第二コリント – 中原キリスト教会 https://domei-nakahara.com 調布 深大寺のプロテスタント教会 Sun, 10 Apr 2022 04:24:21 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=5.3.21 https://domei-nakahara.com/wp-content/uploads/2020/03/cropped-favicon-32x32.png 第二コリント – 中原キリスト教会 https://domei-nakahara.com 32 32 キリストに倣いて第二コリント13章5~13節 https://domei-nakahara.com/2022/04/10/%e3%82%ad%e3%83%aa%e3%82%b9%e3%83%88%e3%81%ab%e5%80%a3%e3%81%84%e3%81%a6%e7%ac%ac%e4%ba%8c%e3%82%b3%e3%83%aa%e3%83%b3%e3%83%8813%e7%ab%a05%ef%bd%9e13%e7%af%80/ Sun, 10 Apr 2022 04:18:00 +0000 https://domei-nakahara.com/?p=2701 "キリストに倣いて
第二コリント13章5~13節" の
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1.導入

みなさま、おはようございます。今日は棕櫚の主日で、主イエスが地上での生涯の最後の1週間を過ごすためにエルサレムに入城したことを覚える日です。そして今日から受難週が始まりますので、週報に今週のためのデボーション・ガイドを挟みました。今週は一日一日、イエスの身に何が起こった日なのかを考えながらお過ごしください。また、1年半に及んだ第一、第二コリント書簡も今日で最終回になりますが、パウロはこの手紙を結ぶにあたり、コリントの人たちに今一度イエスの苦難の生涯を振り返るようにと呼びかけています。ですからこの棕櫚の主日に実にふさわしい箇所だと言えます。

前回お話ししたように、パウロは今三度目のコリント訪問の準備をしています。その訪問に際し、まずパウロは自分に向けられた疑惑を晴らそうとしました。具体的には、パウロがコリント教会に熱心に呼びかけていたエルサレム教会のための支援金の一部を、パウロが自分自身の活動資金として流用しているのではないか、というお金が絡む疑惑でしたが、パウロはそのような不正が起こる余地がないことを丁寧に説明しました。このような誤解を解いておくことは、三度目のコリント訪問を実りあるものとするためにはぜひとも必要なことでした。同時にパウロは、コリント教会の信徒たちにもパウロの三度目の訪問のために備えておくように強く促します。備えておくといっても、パウロの滞在のために快適な環境を整えるとか、献金を用意しておくとか、そういうことをパウロは求めていたのではありません。パウロの願いは、コリント教会の人たちが自分たちの霊的な状態を整えておくこと、その点に尽きると言ってもよいでしょう。特にパウロがこれまで何度も手紙を通じて勧告していた事柄、コリント教会に起こった内部分裂や性的不品行、偶像礼拝などの問題について、きちんと解決しておくことを望んだのでした。前回の箇所では、コリント教会の人たちは自分たちに主イエスの言葉として強く悔い改めを求めるパウロに対し、「本当にキリストはあなたを通じて語っているのか、その証拠を示してほしい、証明してほしい」と要求したことを学びました。この証拠というのは「ドキメ」というギリシア語で、テストをして、本物かどうか検証するというような意味合いがありますが、パウロはコリントの人たちに対しても「ドキメ」の動詞形である「ドキマゾウ」という言葉を使って、自分自身の信仰が本物かどうかをテストして検証するようにと求めています。そのような文脈を踏まえながら、今日のみことばを詳しく読んで参りましょう。

