1.導入
みなさま、おはようございます。4月から半年の間、旧約聖書の大預言者エレミヤについて学んでまいりました。今日からは、新約聖書の使徒パウロの手紙を学んでまいります。今回は半年というわけにはいかず、おそらく1年近くかかる連続説教になると思います。
エレミヤの時代とパウロの時代は600年以上も離れています。具体的にいえば、足利幕府の室町時代と平成の時代ぐらい離れているわけです。室町幕府の時代からつい先ごろの平成までの時代には、日本には本当に多くの出来事があり、室町の頃の日本と平成の日本とは、単純に同じ国だとは言えないぐらいの違いがあります。ですから、エレミヤ書とこのパウロのコリント教会への手紙は、同じ聖書の書だからといって、似ているはずだとか、同じような内容だとは到底言えないのです。室町時代に書かれた本と、平成の時代に書かれた本が全然違うのと同じです。しかし、同じイスラエルの神に仕える人たちが、同じ神の霊感を受けて書いた書ですから、共通する部分はもちろんあります。もっといえば、エレミヤ書そのものがパウロに強い影響を与えているのです。
ここで忘れてはならないのは、パウロが子供の頃には新約聖書はまだ一つも書かれていなかったということです。新約聖書の約半分がパウロ自身によって書かれた手紙だということを考えてみれば、当たり前のことですね。パウロの年齢は、おそらくイエス様とほぼ同じだったか、少し若いぐらいだと思われますので、彼の少年時代にはイエスのことを聞いたこともなかったでしょう。したがって、当然イエスの伝記である福音書も書かれていません。むしろ、彼にとっての聖書とは、旧約聖書だけだったのです。ですから、少年から青年になる年齢にかけて、パウロは旧約聖書を一生懸命読んでいました。旧約聖書の中でも、エレミヤ書は大変有名で重要な書だったので、パウロはそれをよく読んでいて、勇敢な大預言者エレミヤに憧れる思いを抱いていたでしょう。パウロの手紙の中には、エレミヤを思わせるような記述があったり、エレミヤ書から引用している箇所がありますが、それは彼がエレミヤ書に深く親しんでいたことの何よりの証拠です。
このように、パウロはエレミヤの働きをよく知っていました。そして、これまで半年間学んできたように、エレミヤの働きはもっぱらイスラエル人、ユダヤ人のためのものでした。大国に囲まれて、滅亡の危機にあったユダヤ民族に対し、生き残るために神がどのような道を示しておられるのか、それを人々に伝えるのがエレミヤの役目でした。エレミヤの示した道は、当時の信心深いユダヤ人たちには驚きでした。それは、なんと偶像を拝む国、偽りの神を礼拝する国であるバビロンに服従せよ、バビロンに従いなさいというものでした。敬虔なユダヤ人の中には、「エレミヤはなぜイスラエルの神に従えと教えながら、偶像を拝むバビロンに従えなどというのだろうか」と訝った人もいたでしょう。むしろ、バビロンなどに仕えずに、追い払うべきだ、戦うべきだと考えたユダヤ人も多かったのです。日本でも、かつて外国を夷狄(いてき)と呼び、尊王攘夷論、つまり天皇を戴いて外国人を追い出せ、と叫んだ人々がいましたが、ユダヤ人の中にも、イスラエルの神だけを拝み、穢れた外国人を追い払えと叫ぶ人たちがいたのです。幕末だけでなく、太平洋戦争中も日本はアメリカやイギリスを鬼畜米英と呼びました。このように外国人を悪魔化する傾向が日本にはありましたが、その背景には日本の一種の選民思想があります。つまり天皇は神の子孫であり、その天皇によって統治されている日本は特別の国なんだ、神の国なんだ、というような思いがどこかにあるわけです。そして、そのような選民思想は、ユダヤ民族においては一層強いのです。なぜなら彼らこそ、真の神によって選ばれた民だからです。ですから彼らは神を知らない外国人に支配されることを非常に嫌うのです。そしてイエスやパウロの時代にも、このような選民思想は燃え上がっていました。