正しい道を教えよう
第一サムエル12章1~25節

1.序論

みなさま、おはようございます。今年初めの主日礼拝をこのように迎えられることに感謝します。アドベントの期間中はイザヤ書を取り上げていたので久しぶりになりますが、昨年から続けてきたサムエル記の講解説教を今年も継続して参ります。

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目をさましていましょう
第一テサロニケ5章1~11節

1.序論

みなさま、おはようございます。今日は今年最後の礼拝であるのみならず、今年の最終日になります。振り返ってみれば、いろいろあったようにも思えるし、あっという間だったという感じもいたします。ともかくも、無事に年末を迎えられるのは大変ありがたいことで、年末年始はいきおいリラックス・ムードになるものです。忘年会などで深酒をして、うとうとと眠り込んでしまう、そんな時期です。そんな中で、今日のメッセージはハッとさせられる、気を引き締めさせられるような響きがあります。

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心の思いが現れる
ルカ福音書2章1~39節

1.序論

みなさま、クリスマスおめでとうございます。今日の主日礼拝では、ルカ福音書のとても有名な箇所からメッセージをさせていただきます。今日は比較的長い箇所を取り上げていますが、その中でも羊飼いたちが飼い葉おけに寝かされている幼子イエスを訪ねる場面が大変よく知られています。ページェントなどで必ず取り上げられる、心温まる場面ですね。しかし今日は、その後に登場する人物にも目を向けたいと思います。それは、シメオンとアンナという二人の男女の老人ですが、その中でも特にシメオンという人物の言葉に注目して参ります。

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主を求めよ
イザヤ書55章1~13節

1.序論

みなさま、おはようございます。アドベント第三週になり、いよいよ次週はクリスマス礼拝となります。アドベント期間ということで、先週と今週はイザヤ書からメッセージを取り次がせていただきます。イザヤ書、なかでも40章から55章にかけての箇所は、第五の福音書と呼ばれるほど福音的なメッセージを含んでいるからです。

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慰めよ
イザヤ書40章1~31節

1.序論

みなさま、おはようございます。クリスマスを待ち望むアドベントの第二週に入りました。私たちは、いつもはサムエル記、そして月末のみは新約聖書から使徒パウロのテサロニケ書簡を読み進めていますが、このアドベントという特別な期間に鑑み、今週と来週の二回はイザヤ書からの説教とさせていただきます。

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サウルの勝利
第一サムエル11章1~15節

1.序論

みなさま、おはようございます。今朝から教会のカレンダーではアドベントに入ります。イスラエルに真の王としてお生まれになったイエス・キリストのご降誕を祝うクリスマスを待ち望む期間です。主イエスは「王」という存在についての考え方を革命的に変えました。当時の人々が考える王の姿とは、人々の上に権力を振るい、人びとを支配する、そのような存在でした。しかし主イエスはその生涯を通じて仕える王、人びとを支配するのではなく、むしろ人々のために命さえ差し出す、そのような謙虚で慈愛に満ちた王の姿を示したのでした。そのような主イエスの姿は、私たちすべてが範とすべきものです。アドベントの期間は、そのようなイエスの歩みを思いつつ歩んで参りたいものです。

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眠った人々について
第一テサロニケ4章13~18節

1.序論

みなさま、おはようございます。本日は当教会では召天者記念礼拝で、先に天に召された信仰の兄弟姉妹のことを覚える日です。そして今日の聖書箇所は、親しい兄弟姉妹と死別して悲しんでいるテサロニケの信徒たちを慰め、励ますために使徒パウロが書き送った箇所です。ですから召天者記念礼拝にふさわしい聖書箇所だと言えるでしょう。

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キリスト者としての生き方
第一テサロニケ4章1~12節

1.序論

みなさま、おはようございます。私たちはこれまで、毎週旧約聖書のサムエル記を読み、月末の最終週のみ新約聖書のパウロのテサロニケ書簡を読んでいます。今日は第三週ですが、なぜ今日がサムエル記ではなくテサロニケ書簡なのか、と疑問に思われたかもしれません。それは、来週の主日礼拝が当教会では召天者記念礼拝であり、その聖書箇所として第一テサロニケの4章13節以下が相応しいので、今日はちょうどその前の箇所を取り上げようと考えた次第です。

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サウル、王として宣言される
第一サムエル10章17~27節

1.序論

みなさま、おはようございます。今、私たちはイスラエルの初代の王となるサウルがいかに神から選ばれ、また人々から受け入れられていくのかを学んでいます。イスラエルに初めて王制が導入される、その歴史的瞬間について学んでいるのです。前回は、預言者サムエルから王としての油注ぎを受けたサウルが、三つのしるしを与えられるところを学びました。三つのしるしとは、それぞれ「王」、「祭司」、「預言者」に対応したもので、サウルにはこの三職が与えられることを暗示したものでした。つまりサウルは人々を統治する王であるだけでなく、人々と神との関係を仲立ちする祭司としての役割、また神の御心を告げる預言者としての役割をも与えられるのです。その証拠として、サウルには圧倒的な聖霊の注ぎが与えられました。こうしてサウルはまったく新しい人へと変えられました。

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サウル、油を注がれる
第一サムエル10章1~16節

1.序論

みなさま、おはようございます。サムエル記の学びは、前回からサウル王の話に入りました。前回の説教でもお話ししましたが、一般的にクリスチャンの間では、サウル王のイメージは正直に申し上げてよくないと思います。以前、改革者の神学者が書いた本を読みましたが、その本ではサウル王は永遠の滅びに定められているに違いない、というようなことが書かれていました。どうも、ダビデ王の命をしつこく狙う嫉妬深い王様、というイメージが定着しているようです。

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