1.導入
みなさま、おはようございます。早いもので、エレミヤ書からの説教は今日で13回目になります。実は、エレミヤ書の連続説教を始める時、12回ぐらいを考えていると申し上げましたが、今日でそれを超えてしまったことになります。エレミヤ書の説教も後半にはなっていますが、もうしばらくエレミヤ書からのメッセージに耳を傾け続けたいと思っております。何度かお話ししましたが、エレミヤはユダ王国の5人の王の時代にまたがって預言者としての活動を続けました。5人というのは大変多いのですが、その5人目はユダ王国最後の王となるゼデキヤでした。今日を含めてこれから数回は、ゼデキヤとユダ王国がなぜ滅んでしまったのかを見ていきます。
さて、ゼデキヤは大国バビロンによって王にされた人物で、したがって当時のユダ王国はバビロンの属国でした。神の民であるユダ王国が異教徒のバビロニア帝国に服従すること自体が神のイスラエルに対する裁きだったのですが、ユダ王国はバビロンの属国として生き延びることが可能でした。エレミヤも、ゼデキヤ王に対しバビロンに仕えて生き延びなさい、バビロンに謀反を起こしてはならない、という助言を繰り返していました。ゼデキヤも、近隣諸国からの反バビロン連合への誘いに加わらないなど、当初は慎重な姿勢を示していましたが、しかしついに破滅への道、バビロンへの反逆の道を選んでしまうことになります。その原因は南の大国エジプトでした。ユダ王国は、いつも北の大国と南の大国との間を揺れ動いていました。アッシリアなどの北の大国に従ったり、あるいは南の大国エジプトについたり、ということを繰り返してきたのです。ゼデキヤがバビロンに謀反を起こそうという気になったのも、エジプトが後ろ盾になろうという働きかけを強めてきたからでした。エジプトは一度はバビロンに敗れたものの、勢いを盛り返してバビロンからパレスチナを奪い返そうとしていました。その動きに連動するように、ゼデキヤもバビロンに反旗を翻したのです。それがユダ王国の滅亡へとつながっていくのですが、その過程では様々なドラマがありました。今日はその中でも、一つの重要な出来事について考えてまいります。
2.本文
さて、ゼデキヤはエレミヤの忠告を聞かずに、とうとうバビロンに謀反を起こしました。その経緯について預言者エゼキエルはこう言っています。エゼキエル書17章15節を見てみましょう。
ところが、彼はバビロンの王に反逆し、使者をエジプトに送り、馬と多くの軍勢を得ようとした。そんなことをして彼は成功するだろうか。助かるだろうか。契約を破って罰を免れるだろうか。
ゼデキヤはエジプトの援軍を当てにして、バビロンに謀反を起こすことを決めたのです。実はこれは南ユダ王国の歴史の中で繰り返されてきた、お決まりのパターンでした。預言者イザヤの時代、南ユダ王国は北の大国アッシリアの侵攻を恐れ、南の大国エジプトに助けを求めました。しかしイザヤはそれを痛烈に批判し、エジプトとの同盟を死との契約、冥府との同盟と呼びました。それから100年後、ゼデキヤは同じ轍を踏もうとしたのです。それを知ったバビロンの王ネブカデネザルは黙っていません。なにしろ自分が王にしてやったゼデキヤが反逆したのですから、まさに飼い犬に手を嚙まれるようなものです。大軍を率いて南ユダ王国に攻めてきます。その戦術も、かつてアッシリアが100年前に南ユダ王国を攻めたときと同じでした。以前アッシリアは、エルサレム以外のすべての主要な都市や要塞を攻め滅ぼし、難攻不落と言われたエルサレムを孤立させ、最後にエルサレム攻めを行いました。バビロンも同じでした。今日の聖書箇所のすぐ前の7節にはこうあります。
そのとき、バビロンの王の軍勢は、エルサレムとユダの残されたすべての町、ラキシュとアゼカを攻めていた。これらがユダの町々で城壁のある町として残っていたからである。
