森田俊隆 – 中原キリスト教会 https://domei-nakahara.com 調布 深大寺のプロテスタント教会 Thu, 22 Dec 2022 00:06:09 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=5.3.18 https://domei-nakahara.com/wp-content/uploads/2020/03/cropped-favicon-32x32.png 森田俊隆 – 中原キリスト教会 https://domei-nakahara.com 32 32 エリヤ:神の人第一列王記17:17-24森田俊隆 https://domei-nakahara.com/2022/12/18/%e3%82%a8%e3%83%aa%e3%83%a4%ef%bc%9a%e7%a5%9e%e3%81%ae%e4%ba%ba%e7%ac%ac%e4%b8%80%e5%88%97%e7%8e%8b%e8%a8%981717-24%e6%a3%ae%e7%94%b0%e4%bf%8a%e9%9a%86/ Sun, 18 Dec 2022 00:04:00 +0000 https://domei-nakahara.com/?p=4102 "エリヤ:神の人
第一列王記17:17-24
森田俊隆
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* 当日の説教ではこのうちの一部を省略して話しています。

本日の聖書箇所は預言者エリヤが「よみがえりの奇跡」を行った箇所です。しかし、この聖書箇所にはこだわらず、エリヤという預言者は何をしたのか、またその後、エリヤはどのような人物として見られるようになったのか、もあわせ見ていきたい、と思います。

まず最初にエリヤが活躍した時代背景を概観します。エリヤが活躍したのはBC9cの中期です。北王国イスラエルの王はアハブとそのあとのアハジヤの時代です。この時期の大部分はアハブ王の時代です。北の十部族によって形成されたイスラエル王国は南王国ユダに比すれば、経済的には豊かな地でしたが、王位継承が安定せず、BC876に軍人オムリがクーデタにより王となりました。これがオムリ王朝と呼ばれています。オムリは有能な政治家であり、近隣の地を支配下に置くとともに、有力な外国とは婚姻政策により連携し、貿易も拡大しました。当初は西ヨルダン川の中ほどのティルツァに居を定めましたが、その後ティルツァの南西のサマリヤに移りました。この町は南王国のエルサレムに対抗して造られた町です。またガリラヤ湖の南西にあるエスドラエロン平原にあるエズレルにも王宮を持っていたと言われています。オムリは国内的にはイスラエル人とカナン人の同化政策を基本としていましたのでカナンの地場信仰であるバアル信仰を公認しました。このバアル信仰はそもそもはフェニキアの北のウガリット地域の信仰がフェニキアを経由してカナンの地に入ってきたものです。豊饒を願う農業神信仰です。サマリヤにはヤーウェ信仰とバアル信仰が並列する状況になりました。オムリは外交面では地中海沿岸のフェニキア都市国家とも善隣外交を行い、息子アハブの妃としてフェニキアの都市ツロの王エテバアルの娘イゼベルを迎えました。イゼベルは気の強い女性だったようで、優柔不断のアハブに強引に決断をせまる場面もあったようです。このイゼベルはツロにおける信仰を持ち込みました。オムリの後をついだアハブはこのオムリ王朝の第二代の王になりますが父オムリの政策を踏襲しました。宗教的には宗教混淆政策、外交的にはシリアにおけるアラム人国家を当面の敵とし、他の国とは善隣外交、軍事的には富国強兵策を採用しました。BC853にはシリアとも連携し、強大になりつつあったアッシリヤのシャルマネセルIII世と戦いますが、その中心的勢力はアハブ王のイスラエル軍でした。とりあえずはアッシリヤ軍を退却させることができたようです。アハブのあとはアハジヤ、ヨラムと続きますが支配下にあったモアブの離反など勢力は漸次低下し、やはり軍の指揮官エヒウのクーデタによりBC842、オムリ王朝は滅びます。いずれにせよ、エリヤが活躍したアハブ、アハジヤの時代はオムリ王朝の下で経済的に繁栄した時期にあたります。今で言えば、安定した経済成長を遂げていた時期という訳です。しかし、宗教的には、地場信仰とヤハウェ信仰の混淆が公然と認められ、むしろ国はバアル信仰を推奨するような状況でした。ヤハウェ信仰もサマリヤで金の牛を拝するようないかがわしいものでした。

このようななかでイスラエルの伝統的なヤハウェ信仰を復活すべきだ、と声をあげたのがエリヤです。列王記上17:1には「ギルアデのティシュベの出のティシュベ人エリヤはアハブに言った」とあります。ギルアデはヨルダン川の東部ですが、カナンの地のような肥沃な地ではありません。むしろ、荒涼とした地ですが、産業は牧畜です。この地は、イスラエル十二部族のうち、ガド族に与えられた地です。民数記32章によれば、ガド族は牧畜に良い土地だということでこの地に住みたいと言い、カナンの地に侵入することを拒みました。結局、カナンの地に入って戦いはするが、このギルアデに戻ってきて住み着く、ということで妥協した土地です。この事があり、ガド族は真のイスラエル民族ではない、とされていました。従って、この地も、信仰的には純粋なヤーウェ信仰ではない、と見られていました。出身の町、ティシュベはギレアデの中部ヤベシ・ギルアデの南です。アハブは王ですからその時はおそらくサマリヤに居た、と思われますから、エリヤは信仰的にあやしい、と思われていたギルアデの地から、ヤハウェ信仰を鬻(ひっさ)げて、都に来たという訳です。このティシュベには預言者の学校のようなものがあったのかもしれません。エリヤの名前は「神、主(ヤハウェ)」という意味です。エルが神で最後のヤはヤハウェのことです。アハブ王は各種宗教を並列的に認める政策を展開していましたが、一応自分はイスラエル信仰に立っている、と思っていましたから、預言者集団からエリヤが来た、ということだと会わざるを得なかったと思われます。神学校の学長がなにか言いたいことがある、というので大統領に会いに来た、というところです。アハブは性格的にも弱い面もあり、自分の宗教政策に後ろ暗い点を感じていたのかもしれません。

しかし、エリヤが言い出したことは強烈です。「私の仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。私のことばによらなければ、ここ二、三年の間は露も雨も降らないであろう」と言うのです。「主は生きておられる」と言う表現は、「神様が為されることです」の意味であり、確実に現実化する、ということを意味しています。「神かけて誓って」ということです。サムエル記上と列王記上にのみ出てくる表現です。繁栄していたオムリ王朝二代目のアハブの時代になんと三年間の飢饉がくる、というのです。そして本当に飢饉になってしまったのです。これはオムリ王朝衰退の契機になり、その後、国の勢いは回復せず、オムリ王朝の崩壊にまで至るのです。わが世の春みたいな浮かれた調子でいると、神様は強烈な警告を発します。経済的に豊かな状態になると、宗教多元主義になり、倫理が低下し、すべてが相対的になってしまいます。そうすると神への恐れ、を失い、人間の自己過信に落ち入ります。バベルの塔を築いていくことになるのです。神様は多くの場合、自然の力をも使い、人間に警告を発します。自然災害自体はそれほどの災害にならないようなものであっても人間の傲慢さによって大災害になってしまう、ことは枚挙にいとまがないほど沢山あります。人間が神への恐れ、自然への恐れを持って居たらこんな馬鹿なことをしないだろう、というようなことはこの世にはよくあります。原発などその最たるものでしょう。廃棄物をどうするかもわからない時に、科学は解決の道を見出すだろうと信じて大々的に始めちゃったのです。この聖書の時代でも、エリヤがこのような神の警告を告げ知らせているのに、アハブは宗教政策を変更する訳でもなく、飢饉が猛威を振るうままにしたようです。また、この箇所は宗教多元主義に対し、私たちはどうするべきかを考えさせる箇所でもあります。100%の信仰的確信と他宗教への寛容がどう両立するかという問題です。ここではただ問題の指摘に留めます。

17:2-7までは「神、養い給う」というテーマのところで教会学校でもよく話題に取り上げるところです。前半部分はこの飢饉のなかで神様は烏が食べ物を運ぶというやり方でエリヤを養った、という話です。場所はケリテ川のほとりです。ヨルダン川の中ほどにあり、東からヨルダン川に流れている小さな川です。エリヤの出身地ギルアデのティシュベの若干南です。そこにいるエリヤに朝と夕二回、烏がパンと肉を運んできてくれた、というのです。水はケリテ川の水を飲みました。ここで興味あるのは烏です。レビ記11:15では「烏の類全部」が忌むべきもので食べてはならない鳥とされています。また、例のノアの方舟のところにも烏がでてきます。創世記8:6-7です。「四十日の終わりになって、ノアは、自分の造った箱舟の窓を開き/烏を放った。するとそれは、水が地からかわききるまで、出たり、戻ったりしていた。」とあります。このあと、鳩を放ちます。烏は全く役に立たなかったのです。烏は食べるのを禁止され、神の祝福を受けられない鳥とされていたこと、またノアの洪水のところでは、探索の役にも立たなかったのです。即ち、みんなから役にも立たないばかりか忌むものとされた烏が、この飢餓の中、エリヤをちゃんと養う手助けをしたというのです。神様は見るからに役にも立たないものを役立てる、という訳です。

次いで、17:8-16はエリヤがやもめに養われる話です。烏に養われるのも長続きせず、川が枯れてしまった時、主の言葉でシドンのツァレファテに行くことになります。ツァレファテはフェニキアの二つの都市ツロとシドンの間くらいに在る町で、シドンの属領です。シドンはアハブ王の妃イザベルの出身地です。シドンの神はメルカルトですがこれはバアル信仰の系列に属します。エリヤは町の門に着くと、たきぎ拾いをしているひとりのやもめに声をかけて、水差しに少し水を入れて飲ませてくれ、といいます。たきぎでも、たきぎを切り出した後の小枝を拾うようなことをしていたので、やもめだとわかったのでしょう。夫が戦死したのか、病死したかして嫁ぎ先から追い出されたのだろうと思われます。夫の弟が妻としてくれると言うこともなく、子供を連れて家を出て行かざるを得なかったようです。そして彼女が水を取りに行こうとしたところで、エリヤは「一口のパン」も持ってきてください、と言います。さすがにこのやもめも、エリヤのずうずうしさにあきれて、17:12で「あなたの神、主は生きておられます。私は焼いたパンを持っておりません。ただ、かめの中に一握りの粉と、つぼにほんの少しの油があるだけです。ご覧のとおり、二、三本のたきぎを集め、帰って行って、私と私の息子のためにそれを調理し、それを食べて、死のうとしているのです」と言います。このやもめはこの飢饉のなかで乞食のような生活も続きそうになく、息子とともに死のうと決めていたようです。ここで死ぬ、という言葉は「mu:t」ということばであり、「死の状態となる」と言う意味であり、自殺を意味しているのではなく、「確実に死ぬ」ということを言っています。餓死のことかもしれません。このやもめが「あなたの神、主は生きておられます」という言葉を使っていることは驚きです。これに対しエリヤはパン粉は尽きず、油もなくなることはない、と言います。事実、家族中で食べても尽きなかったのです。新約聖書にもイエス様が尽きないパンの奇跡を行った話が出てきますが、ここでのエリヤの話はその先駆けであったと言えます。後にみるように新約聖書でエリヤと主イエスは並列的に扱われる場合が何度もありますが、これはそういう伝承のスタートだと言えるでしょう。烏によってとかやもめによってとか、イスラエルの通常の感覚から言えば、取るに足らないものにエリヤは養われた、というのです。神様が奇跡的な業を為す時、このような世の中から低く見られている者を通して行われる、ということは肝に銘じて記憶しておくべきことと思われます。

そして17:17から17章の最後までがこのツァレファテのやもめの息子の復活の話です。この女性の息子が病気で死んでしまいます。彼女はエリヤに「神の人よ。あなたはいったい私にどうしようとなさるのですか。あなたは私の罪を思い知らせ、私の息子を死なせるために来られたのですか。」という、いやみともとれる言葉をはきます。「神の人」と呼びかけているところをみると、本当はエリヤがこの子を死なせないようにしてくれることに期待を掛けていたのかもしれません。エリヤは子供をかかえ、屋上の部屋に入り寝台に横たえて祈りました。エリヤは「私の神、主よ。私を世話してくれたこのやもめにさえもわざわいを下して、彼女の息子を死なせるのですか」とこちらも文句のを言うような祈りをします。いずれも典型的な模範的信仰者の祈りとはいえません。しかし、神様はこのような祈りも許容してくれる、ということを知るべきです。なんでも言いたいことを祈っているうちに、あるべき祈りに神様が導いて下さる、という事なのだと思います。そしてエリヤが三度、身を伏せて祈ると「その子は生きかえった」のです。そして、エリヤはその子を母親に返し「ご覧、あなたの息子は生きている」と言います。これに対し、この女は「今、私はあなたが神の人であり、あなたの口にある主のことばが真実であることを知りました。」と言い、エリヤに対する全面的信頼を表白します。もう一度エリヤを「神の人」と呼びます。

このように死人が甦る話は他にもあります。このエリヤの弟子はエリシャと言います。やはり偉大な預言者です。列王記下4章にはエリシャが死人を甦らせた話が記されています。シュネムの女という子のない女がエリシャの預言で子を産みますが、その子が亡くなってしまいます。その女はエリシャに「私があなたさまに子どもを求めたでしょうか。この私にそんな気休めを言わないでくださいと申し上げたではありませんか」と嫌みのようなことを言います。この点もツァレファテのやもめに似ています。しかし、エリシャがその子に身を伏せたりすると子供の体が暖かくなり、最後に子供の上に身をかがめるとその子が7回くしゃみをして目を開いた、と言います。また新約聖書ではヨハネ福音書11章にラザロの復活の記事が出てきます。主イエスに香油を塗ったベタニヤのマリヤと姉マルタの兄弟ラザロの話です。ラザロは病気で亡くなります。ここに来た主イエスに向かって姉マルタは「主よ。もしここにいてくださったなら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。」と後悔のような言葉を吐きます。主イエスは涙を流されます。そして墓の石を取り除けさせ「ラザロよ。出て来なさい」と言うと、ラザロは長い布にまかれたままでてきます。復活です。これは明らかに主イエスが、自らに起きることを象徴した出来事です。このように死者が甦る話は、そのよみがえりをとりなす人物のいわば決定的場面で起きています。復活の奇跡は奇跡の中でも、決定的、例外的、最終的なものと考えられていたことがうかがえます。主イエスの復活は、これらの「死者の復活」とは何が違うのでしょうか。私は主イエスの場合は霊的死も経験されたが、他の場合は肉体的死を一時的に経験した、ということで「死者の蘇生」と言うべきものです。一時的な肉体的死であり「三途の川の手前で戻ってきた」というような話だと思います。霊的死は「黄泉(死者の世界)」に行くことです。イスラエル信仰では「霊的死」が本当の意味での死であり、肉体的死は本来の死の入り口のようなものです。聖書での奇跡は、人間が神の力を信ずることができるように神様が特別に起こす恩寵の業です。いくら科学的な説明をしても、今一つ、合点がゆきません。最後の所、「やはり不可解」と言わざるを得ません。そこは神の業としか言いようがありません。そんなんだったら最初から、聖書の語っていることをそのまま奇跡として受け止める方が良い、というのが私の奇跡理解です。

もう一つ、「神の人」のことを申し上げなければなりません。ここで「神の人」と訳されているのはヘブル語では「i:sh erohi:m」であり、文字通り、「神の人間」です。この表現はそもそもはモーセに対し使われた言葉です。申命記33:1に「これは神の人モーセが、その死を前にして、イスラエル人を祝福した祝福のことばである」とあります。士師記やサムエル記上では神の使者の意味でも使用されています。そして列王記上12:22では預言者シェマヤが「神の人」と呼ばれています。彼は北王国と戦おうとした南王国の指導者に同じイスラエルの中で戦うな、という主の言葉を告げます。これにより南北両王国の戦いが避けられました。13章には名前のわからない「神の人」が登場し、北王国の王ヤロブアムに警告的言葉を発します。祭儀において律法をちゃんと守らなかったからです。これがその後ずっと「ヤロブアムの罪」と呼ばれることになります。そしてエリアが「神の人」と呼ばれるようになります。その後継者のエリシャも「神の人」と呼ばれます。要するに偉大な預言者を指すことばになるのです。ネヘミヤ書12:24や12:36ではダビデが「神の人」とされています。外典ギリシャ語エズラ記でもモーセが「神の人」とされています。新約聖書でもテモテの手紙でこの言葉が使われています。第一テモテ6:11では敬虔な信仰者を「神の人」と呼んでいます。第二テモテ3:17では信仰者全般を指して「神の人」と言っています。旧約聖書ではモーセ、エリヤ、エリシャのような偉大な預言者を指す言葉として「神の人」と言われていたのが新約聖書では敬虔な信仰者のことをさして使用するようになっています。しかも例外的な利用に留まっています。福音書にはこの言葉はありません。旧約での使用方法が例外的にではありますが、大きく拡大使用されるようになった、と言えるでしょう。主イエスはモーセ、エリヤと並べて偉大な預言者として見做されている場面もありますが「神の人」という表現はされていません。むしろ主イエスには「神の子」という表現が使われます。この差をどう理解するのか色々な考え方はあろうかと思いますが、私は「人となられた神」と「神に近い者とされた人」の差ではないかと考えて居ます。「神の子」主イエスは「神が人となられた」のであって偉大な預言者が神に近い者とされたのではない、ということです。私たち、キリスト者は主イエスを偉大な預言者として崇敬しているというのではなく、三位一体の神として信仰の対象にしているのです。この差は、キリスト教とユダヤ教を分かつ基本的な点でもあります。

さて、エリヤの話に戻します。列王記上18章は有名なエリヤとバアルの預言者との対決の話です。飢饉の三年目に主なる神は雨を降らせる、とエリヤに告げます。アハブ王は部下のオバデヤと手分けして水を捜しに出かけます。馬や騾馬(らば)を生かしておける水がみつかるかもしれないという期待です。オバデヤはその途上でエリヤに会います。若干の会話があった後、エリヤは王の前に再び出ることになります。アハブはエリヤに対し「イスラエルを煩わすもの」と非難の言葉を吐きますが、これに対しエリヤは「あなたの父の家こそそうです」と言います。あなたの父の家というのはオムリ王朝のことです。さらには、偶像礼拝を受け入れた北王国初代の王ヤラベアムの家系ということまで広げて意味しているのかもしれません。煩わす、と訳されているのはヘブル語では「a:kar」でトラブルを起こす、の意味です。口語訳ではイスラエルを悩ますもの、と訳されていました。アハブ王にとってはヤハウェ信仰を強調し他の宗教を止めるべし、と言っているエリヤが、トラブル・メーカーです。エリヤにとってはヤハウェの民を止めようとしているアハブこそイスラエル共同体にトラブルを持ち込む者だということになります。直接の犯人はバアル信仰の推進者イゼベルです。

エリヤはこのイゼベルと食事を共にしている450人のバアルの預言者、400人のアシェラの預言者との対決を申し出ます。こちらは一人です。アシェラという神は、女神でバアルという男神と対となっている神です。農業豊饒神です。バアル信仰と共にカナンの地に根付いていた地場信仰です。そもそもはフェニキヤの方から来た神ですので、イゼベルはバアル信仰の一つとしてアシェラ信仰もしていたと考えられます。彼らをカルメル山に集めどちらの祈り、叫びに神の応答があるか勝負しよう、というのです。カルメル山はフェニキヤに近い地域です。エリヤが二度目に隠れたツァレファテの方角です。まずバアルの預言者が雄牛を奉げても神の応答のしるしの日は下りませんでした。最後は剣や槍で体を傷つけるような荒い祈りもしますがだめです。

エリヤは十二の石で祭壇をつくり、周りにはみぞを掘りました。四つの水がめに水を満たし、生贄とたきぎに水を注ぎ、みぞに水が満ちるようにしました。そこで祈ると、18:38で「主の火が降って来て、全焼のいけにえと、たきぎと、石と、ちりとを焼き尽くし、みぞの水もなめ尽くしてしまった。」とされています。民はみなこれを見て、ひれ伏し、「主こそ神です。主こそ神です」と言ったと記されています。「主こそ神です」はヘブル語では「yahawe: hu: ha-elohi:mu」であり直訳は「主、彼が神」です。ヤハウェこそ全能の神だ、というのです。神の力が示されたからです。「そしてバアルの預言者をとらえ、キションで殺した、とあります。おそらくアシェラの預言者も同じ目に遭ったと思います。ここで使われている「殺した」は「sha:hat」という動詞で、生贄のために殺す意味で使用される言葉です。「殺す」という言葉はヘブル語ではいろいろありますが、此処で使用されているのは宗教的意味での「殺生」です。十戒での「殺す」はイスラエルの同胞を殺すことですから意味がことなります。「ra:tsaha」という言葉が使用されています。そして、雨が降ってきました。カルメル山の頂上で行ったり来たり7度やっていると濃い雲がでてきて大雨になりました。アハブ王は車に乗ってイズレエルに急ぎました。エリヤはその前を走りました。イズレエルはエスドラエロン平原とヨルダン川の間にあり、イゼベルが滞在していた地だと思われます。

19章では、これを聞いたイゼベルの反応がしるされています。19:2によると「もしも私が、あすの今ごろまでに、あなたのいのちをあの人たちのひとりのいのちのようにしなかったなら、神々がこの私を幾重にも罰せられるように。」と言ったとされています。これはエリヤに対する復讐宣言です。“私が、エリヤをバアルの預言者のように殺すことをしなかったら、神の罰が降るように”と言っています。旧約聖書における逆説的表現の一つであり「絶対こうする」という確信的決意の表現です。エリヤはどうしたでしょう。逃げました。途中で「わたしのいのちを取って下さい」と祈るまでのところに行っています。神の御使いが助けます。四十日四十夜ののちホレブ山に着きます。ここはアラビヤ半島の先にあるモーセが十戒を戴いた場所です。「エリヤよ。ここで何をしているのか」という声が聞こえました。激しい大嵐などが起きましたが主はおられず、19:12によると「地震のあとに火があったが、火の中にも主はおられなかった。火のあとに、かすかな細い声があった。」と言われています。「かすかな細い声」です。主は、エリヤにダマスコの荒野に行ってハザエルに油注いでアラム王にせよ、言われます。アラムはイスラエルの敵ですから、神様は敵を手段としてイスラエルの罪を罰しようとしているようです。また、エフーに油注いでイスラエルの王とせよ、とも言われます。エフーはアハブの次の次の王ヨラムを滅ぼした軍人でエフー王朝を創設した人物です。また、アベル・メホラの出身のエリシャをエリヤの後継者として油をそそげ、と言われます。イゼベルが復讐を誓っているこの時にはまだ起こっていないことですから、予言的に語っていることになります。これだけ具体的なことは事が起きる前の言葉として理解するのには無理がありますので、事後預言として後に書き足されたと考えても良いと思います。ここで油注ぐことが出てきますが、王の任命、預言者の任命についてこの方式がとられることがわかります。実は大祭司の任命にも油注ぐ儀式が行われます。この油注ぐ、がメシアの語源となったヘブル語の「ma:shaha」です。19:19から19章の終わりまではエリシャの召命の記事です。エリシャは家族に対し、為すべきことをしたうえでエリヤにつき従ったようです。新約聖書での十二弟子の召命のところでは、家族に挨拶もほとんどなかったように書かれています。十二弟子の場合はなにか省略記事があるのではないかと言うのが私の推測です。

列王記上でのエリヤの話はこれで終えますが列王記下に続きの話があります。簡単に見てみます。列王記下1章はアハブの後のアハズヤの時代の事柄です。モアブがイスラエルに背きます。アハズヤは、病気になったところ、エクロンの神バアル・ゼブブに伺いをたててくれと言います。バアル・ゼブブというのは「蜂の主」という意味であり、後にサタンと同一視されたエクロンの守護神です。名前からしてバアル神の系統です。エクロンはフェニキアに近い平原の町です。アハズヤはエリヤに対し「神の人よ」と呼びかけますがエリヤは一向に王のいう事を聞く様子もありません。エリヤは「毛衣を着て、腰に帯を締めていた」と言われています。アハズヤが五十人隊を次々に送りますがその都度エリヤの祈りにより天から火が下ってきて滅ぼしてしまいます。ここでは神の力は火で表されています。ついにエリヤはアハズヤに死の宣告を行い、アハジヤは死にヨラムが王となります。これがオムリ王朝の最後の王となります。

2章にはエリヤからエリシャへの預言者の後継物語があります。ではこの列王記の記事の後、エリヤはイスラエルの民にどのように扱われてきたのでしょうか。旧約最後の文書であるマラキ書4:5には「見よ。わたしは、 主の大いなる恐ろしい日が来る前に、 預言者エリヤをあなたがたに遣わす。」とあり、メシアがこの世に来る最後の日の前に預言者エリヤが再び来る、と言われています。マラキはBC5-6cの預言者です。ユダ族が捕囚ののち帰還した頃です。この時までに偉大な預言者神の人エリヤはその再来が期待されるようになっていた、ということがわかります。旧約と新約の間のいわゆる中間期の文書であるマカバイ記Iの2:58には「エリヤは燃え立つ律法の熱情のゆえに、天にまで上げられた」とあり、エリヤと律法が関連付けられています。また「シラ書」別名「集会の書」48:1には「そして火のような預言者エリヤが登場した。彼の言葉は松明(たいまつ)のように燃えていた」とあり、48:12は「エリヤが旋風の中に姿を隠したとき、/エリシャはエリヤの霊に満たされた。彼は生涯、どんな支配者にも動ずることなく、/だれからも力で抑えつけられることはなかった。」とあります。更に、やはり外典の「ラテン語エズラ記」7:109では「エリヤは雨を待つ人々のために、また死人のため生き返るように祈りました。」ともあります。新約聖書ではマタイ17:3でモーセ、エリヤ、キリストが話し合っている場面が記されています。またマタイ17:11によれば主イエスは「エリヤが来て、すべてのことを立て直すのです」と言われています。マラキ書の再来のエリヤの話が一般民衆の中でも期待し、信ぜられるようになっていたことが解ります。マルコ9:13ではイエス様の言葉として「あなたがたに告げます。エリヤはもう来たのです。そして人々は、彼について書いてあるとおりに、好き勝手なことを彼にしたのです」と言われていますので、主イエスはエリヤの再来とはバプテスマのヨハネのことを指している、とお考えだったように思えます。

