サウル王への哀歌
第二サムエル1章1~27節

1.序論

みなさま、おはようございます。33回に及ぶサムエル記上の講解説教が終わり、今日からいよいよ後半、サムエル記の下に入ります。サムエルの下は、苦難の末に、ついにダビデが王となってイスラエルを率いていく時代を描いています。ダビデの時代というのは多くのユダヤ人にとって郷愁すら覚える黄金時代です。ダビデの時代に、イスラエル人は聖地エルサレムを獲得します。そして周辺諸国を従えて、弱小民族だったイスラエルは一躍強国の地位を得ます。ダビデの時代、イスラエルは最も大きな版図を獲得したのです。しかし、そのような黄金時代を描いているにしては、サムエル記の下は暗い話が多いのです。前半はまだよいのですが、中盤以降、特にダビデが王の権限を乱用して不倫と殺人という大きな罪を犯してからは、サムエル記のトーンはものすごく暗くなります。ダビデの家は坂道を転げ落ちるように転落、崩壊していきます。私は今からこうした箇所の説教の事を考えると頭が痛くなるほどです。

とはいえ、サムエル記の下の前半部分はダビデの良い面に光が当てられ、まさにサクセスストーリーという感じです。今日の箇所もサウル王の死という衝撃的な知らせを受けた際のダビデの思慮深い行動が描かれています。ダビデはいくら敵対していたからといって、自国の敗戦や王の死を喜ぶような卑しい態度は見せませんでした。むしろダビデはサウル王に真摯な心で哀悼の意を表し、盟友ヨナタンの死については非常に深く悲しんでいます。もちろん、ダビデも今や王の位を目指す立場ですから、周囲の目を気にして適切に振舞ったという面もあるでしょうが、それでも彼が心からサウルとヨナタンの死を悲しんでいたということも伝わってきます。ダビデはその思いを行動と哀歌、つまりエレジーで表しました。このように、サムエル記下の第一章は、ダビデの良い面に光を当てた章です。そこをじっくりと読んで参りましょう。

2.本論

さて、前回はサウル王の戦場での壮絶な死を見てきましたが、今日は舞台が変わり、ダビデについての話になります。ダビデはサウル率いるイスラエル軍とペリシテ軍との戦いに、あやうくペリシテ側に傭兵として加わりそうになったダビデですが、そのような最悪の展開にはならずに済みました。これは本当にダビデにとって幸運なことでした。万が一サウル王が命を落とした戦においてダビデがペリシテ側の陣営にいたとなると、たとえダビデとサウルが戦場で直接相まみえることがなかったとしても、ダビデはイスラエルの裏切り者であるという烙印を押されてしまったことでしょう。ともかくも、ダビデはこの戦いの最中は自分の領地であるツィケラグに留まっていることができました。そのダビデのところに、ペリシテ軍とイスラエル軍との戦いの結果を伝える者がやってきました。

この男は戦場から命からがら逃げ延びたといういでたちで、服は裂け、頭には土ぼこりをかぶっていました。そしてダビデに最悪の知らせを伝えました。イスラエルは敗北し、王のサウルも王子のヨナタンも戦死したという内容でした。ダビデはその若者に、どうやって王の死を知ったのかを尋ねます。そこで若者がそれに対して答えるのですが、その内容が前回のサムエル記上31章の記述の内容と一致しているかどうかがまず気になるところです。