2.本文

では、まず5節を見ていきましょう。まずパウロは、「あなたがたは、信仰に立っているかどうか、自分自身をためし、また吟味しなさい」と書いています。ここで注目していただきたいのは、「信仰に立っている」という言葉の信仰という言葉です。新約聖書はギリシア語で書かれていますが、この信仰と訳されている言葉のギリシア語の原語には冠詞がついています。どういうことかといえば、英語で言えば単なるfaithやa faithではなく、the faithだということです。単なる信仰ではなく、ザ・信仰、ある特別な信仰ということです。「信仰」というのは、ある意味で曖昧な言葉ですよね。「あの人には信仰がある」とか「信仰が強い」と言った場合、ではその信仰とは何なのかというと、結構人それぞれいろんな理解があるのではないでしょうか。いわしの頭も信心から、という諺があるように、いわしの頭がありがたいものだと思い込むような単なる思い込みであっても強く信じる気持ちであればそれは信心、信仰と呼ばれてしまうことがあります。パウロがここで冠詞をつけてthe faithと言っているのは、信仰とはそういう何とでも取れるようなものではなく、もっと明確なものだということを示しています。単なる信仰ではなく、「あの信仰」ということです。また、これもしばしば誤解されることですが、パウロの語る信仰とは知識のことではありません。「信仰に立っている」という言葉の意味は、使徒信条のような正しい信仰告白の内容を知っていて、その内容を知的に受け入れているということではありません。もちろん正しい信仰告白に立つのは大切なことですが、ギリシア語の信仰という言葉、ピスティスという言葉は単なる知識ではなく、生きる姿勢そのものを示す言葉だからです。ピスティスという言葉を英語に訳すと、faithとも訳せますがfaithfulnessとも訳せます。このfaithfulnessという言葉は「忠実さ」という意味です。ですから5節の「信仰に立っているかどうか」は、「忠実に歩んでいるかどうか」、もっと正確に直訳すると「あなたがたは、あの忠実さの中を歩んでいるかどうか」と訳すことができるのです。でも、「あの」忠実さというのはどの忠実さ、あるいは誰の忠実さのことでしょうか?パウロはここで、あなたがたは「あの人の忠実さ」の中を歩んでいるかどうか、自分を吟味しなさい、自らをテストしなさいと言っているようなのですが、ではあの人とは誰のことでしょうか。その答えは5節のすぐ前の4節にあります。パウロはここで、「私たちもキリストにあって弱い者ですが、あなたがたに対する神の力のゆえに、キリストとともに生きているのです」と書いています。「キリストにあって」というのは直訳すると「キリストの中にいて」ということになります。キリストの中にいるというのは不思議な表現ですが、パウロがよく使う言い回しでもあります。ただ、これはある種の神秘主義、生きたままパウロが天国におられるキリストと神秘的に一つになっているとかそういう意味ではなく、これは地上で人として歩まれたイエスに倣っている、イエスが苦難の中を歩まれたように、私も弱さの中を歩んでいるという、そういう意味です。パウロが第一、第二コリント書簡を通じてコリントの教会員に繰り返し語ってきたのは、私がキリストを見倣い、キリストの歩んだように歩んでいます、だからあなたがたもそうしてください、ということでした。そしてパウロはここでも同じことを言っています。あなたがたは、自分があのキリストの忠実さの中にいるのか、キリストの忠実さに倣って生きているのか、自分自身をテストしなさい、吟味しなさい、こう言っているのです。

なぜキリスト者はキリストのように歩むことが出来るのか、それはキリストがキリスト者の中にいるからです。ですからパウロは、「それとも、あなたがたのうちにはイエス・キリストがおられることを、自分で認めないのですか」と尋ねています。コリントの信徒一人一人の中には、キリストがおられるのです。でも、自分の中にキリストがおられるとはいったいどういう意味なのか、と思われるかもしれません。それは神の霊、それはすなわちキリストの霊のことですが、その御霊が私たちの中におられることを指しています。パウロはガラテヤ書簡の4章6節でこう書いています。

そして、あなたがたは子であるゆえに、神は「アバ、父」と呼ぶ、御子の御霊を、私たちの心に遣わしてくださいました。

神は私たち一人一人に御子の御霊、すなわちキリストの霊を送ってくださっています。もしそれを否定するならば、私たちは自分が救われていることを否定することになります。ですから5節でのパウロからコリントの信徒たちへの問いへの答えは、もちろん「はい、そうです。私たち一人ひとりの中にイエスがおられます」、ということなのです。私たちは心の中に、イエス・キリストをお迎えしているのです。だから私たちはもはや適当に、好き勝手に生きることはできません。私たちの中におられるイエス様が喜ばれるように生きたいと願うし、実際にそうするべきなのです。もしそうでないと、私たちは不適格だということになってしまいます。それでパウロは、「あなたがたがそれに不適格であれば別です」とくぎを刺しています。これはなかなか厳しい警告の言葉です。目が覚めるような言葉ですね。もちろん、私たちは弱い者ですので、すぐにイエス様のように生きるなどということは出来るはずもないです。しかし、本当にそうしようと願っているならば、少しずつでも進歩していくでしょう。これは信仰に限らず、スポーツでも習い事でも同じことです。進歩はゆっくりですが、それでもやり続ける限り確かに前進していきます。そして、そのように正しい方向に歩んでいることこそ大事なのです。初めから完璧にできる人などいません。それでも神を信じ、キリストが指し示す方向に倦まずたゆまず歩み続ける、それが大切です。その歩みの中に、必ず神の力が働くからです。ですからパウロはコリント教会の人たちに、自分たちが正しい方向に向かって歩んでいるのか、自己吟味しなさいと言っているのです。

次いでパウロは、再び自分たちのことを語ります。6節で、「しかし、私たちは不適格でないことを、あなたがたが悟るように私は望んでいます」と言っています。パウロはここで何が言いたいのでしょうか。これはパウロがキリストの言葉を語っていることに疑問を投げかける人たちを意識しての言葉です。パウロのことを外見が弱弱しく、話には迫力がなくてつまらないと批判するコリントの信徒たちに対し、主イエスも外見は弱弱しかった、イエスは謙虚で柔和な方だった、その十字架に付けられたイエスを思い出してほしいとパウロは訴えます。だからこそ私パウロも自分の弱さをいささかも恥じてはいない、むしろ私の歩みが十字架に付けられた無力なイエスを思い起こさせるのなら、それこそが私が適格者であることの何よりの証拠なのだ、そのことをあなた方も理解してほしいとパウロは訴えているのです。

