1.序論
みなさま、おはようございます。私たちはサムエル記を読み進めて参りましたが、いよいよ物語は後半部分に入りました。といいますのも、今日のサムエル記下の9章からサムエル記の続編である列王記上の2章までは一つのまとまりになっているからです。それは一般的には「王位継承物語」と呼ばれています。今やイスラエルの王となったダビデの王座がその子ソロモンに受け継がれていくまでの過程を描いているのです。古今東西、王位をめぐる後継者争いは絶えないのですが、御多分に漏れず、ダビデ家の王位継承もすんなりとはいかず、数々のお家騒動を引き起こします。
その物語の中でダビデの人間的な弱さや醜さが赤裸々に描かれていくことになります。これまでのダビデの描写にはそうした負の部分があまりありませんでした。むしろダビデがいかに立派な人物で、王になるのにふさわしい人物か、ということが強調されてきました。しかし、これからはダビデの生々しい人間性が暴露されていきます。それは何よりも、バテ・シェバ事件によって明らかになっていくのですが、この大事件の前に置かれた今日の2章にも、ダビデの一筋縄ではいかない性格を垣間見ることができます。ダビデは決して、単なる「いい人」ではない、ということです。
今日の説教タイトルは「ダビデの誠意」となっています。誠意と訳した言葉のヘブライ語の原語は「ヘセド」です。前回の説教でも申し上げましたが、このヘセドという言葉は旧約聖書に二百回以上も登場する超重要ワードで、「恵み」や「慈しみ」、あるいは「愛」と訳される言葉です。神の恵みとは、すなわち神のヘセドなのです。このように、神に関して用いられることの多いヘセドですが、今日はダビデのヘセドについてのお話です。これをダビデの恵み、あるいはダビデの慈しみと訳すこともできますし、実際私たちが用いている聖書ではダビデが「恵みを施す」と訳していますが、私は「誠意を示す」の方がしっくりくると思うので、この説教タイトルにしました。
そもそもヘセドという言葉は契約に関することばです。契約とは何かといえば、それは約束よりも一層強固な関係を生み出すものであり、強固な関係とは私たちに馴染み深い例で言えば結婚や養子縁組がそれにあたります。契約とは血のつながっていない二人に血縁関係を作り出すものなのですが、この契約によって結ばれた両者の間で必要とされるのがヘセドなのです。契約によって結ばれた相手に対してどこまでも誠実であることがヘセドの本質です。神が私たち人間に対してどこまでも誠実であること、これが「神の恵み」の本質なのであり、「神は恵み深い」というのは「神は契約を結んだ相手に対して忠実な方である」ということを言い換えているのです。
そして今日の箇所ではダビデのヘセドがどのようなものだったかが示されています。つまり、ダビデが自らの結んだ契約に対してどのような態度を取っていたか、どのような意味で誠実だったのかということが分かるのがこの二章なのです。ここでは、ダビデがある二人の人物と結んだ契約に対してどう行動したのかが書かれています。一人はサウル王の息子で、ダビデと刎頸の契りをヨナタンです。ヨナタンは、サウル王に命を狙われていたダビデを助ける時に彼と契約を結びました。三国志で劉備玄徳と関羽、張飛の三人が義兄弟の契りを交わしたことは有名ですが、ダビデとヨナタンの関係もそのようなものです。その際に、ヨナタンはダビデに次のように願いました。第一サムエル記20章14節と15節をお読みします。
もし、私が生きながらえておれば、主の恵みを私に施してください。たとい、私が死ぬようなことがあっても、あなたの恵みをとこしえに私の家から断たないでください。主がダビデの敵を地の面からひとり残らず断ち滅ぼすときも。
ヨナタンは、父サウルとダビデとの争いの最終的な勝者はダビデになるだろうということを見抜いていました。したがって、ダビデが最終的な勝者になったときに自分に対して、また自分の家族に対して恵み、つまりヘセドを示して欲しいと願ったのです。
そしてダビデのヘセドはもう一人の人物に向けられています。それはアモン人の王ナハシュの子ハヌンです。10章と1節と2節には次のように書かれています。
この後、アモン人の王が死に、その子ハヌンが代わって王となった。ダビデは、「ナハシュの子ハヌンに真実を尽くそう。彼の父が私に真実を尽くしてくれたように」と考えた。