当時のイスラエル、ユダヤ人はバビロンではなく当時の超大国ローマの植民地でした。世界史上最強の国と呼ばれるローマですが、ローマは偶像を拝む国でした。ですから、そのような国の属国になることで、イスラエルも偶像によって汚されてしまうと、そのように考えたユダヤ人はとても多かったのです。ローマに敵愾心を燃やしていたということです。パウロも、イエス・キリストを信じる前はそう考えていました。ですから彼は、クリスチャンと呼ばれる人たちが許せなかったのです。クリスチャンはユダヤ人でありながら、偶像礼拝の帝国であるローマによって十字架刑で殺されたイエスという人物をメシア、救世主として礼拝している。さらに彼らはユダヤ人であるのに、異邦人、つまり外国人と親しく付き合っている。こうした外国人はモーセの律法を守らない汚れた人々なのに、ユダヤ人のクリスチャンたちは彼らのことを兄弟と呼んでいる、一緒に食事をしている、とんでもない奴らだ、とパウロは考えたのです。エレミヤの時代に譬えるならば、教会とはユダヤ人のくせにバビロン人と親しく付き合い、敵であるバビロン人のことを兄弟と呼ぶような、そんな人たちだったのです。パウロはギリシャ人やローマ人を無節操に受け入れるキリスト教会が許せませんでした。パウロは熱烈な愛国者、イスラエル至上主義者だったので、クリスチャンたちは敵との内通者、裏切り者、非国民だとしか思えなかったのです。そこでパウロは徹底的に教会を弾圧し、教会を滅ぼそうとしていました。
しかし、そのパウロの前に復活の主イエス・キリストが現れました。キリストは今や、ユダヤ人だけでなく外国人、異邦人にまで救いをもたらそうとしておられる、そのことをパウロは知らされて、大いに驚いたのです。そしてパウロは、これまでの外国人に対する敵対的な態度を悔い改め、むしろ異邦人の救いのために人生をささげることを決意したのです。ここに異邦人の使徒パウロが誕生しました。エレミヤはユダヤ人に対し、偶像礼拝の帝国バビロンに仕えよと命じましたが、パウロはさらに徹底していました。バビロンに仕えるのではなく、バビロン人のところにいってイスラエルの神に仕えよと彼らに説法するようなものです。パウロはイスラエルの神とそのメシアであるイエスを信じなさいと、そのようなメッセージを携えて敵国ローマ帝国に赴いたのです。ローマ人だけでなく、ローマ帝国の広大な領土に暮らす様々な民族の人々に、ローマの属国に過ぎないイスラエルの神とその救世主のことを宣べ伝えようとしたのです。これはすごいことです。日本はかつてアジアの国々を植民地支配していましたが、当時の大日本帝国の人々は、例えば朝鮮半島から来た宗教家が、朝鮮の神を日本人も礼拝すべきだといえば、当時の日本人は激怒したでしょう。我々が拝むのは天皇だけだと。当時のローマの人々も、同じように感じた事でしょう。我々にはローマの神々がいるのに、たかだか辺境の属国に過ぎないユダヤの神だけを礼拝せよとは、笑止千万、片腹痛いわ、とあざけったことでしょう。しかし、そのような困難なことを、パウロは成し遂げようとしていたのです。
2.本文
このように、異邦人の使徒となったパウロは、まずアンテオケというところを拠点にしました。アンテオケとはイスラエルの北側にあるシリアにある都市ですが、シリアとはあのカルロス・ゴーンの逃亡先であるレバノンの隣国です。このアンテオケから、まずは小アジア、現在のトルコのある地域に伝道に出かけ、次いでパウロはその足をヨーロッパにまで伸ばします。段々とローマ帝国の中心部に近づいていくわけです。パウロが最初に足を踏み入れたヨーロッパの地は、ギリシャでした。パウロは初めギリシャ北部、イスカンダルと呼ばれた有名なアレクサンダー大王を生んだマケドニア地方で伝道します。ピリピとテサロニケです。この二つの都市で、パウロは非常に主に熱心な、忠実な小さな教会を立ち上げます。しかし、なにしろ迫害が激しかったのでパウロはそこに長く留まることが出来ずに、逃げるようにしてギリシャを南下していきます。そうしてパウロが向かったのは、哲学の偉大な伝統で有名な学園都市アテネでした。しかしそこでの伝道ははかばかしい成果を上げることはありませんでした。そこでパウロは、アテネの近くの商業都市、コリントに狙いを定めます。このコリントの教会こそ、パウロが立てた中でも最大の教会となり、パウロの地中海伝道の拠点となっていきます。それほど重要な教会であるのと同時に、コリント教会は問題のデパートのような教会でもありました。