7節では、パウロは再び視点をコリントの信徒たちの振舞へと移します。パウロの願いは、彼らがどんな悪をも行わないことでした。そうすれば、パウロは厳しい態度でコリント教会に臨まなくても済みます。パウロは第一コリント書簡でも、二度目のコリント訪問の前に、このような懸念について書いています。それは第一コリント4章20節以下です。そこをお読みします。

神の国はことばにはなく、力にあるのです。あなたがたはどちらを望むのですか。私はあなたがたのところへむちを持って行きましょうか。それとも、愛と優しい心で行きましょうか。

実際にはパウロは二度目の訪問の際に、厳しい態度で臨むこと、むちを振るうことはしませんでした。むしろ彼は信徒からの言葉の暴力を黙って身に受けました。しかし三度目の今度こそは容赦しないと言っているのを前の説教で読みました。彼らが悔い改めて正しい行いをしているのなら、パウロは愛と優しい心で彼らと再会することができます。パウロもそうなることを望んでいます。けれどもコリントの一部の信徒たちは、パウロが今度こそ厳しい態度で臨み、その力を見せつけてほしいと望んでいました。今度こそ男らしさを見せてくれ、使徒としての権威を見せつけてくれ、と期待する人たちもいたのです。そんな彼らからすれば、もしパウロが今回も再び優しい顔で来るのなら肩透かしを食らう格好になり、やっぱりパウロは迫力不足だ、とマイナスの評価を下すことになるかもしれません。そのことをパウロは7節で「たとえ私たちは不適格のように見えても」と言っているのです。パウロは、たとえ一部の人が自分のことを軽く見るようなことになっても、それでもあなたがたが正しい行いをしてくれることの方を喜ぶのだ、と言っています。なぜなら、パウロにとって人からどう見られるかということは些細なことだからです。パウロを裁く方は神おひとりです。ですから神の前に真理を行うこと、それだけがパウロの願いであり、パウロにはそうすることしかできないのだ、と8節で語っています。

それからパウロは「私たちは、自分が弱くてもあなた方が強ければ、喜ぶのです」と語ります。ここでもパウロはキリストのことを意識しています。パウロはこの手紙の8章9節で、「すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです」と語っています。パウロもキリストに倣って、あなた方のために喜んで貧しくなる、弱くなると語っているのです。そしてパウロは、彼らが完全な者になることを祈っている、と続けます。「完全」というのは完全無欠、何の誤りも犯さない完ぺきな人という意味ではなく、ふさわしい状態に整えられた人、という意味合いです。パウロの願いは、彼らがキリスト者としてふさわしく歩むこと、それに尽きます。

そして10節では、三度目のコリント訪問を前に、なぜこの手紙を書いているのか、その理由を改めて説明します。それは、「私が行ったとき、主が私に授けてくださった権威を用いて、きびしい処置をとることのないようにするため」でした。パウロも本心では、むちを持ってコリントに行きたくはありません。兄弟姉妹たちと、今度こそ愛と優しい心で再会したい、そしてコリント教会を立派な教会に建て上げたい、それがパウロの心からの願いなのです。ここで、第二コリントの本文は実質的に終わります。

そして11節からは、まるで祝祷を聞いているかのような言葉が続きます。実際、第二コリント13章13節は最も多くの教会で祝祷に用いられている箇所です。まずパウロは、「終わりに、兄弟たち。喜びなさい」と語ります。喜びなさい、というのはピリピ人へ手紙に繰り返し現れるパウロの勧めですが、何に喜ぶのかと言えば、主が私たちのためになして下さったすべての良いことのゆえに喜びなさい、ということです。有名な詩篇103篇2節のみことば、「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな」、このみことばがパウロの「喜びなさい」という言葉の背後にあります。「完全な者になりなさい」というのは9節にあるパウロの祈りと同じ内容です。聖書のいう完全とは、一つも失敗しない、誤ることのないロボットのような存在ではなく、たとえ罪を犯してもそのことを隠そうとはせずに、神にすぐに立ち返ろうとする、そういう柔らかな心を持つことです。「慰めを受けなさい」は「励まし合いなさい」とも訳せます。そして互いに心を一つにし、平和を保つ、これが教会にとって最も大切なことです。そのような教会に「愛と平和の神」が伴ってくださるのです。平和とはヘブル語のシャロームですが、それは単に争いがない状態ではなく、神と人、人と人、そして人と他の被造物、これらすべての調和のとれた関係を指す言葉です。パウロも、これまで多くのいきさつやすれちがいがあったコリント教会に、神の愛と平和が豊かにあることを祈っています。そして13節です。「主イエスの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがたすべてとともにありますように。」先ほども言いましたが、これは各教会の祝祷で最もよくつかわれる聖句です。私は普段は第二テサロニケ書簡のみことばから祝祷をしていますが、もちろんこのコリントのみことばを用いることもあります。ここで出て来る三つのギリシア語、恵みという意味のカリス、そしてとても有名な言葉、愛を表すアガペー、そして交わりのコイノニア、この三つはいずれも大事な言葉なので、覚えておいたほうがよいでしょう。

