モーセの最後
申命記34章1-8節
森田俊隆

*当日の説教ではこの原稿の一部を省略して話しています

本日は申命記からです。申命記といえば、律法を思い出し、「あーあの、あーしろ、こーしろ、という規則が書かれた文書ですね」という声が帰ってきそうです。確かに申命記の中心部分と言えば、十戒を含め律法について書かれた部分でしょう。しかし、それがすべてではありません。

まず、「モーセの第一説教」というのがあります。これは出エジプト以降のイスラエルの民の荒野をさまよった40年の回顧です。民数記の内容とダブっているところが多くあります。次は「モーセの第二説教」と呼ばれる箇所で、これがモーセの律法の部分です。まず、十戒が与えられます。そのあとは、約束の地カナンに入った時、守るべき事柄が律法としてまとめられています。この律法の文書が後になって発見され、紀元前7世紀のユダ王国におけるヨシア王の宗教改革の基本になりました。22章にわたる律法の記述の後、祝福とのろい、が述べられています。「~はのろわれる。民はみな、答えて、アーメンと言いなさい」が11回繰り返す箇所があるので有名です。十戒の言い代えのような内容です。例えば27:16「『自分の父や母を侮辱する者はのろわれる。』民はみな、アーメンと言いなさい。」とあります。そしてモーセ最後の説教である「モーセの第三説教」になります。律法を守り、神の祝福を得ることを勧めています。この神との契約に対する違反を「のろいの誓い」と呼び、戒めています。この「のろいの誓い」と訳されている言葉は、「のろい」と「誓い」の両方の意味をもった「a:la:」という言葉です。

そしていよいよ、モーセの生涯を締めくくる箇所に入って行きます。31章以降です。

31:2-3 私は、きょう、百二十歳である。もう出入りができない。主は私に、「あなたは、このヨルダンを渡ることができない」と言われた。あなたの神、主ご自身が、あなたの先に渡って行かれる。主が告げられたように、ヨシュアが、あなたの先に立って渡るのである。

といわれています。「120才でもう歩くのが困難だ。しかし、主、自らがヨルダン川を渡る。先に主が告げられたようにヨシュアが先頭に立って行く」と言っています。モーセがヨルダン川を渡ってカナンの地に入ることはできないことは既に告げられていました。

3:26-28 しかし主は、あなたがたのために私を怒り、私の願いを聞き入れてくださらなかった。そして主は私に言われた。「もう十分だ。このことについては、もう二度とわたしに言ってはならない。ピスガの頂に登って、目を上げて西、北、南、東を見よ。あなたのその目でよく見よ。あなたはこのヨルダンを渡ることができないからだ。ヨシュアに命じ、彼を力づけ、彼を励ませ。彼はこの民の先に立って渡って行き、あなたの見るあの地を彼らに受け継がせるであろう。

とあります。出エジプトの時の「カナンの地に向かえ」という主なる神の約束、導き、そしてカデシュ・バルネア以降、38年に及ぶ荒野でのさまよいのことを考えるとモーセにとってはあまりに不条理、と言いたくなる主なる神の言葉です。

どうしてモーセはカナンの地に入ることが許されなかったのでしょうか。それは民数記に原因が述べられています。イスラエルの民は何度も主なる神の導きを拒否しエジプトに居た方がよかった、とモーセ、アロンにつぶやきました。不信、不従順の罪です。その都度、モーセはその民の罪をとりなし、主なる神のあわれみを乞い、願いが聞き届かれ、主なる神は怒りを抑えてきました。このイスラエルの罪は贖われなければなりません。指導者としてのモーセがその責めを負うべし、というのが、主なる神の意志でした。「このことについては、もう二度とわたしに言ってはならない。」と言われています。旧約聖書を見ますと、指導者と民衆の間での罪の問題は大問題です。指導者の罪はイスラエル全体の罪と見做される、というところもありますが、逆に、民衆の罪は指導者の罪とされる、という箇所も多数見受けられます。王、祭司、預言者のような指導者は民衆の罪を知り、主なる神に赦しを希(こいねが)う役割も担っているのですが、そのことは神の怒りによる罰がその指導者にふりかかり、悲惨な運命をたどる、ということをも意味します。その代表は預言者エレミヤです。モーセにおける「罪のひきうけ」はその先駆けをなしている、といえます。この思想は綿々と繋がっており、新約の時代に到り、主イエスによるすべての人のための「罪のあがない」に帰着しているのです。主イエスの執成しの祈りは即ち「罪のひきうけ」を意味しています。それと無関係ではありえない、私たちの執成しの祈りの重大な意味を思わされます。キリスト教における執成しは、単なる口添えではありません。身代わり、の意味が隠されています。