今から読んでいく第一コリントの手紙は、コリントでの働きを終えてほかの地で伝道していたパウロが、コリントの教会での深刻な問題を聞きつけて、それに対処するために、書かれたものです。コリントの第一、第二の手紙はどちらも大変長いですが、それはコリントの教会の問題の多さを表しています。パウロとコリント教会との関係は、決していつも円満という訳ではなく、それどころか非常に危うい険悪な関係になったことすらあります。パウロは必死で教会の人々と向き合い、時には非常に厳しいことも書いています。第一コリント書簡は、パウロの生々しい肉声が聞こえてくる書簡でもあるのです。
さて、このコリントという都市ですが、この都市はアテネと並んでギリシャの有力な都市国家であり、ほかのギリシャの都市を束ねる盟主として、地中海の覇者たらんとするローマ帝国に必死に抵抗していました。しかし、紀元前146年、パウロがコリントにいた時期から約200年前にローマに大敗し、コリントは一度は廃墟になってしまいました。けれども、コリントは元来交通の要所として大変栄えてきた由緒ある都市です。それに目を付けたのが、あのユリウス・カエサルでした。カエサルは長らく廃墟になっていたこの都市をローマの植民都市として再建することを決意します。カエサルはコリントに多くのローマの引退した軍人を送り込み、ローマ的な都市として生まれ変わらせました。考古学者たちはコリントの遺跡を発掘していますが、そこでの碑文のほとんどはギリシャ語ではなく、ローマ帝国の公用語であるラテン語で書かれています。コリントは、ユリウス・カエサルが再建を決意してからパウロが到着するまでの約100年間の間に、大きく発展しました。当時のコリントは、かつてカリフォルニアのゴールドラッシュに沸き返ったアメリカのサンフランシスコのようだった、という人もいます。コリントはアドリア海とエーゲ海を結ぶ運河に位置する都市でした。また、現在のトルコである小アジアからも近く、なにしろ交通の要所であり、地中海中から様々な産物が集まってきていました。そういう訳で、コリントの人々は新しいモノや思想に抵抗がなく、むしろどんどん取り入れる気風を持っていました。しかし、港町にありがちなことですが、性風俗が盛んだったり、様々な国々の神々を拝む多くの宗教がありました。また、ローマの植民都市でしたから、ローマ皇帝を崇拝する皇帝礼拝も盛んでした。私も一度コリントに行ったことがありますが、皇帝一族を礼拝する神殿の跡地が今でも残っています。このように、魅力も一杯ながら問題も一杯という大都市コリントに、パウロたちは乗り込んでいったのです。ここでもパウロは反対に遭いましたが、神様からの励ましと祝福もあり、多くの人を主イエスへの信仰に導くことが出来ました。パウロはここに腰を落ち着け、1年半もの間伝道を続けました。このような背景を思い浮かべながら、この手紙の冒頭の箇所を読んでまいりましょう。
パウロは手紙を書くときに、まず自分自身のことを紹介しますが、そこでしばしば強調されるのが、「私は神の御心によって使徒として召された者だ」という点です。つまり、私は「使徒」なのだ、ということを冒頭で強調するのです。使徒というのは主イエス・キリストによって直接選ばれて世界宣教に遣わされた人たちです。その代表が12使徒です。パウロは地上の公生涯を送られたイエスと会ったことはありませんでしたので、12使徒たちのようにイエス様から使徒として選ばれたわけではありません。しかし神は、復活者であり、天において王となられたイエス・キリストをパウロに現しました。先ほども言いましたが、この復活者キリストとの出会いがパウロの人生を百八十度変えてしまいました。ですからパウロは、地上の生涯を送ったイエスから直接遣わされたわけではなくとも、自分には12使徒と同じような使徒としての権威があるのだと主張するのです。