3.結論

まとめになります。今日で1年半に及んだ第一、第二コリント書簡からの学びは終わりになります。これまでこの二つの書簡を読んで、コリント教会の様々な問題の赤裸々な記述を読んで、なんとひどい教会なのか、と思われたかもしれません。しかし、コリント教会が特別に罪深かったと考えるのは、公平ではありません。ここではあえて、大使徒であるパウロの側の問題についても触れないと公平ではないでしょう。私がコリント書簡を読んでつくづく思ったのは、後継者を育てることの重要性です。パウロがコリント教会で牧会をしたのはわずか1年半です。しかもコリント教会は出来上がった教会ではなく、ゼロから立ち上げた開拓教会です。もちろんみんなが一堂に会することができて、毎日使える礼拝堂もありませんでした。また、パウロはテント職人として忙しく働いていたのでフルタイムで教えることはできませんでした。ですから信徒の中には、バプテスマを受けて数カ月でパウロがコリントを去ってしまい、満足に教えを受けることができなかったと不満を持っていた人もいたことでしょう。そしてコリントを去ってから、パウロが再び手紙を通じてコリント教会とやり取りを始めたのは3年後です。3年もの間、生まれたばかりのコリント教会が牧師なしで活動するのは不可能でしたから、そこに新しい教師たちが続々とやってきました。しかし、その教師たちの多くは、残念ながらパウロの眼鏡にはかなわなかった、それでパウロと新しい教師たちが対立するようになってしまった、これがコリント問題の原因の一端です。ですから、パウロが自分の信頼する後継者をコリント教会に残しておけばこんな問題は生じなかったとも言えます。その意味では、コリント問題は後継者問題ともいえるのです。もちろん、これはパウロが悪いという意味ではありません。彼は猫の手も借りたいほど忙しかったし、彼は新しい教会を次々と立てていたので、それらの教会にすべて後任の人を置くことは不可能でした。しかし、後任のいないことのマイナス面が最も強く出てしまったのがコリント教会だったのです。

私自身は、主の許しがあればこの教会で10年、20年と牧会をしたいと願っていますが、同時にいつか私が退いた後に、この教会に良い教師が与えられるようにと今から祈っています。牧師というのは、赴任したその日から後継者のことを考えるのが責任だと思っているからです。そして一人前の牧師になるには時間も労力も必要です。少なくとも10年はかかります。ですから、この私たちの教会のため、また日本各地の教会のため、常に良い後継者が与えられることを私たちは祈るべきです。

また、パウロが1年半しかコリントにいなかったことで決定的に不足してしまったのは、聖書や信仰について教える時間でした。パウロは第一コリント書簡で、コリントの信徒たちがイエスの復活を信じていないことにショックを受けています。キリストの復活を信じなければ罪からの救いもない、それほど大切なことをコリントの一部の信徒が信じていなかったことにパウロは衝撃を受けましたが、公平を期するならば、これは教えたパウロの側の責任でもありました。パウロが時間をかけて、丁寧に復活の意味についてコリントの信徒たちに教えていれば、このようなことにはならなかったはずでした。からだのよみがえりを信じることは、霊肉二元論的な世界観、つまり肉体はかりそめのもので、霊こそが人間の本質だという考えを持つギリシア人にはとても難しいことだったからです。パウロもそのことに気が付いていたようです。パウロの最後の書簡と言われるローマ人への手紙で、パウロは盛んに主イエスの復活を強調していますが、これはもしかするとコリント教会での経験について反省をした結果なのかもしれません。私たちもいよいよ来週は復活主日を迎えます。それに際し、ぜひパウロの第一コリント書簡15章をじっくりと読み直して、復活についての理解を深めていただきたいと思います。

そして第一、第二コリントを通じてパウロが常に訴え続けたのは、信仰の道とはイエスの足跡に倣うこと、イエスのように謙虚にへりくだって、平和を追い求めることだということでした。イエスは剣ではなく十字架を選びました。戦いではなく、赦しを選びました。そのことを覚えながら、復活へと至る受難週を歩んで参りましょう。お祈りします。

パウロを使徒として召し、イエス・キリストの福音を伝える者として下さった父なる神様。今日で1年半に及ぶ、そのパウロの手紙の講解説教を終えることができました。心から感謝いたします。この書簡を通じ、教会のあるべき姿について様々なことを教えられました。そのことを当教会が今後も活かしていくことができますように。またパウロの最も大切なメッセージ、柔和なイエス様に倣って生きるようにとの教えを、とりわけこの受難週は胸に刻むことができますように。私たちのために命さえ与えてくださったわれらの牧者イエス・キリストの聖名によって祈ります。アーメン

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三度目のコリント訪問第二コリント12章14~13章4節 https://domei-nakahara.com/2022/04/03/%e4%b8%89%e5%ba%a6%e7%9b%ae%e3%81%ae%e3%82%b3%e3%83%aa%e3%83%b3%e3%83%88%e8%a8%aa%e5%95%8f%e7%ac%ac%e4%ba%8c%e3%82%b3%e3%83%aa%e3%83%b3%e3%83%8812%e7%ab%a014%ef%bd%9e13%e7%ab%a04%e7%af%80/ Sun, 03 Apr 2022 05:30:00 +0000 https://domei-nakahara.com/?p=2682 "三度目のコリント訪問
第二コリント12章14~13章4節" の
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1.導入

