1.序論
みなさま、おはようございます。サムエル記を読み進めて参りましたが、今日は一つの区切りとなる箇所です。これまでダビデは苦労に苦労を重ねながらイスラエルの王となることを目指してきたのですが、その目標がとうとう実現するというのが今日の場面です。さらには、ダビデが王となったということももちろん大事ですが、では王になったダビデが最初にしたことは何か、ということに注目したいと思います。
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みなさま、おはようございます。サムエル記を読み進めて参りましたが、今日は一つの区切りとなる箇所です。これまでダビデは苦労に苦労を重ねながらイスラエルの王となることを目指してきたのですが、その目標がとうとう実現するというのが今日の場面です。さらには、ダビデが王となったということももちろん大事ですが、では王になったダビデが最初にしたことは何か、ということに注目したいと思います。
“ダビデ、エルサレムを王都とするみなさま、おはようございます。さて、今日の説教題は秋のすがすがしい朝の空気に反して、「惨劇」という物々しいタイトルです。文字通り、悲惨な出来事についてのお話です。せっかくの主日礼拝なので、心が高揚する話や、心が温まる話を聞きたいと思われるでしょうし、私もできればそうしたいのですが、しかし講解説教ですので、この箇所は飛ばしてとか、そういうことはできません。そもそも、サムエル記の説教でこういう悲惨な場面を除いてしまうと、あとは何も残らないのではないかと思うほど、悲劇的な箇所が多いのです。悲劇といっても、地震などの自然災害のためではありません。むしろ人間同士の裏切りとか、騙し合いとか、そういうことが理由で起こる悲劇です。このサムエル記には、そういうドロドロした話がとても多いです。なぜそうなのかといえば、そこには権力闘争が絡むからです。王という至高の権力を求める話を描いているサムエル記は、まさにこの文書全体が惨劇の書だと言っても過言ではありません。
“惨劇みなさま、おはようございます。今朝も第二サムエル記を読み進めて参りましょう。前回は、サウル王亡き後、ダビデがイスラエルに戻り、ユダ族の王になったところを見ていきました。ダビデはイスラエル全体の王になったのではなく、その12部族の一つだけ、自らの出身部族であるユダ族だけの王となりました。他の11部族は未だにサウル王家に従っているのですが、段々とダビデ家の勢力が増していく様子を前回は見ていきました。
“アブネルとヨアブみなさま、おはようございます。サムエル記の後編の、今日が二回目の説教になりますが、物語は急展開を見せます。前回はサウル王の死を悼むという、サムエル記の前半を振り返るような内容でしたが、今回はダビデがイスラエルの王になるために一歩一歩その地保を固めていくという局面です。今日はその際のダビデの慎重な姿勢について見て参りたいと思います。
“ダビデ、ユダの王になるみなさま、おはようございます。33回に及ぶサムエル記上の講解説教が終わり、今日からいよいよ後半、サムエル記の下に入ります。サムエルの下は、苦難の末に、ついにダビデが王となってイスラエルを率いていく時代を描いています。ダビデの時代というのは多くのユダヤ人にとって郷愁すら覚える黄金時代です。ダビデの時代に、イスラエル人は聖地エルサレムを獲得します。そして周辺諸国を従えて、弱小民族だったイスラエルは一躍強国の地位を得ます。ダビデの時代、イスラエルは最も大きな版図を獲得したのです。しかし、そのような黄金時代を描いているにしては、サムエル記の下は暗い話が多いのです。前半はまだよいのですが、中盤以降、特にダビデが王の権限を乱用して不倫と殺人という大きな罪を犯してからは、サムエル記のトーンはものすごく暗くなります。ダビデの家は坂道を転げ落ちるように転落、崩壊していきます。私は今からこうした箇所の説教の事を考えると頭が痛くなるほどです。
“サウル王への哀歌