先日、ナスカ文明に関するテレビの番組をみました。巨大な地上絵で有名なペルーの地です。そこの遺跡を発掘すると位の高い人が生贄にされたと思われる骨がでてきました。学者の推測では、雨ごいをするために部族の長が自ら犠牲となり神に命をささげたのであろう、と言うことです。民の救いのために、その長が自ら生贄となる、という習慣は古代文明ではよくある習慣だ、ということです。現代社会は逆で、指導者が生き延びて民が犠牲になるのですから、おかしな話です。モーセはイスラエルの預言者として神に立てられた人物ですが、民の反逆の罪を負って、カナンの地に入ることは許されない、という神の裁きを受けることになったのです。もちろん、我らの主イエスはこの伝統の中にあって、人間の罪を負って死を甘受するという業(わざ)をなされました。もちろん、モーセは預言者即ち「神の人」であるのに対し、主イエスは「神の子」という差はあります。しかし、十字架による贖いは既にモーセにその萌芽が示されていることは心に留めておくべきことです。

この申命記の箇所には「強くあれ、雄々しくあれ」のフレーズが3度でてくるので有名です。この言葉は、申命記の次の文書であるヨシュア記にも登場し、民を激励するための句として使われています。こども讃美歌にも「雄々しくあれ、強くあれ」という歌詞で、あります。31:6や31:23には主なる神の言葉として「わたしが、あなたとともにいる」という言葉があります。のちにイザヤ書にて使われる「インマヌエル(神ともにいまして)」です。ここでの戦いは主なる神が戦われる戦いであり、人間は後ろについていくだけの戦いです。聖書では聖なる戦い、として「聖戦」と呼ばれています。主なる神が聖なる共同体、イスラエルを形成して行くための戦いです。この神の言葉は、主なる神が自ら戦われるのであるから、あなたたちは恐れることは全くない、ただ主なる神に信頼を置き、「雄々しくあれ、強くあれ」と言われているのです。キリスト教の歴史の中で特にアウグスティヌス以降、神の義を表すための戦いとして正しい戦争「正戦」の考え方が出てきます。これはキリスト教が国教になり、その支配を維持するための戦争ということでつまるところ基本的にこの世の争い、です。この二つの戦争はどこで「聖なる戦争」から「正しい戦争」に代わって行ったのでしょうか。私はイスラエルの歴史においてはダビデ王朝の途中からもはや「聖なる戦争」は全く失われ、「正しい戦争」だけだ、と見ています。「正しい戦争」は第一次的に、主なる神が戦われるのではなく、人間が戦うものです。どう言い訳しても、支配欲という人間の罪の結果です。従って、この「強くあれ、雄々しくあれ」を現代において戦地に向かう兵士への激励の言葉に使用するのは許されない、と思います。主なる神が戦う、という「聖なる戦争」のかけらもありません。米軍がこの言葉を使用するのも、イスラム国が「聖なる戦争」=「聖戦」を叫ぶのも、その意味では同列です。キリスト者からみれば、どちらも「神の言葉」に対する冒瀆です。

