この方はキリストだ
ヨハネ福音書7:40-52
守屋彰夫牧師

主題 <神からの真理

ヨハネによる福音書7章は、「仮庵の祭り」が近づいている時期(2節)にイエスはガリラヤを巡っておられた。「仮庵の祭り」は、ユダヤ暦の三大祭りの一つです。すべての収穫の刈り入れが済んだ秋に祝われました。祭りの1週間、木の枝で造った小屋に宿り、先祖が荒野を放浪中、神が幕屋に宿って彼らを守られたことへの感謝を新たにするお祭りです。

レビ 23:34 「イスラエルの子らに告げよ。この第七の月(ティシリ・9月から10月)の十五日には、七日間にわたる主の仮庵の祭りが始まる(この第七の月は太陰暦に基づくユダヤ暦です。この月から新年が始まります。2024年は10月3日がユダヤ暦5785年の始まりで、仮庵祭は10月17日からです)。

レビ23:5 第一月(ニサンの月)の十四日には、夕暮れに過越のいけにえを主にささげる。6 この月の十五日は、主の、種を入れないパンの祭りである。七日間、あなたがたは種を入れないパンを食べなければならない。

 出34:22 小麦の刈り入れの初穂のために七週の祭りを、年の変わり目に収穫祭を、行なわなければならない。

 民28:26 初穂の日、すなわち七週の祭りに新しい穀物のささげ物を主にささげるとき、あなたがたは聖なる会合を開かなければならない。どんな労役の仕事もしてはならない。

これらの三大祝日には、「あなたのうちの男子はみな、年に三度、種を入れないパンの祭り、七週の祭り、仮庵の祭りのときに、あなたの神、主の選ぶ場所で、御前に出なければならない。主の前には、何も持たずに出てはならない。」(申16:16)とあるように、神殿のあるエルサレムに詣でることになっていた。イエスは兄弟たちの勧めにもかかわらず、最初は行かないつもりでした。

ヨハネ7:8 あなたがたは祭りに上って行きなさい。わたしはこの祭りには行きません。わたしの時がまだ満ちていないからです。7:9 こう言って、イエスはガリラヤにとどまられた。しかし、思い直して、後からこっそりと出かけた。

7:10 しかし、兄弟たちが祭りに上ったとき、イエスご自身も、公にではなく、いわば内密に上って行かれた。

しかし、後から思い直してエルサレムに出かけたのです。ですから、イエスは今、エルサレムにいます。そして、イエスの言動に対する反発が、パリサイ人や祭司長から起こり、彼らはイエスを捕えようとして役人たちを遣わしました。緊張が高まった時に、イエスは次のような印象深い言葉を大声で言われたのです。

 7:37 さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。38 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」39 これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。

今日の聖書箇所は、この言葉を聞いた人々が、イエスはいったい誰なのか、という議論を始める場面です。皆さんは、

「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。38 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」(参照:4:13‐14。13 イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。14 しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」サマリアのヤコブの井戸

という象徴的な、謎めいた言葉をどのように理解したでしょうか。「聖書が言っているとおりに」とありますから、旧約聖書に基づく当時のユダヤ人の慣習や慣行を前提にしています。これは荒野放浪中に、水がなくて渇きに苦しんだ人々がモーセとアロンに逆らった出来事と関係しています(民20:2‐13)。神の命令に従って「モーセは手を上げ、彼の杖で岩を二度打った。すると、たくさんの水がわき出たので、会衆もその家畜も飲んだ」(民20:11)という神の救済の故事を想起するために、仮庵の祭りの時、シロアムの池から黄金の水差しに水を汲んできて神殿に運んだのです。(ギホンの泉から地下トンネルでシロアムの池まで水を通した出来事は代下32:30「このヒゼキヤこそ、ギホンの上流の水の源をふさいで、これをダビデの町の西側に向けて、まっすぐに流した人である。」)「黄金の水差し」に入れられて運ばれた水は多分、儀礼や儀式に用いられたでしょう。せいぜい、偉いお坊さんたちが口にできただけだったでしょう。実際に喉の渇きを癒すものではありません。ですから、ひょっとしたら、この儀礼にもイエスの批判の目が向けられていたかもしれません。私たちの心の渇き、悩み苦しみ、また、生きていく中での様々な困難は儀礼によって解決できるものではないのです。誰がその悩みや苦しみを取り除いてくれるでしょうか。イエスは「わたしを信じる者は、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」のです、あるいは、聖霊によって満たされるようになるのですと語られました。