パウロがここで「使徒」としての権威を強調するのは、この手紙の内容が親しい友人に宛てた個人的で気軽な内容ではない、ということを暗に示すものでした。パウロはコリントの人々にたとえ嫌われても、耳の痛いことを言う必要がありました。パウロとコリントの人々は、親しい家族のような関係ではありましたが、パウロはそれ以上に自分が彼らの霊的リーダー、霊的な父であることを自覚していたのです。ですからここでパウロは自らの使徒としての権威を主張し、コリントの人たちに自分の書き送ることに従うようにと、暗に示しているのです。
この手紙の宛名は「コリントにある神の教会へ」となっています。「教会」という言葉を聞くと、私たち日本人は宗教団体やその建物を思い浮かべます。実際、日本ではキリスト教のみならず、仏教系の宗教団体も集会のための建物を「教会」と呼んでいるところがあります。しかし、この言葉の原語であるギリシャ語で教会は「エクレシア」と呼ばれていますが、この言葉自体には宗教的な意味はありませんでした。むしろ、政治の議会のように、議決のために集まる市民の集会を指す言葉として用いられていました。ですから「神の教会」とは、単なる宗教団体を超えた、政治色すら持つ市民団体、という響きを持っていました。なぜならイエス・キリストは単なる宗教の教祖ではないからです。彼は王なのです。世界の覇者であるローマ皇帝よりも高い政治的権威を持つ王であるのがイエスです。ですからコリントの教会の人々は、究極的にはローマ皇帝よりもイエスに従うべきなのです。この教会、エクレシアという言葉にはこうした意味合いが込められています。
パウロはさらに、ではこの手紙を受け取ったコリントの人々が神の目から見てどんな人々なのかについて、説明を加えます。
私たちの主イエス・キリストの御名を、至る所で呼び求めているすべての人々とともに、聖徒として召され、キリスト・イエスにあって聖なるものとされた方々へ。
ここではコリントの人々について、二つのことが言われています。一つは、彼らが「聖なるもの」であること、もう一つは彼らが「召されたもの」であることです。私たちは自分が「聖なるもの」と呼ばれることに、ぎょっとするかもしれません。聖者というと、マザー・テレサのような特別な人、凡人や俗人には及びもつかない聖なる人というイメージを持つでしょう。それ自体は間違っていませんが、しかし聖書で言う聖なる人というは、ちょっと意味合いが異なっており、それはむしろ「神によって取り分けられた人」という意味です。例えば皆さんが財布の中に一万円持っているとします。そのうちの千円を取り分けて、神様に献げようと決めたとします。そうすると、その千円は他の千円札と変わらない普通の千円のままですが、それでも神様のために取っておいたもの、という意味で聖なる千円になるのです。私たちも神様から取り分けられたのです。そのために、自分の周囲の人とは違う人間になる、というのでは必ずしもありません。しかし、神のために取り分けられた者、というからには私たちは聖なる者となるのです。むろん、私たちは主イエスに倣って生きていく徳の高い人間になるように期待されています。しかし、いきなりそんな立派な人間になれるはずがありません。それでも、私たちは神から取り分けられたという意味では、初めから聖なる人なのです。
「召されたもの」というのも、同じような意味です。「召されたもの」を直訳すれば、「呼ばれた人」です。誰に呼ばれるのかと言えば、もちろん神に、です。つまり、クリスチャンとは神によって一人一人名前で呼ばれ、神のために取り分けられた人々だということです。では、神によって取り分けられ、呼ばれたものはどのように生きるべきなのでしょうか。それが書かれているのが7節と8節です。