みなさま、おはようございます。4月になりました。私がこの教会で牧会をさせていただいてから今日で3年目になります。このコリント書簡からの学びも今日を含めてあと二回、その後はいよいよ主の復活を祝う復活主日になります。さて、前回まではパウロが「愚かな自慢合戦」、つまりパウロが開拓伝道したコリント教会に後からやって来た宣教師たちが、自分たちはパウロよりも優れていると誇ったのに対して、パウロがいわば強いられた格好でこの自慢合戦に付き合う、彼らと張り合うというところを学びました。しかしパウロは、単に彼らと同じ土俵で自慢合戦を戦ったのではありませんでした。むしろ彼らとは全く逆に、自分は強さではなく弱さを誇る、なぜなら自分の弱さにこそ神の力が輝き出るからだ、という感動的な教えを伝えてくれました。

さて、今日の箇所はこの自慢合戦から離れて、非常に現実的な問題についてパウロが語るところです。その問題とは、パウロの三度目のコリント訪問のことです。パウロはこれまで二回、コリントを訪れています。最初は紀元50年に、パウロは開拓伝道のためコリントにやって来て、そこで1年半腰を据えて教会を立ち上げます。二度目の訪問はそれから約3年後、紀元54年のことでした。当時エペソで伝道をしていたパウロは、コリント教会で様々な問題が起こったことを聞きつけて、その問題を解決するために右腕と頼む若きテモテに「第一コリント書簡」を託して、彼をコリント教会に送りました。しかし、第一コリント書簡の中でパウロが厳しくコリント教会を叱責していることに反発した一部の信徒たちはテモテを逆に問い詰めます。その状況に恐れをなしたテモテは慌ててエペソに戻り、パウロにコリント教会の状況を報告します。それを聞いたパウロは、「すわ大変」と、予定を変更してコリント教会に直ちに乗り込みます。それがパウロの二度目のコリント訪問です。しかし、この訪問は悲惨な結果となりました。3年ぶりに再会したパウロに対し、3年も私たちをほおっておいて何をいまさら偉そうにとばかりに、パウロに向かって面と向かって暴言を吐く信徒がいたのです。皆の面前での侮辱にパウロは落胆したか怒ったか、多分両方でしょうが、その事件の後パウロはすぐにコリントを去ってエペソに戻ってしまいました。それからパウロは「悲しみの手紙」をしたため、それをテトスに託してコリント教会に送り、彼らの悔い改めを求めます。コリント教会もパウロの言葉を真剣に受け止め、パウロに暴言を吐いた信徒に戒規処分を下しました。こうして和解が成ったので、パウロは今や彼の人生を掛けたプロジェクトとなったエルサレム教会への支援献金を再開するようにとコリント教会に促します。そしてこのプロジェクトの推進役として、コリント教会の人たちからの信頼が厚いテトスと、マケドニア地方のピリピかテサロニケ教会の信徒二人をコリント教会に送ります。

さて、このように再び歯車がかみ合い始めたように見えたパウロとコリント教会でしたが、そうはいかなかったのです。おそらくパウロの二度目のコリント訪問の頃からでしょうか、無牧になっていたコリント教会には新しい宣教師たちがやってきていました。これが先の「愚かな自慢合戦」をパウロに強いた宣教師たちでしたが、彼らはパウロを快く思っていない宣教師たちで、コリント教会の一部の信徒たちはこの新しい宣教師たちを支持するようになってしまいました。問題はそれだけではありませんでした。パウロはコリント教会に、エルサレム教会への献金を熱心に呼びかけますが、それが新たな疑念を引き起こしたのです。パウロはコリントにいたときも、コリントを去った後もコリント教会からは献金という形で支援を受けることを拒んできました。ただ、パウロがすべての教会から献金を受け付けなかったわけではなく、マケドニアのピリピやテサロニケ教会からは献金を受け取っていて、実際コリントで開拓伝道している時もマケドニア教会から経済的に支援してもらっていたのです。そのことを知ったコリント教会の人たちの気持ちは複雑でした。パウロはなぜ私たちからの支援を拒むのか、私たちのことを信用していないのだろうか、と。しかし、そのパウロがコリント教会の人たちにエルサレム教会への献金については非常に熱心に呼びかけてきました。それで一部のコリント教会の人たちは思ったのです。エルサレム教会への献金は、本当に全額エルサレムに届けられるのだろうか、と。あるいはパウロは、必要経費と称してその献金の一部を自分の活動資金として使っているのではなかろうか、と。この疑念がどうにもコリント教会の人々の心に住み着いてしまったのです。本当にお金の問題は難しいです。現在でも、教会がおかしくなる原因の一つは、お金の使い道が不明朗であるというのがしばしばですが、コリント教会の人々も同じような疑心暗鬼に陥っていました。しかも、人々がこのような疑念を抱いてしまったことについてはコリント教会だけが悪いとは言い切れません。なぜパウロはピリピ教会から献金を受け取って、コリント教会からは受け取れないのか、行動が一貫していないではないかとの批判に対し、説明がつかないからです。実際、この件についてのパウロの言っていることは苦しい弁明に響きます。