ラキシュという町も堅固な要塞でしたが、かつてアッシリアはユダ王国第二の要塞ラキシュを攻略してから、満を持してエルサレムに攻めてきました。バビロンも同じルートでエルサレムに向かってきたのです。籠城攻めは日本の歴史では豊臣秀吉が得意とした戦法です。敵を城に閉じ込めて、相手が飢えや渇きに疲れ果てるのを待つという戦法です。この籠城攻めは援軍が来ない限り解かれることはありませんが、バビロン軍はエルサレムに誰も助けに来られないように、エルサレム以外の主要都市をすべて攻め滅ぼし、それからエルサレムを包囲したのです。
エルサレムに閉じこもったゼデキヤは、もはやイスラエルの国内からの援軍は期待できません。残る頼りは、ひそかに同盟を結んだエジプトからの援軍だけです。きっとエジプトが来れると当てにしていたのですが、待てど暮らせどエジプトからの援軍は来ません。バビロン軍は、難攻不落との呼び声の高いエルサレムを無理に攻め落とそうとはせずに、気長に長期の包囲戦を引きました。バビロンの軍はエルサレムをぐるっと取り囲み、外に出られないように閉じ込めたのです。この包囲網がなんと18か月、1年半にも及びました。エルサレムの人は城壁の外に一歩も出られず、バビロンがいつ攻めてくるかとおびえる毎日でした。しかもそれが1年以上も続いたのです。精神的に追い詰められ、おかしくなっていきます。食糧をも底をつき、飢えと渇きで兵士の士気もどんどん落ち込みます。そこで藁をもつかむ思いで、預言者エレミヤのところにきました。ゼデキヤ王は、バビロンには逆らうな、バビロンに従いなさいというエレミヤの警告を無視してバビロンに反逆したのですから、どの面下げてエレミヤのところに来たのか、とも思うわけですが、ゼデキヤは恥も外聞もなく、必死なわけです。その時のやりとりが記されているのがエレミヤ書21章です。1節から2節までお読みします。
主からエレミヤにあったみことば。ゼデキヤ王は、マルキヤの子パシュフルと、マアセヤの子、祭司ゼパニヤをエレミヤのもとに遣わしてこう言わせた。「どうか、私たちのために主に尋ねてください。バビロンの王ネブカデレザルが私たちを攻めています。主がかつて、あらゆる奇しいみわざを行われたように、私たちにも行い、彼らを私たちから離れ去らせてくださるかもしれませんから。」
ここでいう奇しいみわざとは、かつてヒゼキヤ王の時代、エルサレムがアッシリアの猛攻に遭って陥落寸前になったときに、ヒゼキヤが部下を大預言者イザヤに遣わしたときのことを指しています。イザヤは力強く、主が救ってくださると答え、実際にアッシリア軍は一晩で18万5千人もの兵が疫病で死んでしまい、彼らはエルサレムから逃げ帰ったのでした。この時の再来、二匹目のどじょうを願って、ゼデキヤはイザヤならぬエレミヤに頼み込んできたのです。しかし、イザヤとは違い、エレミヤの返事はつれないものでした。イザヤの時は、敵のアッシリアが疫病で死にましたが、今度は味方のエルサレムの住人が疫病で死ぬだろう、というのです。そしてこれからバビロンに攻め滅ぼされると宣言します。助かる道はたった一つ、城壁を出てバビロン軍に降伏せよ、そうすれば命だけは助かる、と申し渡したのです。まさにけんもほろろの返事でした。そこで、ゼデキヤ王は神の憐みを受けるために最後の手段に打って出ました。それが今日の聖書箇所の内容です。
彼らは、神の律法の定めでありながら、これまで一度も守ったことがない掟を実行し、それによって神の憐みを乞うたのです。その一度も守られたことがない神の掟というのが、今日の交読文でお読みした掟、すなわち「ヨベルの年」の戒めでした。ヨベルの年の戒めは、イスラエル建国の理想を体現した非常に大事な戒めでしたが、同時に守るのが最も難しいものでもありました。イスラエル建国の理念、それは「神の前の平等」でした。つまり、強力な王や金持ちが富や権力を独占して、他の平民を奴隷のようにこき使うという他の古代の帝国とはことなり、皆が助け合い、分け合う社会を作り、一人の人に権力や富が集中しないようにしたのです。申命記19章14節には
