神に信頼する
マタイ福音書6章19~34節

1.序論

みなさま、おはようございます。私たちはイエスの教えをまとめた箇所である「山上の垂訓」を学び続けています。そこには大変有名な教えが数多く含まれていますが、今日のみことばも非常によく知られている、キリスト教のエッセンスとも言われる箇所です。そこには私たちの日々の生活に直接かかわること、私たちに安心安全を与えてくれるものは何なのか、という根本的な問いかけが含まれています。私たちに安心を与えてくれるのはお金なのか、神様なのか、という問いです。

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三つの宗教実践
マタイ福音書6章1~18節

1.序論

みなさま、おはようございます。私たちは主イエスの「山上の垂訓」を学んでいます。前回までは、六つの「モーセはこう言うが、わたしはこう言う」という一連の教えを学びました。モーセは旧約聖書の律法を象徴していますので、イエスは旧約聖書の神の教えをさらに深める、律法の中身を前進させるということをなさったのです。

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わたしは言う(2)
マタイ福音書5章38~48節

1.序論

みなさま、おはようございます。今朝は、前回に続いてマタイ福音書において主イエスが「モーセはこう語ったが、わたしはこう言う」というスタイルでのイエスの六つの教えのうち、後半の二つを学んでまいります。

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満ちあふれる神の恵み
マタイ福音書20章1節~16節

平井里永子

この度は、奨励の機会をいただき、心より感謝申し上げます。「奨励」という言葉の意味を調べたのですが、「ある行動や考え方を積極的にすすめること。つまり、「これをやるといいですよ」「ぜひやってみてください」と、他人に対して何かを勧めたり、励ましたりすること。 とありました。これを調べて正直ですね、あ~、お話をすると言わなければ良かったかな?なんて思ったんです。そんな事出来る立場ではないですからね。

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わたしは言う(1)
マタイ福音書5章21~37節

1.序論

みなさま、おはようございます。私たちはマタイ福音書に収録されているイエスの「山上の垂訓」を読み進めています。新約聖書全体の中でも、最も有名な箇所と言えるこの一連の教えにはとても有名な箇所が多いのですが、今日お読みした箇所もまさにそのようなところです。しかし、同時にこの箇所は最も誤解を招きやすい箇所だとも言えます。

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律法を成就する
マタイ福音書5章17~20節

1.序論

みなさま、おはようございます。今私たちは、マタイ福音書の「山上の垂訓」を学んでいます。そこには様々な教えがあり、私たちを驚かせるような教えや、胸を打つような教えもあれば、それをどう捉えればよいのか、悩んでしまうようなものもあります。今回の部分も、なかなかとらえどころがないような印象を受けるかもしれません。それは「律法」という大きなテーマを含んでいるからです。

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弟子の道
マタイ福音書5章11~16節

1.序論

みなさま、おはようございます。前回から、主イエスの教えの中でも最も有名な「山上の垂訓」に入りました。先週は八福の教えを学びましたが、これは神がイエスを通じてもたらそうとしておられる神の国、神の支配とはどんなものなのか、また神の国に生きる者はどのような人格を持つべきなのか、という内容でした。

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神の国のマニフェスト
マタイ福音書5章1~10節

1.序論

みなさま、おはようございます。今日の説教は、キリスト教においてもっとも有名な聖書箇所を取り上げます。キリスト教に関心を持って、聖書を読んでみようと考える人が最初に読むのがこの「山上の説教」の冒頭にある八福の教えであることが多いのではないでしょうか。この八福の教えはまさにキリスト教のエッセンス、精髄とも言えるものですが、初めて聞く人には驚きを与えるものだと思います。今日はその教えに耳を傾けて参りましょう。

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ガリラヤにて
マタイ福音書4章18~25節

1.序論

みなさま、おはようございます。相変わらず猛暑が続きますが、本日もマタイ福音書を読み進めて参りましょう。前回はイエスが天の御国、神の国が近いというメッセージを宣べ伝え始めた、というところを読みました。イエスのこのメッセージを聞いた一般のユダヤ人たちが考えたことは、神の支配が近いということはローマの支配の終わりが近い、ということでした。神は、ユダヤの地を不当に支配するローマの人々を追い払ってくださる、そうしてユダヤの地に神の支配が実現するだろう、というのが多くのユダヤ人が抱いていた希望でした。バプテスマのヨハネもそのような未来展望を持っていたものと思われます。

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神の国が近づいた
マタイ福音書4章12~17節

1.序論

みなさま、おはようございます。過ぐる週は終戦記念日でした。戦後80年の記念の年でもあります。私たち日本の国は、この80年間まがりなりにも戦争をせずに歩んでこられました。しかし、1945年より前の80年間は戦争に次ぐ戦争で、日本は何度か勝利を収めましたが最後は壊滅的な敗北で終わりました。これからの次の80年が平和な時代になるか、動乱の時代になるか、正に私たちは岐路に立たされています。

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