ここでは「真実を尽くす」、となっていますが、この「真実」のヘブライ語の原語も「ヘセド」です。このように新改訳第三版は同じ「ヘセド」という言葉を恵みと訳したり真実と訳したりしているので分かりづらくなってしまうのですが、どちらも同じことを言っているのです。ダビデは、イスラエルの王子ヨナタンやアモン人の王ナハシュが自分に対してヘセドを示してくれたので、返礼として自分も彼らの子どもや子孫にヘセドを示そうと考えたということです。この点を踏まえたうえで、9章と10章をそれぞれ見ていきましょう。
2.本論
さて、王としての地位を盤石なものとしたダビデはサウル家の生き残りを探すことにします。ここで注意したいのは、もうダビデにとってサウル家は脅威ではなくなっているということです。サウルが死んだ直後はサウル家はまだ大きな力を持っていましたが、この時にはサウル家は滅んだも同然でした。豊臣秀吉が死んだ後も、徳川家康は豊臣家の力を恐れていましたが、大坂冬の陣、夏の陣の戦いで豊臣秀頼を滅ぼした後には豊臣家の脅威は消え去りました。当時のダビデもそのような状況でした。というのも、ヨナタンを含むサウルの息子たちはサウルと共に戦場で死んでしまいましたし、生き残って二代目の王となったイシュ・ボシェテもダビデに寝返ろうとしたサウル家の家臣によって殺害されていたからです。サウル家はもう滅んだも同然でした。そんな時にダビデは、亡き親友のヨナタンとの契約を思い出しました。ヨナタンに、サウル家を滅ぼさないでくれと頼まれていたことを思い出したのです。
ただ、だからといってダビデがヨナタンとの契約に忠実だったと言ってよいのかどうか、疑問が残るところです。というのも、これまでのダビデの行動を振り返ると彼はサウル家の存続のために誠実に行動したとはいえないからです。サウル家の最後の王であるイシュ・ボシェテを殺したのはダビデではありません。彼は部下の裏切りによって殺されました。しかしそれは、ダビデが彼の家臣であるアブネルと密約を結んで、サウル家の実質的な王権をダビデ家に移譲してしまったからでした。そのために、部下たちはイシュ・ボシェテの天下は終わりだと、彼を見限ったのです。その意味では、イシュ・ボシェテはダビデが殺したも同然です。こうしてサウル家が自分にとって脅威がなくなって初めて、ダビデはヨナタンとの約束を思い出したわけです。譬えて言うならば、大坂夏の陣で豊臣家を滅亡させた後に、家康が豊臣家の生き残りを探して温情を示そうとするようなものです。そう考えると、ダビデは無二の親友だったヨナタンとの友情よりも、自らの王朝を盤石にすることを優先したと言えるでしょう。別にダビデが冷酷な人だったといいたいわけではありません。一国の主になるというのは、こういうことなのかもしれません。ダビデにとって何よりも重要だったのは自らの王権の維持だったのです。
そして、見つけだしたサウル家の生き残りは、こういう言い方は不快なものであることを断ったうえで申し上げると、ダビデにとってはとても都合の良い人物でした。つまり、野心に溢れて隙あらばサウル家の再興を成し遂げようと虎視眈々と狙っている油断のならない人物ではなく、むしろ人畜無害で保護してやらなければならない人物が見つかったからです。それはメフィボシェテという人物でした。ダビデとその王座にとって、脅威とならない人物だったということです。彼は以前に、一度だけサムエル記に登場したことがあります。そこをお読みします。第二サムエル記4章4節です。
さて、サウルの子ヨナタンに、足の不自由な子がひとりいた。その子は、サウルとヨナタンの悲報がイズレエルからもたらされたとき五歳であった。うばがこの子を抱いて逃げるとき、あまり急いで逃げたので、この子を落とし、そのために足のなえた者になった。この子の名はメフィボシェテといった。
サウルが死んだ時5歳だったということは、それから十年近くの歳月が流れているのでダビデに呼ばれた時は十代半ばだったと思われます。彼は体が不自由だったこともあり、サウル家とダビデ家との戦いに巻き込まれないようにと人目に付かないところで隠れるようにひっそりと暮らしていました。それが突然王であるダビデから呼び出されて、恐怖しか感じなかったものと思われます。
彼とて、先代のイスラエルの王の孫であり、勇者ヨナタンの忘れ形見なのですから、ダビデの前に出ても堂々としていてもよいようなものですが、メフィボシェテはそのような強い性格の人物ではなく、むしろ気弱な人でした。ダビデの前に真っ青な顔をして現れ、その前にひれ伏しました。かつての王家の者とは思えないほど哀れで痛々しい姿です。ダビデもそれを見て安心したのでしょう。この男は自分にとって危険な人間にはなりそうもない、と。そこで、「恐れることはない」と声をかけます。しかし、メフィボシェテからすれば恐れて当然です。彼のせいで、一族のほとんどの者は亡き者となってしまったのですから!
