みなさま、ペンテコステおめでとうございます。そのように申し上げてからこう言うのも何なのですが、「ペンテコステ」というのはいったい何なのか、と尋ねられることがしばしばあります。ペンテコステはクリスマス、イースターと並ぶキリスト教の三大主日と言われますが、他の二つと比べてポピュラーであるかという意味では少し見劣りしてしまうのは否めないように思います。また、それが何を祝うものなのか、分かりにくいということもあるようです。
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みなさま、ペンテコステおめでとうございます。そのように申し上げてからこう言うのも何なのですが、「ペンテコステ」というのはいったい何なのか、と尋ねられることがしばしばあります。ペンテコステはクリスマス、イースターと並ぶキリスト教の三大主日と言われますが、他の二つと比べてポピュラーであるかという意味では少し見劣りしてしまうのは否めないように思います。また、それが何を祝うものなのか、分かりにくいということもあるようです。
“神の霊に満たされるみなさま、おはようございます。サムエル記からの説教は今日で24回目になります。第二コリント書簡からの講解説教がちょうど24回ですからそれに並んだわけですが、サムエル記の説教はまだまだ続きます。しかし、今日の箇所はこれまでのサムエル記の中でも後味が悪いといいますか、いったい神様はこの箇所を通じて何を私たちに教えようとしておられるのか、よく分からないと思われるかもしれません。
“サウルの凶行*本日の説教には録音がありません。
みなさま、おはようございます。ゴールデンウィークが明けて、慌ただしい日常が戻ってきますが、そのようなときにこそ主のみことばにゆっくり耳を傾けて参りたいと思います。前回の説教で、これからダビデは旅に出るという話をしました。もちろん、ダビデは望んで旅に出るわけでなく、サウル王から命を狙われて、いわば強いられてあてどのない旅に出るわけです。
“ダビデの逃避行みなさま、おはようございます。毎月の月末はサムエル記から離れて新約聖書からメッセージさせていただいております。今日もヤコブの手紙から主のみ教えを学んで参りましょう。ヤコブの手紙からの説教はこれで三回目になりますが、いよいよ本書簡の中心的なメッセージが示されています。
“みことばを行いなさいみなさま、おはようございます。今朝もサムエル記を読んで参りましょう。今日の箇所はサムエル記の重要な分岐点になる箇所です。といいますのは、今日の箇所の後に、ダビデは旅に出ます。旅に出るといっても、ダビデが望んでそうしたわけではなく、サウル王に命を狙われて、いわば強いられて旅に出るのですが、しかし旅に出ることはダビデの成長のためにはぜひとも必要なものでした。
“刎頸の友みなさま、おはようございます。一気に暖かくなり、まさに春本番となって参りました。当教会にも新しいステンドグラスが与えられ、一層明るくなりました。そして、今日もサムエル記を通じて神の御心や教えを求めて参りたいと思います。早いもので、サムエル記からの説教も今日で21回目となります。
“割れるサウルの家みなさまおはようございます。桜の咲く、新年度に入りました。改めて、今年度もよろしくお願いいたします。私が当教会に遣わされて、早いもので今回が五度目の春になります。五年目に入ったということですが、みなさまに支えられて、共に主の前を歩ませていただいております。
“サウルとダビデみなさま、イースターおめでとうございます。今日は、主イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことを祝う、キリスト教において最も大切な日です。イエスの復活ということは、キリスト教信仰の中心にあるもので、これなくしてはキリスト教そのものが存在しなかったほど重要なことです。使徒パウロは、「もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです」(第一コリント15:17)と語っています。つまり、イエスの復活がなければ、あの十字架の死でさえも無意味なものになる、無駄死になると言っているのです。
“復活によって主とされた方*今回の説教は録音のみで、原稿はありません。日本福音同盟総主事の岩上敬人先生の特別メッセージです。
“私を思い出してくださいみなさま、おはようございます。毎月の月末には新約聖書から、ここしばらくはヤコブの手紙から説教をさせて頂く予定ですが、今月末は復活主日、イースターになりますので、今月は月の半ばではありますが、今日の説教でヤコブ書を取り上げさせていただきます。
“試練と誘惑