キリスト教の時代に入ってからもエリヤは絵画、音楽、小説の主題に取り上げられ今に至っています。エリヤと同じように烏によってパンを食していたと言うエジプトの初期修道士聖アントニウスの話もあります。またヨルダンにアル・マグタスという世界遺産がありますがここはエリヤが生きたまま天にあげられた場所と伝えられています。しかし、われわれキリスト者にとっては、主イエスの再来の時までにまたこの世に来る、と記されている人物ではありません。その意味では過去の人物にすぎません。しかし、あのアハブの時代に敢然とイスラエルの伝統たるヤハウェ信仰に立ち帰れ、と神の言葉を述べた態度は、この後に続く預言者の先駆けとなるものです。そしてアハブの時代の如く、物質的豊かさのみを追い求め、宗教混淆を当たり前とする現代の社会に対しても預言の叫びをあげているように思えます。人間社会の罪の現実は更に深まっている、としか考えられない時、「神の人」エリヤに繋がる我々でありたい、ものです。預言者の声は「かすかな細い声」かもしれませんが、エリヤの頃から、止まらず、伝えられています。祈ります。

(ご在天の父なる御神様、今日はエリヤの生涯を振り返ってみました。エリヤは、オムリ王朝アハズ王の時代に預言者として活動しました。時代は物質的に繁栄した時代でした。繁栄の時代は宗教的混交が起きるのが常です。おそらく、当時は、時代の空気を読まない変人として扱われたに相違ありません。キリスト者が純粋な信仰を貫こうとすると同じ状況に置かれます。どうか私たちを、エリヤの信仰に連なるものとさせてください。それは主イエスの言動に生きて働いています。この世の動きに流されることなく、イスラエル信仰の基本に忠実に、主イエスの教えに忠実に生きることができるよう、知恵と力とそして勇気をお与えください。主の御名により祈ります。アーメン。)

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神の痛みエレミヤ書31:15-22森田俊隆 https://domei-nakahara.com/2022/11/20/%e7%a5%9e%e3%81%ae%e7%97%9b%e3%81%bf%e3%82%a8%e3%83%ac%e3%83%9f%e3%83%a4%e6%9b%b83115-22%e6%a3%ae%e7%94%b0%e4%bf%8a%e9%9a%86/ Sun, 20 Nov 2022 00:29:00 +0000 https://domei-nakahara.com/?p=4019 "神の痛み
エレミヤ書31:15-22
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* 当日の説教ではこのうちの一部を省略して話しています。

今日の聖書箇所を含むエレミヤ書31章は「新しい契約」と称せられる個所であり、新約聖書に示された「新しい契約」を指し示す個所として有名です。従って、キリスト教の教会においてはしばしば説教個所として取り上げられています。昨年、9月27日の山口先生のエレミヤ書からの説教の時もこの「新しい契約」のことを話されていました。聖書箇所はエレミヤ書31:31「見よ。その日が来る。--主の御告げ--その日、わたしは、イスラエルの家とユダの家とに、新しい契約を結ぶ」です。今日は、その章の少し前の15-22節です。特に中心的部分は20節「わたしのはらわたは 彼のためにわななき、 わたしは彼をあわれまずにはいられない」の個所です。

まずこの20節を除き、他の節を概観しておきます。まず、15節「主はこう仰せられる。 「聞け。ラマで聞こえる。 苦しみの嘆きと泣き声が。 ラケルがその子らのために泣いている。 慰められることを拒んで。 子らがいなくなったので、 その子らのために泣いている」 です。ラマというのは、エルサレムの北、ベニヤミンの地の町でBC586年、ユダ王国がネブカドネザルによって滅ぼされた時、捕囚の民はこの町に一度集められ、それからバビロンに連れていかれた、と推測されています。エレミヤはネブカドネザルと戦うことはするな、と預言したので、このラマで釈放されることになります。従って、この個所は、バビロン捕囚の直後に読まれたものと考えられます。捕囚に送られる民の「苦しみの嘆きと泣き声」が聞こえる、というのです。このあと、ラケルがその子らのために泣いている、と言われています。ラケルは創世記に記されているヤコブ即ちイスラエルの第二番目の妻で、彼女は第一番目の妻レア以上にヤコブに愛されました。子供は12部族の内の最後のヨセフとベニヤミンです。ラケルはベニヤミンを生む時陣痛が激しく、生んだのち、なくなります。その時、ラケルは「ベン・オニ(私の苦しみの子)」とその子を名付けました。この場面ではラケルが自分は死んでしまうので、子を育てることもできない悲しみは、主なる神が、選びの民が、遠くバビロンに追いやられるのを見て、悲しみの中にある、と言っているのです。

実は、子供を産む時に母親が難産で死ぬ事は、古来から、しばしばあることではありますが、「断腸の思い」という言葉の由来を調べていたところ、このラケルの話と似た話が背後にあるので紹介します。昔、中国の晋の時代の話です。晋は三国志で有名な魏の国の将軍司馬炎が建てた国です。AD3c半ばから5c初めの王朝です。その晋の武将、桓温(かんおん)が、敵国を攻めようと船に乗ったとき、彼の部下が猿の子供をつかまえて、船に乗せてきました。すると、母猿がとても悲しい声をあげながら、どこまでも追いかけて、ついてきます。そして、長いあいだ追ってきたあと母猿は船に飛び乗ってきましたがそのまま苦しんで死んでしまいました。なぜ死んでしまったのか。しらべてみると母猿のお腹の中で腸がひきさかれたようにちぎれていたのです。母親の子供との別離の悲しみ、そして死んだ母親が共通です。また後程見る、20節のヘブル語の苦難の表現が、内臓が動くことをもって表現しているところも類似しています。ラケルも断腸の思いであったのでしょう。主なる神がイスラエルの民がバビロンに送られていくのをみて「断腸の思い」であったと想像するのは行き過ぎでしょうか。

ついで、31:16「主はこう仰せられる。 「あなたの泣く声をとどめ、 目の涙をとどめよ。 あなたの労苦には報いがあるからだ。 --     主の御告げ-- 彼らは敵の国から帰って来る」とあります。捕囚の国から帰ってくることが述べられています。新バビロニアからペルシャに代わってBC539、キュロス王によってエルサレム帰還が許されます。BC597年の第一回捕囚から58年後です。この悲しみのなかで「希望」が預言されているのです。31:17「あなたの将来には望みがある。 --主の御告げ-- あなたの子らは自分の国に帰って来る」と再びこの預言が繰り返されます。その時は捕囚の民はその地で死に、帰還するのは「その子ら」です。31:18「わたしは、エフライムが嘆いているのを 確かに聞いた。 『あなたが私を懲らしめられたので、くびきに慣れない子牛のように、 私は懲らしめを受けました。 私を帰らせてください。 そうすれば、帰ります。 主よ。あなたは私の神だからです』と述べられています。主なる神が、イスラエルが嘆き悲しむ声を確かに聞いた、と言っています。エフライムというのはラケルの子ヨセフの子で、イスラエル民族の最も正統的部族とされています。北イスラエルのことをエフライムと通称することもあります。首都はサマリヤです。北王国は既に滅亡していますので、エレミヤはイスラエル12部族全体を代表する表現としてエフライムの名を使用したと考えられます。主なる神の懲らしめを受容し、そしてついにはイスラエルの地に帰還するのです。

ここで「帰る」と訳されている言葉は「shu:b」という言葉で、新約のなかでは、「悔い改める」と訳されている言葉です。イスラエルの地に帰還することは主なる神に立ち返る、という信仰上のことも意味しています。「shu:b」は、そもそもは、「戻る」という意味ですので「悔い改める」の「改める」部分を指していると言えそうです。31:19「私は、そむいたあとで、悔い、 悟って後、ももを打ちました。 私は恥を見、はずかしめを受けました。 私の若いころのそしりを 負っているからです』と」あります。ここで「悔いる」とされていることばはヘブル語で「ra:ham」ということばで、「慰める、心を変える、悔いる」などの意味を持つ言葉ですが、この三つの意味は相互に無関係なように見えますが、深いところでつながっています。ここでは「悔いる、後悔する」の意味で使われています。この言葉も新約の「悔い改める」のもとになっている言葉の一つです。「shu:b」と「na:ham」が一緒になって「悔い改める、の言葉になったと考えて良いと思います。「na:ham」が悔い改めの「悔いる」を指し示していることばです。この個所で「na:ham」のギリシャ語訳は「metano-e:wo」であり、これこそ新約で「悔い改め」として使われているギリシャ語です。

捕囚の民イスラエルは罪を犯したことを悔いて、自分を痛めるために、ももを力いっぱいたたき、主なる神の教えに立ち返り、エルサレムに帰還するのです。注意しておきたいことがあります。このようなバビロン捕囚を懲らしめ、として受けることになった罪はなんだったのでしょうか。異教の神々を拝む、ということがイスラエルの初期では第一次的に罪とされましたが、ここでは、そのような表面的なことだけではなく、寡婦やみなしご、のような弱き民が守られない社会、一般的な言い方で言えば「正義と公正」が成り立っていない格差社会にイスラエルをしてしまったことであろう、と思われます。人による人の支配が公然と存在する社会です。今の社会もそのような社会です。滅亡前の南北イスラエル王国は経済的繁栄のなかで、だんだん貧富の差が拡大し、格差社会になっていました。貴族支配の国です。特にユダ王国の王マナセの時代がそうです。エレミヤはその時代背景のもとでイスラエルの罪を弾劾したのです。表面的な経済的繁栄は、何もしないでいると格差拡大の社会となることは普遍的真理です。強い者はお金の力で更に強くなるからです。

20節はのちほど詳しく見ますので飛ばして、31:21「あなたは自分のために標柱を立て、 道しるべを置き、 あなたの歩んだ道の大路に心を留めよ。 おとめイスラエルよ。帰れ。 これら、あなたの町々に帰れ」です。捕囚の民がバビロンに行く途上道筋にしるしをおきなさい、と言っています。その大きな道の様子をこころにとめなさい、と言われています。子らに語るためでしょう。「おとめイスラエル」という言い方は主なる神を親とし、イスラエルの民はその娘、という譬えのことです。旧約聖書で一般的な比喩です。エレミヤ書のあとにあるエレミヤ哀歌や、ソロモンの雅歌と言われる文書はこの比喩のもとで語られています。そして「帰れ」の繰り返しです。讃美歌517番「われにこよと、主は今」を思い出しますね。「帰れよ、帰れよ」です。この個所を読むと思いだす話があります。アメリカン・ネイティブの話です。アメリカ合衆国政府はアメリカン・ネイティブのチェロキー族をオクラホマのインディアン居住地に強制移動させることに決定いたしました。チェロキーは移住してきたアメリカ人と良好な関係を築こうと努力した部族でクリスチャンも沢山いました。時の大統領はアンドリュー・ジャクソンで、時は1838年の5月のことです。テネシー州からオクラホマ州まで1,900キロの道のりです。チェロキー族の黒人奴隷2,000人を同伴した17,000人のチェロキー族の人々がアメリカの軍隊にせき立てられつつ、目的地に向かったのです。この道を「涙の道」と言います。3週間かかりました。4,000人から5,000人が途中で死にました。チェロキー族の人々は「我々が泣いた道」と呼びました。チェロキーの指導者はジョン・ロス首長でクリスチャンです。驚くべきことに、一人の医者で宣教師のバトラーが一行と共にしました。この時、うたわれたのが「AmazingGrace」です。作者の一人がチェロキー族です。私は西部のアメリカでインディアン居住地にいくつか行きましたがそれは、それはひどい土地です。農業は全くできません。オクラホマの居住地でのチェロキー族の生活もみじめなものであったに相違ありません。アメリカの歴史における辱部、恥ずべき一面として語り続けられるべき歴史です。

31:22、最後の節には「  裏切り娘よ。いつまで迷い歩くのか。 主は、この国に、一つの新しい事を創造される。 ひとりの女がひとりの男を抱こう。」とあります。裏切り娘とは主なる神の選びの民としての期待を裏切ったイスラエルの民のことです。「一人の女がひとりの男を抱こう」の部分はいろいろな解釈があります。文脈から考えて、女はイスラエルの民、男は主なる神を意味しているはずですが、ピタリときません。新改訳2017は「女の優しさが一人の勇士を包む」と訳し、協会共同訳は「女が男を保護するだろう」と訳しています。新改訳ではまれにみる意訳です。いずれも女はイスラエルの民という制約を外しているようです。どうも私は同意できません。私は、雅歌にしめされているようにイスラエルの一人の女が主なる神の使者である一人の男に恋い焦がれて抱き着く、ということだ、と解釈できないものか、と考えています。これで31:20を除く各節を見てみました。余談も若干ありましたが、本日の聖書箇所では何が言われているかは想像できると思います。「悲しみ」です。

では31:20「エフライムは、わたしの大事な子なのだろうか。 それとも、喜びの子なのだろうか。 わたしは彼のことを語るたびに、いつも必ず彼のことを思い出す。 それゆえ、わたしのはらわたは 彼のためにわななき、わたしは彼をあわれまずにはいられない。 --主の御告げ--」です。エフライムはイスラエルの民のことを象徴的に言っていることで、主なる神は、このイスラエルは裏切りの民であり、見捨てるべき民であるが主なる神は選びの民を見捨てられない、という主なる神の屈折した心境を示しているのが前半部分と言えると思います。なんと主なる神について、「あまりにも人間的、あまりにも人間的」という叫び声が聞こえそうな部分です。イスラエル信仰における主なる神は全能の創造者なる神であって、人間とは隔絶された世界におられる絶対的超越者のはずではなかったか、という疑問がわいてきます。問題はここにあります。主なる神をどのようにみるのか、ということでの問題です。私たちは「主イエスのまなざし」の優しさに浸りたく思っています。しかし、旧約なかんずく、モーセ五書を見ると峻厳な罪への妥協を許さない主なる神の姿が見え、そのはざまで「三位一体とかいうのは何のことだろうか」と思うことがしばしばあります。中世キリスト教神学では絶対他者としての神が強調されたため、旧約の神の「人間的側面」を垣間見ると面食らってしまうのです。

この問題は31:20の後半を見ると更に拡大いたします。「それゆえ、わたしのはらわたは 彼のためにわななき、 わたしは彼をあわれまずにはいられない。 --主の御告げ--」とあります。「はらわたがわななく」のは主なる神です。このヘブル語の表現はもだえ苦しむ様(さま)のことです。先ほどの断腸の思い、と通じるものです。ラケルの悲しみ、苦しみを主なる神が経験される、と言っています。文語訳は「我、腸(はらわた)、かれの為に痛む」です。「痛む」という言葉を使っています。カソリックと共同の訳であった新共同訳は「彼のゆえに胸は高鳴り」で、大分ニュアンスが異なりますが、その改定版である協会共同訳は「彼のために、私のはらわたはもだえ」と変わり、新改訳と類似の訳になりました。実は口語訳は「わたしの心は彼をしたっている」であり、代表的なカソリックの訳であるフランシスコ会訳は「まことに、わたしのはらわたは彼を切望し」となって、主なる神の悲しみ、苦しみ、痛みは感じさせない表現に翻訳されています。そもそも、BC2c頃にギリシャ語に訳されましたが、その七十人訳という聖書のギリシャ語訳にそもそもの理由があると思われます。そこでは「私は彼を憐れむことに熱心で、彼の上に確かに憐れみをかける」という表現になっています。しかし、そのギリシャ語訳の英訳では「私は彼を助けることを急ぎ、彼の上に確かに憐れみをかける」となっています。またAD2cにラテン語訳が作成されました。そこでは「私の腸は彼のために悩まされています。憐れみつつ、私は、彼を憐れみます」となっており、ヘブル語の原義に少々もどったような感じです。しかし、「私の腸は彼のために悩まされています」であり、神が痛みを覚える、ようなヘブル語の表現とは異なります。ギリシャ語訳を作成したのはユダヤ教のラビです。ラテン語訳はキリスト教の神学者ヒエロニムスです。このラテン語訳がローマ・カソリックの正典となりました。

本当にいろいろに訳されていますが、根本的問題はギリシャ語訳のところで示されています。ユダヤ教のラビは主なる神が“悲しみ、苦しみ、痛む”のには抵抗感在り、主なる神がイスラエルの民に憐れみを掛ける、というように訳したのだと思われます。この問題は神の受苦問題と言われ、初期キリスト教での重大問題とされました。キリストは神の一顕現態様であり、キリストの受難は即ち神の受難である、とするモナルキア主義が異端とされ、正統派は受難即ち苦しみを被ったのは主イエス・キリストであり主なる神ではない、と主張しました。モナルキア主義は神とキリストは同一位格(人格)であるが態様が異なるに過ぎないので受難はこの同一人格の神、キリストが受けたものだ、というものです。正統派は神とキリストは別位格(人格)であるが本質において同一だというのです。神の受苦問題が三位一体論争に巻き込まれ、ローマ・カソリックはモナルキア主義の否定の結果、神の受苦否定にまで至ってしまったのです。結果的にはユダヤ教ラビの考え方と同じになりました。私は、この二つの問題は別の問題で、主なる神には人間から見ると矛盾して見えることがともに在る、と言うことなのではないか、と思いますので、主なる神の受苦(苦しみを受けること)はおかしくはない、と思っています。神の受苦に関する神学的議論はいまだ決着はついていません。聖書を読んでいくと、神は絶対他者で超越者という人間から隔絶された聖なる存在、という単純なことではなく、怒り、愛し、悲しむなど人間と同様な性質をお持ちである、としか読めません。神、エロヒームは超越的な聖なる方かもしれませんが、私たちが親しんでいる主なる神はそうではありません。苦しみを覚える方でもありはずだと思うのです。人となりたる神、主イエスはこれらの性質においては同一だと思います。三位一体という言葉の意味は正直言ってよくわかりません。旧約聖書を読んで黙想していくと主なる神と主イエス・キリストの同一性」が目立ってくる「ように思います。

実はこの個所は、戦後のキリスト教神学者で東京神学大学の教授であった北森嘉蔵先生の著書『神の痛みの神学』の中心的聖書箇所です。文語訳で「我、膓(はらわた)かれの爲に痛む」の個所から「神の痛み」ということを主題としたのです。この著書は1946年に出版され、1965年に英訳、1972年にドイツ語に訳されました。その後、更に韓国語等にも訳されました。ドイツの神学者の一部から絶賛され、日本のキリスト教界においても一世を風靡する神学となりました。ナチスの迫害のもとで死んだボーンヘッファーの「苦しむ神」と通底するものだともいわれました。「希望の神学」で有名な、現代のドイツの神学者ユルゲン・モルトマンの「神概念の革命」に寄与したともいわれています。「神の痛みの神学」は「神の痛み」を述べる神学です。「神の痛み」とは“神が自らの愛に反逆し、神にとって裁きの対象であるのみの罪人に対し、神がその怒りを自らが負い、なお罪人を愛そうとする神の愛を意味する”というのです。批判もあります。20世紀最大のキリスト教神学者と称せられるカール・バルトは「神の痛みの神学」の中に大東亜戦争の推進思想であった「日本的キリスト教」の匂いを感じ取りより批判しつつ、より普遍性を持ったキリスト教神学に発展することを期待しています。また戦前・戦中に人気を博した西田哲学の影響を読み取り、仏教的知恵の影響でのキリスト教だ、と批判されてもいます。また著者自身が神の受苦、を認めるものではないと主張したため、混乱が生じたことも事実です。私自身は「主なる神の受苦」を認めて何が悪いのか、と思いますが、神の受苦を認めないカソリックの伝統は極めて強い影響を残している、と思われます。

新改訳第三版の訳では「わたしの、はらわたは 彼のためにわななき」です。ヘブル語では「はらわた」は「e:me:」、「わななく」は「ha:ma:」です。それぞれの格変化で「he:me:-mu:a:」とつづられています。そしてこの直後にヘブル語「ra:ham(あわれむ)」が続いています。実は、これとそっくりの表現がイザヤ書63:15にあります。新改訳第三版の訳は「どうか、天から見おろし、 聖なる輝かしい御住まいからご覧ください。 あなたの熱心と、力あるみわざは、 どこにあるのでしょう。 私へのあなたのたぎる思いとあわれみを、 あなたは押さえておられるのですか。」とあります。この「あなたのたぎる思い」という部分が「hamo:n-me:e:ha:」で「ha:ma:(わななく)」の名詞形と「e:me:(はらわた)」の二人称語尾が付加された名詞です。そして「ra:ham(あわれむ)」が続きます。この節の少々前の63:9に「彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ、 ご自身の使いが彼らを救った。 その愛とあわれみによって主は彼らを贖い、 昔からずっと、彼らを背負い、抱いて来られた」とあることから、イザヤ書63:15もエレミヤ書31:20同様、神の痛み、について述べた個所、と言ってよかろうかと思います。まとめてみますと、「神の痛み」は、イザヤ、エレミヤに明確に述べられており、それは「神のあわれみ」につながるものであり、かつ、「神の痛み」の具体的表現は「選びの民イスラエルが苦しむ時、いつも主ヤハウェーも、ともに苦しむ」ということです。

北森先生の言う「神の痛み」は「大いなる罪の為、本来包むべからざるものを徹底的に包む」もので「神の愛」の表現そのものです。それは①神が神の敵である罪人を愛し給う時の痛みであり、②主なる神がその選ばれた民を罪の故に裁く時の痛みです。私たちクリスチャンにとってみれば、これ即ち、主なる神と主イエス・キリスト、更には新しきイスラエルとしての我々との関係と並行的です。神は、罪ある人とされた主イエス、即ち我々を痛みをもって愛し、いかなる罪をも許さない主なる神が、罪人とされた主イエス、即ち我々を、裁きの座に置く時の痛みが表現されている、と見ることができます。主イエス・は復活し、天上に挙げられたのちは、復活の主イエスが主なる神の痛みを私たちに示してくださることになるのです。その復活の主イエスはイザヤ書63:9にあるように「我らが苦しむときには、いつも主(イエス)も苦しみ、 その愛とあわれみによって主は我らを贖い、 我らを背負い、抱いて来られ」る、のです。これはインマヌエルの主、我らと共にある主を指しており、マタイ福音書11:28の有名な「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」のみ言葉に直結しています。

エレミヤ書31:20とイザヤ書63:15の神の痛み、のところのギリシャ語訳をみて、新約のどの言葉とつながっているかを見てみます。まずエレミヤ書31:20の問題の部分のギリシャ語訳を直訳すると「私は彼を憐れむことに熱心になり、彼の上に確かに憐れみをかける」となります。「あわれむ」という言葉がKeyWordであろう、と推測されます。イザヤ書63:15の該当部分のギリシャ語を直訳すると「どこにあるのか、大いなるあなたのあわれみと、我々への忍耐への共感は」となります。やはりKeyWordは「あわれむ」です。この「あわれむ」というギリシャ語の言葉は動詞は「elee:wo」ということばで、「主よ、憐れみたまえ(クリエ・エライソーン)」ということばで有名です。マタイ福音書9:27 「イエスがそこを出て、道を通って行かれると、ふたりの盲人が大声で、「ダビデの子よ。私たちをあわれんでください」と叫びながらついて来た」とある言葉であり、ローマ・カソリックの典礼定型句としてよく知られています。マタイ受難曲の児童合唱のところにも出てくる言葉です。主イエスの受難に思いを致し、苦難の中にある我らに主の憐れみを賜れかし、という意味です。「主よ、憐れみたまえ」は神が苦にある我々に同情してくれることを願い求める言葉ではありません。先ほど来、申し上げている「インマヌエルの主」が重要です。主が我らと共にいて苦難を共にしてくださる。ということです。讃美歌551番にもこの言葉が出てきます。この最初は「我らをあわれみ、さきわいたまえ。神よ、み顔を我らの上に、てらしませ」とあります。「苦難を共にする」ということを考えると仏教においても「苦」が重要な言葉であることが思い出されます。イタイイタイ病のことを書いた石牟礼道子の『苦海浄土』のことも思い出されます。一切は苦、というのは仏教の悟りの一つですが、キリスト教はそれを「主よ、あわれみたまえ」と言う願いの表現で示しています。

新約聖書にはこれと類似の言葉がもう一つあります。「splangks-nizo:mai」という動詞です。この言葉は新約聖書で「深くあわれむ」と訳されている言葉です。用例としてマタイ9:36 には「また、群衆を見て、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている彼らをかわいそうに思われた」とあります。ここでは「かわいそうに思う」と訳されています。新約聖書には12の節に用例がありますが、大部分は主イエスが人間を「深くあわれん」だり、「かわいそうに思われ」たりする場面で使用されています。内容的にエレミヤ、イザヤの「神の痛み」を「主イエスの痛み」と読み替えた時の意味合いと同じです。現在、同盟教団杉戸キリスト教会の牧師の野町真理先生は東海聖書進学塾の卒論で「神の痛みの神学のキリスト論的展開」のKeyWordとされています。「神の痛み」の個所、エレミヤ31:20、イザヤ63:15との言葉の上での関連を見ると、両個所の後半部分で「(神が)彼(イスラエル)をあわれまずにはいられない」、「私(イスラエル)への—あわれみ」と訳されているヘブル語「ra:ham」のギリシャ語訳の一つとして「splangks-nizo:mai」の変化形「saplangkna」がある、という関係です。エレミヤ31:20、イザヤ63:15では意訳され、異なる言葉が使われています。

七十人訳などでの「saplangkna」の用例を若干見てみます。箴言12:10「正しい者は、自分の家畜のいのちに気を配る。 悪者のあわれみは、残忍である」では「あわれみ」と訳されています。外典シラ書30:7 の協会共同訳「子を甘やかす者は、その傷の手当てをし/彼が叫び声を上げる度に/はらわたをかきむしられる思いがする」では「はらわたをかきむしられる」と訳されています。「神の痛み」のところとほぼ同じ意味です。外典第二マカベア書9:5 「するとイスラエルの神、すべてを見ておられる主は、目に見えない治癒不能な一撃で彼を撃たれた。彼が言葉を終えるやいなや、内臓の致命的な痛みと刺すような疼痛が、彼を襲ったのである」の「内臓の致命的な痛み」が「saplangkna」です。エレミヤ31:20の「わたしのはらわたは 彼のためにわななき」と極めて近い表現になってきています。更に同じく第二マカベア書6:07では「そして彼らは、月ごとの王の誕生日にはいけにえの内臓を無理やり食べさせられ、ディオニソス祭という祭りが催されると、—」と記されており「いけにえの内臓を—食べさせられ」がこの言葉です。これらは所謂中間期文書であり、ヘブル語原文は今に残されていませんが、対応のヘブル語は先ほどの「ra:ham」でほぼ間違いはありません。またこの「saplangkna」「splangks-nizo:mai」の元の意味は{(いけにえを供えた後、その内臓を食べる)であり、「はらわた」と共通しているイメージの言葉です。これらからの推測としてエレミヤ31:20の「わたしのはらわたは 彼のためにわななき、わたしは彼をあわれまずにはいられない」の「わななき」と「あわれむ」の両方の意味を一つの単語で表現することばとしてギリシャ語の「saplangkna」「splangks-nizo:mai」が使用されるようになったものと考えられます。中間期文書が「はらわたがわななく」の意味を継承していると考えられる個所と「あわれむ」の意味を継承している分が混在しています。新約の時代に至ってはほぼ「あわれむ」の意味となっています。なお新約聖書で「主よ、あわれみたまえ」のギリシャ語「ele-e:wo」もヘブル語訳新約聖書では「ra:ham」が使われています。ギリシャ語「splangks-nizo:mai」とギリシャ語「ele-e:wo」はヘブル語「na:ham」を媒介として通じている言葉だ、ということもできます。