ともかくも、再びコリント教会との関係に入ってしまった亀裂を修復しようと、パウロは三度目のコリント訪問を決意し、ここで宣言しています。そのことを頭に入れながら、今日の箇所を読んで参りましょう。

2.本文

では、12章14節から読んでいきましょう。パウロはこう切り出します。「今、私はあなたがたのところに行こうとして、三度目の用意ができています。しかし、あなたがたに負担はかけません。」この負担は書けませんということの意味は、今回もあなたがたからは経済的支援を受けることはありません、ということです。パウロがここまで献金を受け取らないことにこだわる理由は、一つにはライバル宣教師たちがコリント教会から謝儀を受け取っていることがあるのだと思われます。私はあの者たちとは違う、というパウロなりの矜持があるのでしょう。パウロは続けて、「私が求めているのは、あなたがたの持ち物ではなく、あなたがた自身だからです」という言葉も、ありていに言えば私は報酬が欲しくてあなたがたのところに行くのではない、ということです。その理由としてパウロはこう続けます。「子は親のためにたくわえる必要はなく、親が子のためにたくわえるべきです。」つまり、コリント教会にとってパウロは父のような存在だから、子であるあなた方は父の経済的心配をする必要はなく、父である私が子であるあなた方の心配をすべきなのだ、ということです。ただ、実際はパウロがコリント教会を経済的に支援するというのは無理だったので、パウロとしては祈りと愛の業を通じてあなたがたを支え続ける、ということを言っているのです。ですから、「私はあなたがたのたましいのためには、大いに喜んで財を費やし」というのは比喩的な意味で、私の財産を使ってという意味ではなくて、私自身の情熱と愛をあなた方のために注ぎ出そうというほどの意味です。そう書きながら、パウロはコリントとのひびが入った関係を嘆いてみせます。「私があなたがたを愛すれば愛するほど、私はいよいよ愛されなくなるのでしょうか。」ここで暗示されていることの一つは、私がこんなにあなたがたを愛しているのに、どうしてあなたがたは他の宣教師たちになびいてしまうのか、私から離れて行くのか、ということです。こう言われても、コリントの教会員たちも困ってしまったかもしれません。パウロはいつも自分たちのそばにいてくれるわけではない、今ここで牧会してくれている宣教師たちに心が向くのは当然ではないか、というコリント教会側の言い分もあっただろうとは思います。しかし、パウロの願いはこれらの宣教師たちからコリント教会が自発的に距離を置くことでした。パウロの基準から見れば、新しい宣教師たちはキリストに倣った生き方をしていないからです。

そして16節では、パウロはいよいよコリントと自分自身との間に立ちふさがる問題の核心に切り込みます。パウロは自分に向けられた疑念を率直にこう記しています。「あなたがたに負担を負わせなかったにしても、私は、悪賢くて、あなたがたからだまし取ったのだと言われます。」つまりパウロは、私は謝儀はいらない、と格好いいことを言いながら、実は別の名目で私たちからお金をだまし取っているのだ、というコリント教会での黒い噂をここではっきりと記しているのです。パウロはそこで、そのような不正の生まれる余地がないということを丁寧に説明しています。まずパウロは、自分はエルサレム献金のために集めたお金を自由に使えるような立場にいないことを客観的に示しています。パウロが推進しているエルサレム教会への献金、これをコリント教会で実際に推し進めているのはあなたがたが一番信頼しているテトスではないか、またテトスだけではなく、パウロの宣教チーム以外の人々、つまりマケドニア教会の教会二人もこの献金プロジェクトに加わっているではないか、と。万が一この献金の使途に不正があるなら、このマケドニアの兄弟たちがいわば監査役の役割を果たして気が付くはずではないか、ということです。そしてパウロは言います、「テトスはあなたがたを欺くようなことをしたでしょうか。私たちは同じ心で、同じ歩調で歩いたではありませんか。」感動的な言葉ですね。パウロはさらに、私は自己弁護しているのではないのだ、私たちは神のみ前で真実を語っている、と身の潔白を強く訴えます。そしてパウロはこうきっぱりと言います、「愛する人たち。すべては、あなたがたを築き上げるためなのです。

