1.導入
みなさま、おはようございます。先週から使徒パウロのコリントの教会への手紙を学び始めました。前回は、コリントとはどんなところなのか、その歴史を振り返ってみましたが、今日の箇所からいよいよ本題に入っていきます。先週もお話ししたように、使徒パウロはギリシャの商業都市コリントで開拓伝道を始め、そこで約1年半をかけて伝道活動を行いました。パウロは、自らの使命を牧師と言うより、今日でいうところの外国人宣教師のように考えていました。宣教師とは、まだ福音が宣べ伝えられていない、異教徒の住むキリスト教未開の地に入っていって、そこで初めてキリストの福音を宣べ伝え、信者を獲得していくという、そういう働きをする人です。日本にも、明治時代以降に欧米からたくさんの宣教師が来てくれました。彼らは教会が立ち上がると、そこで長く留まろうとせずに、新たな開拓地を探してほかの場所に移り、自らが開拓した教会のことは日本人の牧師などに託すという行動パターンを取ります。彼らの目的は、なるべく広い地域に福音を届けることなので、一か所にずっといるということはないのです。それに対し、牧師というのは、一つの教会に10年とか、かなり長い期間留まります。そこで教会員の人たちと長期間にわたって人格的なかかわりを持ち、教会の発展や教会の周囲の地域社会とのつながりを深めていく、という役割があります。パウロには、長期間にわたって一つの教会に関わってその教会を発展させていくことよりも、なるべく早く広い地域に福音を届けるという明確な目的がありました。なぜかと言えば、パウロは自分にはあまり時間がないと思っていたからです。パウロはキリストが再び来られるとき、つまり再臨が近いと信じていたので、それまでのうちに世界中に福音を広めようと思っていました。世界中といっても、パウロにとっての世界とは地中海世界のことで、中国や、ましてやアメリカ大陸などは、その存在すら知らなかったでしょう。パウロの目的とは、キリストが再び来られるまでに、彼が知っている範囲の世界全体に福音を届けることでした。ですから彼はあわただしい旅人の人生を送っていたのです。
“分裂するキリストのからだ第一コリント1章10~17節” の続きを読む