これらの言葉のつながりも考慮に入れると「主なる神の痛み」は新約に在っては主イエスの「splangks-nizo:mai」(深くあわれむ、かわいそうに思われる)によって表現されている、といってよい、と思われます。人間の方からそれを表現する時は「主よ、憐れみたまえ」の願いとなるのです。キリスト教、イスラエル信仰における主なる神は「痛み」を覚える存在であり、我らの痛みを共にしてくださる神なのです。祈ります。 (ご在天の父なる御神様、今日の聖書箇所は「神の痛み」に関する個所でした。神学的議論はいろいろありますが、我らの主イエスは我らと共に在って、「痛み」を共にしてくださる方であることを知り感謝申し上げます。このことは、旧約のエレミヤ書において既に現れている、ことを知り、新鮮な驚きを感ずるものです。インマヌエルの神、主イエスが「あなたを休ませてあげる」と、私たちにあわれみの言葉を与えてくださっています。私たちを、主イエスにすべてをゆだねる者とさせてください。我らと共に在って「痛み」を共にしてくださっている主イエスの名において、この祈りを捧げます。アーメン)

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偽りの預言者エレミヤ書23:18-29森田俊隆 https://domei-nakahara.com/2022/10/16/%e5%81%bd%e3%82%8a%e3%81%ae%e9%a0%90%e8%a8%80%e8%80%85%e3%82%a8%e3%83%ac%e3%83%9f%e3%83%a4%e6%9b%b82318-29%e6%a3%ae%e7%94%b0%e4%bf%8a%e9%9a%86/ Sun, 16 Oct 2022 00:08:00 +0000 https://domei-nakahara.com/?p=3899 "偽りの預言者
エレミヤ書23:18-29
森田俊隆
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* 当日の説教ではこのうちの一部を省略して話しています。

本日の聖書箇所はエレミヤ書23:18-29です。23:9から23章の最後までは「偽りの預言者」と称せられており、本日の箇所はその中心部分ということになります。エレミヤ書全体を極めて概略的に見ますと、ヨシヤ王の時代の託宣、エホヤキム王時代の託宣、ゼデキヤ王の時代の託宣、そして、エレミヤ後半生の事件に関する記述があり、諸外国への託宣で結ばれる、ということができます。本日の「偽りの預言者」の箇所は、ゼデキヤ王の時代の託宣の中間に位置しています。ゼデキヤ王はユダ王国最後の王です。ユダ王国最後の時にエレミヤは当時の預言者達を、偽りを言う預言者として批判したのです。

この時代背景を簡単に見ておきましょう。エレミヤの預言はヨシヤ王の時代に始まります。ヨシヤ王は申命記改革と言う宗教改革を行ったことで有名です。現在、モーセ五書と言われる、旧約聖書の原型がこの時発見され、これに基づきカナンの農業神バアル等の偶像崇拝を完全にやめ、エレサレム神殿を中心とする、「主なる神」への信仰を確立した時代です。牧師の子どもで「義也(ヨシヤ)」という名の男の子がときどきいますが、このヨシヤ王から採られた名前と思われます。このヨシヤ王の時代は北のアッシリアは衰退し、BC612、メディアとバビロニアの連合軍により首都ニネベが陥落し、メソポタミアの地はバビロニアの支配するところとなります。他方、南のエジプトはエチオピア王朝である25王朝からエジプト人の26王朝となり漸次力を回復してきていました。そして、BC609年、エジプトは新興国バビロニアの進出を阻止するためアッシリアの完全崩壊を阻止しようと出兵します。ヨシヤ王はバビロニアと友好関係にあったのでエジプトの北上を阻止すべく、エジプト軍と戦います。そこでヨシヤ王は戦死し、ユダヤは敗退いたします。その後、ヨシヤ王のあとを継いだのはその子のエホアハズですがわずか3か月の短命政権です。エジプト王ネコII世のいうことを聞かなかったようでありエジプトに囚人として連れて行かれます。そのあとはヨシヤ王の他の子どもである、エホヤキムがユダ王国の王となります。エホヤキムはエジプトに従属した政治を行います。宗教政策は偶像崇拝の復活です。またエレミヤと同様にユダ王国に裁きの預言をした「シェマヤの子ウリヤ」を殺害しました。エレミヤやその書記バルクも殺されそうであった、と言われています。

さてアッシリヤを滅ぼしたバビロニアがエジプトの支配を放置していることはありえません。ネブカドネザルはシリア近辺でエジプト軍を決定的に敗北させ、パレスチナ地域に進出します。ネブカドネザルはエルサレムに侵入し神殿を収奪し、エホヤキムをバビロニアに従属させ、エルサレムの指導者の一部をバビロンに捕囚しました。バビロン捕囚の先駆けです。このなかに、ダニエル書のダニエルとその友人が含まれていました。エホヤキムは当初はバビロニアに忠実でしたが、エジプトを頼みとしてバビロニアの支配を逃れようと図るようになります。王子から正式な王となったネブカドネザルはBC598年、エルサレムに侵入し、多くのユダ王国の指導者を捕囚にします。第一次バビロン捕囚です。エホヤキム王は足枷をはめられ、バビロンに連れて行かれる前、敵の兵士によって殺害された、と見られています。本日の聖書箇所の前の22:18-19では「それゆえ、ヨシヤの子、ユダの王エホヤキムについて、主はこう仰せられる。 だれも、『ああ、悲しいかな、私の兄弟。 ああ、悲しいかな、私の姉妹』 と言って彼をいたまず、 だれも、『ああ、悲しいかな、主よ。 ああ、悲しいかな、陛下よ』 と言って彼をいたまない。彼はここからエルサレムの門まで、 引きずられ、投げやられて、 ろばが埋められるように埋められる。」と記されています。そしてこのあと子供のエホヤキンが王となりますが、王位にあったのはわずか3か月であり、ネブカドネザルは彼も捕囚としてバビロンに連行し、おじのゼデキヤを王としました。このゼデキヤがユダ王国の最後の王であり、エレミヤが「偽りの預言者」の預言をした時の王です。しかし、当時、ユダの民衆はエホヤキンを王と見做していたようです。バビロニアにより王とされたゼデキヤは当初はバビロニアに従順でしたが、エジプトに援助を求め、バビロニアとの対決姿勢に転じます。これをみて、ネブカドネザルは再度エルサレム攻略に出兵いたします。ユダヤ人は頑強な抵抗を行ったようです。考古学上の証拠が残されています。二年半の抵抗です。結局、バビロニア軍に占領され、ゼデキヤ王は捕囚されます。エレミヤ書52:10-11には「バビロンの王は、ゼデキヤの子らを彼の目の前で虐殺し、ユダのすべての首長たちをリブラで虐殺した。またゼデキヤの目をつぶし、彼を青銅の足かせにつないだ。バビロンの王は、彼をバビロンへ連れて行き、彼を死ぬ日まで獄屋に入れておいた。」とされています。この年、BC587年がユダ王国の滅亡の日、となっています。

ユダ王国の末期は北のアッシリアそのあとのバビロニアと南のエジプトの間にあって、ユダ王国はあっちにつき、こっちにつき存続を図ろうとしますが、最後はバビロニアに滅ぼされる運命となります。エレミヤは一貫して、大国を頼みの綱とするのではなく、「主なる神」のみを頼りとする信仰に立てということを述べます。ユダ王国が自ら両大国のいずれとも同盟することをよしとしませんでした。政治的、軍事的には、具体的にはバビロニア支配を受容することを意味しました。その最後の場面で命の危険が迫ってきている中で、エレミヤは「偽りの預言者」に対する批判を行うのです。

23:9-17は「偽りの預言者」の前半部分ですが23:15-17をお読みします。「それゆえ、万軍の主は、 預言者たちについて、こう仰せられる。 「見よ。わたしは彼らに、 苦よもぎを食べさせ、毒の水を飲ませる。 汚れがエルサレムの預言者たちから出て、 この全土に広がったからだ。」万軍の主はこう仰せられる。 「あなたがたに預言する預言者たちの ことばを聞くな。 彼らはあなたがたを むなしいものにしようとしている。 主の口からではなく、 自分の心の幻を語っている。彼らは、わたしを侮る者に向かって、 『主はあなたがたに平安があると告げられた』と しきりに言っており、 また、かたくなな心のままに歩む すべての者に向かって、 『あなたがたにはわざわいが来ない』と 言っている。」とあります。「偽りの預言者」達は、平安だ、平安だと言い、災いが来ることはない、と言いふらしている、というのです。イスラエルの民は神の選民であり、アブラハム、ダビデに対する神の祝福の約束があるから、必ずや平安が守られ、外国による占領と言うような災いはこない、と言っていた、というのです。エレミヤはユダ王国に対する神の裁きは避けられず、その滅亡が近い、ということを言っていた訳ですから、これと真っ向から対立する預言です。だれでも、エレミヤのように“滅亡は近い、救いはない”というようなことを言われると、“もう、聞きたくもない”というのが普通ですから、おそらく、この「偽りの預言者」の方が大勢であり、エレミヤのような預言は圧倒的少数であったでしょう。エホヤキムの時代に殺された預言者「シェマヤの子ウリヤ」と同様、エレミヤも殺害の危険にあったと考えられます。それでもエレミヤはこの預言を止めませんでした。神様はジグザグに進む救いの完成の道において悔い改めの心を持たない我々に、大災厄が起きることを容認することがあるのだ、という事だけは心に留めておく必要があります。聖書はネブカドネザルを神の使い、とまで言っています。

続いて本日の聖書箇所23:18-20をお読みします。「いったいだれが、主の会議に連なり、 主のことばを見聞きしたか。 だれが、耳を傾けて主のことばを聞いたか。/見よ。主の暴風、--憤り-- うずを巻く暴風が起こり、 悪者の頭上にうずを巻く。主の怒りは、 御心の思うところを行って、成し遂げるまで 去ることはない。 終わりの日に、 あなたがたはそれを明らかに悟ろう。」と言われています。「主の会議」についてはアモス書3:7に「まことに、神である主は、 そのはかりごとを、 ご自分のしもべ、預言者たちに示さないでは、 何事もなさらない。」とあります。「会議」と「はかりごと」は同じ語です。ヘブル語で「so:d」です。アモス書のこの部分は主なる神は主のしもべや預言者を通じて働く、ということを述べています。エレミヤ書のこの部分は、真の預言者はこの場において主のはかりごとを聴く機会があるが、偽りの預言者にはこの場に連なることが許されない、ということを意味していることになります。そして、偽りの預言者には主の怒りが向けられます。このことが「終わりの日」に明らかに悟る、とエレミヤはあなたに言います。終わりの日、即ち主の日は「未だ、であり、既に、である」というのがイスラエルの信仰であり、我々の信仰です。エレミヤにとっては、このことが明らかになるのは未来でもあり、現在でもある、ということです。

次に23:21-22をお読みします。「わたしはこのような預言者たちを 遣わさなかったのに、 彼らは走り続け、 わたしは彼らに語らなかったのに、 彼らは預言している。もし彼らがわたしの会議に連なったのなら、 彼らはわたしの民にわたしのことばを聞かせ、 民をその悪の道から、その悪い行いから 立ち返らせたであろうに」と言っています。偽りの預言者は主の語られなかったことを述べており、もし彼らが主の言葉を真に聞く機会があったなら、その偽りを述べる悪の道から、悔い改め、主の言葉に立ち帰ることができただろうに、という事です。ここで「立ち返る」と言う言葉は新約聖書で「悔い改める」と言う言葉になっている「shu:b」です。

続く23:23-24も現代的問題を述べています。「わたしは近くにいれば、神なのか。 --主の御告げ-- 遠くにいれば、神ではないのか。人が隠れた所に身を隠したら、 わたしは彼を見ることができないのか。 --主の御告げ-- 天にも地にも、わたしは満ちているではないか。 --主の御告げ--」とあります。「主の御告げ」とありますので、ここはエレミヤの言葉ではなく「主なる神」の言葉です。主なる神は、人間には近くにいる、と感じられない、超越的であり「隠れたる神」であるが、同時に、この被造物世界のすべての場に満ち満ちている方だ、と言っています。ここでも「遠くにあるが、満ち満ちている」という我々から見ると論理矛盾と言える、ことが言われています。これは「主の日」が「未だ、であり、既に、である」のと似ています。イスラエルの歴史が示しているのは「絶望のなかに希望を見る」という信仰姿勢ですが、これもこれら論理矛盾とみられることと共通しているようにおもわれます。但し、イスラエルの信仰は抽象的哲学ではなく必ず、両者とも、この被造物世界において発生していることに根拠に持っている、ということを忘れてはなりません。

23-:25-28は偽りの預言者が夢を見たことを悪用している点についてです。「「わたしの名によって偽りを預言する預言者たちが、『私は夢を見た。夢を見た』と言ったのを、わたしは聞いた。いつまで偽りの預言が、あの預言者たちの心にあるのだろうか。いつまで欺きの預言が、彼らの心にあるのだろうか。彼らの先祖がバアルのためにわたしの名を忘れたように、彼らはおのおの自分たちの夢を述べ、わたしの民にわたしの名を忘れさせようと、たくらんでいるのだろうか。夢を見る預言者は夢を述べるがよい。しかし、わたしのことばを聞く者は、わたしのことばを忠実に語らなければならない。麦はわらと何のかかわりがあろうか。--主の御告げ--」とあります。主なる神の言葉です。偽りの預言者の夢は、心の中の偽りの預言、欺きの預言から出たものだ、と言われています。「欺きの預言」の部分は新共同訳では「自分の心が欺くままに預言」となっています。自己欺瞞の預言ということであり、偽りの預言の別表現とみてよさそうです。この偽りの夢を述べ、主なる神の名を忘れさせようとしている、と言われています。そして、28節で主なる神の言葉に聞く者、即ち、主の僕、真の預言者はこの言葉を忠実に語らなければならない、と言われています。「聞いて、語る」です。聞かずして語ると、これは主なる神の言葉ではなく、自分の、人間の言葉になってしまいます。18節の「主の会議に連なる」ことも主の言葉に聞く場です。「聞く」はヘブル語では「sha:ma:」という動詞ですが、これが命令形「shema:」になると、あのイスラエルの祈りの最初の言葉「イスラエルよ、聞け。われわれの神、主は唯一の主である。」の「聞け」です。この言葉は「心に留める」「理解する」の意味でも使用されます。また再帰形という変化形では「従順である」という意味にもなります。謙虚な心で主の言葉に聞き、心に貯えられる、その言葉に従順に従って生きる、という意味でしょう。「麦とわらと何のかかわりがあろうか」は真の預言者と偽りの預言者は無関係、まるで逆だ、と言っています。

本日の聖書箇所の最後は「わたしのことばは火のようではないか。また、岩を砕く金槌のようではないか。--主の御告げ-- 」という文で閉じられています。主の言葉の力を表現したことばです。エレミヤ書20:9では「主のみことばは私の心のうちで、骨の中に閉じ込められて燃えさかる火のようになり、私はうちにしまっておくのに疲れて耐えられません。」と言われています。火の中で神の言葉が語られる、と表現されてきたのが、エレミヤでは神の言葉そのものが火となっています。エレミヤにとっては主なる神より預かった言葉は、心の中で火となり燃え盛り、それが語られる時、岩を砕く金槌のようでもある、というのです。聖書を読んでいて、グサッと突き刺さる言葉に出会うことがありますが、それがこのことを意味しているのかもしれません。

30節から23章の最後までは、主の言葉ではなく自分の言葉を騙(かた)っている偽りの預言者には主が彼らの敵になる、と言われています。また、主の宣告を主からの重荷とし、それから逃れようとする者には主の裁きが下される、と言われています。「永遠のそしり、忘れられることのない、永遠の侮辱をあなたがたに与える。』」と言う言葉で結ばれています。ここで「宣告」と訳されている言葉と「重荷」と訳されている言葉はヘブル語では「masa:」という言葉です。新共同訳では一貫して「宣告」と同様の意味の「託宣」と訳されています。逆にカソリックのフランシスコ会訳は一貫して「重荷」と訳されています。この語は「物を持ち上げる」という意味の「masa:a:」が名詞化したもので「masa:」は「宣告」「重荷」「苦難」の意味があります。ナホム書1:1「ニネベに対する宣告」、ハバクク書1:1「預言者ハバククが預言した宣告」、ゼカリヤ書9:1「宣告」のところで「宣告」英語ではoracleと訳されることがある言葉です。苦難を宣告する神の言葉です。エレミヤの預言は、「平安、平安」と言っている偽りの預言者やユダの民には“主からのイスラエルに対する過酷な重荷である預言“と受け止められたのです。ナホムやハバクク、ゼカリヤの預言も同様です。この事情から、新改訳の一部、そして新共同訳ではすべてのこの言葉が「宣告」とか「託宣」と訳される結果になったと考えられます。しかし、意味するところに重点をおいて考えるなら、すべて「重荷」と訳するのが理解しやすい、と思われます。通常の「預言」とは異なります。「重荷」「苦難」の宣告なのです。そしてエレミヤ書のここでは、主から重荷を負わされたなどといってはならない、しかし、これを重荷というユダは滅びの裁きを逃れられない、と言われているのです。そうではなく、「主は何と答えられたか」ということにのみ注意を払い、主の言葉を忠実に語れ、それをどうこう解釈するなどするな、と言われています。これは主の言葉は「重荷」「苦難」を与え滅ぼすことが目的で与えられるのではない、ただ言葉を受けよ、と言われているのです。その裏には、その時には、人間には理解できない、神のはかりごとが隠れている、ということでしょう。

この偽りの預言者の章では、私たちの信仰姿勢に大きな問いを投げかけている、ということは理解できますが、このメッセージは新約聖書にはどのように受け継がれているのでしょうか。もう一度、言葉から入って行きます。ここで「偽りの預言者」と称しているのは23:25の「偽りを預言する預言者」のことです。これをつづめた「偽りの預言者」という言葉はエレミヤ書及び旧約聖書には登場しません。ここで「偽り」と訳されているのはヘブル語で「sheqer」という名詞です。「嘘」「偽り」「誤り」「欺瞞」というような意味で多用されている言葉です。預言者は「nabi:」ですから、「nabi: sha:qe:r」となります。イエス様が日常的に使用していたと推測されているアラム語ではここが「nebi: shaqra:」となっており、ヘブル語の「nabi: sha:qe:r」と同じ言葉です。発音は少々異なります。マタイによる福音書7:15に「にせ預言者」というのが出てきます。「にせ預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲な狼です。」とあります。19世紀に成立した新約聖書のヘブル語訳というのがありますが、そこでこの「にせ預言者」は「偽りの預言者」(nabi: hasha:qer)です。これは旧約の「nabi: sha:qe:r」に冠詞「ha」を補つたものです。次に、ギリシャ語の方を見てみましょう。旧約聖書のギリシャ語訳でエレミヤ書23:25の「偽り」は「psyu:de:」という言葉で、預言者は「profe:te:s」です。従って、「偽りの預言者」は「profe:te:s psyu:de:」ということになります。マタイ7:15の「にせ預言者」は「psyu:do-profe:te:s」と記されています。これは旧約聖書ギリシャ語訳での「偽り」という形容詞と「預言者」という言葉を合成し造られた言葉です。「psyu:de:」と言う言葉は「偽り」「嘘」を意味する言葉です。英語にも「pseudo」(sju:dou)という「偽」と言う意味の言葉がありますね。従って、新約聖書でしばしば出てくる「にせ預言者」というのは旧約聖書における「偽りの預言者」のことだと断定してよさそうです。もっとも旧約聖書では「偽りの預言者」と言う形でまとめられた言葉はでてきませんから、エレミヤ書23:25における「偽りを預言する預言者」がその後、ユダヤの民に於いて一語として慣用的に使用されるようになり、新約の「にせ預言者」になった、と言えるでしょう。

本日のエレミヤ書23:18-29を追いかけていくと、「偽りの預言者」は神の言葉に忠実ではない、という特徴が見えてきます。神の言葉に「聞く」姿勢がなく、自分の思いを語るのです。厳しい、ある意味で残酷な言葉は、語りにくいものです。けして皆から喜ばれるものではないからです。しかし、それが、神の言葉であり、神の答えがあるならば、真の預言者は曲げずにこれを語るのです。では何が神の言葉でしょうか。もちろん、聖書が神の言葉の基本だというのはそうなのですが、私たち新約の民には神の言葉が人となられた、我らの主イエスがおられます。主イエスのおっしゃられたこと、なされたこと、が神の言葉という神からのメッセージになります。旧約の時代に神から与えられた律法という神の言葉では人間は救いの道に入ることは出来ませんでした。神は主イエスという形で神のメッセージ、神の言葉を私たちに与えられたのです。

エレミヤ書では神の言葉に忠実でない者を「偽りの預言者」としています。列王記、歴代誌では「預言者の口で偽りを言う霊」という表現があり、イザヤ書9:15には「そのかしらとは、長老や身分の高い者。 その尾とは、偽りを教える預言者」という表現があり、「偽りを教える預言者」という形で出てきます。そしてエレミヤ書では「偽りを言う預言者」が多数でてきますが、これ以降はゼカリヤ書13:3に「なお預言する者があれば、彼を生んだ父と母とが彼に向かって言うであろう。「あなたは生きていてはならない。主の名を使ってうそを告げたから」と。彼を生んだ父と母が、彼の預言しているときに、彼を刺し殺そう。」という表現があります。これは「うそをつく預言者」は裁きの時彼の父母が彼を殺す、と言っている部分です。十戒第二戒を破り「みだりに主の名を言う」預言者のことです。また外典と称せられる「知恵の書」14:28には「彼らは快楽に狂い、偽りの預言をし、不正な生活を送って、軽々しく偽証する。」という表現がでてきます。偶像崇拝にふける者は道徳的にも堕落して、遂には「偽りの預言」をし、十戒で禁じられた偽証をする、というのです。これらの表現は「偽りの預言者」の系列に属する、と言って良いと思いますが、神の言葉に忠実でない預言者というエレミヤ書の原義より拡大されているようです。

新約聖書で「にせ預言者」をみると、主イエスの福音から人々を離れさせる預言者のことを言っています。マタイ24:24では「にせキリスト、にせ預言者たちが現れて、できれば選民をも惑わそうとして、大きなしるしや不思議なことをして見せます。」と言われていますので「大きなしるしや不思議」を起こし、これによりイスラエルの民を惑わす預言者のことのようです。当時の状況において考えれば、イスラエル解放を実現してやると称している自称キリストのことではないか、と思われます。使徒の働き13:6では“「にせ預言者」バルイエスというユダヤ人魔術師“という表現も出てきます。これはキプロス島にいた魔術師のことです。おそらく、当時の医者も兼ねた魔術師的霊的指導者のことでしょう。ペテロの手紙、ヨハネの手紙にも「にせ預言者」が登場します。しかし、パウロの手紙には登場しません。パウロにとっては「預言者」と言えば、モーセに始まりイザヤ、エレミヤに続くイスラエルの綿々たる系譜にあるものですから、このような不埒な人々は「にせ」とは言っても「預言者」というに値しない、というようなことなのでしょう。新約聖書の最後に黙示録にこの「にせ預言者」という表現が3度でてきます。黙示録20:10が最後ですが「そして、彼らを惑わした悪魔は火と硫黄との池に投げ込まれた。そこは獣も、にせ預言者もいる所で、彼らは永遠に昼も夜も苦しみを受ける。」と言われています。サタンの支配するハデスに居る「預言者」です。黙示録19:20では「獣の像を拝む人々を惑わしたあのにせ預言者」と言われています。偶像礼拝をしている民を悔い改めに導くのではなく、ハデスに行き、永遠の苦しみの道に惑わし、入れる指導者のことです。主イエスの福音のメッセージから離れたことを語る教師のことです。

「偽りの預言者」「にせ預言者」を通して見るとこの両者の識別の鍵は「神の言葉」にあることが一貫していると言えます。「神の言葉」の理解が旧約と新約では異なる、ということです。新約での「神の言葉」は主イエスの福音のメッセージ、即ち「愛の律法」ですが、この背後には旧約における火のような、岩を砕く金槌である「神の言葉」があるのです。この旧約の「神の言葉」があるがゆえに新約の「神の言葉」が神からの一方的恵みとして我々に迫って来るのです。あまり安易な適用は良くありませんが、大災害や戦争のような悲劇が主なる神からの警告であり、人間に平安・平和を回復するチャンスが与えられている、ということも出来るのです。原発事故のこと、憲法9条のことを考えると私たちに「神の言葉」が臨んでいる、と感じざるをえません。私たち、日本のキリスト者はこの「真の預言者」の系譜に立っているでしょうか。祈ります。

(ご在天の父なる御神様、今日の賛美と祈りの時を感謝いたします。「偽りの預言者」の言葉から学びました。エレミヤはユダの民に、選びの民には神の守りがある、と根拠のない気休めの言葉を語った預言者を「偽りの預言者」と呼びました。新約聖書黙示録などでも「偽預言者」が語られています。今の世にも、地球は氷河期に向かっているのだから地球温暖化は一時的出来事だ、という人もいます。私たちは、そのような気休めの言葉に振り回されてはならない、と思います。主イエスが私たちに語られた言葉に忠実に生きるよう私たちを導いてください。苦難は人間の罪からくる苦難として真正面から受け止め、耐える力をお与えください。なすべきことをなす勇気をお与えください。主イエスの御名により祈ります。アーメン)