こうして自分に向けられた献金疑惑について丁寧に説明した後、パウロはがらりと話題を変えます。今まではパウロ自身の問題を取り扱いましたが、次にコリント教会側の問題について扱い始めるのです。その理由は明白です。コリント教会の人たちがパウロの誠実さについて疑心暗鬼になっているような状況では、彼らは誰もパウロの語る耳の痛い話を聞き入れないからです。ですから、まずパウロは自身の身の潔白を証明し、それからコリントの人たちの問題について話題を移したのです。パウロは自分がコリント教会に行く目的はエルサレム献金集めのためだけではなく、むしろもっと重たい問題を扱うためなのだと示唆します。「私の恐れていることがあります。私が行ってみると、あなたがたは私の期待しているような者でなく、私もあなたがたの期待しているような者でないことになるではないでしょうか。」ここでパウロは、第一コリント書簡を書いた頃からコリント教会にまとわりついている問題に切り込みます。第一コリント書簡では、パウロはコリント教会にある諸問題、内部分裂や性的不品行の問題、偶像礼拝の問題などを取り扱っていました。こういった問題がもしや未解決になっていないか、放置されていたままになってはいないでしょうね、とパウロは鋭く問います。もしそんな状況を目撃したなら、私はあなた方の期待するような優しい父親ではいられない、むしろあなたがたが恐れるような厳しい顔を見せることになるかもしれない、そういう懸念をパウロは伝えているのです。これは第一テサロニケの手紙でもパウロが強調していることですが、あなたがたは悪い行いのためでなく、聖なる歩みをするように召されているのだという、クリスチャンの歩みの基本について、パウロはここで改めて書いています。パウロはこの点について、もはやコリント教会の人々からの反発を恐れていません。パウロには神から示された教会のヴィジョンがあり、この点については妥協はあり得ないからです。

さらにパウロは、二度目のコリント訪問の時のように、またもコリント教会の人から辱めを受けるという可能性も案じています。パウロはそのことを「私がもう一度行くとき、またも私の神が、あなたがたの面前で、私をはずかしめることはないでしょうか」と記しています。これは、パウロに対する懐疑的なムードが漂うコリント教会では十分あり得ることです。しかしパウロは、コリント教会の人々が自分を辱めるとは言わず、神が私を辱める、と言っています。これは、すべての出来事の背後には神の御心が究極的には働いているのだというパウロの信仰を言い表したものでしょう。それからパウロは、再び先に示した懸念、すなわち第一コリント書簡で取り扱ったはずの数々の教会内での罪を、コリントの人たちが開き直っていまでも行い続けているのではないか、という懸念を表明します。パウロはそのことを、「そして私は、前から罪を犯していて、その行った汚れと不品行と好色を悔い改めない多くの人たちのために、嘆くようなことにはならないでしょうか」と書いています。パウロのことを快く思わない一部の信徒たちは、パウロの忠告をも無視しているかもしれないからです。このような数々の不安を抱きながら、パウロは三度目のコリント訪問を果たそうとしているのです。この訪問で、コリント教会の真価が問われる、それはひいては牧会者としてのパウロの真価が問われる、ということになります。

日本のことわざで、仏の顔も三度まで、というのがありますが、パウロも今度の訪問では自分は決して甘い顔はしないという決意をここで語ります。パウロは旧約聖書の申命記にある律法を引用し、「すべての事実は、ふたりか三人の証人によって確認されるのです」と言っています。これは、ある人を罪に定めるのは一人だけの証人では足りない、最低二人の証人が必要だという神の教えです。パウロはここで、二度目にコリントを訪問した自分と、これから三度目の訪問する自分という同一人物を、ふたりの証人になぞらえています。私が二度、あなた方が同じことをしているのを目撃するなら、あなたの有罪は確定するという意味です。あるいは、ここでいう二人の証人とは、パウロ自身と、天におられるイエス様のことを指しているとも考えられます。主の前には何も隠すことができないからです。そしてパウロは極めて厳しい口調で書いています。「前から罪を犯している人たちとほかのすべての人たちに、あらかじめ言っておきます。今度そちらに行ったときには、容赦はしません。

非常に厳しい言葉ですね。このように言えば、当然反発も生まれるでしょう。人の罪をあげつらうあなたは何様なのだ、という反発です。こういう批判があるからこそ、パウロは献金問題についての自身の身の潔白を強く主張したのです。パウロはさらに、自分に向けられた別の批判を意識してこう書いています。「こう言うのは、あなたがたはキリストが私によって語っておられるという証拠を求めているからです。」パウロは、コリント教会の人々の罪を指摘し、その悔い改めを求める時に、それは私の言葉ではなくイエス様の言葉なのだ、と語っていました。しかし、ある人たちは反発しました。「あなただけが主の預言者なのか?私たちだって聖霊によって異言を語れる。自分だけがイエスの言葉を語れるなどとは思うな」と。パウロが愚かな誇り合戦に参戦したのも、こういう批判を意識してだと思われます。私は言葉だけでなく、行動を通じてイエスのメッセージをあなた方に示してきたではないですか、と。あるいは、このように言う人たちもいました。「イエス様は優しいから、そんな厳しいことを言うはずがない。イエス様はどんな罪だって赦してくださるはずだ」と。これは今日の教会でもよく聞くような話です。確かにイエス様はどんな罪でも赦してくださいます。しかし、主イエスは赦した後にその人が行動をもって悔い改めることを求めておられます。ヨハネ福音書によれば、イエスは姦淫の女を赦しましたが、その後に「今からは決して罪を犯してはなりません」(ヨハネ8:11)と命じておられます。主が「決して」と言われたことを忘れてはいけないのです。主イエスは力強い方です。主を恐れることは大切なことです。