あなたの神、主があなたに与えて所有させようとしておられる地のうち、あなたの受け継ぐ相続地で、あなたは先代の人々の定めた隣人との地境を移してはならない。
と命じられています。地境を移してはならないとは、ある人が他の人の土地をどんどん奪って大地主になることを防ぐために設けられた教えです。しかし、実際には借金をするときに土地を担保にすると、返せない場合は土地が借金のかたとして取りあげられてしまいます。このようなことが繰り返されると、一部の大地主とその他大勢の小作人ということになってしまいます。そうすると、イスラエル建国の理念から遠く遠ざかってしまいます。そこで、貧富の格差是正のために、50年に一度、ヨベルの年には、お金がなくて手放してしまった土地は、その本来の所有者に戻すのです。また、お金がなくて自分自身を奴隷として売った場合でも、ヨベルの年になれば自由になれる、解放されることになります。もっとも、奴隷に関しては7年に一度はイスラエル人の奴隷は解放されなければならないことになっていましたが、ヨベルの年には単に奴隷から解放されるだけでなく、生活の手段である土地も戻されます。奴隷から解放されても生活の手段がないと再び奴隷に逆戻りということがありますが、そうならないように、土地も元に戻されるという、そういう画期的な制度がヨベルの年なのです。ですから、仮にイスラエルが超格差社会になっても、50年に一度はその格差が是正されるのです。日本でいえば、太平洋戦争後の農地改革がそれにあたるでしょう。それまで皇族・華族や大財閥が大地主だったのですが、その土地を小作農たちに安く譲ったのです。これがヨベルの年と非常に似通った政策だったのですが、日本の歴史の中でこんな大胆な改革が実施されたのはこの時が最初で最後だったのではないでしょうか。これは壊滅的な大敗北という未曽有の事態があったからこそ実現した、奇跡のような出来事でした。では、イスラエルの歴史ではどうだったかというと、実はこのヨベルの年が本当に実施されたという記録はないのです。あれほど律法の遵守にこだわり、律法主義とまでいわれたイスラエルにおいても、この制度だけはいろいろな理屈をつけて実施をしなかったようなのです。ヨベルの年どころか、7年に一度、奴隷を自由の身にするという律法も守ろうとはしませんでした。金持ちが既得権益にしがみつく、というのは古今東西共通してみられる現象なのでしょう。しかし、バビロンの猛攻に遭い、エルサレムの運命も風前の灯火となった時、ゼデキヤ王や指導者たちは神からの憐みを乞うために、必死の思いでほとんど忘れ去られていた律法の教えを実施することにしたのです。ヨベルの年には国中のすべての住民に解放を宣言するのですが、エルサレムの中だけでも、これを実行することにしたのです。むろん、ヨベルの年は50年に一回でしたので、この籠城の時、それは紀元前588年でしたが、その時がヨベルの年に当たっていたわけではありません。しかし、ヨベルの年の精神に則って、すべての奴隷の解放と債務の免除を宣言することにしたのです。奴隷たちはエルサレムに包囲されている以上、イスラエルの先祖伝来の地に戻ることはできないにせよ、二度と借金のために奴隷になることはない、という約束を与えられました。そのことを記している8節から10節をお読みします。
ゼデキヤ王がエルサレムにいるすべての民と契約を結んで、彼らに奴隷の解放を宣言して後、主からエレミヤにあったみことば。-それは各自が、へブル人である自分の奴隷や女奴隷を自由の身にし、同胞のユダヤ人を奴隷にしないという契約であった。
契約を結ぶ、ということは非常に重たいことです。契約とは単なる約束ではありません。それは誓いの言葉であり、その誓いを破ったなら私は死にます、とまで宣言する最高度に重大かつ神聖な約束なのです。18節と19節にはこういう言葉があります。