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イザヤ書における王イザヤ書42:1-9森田俊隆 https://domei-nakahara.com/2022/09/18/%e3%82%a4%e3%82%b6%e3%83%a4%e6%9b%b8%e3%81%ab%e3%81%8a%e3%81%91%e3%82%8b%e7%8e%8b%e3%82%a4%e3%82%b6%e3%83%a4%e6%9b%b8421-9%e6%a3%ae%e7%94%b0%e4%bf%8a%e9%9a%86/ Sat, 17 Sep 2022 23:53:00 +0000 https://domei-nakahara.com/?p=3800 "イザヤ書における王
イザヤ書42:1-9
森田俊隆
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* 当日の説教ではこのうちの一部を省略して話しています。

今日は先月に続きイザヤ書からのお話です。イザヤ書に示されている王というのはどのような王なのかを見てみたいと思います。主イエスには、キリストとしての三つの職務がある、と言ったのは宗教改革者カルヴァンです。三つの職務と言っているのは「預言者、祭司、王」の三つです。預言者としての役割、祭司の役割はわかりやすいのですが「王」の役割は具体的にはイメージできません。主イエスの十字架上での死は世にいう「王」とは似ても似つかない、みじめなものであったからです。そのため、王であるのを示されたのは十字架によるのではなく、復活によるのである、とか、王の役割・職務が十全に示されるのは将来に予定されている主イエスの再臨、最後の審判の時、である、とか、正直なところ言い訳がましい説が言われます。王たる主イエスのいわば原型がイスラエルの歴史にあるとすれば、イザヤ書に示された王がその理解を助けるものになるのではないか、ということで、「イザヤ書における王」というものを見てみたい、と思うのです。

まず、基本的なこととして理解しておいていただきたいのは、旧約聖書は社会的な制度としての王制には極めて懐疑的だ、ということです。サウルが王になる前に、イスラエルの民が、王が必要だと預言者サムエルに言ったとき、主なる神の言葉はNegativeなものでした。サムエル記上8:9「今、彼らの声を聞け。ただし、彼らにきびしく警告し、彼らを治める王の権利を彼らに知らせよ」という言葉が記されています。王を定めると、王が民を支配し、イスラエルの主はヤハウェのみである、ということがおろそかにされ、王の方も指導者がいつの間にか支配者になり、神のみむねから離れていく、というのがその理由です。詩編145: 1では「私の神、王よ。私はあなたをあがめます。あなたの御名を世々限りなく、ほめたたえます。」とあり、神と王を同一視しています。したがって、旧約聖書で「王」と言う時は、イスラエルの主なる神を指しているのか、地上の王を指しているのかの区別をする必要があります。この結果、イスラエルの歴史記述において現実の王はほとんど良く言われず、ヤハウェ信仰を確立するよう努めた数人に賛辞が送られているのみです。後に、べたぼめされるようになったダビデについても部下の妻を奪うようなことをした彼の悪行を明白にしるしています。この行為はダビデが、単なる指導者ではなく部下に対し横暴な支配者としてのふるまいを見せたことを意味しています。ダビデ王朝は既に、主なる神のイスラエルの直接支配の考え方から離れてしまっていたことを暗示しています。他方で、エジプトをはじめとして、地上の王は神の代理人、乃至は神そのものとしてふるまっている国がむしろ、通常であり、この考え方がイスラエルにも入り込んでいたことも事実です。

イザヤは当初は宮廷預言者であったと想像されています。宮廷預言者であれば通常は王の意向を忖度し、神の言葉を預かる者としての預言者の機能が融和的になりがちなのですが、イザヤはそのような人物ではなく、主なる神の言葉を忠実に、王に、貴族に、民に語ったようです。時の王アハズ、ヒゼキヤに手厳しいことも多数言っています。伝承によれば、イザヤはこの後の王マナセによってのこぎりで惨殺された、と言われています。これらのことから、イザヤは王制に懐疑的なイスラエル信仰の伝統を受け継いでいたのではないか、と推測します。

イザヤ書における王の関連個所としてまず見たいと思うのは本日の聖書箇所42:1-9です。この個所はイザヤ書で有名な五つの「僕の歌」のうち、第一のものです。僕(しもべ)と言っているのは主なる神ヤハウェの僕の意味です。この僕というのは具体的には何を、だれを指して言っているのか、という点については2千年以上にわたってユダヤ教、キリスト教で議論になっており、いまだ決着はついておりません。キリスト教ではこの第四の僕の歌「苦難の僕」が主イエスの予型であるということがすぐ言われますが、旧約の文脈の中ではどのような意味なのかについて、定説はありません。イスラエルの民のこと、そのうちの信仰者「残りの者」のこと、イスラエルの王のこと、預言者イザヤ自身のこと、預言者集団とか祭司集団のこと、というような説があります。ユダヤ教の神学者のなかに、ヘブル語では一つの言葉が、共同体を全体として指すと同時にその代表者としての個人を合わせ意味する場合がある、という理解があります。そうすると、この「僕の歌」Iでの「わたしのしもべ」はイスラエルという信仰共同体とそのイスラエルの指導的立場にある王の意味を併せ持っている、と解釈することができます。ここではそのうち、イスラエルの指導者である王に着目します。

国々に公義をもたらすものとしてのイスラエルの王、の部分は良いにしても、2-3節「彼は叫ばず、声をあげず、 ちまたにその声を聞かせない。/彼はいたんだ葦を折ることもなく、 くすぶる燈心を消すこともなく、 まことをもって公義をもたらす。」とあり、通常の王のイメージとは大きく異なります。極めて控えめ、謙虚な態度を示している王です。「いたんだ葦を折ることもなく」大切に扱い、「くすぶる燈心」を手で囲み、風をよけ、消えないようにしている方です。地上の王として、支配者としての王とは逆のイメージです。イスラエルの王であれば民を鼓舞するために「叫び、声をあげる」のが当然ですし、「いたんだ葦」には水を、「くすぶる燈心」には油を与え、元気になるようにするのが当然の役割ですが、「残っている命」をいつくしむように大切にする、というのです。ここにはイスラエルの信仰者「残りの者」を大切に思う主なる神の心が写されています。イスラエルの民を大切にする王の姿、ということができると思います。その王であればこそ「公義をもたらす」ことができるのです。民に仕える王と言えるかもしれません。

ここで「公義」ということに注目してみます。公(おおやけ)の義(ぎ)という漢字であり、普通の日本語にはありません。社会正義というような意味と思います。第一の僕の歌42:1では「見よ。わたしのささえるわたしのしもべ、 わたしの心の喜ぶわたしが選んだ者。 わたしは彼の上にわたしの霊を授け、彼は国々に公義をもたらす」と言っています。これの前のイザヤ書11:4-5には「正義をもって寄るべのない者をさばき、 公正をもって国の貧しい者のために判決を下し、口のむちで国を打ち、くちびるの息で悪者を殺す。正義はその腰の帯となり、 真実はその胴の帯となる」とあります。「正義と公正」が、イスラエルの共同体、更には他の国々にも行き渡ることが主なる神の期待であり、それを地上で実現するために力を尽くすことが指導者たる王に求められています。その役割は、「貧しい者のために判決を下し」、「くちびるの息で悪者を殺す」ことです。このような王の役割についてはBC18cの「ハムラビ法典」に示されています。人間社会は野放図にしておくと、強者が弱者を支配する社会になってしまうのだから、王はむしろ、その弱者に手を差し伸べる態度を示さなければならない、という考え方です。王がそのような態度を示していないから暴動、そしてそれを、てこにして、革命がおきるのです。革命後の混乱の後、また別の支配と、被支配が確立します。一時的には別として、いつまでたっても、弱者のための国にはならないのが歴史的事実です。

では理想の王とされている、弱者の味方が助けるべき人々はどのような人々でしょうか。イザヤ書1:23では逆に迫害されている人々はだれか、という見地から、「おまえのつかさたちは反逆者、盗人の仲間。 みな、わいろを愛し、報酬を追い求める。 みなしごのために正しいさばきをせず、 やもめの訴えも彼らは取り上げない」と言われています。旧約聖書では弱者の代表として「やもめとみなしご」という表現がしばしば出てきます。どちらも主な原因は戦争です。夫が戦死した妻が、夫の家を追い出されたのが「やもめ」であり、家族が戦争で死んでしまい、孤児となったのが「みなしご」です。王、指導的役割の人間の役割の最大のことは、このような人々が大量に発生することを避けることです。正義の実現のために命を捨てて戦え、というのは理想の王のやることではありません。地上の王が、民を横暴に支配する者になってしまっているのであれば外国の支配の方がよほどまし、という事態も起こり得るのです。私は、敗戦直後の一時期はアメリカの占領軍の支配の方が、軍国主義で突っ走った天皇制政府よりずっとましだった、と思います。支配国が謙虚な態度を保っている間はこのような時期があります。

この弱者である民のための王、という考え方は、イザヤ書49:23に示されています。「王たちはあなたの世話をする者となり、 王妃たちはあなたのうばとなる。 彼らは顔を地につけて、あなたを伏し拝み、あなたの足のちりをなめる。 あなたは、わたしが主であることを知る。 わたしを待ち望む者は恥を見ることがない」とあります。ここは「しもべイスラエルとシオンへの励まし」とタイトルがつけられている49章のうち「シオンの回復」と小タイトルがつけられているところです。王があなた達、回復されたイスラエルの民の世話をするもので、王妃は赤ん坊のめんどうをみる乳母となる、というのです。これがイザヤのイメージしている王と王妃の究極的な姿です。この部分は49:7「イスラエルを贖う、その聖なる方、主は、 人にさげすまれている者、 民に忌みきらわれている者、 支配者たちの奴隷に向かってこう仰せられる。 「王たちは見て立ち上がり、首長たちもひれ伏す。 主が真実であり、 イスラエルの聖なる方が あなたを選んだからである。」と言われていることの成就です。「人にさげすまれている者、 民に忌みきらわれている者、 支配者たちの奴隷」であるイスラエルの民よ、いまや、その王たちがあなたとその周りの人々の面倒を見てくれるようになる、それが主なる神の約束だ、というのです。これは民に仕える王の典型です。信じられないような王の姿です。

この部分で一点注意していただき点があります。この民に仕える王は外国の王が念頭にある表現になっています。このイスラエルの回復のところではイスラエル民族の王なのか、外国の王なのかはいまやその区別はない、という社会がイメージされているのですが、イザヤが述べた時期と照らし合わせると、重大なことを意味しているということです。イザヤ書のこの部分についてはイザヤの述べたことだという説と第二イザヤと称せられる、イザヤの弟子集団が述べ、書いたものだという説があります。イザヤ書の内容・言葉の統一性からして一人の人物イザヤの言葉と見るべきだという意見も傾聴に値しますが、偉大な人物の名によって語る、というのは通常のこととしてあったという、当時の実情からして、弟子集団の言葉として解する第二イザヤ説を私は支持しています。こんなことよりもっと重大なことは、預言者の語る神の言葉では外国の王とか、自国の王とかはほとんど無意味なものとして扱われていることです。主なる神ヤハウェを信仰している王かどうかは重大なこととされていない、ということです。44:28「わたし(主)はクロスに向かっては、『わたしの牧者、 わたしの望む事をみな成し遂げる』と言う。 エルサレムに向かっては、『再建される。 神殿は、その基が据えられる』と言う」とあります。クロスというのはペルシャ王クロスのことを言っている、と解釈するのは自然です。ヤハウェはクロスをイスラエルの牧者として扱う、と言っているのです。これはクロスが「主の僕」とみなされる、ということです。更に45:1では「主は、油そそがれた者クロスに、 こう仰せられた。 「わたしは彼の右手を握り、 彼の前に諸国を下らせ、 王たちの腰の帯を解き、 彼の前にとびらを開いて、その門を閉じさせないようにする」とあります。この部分はクロス預言と言われます。しかし、クロスは捕囚のユダヤ人の帰国を許し、神殿再建をなさしめた王ですからヤハウェ信仰者ではなくても「主の僕」扱いされるのは不思議ではないのかもしれません。

しかし、エレミヤに至ってはそうとも言えません。なお第二イザヤ説によればエレミヤ書は時間的に、このクロス預言の前のことだということになります。エレミヤ書43.10では「 彼ら(イスラエルの民)に言え。 イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。見よ。わたしは人を送り、わたしのしもべ、バビロンの王ネブカデレザルを連れて来て、彼の王座を、わたしが隠したこれらの石の上に据える。彼はその石の上に本営を張ろう」と言われています。これは衝撃的です。ネブカドネザルはユダ王国を武力で滅ぼし、ユダヤの指導者たちをバビロンに捕囚した張本人です。そのような人物、王をヤハウェは「わたしのしもべ」と呼んでいるのです。侵略者カルデヤ人の王を主なる神は僕扱いしているということです。この個所は私にとって衝撃的でした。ユダ王国に史上最大の悲劇を招いた人物を僕として扱う神とはいかなる神なのでしょう。エレミヤは外国の王か、自国の王か、の区別を無意味と考えるイスラエル預言者の伝統に従っており、それをイスラエルの民に災厄を齎した王にまでひろげているのです。ユダ王国の最後の王ゼデキヤはエジプトを頼りとしてバビロニアに反旗を翻した人物ですが、それにしてもこのユダ王国を滅ぼした「にっくき」ネブカデネザルをたたえるとはいかなることでしょうか。主なる神の大きな救済史の流れの中で、ユダ王国も新バビロニアもそれぞれの役割を果たすように導かれる、ということです。このような信仰は、他では見られません。民族を守ってくれるのが神の最大の役割ですが、預言者の預かった神の言葉は、そのようなことを超越したところに存在します。異国の乱暴な王も一時的にはヤハウェの僕の役割を果たすこともある、ということです。もちろん、その役割を終えると、そのような王は神が滅ぼされます。このような見方は現実の戦争の場面に直面した時に、王、乃至は国民の指導者はどうあるべきかに関する重大なメッセージを伝えています。戦争に勝つか負けるかはどうでもよいことなのです。民が平和に、日常の生活を大切にし、命をつないでいくことこそが選びの民の指導者が指し示すべき道です。現代における戦争は、民が死に、指導者は生き残る、という根本矛盾を抱えています。戦争を始めた指導者が最初に死ぬ、と決まっていれば戦争は起きないでしょう。

イザヤが描いている地上の王のあるべき姿は実に仰天です。支配者としての王とはまるで異なるのです。民に尽くす、仕える王であるということです。それは自国の王か外国の王かも関係ありません。また悲惨な結果を引き起こす王が神の僕としての王である場合もあるというのです。主なる神がなぜそのようなことを選びの民に強いるのか、わかりません。理屈としてはいろいろいうことができるでしょう。伝統的にイスラエル信仰は、これを「神の試み」と解釈しようとしてきました。私は、そんな不遜なことを言うことはできません。あのナチスのホロコーストの実情を前にして「神の試みだ」などと言えるでしょうか。黙る方がよほど誠実です。逆に罪滅ぼしとして現在のイスラエル国家の残虐行為を容認する態度も問題です。イスラエルの地にあって、和解のために必死に祈り、裏切者と言われても活動を続けている人々と祈りを共にしたい、と思います。キリスト教にもユダヤ教にもそのような人がいます。

最後に新約との関連を申し上げます。イザヤが示した、弱き民に仕える王、というイメージは、全能の支配者としての王なる神を否定するものではありません。むしろ全能者の神が民に仕える王でもある、という点を知らねばなりません。ある意味では神はこの矛盾して見える両面を併せ持っている、ということです。主イエスと主なる神の関係です。選びの民の指導的立場にある人は、民に仕える者として行動すべきで、その結果、命を落とすようなことが起きても、神が復活の力をお与えくださる、ということです。復活は結果です。主イエスは最後の時まで、民に仕える者としてこの地上で生きてくださり、我々に範を示してくださいました。支配者の王の役割は主なる神、自らが、適当な時に、適当な方法でお示しになります。地上の王の役割ではありません。主イエスの弟子たちの足を洗った洗足の行為は仕える王を象徴することです。主イエスの三職の内、王の職務はここに示されているのであって、再臨の時を待たねばならない、ものではありません。既に主イエスの言動のなかに示されています。それは預言者イザヤが示した仕える王の姿です。その王が死後どのように扱われるのかは主権者であり全能の支配者、神のなす業であり、我々は、信じて委ねるだけです。祈ります。

(ご在天の父なる御神様、今日の礼拝、賛美の時を感謝いたします。今日はイザヤ書の最初の「僕の歌」からイザヤ書の示している王のあるべき姿を見ました。戦争に敗北することは神の前に恥とすることではありません。悪が一時的に支配することはあることですから。むしろ、多くの民が苦難に直面し、命を奪われていくことこそ、主が嘆かれることです。自らの命と引き換えに、民の命を救うことこそ指導者に課せられた最大の使命です。イザヤが示し、エレミヤが示した、仕える王の心が、政治指導者を覆ってくださいますように。主イエスがここにいらっしゃったら、どう命じられるでしょうか。常にそれを行動の指針とするよう、我々に勇気ある信仰をお与えくださるよう切に祈ります。主イエスの御名により祈ります。)

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大国の狭間でのイスラエル信仰イザヤ書7:14-25森田俊隆 https://domei-nakahara.com/2022/08/21/%e5%a4%a7%e5%9b%bd%e3%81%ae%e7%8b%ad%e9%96%93%e3%81%a7%e3%81%ae%e3%82%a4%e3%82%b9%e3%83%a9%e3%82%a8%e3%83%ab%e4%bf%a1%e4%bb%b0%e3%82%a4%e3%82%b6%e3%83%a4%e6%9b%b8714-25%e6%a3%ae%e7%94%b0%e4%bf%8a/ Sat, 20 Aug 2022 23:53:00 +0000 https://domei-nakahara.com/?p=3648 "大国の狭間でのイスラエル信仰
イザヤ書7:14-25
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* 当日の説教ではこのうちの一部を省略して話しています。

今日と来月はイザヤ書からお話させていただきたい、と思います。イザヤ書は言わずと知れた、聖書における最大の預言書です。66章ありますが、これがちょうど新旧約聖書の文書総数66と一致していて、イザヤ書を39章までと40章以降に分けると、それが旧約聖書と新約聖書の文書数にも一致します。実はイザヤ書は39章までと40章以降では成立年代が相違していることがほぼ明らかであり、39章までの著者を第一イザヤ、40章以降を第二、第三イザヤと称しています。39章までは預言者イザヤが預言を述べ伝えた時期の歴史に密着した話です。もちろん歴史叙述そのものではありませんが、預言者イザヤが当時の複雑な国際情勢にあって王やイスラエル特にユダ王国の民に向かっていかなる言葉を語ったかが記されています。それはイザヤが主なる神より預かった言葉でした。

イザヤが述べたのは、①ユダ王国はいずれの他国とも軍事的同盟はせず、中立であるべきである。ただ主なる神の力のみを頼りとすべきである、②当時の世界帝国アッシリアは狂暴であるが、それは神の裁きの手段であるのでこれを受忍すべきであること、です。このアプローチは約120年後のエレミヤに継承されます。エレミヤもアッシリアを滅ぼしたバビロニアの王ネブカデネザルを「神の僕」とし、ユダ王国は狂暴なバビロニアの支配を受容すべき、と主張したのです。イスラエルを選びの民として主なる神が外国の圧政者を手足に使い、イスラエルに裁きを行う、という思想です。ここには、民族的守護神としての主なる神から、世界大の主なる神への転換が見られます。これは世界の宗教の中でも異色の特徴です。自らの選びの民を、外国人勢力を使い、裁きの結果として、破滅的状況に追い込み、離散の民とし、その中でも主なる神への信仰を貫く人々(それを「残りの者」といいますが)を通して、神の国、という信仰共同体を復活させる、というのです。なぜ、選びの民はそのような悲惨な目に合わねばならないのでしょうか。いかなる、罪を犯したのでしょうか。他の国民以上にひどい罪を犯したのでしょうか。そんなはずはありません。選びの民であるが故の苦難であり、主なる神は選びの民が世界の罪を贖い、人間のみならず世界の救いを証し(あかし)するものとなることを望まれている、ということであろう、と思います。私たちも、主イエスを「主」と告白したところでこの選びの民にされたのです。「新しきイスラエル」です。このイザヤにより基が据えられ、エレミヤが具体的に示した、選びの民の使命はイスラエル信仰の行きつく先を指し示しています。私たち、キリスト者にとっては決定的に重要なことが述べられています。

イザヤの言っていることを具体的に理解するためには、当時の国際政治状況において基本的なことを理解しておく必要があります。北王国イスラエルの王はヤラベアムII世、南王国はアザリヤ(別名ウジヤ)の時代から始めるのが妥当です。BC8cの前半です。ヨーロッパではギリシャ文明の曙の時代であり、神話におけるローマ建国の時代です。中国では春秋戦国時代の初め、です。当時、イスラエルを取り巻く情勢は大国の勢力が内紛により衰え、イスラエルを含むカナンの地には世界帝国による圧迫はなく、自由な経済活動が行われた時代です。エジプト、アッシリア、イラン、中国とつながる経済活動、文化的広がりにおいてカナン地方は貿易の中継拠点として繁栄いたしました。一般の歴史では南北イスラエル王国の黄金時代と言われています。繁栄はその実(じつ)格差の拡大です。小規模農耕業者は没落し、大土地所有者と小作農という関係になり、更に小作農は農奴的状況に陥る人々が多数でました。また外国貿易によって富を蓄えた商業資本は漸次力をつけてきていました。この勢力はその後、肥大化し、数百年後には大国の徴税権の代行者となり、その富の急拡大を手にすることになります。古典的なイスラエル信仰は生きたものとして働かなくなっていました。イスラエル信仰の基本は「主なる神によるイスラエルの民の直接支配」であり、強固な平等意識が根底にあったため、格差社会はその意識を破壊していったのです。

しかし、北の大国アッシリアはBC745、ティグラト・ピレセルIII世ブルが王に即位して後、軍制の大改革を行い、中央集権的体制を敷き、常備軍による軍に切り替え、周囲の地域を統合し始めました。戦車も新式のものを導入し、周囲の国の及びもつかない強力な軍事国家を形成しました。まずバビロニア地域を平定し、次いで、西方進出し、カルケミシュ、アレッポ、そして南方に向かい、ダマスコを支配下に入れ、更にカナンの地を狙う気配でした。この王は、占領すると征服民の民族的同一性を解体し、直轄的支配を行いました。その手段として住民の入替を行ったことが知られています。占領地の住民を遠方の新しい地に移住させるとともに、他の地域から大量の植民者を受け入れる、というやり方です。これは、後のイスラエルに対する捕囚の先駆けである、と言えます。現代になってからもスターリン体制のソ連において行われました。民族の破壊です。

その当時、北イスラエル王国ではヤフー王朝最後の王ゼカルヤがクーデタで死んだBC745以降、内部的権力争いが頻発し、王の暗殺が度々起き、不安定な政情となりました。ユダ王国の方は病にあったウジヤ王の子のヨタムが摂政となり、そのヨタムが死んでからはその子のアハズが王位を継ぎました。ダビデ家系が維持されています。ティグラトピレセルIII世はBC738頃、シリア・パレスチナ方面に遠征しますが、この時は、ダマスコ、ツロ、カルケミシュ、更にはアラビアも恭順の意を表し、事なきを得たようです。ユダ王国の朝貢はなかったようです。北イスラエルの王メナヘムとその子のペカヒヤは親アッシリア政策を採用しますが、これを不服に思ったグループはクーデタを起こし、ペカを王とします。ペカはダマスコのアラム王レツインと手を組んで反アッシリア同盟を形成し、ユダ王国にも同調を呼びかけます。ユダ王国の王アハズは参加を躊躇します。このため、業を煮やした北イスラエル/アラム連合軍がユダ王国に侵入することになりました。これがシリア・エフライム戦争と呼ばれるものです。これに乗じ、ユダ王国の支配下にあった死海南方のエドムが独立し、西方のペリシテ人が、ユダ王国の影響下にあったネゲブ地方や、ユダ王国とペリシテの境界である丘陵地帯を侵略したようです。預言者イザヤは軽挙妄動を慎み主なる神の助けを信頼せよと言ったようですが、王はアッシリアに助力を求める行動に出ました。この時の、イザヤが述べた主なる神の示す希望が、先ほどお読みいただいた「インマヌエル預言」と推測されています。イザヤは、北王国はそもそもはイスラエルの民だから彼らの支配下に入っても、ユダ王国の信仰は守られるのではないか、と思っていたのではないでしょうか。アッシリアについてはいずれアッシリアの支配下に入らざるを得ない時がくることを予見していたと思います。それを早める必要性はない、とかんがえていたでしょう。エドム支配については、執着の必要性はない、と考えていたと想像できます。インマヌエル預言は、その全過程は主なる神の意志において行われていることであるから、人為的な抵抗、戦争は行うべきではなく、その先の「希望」に信頼を置くべきだ、ということだと考えられます。「希望」に対する確信は現在における力です。忍耐の力であるのみならず、現在の歴史の中に主なる神の力の現れを見て、喜びを得て、希望への確信を更に強めていくことができるのです。

BC734年にユダ王アハズがアッシリアに朝貢したことが確認されています。エドム、モアブ、アンモンも朝貢し、アッシリアの報復を逃れています。ティグラトピレセルはBC733に北王国を襲い、ガリラヤ、ギレアド、メギド、ドルを占領、再編しました。北王国はサマリヤと周辺の都市国家に近い状態になってしまいました。そして、またしてもクーデタが起き、ホセアがペカを殺し、王となります。ティグラトピレセルに降伏し、朝貢します。翌年にはティグラトピレセルは、ダマスコを襲いアラム王レツィンを処刑し、住民を捕らえ移しました。ユダ王アハズはアッシリアに恭順の態度を示し、ダマスコでみた祭壇とそっくりの祭壇をつくり、エルサレム神殿に置き、ヤハウェの祭壇は片隅に追いやられた、と言われています。アッシリアの属国となり、王国の形だけは維持できました。BC729年、アハズが死に息子のヒゼキヤが即位しました。BC727年ティグラトピレセルIII世大王ブルは死にそのあとをシャルマネセルが継ぎます。