というのも、この若者の証言と、先の記述とが微妙に食い違っているからです。先の31章では、サウルは自ら剣の上にうつぶせに倒れて絶命したことになっていますが、この若者によるとサウルは重傷だが死んでいなかったのでこの若者がサウルに介添えを頼まれて殺したということだからです。この若者がウソの報告をした可能性もありますが、しかしこの若者の証言と31章の記述に矛盾はないのかもしれません。というのも、サウルは自ら剣の上に倒れて死のうとしたけれど死にきれず、道具持ちの若者はサウルを追って自害してしまったので、そこで近くにいた見知らぬこの青年に介添えを頼んだという可能性があるからです。いずれにせよ、サウルから頼まれた若者はサウルを殺しました。ここまでの彼の行動は許容できるとしても、問題はこの若者がとった次の行動でした。何と彼は、死んだサウルの頭から王冠を取り、また腕からこれも王位を表す腕輪を取りました。そしてこれをダビデに献上しようとしたのです。この若者、彼はイスラエル人ではなく、イスラエルの不倶戴天の敵とされるアマレク出身の若者でしたが、その彼はこうすればダビデが喜び、恩賞をもらえるものと期待していたのでしょう。確かに、王位を表す印は大事なものです。かつて源平合戦において平家を滅ぼした源義経は、帝位を表す三種の神器を平家から奪い返すことができずに、兄頼朝の不興を買ったことがありました。平家討伐という功績がかすむほど、三種の神器を得るというのは義経にとって重要なミッションだったのです。ダビデもこの王冠と腕輪があれば王だと名乗ることができるはずだ、だからこれらを献上すればダビデは大喜びするに違いない、とこのように考えてこのアマレクの若者はこれらの品々をダビデに差し出したのでした。

しかし、このようなことはダビデからすれば有難迷惑な話でした。私はダビデについては結構批判的なことを言っていますが、ダビデの偉かったところは、王の位を決してクーデター、つまり謀反の形で簒奪しようとはしなかったことでした。このことは非常に重要なことでした。というのも、時代が下るとダビデの王朝は南北朝に分裂するのですが、南朝はずっとダビデ王家が王位を継いだのに対し、北朝はその比較的短い歴史の中で何と10の王朝が乱立し、そして20人の王のうち、なんと7人までが前の王を殺して王位に就いたのです。クーデター、謀反の連続です。因果は巡るといいますか、クーデターによって生まれた政権はクーデターによって倒れます。王を殺して王になった人物は、王になろうとする他の人物によって殺されます。北イスラエル王国の歴史はまさにこのような負の連鎖の典型ですが、ダビデはそのような罠に陥らないように、決して先王のサウルに手をかけようとはしませんでした。これは非常に賢明な判断でした。実際、ダビデ王朝ではその歴史を通じて一度もクーデターが起きませんでした。

このように、クーデターではなく、誰もが認める方法で王になるというのがダビデの固い決意でした。ダビデは自分が神によって選ばれているのを知っているので、無理やりクーデターで政権を奪わずとも、必ず自分に王座がめぐってくることを確信していました。この意味では確かにダビデは信仰の人でした。そのダビデからすれば、まるで火事場泥棒のような形でサウルから王位の象徴を奪ってくることは、自分にサウルから王位を奪う野心があったということを内外に宣伝してしまうようなものです。そんなことは断じて受け入れられませんでした。このような政治的な意図もあり、またこの若者がアマレク人だということも気に障ったのかもしれません、ダビデはこの若者をサウル殺しの罪で、即決で死刑に処します。この若者の話が本当だとするならば、彼はサウルに頼まれてとどめをさしただけなので、そのせいで死罪というのは何とも気の毒な気がします。しかしそのサウルから勝手に王の象徴の品々を奪ったことは許されることではありませんし、ダビデに取り入ろうという下心があったのも間違いないでしょう。死罪が適当かどうかは別にして、この若者を無実だというわけにはいかなかったのでしょう。ともかくも、ダビデはこの行動を通じて、自分は決してサウル王に対して邪念を抱かなかったということを内外に鮮明に示したのです。そしてこの行動は、ダビデの部下たちに非常に深い印象を残したものと思われます。ダビデは単純な人物ではない、ご機嫌を取ろうとして余計なことをすると、命まで失いかねない、そういう緊張感をもたらしたことでしょう。