また、わたしの前で結んだ契約を守らず、わたしの契約を破った者たちを、二つに断ち切られた子牛の間を通った者のようにする。二つに分けた子牛の間を通った者は、ユダの首長たち、エルサレムの首長たち、宦官と祭司と一般の全民衆であった。
この「二つに割かれた子牛の間を通る」というのが契約にともなう儀式です。その意味は、「もし私が約束をたがえたのなら、この二つに割かれた子牛のようになってもかまいません」という宣言なのです。創世記の15章で、神が二つに割かれた動物の間を通るという不思議な記述がありますが、その意味は、もし神がアブラハムに子供を与えるという約束を違えたならば、神ご自身が二つに割かれてもよい、と約束なさっているのです。このように、契約というのは本当に重い、絶対に破られてはいけない約束なのです。エルサレムの住民は、ゼデキヤ王以下、すべての人がこの神聖な儀式に加わりました。そして、彼らは実際にそれを実施しました。しかし、なんと彼らはすぐにそれを撤回して、自由にした奴隷を再び奴隷に戻してしまったのです。なぜこんなことになったのか。それは、バビロンの脅威が去ったからです。いや、正確に言えばバビロンの脅威が去ったように見えたからです。何が起きたのか、そのことはエレミヤ書37章5節に書かれています。
パロの軍勢がエジプトから出て来たので、エルサレムを包囲していたカルデヤ人は、そのうわさを聞いて、エルサレムから退却したときであった。
そうです、待ちに待ったエジプトからの援軍到来の一報があったのです。カルデヤ人とはバビロニア人のことですが、彼らはエジプト軍がエルサレム救出に来たことを知り、一時エルサレムの包囲を解くことにしたのです。エルサレムの人たちは大喜びでした。やった、危機は去った。エジプトさえ来てくれれば、もうバビロンなど恐れるに足らずだ、私たちは自由だ、と小躍りしたのです。しかし、その自由の喜びはとんでもない行動に現れてしまいました。それが今日の箇所の11節です。
しかし、彼らは、そのあとで心を翻した。そして、いったん自由の身にした奴隷や女奴隷を連れ戻して、彼らを奴隷や女奴隷として使役した。
彼らは自分が自由になったと思ったら、急に自由にした奴隷たちのことが惜しくなったのです。彼らが自分たちのために働いてくれないと、自分たちは自由を満喫できないではないか、と浅ましくも考えたのです。そして彼らは神聖な契約を踏みにじりました。この恥知らずな行動は、何よりも神をがっかりさせ、またその激しい怒りを引き起こしました。神は奴隷解放の宣言を喜ばれました。15節にはそのことが書かれています。
しかし、あなたがたは、きょう悔い改め、各自、隣人の解放を告げてわたしが正しいと見ることを行い、わたしの名がつけられているこの家で、わたしの前に契約を結んだ。
背信の民イスラエルでしたが、やっと彼らは正しいことをした、よくやった、と神も解放の宣言を喜んでおられたのです。しかし、それは単なる困った時の神頼みであって、困ったことが過ぎ去ると彼らは神のことも忘れてしまったのです。そこで神は恐るべき宣言をされました。それが17節です。
見よ、わたしはあなたがたに剣と疫病とききんの解放を宣言する。
何と神は、奴隷の解放ならぬ、剣、すなわち戦争と、コロナのような疫病と、そして食糧難、ききんとを宣言しました。こうした災いも神の許しなく起きることはありません。神にはこうした災いを引き留める力がありますが、もう引き留めることはしない、災いを自由にしてエルサレムの住民に襲い掛からせる、と宣言したのです。エルサレムが救われる一縷の望みも絶たれた、そういう瞬間でした。しかもエルサレムの住民は自らその災いを招いてしまったのです。こうして歴史の歯車は、エルサレム崩壊へと一直線に進んでいくことになります。
3.結論