北王国の王ホセアは大王が死ぬとエジプトの王と結んで、貢納を中止し、アッシリアからの独立を企てます。時のエジプト王朝はリビア系の第24王朝と推測されています。まだまだエジプトは混乱の中にあり、とてもアッシリアの敵ではありませんでした。ホセアはシャルマネセルV世に打ち破られ、アッシリアに送られました。そのあともサマリヤは抵抗をつづけましたが、BC721年ついに陥落しました。時の王はシャルマネセルの後のサルゴンII世です。彼は、サマリヤの指導層をアッシリア国内各地に強制移住させ、代わりに複数の異民族を入植させました。その結果、サマリヤ地方は人種的に、宗教的に混交の結果となりました。これを称して「失われた十部族」と言われています。のちに、ユダ王国が経験する捕囚と同様の仕打ちです。この時、北王国から南王国に逃れた人々もかなりおり、北王国での伝承が南に持ち込まれ、その後。旧約聖書の一部をなすことになったと推測されています。エロヒーム系の伝承です。

南王国ではヒゼキヤがエルサレム神殿中心の国家宗教への宗教改革を進めつつ、アッシリアからの独立の機会を伺っていました。BC713年にペリシテのアシュドドで反アッシリア派の反乱が起きました。背後ではエジプトが援助をしていたようです。当初は、ユダ、エドム、モアブ及びキプロスが反乱に加わりましたが、2年間の反アッシリア戦争の中で、ユダ等の応援国は、最終的には手を引き、アシュドドはサルゴンII世に容易に占領されることとなりました。エジプトに亡命したアシュドドの王はエジプト王シャバカによってサルゴンに引き渡されるという結果になりました。この時のエジプトの王はクシュ(エチオピア)系の第25王朝です。多数の国の期待を担ってアッシリアに戦いを挑みましたが、どのような理由かは不明ですが、それらの国が支援を打ち切り、エジプト亡命する結果になったが、その亡命先の国によって敵国に引き渡されるという人間的思いからすると、腹が煮えくり返るような現実を見せつけられます。これを見たイザヤは悲しみの中で三年間、裸足で歩くという象徴行動を行います。ペリシテの住民はあきらめ気味に「アッシリアの王の手から救ってもらおうと、助けを求めて逃げてきた私たちの拠り所は、この始末だ。私たちはどうしてのがれることができようか」と嘆く。この反乱を支援することに反対であったと思われるイザヤも言葉を失うような出来事であったろうと思われます。今も、類似のことがこの世に起きていることを想起すると、主なる神の意志はなへんにあるのか考えさせられてしまいます。

ヒゼキヤの改革はどのようなものであったかはわかっていませんが、シロアの地下水路を開設したのはエルサレムに籠城した時のため、という軍事的目的もあったものと推察されます。父アハズがアッシリアに媚を売るように導入したダマスコの祭壇はおそらく撤去されたと考えられます。これらのことを考慮すると、ヒゼキヤの宗教改革は反アッシリアという政治的意図も含んでいたと考えるのが自然です。歴代誌下30-31章にはエルサレム長らく中断していた過越祭が復活されたと言われていますが、この歴史性については議論があるようです。いずれにしても、ヒゼキヤによる宗教改革はヤハウェ信仰を復活させることによりアッシリアからの独立を図る、という政治的意図をも持ったものと考えられます。

そしてユダ王国はBC705年、サルゴンの死を機会に反乱を起こします。エジプトと同盟しました。今回、アシュドド、ガザは反乱に加わらなかったが、シドンとペリシテのアシュケロンの王は行動を共にしました。またペリシテとの境界に近いエクロンでは反アッシリア勢力のクーデタが成功し、反アッシリア同盟に加わりました。また、バビロニアではメロダク・バルアダンが反乱を起こしました。サルゴンのあとを継いだセンナケリブはまずバビロニアの反乱を鎮圧し、BC701年、シリア/パレスチナに遠征し、シドン、アシュケロン、エクロンを征服し、ペリシテ北部のエルテケでエジプトの援軍を撃退しました。ヒゼキヤはエルサレムに閉じ込められ、ラキシュをはじめとするユダ側のほとんどが占領され、結局、ヒゼキヤは全面降伏やむなきに至ります。そしてエルサレム以外の地域は、反乱に加わらなかったアシュドド、ガザ、そしてセンナケリブにより復権されたバディのエクロンに分割されました。しかし、本国における異変によることか、自軍に疫病が発生したためか、エルサレムの破壊、占領をせずに自国に撤退しました。

列王記下19章には、このあと二十数年後にもう一度、アッシリアのエルサレム侵攻があったように書かれています。ヒゼキヤが再度アッシリアへの反乱を試み、センナケリプがエルサレムに侵攻したという話です。そして、イザヤの主なる神に信頼せよ、との忠告、そしてとりなしの祈りによって、主の使いがアッシリア軍の多くの兵士を殺し、軍は本国に撤退したというのです。エジプト王ティルハカの侵入によりアッシリア軍は撤退したと解釈できる個所もあります。これは、センナケリプによる再侵攻なのか、先の侵攻に関連した付属的出来事か、について時代的混乱があり記述されたのか、が争われています。私は、セナンケリプの再侵攻というシナリオはあまりにも不自然であり、これらの記述は、セナンケリプの701年の侵攻時のことを書いたものであろう、と考えています。一度か二度か、いずれにしろ、ダビデの町エルサレムは不滅であるとの神話的物語が形成されていった、ことは事実です。病気になったヒゼキヤがイザヤによるとりなしの祈りによって、15年の命を長らえた奇跡的物語も書かれています。

ヒゼキヤはBC687年死に、子のマナセが後を継ぎます。徹底的なアッシリアの僕になります。聖書ではくそみそに書かれていますが、イスラエルにおける最長政権であり国が経済的繁栄を享受した時期であることは否定できません。イザヤ自身はどうなったかについて聖書は何も語っていませんが、伝承では、マナセ王の時代に異教の神礼拝を批判し、最後はのこぎりで挽き殺さて殉教したと言われています。

これらの、アッシリアの圧迫の中で、ユダ王国はその政治的独立を守るために他国の助力によりそれを成し遂げようとしましたが、結局は、南北イスラエルともアッシリアの支配下に入らざるを得ませんでした。北王国は国が滅び、南王国はエルサレムを除き、アッシリアの支配下に置かれることとなりました。王朝そのものは残ります。このような歴史の中で、ユダ王国の王に忠告する立場にあったイザヤは「主なる神のみ、により頼み、他国の力を当てにすることはするな」と言い続けます。そしてそのことは、具体的にはアッシリアはイスラエルを支配することになり、イスラエルの民はそれを甘受せよ、と言っていることになります。アッシリアはこの局面では神の裁きの手足だからです。民族の独立を確保するために、英雄的に戦え、というようなことは一切言っていません。このような一種の敗北主義はどのような考えからくるのでしょうか。

イスラエルの「聖戦(聖なる戦争)」の考え方は、「主の戦い」という考えに基礎をおいています。それは主なる神が戦われるのであるから、イスラエルの民は主なる神のあとをついていけば良いのであって、自らの力を頼りにしてはならない。それは主なる神への不信仰の現れに過ぎない、という考えです。それがヨシュア記、士師記に示されている「聖戦」です。それは、戦争は「神々の戦争」であり主なる神ヤハウェはイスラエルの民の神である、という前提での考え方です。しかし、主なる神が全世界を統治する唯一の神である、という考え方に拡大されていくと、イスラエルと戦う国の一部は主なる神の意図からくるものであり、イスラエルは、それを甘受しなければならない、という考えになります。その主なる神の手足となってイスラエルに侵略してくるのがアッシリアだという解釈です。もちろん、すべての敵が神の手足ではありません。しかし、その神の手足となっている国に反逆するために、他国の助力を頼んだり、同盟を組んだりするのは、神の意志に反する行いであり、大きな罪である、と言うことになります。主なる神の手足であるかどうかを見極めるのは預言者が神の言葉により判断することですが、イザヤ、エレミヤの例によってみると、世界帝国を築いた大国を指している、と言えます。結局、事大主義を正当化しているだけのことではないか、という皮肉な見方もできますが、イザヤ、エレミヤはそうではなく、これだけの世界帝国を築いているという現実は、これ即ち、基本的には神の意志が働いている、と考えるのは合理的である、という見方と思います。その後のローマ帝政についても類似のことが言えるでしょう。しかし、その預言者はその大国も滅びに運命づけられており、その大国に対する裁きはすさまじいものになる、といいます。それは被支配者の方から見れば救いであり、神の国到来の希望でもあります。イザヤ書7章の「インマヌエル預言」、イザヤ書24~27章の「イザヤの黙示」のところはイスラエルの歴史の先にある「希望」について語っている、と理解すべきです。

でも主なる神のみにより頼む、というのが政治的・軍事的には中立を意味することは理解できるにしても、実際に侵略に直面したら、どうするのか、という疑問は消える訳ではありません。無抵抗で侵略を受け入れるのかどうかです。私自身、今、明快な回答はありません。また「主による勝利」とは具体的にはどういうことか、ということでしょうか。旧約聖書の例を挙げると、それには①奇襲攻撃による敵の軍隊の混乱に乗じての戦いにおける勝利、②敵の将軍等の暗殺による敵軍の指揮系統の破壊による敵軍との戦いへの勝利、③敵軍の自国におけるゆゆしい事件が起きることにより、敵軍が撤退せざるを得なくなること、④自然災害や天変地異の発生によって敵軍が崩壊するとか、撤兵せざるを得なくなること、⑤第三の他国が敵軍の国に戦争を仕掛け、その国が敗北するとか、敵軍が撤退せざるを得なくなる、というような事態です。強大な帝国の支配下にあって、小さな抵抗を続けていると、これらのどれかの項目の事態が発生し、敵国の軍は目の前からいなくなる日が必ず来る、ということは歴史的に言えそうです。小さな抵抗の継続は、どれかの項目の事態を必ず導きます。「時が満ちて」どれかが起きます。しかし、それは長い期間を要することもあります。しかし、無謀な戦争を行い、民族の消滅に近いことを惹起するよりは、ずっと犠牲は少なくて済むであろうと思います。主なる神は、離散の民になろうが、敵前逃亡であろうが、屈辱に耐える忍従の時であろうが、「生き永らえる」ことが選びの民に与える最大の使命である、というのが今のところの私の見方です。

もう一点、述べるべき点があります。罪と裁きの関係です。ヨシュア記、士師記等に示されたイスラエルの罪と神の裁きの関係は、①イスラエルの民が異国の神即ち偶像への礼拝を始める、②それに対し、神は異民族によるイスラエル支配という裁きを齎します、③イスラエルはそこで悔い改め、偶像礼拝をやめ、ヤハウェ信仰に立ち返ります、④すると神はイスラエルに平和と繁栄をもたらします。これが申命記神学と言われる初期ユダヤ教の基本的な考え方です。しかし、イザヤの罪と裁きの関係の焦点はここから変化しているように思われます。イザヤ書1:4では「ああ。罪を犯す国、咎重き民、 悪を行う者どもの子孫、堕落した子ら。 彼らは主を捨て、 イスラエルの聖なる方を侮り、 背を向けて離れ去った。」と言われていますが、その罪の内容は不明です。異教の偶像のような話は全くありません。これに対し、1:16-17では「洗え。身をきよめよ。 わたしの前で、あなたがたの悪を取り除け。 悪事を働くのをやめよ。/善をなすことを習い、 公正を求め、しいたげる者を正し、みなしごのために正しいさばきをなし、 やもめのために弁護せよ。」と言われております。すなわち「善をなすことを習い、公正を求める」ことをしないのがイスラエルの罪である、と言っているようです。そしてその具体的行動としてはやもめ、とみなしご、を助けることだと言っているのです。

イザヤ書ではこのような考えが繰り返し現れます。11:4の「正義をもって寄るべのない者をさばき、公正をもって国の貧しい者のために判決を下し、口のむちで国を打ち、くちびるの息で悪者を殺す。」の部分が一般的表現として適切な部分だと思われます。「正義と公平」に背いていることがイスラエルの罪である、というのです。「正義と公平」は「神の義」のこの世における表現ですから、これを実践していないことは「神の義」に反すること即ち罪だ、ということです。「正義と公平」はイスラエル信仰の根底にある「イスラエルの民の支配者は主なる神のみ」という考え方の反映で、人間による人間の支配を否定する考え方を示しています。「神の前での平等」が徹底されている状態です。先に述べたようにイスラエル社会は経済的繁栄の裏で、どんどん格差社会化していき「神の義」「正義と公平」ではない社会になってきていたのです。それをイザヤ書は「イスラエルの罪」として告発している、と理解できます。今、イスラエルに下されようとしている苦難はその罪に対する裁きの現れだという訳です。イザヤは、これが悔い改められ「神の義」の支配する「神の国」の到来の希望も繰り返し述べています。「神の国」の具体的証(あかし)は「やもめとみなしご」が顧みられる社会です。それが判定基準になります。預言者が考えている「イスラエルの罪」はこのようなものであり、申命記史家が考える偶像礼拝=「イスラエルの罪」と言うのからの転換が見られます。もっとも「正義と公平」が壊されている社会は、ある種の偶像礼拝に陥っている社会です。その偶像は「お金と国家」です。経済的側面では「お金、資本」であり、政治的側面では「国家、権力」という得体のしれないものです。共通なのは「人による人の支配」です。

イザヤ書のメッセージは人間社会における、どうしようもなく大きな罪の指摘とそれへの裁きですが、それは同時に神の約束に対する希望の表現を伴っています。インマヌエルの神が、我々の苦難を共に背負ってくださる、ということです。ここには、共同体としての悔い改めとはどういうことか、ということが示されており、「貧しきものは幸いなり」の在り方が示されています。祈ります。

(ご在天の父なる御神様、本日はイザヤ書の中から、アッシリア、エジプトという二大大国に挟まれたイスラエルの南北両王国の選んだ道を見ました。北王国イスラエルは軍事同盟によってアッシリアに対抗し、滅びました。南王国ユダ王国はイザヤの忠告にも拘らず、アッシリアを頼りにし、後にはエジプトを頼りとし、結局エレミヤの時代に国家滅亡に至りました。アメリカとロシアの対立の中でアメリカを頼りにしたウクライナが悲惨な状況になっています。アメリカと中国の対立状況の中でアメリカの、言うがまま、の日本は危機的状況に直面しかねません。どうぞ、「主なる神の力」のみを信ずるということはどういうことなのか私たちにお示しください。主イエスの弟子として私たちキリスト者が判断することができますよう、知恵と力をお与えください。主イエス・キリストの御名により祈ります。アーメン)

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花嫁賛歌雅歌:4:19-15森田俊隆 https://domei-nakahara.com/2022/07/17/%e8%8a%b1%e5%ab%81%e8%b3%9b%e6%ad%8c%e9%9b%85%e6%ad%8c419-15%e6%a3%ae%e7%94%b0%e4%bf%8a%e9%9a%86/ Sun, 17 Jul 2022 05:48:00 +0000 https://domei-nakahara.com/?p=3556 "花嫁賛歌
雅歌:4:19-15
森田俊隆
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今日は雅歌からです。この文書は、神信仰に関する表現は全くなく、単なる男女の恋愛詩のように見えます。それもかなりあけっぴろげに性的描写があるため、「性」については秘められたこととし、公に語ることが許されなかった時代には教会でこの文書を取り上げることさえタブーとされました。しかし、いろいろな議論はあったにしろ、ユダヤ教の聖書正典に取り入れられ、キリスト教会においても聖書正典の文書とはされてきました。ユダヤ教においてはこの男女の関係の描写が主なる神とイスラエルの民の関係を寓喩的に表現したものだと解釈し、キリスト教では主イエスと教会の関係を表現したものだと解釈し、聖書正典としての「雅歌」を合理化してきました。キリスト教の解釈は主なる神を主イエスに、イスラエルの民を新しきイスラエルたるキリスト教教会に置き換えたものです。根本的問題性はなぜユダヤ教の正典となったのか、という点です。雅歌を色眼鏡なしで読みますと、ここに描かれている花婿のイメージは旧約聖書の他のところで示される主なる神のイメージとは同一とは思えない大きな乖離があります。

旧約聖書にはヘブル語聖書を補完する意味でのアラム語解釈文書が付属しています。これをタルグムと称しています。雅歌のタルグムはヘブル語の雅歌とは全く異なっており、イスラエルの歴史を記述したものです。ヘブル語雅歌を主なる神とイスラエルの民のことを書いたものだ、と言うために、雅歌は、イスラエルの歴史を念頭に置いてうたわれたもの、と言わざるをえません。このタルグムはAD5-6cに成立したもので、ユダヤ教正典聖書が最終決定したAD2cより数百年あとのことですから、このタルグムの存在が、雅歌が聖書正典に含まれることになった理由ではないことは確かです。しかし、神信仰と関連付けられたのでなければ聖書正典の一文書となることはあり得ません。

私は、雅歌に示された情熱的な男女の関係と同様な関係が主なる神とイスラエルの民との関係であってほしい、という願望が雅歌を聖書正典に組み入れた理由であろう、と思っています。そこに示された主なる神のイメージはイスラエル信仰における一つの極端を示したものだ、と思います。文字通りの表現が主なる神とイスラエルの関係を寓喩的に示しているというのではなく、雅歌に描写されている花嫁のような存在に、自分たちイスラエルはなりたい、という強い、強い願望が底流に流れているのだ、という解釈です。おそらく、バビロン捕囚により、イスラエルは神に見放された民である、という理解が一般的であったユダヤ人社会にあって、“そんなことはありえない。主なる神はかくも激烈にイスラエルの民を愛しているのだ”ということの証の文書として書かれ、正典に取り入れられたのだと思います。捕囚の経験の下では、主なる神の愛はかくなるものだ、とは公然と言うことはできなかったのだと思います。背信の民イスラエルをそれにもかかわらず、情熱的に愛を注いでくれるはずだ、ということなど、どうして言うことができるでしょうか。しかも、そこで示されている花嫁イスラエルは花婿たる主なる神を喜ばせるためにすべてをささげている存在なのです。イスラエルの歴史的現実とは全く異なります。背信のイスラエルがどうして自分たちはこの花嫁である、といえましょうか。神信仰に無関係な文書として自らの願望を投影させるのがせいぜいできることだったのです。

今日は雅歌のうち、「花嫁賛歌」と称せられている三か所のうちの最初の詩を概観し、そのあと、主なる神のイスラエルの民に示す愛はどのようなものであるかを考えてみたい、と思います。それは即ち三位一体の神が私たちキリスト者に示される「愛」でもあるのです。まず、花嫁賛歌Iの前半4:1-7です。「ああ、わが愛する者。 あなたはなんと美しいことよ。 なんと美しいことよ。 あなたの目は、顔おおいのうしろで鳩のようだ。 /あなたの髪は、ギルアデの山から降りて来る やぎの群れのよう、あなたの歯は、洗い場から上って来て 毛を刈られる雌羊の群れのようだ。 それはみな、ふたごを産み、 ふたごを産まないものは一頭もいない。/あなたのくちびるは紅の糸。 あなたの口は愛らしい。 あなたの頬は、顔おおいのうしろにあって、 ざくろの片割れのようだ。/あなたの首は、兵器庫のために建てられた ダビデのやぐらのようだ。 その上には千の盾が掛けられていて、 みな勇士の丸い小盾だ。/あなたの二つの乳房は、 ゆりの花の間で草を食べているふたごのかもしか、 二頭の子鹿のようだ。そよ風が吹き始め、影が消え去るころまでに、 私は没薬の山、乳香の丘に行こう。/わが愛する者よ。あなたのすべては美しく、あなたには何の汚れもない。」とあります。詩っているのは花婿です。正確に言えば彼らの関係は、まだ婚約中の恋人同士です。目は鳩のようで、髪の毛はやぎの群れを遠くから見ているようで、歯は毛を切られるのを並んで待っている雌の羊の群れのようで、くちびるは紅で糸を引いたようで、口は愛らしく、頬はざくろが割れたように赤くかがやき、首はダビデのやぐらのようにしっかりしているようだ、と言っています。健康であり、かつ、美しい顔の作りだ、ということです。最後に、乳房について「ゆりの花の間で草を食べているふたごのかもしか、二頭の子鹿のようだ」と言っています。女性の女性たる場所としてどうしても目に入るのは乳房ですので、それを美しく歌い上げているのです。清楚な感じの乳房と思います。そして「あなたのすべては美しく、あなたには何の汚れもない。」とまとめています。主なる神は、あの背信の民イスラエルをこのようにみている、ということです。背信、大いなる罪などイスラエルの恥辱の歴史は完全に忘れられ、全くの新しきイスラエルとして愛を注いでいるようです。

次は1節だけ4:8です。「花嫁よ。私といっしょにレバノンから、 私といっしょにレバノンから来なさい。 アマナの頂から、 セニル、すなわちヘルモンの頂から、 獅子のほら穴、ひょうの山から降りて来なさい。」とあります。カナン神話においてレバノンの山とは女神イシュタルの玉座であり、ライオンと豹がそのつかい、とされていたとのことですので、この個所は花婿がカナン神話の登場者を操っていることを示しています。この詩的な物語も主なる神の支配下の出来事で花嫁を連れ出す、と言っています。アマナはヘルモン山系の山の一つであり、セニルというのはヘルモン山のことです。ヘルモン山はイスラエルの民からすると神秘の宿っているところですから花嫁がそこから出てくるというのは特別な意味を持っていました。神の民イスラエルは聖なる民として選ばれた民なのです。いや正確には、そうでなければならない、ということです。

花嫁賛歌Iの最後は4:9-15です。「私の妹、花嫁よ。 あなたは私の心を奪った。 あなたのただ一度のまなざしと、 あなたの首飾りのただ一つの宝石で、 私の心を奪ってしまった。/ 私の妹、花嫁よ。 あなたの愛は、なんと麗しいことよ。 あなたの愛は、ぶどう酒よりもはるかにまさり、 あなたの香油のかおりは、 すべての香料にもまさっている。/花嫁よ。あなたのくちびるは蜂蜜をしたたらせ、 あなたの舌の裏には蜜と乳がある。 あなたの着物のかおりは、 レバノンのかおりのようだ。/私の妹、花嫁は、 閉じられた庭、閉じられた源、封じられた泉。/あなたの産み出すものは、 最上の実をみのらすざくろの園、 ヘンナ樹にナルド、/ナルド、サフラン、菖蒲、 肉桂に、乳香の取れるすべての木、 没薬、アロエに、香料の最上のものすべて、/庭の泉、湧き水の井戸、 レバノンからの流れ。」とあります。8節の「花嫁よ」から9節「私の妹、花嫁よ」、10節同じく「私の妹、花嫁よ」、11節は8節と同様「花嫁よ」、12節は「私の妹、花嫁よ」です。「妹」と言っているのは親しさの表現であり、実の妹ということではありません。日本語でも恋人や妻のことを妹(いも)と言うのは同じことでしょうか。9節では花婿が花嫁に心を奪われた様がのべられ、10節では逆に、花嫁の花婿への愛が麗(うるわ)しい、ぶどう酒に勝る、と言っています。花嫁から漂う香りが愛の関係をにおわせているのでしょう。

11節では花嫁の唇が甘いということを言っています。二人は強い口づけで一体となったようです。舌の裏に「密と乳がある」と言っていますのでしばらくの間口づけをしたままだったのかもしれません。但し、注意すべきは肉体そのものに関する直截な表現はせず、常に譬えで語っていることです。詩人の表現者としての抑えた感情が見えます。主なる神とイスラエルの民の関係も激情を内にひそめた愛の関係でありたい、とのユダヤ人の希望がここにあります。12節では花嫁が庭にたとえられています。おそらく、二人が一体となったことを示していると思います。13-15節はいろいろな比喩です。ざくろの園、ヘンナ樹、これは黄色の花をつける香水になる木です。ナルドは讃美歌になっている香料になる植物で薬にも使われます。肉桂は香辛料に使われる白い花をつける植物、サフランは薄紫の花をつける植物で料理の色付けに使われる高価なものです。没薬は木につける白い花で香料に使われます。また性的興奮を高める催淫作用もある、と言われています。アロエは沈香とも呼ばれ、香水のもとになる植物です。これらの植物はほとんどが輸入品であり、高級・高価なものでした。花嫁はこれらのようだというのです。花婿にとってみると、最高級の何物にも代えがたいもの、ということでしょう。主なる神にとってイスラエルは何物にも代えがたい貴重な存在だ、ということです。いや、そうなりたい、そうであるに違いない、という願望と確信が入り混じった気持ちを表しています。

最後の15節は12節の泉の譬えを更に述べています。庭の泉、湧き水の井戸、レバノンからの流れです。二人の体は一体となり、互いに求め合う行為のあとの快感がこの体を流れ来る様を描写しているのだと思います。ここでもすべて婉曲的に表現され、イスラエル信仰の性的関係は神秘的関係であり、表現は極めて抑制的でなければならない、との原則にのっとっている、と言えます。

花嫁賛歌は更に2か所ありますが、ゆっくりと読み、味わってほしい、と思います。花嫁賛歌、更には雅歌全体を、花婿、花嫁の個所を、主なる神=ヤハウェとイスラエルの民に置き換えて読むと唖然とします。恥ずかしい感じにもなります。神と人の関係がこんなあからさまな性的関係と同じだとは信じられない気持ちになります。しかし、雅歌はそうありたい、というイスラエルの民の願望を神に向けて祈っているのです。そんな願望を言う資格がないことは重々わかっています。だから神の名を出すことはできないのです。涙の中でこの恋歌を絶望の中での希望として歌い上げているのです。