申命記31:24以降でモーセは詩を歌います。背信の民イスラエルの罪への神の怒りを述べ、にも拘らず注がれる主なる神の憐みが歌われます。

32:36 主は御民をかばい、 主のしもべら、をあわれむ。彼らの力が去って行き、 奴隷も、自由の者も、いなくなるのを見られるときに。

と言われています。自分の望みは絶たれたそのときに、主なる神の「憐れみ」の言葉を取り次いでいるのです。そしてこの歌をイスラエルの全会衆に唱えさせた、と記されています。32:47でモーセは「これは、あなたがたにとって、むなしいことばではなく、あなたがたのいのちであるからだ。このことばにより、あなたがたは、ヨルダンを渡って、所有しようとしている地で、長く生きることができる。」と言っています。個々の律法を守れという前に、主なる神の憐みを歌え、と言っているのです。聖書外典の「第二マカベア書」7:6には「主なる神がわたしたちを見守り、真実をもって憐れんでくださる。モーセが不信仰を告発する言葉の中で、『主はその僕を力づけられる』と明らかに宣言しているように。」とあります。旧約には「律法を守りなさい。そうすれば、主なる神の祝福があります」という流れと「罪を認めひたすら主なる神の憐みを乞いなさい」と流れがあります。相互に関連はしているのですが、主イエスは後者を前面に出して語られています。おそらく、「律法遵守による神の祝福」というユダヤ教正統派の流れは人間の罪の深さの前で根本的には現実化せず、神の知恵は一切の条件を問わない「憐れみ」に行き着かざるを得なかったのではないか、と思います。ある意味で、新約は旧約の失敗を指し示している、とも言えます。

ついで32:48から、モーセによるイスラエルの民への祝福の言葉がのべられます。イスラエルの民にとっては創世記の時代から、族長による祝福は極めて重大な事柄でした。「みんなこれから頑張ってください」程度の話ではないのです。主なる神の恵みが注がれることを執成し者が祈ることが祝福を与えることです。イスラエルの信仰更にはキリスト教の信仰には神の代理人はおりません。「執成し」の祭司がいるだけです。主イエスは神の子ですが人間イエスは「執成し者」であるだけで、神を代理して我々に接していたのではありません。エジプトでは王が神の代理人乃至は神そのものでした。それが古代宗教では一般的でしたがイスラエルの信仰は「人間はあくまでも人間」というもので、古代においては独自なものでした。その執成し者モーセがイスラエル部族を祝福したのがこの箇所です。イスラエルの長子ルベンから始まって、小部族アシェルまで繋がっています。このなかで、長く読まれているのは、レビ族とヨセフ族です。レビ族は祭司部族ですが、背信の罪に対し「全焼のささげもの」をし、敵を打ち砕いて下さることを祈っています。ヨセフはその子マナセとエフライムが他の兄弟と同列に扱われ、その力が大いなるものとされた部族です。主の祝福が祈られ「太陽がもたらす賜物、月が生み出す賜物」が讃えられています。しかし、ここにはシメオンがありません。二つの理由が考えられます。一つは、シメオンは創世記49:5-7で仲間に暴虐を働くものとしてレビ族とともに断罪されていることです。もう一つは、シメオンの嗣業の地はユダ族の南で、強力なユダ族の中に吸収されていった、との見方です。どちらの解釈も一長一短ですが、モーセの祝福の祈りのなかに全く名が出てこないのは不思議で、ユダ族と一体と既にみられていたからではないか、と推測します。この箇所にあたかも独立した部族の名前かの如くに「エシュルン」という名が出てきます。申命記の3箇所とイザヤ書1か所に出てくる言葉ですが、イスラエル全体を指して言われている言葉です。大変、美しい表現で使用されています。ここではイスラエル各部族への祝福の言葉のあとに33:26「エシュルンよ。神に並ぶ者はほかにない。神はあなたを助けるため天に乗り、威光のうちに雲に乗られる。」とまで讃えられています。

