1.序論
みなさま、おはようございます。マタイ福音書を読み進めてきましたが、これまでは主イエスの活躍、その教えや癒し、あるいは悪霊払いというような活躍を見て参りました。そして今回は弟子たちの活躍についての箇所です。この箇所はなかなか理解が難しい箇所だということをあらかじめ申し上げておきます。
“十二使徒を遣わすマタイ福音書10章1~23節” の続きを読む
みなさま、おはようございます。マタイ福音書を読み進めてきましたが、これまでは主イエスの活躍、その教えや癒し、あるいは悪霊払いというような活躍を見て参りました。そして今回は弟子たちの活躍についての箇所です。この箇所はなかなか理解が難しい箇所だということをあらかじめ申し上げておきます。
“十二使徒を遣わすみなさま、おはようございます。マタイ福音書を読み進めていますが、今日はかなり長い箇所を扱います。これまでは比較的短い箇所からメッセージしてきましたが、今日は9章丸ごとで、そこにはいくつものエピソードが含められています。
“律法学者とパリサイ派みなさま、おはようございます。私たちはマタイ福音書を読み進めていますが、だんだんと重要なテーマが出てきます。マタイ福音書では、まずイエスの教えをまとめた「山上の垂訓」があり、次いでイエスのいくつかの重要な癒しの出来事があり、そして今回は悪霊払いです。悪霊払いがイエスの宣教活動における重要な柱の一つだったということは広く知られていますが、実はマタイ福音書では今回の箇所が最初の場面です。
“悪霊を追い出すみなさま、おはようございます。私たちはマタイ福音書を読み進めていますが、物語はまだ序盤で、主要な登場人物がまだ出そろっているわけではありません。今「物語」と言いましたが、別に福音書がフィクションだと言っているわけではありません。むしろ、福音書は起承転結という物語の作法に従って進展していくということを言いたかったのです。
“イエスに従うみなさま、おはようございます。前回でイエスの山上の説教は終わり、イエスがいよいよ本格的な活動を始めるというところに入ります。これらの癒しは大変有名ですが、ではこうした癒しにどんな意味があったのか、イエスの宣教における病の癒しの意義を考えていきたいと思います。
“三つの癒しみなさま、おはようございます。今日が2026年の最初の説教となりますが、この箇所を今年の初めの説教として与えられたことは、何か象徴的なといいますか、大変大きな意味があることであるように思います。この箇所はキリスト教の核心的な部分に係ることだからです。
“イエスの教えへの誤解みなさま、新年おめでとうございます。毎年恒例になりましたが、元日礼拝は今年の年間主題聖句を取り上げてお話しします。このマタイ福音書7章7節は昨年の講解説教で取り上げたばかりの箇所なので記憶に新しい箇所でもありますが、年初にあたって改めてこのみことばをよく考えてみたいと思います。
“何を願うかみなさま、おはようございます。マタイ福音書の「山上の垂訓」を読み続けていますが、この山上の垂訓にはイエスの非常に有名で印象的な教えがたくさんあります。今日の箇所もまさにそのような箇所で、先日教会員の総意で当教会の来年の年間主題聖句にすることが決まった一節も含まれています。
“黄金律みなさま、おはようございます。私たちはイエスの教えをまとめた箇所である「山上の垂訓」を学び続けています。そこには大変有名な教えが数多く含まれていますが、今日のみことばも非常によく知られている、キリスト教のエッセンスとも言われる箇所です。そこには私たちの日々の生活に直接かかわること、私たちに安心安全を与えてくれるものは何なのか、という根本的な問いかけが含まれています。私たちに安心を与えてくれるのはお金なのか、神様なのか、という問いです。
“神に信頼するみなさま、おはようございます。私たちは主イエスの「山上の垂訓」を学んでいます。前回までは、六つの「モーセはこう言うが、わたしはこう言う」という一連の教えを学びました。モーセは旧約聖書の律法を象徴していますので、イエスは旧約聖書の神の教えをさらに深める、律法の中身を前進させるということをなさったのです。
“三つの宗教実践