1.序論
みなさま、おはようございます。過ぐる週は終戦記念日でした。戦後80年の記念の年でもあります。私たち日本の国は、この80年間まがりなりにも戦争をせずに歩んでこられました。しかし、1945年より前の80年間は戦争に次ぐ戦争で、日本は何度か勝利を収めましたが最後は壊滅的な敗北で終わりました。これからの次の80年が平和な時代になるか、動乱の時代になるか、正に私たちは岐路に立たされています。
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みなさま、おはようございます。過ぐる週は終戦記念日でした。戦後80年の記念の年でもあります。私たち日本の国は、この80年間まがりなりにも戦争をせずに歩んでこられました。しかし、1945年より前の80年間は戦争に次ぐ戦争で、日本は何度か勝利を収めましたが最後は壊滅的な敗北で終わりました。これからの次の80年が平和な時代になるか、動乱の時代になるか、正に私たちは岐路に立たされています。
“神の国が近づいたみなさま、おはようございます。猛暑が続きますが、これはまだまだ続きそうです。しかし、現代の日本では冷房がありますし、なんとか暑さをしのぐ手段があります。それに対し、ユダヤ・ガリラヤの地の荒野は草木の茂らない砂漠ですので、暑さをしのぐためのものが何もありません。預言者ヨナが太陽の照り付ける荒野でとうまごにすがり、とうまごながなくなったあとは「死んだほうがましだ」というほど苦しみました。そのような荒野に、自ら四十日四十夜留まられた主イエスの話を今日は見て参ります。
“荒野での試練みなさま、おはようございます。私たちは今、マタイ福音書を読み進めていますが、今日の箇所はイエスの公生涯の第一歩ということで、大変重要な箇所です。では、イエスはその公生涯の始めに何をなさったのでしょうか?それが、バプテスマのヨハネから洗礼を受けたということでした。今日はこの行動の意味を考えて参りましょう。
“ヨハネとイエスみなさま、おはようございます。今日は参議院選挙の日です。今回の選挙は、これまでとは何か違うな、という印象を持っています。候補者たちの演説を聞いていると、「本当に助けてくれますか」、「救ってくれますか」という若者や中年の方々の切実な訴えを聞いた、ということをおっしゃっている方が多かったのです。長引く不況に加えて、急激な物価上昇でもうこれ以上は耐えられない、という人がとても多くなっています。
“バプテスマのヨハネみなさま、おはようございます。マタイ福音書からのメッセージは今回で三回目になります。今日の箇所も、大変有名な箇所ですが、同時になかなか難しい箇所でもあります。そこで初めに、何がどのように難しいのかについてお話しさせていただきます。
“出エジプトみなさま、おはようございます。私が当教会に遣わされて6年になりますが、同じ聖書箇所から説教するということは今までのところ、ほとんどありません。聖書は膨大な内容が含まれており、まだまだ説教で取り上げていない箇所が山ほどあるからです。しかし、このマタイ福音書の誕生物語だけは例外で、今回でなんと三回目です。最初が2022年のクリスマス、二回目が半年前の2024年のクリスマスになります。そこで今回の説教ではなるべく過去の話と重複しない内容にしたいと思っております。
“ユダヤ人の王の誕生みなさま、おはようございます。私は2022年の5月から2023年の7月まで、一年余りにわたってマルコ福音書の講解説教を行いました。それから約二年ぶりに、今度はマタイ福音書の講解説教を行います。マタイ福音書はマルコよりもずっと長いので、当然ながらマタイからの説教はマルコよりもずっと長くなるでしょう。私たちにとって最も大切なことは、イエス・キリストを深く理解することです。マタイ福音書を通じて、私たちはこのことを目指して参ります。
“メシアの系図みなさま、クリスマスおめでとうございます。この喜ばしい主日を皆さまと共に祝えることに感謝です。さて、今日の説教タイトルは「イエスの父」です。ただ、イエスの父、と聞いてもそれが誰のことなのか、少し考えてしまうかもしれません。といいますのも、イエス御自身がおっしゃられているように、イエスの父、アッバとは父なる神のことを指すのではないか、とまず私たちは考えます。しかし、イエスを個人的によく知る当時のナザレの人々はイエスのことを「この人は、ヨセフの子ではないか」(ルカ4:22)と言っていました。
“イエスの父*今回の説教には音声はありません
今日開きましたのは、主イエス・キリストがお語りくださった天の御国のたとえです。主イエスは天の御国を宝にたとえてお話なさいました。高価な宝、夢にまで見るほどの宝です。皆さんそれぞれ、人生最大の宝は何でしょう。もっとも高価な買い物は何だったでしょう。値段も問題でしょうけど、それをほしいと思って努力したり貯金したりずっと思い続けてやっと手に入れた、あるいは、その素晴らしさにあまりに魅了されて、前後の見境もなく衝動買いしてしまった、というような経験や思い出のある物は何でしょうか。主イエスがお語りくださったのは、そんな宝を手に入れた二人の人のお話です。
“宝はここに(間島 直之師)みなさま、おはようございます。そして、新年おめでとうございます。1年の計は元日にあり、と言われますが、1年の初めの礼拝とそのメッセージは今年の方向性を決める大切なものです。そこで今日の説教は、今年1年間当教会を導いていく年間主題聖句について考えてみたいと思います。私たちは昨年の教会総会に年間主題聖句を選びましたが、それは大変有名なマタイ福音書11章28節です。「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」この一節が含まれている11章25節から30節まで、今日はそこからメッセージを語らせていただきます。この28節はあまりにも有名なので、前後の文脈に関係なくこの一節だけが取り出されて語られることが多いのですが、英語でコンテクスト・イズ・キング、つまり聖書のみことばの意味を決定するのはその前後の文脈だという格言が示すように、この28節の真の意味は、イエスが語られた文脈全体から判断されるべきです。
“まことの休息