34章に入ると、とうとうモーセに対する主の最後の言葉が発せられます。

34:4-5 そして主は彼に仰せられた。「わたしが、アブラハム、イサク、ヤコブに、『あなたの子孫に与えよう』と言って誓った地はこれである。わたしはこれをあなたの目に見せたが、あなたはそこへ渡って行くことはできない。」こうして、主の命令によって、主のしもべモーセは、モアブの地のその所で死んだ。

とあります。34:1で「モーセはモアブの草原からネボ山、エリコに向かい合わせのピスガの頂に登った。主は、彼に次の全地方を見せられた。ギルアデをダンまで」と言われていますので、モーセはそのピスガの頂(いただき)で死んだということになります。今はヨルダン王国になります。死海の北東に海抜802mのネボ山という山があり、その西端に標高710mのシアガと呼ばれる頂があります。これがピスガの頂であろう、とされています。標高はそれほどではありませんが死海は標高マイナス400mのところに有りますので、ピスガの頂から死海を見るとかなりの高さの急傾斜に見えます。ピスガという名前は「山の裂け目」の意味の言葉からきています。また「pa:sa:」という動詞は「間(あいだ)を通り過ぎる」の意味ですから、峠のようなところを指していたのかもしれません。今はモーセの死んだ場所として有名であり、2000年3月に教皇ヨハネ・パウロ2世が来訪し、それを記念して石碑がたてられています。ご参考までに、日本の石川県に「モーセの墓」というのがあります。日本の古代文書である「竹内文献」に載っているものでいくら何でも、これは信ずることはできません。

しかし、34:6で「主は彼をベテ・ペオルの近くのモアブの地の谷に葬られたが、今日に至るまで、その墓を知った者はいない。」といわれており、申命記が文字とされた時代にはモーセの墓はどこにあるかわからなかった、と言われているのです。三十日間喪の期間をもった、と言われていますから、モーセが死んだ当時は葬った場所があったはずです。まさかモーセは行方をくらまして、どこかで死んでしまった、という訳ではないでしょう。イスラエル民族においては墓に葬る、ということは極めて重要な出来事です。名もなき民の一人であれば、共同墓地的なところに他の死体と共に葬られる、ということはあったでしょうが、モーセについてはそのようなことは考えられません。またその名がイスラエルの子孫として記憶されることは、決定的に重大なことであり、その記憶にとどめられることこそ死後も生きていることの証であったのです。私は、かなり勝手な推測ですが、主イエスが葬られ、復活し、天にあげられたことの予型的なことが裏に隠されているのではないか、と想像しています。死ぬことはなく、生きているままで天にあげられた例は創世記5:24に記されているエノクがあります。「エノクは神とともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。」とあります。しかし、モーセの場合は死んだことは明記されています。従って、モーセは死んでピスガの頂きに葬られたが、モーセはその後、その体と霊は、主なる神により天にあげられたため、その墓は空の墓となり、時代と共に風化するに任される結果となった、という解釈です。このイスラエルの民がモーセの墓の場所がわからなくなるなど考えられません。おそらく何らかの奇跡的なことがあり、墓が無意味になったため、記憶から消し去られたのであろう、と思います。皆さんは、どう思うでしょうか。このくらいの想像は許されていると思っています。ちなみに紀元2世紀のアレキサンドリアのクレメンスという古代教父の文書の中にモーセが天にあげられ、天使とともにある、という表現があります。しかし、主イエスの最後との比較で言っているわけではありません。主イエスの場合は、使徒信条に言われているように「黄泉に下り」がモーセと異なります。肉体的死のみならず霊的な意味での死も味わられた方なのです。

34:7では「モーセが死んだときは百二十歳であったが、彼の目はかすまず、気力も衰えていなかった。」とあり、歩くのに不便はあったようですが、目、気力は大丈夫という状態だったようです。カナンの地に入ることはできませんでしたが、ピスガの頂からカナンの地も俯瞰し、十分満足して死を迎えたようです。その後、モーセはイスラエルの最初の預言者に数えられ、出エジプトというイスラエル救済史に残る偉人に数えられることになりました。預言者に対する賛辞の名である「神の人」とよばれるようになりました。新約ではマタイ17:3の「イエスの姿変わり」の箇所で主イエス、エリアと語り合っていた、とされています。この場所は「高い山」とされており、ネボ山ではなく、ずっと北のヘルモン山と考えられています。ネボ山で死んだモーセが新約の時代にヘルモン山で幻としてよみがえった、ということになります。