このように、このアマレク人の若者を処刑した後、ダビデはサウルと盟友ヨナタンの死を悼んで哀歌を詠みます。ダビデはこの歌は「ヤシャルの書」という書に残されているとされています。このヤシャルの書というのは今では失われてしまった書ですが、日本の万葉集や古今和歌集のようにイスラエルの歌を記録した書だと思われます。この歌集が旧約聖書の文書作成の際に資料として使われたのです。その内容は、これまでのサウルとダビデの確執のことは一切触れずに、ひたすらサウルとその子ヨナタンの勇気と功績を称える内容のものでした。ダビデ自身は、サウルについては神の裁きを受けることを確信していました。かつてサウルの命を奪える機会があったときに、サウルを殺してしまいましょう、とはやる部下たちを抑えて、ダビデはこう言っています。

主は生きておられる。主は、必ず彼(サウル)を打たれる。彼はその生涯の終わりに死ぬか、戦いに下ったときに滅ぼされるかだ。(第一サムエル26:10)

と、このようにサウルの戦場での破滅を予言しています。ですから、今回サウルが戦場で死んだことはダビデには驚きではなかったかもしれません。主はサウルに裁きを下すだろうと確信していたからです。同時にダビデはサウルの追及を恐れ、サウルの手が届かないところということで、イスラエルの宿敵たるペリシテ人の傭兵となるということまでしています。ダビデが自分の命を狙うサウルに対して複雑な感情を抱いていたのは間違いありません。しかし、この哀歌においてはそうした個人的な感情は押さえて、国父としてのサウルの業績を讃える内容にしています。ここにダビデの政治的判断の適切さを見ます。政治家というのは国民全体に奉仕すべき存在であって、個人的な怨恨で動くような人は国のリーダーとしてはふさわしくないからです。

では、この哀歌の内容を見て行きましょう。サウルとヨナタンは勇士と呼ばれ、この歌の中でも「ああ、勇士たちは倒れた!」というフレーズが19節、25節、27節に三度も繰り返されます。ダビデはサウルとヨナタンのことを「イスラエルの誉れ」と呼んで賞賛します。そして、この哀歌はダビデが一年半身を寄せたペリシテ人に対する決別の歌でもありました。サウルたちの死をペリシテ人に告げ知らせてはいけない。割礼のない者の娘たちを喜ばせないためだ、となっています。「割礼のない者たち」というのはイスラエル人が異邦人をさして呼ぶ一種の蔑称ですから、ここでダビデははっきりとペリシテ人に対する敵対的な態度を示しています。自分にとっての脅威だったサウル亡き後、ダビデにはもはやペリシテの地に留まる理由がありませんでした。むしろ一刻も早くペリシテ領内から立ち去り、イスラエル再建の中心とならなければならない、というダビデの決意が伝わってきます。

ダビデはヨナタンとサウルの武勇を称えます。そして印象的なのは、サウルとヨナタンが生きる時も死ぬ時も離れることがなかった、と歌っていることです。たしかにダビデの処遇を巡ってサウルとヨナタンは激しく対立しますが、サウルがダビデの命を狙った理由の少なくとも半分は、わが子ヨナタンのライバルになるダビデを排除してヨナタンの王位を確実にするためでした。ヨナタンからすれば有難迷惑な話なのですが、サウルのわが子ヨナタンへの愛と信頼は本物でしたし、ヨナタンもそのことは十分わかっていたことでしょう。この二人は基本的には仲の良い親子だったのです。このことは、実はサムエル記の中では例外的なことでした。というのも、サムエル記の中の主要な登場人物である祭司エリ、預言者サムエル、そしてダビデは、みな親子関係で躓いているからです。サムエルは完璧な預言者のように描かれていますが、彼は子育てに失敗し、彼の二人の息子があまりにもやくざだったので、イスラエルの長老たちは彼らに代わる王を求めた、ということがありました。ダビデが父親失格であったことは、サムエル記の下がこれでもか、というほどに詳しく描いています。それに比べると、サウルとヨナタンとの関係は最後まで良好で、彼らが同じ戦場で共に死んだことはその関係の深さを示しています。ダビデも、