さて、今日はエルサレム崩壊に至るユダ王国最後の日々のうちでも、非常に重要な出来事を学びました。万事休すとなったゼデキヤ王とエルサレムの人たちは初めて正しいことをしました。悔い改めと、それにふさわしい行動です。しかし、彼らの行動は本当の悔い改めから来たものではありませんでした。嵐が去ったと思われる状況で、彼らはいわば馬脚を露してしまいました。彼らは神に従おうとしたのではなく、また純粋な兄弟愛から行動したのでもなく、単に目先の利益のために神に従うふりをしただけだったのです。
この彼らの失敗と悲劇から私たちも二つのことを学ぶことが出来るでしょう。一つは、神は大きな経済格差、人が人の奴隷となってしまうような貧富の差を喜ばれないということです。オックスファムというイギリスのNGOは、たったの62人の金持ちが世界の人口の半分の人と同じ資産を持っていると発表しました。現在は極端な格差社会であり、しかもそれが良いことであるかのように喧伝されています。世界のキリスト教のリーダーと目されるアメリカが、そのような超格差社会の先端を走っていることに皮肉なものを感じてしまいます。私たちはキリスト者として、神に喜ばれる社会を作ろうと願うのならば、格差社会よりも平等な社会を目指すべきなのだと、弱者が救済される社会を真剣に目指すべきなのだと強く思わされます。
そしてもう一つの教訓、これは社会全般ではなく個人的なことですが、神への誓いは果たすべきだということです。私たち人間は悩みの中にあるときは、普段神を信じないような人でも思わず「神様、助けてください」と祈るものです。私たちキリスト者であれば、なおのことそうでしょう。そして私たちは祈るときに、「神様、お願いです。こうしてください。そうしていただけるのなら、何でもいたします。私の大事なこれこれを神にお献げします」というように祈ることもあるでしょう。しかし、悩みが過ぎ去ると、私たちはそんな祈りをしたことを忘れてしまうかもしれません。あの時は追い詰められていたから、思いもよらないことを祈ってしまったが、あれはいわば気の迷いだったのだ、と自分で自分を納得させてしまうこともあるでしょう。しかし、忘れてはならないのは、神は私たちの必死の祈りを真剣に聞いておられるということです。そして実際に、私たちに助けの手を伸ばしてくださるのです。それなのに、「いや、あの時は追い詰められていたから、心にもないことを言ってしまっただけだ。普通の時なら神にあんなことを祈るわけがない」などと私たちが思ったならば、神はどう思われるでしょうか。こんな時に思い起こすのが、サムエル記の最初に出て来るハンナです。ぜひ後でサムエル記1章を読み返していただきたいのですが、長年不妊に悩んでいたハンナは、誰も見ていないところで、「神様、わたしに男の子を授けてください。もし願いが叶いましたなら、その子を一生神様にお献げします」と祈りました。神はそれをご覧になり、彼女にサムエルを授けてくださいました。ハンナとしてはやっと手に入れた待望の子ども、しかもかわいい盛りの赤ん坊でしたが、そのサムエルを「この子を主にお渡しいたします」と言って、祭司エリの養子にしたのです。誰も聞いていない、誰も見ていない、神への独り言と思えるような言葉も、ハンナは神への約束として忠実に果たしたのです。このような信仰こそ、私たちも持ちたいものだと思わされます。神はサムエルのことも、ハンナのことも豊かに祝福されました。「私を重んじる者を私は重んじ、私を侮る者を私は侮る」という主のことばは真実なのです。私たちも心から主を畏れ、主の前に誠実に歩んでまいりましょう。祈ります。
弱気を助け、強きをくじかれる神よ。その御名を賛美いたします。今日はエレミヤ書から、せっかく正しい道を歩みだしながら、利己的な思いと神を軽んじる心から救いのチャンスを失ってしまったエルサレムの人々のことを学びました。私たちも彼らの失敗を他山の石とし、神を心から敬い、神の前に誠実に歩む者とならしめてください。また、同胞の苦しみを理解し、助け合う心を持つことができますように。私たちの日々の歩みを導いてください。われらの主、イエス・キリストの聖名によって祈ります。アーメン