ヨエル書2章28‐29節には、28 その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。  29 その日、わたしは、しもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。」更に、エゼキエル書39章29節にも「 わたしは二度とわたしの顔を彼らから隠さず、わたしの霊をイスラエルの家の上に注ぐ。これらの預言は「主の日」、すなわち、救い主・キリスト・メシアが来られる時の様子を預言したものです。イエスが「聖書が言っているとおりに」と語られたのはこれらの預言者の言葉を念頭に置いていたのだと思います。イエスはこのように、本当の救いがどこにあるかを大声で宣言されたのです。但し、この段階では、あくまでも暗示的です。まだ、誰にも本当の意味は分かりません。けれども、イエスが誰であるのか、あったのかが解るのは、イエスの死と復活を待たなければなりません。こんなこと言えるイエスとはいったい誰なのか、というのが今日の聖書箇所です。

40‐42節 40 このことばを聞いて、群衆のうちのある者は、「あの方は、確かにあの預言者なのだ」と言い、41 またある者は、「この方はキリストだ」と言った。またある者は言った。「まさか、キリストはガリラヤからは出ないだろう。42 キリストはダビデの子孫から、またダビデがいたベツレヘムの村から出る、と聖書が言っているではないか。」

最初の2つは肯定的です。「あの預言」は旧約聖書の最後のマラキ書4章5‐6節に書かれている預言者エリヤを指しています。

5 見よ。わたしは、主の大いなる恐ろしい日が来る前に、預言者エリヤをあ なたがたに遣わす。6 彼は、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる。それは、わたしが来て、のろいでこの地を打ち滅ぼさないためだ。

「主の大いなる恐ろしい日」と訳されている表現は「大いなる恐るべき主の日」とした方が分かりやすいのですが、「主の日」が来る、というのは、最後の審判の日が来ることです。しかし、それは突然ではなく、「大いなる恐るべき」ことが起こる前に、神様は預言者エリヤを遣わして、警告を発して、この地が滅ぼされないようにするという約束なのです。イエスはその約束を果たすために来た方なのだとこの発言をした人は考えたのです。

「この方はキリストだ」(41節)は、イエスがまさに「救い主」その方だ、という文字通りの信仰告白です。新共同訳はこの発言を「この人はメシアだ」と訳しています。キリストとメシアは同じなのでしょうか。