ダビデはこの哀れな少年に、望外な「恵み」を施すことにしました。サウル家が滅んでしまったために、王の所有していた膨大な地所はダビデの管理するものとなっていましたが、その地所をメフィボシェテに返してやろうというのです。これは極めて寛大な申し出でした。今や没落王族として、無一文に近い状態だったメフィボシェテにとっては信じられない話だったでしょう。
しかし、ダビデは注意深くこう付け加えました。「あなたはいつでも私の食卓で食事をしてよい。」これは許可を与えるような言い方ですが、実質的には「あなたは毎日私の食卓に来なさい」と言っているのと同じです。王の誘いを断るようなまねは、弱い立場のメフィボシェテにはとてもできなかったでしょうから。つまり、サウル王家の最後の生き残りであるメフィボシェテは今後常にダビデの監督下で暮らすことになるということです。一種の籠の鳥です。また、ダビデは体の不自由なメフィボシェテを食卓に招くことを国中に宣伝することで、自らのイメージアップを図ることができます。今でも政治家が、自分の寛大さをアピールするために困った人たちと面会したり食事をしたりして、それをマスコミに盛んに宣伝させてイメージアップを図るというようなことがありますが、それと似ています。このメフィボシェテについての章の最後の言葉が「彼は両足がなえていた」であるのは何やら暗示的です。それは、彼がダビデの脅威とはならない人物であるのを強調するものだからです。ここまで、ダビデについてかなり辛辣な言い方をしました。このような評価はおかしいと思われるかもしれません。聖者ダビデのイメージからすると、こうした見方はあまりにうがったものではないか、ということです。しかし、ダビデのヘセド、恵みは実際はかなり打算的だったということは、次のハヌンとのエピソードからも分かる気がします。
それでは次の10章にいきましょう。ダビデは、アモン人の王であったナハシュが自分にヘセドを示した、恵みを施してくれたと言います。つまりダビデとアモン人の王ナハシュとの間には何らかの契約があったことが仄めかされています。しかし、このアモン人の王ナハシュとはとんでもない人物です。ナハシュとは「蛇」という意味ですが、名は人を表すという諺通り、彼は蛇のような人物でした。第一サムエル記11章1章から3節までをお読みします。
その後、アモン人ナハシュが上って来て、ヤベシュ・ギルアテに対して陣を敷いた。ヤベシュの人々はみな、ナハシュに言った。「私たちと契約を結んでください。そうすれば、私たちはあなたに仕えましょう。そこでアモン人ナハシュは彼らに言った。「次の条件で契約を結ぼう。おまえたちみなの者の右の目をえぐり取ることだ。それをもって全イスラエルにそしりを負わせよう。」
と、このようにイスラエルにとんでもない条件をふっかけた王です。幸い、その時はサウル王が大活躍してアモン人を撃退してくれたので、イスラエルはこの狂った王に仕えずに済んだのですが、この冷酷非情な人物がダビデに対してヘセド、つまり恵みを施していたというのです。いったいどのような恵みをナハシュがダビデに与えたのか、詳しいことは書かれていません。しかし、おそらくはナハシュは自分を打ち負かしたサウルを深く恨んでおり、そしてサウルとダビデが敵対していた時に、敵の敵は味方ということで、ダビデに肩入れしたのではないでしょうか。ですからナハシュとダビデの間の契約は、深い信頼関係に基づくというよりも、非常に打算的なものだったと思われます。ダビデはサウル王と敵対していたときに、イスラエルの宿敵であるペリシテ人の傭兵隊長になったような人ですから、残忍なナハシュと同盟を結んでも不思議ではなかったのかもしれません。
そのナハシュが死に、ダビデは彼の子であるハヌンに弔意を表すために使者を送ります。ダビデとしては、ハヌンとも同盟関係を維持したいと考えていたようです。しかし、ハヌンや彼の部下たちはダビデの行動を額面通りには受け取りませんでした。というのも、先の8章で学んだようにイスラエルの王となった後のダビデは帝国的とでも言える行動を取っており、近隣諸国に次々と侵攻して彼らを征服・隷属させていたからです。アモン人も、次は自分たちのところにダビデの軍勢が攻めて来るのではないかと警戒していました。ですからダビデの使者も敵情視察のためのスパイではないかと疑ってかかったのです。そこで、ダビデに対して我々はお前に決して膝をかがめないぞ、というメッセージを送ることにしました。使者のひげを剃り落とし、彼の服を切っておしりが露になるようにしました。ひげを切り落とすというのは中近文化では最低の侮辱を示す行為です。ハヌンはダビデの使者を徹底的に侮辱したのです。ダビデも使者たちがどれほど恥ずかしい思いをしたのかがよく分かっていました。ですからひげを切り落とされた使者たちに対し、ひげが再び伸びるまで帰国しなくてもよいという処置を取りました。そして、このように公然と侮辱された以上、アモン人に対して断固たる態度で臨まなければならなくなりました。もうアモン人との契約は破棄されたのです。
