1.序論
みなさま、おはようございます。第一ペテロの連続説教を今年の2月から始めましたが、今回が最終回になります。さまざまなテーマが扱われている書簡でしたが、今日はその結びの箇所を読んで参ります。
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みなさま、おはようございます。第一ペテロの連続説教を今年の2月から始めましたが、今回が最終回になります。さまざまなテーマが扱われている書簡でしたが、今日はその結びの箇所を読んで参ります。
“へりくだりなさいみなさま、おはようございます。マタイ福音書の「山上の垂訓」を読み続けていますが、この山上の垂訓にはイエスの非常に有名で印象的な教えがたくさんあります。今日の箇所もまさにそのような箇所で、先日教会員の総意で当教会の来年の年間主題聖句にすることが決まった一節も含まれています。
“黄金律みなさま、おはようございます。私たちはイエスの教えをまとめた箇所である「山上の垂訓」を学び続けています。そこには大変有名な教えが数多く含まれていますが、今日のみことばも非常によく知られている、キリスト教のエッセンスとも言われる箇所です。そこには私たちの日々の生活に直接かかわること、私たちに安心安全を与えてくれるものは何なのか、という根本的な問いかけが含まれています。私たちに安心を与えてくれるのはお金なのか、神様なのか、という問いです。
“神に信頼するみなさま、おはようございます。私たちは主イエスの「山上の垂訓」を学んでいます。前回までは、六つの「モーセはこう言うが、わたしはこう言う」という一連の教えを学びました。モーセは旧約聖書の律法を象徴していますので、イエスは旧約聖書の神の教えをさらに深める、律法の中身を前進させるということをなさったのです。
“三つの宗教実践みなさま、おはようございます。今朝は、前回に続いてマタイ福音書において主イエスが「モーセはこう語ったが、わたしはこう言う」というスタイルでのイエスの六つの教えのうち、後半の二つを学んでまいります。
“わたしは言う(2)矢田洋子
教会が誕生したその時、人々はいろいろな他国の言葉で話し出したと、使徒言行録は報告しています。教会は「キリスト・イエスにおいて一つ」(ガラ3:28)であり、「みなが一致して、仲間割れすることなく、同じ心、同じ判断を」(Ⅰコリ1:10)と使徒パウロは強く呼びかけていますし、「一つのからだ…一つの御霊」(Ⅰコリ12:13)で、また、「主は一つ、信仰は一つ」(エフェ4:5)です。しかし、教会はその誕生の時、使徒言行録で、一人一人が多様な言語で語り出しているということを覚えたいと思うのです。明らかに思想統制や画一化では決してないことは、教会自身が忘れてはならない大切なことだと思います。
“多くの言語と真の一致平井里永子
この度は、奨励の機会をいただき、心より感謝申し上げます。「奨励」という言葉の意味を調べたのですが、「ある行動や考え方を積極的にすすめること。つまり、「これをやるといいですよ」「ぜひやってみてください」と、他人に対して何かを勧めたり、励ましたりすること。 とありました。これを調べて正直ですね、あ~、お話をすると言わなければ良かったかな?なんて思ったんです。そんな事出来る立場ではないですからね。
“満ちあふれる神の恵みみなさま、おはようございます。私たちはマタイ福音書に収録されているイエスの「山上の垂訓」を読み進めています。新約聖書全体の中でも、最も有名な箇所と言えるこの一連の教えにはとても有名な箇所が多いのですが、今日お読みした箇所もまさにそのようなところです。しかし、同時にこの箇所は最も誤解を招きやすい箇所だとも言えます。
“わたしは言う(1)みなさま、おはようございます。第一ペテロを毎月の月末に読み進めて参りましたが、今回の箇所は第一ペテロの中でもとりわけ重要で、しかも難しい箇所です。前回の説教でもお話ししたように、この書簡の著者であるペテロはキリストの来臨による世の終わり、そしてキリストによる最後の審判の日が近いという確信を抱いていました。今日は、そのキリストによる裁きがどのようなものかについて語っています。
“さばきは神の家からみなさま、おはようございます。今私たちは、マタイ福音書の「山上の垂訓」を学んでいます。そこには様々な教えがあり、私たちを驚かせるような教えや、胸を打つような教えもあれば、それをどう捉えればよいのか、悩んでしまうようなものもあります。今回の部分も、なかなかとらえどころがないような印象を受けるかもしれません。それは「律法」という大きなテーマを含んでいるからです。
“律法を成就する