ヨハネ1:41「私たちはメシヤ(訳して言えば、キリスト)に会った。」

同新共同訳「わたしたちはメシア――『油を注がれた者』という意味――に出会った」

ヨハネ4:25「私は、キリストと呼ばれるメシヤの来られることを知っています。」

同新共同訳「わたしは、キリストと呼ばれるメシアが来られることは知っています。」

実はキリストとメシアは両方とも「油を注がれた方」という意味です。「メシア」の方が旧約聖書の言葉であるヘブライ語で、「キリスト」の方は新訳聖書が書かれているギリシア語です。両方とも、それぞれの言葉を音訳(カタカナ語に)したものです。旧約聖書には「油を注がれた方」、すなわち、「メシア」がたくさん登場しています。王様や偉いお坊さんは任職するときに頭に油を注がれる儀式を経て、この人は正当な王様なのだ、この人は正規の祭司なのだと宣言されてそれぞれの役職に就きます。ダビデ王もサムエルに頭に油を注がれて王様になりました(サム一17:13「サムエルは油の角を取り、兄弟たちの真中で彼[ダビデ]に油をそそいだ。主の霊がその日以来、ダビデの上に激しく下った。」)。イスラエルの歴史ではダビデ王朝は最後はバビロニア帝国により滅亡させられてしまいます。その後は一時的に王政が復活した時代もありましたが、実質的に大国の支配下に従属していました。イエスの時代はローマ帝国の支配下にありました。このような民族的危機の中で苦しむ人々の中に、やがて神が救い主を送ってくださるという信仰的希望が芽生え、救い主を待望する希望の中で人々は生きていました。この救い主はダビデの末裔から出る、神様に油を注がれた方、すなわち、メシア・キリストが来ることを期待する信仰に当時のユダヤ人は生きていたのです。問題は、いつ、どのようにメシア・キリストがやってくるのか、ということでした。そのような人々の前にイエスが現れたのです。そして、人間的な枠を超えたイエスの行為に感銘を受けた人々が、自分たちが待ち望んでいた救い主・メシア・キリストはこの人だと確信を持った人達が、今日の聖書で「この方はキリストだ」と発言したのです。しかし、疑問を抱く人たちもいて否定的な評価を下していす。「まさか、キリストはガリラヤからは出ないだろう。42 キリストはダビデの子孫から、またダビデがいたベツレヘムの村から出る、と聖書が言っているではないか。」と冷ややかな発言をしています。「キリストはガリラヤからは出ない」という発言からわかるように、エルサレムにいる人々にとってガリラヤは辺境の地であり、ダビデの出身地ベツレヘム(エルサレムの南方)ではないではないという反論の根拠を挙げています。「ガリラヤは辺境の地」という偏見と、メシア・キリストはダビデ王の末裔だというメシア・キリスト観には決定的な誤りがありました。それは、救い主はダビデ王のような権力や武力を備えた強い武人であり、ユダヤ人やユダヤの地方を支配していたローマ帝国をいとも簡単に滅亡させて、ユダヤ人を地上で解放するという政治的なメシア像だったのです。そのようなメシア像を抱いている人たちには、それらの偏見によってイエスが行い語っている武力に拠らない救済に失望していたのだろうと思います。イエスが指し示す救いの方向を理解できなかったのです。武力に拠る救済は一時的です。長続きしません。ですからイエスは、武力ではなく、神の恵みにあふれた平和の使信を語ったのです。このイエスの使信が本当に理解されるようになるためには、イエスの死と復活という出来事を経なければなりませんでした。ですから、今日の箇所では、肯定的な見方と否定的な見方に分かれていて決着がついていません。

45節以下では、イエスを連行しないで戻ってきた役人たちと当時の宗教的指導者であった祭司長やパリサイ派の会話になります。指導者たちに派遣された役人たちは、「あの人が話すように話した人は、いまだかつてありません。」(46節)とイエスを逮捕する理由が見つからなかったことを報告します。それに対して、現在の言い方で言えば、パワ・ハラにあたるような叱責が役人たちに浴びせられています。

 47 すると、パリサイ人が答えた。「おまえたちも惑わされているのか。48 議員とかパリサイ人のうちで、だれかイエスを信じた者があったか。49 だが、律法を知らないこの群衆は、のろわれている。」

それに対して、指導者たちの態度を批判した勇気ある人が最後に登場します。50節「イエスのもとに来たことのあるニコデモ」です。彼はパリサイ派の人間でしたが、夜、イエスを訪ねて議論したことがありました(ヨハネ3章1‐21節)。彼は律法学者として「私たちの律法では、まずその人から直接聞き、その人が何をしているのか知ったうえでなければ、判決を下さないのではないか。」(31節)と指導者たちの間違いを指摘します。非常に勇気ある発言です。ニコデモは、イエスが十字架で死んだ後のイエスの遺体を引き取る場面にもう一度登場します(ヨハネ19:39)。そこではイエスへ帰依している人間となっています。

今日の聖書の場面では、人々の分断があり、意見の相違があり、イエスへの評価は分かれていました。問答無用で自分の意見を押し付ける指導者もいれば、きちんと手続きを踏んで問題を処理するように進言する勇気ある人間も登場しました。

当時のユダヤ人たちの信仰的希望はキリスト・メシア・救世主の到来でした。それでは、現在の私たちの信仰的希望は何でしょうか。私たちはイエスがキリストとしてやってこられた後に生きています。私たちの信仰的希望は、イエスがもう一度、私たちの許へ来られるのだ、その時に私たちの本当の救済が実現するのです。神学的には再臨という言葉が使われています。私たちは日々の信仰生活を生きる中でイエスの再臨を待望しながら生きるように勧められています。

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