アモン人の側も、ダビデとの対決を決意していたので、アラム人の傭兵を大量に雇って戦いに備えます。相当な戦力でイスラエルとの戦いに打ち勝とうとしたのです。
アモン人が戦の準備をしていると聞いたダビデは行動を起こします。しかしそれは、あのヨアブを遣わすことでした。ヨアブについては、独断でサウル家の武将であるアブネルを殺害した件があり、ダビデはアブネルに怒って「主が、悪を行う者には、その悪にしたがって報いてくださるように」と呪いのようなことばを発しました。けれども、この言葉はおそらくは対外的なジェスチャーでした。アブネル殺害に自分は責任はないと言いたかったのです。その証拠に、ダビデはヨアブを処罰するどころか、それからもますます彼に頼るようになります。もはやダビデはヨアブなしにはやっていけなくなってしまいました。これまで面倒な汚れ役はすべてヨアブに任せてきたので、ダビデはとうとう、王としての最も重要な責務である敵との戦いまでヨアブに丸投げするようになりました。そして、次回見ていくように、ヨアブを厄介な敵と戦わせて自分は王宮で遊んでいたダビデが、あのバテ・シェバ事件を起こしてしまうのです。ここから分かるのは、ダビデはすでに相当堕落した王になってしまっていたということです。
3.結論
まとめになります。今日はダビデ王のヘセド、恵みとか真実とか誠意と訳される言葉ですが、ダビデのヘセドが如何なるものかを見て参りました。しかしダビデの誠意は、実際には誠意と呼べるような代物ではないのではないか、とさえ思えるものでした。そもそもダビデがナハシュのようないかがわしい人物と契約を結んでいたこと自体が大きな驚きでした。また、ダビデは一見ヨナタンとの契約を果たしたように見えますが、それは自分の権力に何の脅威をもたらさないという条件の下でのヘセドでした。ダビデの契約に対する態度を注意深く見ていくと、バテ・シェバ事件以降の彼の見苦しい行動にもそれほど驚く必要もなくなる気さえします。
このように、サムエル記は聖者や英雄の話というよりも、非常に利己的な人物についての話であることが明らかになっていきます。そして、この赤裸々さこそこのサムエル記という文学、また聖書の偉大さを示すものなのです。サムエル記はダビデ王の正統性を喧伝するためのプロパガンダ記事ではありません。むしろ、神の前に人間がどれほど醜く利己的であるのか、人間が抱える罪の問題の根深さを包み隠さず伝えているのです。ダビデのような有名な人でさえ、実際の姿はこのようなものだったのかという驚きを覚えます。しかし、ダビデも初めからこうだったわけではありません。サムエル記上で見てきたように、ダビデにも誠実さに溢れた時期があったのです。しかし、一旦権力の魔力を味わってしまうと、人間は変わってしまうのです。ダビデはその典型だと言えるでしょう。
新約聖書では、苦難を経験することは良いことなのだ、という一見私たちの常識に反するような教えが繰り返し述べられています。ダビデが栄達を極めた結果堕落していく姿を見るならば、最後まで貧しく、人としての栄達を求めなかったイエスの歩みがますます際立ってきます。イエスは最期まで人に仕える人生を送り、その結果として彼は全世界の主にまで高められました。晩年を汚したダビデとはまさに対照的です。私たちはダビデのようにではなく、イエスのように歩むようにと招かれているのです。そのことを常に忘れないようにしながら、これからもダビデの今度の生きざまを見て参りましょう。お祈りします。
貧しい者の一人として地上の生涯を全うされたイエス・キリストの父なる神様、そのお名前を賛美します。私たちはこれからダビデの暗い面を見て参りますが、そこから信仰者として必要なことを学び取ることができるように、知恵をお与えください。われらの平和の主イエス・キリストの聖名によって祈ります。アーメン