その結果、あなたがたがどんな賜物にも欠けるところがなく、また、熱心に私たちの主イエス・キリストの現れを待っています。主も、あなたがたを、私たちの主イエス・キリストの日に責められるところのない者として、最後まで堅く保ってくださいます。
ここでもすごいことが言われています。クリスチャンは、「どんな賜物にも欠けるところがなく」、そして「責められるところのない者」と言われています。「責められるところのない者」を直訳すれば、「非の打ちどころのない者」となります。つまりクリスチャンとは非の打ちどころのない完ぺきな人で、神様からの賜物において欠けるところのない者だというのです。そんなの本当なのか、と思われるかもしれません。自分が非の打ちどころのない聖なる人になるなんて、そんなの絶対無理、と思われるかもしれません。確かに私たちは極悪人ではなくとも、完ぺきな聖者でもありません。普通の生身の人間なのです。良いこともすれば、しばしば大変愚かなこともします。そんな私たちが完ぺきな聖者になれるわけはないのです。しかし、このコリントの手紙を学ぶうちに、そういう不安はだんだんなくなっていくでしょう。コリントの人たちも私たちと同じように、いやもしかすると私たち以上に、弱さや問題を抱えていた人たちでした。そんな彼らも聖なる人であり、主イエス・キリストの日には完全な者とされるだろう、とパウロは語っているのです。彼らに出来たのなら、私たちにだってできるでしょう。というよりも、私たちには無理でも、神には不可能はないのです。
さて、ここで「主イエス・キリストの現れ」とか、「主イエス・キリストの日」と言われているのは、主イエス・キリストが再び来られる日のことです。主イエス・キリストは現在天におられますが、天とは遥か彼方の遠い所ではありません。実に私たちのすぐ隣にあります。しかし、私たちは天の様子を見ることが出来ませんし、そこにおられるキリストを見ることも出来ません。けれども、天からは私たちのことが手に取るように見えるのです。それでも、私たちとキリストとの間には見えない壁、隔たりがあります。しかしキリストはその隔たりを乗り越えて、私たちの住むこの世界に、救いと裁きのために来られる、あるいは現れる日が来ます、それが再臨です。私たちはその日を待ち望み、そして待つだけでなく、その日に備えて非の打ちどころのない者となるように、日々主にあって変えられているのです。神は真実な方なので、必ずそのようにしてくださる、とパウロは語ります。ここで非の打ちどころのないものになるというのは、罪を一つも犯さない、完全無欠な人になるという意味ではありません。そんな風になれるものなら、もはやその人は人間ではないでしょう。しかし、完全な人とは、間違いを犯さない人ということではなく、憐みの心において神のようになる人のことです。人のことを深く思いやれる人、自分が弱く愚かであるので、ほかの人の弱さや愚かさも受け入れ、赦してあげられる人、そのような人になるということです。私たちはそのようなあわれみ深い人になるように召されているのです。私たちをそのように変えてくださるのは神であり、神は真実な方で、なんでもできるのです。ですから、この主にしっかりと信頼して、これからも信仰の完成への旅路を歩んで参りましょう。お祈りします。
イエス・キリストの父なる神様、そのお名前を賛美します。今日から使徒パウロがコリントの教会に宛てた手紙を学んでまいります。私たちが不完全であるように、コリントの人たちも不完全な人たちでした。しかし、そのような人々をも神は、そしてパウロは辛抱強く導いてくださいました。どうか、私たちにも同じ御霊を与え、完成へと導いてください。われらの救い主イエス・キリストの聖名によって祈ります。アーメン