ちなみに、モーセはイスラム教でも預言者として高い尊敬の対象になっています。コーラン第4章(女人の章)164節には「モーセには、神(アッラー)が親しく語りかけたもうた」とあります。その他預言者として名を挙げられているのは「アブラハ、イシマエル、イサク、ヤコブ、イエス、ヨブ、ヨナ、アロン、ソロモン、ダビデ」です。イシマエルはイサクの異母兄弟でアラビア民族の祖とされている人間です。その娘マハラテがヤコブの兄エサウの妻の一人になっています。エサウはイスラエルという名をもらったヤコブに長子の権利を奪われた人物で、エドム人の祖とされています。エサウの血筋とヤコブの血筋は犬猿の中となり、モーセの時代にはエドム人はカナン侵入の行く手を阻むイスラエルへの敵対部族であったようですが、今はそんなことはありません。イスラム教徒はコーランに従い、モーセを偉大な預言者として扱っています。イスラムは教理的にはキリスト教を敵対視は全くしておらず、「経典の民」としてキリスト教徒、ユダヤ教徒をイスラム教徒に次ぐ者として扱っていることは覚えておく必要があります。イスラム教の教理はユダヤ教のそれにかなり類似しています。イスラエルという国がアラブ・パレスチナの地に意図的に作られ、それを米国が応援しているため、イスラム教徒は反米的になっているにすぎません。人間には理解できないところで、宗教としてのキリスト教、イスラム教、ユダヤ教の相克の歴史には神の導きが働いているのかもしれません。

申命記の最後は「結びの言葉」とでもいうべき箇所です。34:10では「モーセのような預言者は、もう再びイスラエルには起こらなかった。彼を主は、顔と顔とを合わせて選び出された。」と述べられています。「顔と顔をあわせて」神とまみえるなどは本来ありえないことですが、それほどの関係であったと言っています。主イエスの職務として王、祭司、預言者の三職と言われますが、モーセ以降エリア、エリシャ、イザヤ、エレミヤに続く預言者の伝統は三職の一部をなしています。モーセの兄アロン以降の大祭司は祭司の職務に、ダビデ、ソロモンその後のユダ王国の王の歴史は王の職務に対応しています。これらの伝統に新しい意味を込めて引き継いでいるのが主イエスの三職です。この預言者の伝統は単に神の言葉を民に伝える、という意味にとどまらず、民の罪の赦しを乞い、執成しをする預言者です。その罰は預言者に与えられるのです。モーセの生涯においてそれが示され、エレミヤの生涯において再び示され、第二イザヤの自らを奉げる苦難の僕(しもべ)に純化した形で示されます。この三者の最後はこの世の基準ではあとになるに従って、哀れなものとなって行きます。その究極のところに主イエスがいらっしゃいます。最も惨めな最後となった主イエスこそ黄泉からの復活者として最大の預言者となったのです。祈ります。

ご在天の父なる御神様、今日の礼拝の時を感謝します。今日は、申命記の「モーセの生涯の締めくくり」の個所から学びました。主イエスは、モーセがイスラエルの民のためにとりなしの祈りをされたと同様に、私たち罪多きすべての者のために、とりなしの祈りをされた方です。そしてそのとりなしの証として「神の子」の命をも捧げられた方です。私たちを主に従う者とさせてください。とりなしを祈る者としての勇気をお与えください。「強くあれ、雄々しくあれ」のみ言葉を心に刻み、主なる神にすべてをゆだね進む者とさせてください。われらの主イエス・キリストの御名により祈ります。アーメン

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