サウルも、ヨナタンも、愛される、りっぱな人だった。生きているときも、死ぬときにも離れることなく、鷲よりも早く、雄獅子よりも強かった。

とこの二人の関係を表しています。

ダビデはイスラエルの娘たちに、彼女たちに繫栄をもたらしてくれたサウル王のために泣きなさい、と呼びかけます。そして最後に、彼自身の無二の親友、刎頚の友であったヨナタンのために嘆き悲しみます。この歌の中で、初めて「私は悲しむ」という一人称が現れます。ここでダビデは国を代表する詩人としてではなく、一人の人間として大切な友の死を悼んでいます。ヨナタンはダビデに勝るとも劣らない勇士であり、さらには信仰の人でした。強大なペリシテ軍を相手に、たった二人で挑んだことがありましたが、それは蛮勇ではなく信仰から出た行動でした。さらには第一王子という立場にありながら、自分よりも無名のダビデを王にふさわしい器として認め、体を張って彼の命を守ってくれました。このヨナタンという人物の存在がダビデをどれほど勇気づけ、慰めたのかは想像すらできません。ダビデは多くの女性を愛し、女性によって身を滅ぼしたといってもよい人物ですが、男性との間でこれほど深い友情と尊敬を交わし合ったのはヨナタンが最初で最後だったでしょう。だからこそ、ヨナタンの死はダビデにとっては身を切られるほど辛い知らせでした。

私の兄弟ヨナタンよ。あなたは私を大いに喜ばせ、あなたの私への愛は、女の愛にもまさって、すばらしかった。

というのは彼の偽らざる気持ちだったでしょう。ダビデはこの哀歌を、「ああ、勇士たちは倒れた。戦いの器はうせた」という言葉で締めくくっています。ここでの勇士たちとはサウルとヨナタンだけではなく、彼らと共に勇敢に戦い、散っていった名もなき兵士たちのことも含んでいたのでしょう。ダビデは国全体の嘆きをここで言い現わしたのです。

3.結論

まとめになります。今日はダビデがサウル王の訃報を聞いてどのように行動したのか、またサウルとヨナタンの死を悼んで詠んだ哀歌について見て参りました。ダビデは徹頭徹尾、サウルに対して邪な心を抱きませんでした。自分の王位継承の邪魔者と見なして排除しようとしなかったことを、彼のサウルの死を聞いた時の行動は雄弁に物語っています。この行動は、彼の子孫たち、ユダ王朝の王族の人たちには重要な家訓となりました。北イスラエル王国の場合とは違い、ダビデの家が治めた南ユダ王国で一度もクーデターが起きなかったのは、王朝の創立者であるダビデが優れた模範を示したからでしょう。私たちも、自分の人生において「あの人より自分の方が優れている。自分の方があの地位にふさわしい」と思うことがあるかもしれません。そしてそれが単なるうぬぼれではなく、客観的な事実である場合もあるでしょう。しかし、そんな時でも私たちはダビデのように待つこと、神が定められた時を待つことを学ぶ必要があります。自分の力で無理に現状を変えようとすると、その同じ行動が自分に返ってきてしまうということを知るべきです。

また、ダビデがサウルとヨナタンのために詠んだ哀歌は素晴らしいものでした。私たちは忙しい社会の中に生きていますが、時に立ち止まって、自分たちのために大きな働きをしてくれた人々のことを思い返し、その思いを言葉にして表すことが大切であることを思わされます。私たちの教会も、先人たちの大きな献身と努力の結晶として今の姿があるのです。私たちが当然のように使っているこの礼拝堂も、先輩方の多くの献身と努力のお陰なのです。そのことを覚えて、私たちも特に「召天者記念礼拝」を大切にしたいと思います。お祈りします。

サウル、ヨナタンの神であるイスラエルの神よ、そのお名前を賛美します。彼らがイスラエルのためにその身を投げ出し、大きな働きをしたことをダビデが忘れなかったように、私たちもまたこの教会のために献身し、大きな働きをしてくださった人たちのことを覚えます。私たちもまた、彼らの忠実な歩みに倣うことができますように。この教会を御国の建設のために尊くお用い下さい。我らの救い主イエス・キリストの聖名によって祈ります。アーメン

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