さて、このような雅歌ですが、ここから、いかなるイスラエル信仰の特徴を知ることができるでしょうか。私の解釈をも含めて数点申し上げたい、と思います。まず、第一は、肉体的性関係に関して、です。創世記では男女が一体となることを人間にとって当然のこととしており、また性的関係を結ぶことを「知る」と言いますが、「ヤーダー」という通常の「知る」という動詞が使われています。相手を深く知る、ということを含んだ意味である、と理解すると、性関係を結ぶことは単なる肉体関係にとどまるものではないことが暗示されています。雅歌は、性的関係就中肉体的関係は正常な行為であって恥じるものではない、ということを言っています。ユダヤ教正統派は律法で示されているように、男女の性行為を「汚れ」としました。また死海文書で有名なクムラン教団は結婚を避け、性行為は子孫存続のための例外的行為としました。キリスト教会の中にも男女の性行為を忌むべきものとするグループもありました。中世キリスト教会では聖職者には結婚禁止という規律を作りました。これが陰湿な男女の性的関係を作った原因と言うこともできます。雅歌はこの傾向に対抗し、恋愛は本来、美しいもので男女の性的肉体関係とそれに伴う快感は神の創造の業であり「良きもの」だ、という主張の根拠とされてきました。しかし、恋愛は実に危険な側面もあります。許されぬ恋の結果としての心中も悲劇的結末の一つです。所謂駆け落ちのように家制度を破壊する反社会的行動がみられることもあります。結婚は両性の合意のみにより成立する、という思想は男女関係における社会規範の到達点ではありますが、それは離婚の大量生産を生み出したことも事実です。体外受精というような生殖医学につきまとう問題、社会的性と生物学的性の不一致のような問題等々男女の関係性に掛かる問題はますます複雑になってきています。雅歌は肉体的性関係を異常な抑圧から解放しましたが、他方で、性の神秘性と秘儀性を維持しています。性行為は公に示すことではなく、公に語るべきことでもない、という一線を守っています。比喩的表現はその表現方法です。男女の戯れにある喜びは神秘的なものです。どうしてそんなにうれしいの、と聞かれても言葉での説明は困難です。男女は喜びを共にするように創造された、というしかありません。

11c初めにフランスで生まれたラテン語学者にアベラルドゥスという人物がいます。彼は大変な秀才ですがノートルダム大聖堂の学校で教師をしている時にエロイーズという女性に出会い恋に落ち、内々に結婚し、一人の息子をもうけ、怒りにもえたエロイーズの叔父と保護者によって去勢されてしまいます。アベラルドゥスの神学思想は同時代人には理解できないものだったようで、1121年のソアソン会議で糾弾される羽目に陥ります。雅歌の説教で有名なベルナルドゥスもその批判者のひとりでした。アベラルドゥスの個人主義的道徳観が批判の的となり一切の公的発言を禁止される羽目になります。エロイーズは大変聡明な女性でありアベラルドゥスの言うことを完全に理解していました。先生と生徒の関係が実質的な夫婦関係となり、子供までできたのですから当時としては大変なスキャンダルでした。まだ聖職者は結婚禁止とまで明確にされていませんでしたが、学校の方針は「教師は独身であるべきだ」というもので、アベラルドゥスの将来はないことがはっきりしました。子供はアベラルドゥスの姉に預けられ、二人は内密の結婚式を挙げました。去勢されたアベラルドゥスは修道院に入り、後に修道院長にまでなりました。エロイーズの方も修道院に入り、後に女子修道院長になりました。二人の手紙のやり取りは続きます。エロイーズからアベラルドゥスへの手紙の中の一節をお読みします。「神はご存じです。私があなたの中にあなた自身しかもとめなかったことを。—ただ私はあなたの楽しみ、あるいは望みも期待しませんでした。—私は結婚より愛を、束縛より自由を選んだのです。—私にとっては<皇帝の妻(imperatrix)>と呼ばれるよりも、あなたの<娼婦(meretrix)>と呼ばれる方が、貴く名誉あることに思われるのです」とあります。彼らは雅歌の実践をしている、という誇りの下にあったことでしょう。

もう一点は神と人との愛の関係に関する点です。ギリシャ語には「愛」を表す言葉が主に3つあります。まず、友情が、そもそもの意味であった「フィリス」です。これは知的、理性的愛を示し、英語の哲学(philosophy)のもとになった言葉です。次が「エロス」です。これは、そもそもは男女の性愛を意味していた言葉です。広い意味での欲望が背後にある愛のことでこの世の一般的な愛はこの「エロス」です。ご存じの「エロ」の元の言葉です。それから「アガペー」です。この言葉は日常用語として使われる言葉ではなく、天上の愛という表現を含む、神関連の場面で使用される特別の用語であったようです。聖書のギリシャ語訳が作られた時、聖書に登場する愛(ヘブル語動詞形:アーハブ)を原則としてすべて「アガペー」と訳しました。そのため、雅歌においても文字通りには性愛を表現している文書ですが、「エロス」ではなく「アガペー」が使用されています。そもそもヘブル語では男女の愛も神とイスラエルの間の愛も両方とも「アーハブ」であり、区別はありません。ギリシャ語に訳されるときこの区別が発生したのです。このことはイスラエル信仰においては男女の愛も神関係の愛も同一の言葉であり、両者の底流に流れている意味は共通である、と言えます。それは「合一」です。聖書では、二つのものが一つになろうとする情熱を「愛」と呼んでいる、と言えると思います。男女の場合の「合一」は肉体的関係におけるそれと、日常生活における補完関係により、一つのものとして現れる、ことをも意味しています。神関係における愛は「合一」の基本はおなじですが現れ方は異なります。神から人への愛は人がいかなる状態にあっても、いかなる罪を犯しても、主が常に共にいてくださる、ということです。インマヌエルの神、です。人から神への愛は、神を全面的に信頼し、すべてをゆだねる、ということで「主にありて」、すなわち、主なる神の中に自分がある、ということです。

このような理解を前提に雅歌における花婿・花嫁の愛の関係を、主なる神とイスラエルの民の愛の関係と並行関係で見ていくと、ユダヤ人が神に愛されたい、との非常に強い願望が伝わってきます。それは自分たちがそれに値しない存在であることを重々知っているがゆえに尚更のこと強く、強く願うのです。自分たちの努力では得られない希望ですが、全能の主なる神の恵みによってその希望は現実のものとなる、ということです。イスラエル信仰において「希望」は未来を現実化する鍵です。強い希望は「神は希望を叶えてくれる」という確信となり、現実の中に希望の光を見た時、その希望は現実のもの、となるのです。これがイスラエル信仰における「希望」です。ヘブル語では「ハクティヴァ」と言いイスラエルの国歌のタイトルです。

これは私たちと主イエスの関係においても全く同様です。すべての希望を申し上げることです。“どうしても実現してほしいこと“は熱心に、そのように祈るべきです。どのような形で現実のものとなるのかはわかりません。主のお決めになることです。その示されたことを、その時は不満感があっても受け入れましょう。必ず「あー、あれが導きであったのだ」と信じられる時が来ます。祈ります。

(ご在天の父なる神様、今日のこの祈りの時、賛美の時を感謝申し上げます。今日は雅歌を通して私たちあたらしきイスラエルの民を主なる神が「美しい」とおっしゃってくださるはずだ、その主が私たちと常に共にいてくださる、そうに、違いない、という願望、希望を歌い上げた部分を読みました。それには値しない私を「我、あなたを愛す」とおっしゃってくださる主を思い起こします。いかなる状況にあっても常に共にいてくださる主を信じ歩むことができますよう、我々に勇気と導きをお与え下さい。主イエスの御名により祈ります。アーメン)

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労苦の中にしあわせを伝道者の書3:9-17森田俊隆 https://domei-nakahara.com/2022/06/19/%e5%8a%b4%e8%8b%a6%e3%81%ae%e4%b8%ad%e3%81%ab%e3%81%97%e3%81%82%e3%82%8f%e3%81%9b%e3%82%92%e4%bc%9d%e9%81%93%e8%80%85%e3%81%ae%e6%9b%b839-17%e6%a3%ae%e7%94%b0%e4%bf%8a%e9%9a%86/ Sun, 19 Jun 2022 00:39:00 +0000 https://domei-nakahara.com/?p=3412 "労苦の中にしあわせを
伝道者の書3:9-17
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「伝道者の書」は新改訳聖書の文書名ですが、口語訳聖書では「伝道の書」と訳されていました。日本のカソリックとプロテスタントが共同して訳した新共同訳では「コヘレトの言葉」となっています。ヘブル語原典では「コヘレト」と言います。これは、“会衆を召集する”という意味の「カーハル」の変化形で「会衆を召集する者」という意味になります。そこから伝道者、という意味になった訳です。ルターは「説教者」と訳しているそうです。ギリシャ語訳では「エクレシアステス」で英語訳でもこの名前です。“集会を司る者”の意味です。「エクレシア」といえば教会のことを指します。この伝道者の書は聖書の他の文書とは非常に異なっています。1:2で「空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空」という言葉で始まり、人生に否定的で、信仰の書としての聖書に相応しくない、と見える文書です。

この文書は、前後関係を無視して言葉のみを取り上げますと、有名な言葉もあり、信仰者の教訓となりそうな言葉もあります。そのため、その言葉だけをとりあげて、教会学校などでの暗唱聖句とされているものもあります。しかし、前後を読みますと「おや?」と思わされます。その代表は12:1の「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ」です。これは“若いうちに創造主である神を常に心に思いとどめなさい”という教訓として理解されています。この後ろの方を含め読んでみますと「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない」と言う年月が近づく前に。/太陽と光、月と星が暗くなり、雨の後にまた雨雲がおおう前に」とあります。「わざわいの日が来ないうちに」とはこのあとの表現から「年老いた日」が来る前に、と解釈されています。「太陽と月と—云々」は幼児期、少年期、青年期を経て、老年期に至る前に、と解釈されています。要するにこのみ言葉は「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ、年老いて身動きが思うに任せなくなる前に」というこということを言っています。年老いた老人が、自分の反省をこめて若者に忠告をしている言葉のように思われます。しかし、この最後が「ちりはもとあった地に帰り、霊はこれを下さった神に帰る。/空の空。伝道者は言う。すべては空。」ですから、「そうは言っても、あなたの創造者を覚えることも死んでしまうと、空しいことなのだが」と言っているようにも、解釈できます。ことこと左様に、この「伝道者の書」は「人間の一生など所詮、空しいもので、無意味なことだ」というニヒルな書と解釈することもできるのです。

そのような文書が聖書正典の一つとなっているのはいかにもおかしな話です。聖書正典に適当かどうか、とユダヤ教のなかで議論されたという風もありません。従って、ユダヤ教の中で、イスラエル信仰の書として、当初から認められていたのです。それでは、単なるニヒルの書であるはずはありません。イスラエル信仰にとってなにか重要なメッセージを語っている文書であるに違いない、と思われます

これに関連して、東京神学大学での私の指導教官であった小友先生が、この文書に関し、非常に積極的な評価をしています。それは、「伝道者の書」は、この文書が成立したBC2c頃に流行していた「黙示文書」に対峙する目的で書かれた文書である、という理解です。黙示文書はいろいろありますが、先生が特に意識しているのはダニエル書です。ダニエル書に示された黙示文書の特徴としてはつぎのような点を挙げています。①ダニエルが夢解きをするように、神の意志は特別な人間に開示されること、②この世での人生の喜びは無意味であり、真の命は死後にこそある、③罪多きこの世は終末の時に向かっており、その時は決定的な裁きの時となる、という思想です。伝道者の書はこれに異を唱えており、①神の意志・計画は、いかなる人間も究極的には、それを知ることはできない、②この世での命ははかないものであるが、そうだからこそ大切にすべきなのだ、③この世での出来事は、循環的であり、時間の終わりが最後にある、というようなものではない、ということを主張している、というのです。

小友先生は、神学生のころからこの「伝道者の書」を積極的に評価するにはどのような視角でこの文書を見るべきか、という点がテーマだったようで、ドイツでの留学時代、神学校での教師の時期を通しての一貫した研究の結果、このような理解に到達したようです。先般はNHKの宗教の時間の時に、この文書について語っておられました。この解釈は、この文書の鍵となる言葉ヘブル語「hebel」の解釈に影響を与えます。この「hebel」は、日本語聖書では「空(くう)」とか「空しさ」と訳されています。「空」という訳は文語訳の時代からのもので仏教用語からとられたことばと思われます。「hebel」のそのそもそもの意味は「息、蒸気」のことですが、そこから「空(から)、空しさ、短さ、儚(はかな)さ、無意味、空虚、不条理、束の間、無(む)」の意味をもつようになった言葉です。英語聖書では「vanity、meaningless」と訳されています。小友先生はこれを「儚(はかな)さ」と訳していますが、そのこめた意味は、「短い、束の間」というように短時間の意味だと説明しています。人生は儚い、すなわち、短い時間、束の間のようなものだ、ということです。儚い、だからこそ、大切にすべきだ、というのです。「儚い故の宝」とでも言いましょうか。人生の短い時を、喜び、幸せの中で生きることこそ、神の望まれていることだ、というのです。「hebel」という、消極的な意味に解釈されがちな言葉に、積極的な意味合いを込め、黙示文書・終末思想への対決思想と理解するのです。

「伝道者の書」は主イエスの福音のメッセージの積極面を指し示している、という理解も可能です。主イエスのみ言葉には黙示文書・終末思想に基づく部分もありますが、それは、主なる神への「畏れ」を持たせるためのものと理解することもでき、地上での命の営みには基本的に肯定的です。終末思想に見られる禁欲的態度ではありません。カナの結婚式での水をぶどう酒に変えた話などに示されています。しかし、伝道者の書の人生肯定は手放しの肯定ではなく、苦難の下で、人生の喜びを見出していく、という生き様を示しています。あくまでも人生の、人の世の、この地上の世界の悲しみ、憂い、苦しみを抱え込んだもので、儚さ、空しさ、が漂っているのです。にもかかわらず、あえて、この短い時を、喜びをもって生きていく、という決意を示しているのです。そのため、表面的には矛盾した表現が同時に現れます。実は、その矛盾こそ真実なのです。“こういうことかな?いやそうではないだろう。こうとしか思えない、でもそのようには見えない”という心の揺れ動きの中に真実があります。

この矛盾したものを同時に見ることによってこの現実の世を理解する、という点は、仏教の「空」の概念にも通じるところがあります。「空」は大乗仏教の経典として最もポピュラーな「般若心経」に繰り返し出てきます。代表的な部分として「色即是空(しきそくぜくう)空即是色(くうそくぜしき)」という言葉があります。「この世の物質的なうつろい、はこれすなわち無であり、何の実体もない。その無である空がこの世においては実体的な存在するものとして立ち現れている」というような意味と思います。「存在するとされるものは実は存在しない、存在しないものが実は存在するものとされるのだ」という存在と不存在を矛盾の中で把握する、という訳でしょう。わかったようでわからない、わからないようでなにかしらわかったような表現です。伝道者の書に含まれる矛盾とされるものもこれと同じではありませんが、この世の、人生の不可思議さを指し示していることは同じではないか、と思うのです。

では、伝道者の書のうち、人生に肯定的表現をしている、と思われる部分を若干見てみます。最初は、3:10-17です。先ほどお読みいただいた個所です。まず9-11節「働く者は労苦して何の益を得よう。/私は神が人の子らに与えて労苦させる仕事を見た。/神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。」とあります。創世記で人は「一生、苦しんで食を得なければならない」ように定められました。この伝道者はこの労苦を見た、と言っています。「労働の喜び」といったしゃれた話ではありません。苦しみを抱えた労働です。それが庶民の現実です。ところがそれを「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。」と言うのです。むしろ「神が定められたことなのでその時は美しいはずだ。その労苦は永遠の神に必ず通じているはずだ」と言うべきところでしょう。「しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。」と言われています。永遠に通じる労苦の報酬を得られるかどうかは死の床に至るまでわからないのです。いやそうなってもわからないかもしれません。死後の世界で報われるかどうかもわかりません。

次に、12-13節「私は知った。人は生きている間に喜び楽しむほか何も良いことがないのを。/また、人がみな、食べたり飲んだりし、すべての労苦の中にしあわせを見いだすこともまた神の賜物であることを」とあります。そうです、神は、この世で生きることをせいぜい楽しむように我々を創られたのだ、苦労して働くのも、それによって食べ物や飲み物を得て飲食することを楽しむよう我々を創られたのだ、というのです。労働は神への捧げもの、作物は神よりの賜物です。死んだのちのことなどどうせわかりはしないのだから、神にお任せしておけば良いのだ、という訳です。15節「今あることは、すでにあったこと。これからあることも、すでにあったこと。神は、すでに追い求められたことをこれからも捜し求められる。」とあります。ここは、神がこの世に示す事柄は循環的で、過去に探されたことをこれからも探し続けられる、とおっしゃっているようです。過去になしたことを今もなす、と言うことかと思います。要するに循環的状況を言っています。

最後の16節には「さらに私は日の下で、さばきの場に不正があり、正義の場に不正があるのを見た」とあり、この世の相変わらずの不正を見ました。正義の場、すなわち裁きの場、裁判所で不正を見た、と言っています。主イエスのお話にも「不正な裁判官」の話がありますが、裁判所で賄賂がやり取りされているのは驚くことはない、という状況だったと思われます。そして、最後に17節「私は心の中で言った。「神は正しい人も悪者もさばく。そこでは、すべての営みと、すべてのわざには、時があるからだ。」と言っています。表立って抗議をすることはできないが心の中で「神は正しい人も悪者もさばく」と言って、留飲を下げています。どのような裁きかわかりませんが「なにもなしでは済まされないぞ」という内にこもった祈りです。「すべてのわざには、時があるからだ。」という表現は、3章の最初の8節までが「—には時がある」という詩が記されており、その締(しめ)としてこの言葉が掲げられています。この「時」はヘブル語の「e:t」ギリシャ語の「カイロス」で、神の摂理の中で現れるべくして現れる時、という神の時間における時のことです。バプテスマのヨハネの宣教の第一声「時満ちて、神の国近づけり」の「時」です。信仰的重大性を持った「時」のことなのですが3:1-8では、特別な意味もない日常のことが起きることまでこの「時」を使っており、すべての起きることは神の摂理の内、という教科書的信仰の表明と考えた方がよさそうです。信仰告白とまでしかめっ面した表現ではなさそうです。

以上から、ここでの伝道者の現実の人生への態度はつぎのようにいえようかと思います。“人間が働いて食べ物を得る、というようなことは労苦ではあるが神が定めたことで人間は素直にこれに従うしかない。しかし、その中でも喜びは見いだせるのであって、神は、この世での短い人生を喜びの中で過ごしていくことを望んでおられるはずだ。この世に起きることは繰り返し同じことが出てくるのだが、これも神の定められたことなのだ。この世は不正が横行している社会だ。文句を言ってもしょうがない。神が正しい裁きをしてくださることを期待するのみです。そんななかでも「足れり、を知る」の態度で人生に臨めば、自ずから喜びの人生となるのだ”というところかと思います。つづめて言えば、「人生を喜び楽しみなさい、しかし、ちょっと斜に構えた信仰への態度もありますが」、というところでしょう。

もう一か所、この世の生を肯定しているところを見てみます。9:4-10です。まず、4-6節です。「すべて生きている者に連なっている者には希望がある。生きている犬は死んだ獅子にまさるからである。/生きている者は自分が死ぬことを知っているが、死んだ者は何も知らない。彼らにはもはや何の報いもなく、彼らの呼び名も忘れられる。/彼らの愛も憎しみも、ねたみもすでに消えうせ、日の下で行われるすべての事において、彼らには、もはや永遠に受ける分はない。」とあります。「生きている者には希望がある」と言っています。ここで「希望」と訳されている言葉は「信頼、確実」という意味の言葉で、ギリシャ語訳で「希望」という言葉「elpis」が当てられ、日本語訳も「希望」とされています。ヘブル語に忠実に行けば、「生きている者につながっているものには、確実な基礎、すなわち神の摂理がある」とでもいえるかと思います。そうではなく、確実なことは「死」のことだ、という解釈もあります。次の「生きている犬は死んだ獅子にまさるからである」はなにか格言かなにかでしょうが、“これ言っちゃあおしまいよ”という表現です。信仰も何もあったものではない、と言いたくなります。近東で軽蔑される動物、犬でも生きている方が死んだ百獣の王ライオンよりはましだと、言うのです。この言葉は時々、処世訓のごとく使われることもあります。恰好は悪いけれど這いずり回ってでも生き抜いてやる、という態度を「犬のように」というのです。とにかく、生きることに意義を見ていることだけは確かです。

続いて、死んだ者には何もない、ことを繰り返し言っています。生きているからこそ「死」が意味を持っている、ということです。死を見つめながら生きる、更に言えば死とともに生きている、ことこそ、生きていることのあかしだ、というのでしょう。死んでしまったらすべておしまいです。日本流に言えば「去る者は日々に疎し」です。

 7-8節に「さあ、喜んであなたのパンを食べ、 愉快にあなたのぶどう酒を飲め。 神はすでにあなたの行いを喜んでおられる。/いつもあなたは白い着物を着、 頭には油を絶やしてはならない。」とあります。食べて飲んで楽しめ、と言っています。パンとぶどう酒です。これは喜びの食事の時です。そして、特別の着物を着て、頭に油を塗りなさい、と言っています。「神はすでにあなたの行いを喜んでおられる」というところの「喜んでおられる」は「受け入れる」とも訳され得る言葉であり、この程度の表現の方が妥当と思います。いずれにしろ、この人生を楽しむ生き方が、神の受け入れられることとなっている、というのです。イスラエル信仰の歴史の中で、これだけもろ手を挙げて主なる神の受容を喜んでいる表現はないでしょう。

 この後に9節「日の下であなたに与えられたむなしい一生の間に、あなたの愛する妻と生活を楽しむがよい。それが、生きている間に、日の下であなたがする労苦によるあなたの受ける分である。」とあります。愛する妻と生活を楽しむことが労苦の報酬だというのです。人生の楽しみはいろいろありますが、なんといっても愛する妻との生活を楽しむことが一番だと言っているのです。具体的な楽しみ方は、今までの出来事を話すこと、手をつないでただ歩くこと、長い抱擁の時を持つこと、など色々あろうかと思いますが、ここでは何かしら静かな喜びをかみしめることなのではないでしょか。イスラエルにおいてもこの時期は階級社会化しており、上層階級は複数の妻を持っていましたが、一般の民はそんなことは無理であり実質一夫一婦制でした。その妻を愛し、妻にも愛され、年老いて、この愛の関係を確認することこそ、喜びだということです。この世における命の肯定的態度というのはこのようなことこそ至福の時、ということでしょうか。伝道者の書はイスラエル信仰における「幸福論」であり、これが主イエスの神の国メッセージにつながっている、というように解釈しているカソリックの神父が居ますが、さもありなん、という気がします。

 最後の9:10は「あなたの手もとにあるなすべきことはみな、自分の力でしなさい。あなたが行こうとしているよみには、働きも企ても知識も知恵もないからだ。」という言葉で締めくくられています。さすがに「伝道者の書」はただ手放しでの喜び、だけでは終わりません。“なんでも自分でやれることは自分でやりなさい。死んで黄泉に行くと何も工夫して事をなすということはなくなるのだから”というのです。「よみ(sheo:l」はこの文書ではここだけです。死者の国の意味ですが、伝道者の書では、死後の国の存在を信じているわけではありませんから、「何もない場所」というように解釈するのがここでは妥当と思われます。「何もない場所」即ち場所とも言えない場所ですから、何もやることがないのは当然です。要するに生きている間のことに傾注しなさい、ということを言っているのです。

この考え方からは主イエスの復活は出てきません。主イエスの言動は旧約におけるいくつかの思想潮流が統合されているものと理解すべきであり、伝道者の書の“この世の生きざまを率直に肯定する”思想もその一つである、と言うことができるでしょう。もちろん、この文書には「むなしい」とか「無意味である」とかいう人間の生きざまに対する皮肉な見方もあるのですが、それをも超える「この世の生を生きる」という力を私たちは読み取ることができるものと思います。小友先生のように、「人の人生は短いものだ。だからこそ、大切に生きていくべきなのだ」と人生に積極的に解釈することもできます。しかし、その裏には「でもいつもうまくいかないのだ。なにか空しいな」という寂寥感がともなっています。また逆に、「人生に意味を見出そうなどというのは所詮無理な話だ。ただ死ぬまで生きるべきだというだけだ」というように解釈することもできます。しかし、「そうであっても与えられた命は珠玉のようなもので、これを楽しまなくてどうするのだ」という声もどこかで聞こえます。人間というのはその両面で右往左往している存在といえば良いでしょうか。私たちのこの日常の中にあるあふれる神の恵みとそれを喜ぶ姿勢だけは大切にしたいと思うものです。祈ります。

(御在天の父なる御神様、今日は聖書の中でも超難解と呼ばれている「伝道者の書」から、私たちの「しあわせ」についてみて見ました。確かにこの文書は、人生に対し積極的見方と、消極的見方が交錯している文書のように見えます。どうか私たちが、主の恵みの下に生かされ、日常のなかに、喜びを見出していくよう導いてくださいますよう、祈ります。主イエスの御名により、祈ります。アーメン)

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あなたを憎む者箴言25:21-22; 24:17-18森田俊隆 https://domei-nakahara.com/2022/05/15/%e3%81%82%e3%81%aa%e3%81%9f%e3%82%92%e6%86%8e%e3%82%80%e8%80%85%e7%ae%b4%e8%a8%802521-22-2417-18%e6%a3%ae%e7%94%b0%e4%bf%8a%e9%9a%86/ Sat, 14 May 2022 23:51:00 +0000 https://domei-nakahara.com/?p=2960 "あなたを憎む者
箴言25:21-22; 24:17-18
森田俊隆
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* 当日の説教ではこのうちの一部を省略して話しています。

本日は、「箴言」のなかから、主イエスの「汝の敵を愛せよ」に通じる言葉ではないか、と思われる個所からお話をさせていただきます。「箴言」という言葉は英語では「proverb」といい、「格言」とか「諺(ことわざ)」の意味です。ユダヤ人の聖書の文書の分類では「諸書」の一つで、知恵文学と称せられる分野の文書です。知恵文学では「知恵」を大切にし、それを深く理解した「知恵者」となることが理想とされています。箴言以外では「空の空」で有名な「伝道者の書」、外典では「ソロモンの知恵」と呼ばれる「知恵の書」、「集会の書」と呼ばれる「シラ書」があります。更に偽書と呼ばれる文書のなかでは「モーセの遺訓」「ヨブの遺訓」「アブラハムの遺訓」という遺訓シリーズがあります。偉大な人物が語った“人生の真実を語った文書”という訳です。今日はこれらの聖書関連文書を含めてみていきたい、と思います。

