが、牧師というのは結構皆さん個性的なので、新しい先生が前の先生とは正反対の人で、牧会の仕方もがらりと変わる、ということもあり得ることです。むしろそういうケースの方が多いように思えます。そういう時には信徒の側にも戸惑いがあるでしょう。今までの私たちの教会が変わってしまうと反発を感じることもあるかもしれません。しかし、私たちの教会は本当に私たちのものなのでしょうか。私たちはしばしば「私の教会」という言い方をします。それは教会への深い愛着を示すもので、決して悪いことではないのですが、しかし忘れてはならないのは、教会は何よりも「主の教会」であるということです。私たちは教会のためにいろんな奉仕をしたり、献金をしたりして、教会を支えています。ですからどこかで「教会は私のもの」という気持ちが生まれます。しかしそれでも、究極的には教会は神のもの、主のものであるのです。そのことを忘れなければ、教会の中での争いの少なくともいくつかは避けることができるでしょう。私たちがどれほど教会のために多くのものを献げてきても、教会は決して私たちのものにはならないというのも真理なのです。教会のすべては主のものなのです。

そして私たちの教会が主の教会であるというのは、大変大きな励ましになります。私たちは自分たちの教会を支えなくては、という思いを持っていて、その思いはもちろん貴いですが、しかし究極的にこの教会を支える責任を担っておられるのは主ご自身なのです。ですから、私たちは困難な時期においてさえ教会の未来を信じられるのです。そのことに感謝したいと思います。お祈りします。

イエス・キリストの父なる神様。今日は使徒パウロが、ライバルの宣教師たちとコリント教会の人々の信頼をめぐって激しく争っている箇所を読んで参りました。そして教会は誰のものなのか、という問題も考えさせられました。私たちもまた、この教会は自分たちのものではなく、主からお預かりしているものだということを忘れずに歩むことができますように。またこの教会はあなたの教会ですので、どうか当教会を益々祝福してください。われらの救い主、イエス・キリストの聖名によって祈ります。アーメン

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