1.序論
みなさま、おはようございます。これまでじっくりとサムエル記を読み進めて参りましたが、今日でその前半、第一幕が終わります。イスラエルの初代の王であるサウルの死をもって幕を閉じるわけです。それは壮絶で悲劇的な死ですが、英雄的な死に方でもありました。今日は物語の一つの結末であるサウルの死について考えて参りましょう。
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みなさま、おはようございます。これまでじっくりとサムエル記を読み進めて参りましたが、今日でその前半、第一幕が終わります。イスラエルの初代の王であるサウルの死をもって幕を閉じるわけです。それは壮絶で悲劇的な死ですが、英雄的な死に方でもありました。今日は物語の一つの結末であるサウルの死について考えて参りましょう。
“サウル王の死みなさま、おはようございます。サムエル記の上も、いよいよ残すところ今日を含めて二回となりました。次回はサウル王の壮絶な死で終わるのですが、そのサウル王の後継者となっていくダビデの活躍が描かれているのが今回の箇所です。今日の説教題は「信仰によって奮い立つ」で、ダビデの信仰に光が当てられています。ピンチの中でも神への信仰によって難局を切り抜けるダビデは素晴らしいのですが、逆に言えばこれまでのダビデの行動は、実はあまり信仰的ではなかったとも言えます。ダビデは危機に際して信仰に目覚めたのです。
“信仰によって奮い立つみなさま、おはようございます。第一サムエル記上も、いよいよ残すところあと三章となります。サムエル記上はサウル王の死をもって終わりますが、それは同時にダビデがその次の王となっていくことが決定的になる時でもあります。しかしそのダビデは、なんとイスラエルの敵であるペリシテ軍の傭兵となっています。ダビデはイスラエルの王となるためにはペリシテ軍を離れなければなりませんが、しかし今やダビデはそのペリシテ軍の一員としてイスラエルを攻撃することが求められています。このジレンマをダビデがどう脱するのか、その顛末を今回の箇所は記しています。
“アキシュ王みなさま、おはようございます。早いもので、第一サムエル記からの説教も今日で30回目になります。そして、第一サムエル記もいよいよ最終盤にさしかかってきました。第一サムエル記はサウル王の死によって終わります。その意味で、サウルはダビデと並ぶ第一サムエル記の主役ともいえる存在です。とはいえ上り坂のダビデに比べ、転落の人生を歩むサウルはまさにかませ犬のような存在ですが、サウルもまた第一サムエル記の、そしてイスラエルの歴史における非常に重要な人物であることは間違いありません。
“サムエルの亡霊みなさま、おはようございます。今日もサムエル記から、ダビデの生涯について学んで参りましょう。今日の説教タイトルは「策士ダビデ」ですが、ダビデのことを「策士」と呼ぶことに違和感を持たれるかもしれません。ダビデと言えば、巨人ゴリヤテにも小手先の策を弄さずに正々堂々と立ち向かっていくイメージがあるので、策士という呼び名はダビデにはふさわしくないと思われるかもしれません。しかし今回の聖書箇所のダビデは、非常に食えない人物であるという印象を与えるのです。
“策士ダビデみなさま、おはようございます。私たちはサムエル記を読み進めていますが、この物語もいよいよ前半の山場を迎えます。第一サムエル記の二人の主役は初代の王サウルと二代目の王ダビデです。主役と言っても、サウルの方は悪役、ヒールのような役回りをしていますが、この二人の神から油注がれた者たちの間の対立にどのように決着が付くのか、それが第一サムエル記の大きな関心事、テーマでした。
“報復するは、神にありみなさま、おはようございます。前回は、サウルの命を簡単に奪う機会があったのにもかかわらず、見逃したダビデの行動に心を動かされたサウルが、ついにダビデを認め、あなたこそイスラエルの王にふさわしいと語る感動的な場面を学びました。しかし、今回の箇所は前回の話とは直接関係のない話になっています。むしろ、今日のエピソードは次の26章の話の重要な伏線になっています。先週もお話ししましたように、来週取り上げる26章は24章の話と非常によく似ています。細かい点は違うものの、ダビデが絶好の機会があったにもかかわらずサウルの命を奪わずに、そのことがダビデとサウルの和解につながるという基本的なプロットは全く同じです。そして、24章と26章とは、おそらく同じ出来事についての異なる二つの伝承だろうということもお話ししました。この件の説明は繰り返しませんが、ではなぜ同じ話を二度繰り返す必要があったのかといえば、今日の25章の話の上に26章のサウルとダビデの和解の話が成り立つからです。ですから今週と来週の話は、一つの長いエピソードの前編と後編というような意味合いで聞いていただきたいと思います。
“愚かな夫と賢い妻みなさま、おはようございます。私たちは今、サウル王に命を狙われたダビデが、彼の追求から逃げ回っているという場面を読み進めています。しかしここで一つの疑問が生まれてきます。「攻撃は最大の防御」という言葉が示すように、ただ追っ手から逃げ回るだけでは仕方がないのではないか、反撃をすべきではないかということです。しかも、ダビデは全くの無実なのにサウル王から命を狙われるという理不尽な状況にあります。サウルに反撃を仕掛けても道義的には何の問題もないようにも思われます。そしてそのような千載一遇のチャンスが巡ってきた、というのが今日の場面です。その時ダビデはどのように行動したのか、またそれはなぜなのか、ということを考えて参りたいと思います。
“あなたは私より義だみなさま、おはようございます。今日もサムエル記から、みことばを聞いていきましょう。私たちは、ダビデがサウル王に命を狙われているために、あてのない逃避行をしているところを読み進めています。しかしダビデはその苦しみの中で多くのものを得ていきます。まず、彼は多くの仲間を得ました。危機や苦難の中をダビデと共に歩んだ人々は、ダビデにとって信頼できる部下たちになっていきます。またダビデは目には見えないけれど、非常に大切なことを得ていきます。彼が学んだことの一つが、神に信頼することの大切さ、信仰の大切さでした。ダビデはこの苦難の旅を通じて、神への本物の信仰を身に付けていきます。今日の聖書箇所でも、ダビデはいくつかの出来事を通じて本物の信仰の重要性を学んでいくのです。
“神の御心に従うみなさま、おはようございます。サムエル記からの説教は今日で24回目になります。第二コリント書簡からの講解説教がちょうど24回ですからそれに並んだわけですが、サムエル記の説教はまだまだ続きます。しかし、今日の箇所はこれまでのサムエル記の中でも後味が悪いといいますか、いったい神様はこの箇所を通じて何を私たちに教えようとしておられるのか、よく分からないと思われるかもしれません。
“サウルの凶行