「汝の敵を愛せよ」に通じる言葉ではないか、と思われる箇所は複数あります。また外典等にもあります。また新約聖書の「手紙」のなかにもあります。これらを書かれた時の順序に並べ、主イエスのおっしゃられた「汝の敵を愛せよ」が旧約の制約を超えつつもイスラエル信仰の基本に忠実な言葉である、ことを申し上げたい、と思う次第です。そもそもの出発点となる疑問は「汝の敵を愛せよ」という言葉は、不可能なことを主イエスがおっしゃっているだけで一種の願望を述べたに過ぎない、のではないか、という疑問です。そもそも山上の説教は単なる個人的道徳の理想を述べたのに過ぎず。私たちの生活規範としての意味はない、という見方は昔からあります。しかし、よく考えてみると、主イエスの山上の説教での言葉は十戒を含む律法を本来の精神にまで立ち返り、恵みの手段としての律法の本義に立ち返るものではないか、という見方で見ると、その意味が納得できるようになります。例えば「殺すなかれ」ですが、主なる神はすべての命が本来の働きが十全に発揮され、喜びの生涯を生きるように望まれている、という基本に立ち返ると、主イエスが「兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません」とおっしゃられたのは「他人を憎むことはその人を殺すことと同じである。憎しみは主の裁きに委ねなさい」ということをおっしゃっている、と解釈すると意味が解ります。山上の説教は通常言われる「戒め」を列挙したものではないのです。「汝の敵を愛せよ」もその意味するところの正しい理解にまで行きつくことができるでしょうか。ではレビ記からスタートいたします。

レビ記の関連個所は19:17-18です。「心の中であなたの身内の者を憎んではならない。あなたの隣人をねんごろに戒めなければならない。そうすれば、彼のために罪を負うことはない/復讐してはならない。あなたの国の人々を恨んではならない。あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。わたしは主である。」とあります。主イエスの言葉の出典はこの個所ではないか、と言われている箇所です。まず「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。」とあります。注意すべき点は愛する対象は「隣人」とされていることです。この言葉は十戒の第9戒「あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。」に出てくる言葉です。この隣人は主なる神の選ばれた民イスラエルを指していることばです。従って、レビ記の言う「隣人を愛せよ」は「同じ仲間を愛しなさい」ということであり、仲間でない人々についても言っていることではありません。すなわち、異教徒については「愛する」対象ではない、ということです。

また、憎しみについても「身内の者を憎んではならない」と言われています。これに続いて「隣人を戒めよ」という言葉がありますので、「身内の者」とは「隣人」のことだと思われます。「隣人を憎んではならない」ということが言われています。「憎む」は「愛する」の反対語と考えてよいでしょうから、これは「イスラエルの民を憎んではならない」ということを言っていることになりますが、逆に言えば「異教徒は憎んでも良い」ということです。これが主イエスの聖書の引用としての「自分の敵を憎め」という言葉に対応していることです。結局、「信仰を同じくする者を愛し、異教徒を憎む」ということを言っていることになります。レビ記の「愛する」「憎む」のところには非常に強い排他性が裏側にはある、ということです。“なんだ、そんなことなら、守ることもできるだろう。仲間を愛し、それ以外は憎んでよい”ということなら、この世の中で通常あることで、特別なことではない、と言うことになります。

しかし、注意すべき重要な点があります。仲間への憎しみが禁止されるのは「彼のために罪を負うことはない」ためだ、と言われていることです。あなた自身が主なる神により、罪ある人とみなされ、裁きにあうことのないように、ということが言われています。憎しみの禁止は、彼のため、とかイスラエル共同体のため、ということではなく、あなたと神の関係が正しくあるため、ということであり、結局、あなたのためだ、と言っているのです。18節の「復讐してはならない。あなたの国の人々を恨んではならない。」も、復讐は主がなさることであるから、あなたは、主のなすべきことを勝手に自分でやってはならない、ということを言っているのであって、あくまで主なる神とあなたの関係の問題だ、ということです。なぜあなたが復讐をしてはいけないのか。それはあなたの、または復讐の相手の命が奪われる結果になるからです。もし、復讐の相手方の命は奪われるべきだとしてもそれを判断するのは主なる神であって、あなたではない、ということです。また、あなた自身が復讐をすることによって、返り討ちにあって命を失うことになるのは主なる神の望まない、ことである、ということです。主なる神は“命が生き永らえること”が最優先事項としている、ということです。命を奪う権利を持っているのは主なる神のみである、ということの信仰告白である、と言ってもよいでしょう。

この節の最後に「わたしは主である」とありますがおそらく、「私が主である」と訳す方が良いと思われます。あなたや愛する対象の人々であるイスラエルの民の主は私である、ということの宣言です。イスラエルの民またその構成員すべての命に関する支配権は主なる神にある、ということの宣言です。イスラエルの民のゆく道は容易な道ではないがその道は主なる神が整える、ということの宣言でもあります。「愛すること」「憎むこと」がイスラエルの民の中で起こることもあろうが、裁きは主なる神のみがその権利を持っている、という宣言なのです。すべての事柄を、究極的には「神とあなた」との関係で理解する、というのはイスラエル信仰の根本中の根本であり、これは新旧約聖書に一貫して流れている底流のようなものだ、と言えるでしょう。

では次に詩編140:10を見ます。「燃えている炭火が彼らの上にふりかかりますように。彼らが火の中に、また、深い淵に落とされ、彼らが立ち上がれないようにしてください。」とあります。この詩編は「私を—暴虐の者から—守ってください」に始まります。ここにも暴虐の者と戦う力のない無力な民が主なる神に復讐をゆだねる姿が示されています。おそらく、この詩人は暴虐の者を憎んでいるでしょう。しかし、その復讐を主なる神に祈り、自らは行動を起こさないのです。これはレビ記の「復讐してはならない」を実行しているのです。「復讐してはならない」と「敵を愛せよ」とは実はコインの裏表みたいなものなのです。

次は問題の箴言です。25:21-22に「もしあなたを憎む者が飢えているなら、 パンを食べさせ、 渇いているなら、水を飲ませよ。あなたはこうして彼の頭に 燃える炭火を積むことになり、 主があなたに報いてくださる」とあります。「あなたを憎む者に愛の業を示しなさい」とあります。ここであげられている行為は聖書では「愛の業」の代表的な事柄とみなされていますから、これは結局「あなたを憎む者を愛せよ」ということです。「憎む」はヘブル語で「sa:na:」ですがこの言葉は「敵」の意味にも使われます。創世記24:60「そして、あなたの子孫は 敵の門を勝ち取るように。」と言う時の「敵」はこの言葉です。するとここは「敵を愛せよ」ということになります。しかし、注意しなければならないことがあります「あなたを憎む者」と言っており、あなたが憎む者ではないのです。あなたを敵としている者を愛せよ、ということであり、あなたが敵としている者を愛せよ、といっているのではないのです。これは信仰的な見方からすれば非常に違います。あなたを憎むようにしているのは主なる神が何らかの理由があってそのように仕向けている可能性はあるのですが、あなたが憎んでいるのは文字通りあなたが憎んでいるのであって、主なる神の御意思とは全く関係ありません。箴言において愛の対象があなたを敵とする者と言われ、あなたの意志とは無関係に決まる他人のことだ、ということです。「あなたの敵を愛する」より、「あなたを敵とする者」を愛する方がまだ容易です。

このあとに「燃える炭火を積む」話が出てきます。これは“愛の業を行うことが、神の怒りの火が更に勢いよくあなたを敵とする者の頭の上で燃え上がるよう炭火を積むことになる“というのです。神が裁きを行う時の手助けになる、というのです。この愛の業を行った人物の復讐心は全く減少しておらず、その延長線上にあります。しかし、「復讐は主のなす業」というイスラエル信仰の基本はかろうじて維持している、と解釈できます。

24:17-18の方を見てみます。「あなたの敵が倒れるとき、喜んではならない。 彼がつまずくとき、 あなたは心から楽しんではならない。主がそれを見て、御心を痛め、 彼への怒りをやめられるといけないから」とあります。これは愛の業ということではありませんが、敵が敗北しても喜ぶな、ということです。その理由が面白いです。敵への主なる神の怒りが止まるかもしれないから、というのです。ここにも復讐心の残存が見られます。敵の敗北を喜ぶと神による復讐が止まる可能性がある、というのです。神による復讐を見て喜ぶ必要がなくなるので、神が怒りの発動をやめるかもしれない、というのです。変則的であれ喜びを得てしまうと本当の意味での喜びはなくなる、ということを言っています。主なる神による復讐を喜びとする、ということです。しかし、「復讐をしてはならない」という神の戒めは守っています。

箴言の言葉は、主イエスの「汝の敵を愛せよ」とは大きくかけ離れているのは事実ですが、レビ記に見られたイスラエル共同体についてのみ語られている戒め、と言う壁は取り払われているようです。箴言がまとめられた時期はBC3cの緩いエジプト支配の時代と推測され、ユダヤ人の民族主義は薄れ、国際主義的流れが前面に出てきた時期と推測されます。従ってイスラエル共同体のみに適用されるレビ記の教えの、その範囲が拡大され、人間一般について適用されるべき事柄になっています。この点は、大きな前進です。

次はシラ書です。これはBC2cの知恵文学の一つですがその10:6及び28:6-7には次のようなことが書かれています。「隣人のどんな不正な仕打ちにも、憤りを抱くな。また、決して横柄なふるまいをしてはならない。/自分の最期に心を致し、敵意を捨てよ。滅びゆく定めと死とを思い、掟を守れ。/掟を忘れず、隣人に対して怒りを抱くな。いと高き方の契約を忘れず、/他人のおちどには寛容であれ」とあります。えらくできた人の道徳観のような個所ですが、イスラエル信仰との関連での、中心的メッセージ部分は「自分の最期に心を致し、敵意を捨てよ」です。死の直前において最大の関心事は天の御国に入ることができるかです。憎しみ、敵意を持っていては天の御国入ることはできません。そのことを常に心にとどめておき、平常時から敵意を捨てるようにしなさい、と言っています。敵意を捨てるのは神と私の正常な関係を保つため、というイスラエル信仰の基本は確固として維持されていますが、復讐心は消え失せています。

また「掟を忘れず、隣人に対して怒りを抱くな」と言われています。シラ書の時代背景からすると「隣人」は狭義のイスラエル信仰共同体の構成人員にとどまらず、もっと広い範囲での人々のことを念頭に置いているはずです。「掟」は当然律法のことですがレビ記19:18の後半部分「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい」が念頭にあると思われます。レビ記のイスラエル共同体構成員のみが対象という制約を破ったうえで、この言葉を取り上げると、そこでは、主イエスの「汝の敵を愛せよ」にかなり近づきます。しかし、死の直前の天の御国を思い起こすことでこのような境地に至ることができるのか、には疑問が残ることは事実です。もうひとつ、このシラ書の個所の難点は、どうも個人としての道徳より先にまでこの倫理観を広げていく動因が見当たらないことです。立派な人ですね、ということにとどまってしまう可能性大だということです。

次は、宗教要覧です。宗教要覧というのはエッセネ派のクムラン教団の洞穴に残されていた「死海写本」の一部です。関連すると思われる個所を続けて読みます。1:4、1:6、10.15です。「彼(神)の選び給うものをみな愛し、彼の斥け給うものをみな憎むこと。あらゆる悪から遠ざかってすべての善い業に結び付くこと。/地において真実と義と公正を行うこと。—すべての闇の子らをおのおの神の報復に入るべき、その罪に応じて憎むことのないように気をつけなさい。その人があなたのことで主に訴えるなら、あなたは有罪となる。/だれにも、悪行の仕返しをせず、善をもって人を追及しよう。生けるすべてのものの審きは神とともにあり、人にその報いを返し給うのは彼(神)であるからだ。」となります。

主イエスの律法の引用に見える『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め』は実は宗教要覧の「彼(神)の選び給うものをみな愛し、彼の斥け給うものをみな憎むこと」のことで主イエスは宗教要覧に基づいた集団であるエッセネ派を批判しているのだ、という解釈がされたことがあります。確かに、宗教要覧の記述は、民族主義的ユダヤ教の色彩を強く残しています。愛の対象は「神の選び給う者」に限定されています。エッセネ派の信者に限定されている、と理解されます。神による報復の対象は「闇の子」です。これに反対の「光の子」がエッセネ派の信者です。但し、「闇の子」は罪あるものではあるが「憎む」ことは良くない、と言っています。それは「憎しみ」が復讐につながり、神の掟を破ることになるからです。最後のところの「だれにも、悪行の仕返しをせず、善をもって人を追及しよう。生けるすべてのものの審きは神とともにあり、人にその報いを返し給うのは彼(神)であるからだ。」というところはエッセネ派信者間に限られないように見受けられます。しかし、それもイスラエル共同体の範囲を超えるものではないと思われます。彼らは隠遁生活を送っており、そもそも異教の民との接触の場面は全くなく、せいぜい、イスラエルの他の宗派の人間たちとの接触の中で物事を考えていたものと思われるからです。エッセネ派の閉鎖性はこの教えの大いなる意味を打ち消すことになっています。

そして次はマタイ、ルカの両福音書です。ここではルカ福音書の方を見てみます。6:27-28です。「しかし、いま聞いているあなたがたに、わたしはこう言います。あなたの敵を愛しなさい。あなたを憎む者に善を行いなさい。/ただ、自分の敵を愛しなさい。彼らによくしてやり、返してもらうことを考えずに貸しなさい。そうすれば、あなたがたの受ける報いはすばらしく、あなたがたは、いと高き方の子どもになれます。なぜなら、いと高き方は、恩知らずの悪人にも、あわれみ深いからです。」とあります。

まず、民族的排他性についてですが、主イエスの言葉にはその排他性が全く見られません。ユダヤ人が敵とみなしていたサマリヤ人を「隣人」としているのですからユダヤ的排他性は消去されています。それから、箴言のように「あなたを憎むもの」「あなたを敵とするもの」に善行の対象を限定するのではなく「あなたの敵」「あなたを憎むもの」にまで拡大していることです。もちろん、主イエスの伝道の範囲からすればイスラエル共同体に限定されたことではありますが、潜在的にはいわゆる異教徒にまで拡大される可能性を含んだものです。これがパウロをはじめとする、主イエスの弟子たちにより実行に移されます。「返してもらうことを考えずに貸しなさい。そうすれば、あなたがたの受ける報いはすばらしく、あなたがたは、いと高き方の子どもになれます」の部分は善行を行った相手から報酬が来るわけではなく、イスラエル共同体から表彰されるのでもなく、神の子となる、という報酬を受ける、ということを言っています。報いは神からくる、です。これぞイスラエル信仰の面目躍如たるところです。人間にも社会にも期待はせず、主なる神からの報いにのみ期待を寄せる、ということです。具体的な表れは、他人からや社会からの評価の形で現れるかもしれませんが、それは主なる神の意志であるときのみ意味があるこということです。そのような評価が全くなくても主なる神の書物には記され、死の時に至ってそのことが実りを示す、という考え方です。

それをルカ福音書では「なぜなら、いと高き方は、恩知らずの悪人にも、あわれみ深いからです」と博愛主義的表現で記しています。マタイ福音書においても「天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです」と言われています。イスラエル信仰の基本は、そのようなすべての人にあまねく主の恵みが臨んでいるから、ということではなく、主なる神と私の関係にすべてを帰着させ、他人がどうか、とか社会がどうか、ということは無関係だという考えにあります。究極的には「汝と我」のみの信仰です。このような理由付けは、この世の人間にも納得しやすいような表現を方便として使った、と見るべきでしょう。主イエスは民衆がわかりやすいための手段を使っています。その代表は病の癒しです。このような博愛主義的表現も神の恵みを実感する上ではわかりやすい表現と言えるでしょう。でも、イスラエル信仰の深みに至るのにはもう一段の何かが必要です。

もう一つ、主イエスの言葉において画期的なことがあります。行動に現れる事柄の前に、心構えに関することをおっしゃっていることです。「あなたの敵を愛しなさい」です。ユダヤ教は基本的に行いによってその人間の信仰的評価をする宗教です。しかし、ここで主イエスは善行などの行動について述べる前に、心構えを述べています。心構えは神にしかわかりません。このことは、マタイ福音書の方が明確です。5:44で「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」という言葉がまず出てきます。このように、行動に現れる前の心の問題を問うことはシラ書の表現に始まっていますが、主イエスの言葉は、それを律法の本義の解釈として述べておられることです。律法の本来の意味を復活させるには、神にしか見えない心を問題にしなければならなかったのです。山上の説教の他の個所にも同様のことが言えます。もちろん、レビ記、箴言、宗教要覧のようにユダヤ教の基本的流れにある個所にもその萌芽はあります。その萌芽が、主イエスによって前面に押し出されてきたと解釈できます。もちろん、心構えは必ず何らかの行動につながります。その意味ではユダヤ教も真実を述べている、と言えますが、第一次的着眼点は違います。

最後は、新約の書簡です。ローマ書12:14と12:20-21を続けてお読みします。「あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福すべきであって、のろってはいけません。/もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。/悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい」とあります。まず気づくのは詩編140:10、箴言25:22に出てくる「燃える炭火」という表現が使われていることです。特にローマ書の12:20「もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです」は箴言25:21-22「もしあなたを憎む者が飢えているなら、 パンを食べさせ、 渇いているなら、水を飲ませよ。/あなたはこうして彼の頭に 燃える炭火を積むことになり、 主があなたに報いてくださる」の個所と極めて類似しています。パウロは主イエスの言葉を箴言の言葉の拡張と理解したということになります。箴言にある、イスラエル共同体の構成員に限定している制約はとり払われています。しかし「あなたを憎む者」即ち「あなたを敵とする者」を想定している表現は箴言のままですし、その人間に対する神の復讐を待ち望む姿勢にも変わりはありません。箴言の線上で主イエスの言葉を解釈することの限界性が示されている、という言い方もできます。パウロが言うとどうも根暗っぽくなり、主イエスのおおらかさが消えてしまうような気がするのは私だけでしょうか。

しかし、12:14の「あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福すべきであって、のろってはいけません」や、12:21の「悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい」は限定条件なしの一般的表現で語られており、人間一般について言っているように思われます。「呪ってはいけません」の「呪う」はヘブル語では「qa:lal」であり、多数あるヘブル語の「呪う」の言葉の内、「神の祝福から排除される」の意味の「呪う」です。祝福を与えるか与えないかは神の判断事項であり、あなたは神の領域に干渉するようなことをしてはならない、ということを意味しています。極めてイスラエル信仰に忠実な態度です。

「善をもって悪に打ち勝ちなさい」と類似の表現は詩編34:14にあります。「悪を離れ、善を行なえ。平和を求め、それを追い求めよ」です。しかし、「善をもって悪に打ち勝ちなさい」とまで、「善悪」を対立したものであることを強調した表現はありません。イスラエル信仰では「善き行い」というように人間の行動と関連させて善が語られます。善とか悪とかを独立した実体が存在するような表現はイスラエル信仰の原初的なものではなく、むしろ、ギリシャ哲学の影響が看取される表現、と考えた方がよさそうです。パウロはギリシャ文化の中で育った人間ですから、「善悪」の対立概念で物事を考えるのに慣れていたのでしょう。主イエスの言葉のギリシャ哲学的展開と言えるかもしれません。ギリシャ・ローマ文化の中にあるキリスト者に向けた手紙であるのでこのような表現を使用したのかもしれません。類似の表現はギリシャ哲学の影響が強いと言われる第三ヨハネの手紙の1:11にもあります「愛する者よ。悪を見ならわないで、善を見ならいなさい。善を行なう者は神から出た者であり、悪を行なう者は神を見たことのない者です」とあります。ちなみに、イスラエル信仰における対立概念の中心的なものは「罪」と「義」です。                 

箴言における言葉から、レビ記、箴言、シラ書、死海文書、福音書、パウロ書簡を順番に見てきました。レビ記を見ている限り、そういうことなら自分も守ることができる戒めかな、と思っていたのが、漸次変化をしてきてシラ書においてはそれまでの各種制約が排除されました。そして、福音書の主イエスの言葉に至り、それまでのユダヤ教の枠内での「敵を愛せよ」が転換し、主なる神からの報いのみに期待する「愛の業」の勧めに至ります。これを受けたパウロは箴言の表現を借りながら、主イエスの愛敵の教えを理解しようとしています。そのために、ギリシャ哲学的考え方をも助けとしています。このような流れの中で見ると、主イエスの言葉がイスラエル信仰の根本を維持しつつも正統的ユダヤ教の教えにとっては、いかに革命的意味を持ったのかが見えてきます。祈ります。

(天に召します父なる御神様、今日の礼拝の時を感謝いたします。本日の「汝の敵を愛せよ」に至る聖書の言葉の数々の話は、是非とも唯一君に聞いてほしかったものです。我々は、人間を敵と味方に分け憎しみのぶつけあいをしている状況を止めることのできない無力な者です。唯一君もおそらくこの戦争の現実に心痛めていたであろう、と思います。私たちの主は大胆にも「汝の敵を愛せよ」とおっしゃいました。それは旧約の世界で培われたイスラエル信仰の初めであり終わりであります。この戦争の多くの被害者のために主が特別に慰めの言葉を与えてくださいますように、「主よ、きたりませ」と共に大きな声で叫ぶことができますように。和解の福音を下さい。主の御名により祈ります。アーメン。)

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畏れと驚き詩篇111:1-10森田俊隆 https://domei-nakahara.com/2022/04/24/%e7%95%8f%e3%82%8c%e3%81%a8%e9%a9%9a%e3%81%8d%e8%a9%a9%e7%af%871111-10%e6%a3%ae%e7%94%b0%e4%bf%8a%e9%9a%86/ Sun, 24 Apr 2022 00:01:00 +0000 https://domei-nakahara.com/?p=2789 "畏れと驚き
詩篇111:1-10
森田俊隆
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今日は先月に続き、詩編のなかからお話をさせていただきます。詩編111編です。詩編には、最初に「ハレルヤ」という言葉で始まる詩編が10編あります。そのなかで「アルファベット詩編」と称し、ヘブル語のアルファベットで各節が始まる詩が2編あります。それが111編と112編です。今日の詩編はそのうち前の方ですが、内容的には連続しているようです。ともに「神賛美の歌」です。両編に共通している言葉は「主は情け深く、あわれみ深く」です。イスラエルの神、主は私たちを超えた存在でありながら、「情け深く、あわれみ深い」存在であることがうたわれています。111編は「尊厳と威光」を示す神、112編は「繁栄と富」を齎す神に強調点がある、と言えようかと思います。

さて、5節に「主を恐れる」と言う言葉が出てきて、9節の最後に「おそれおおい」という言葉が出てきます。ヘブル語では同じ言葉です。今日の主題です。そして、10節には「主を恐れることは、知恵の初め」という言葉が出てきます。これは箴言9:10「主を恐れることは知恵の初め」と同じ表現です。箴言1:7には「主を恐れることは知識の初めである」という表現があります。知恵が、知識に変わっているだけの違いです。ヨブ記28:28に「主を恐れること、これが知恵である」とありますので、おそらく、原型は「知恵」(hakma:)であり、「知識」(da-at)のところはその変形であろう、と思われます。ギリシャ語訳はどちらも「sofia」(知識)です。そのギリシャ語は「哲学」(philosophy)のもととなった言葉です。ヘブル語ではこの2つの言葉はかなり違います。「知恵」という時は「知恵者」「賢者」を指すときのことばで、物知り、とは関係ありません。イスラエル信仰の真実の忠実な人、という意味合いであり、旧約聖書流に言えば「義人」です。これに対し、「知識」の方は、文字通り「知識」のことで通俗的には「ものしり」です。イスラエル信仰の上では「知恵者」こそが尊敬の対象です。

それにしても主なる神を恐れることは知恵のはじめ、ということはどうしてでしょうか。恐れおののいていると、知恵が深まるなどというバカげたことはありません。詩編111編では5節、9節、10節にこの「恐れる」がでてきます。ヘブル語では「ya:re:」、ギリシャ語訳は「fobe:o」です。3か所ともこの言葉またはその名詞形です。ヘブル語の「ya:re:」は旧約で332回も出てくる言葉ですが、大部分は「恐れる、怖がる」の意味ですが、「畏敬(もけい)」の意味の「畏れる」での使用も30回以上あります。日本語では同じ発音ですが意味合いはだいぶ違います。また、カソリックの日本語訳である、フランシスコ会訳では「畏敬(もけい)」の「畏れる」で訳しています。カソリック、プロテスタント共同の訳である新共同訳、協会共同訳も同じです。おそらく新改訳の訳者は同一の言葉は同一の日本語に訳す、という原則から、意味としてはおかしくてもおののく「恐れ」で訳したものと思われます。しかし、私たちが聖書の意味することを理解しようとするときは、詩編111編の「おそれ」は「畏敬(もけい)」の「畏れる」と理解することで良い、と思います。「畏れ」をもって、全能の主なる神を仰ぎ見る謙虚な姿勢こそがイスラエル信仰の上での「知恵者」=神の前に義なる人、になれる、ということを意味しています。ギリシャ語の「fobe:o」も両方の意味があります。

でもなぜ、主なる神を「畏敬(もけい)」すると「知恵」「知識」の初めになるのでしょう。それは皆さんが想像できるように、全能の神の深遠な不可思議な摂理に近づくことによる「おどろき」が契機になり知恵、知識の深みに進むのです。口語訳聖書で「恐れ」と「驚き」が同時に出てくる節をさがすといろいろあります。そのなかでいくつか見ると、エレミヤ書5:30「驚くべきこと、恐るべきことがこの地に起っている」とあります。やはりエレミヤの46:27「わたしのしもべヤコブよ、恐れることはない、イスラエルよ、驚くことはない。見よ、わたしがあなたを遠くから救い」とあります。エゼキエル書28:19「もろもろの民のうちであなたを知る者は皆あなたについて驚く。あなたは恐るべき終りを遂げ、永遠にうせはてる」とあります。新約においてもルカ5:26「みんなの者は驚嘆してしまった。そして神をあがめ、おそれに満たされて、「きょうは驚くべきことを見た」と言った」とあります。

ギリシャにおいても「おどろき」は知識のはじめと考えられてきました。ギリシャ哲学の偉人プラトンは“驚きは哲学特有の感情であり、哲学は驚きのうちに始まる。なぜなら、実にその驚異(タウマゼイン)の情(こころ)こそ知恵を愛し求める者の情なのだからね。つまり、求知(哲学)の始まりはこれよりほかにはないのだ”と言っています。ギリシャ哲学の大成者であるアリストテレスは「 人間がいま哲学し始めるのも、太古の昔はじめて哲学し始めたのも、驚嘆ゆえだからである」と言っています。こちらの方は「知恵」というより「知識」の要素が強いかもしれませんが、「恐れ」と「驚き」がつながっていることを示す、ことに変わりはありません。私たち現代人は、「驚き」を通して主なる神の神秘的力を見る、という健全さを失っています。科学はかつては神の力と言われていたことを次々と論理的説明をし、それにより、いずれはすべて、そのような科学的説明が可能になるだろう、というそれこそ神話を信ずるようになってきました。しかし、考えてみますと、未知の分野は多数あり、自然の仕組みは、知れば知るほどその不可思議さがわかってきます。

私は、銀行の中で、Computerを仕事にしていた時期が長いので、この技術に興味があります。皆さんも聞いたことがあると思いますが、量子Computerがそろそろ実用段階に入っています。この根本原理は次のようなものです。ある条件の下で2つの素粒子のペアができます。一つは右回りに回転しており、他方は左回りに回転しています。何かの原因で、右回りの素粒子が左回りになると、今まで左回りの素粒子が右回りに変わる、ということです。そして、2つの素粒子が逆回転するのが同時だということです。同時ということは時間がZeroということです。この時間Zeroは実験で証明されています。右回り、左回りを「0と1」に置き換えれば二進法のComputerの基本となります。二つの素粒子の間の情報が時間Zeroで伝達される、ということは時間ZeroでComputerの計算ができるということです。この原理を応用したのが量子Computerというわけです。今のComputerは情報の伝達は電子のSpeed以上には絶対、行きません。そんな馬鹿な、と思われるでしょうが科学的に証明された事実です。「驚き」です。

また、光とか、電波というのも不思議な性質を持っています。粒子であり、波である、というのです。ちょっと考えると、光や電波はまっすぐ進むので、なにか邪魔になる衝立のようなものがあれば、それにさえぎられて、裏側にはいかないように思われます。粒子であれば、衝立によって遮られたり反射したりして裏側にはいくはずはありません。しかし、実際には、光の場合、衝立の裏側もぼんやりと明るくなります。これは波の性質も持っているからです。電波についても同じです。衝立の裏にいる人の携帯電話に電話してもつながりますね。これは携帯電話網のアンテナから出た電波が携帯電話の周辺に電波の波を送っているからです。一直線に携帯電話に電波を送っているのではありません。発信する方も波を周囲に送っていて、それを近くにあるアンテナがキャッチするのです。電波に波の性質がなければ携帯電話は生まれなかった、ということです。音は波であり空気を伝わっていくのですが、光や電波は空気も何もない宇宙空間を伝わり波の性質を持って地球に届いています。「本当?」と言いたくなりますが事実です。「驚き」です。

今度は大宇宙の話です。大宇宙は現在、光の速さで膨張している、と言われます。この大宇宙はアインシュタインの一般相対性理論で示された公式で動いていると考えられています。ニュートンの万有引力の法則に変わるものです。この公式を解いて時間をZeroにするとすべての空間の距離もZeroとなり、時間・空間のない時点にさかのぼることができます。時間・空間がZeroであった時に一種の爆発(ビック・バン)によって時間・空間が作られ、膨張し、今の宇宙となり、更に光速での膨張を行っている、というのです。このビックバンにより、莫大なエネルギーが解放され、そのエネルギーの一部の凝縮により物質が形成され我々が見る星が形成されたといわれます。この物質のほんの少しを、もとのエネルギーに戻すのが原爆・原発の原理です。大宇宙のスタート、膨張、エネルギーと物質の関係、これらすべて「信じられない」の一言です。これを否定している科学者もいますので本当の本当なのかわかりません。しかし、時間と空間とは相互に関係しており、最初は「時空」と言う何かあって、どこかの時点で1次元の時間とN次元の空間に分かれたけれども相互の関係性は維持された、と考えるしか理解のしようがありません。首をかしげながら、「驚か」ざるをえません。

ちなみに、広島・長崎の原爆はほんの一グラムにも満たないウランが熱エネルギーに変換されたもの、ということらしいです。原発はそれを応用して発電をするものです。原爆開発には、議会の明示的承認もなしで、巨額なお金を費やしたため、アメリカ政府は民間で役に立つようにこの技術を役立て、国民の納得を得ようとしたのが原発ということです。そして廃棄物をどうするかの方針もないまま、原発拡大に突き進んでいきました。民間利用としては未完の技術だったのです。

もう一つ「信じられない」という話をします。先般、人間の体の不思議についてお医者さんが書いた本をよみました。そのなかで、「肛門」の機能について書いていた内容が傑作です。肛門は、体内にあって肛門から出ようとしている物質が気体、か液体・個体のいずれであるかを判別する能力を持っている、というのです。無意識でおならをする、という時、肛門は気体のみ外に出すことは問題ない、として開放するのだ、というのです。「本当かね。できすぎだ」と言わねばなりません。脳からの指令ではなく、肛門自身が識別しているというのです。「驚き」です。その他にも人間の体の持つ「できすぎ」の機能がいろいろ書かれていました。

この「驚き」はなにに驚いているのでしょう。大自然の絶大な力の表現を目のあたりにしたとき、良かれ、悪しかれ、「驚き」の声がでます。科学的研究が被造物の機能を明らかにした結果、それが自然とにできたということなど「信じられない」と叫ぶ時の「驚き」です。その他、いろいろな「驚き」があろうと思いますが、その背後に神秘的な力が働いている、としか説明できない事態に直面します。生物の種族保存の本能、と言われている者も、「なんで、そんな本能ができたの」と聞かれると何とも答えられなくなります。進化論において「突然変異」というのがありますが、なぜ突然そんなことがおきるのか、だれも説明ができません。量から質への転化だという説もありますが、何の量的変化の累積があったのか、答えられません。私は主なる神はすべての被造物がどのように動くか、について人間が理性的に理解しようとしている科学の働きは許容されている、と思いますが、不可思議さは更に増すばかりです。私たちは、これらのことを発見した時の「畏敬の驚き」を大切にする必要がある、と思います。

宗教の世界は合理的説明が不可能ないろいろな事象に充ちています。なぜ祈りが通じる、ということがあるのでしょう。夢・幻覚・幻聴はどんな意味があるのでしょうか。フロイトの「無意識」による説明で納得できる人はだれもいないでしょう。宗教的儀礼で使用されるシンボル(象徴)は何かの力(エネルギー)が宿っているのでしょうか。聖霊・悪霊と言いますが、その力は具体的には何なのでしょうか。宇宙物理学で言っている「ダーク・マター」のことなのでしょうか。「ダーク・エナジー」のことなのでしょうか。聖霊と悪霊は、人間は区別できる能力が与えられているのでしょうか。結果が起きて初めて分かるものなのでしょうか。死者の霊が立つという話はたくさんありますが実態はなんなのかでしょうか。

科学と宗教は矛盾しているのではないか、ということがありますが、そんなことあるはずもありません。神の創造物に対する、「畏敬的驚き」を失っているから、科学の非倫理的利用になってしまうのです。ヘブル語での「畏れ(ya:re:)」と「驚き(pa:la:)」を心にとめておきたい、と思います。祈ります。 (ご在天の父なる御神様、今日の礼拝の時を感謝いたします。聖書における「畏れ」と「驚き」について学びました。私たちは、この大自然・宇宙の中に示された不可思議に率直に驚く新鮮な心を失ってきています。それが、主なる神に対する畏敬の心を失い、神への賛美の声を失うことにつながっています。どうか私たちに神秘の前に驚く心を回復させてください。そして、我らが主イエスに従うことにより、全能の主にすべてをゆだねる心とさせてください。主の御名により祈ります。アーメン)

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ダビデのミクタム詩篇16:1-11森田俊隆 https://domei-nakahara.com/2022/03/20/%e3%83%80%e3%83%93%e3%83%87%e3%81%ae%e3%83%9f%e3%82%af%e3%82%bf%e3%83%a0%e8%a9%a9%e7%af%87161-11%e6%a3%ae%e7%94%b0%e4%bf%8a%e9%9a%86/ Sun, 20 Mar 2022 00:47:00 +0000 https://domei-nakahara.com/?p=2648 "ダビデのミクタム
詩篇16:1-11
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* 当日の説教ではこのうちの一部を省略して話しています。

今日のお話は、聖書の詩編からです。詩編は全部で150編あり、一巻、二巻、三巻に分かれていますが、内容的にはこの三つに整然と分類されている訳ではありません。このなかで、「ダビデの詩(うた)」としてイスラエル第二代の王ダビデがうたったものとされているものが多くを占めています。しかし、これらの詩編は、イスラエル信仰の基本を示したもの、と理解すべき文書であり、「ダビデの詩」としての理解に執着する必要性は全くありません。むしろ、作者ダビデに執着すると、ダビデが置かれていた歴史的状況の範囲での解釈に落ちる可能性あり、詩編の持つ意義を狭めてしまうことになりかねません。サウル王からの逃避行という初期ダビデが置かれていた困難な状況における詩という意味は心にとめるべきですが、その後のイスラエルの民、およびユダヤの民が経験した歴史上の困難は筆舌に尽くしがたいものであり、その歴史の下にこれら詩編を置いてみる方がイスラエル信仰の基本・根本が見えてきます。本日取り上げる、詩編第16編をはじめとする「ダビデのミクタム」もそのような詩です。私たち、新しきイスラエルも当然、このイスラエル信仰の基本・根本に忠実である者です。

では最初にその詩編第16編を概観することから始めたい、と思います。まず、1節「ダビデのミクタム 神よ。私をお守りください。 私は、あなたに身を避けます。」とあります。「ダビデのミクタム」という言葉は6つの詩編に出てきています。16編のあとは56編から60編までの各詩編の一節目に記されています。実のことを言うと、「ミクタム」という言葉は何を意味しているか解っていません。ギリシャ語訳から推測すると、「石板に刻まれた文章」という意味だ、とかアッシリア語の「覆う」(ケタムー)からきた言葉で、「贖罪の詩」の意味だ、という説などがあります。詩編の分類からみるとこれらの詩編は「信頼の歌」「賛美の歌」に分類されています。しかし、絶対的神信仰の告白の詩編、というような単純なことは言えません。第58編は「復讐の詩編」と呼ばれ、敵に対する復讐を主なる神に祈り求める、という詩編であり、カトリック教会では共同の祈り、から排除されている詩編です。59編にもこれに類する言葉が現れ、共同の礼拝においては避けられる節、となっています。

「ダビデのミクタム」でもう一点、注目すべきことは、56編、57編の2編の最初に「私をあわれんでください」の言葉が出てくることです。カトリックの典礼用定型句「主よ、あわれみたまえ(クリエ・エライソーン)」のもとになっている言葉です。バッハのマタイ受難曲によって有名です。この言葉は、超越的な天の神に「私に同情してください」と祈り求めているものではありません。主なる神に対し、「私とともにあって、守ってください」という願いを表したものです。イスラエル信仰の主なる神は行動する神です。気休めの神ではありません。「神、我らとともにあり」ということは我らの前面で戦う神であり、敵から我らを守ってくださる神であり、我々の苦難をともに背負ってくださる神、なのです。主な力は我々ではなく主なる神からくるのです。これら2点を考えると、ダビデのミクタムは逆から追って行って、60編→59編→58編→57編→56編、そして最後の完結が16編と見た方が良いようにも思われます。

2節に、「あなたこそ、私の主。 私の幸いは、あなたのほかにはありません。」という表現があります。ここでの「幸い」はヘブル語の「to:ba;」(良きこと)です。これは人間や私の幸せ、というような狭い意味ではなく、この世で「良きこと」とされるすべてのことを指しています。創世記の創造物語で「神はそれを見て良しとされた」と言われている「良し」です。すべての良きことは主なる神の祝福によりもたらされる、という信仰告白です。

3節には「地にある聖徒たちには威厳があり、 私の喜びはすべて、彼らの中にあります。」と記されていますが、ここでいう「聖徒」については注意を要します。ヘブル語では「qo:de:sh」(聖なるもの)、ギリシャ語でも「haga:thos」(聖なるもの)です。他方で、新約聖書、例えばローマ書1:7で「聖徒」と訳されている言葉は、ギリシャ語では「hagios」(聖なる人)という言葉であり同系列ですが、人について語っていることが明白な用語です。詩編16:3の「聖徒」は人に限らず「聖とされたすべてのもの」を含みうる表現だということです。イスラエル信仰に限る話ではありませんが、世界の宗教すべてにおいて「聖と俗」の問題は重大問題として横たわっています。

4節「ほかの神へ走った者の痛みは 増し加わりましょう。」の「痛み」の言葉は創世記3:16で神が女に「わたしは、あなたのうめきと苦しみを 大いに増す。」と言われた時の「苦しみ」の言葉と同じです。「ほかの神」への信仰に行った人間は、「生みの苦しみ」のようにうんうん、唸る苦しみに直面するという意味です。先ほどの復讐の詩編での復讐心が残存している、という理解も可能だと思います。「復讐心」は人間の底流のところにたまっている心情であり、その噴火はちょっとやさっと、で消えるものではない、ということだ、とも言えます。

5節「主は、私へのゆずりの地所、また私への杯です。」とあります。また、6節には「まことに、私への、すばらしいゆずりの地だ。」という表現がでてきます。ふたつの「ゆずり」は別の言葉です。最初の「ゆずりの地所」はヘブル語の「he:req」で、分けられた土地、の意味です。6節の方は「nahala:」という言葉です。旧約で12部族の嗣業地と言われているのはこの「nahala:」です。詩編16:5の「ゆずりの地」は「分け与えられた土地」という側面が強調される言葉であり、嗣業地と言われると時の「ゆずりの地」は子々孫々伝えられる土地、という点が強調されている、という意味なのでしょうか。ギリシャ語では同じ言葉が使われています。それにしても「主は、私へのゆずりの地所」という表現は少々奇妙です。ヨシュア記においてレビ人は「主」そのものが嗣業地として与えられたことから、この詩はレビ人の詩なのだ、と解釈する向きもあるようですが、あまりにもうがった解釈と思います。主は私にとっての「ゆずりの地」と同様、私が入(はい)り頼み、立っている足元なのだ、くらいに理解するので、良いと思います。

9節「それゆえ、私の心は喜び、 私のたましいは楽しんでいる。 私の身もまた安らかに住まおう。」という表現は、聖書における至福の時、の表現です。主なる神の内側にいるような表現です。類似の表現が詩編の他のところにもありますが、それらと比較しても、ここでの表現は、究極の表現と言ってよいでしょう。「神の国に居るわたくし」というところでしょう。

10節は重要です。「まことに、あなたは、私のたましいを よみに捨ておかず、 あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません」とあります。この主なる神への信仰は死後にも続く、永遠の世界に通じていることだ、ということです。「よみ」はヘブル語の「sheo:l」、ギリシャ語の「hade:s」です。「死者の国」の意味です。俗にいう地獄ということではありませんが、「苦難」を負わされている世界です。主なる神は、自分を、その世界に放置するようなことはない、という信仰告白をしているのです。死者はすべて、「死者の世界」に行かざるを得ない、というのは旧約の信仰の基本です。「聖徒」は神によって「聖」とされた人間のことであり、すべてを主なる神に委ねている信仰の人、のことです。そのような人は墓の下の穴を見る必要がなく、神の救いの道に入れられる、と言っていることになります。この「墓の穴」はヘブル語で「sha:hat」であり、「死者の国」(shewo:l)と関連を持った言葉と推測されます。そうすると、死者の国にある穴には入らないで済むわけですから「苦難」に呻吟する、状態には置かれない、ということになります。

この節をルター、カルヴァンはキリストの復活を指している、と解釈しているようですが、どうも新約聖書の理解を、旧約に押し付けているようで、どうも私は同意できません。むしろ、ここでは、死後の世界をも支配している主なる神への信仰を表しており、その主なる神の力は、時(とき)至って、「よみの国」に下った主イエスを復活させた、と解釈すべき、と思います。生物学的「生き返り」と聖書の「復活」の相違は、この「死者の世界」に行ったのか、その前なのか、の差だと思います。要するに霊的死の前後、の違いです。イスラエル信仰においては決定的差なのです。

最後の11節「あなたは私に、いのちの道を 知らせてくださいます。 あなたの御前には喜びが満ち、 あなたの右には、楽しみがとこしえにあります。」の表現は、先の9節と同じ世界の表現です。16編の締め、の表現です。

このように、16編を見てくると、この詩編は完璧な信仰告白であり、はっきり言って「できすぎ」の感がぬぐえません。人間、信仰の訓練を続けていくと、このような境地にまで至るのでしょうか。もしくは、苦難につぐ苦難を経験した信仰者には死の直前にこのような世界への約束が告げられるのでしょうか。そしてそもそも、このような立派な信仰にたどり着いた人はどうやってこのような信仰にまで行きつけたのでしょうか。実のところは、そんな単純な話ではなく、信仰上の右往左往をさんざん行(おこな)って、主なる神への不信、反抗も何度も経験し、しかし、最後は、立ち返るところは、結局ここしかない、ということで主なる神に帰ってきた人間、というのが現実ではないか、と思うのです。

こう考えて、ダビデのミクタム、と名付けられている6つの詩編を並べてみました。そうすると、60編から初めて、逆にさかのぼって、56編までくると、16編の信仰に至る直前のところまで来ている「さま」が推測できるような気がします。実に右往左往のジグザグです。概略、追っかけてみましょう。

まず詩編60編です。ここでのメッセージを一言で言えば「神は我らを見捨てられたのか」です。ダビデの生涯にあてはめられた舞台設定はアラムやエドムとの戦いのあと、戦争で勝利を得られなくなった時期の詩、ということになっています。不遜ではあるとは思うのですが、私は、かのナチスドイツのホロコースに至る歴史を想起しながら主なる神への信仰の遍歴をこれら詩編に見ていきたいと、思います。ダビデの苦難など、これに比すればものの数ではない、と思います。3節「あなたは、御民に苦難をなめさせられました。 よろめかす酒を、私たちに飲ませられました」。苦難が降って湧いてきました。苦難がおいかけてくるようです。お金持ちは、亡命することができますが一般のユダヤ人はそんなの無理です。もちろん、亡命したからと言って、苦難に次ぐ苦難は変わりません。10節「神よ。あなたご自身が 私たちを拒まれたのではありませんか。 神よ。あなたは、 もはや私たちの軍勢とともに、出陣なさらないのですか」。かつて、我らの主は大いなる力をもって敵と戦い、勝利したことを知っています。我々はただ後をついていくだけで良かった、と聞いています。ところが、そのようなことは、ここずーとありません。なにか理由があって私たちを拒んでいるのですか。理解できないのです。でもあえて、あえて、希望を掲げます。11節「どうか、敵から私たちを助けてください。 まことに、人の救いはむなしいものです」。本当は「神こそ、私たちの敵を踏みつけられる方で」あるはずです。

59章は一言で言えば「どうか目をさまして、私を助けてください」です。ダビデ生涯での舞台は、サウルがダビデを殺そうとしたとき、ダビデは、追ってから逃げ回る必要がありました。その時の詩、ということになっています。ナチスやドイツ国民のユダヤ人排斥は命、そのものが危険な状態にまでなっていました。逃げるに、逃げられなくさせられました。多くの町ではゲットーに閉じ込められました。もうただ、ただ救いを祈るしかありません。2節「不法を行う者どもから、私を救い出してください。 血を流す者どもから、私を救ってください」。4節「私には、咎がないのに、 彼らは走り回り、身を構えているのです。 どうか目をさまして、私を助けてください。 どうか、見てください」。7節「見よ。彼らは自分の口で放言し、 彼らのくちびるには、剣がある。 そして、「だれが聞くものか」と言っている」。こんなどうしようもない時に、実は、我々を、裏切ってよい目を見ている輩もいる。5節「あなたは万軍の神、主。イスラエルの神。 どうか目をさまして、 すべての国々を罰してください。 悪い裏切り者は、だれをもあわれまないでください」。こんな状態でも、望みは「主なる神」にしかない、ことくらい頭ではわかっています。それにしても、ナチスと同調者は許せない。10-11節「私の恵みの神は、私を迎えに来てくださる。 神は、私の敵の敗北を見せてくださる。/彼らを殺してしまわないでください。 私の民が、忘れることのないためです。 御力によって、彼らを放浪させてください。 彼らを打ち倒してください。 主よ。私たちの盾よ」。習ってきた、信仰の祈り、はとても心から言うことはできません。ただ、習ったことを繰り返すだけです。

58編です。この詩編は復讐の詩編と呼ばれている詩編です。「彼らの歯を、その口の中で折ってください」という言葉で代表できるでしょう。6節「神よ。彼らの歯を、その口の中で折ってください。 主よ。若獅子のきばを、打ち砕いてください」。私たちは、力は全くないのです。主なる神のみが頼りです。死ぬことになって、それが御心ならば死んでいきますが、あの敵どももやつけてください。それのみが、唯一の希望です。7節「彼らを、流れて行く水のように 消え去らせてください。 彼が矢を放つときは、 それを折れた矢のようにしてください」。復讐をかならずお願いします。8節「彼らを、溶けて、消えていくかたつむりのように、 また、日の目を見ない、死産の子のように してください」。消えてなくならし、死者の国にさえ入らせない、のも一つの方法かもしれません。10節「正しい者は、復讐を見て喜び、 その足を、悪者の血で洗おう」。これだけひどいことをされているのですから「赦し」などあり得ません。主による復讐を見てよろこぶのは当たり前です。悪者の血が流れているところで私は足を洗います。その時が来たら、絶対やります。しかし、「私が復讐をするのでお前たちはするな」という約束は信じます。主なる神は、私たちが反抗し、皆殺しになるより、私が、生き永らえることを望んでいらっしゃることを知っているからです。でも、その時が来たら、見ていろ。

57編。ダビデがサウル王の手を逃れ「洞窟」に身を隠していた時にダビデが懸命な祈りをしていたのが舞台。一言で要約すれば、「私のたましいは、うなだれています」です。とうとう、収容所に入れられるようなことになってしまいました。もう何をすることもできません。あの過酷な労働に従事するしか生きる道はありません。4節「私は、獅子の中にいます。 私は、人の子らをむさぼり食う者の中で 横になっています。 彼らの歯は、槍と矢、彼らの舌は鋭い剣です」。6節「彼らは私の足をねらって網を仕掛けました。 私のたましいは、うなだれています。 彼らは私の前に穴を掘りました。 そして自分で、その中に落ちました」。その穴は私たちを突き落とす穴です。心から、心から願うのですが、敵がその穴に落ちて、「それみたことか、神の力だ」と言い返してやりたいのです。しかし、この死が宿命づけられた収容所のなかで希望が見えたのも事実です。キリスト教の牧師や神父がメッセージを語ってくれているのです。ユダヤ教のラビも主なる神への「希望」を語ってくれます。「絶望の中での希望」というのでしょうか。「私をあわれんでください」と言えるようになりました。あわれみ、は単なる同情心ではありません。「主なる神がともにいて苦難を担ってくださっている」というのです。本当なら、体の痛みなど耐えられます。8節「私のたましいよ。目をさませ。 十弦の琴よ。立琴よ、目をさませ。 私は暁を呼びさましたい」。心から、この希望を確信できれば、9節「主よ。私は国々の民の中にあって、あなたに感謝し、 国民の中にあって、あなたにほめ歌を歌いましょう」、と言うことができるのです。

56編。ダビデがペリシテ人との戦いで、戦っても、戦っても勝利が見えてこない場面。「神よ、私をあわれんでください」がダビデの言葉。ダビデのミクタムの最終ステップのこの詩編は、一言で表せば、8節の一部「どうか私の涙を、 あなたの皮袋にたくわえてください」となろうか、と思います。まず2節「私の敵は、一日中、私を踏みつけています。 誇らしげに私に戦いをいどんでいる者が、 多くいます」で始まります。60編の時も悲惨でしたが、その現実は客観的には変わっていません。ここ収容所の状態は、今は、もっとひどい惨劇の状態と言ってよいかもしれません。5-6節「一日中、彼らは私のことばを痛めつけています。 彼らの思い計ることはみな、 私にわざわいを加えることです。 /彼らは襲い、彼らは待ち伏せ、 私のあとをつけています。 私のいのちをねらっているように」。本当は、7節「神よ。彼らの不法のゆえに、 彼らを投げつけてください。 御怒りをもって、国々の民を打ち倒してください」、と言いたいのです。しかし、私たちは、復讐はしません。主がなしてくださる、と約束されているからです。8節「あなたは、私のさすらいをしるしておられます。 どうか私の涙を、 あなたの皮袋にたくわえてください。 それはあなたの書には、ないのでしょうか」。神は揺れ動いてきた私の心をずうっと記録しておられます。そしてその時々での私の涙を記憶の中に蓄えてください。しかし、文章にはなっていないのかもしれません。私は、神の記憶にあるだけで良いのです。「主よ、憐れみ給え」。私とともにいてください。3節「恐れのある日に、私は、あなたに信頼します」。あえて申し上げます。11節「私は、神に信頼しています。それゆえ、恐れません。 人が、私に何をなしえましょう」。ある牧師がこう祈ってみたら、と言いました。すると心に平安が与えられました。主が、私の右にいらっしゃることが実感できるようになったのです。12-13節、今や、「神よ。あなたへの誓いは、私の上にあります。 私は、感謝のいけにえを、あなたにささげます。あなたは、私のいのちを死から、まことに私の足を、 つまずきから、 救い出してくださいました。 それは、私が、いのちの光のうちに、 神の御前を歩むためでした」。あれだけ、復讐に執着していた自分が馬鹿馬鹿しくなってきました。死ぬ、ということが何か単なる通過点のような気持になってきました。これが「救われた」ということなのでしょうか。讃美歌を歌いながら、ガス室に向かうこともできるようになったと思います。

今、ここに至っては、16編にあるような信仰告白が自然に、できるようになりました。敵への怒りがどこかに行っちゃいました。今から思い出せ、と言われても、なにか、それをとうの昔に乗り越えたような気分です。既に神の国に居る如く平安を得ることができました。一言、祈ります。

(ご在天の父なる御神様、今日の礼拝、賛美の時を感謝します。今日は「ダビデのミクタム」という6つの詩編からイスラエル信仰の基本を学びました。この6つの詩編はユダヤ人の歩んだ悲惨な歴史の中において読む時、絶望の中での唯一の希望、主なる神の約束に委ねる信仰を示されました。私たちは異なる時代、環境にありますが、根本における「信仰の戦い」については通じるものがあります。救いのない苦難のなかにある人々も多数いることと思います。どうか、どうか、それらの人々に「主のあわれみ」が臨みますように。インマヌエルの主が彼らと共にありますように。私たちがなすべきことをなすことができるよう知恵と力をお与えください。我らの救い主、主イエスの御名により祈ります。アーメン。)

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