しかし、その力強いイエス様に対して、パウロはどうだ、と揶揄する人たちがいました。パウロの外見は弱弱しく、その話し方はなっていない、とささやくコリントの人たちもいました。しかしこの点については、パウロは再びイエスを思い出すようにと語ります。主イエスは決してマッチョな、力づくでことをなすような方ではありませんでした。むしろその外見は弱弱しく、哀れにさえ思えるような十字架での死を遂げられたのです。しかし、その弱さの中にこそ、神の全能の力が現れたのです。それが主イエスの復活、死にて死に打ち勝つという奇跡でした。ですからパウロの弱弱しさは、ここでも主イエスに倣うものであり、決して恥ずべきものではないのです。そこでパウロは非常に大事な言葉を残しています。その4節のみことばをお読みします。

確かに、弱さのゆえに十字架につけられましたが、神の力のゆえに生きておられます。私たちもキリストにあって弱い者ですが、あなた方に対する神の力のゆえに、キリストとともに生きているのです。

パウロの行動の規範は、常にキリストです。キリストが弱いように、私も弱い。しかし、私が弱い時にはいつもキリストが伴ってくださり、しかもそこには力強い神の力が働いている、それが私の言葉がキリストの言葉であることの何よりの証拠なのだとパウロは語っているのです。

3.結論

まとめになります。今回は、パウロがコリント教会への三度目の訪問を果たす前の、最後の警告を発しているところを学びました。この三度目の訪問は、これまで様々な紆余曲折のあったパウロとコリント教会との関係に、決着をつけるものとなります。その緊張感がひしひしと伝わってくるような箇所でした。パウロはまず自分への献金流用疑惑に対し、身の潔白を丁寧にかつ感動的に証明します。それから、返す刀でコリント教会の問題にズバリ踏み込みます。それは彼らの数々の罪の問題でした。パウロとしては、ライバル宣教師たちの問題や、エルサレム教会への献金も大事な事柄でしたが、何よりもコリント教会が罪から離れて正しく歩むことが大切でした。このことについて、彼らが頑なであり続けるなら、それは重大な結果を招くと警告しています。このことは、私たちも心して聞くべきことです。眉間にしわを寄せて頑張るような必要はもちろんありませんが、しかし私たちも日々の歩みや教会での活動において、世の中に主イエスを証しするものとして恥ずかしくない歩みをしなければならない、ということを今一度胸に刻みたいと思います。同時に、私たちは背伸びをしたり、かっこうをつけたり、実際以上に自分を強く見せる必要はありません。私たちはそんなに強くはないのです。むしろ、謙虚に弱さの中を歩まれた主イエスのように、へりくだって、身を低くして歩みたいものです。そのように苦難の中を歩まれた主イエスを思いながら、新しい一週間も歩んで参りましょう。お祈りします。

イエス・キリストの父なる神様。今回は、パウロが三回目の訪問に備えて、コリントの人たちにあえて厳しい言葉を投げかけているところを学びました。私たちにも主イエスの召しにふさわしく歩む力をお与えくださいますように。同時に、主の力は私たちの弱さの中に現れることを教えられ、感謝いたします。どうか私たちの弱さの内に主が現れてくださいますように、心からお願いいたします。われらの救い主、イエス・キリストの聖名によって祈ります。アーメン

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パウロの誇り第二コリント12章1~13節 https://domei-nakahara.com/2022/03/27/%e3%83%91%e3%82%a6%e3%83%ad%e3%81%ae%e8%aa%87%e3%82%8a%e7%ac%ac%e4%ba%8c%e3%82%b3%e3%83%aa%e3%83%b3%e3%83%8812%e7%ab%a01%ef%bd%9e13%e7%af%80/ Sun, 27 Mar 2022 04:12:05 +0000 https://domei-nakahara.com/?p=2660 "パウロの誇り
第二コリント12章1~13節" の
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1.導入

みなさま、おはようございます。今日は2021年度の最後の主日礼拝となります。当教会のカレンダーは1月始まりですが、多くの学校や企業では4月がスタートになります。第二コリントからの説教も今日を含めてあと三回になりますが、今日の箇所はある意味で第二コリントのクライマックスとも呼ぶべき箇所なので、年度を締めくくるのにふさわしい聖書箇所が与えられたと思っています。

さて、今日の箇所も前回からの続きになります。これまでの話を簡単にまとめますと、パウロはギリシアの南部のコリントという大きな港町で1年半開拓伝道をし、そこに教会を建て上げました。パウロは開拓した教会が軌道に乗ると、すぐ他の都市に行って新たに開拓伝道を始めるというやり方をしていたので、コリントも1年半で切り上げて、次に小アジアのエペソに腰を落ち着けて伝道をしていました。パウロが去った後のコリント教会は牧師のいない教会、無牧の教会になりましたが、そこには後からいろいろな教師たちがやってきました。そして今コリント教会で牧師をしているのはユダヤ人の教師たちでした。彼らは、初めてコリント教会に来た時に、コリント教会の人たちに自分たちを教師として認めてもらおうとして、いろいろと自分たちのことをアピールしました。コリント教会としても、教師は誰でもいいという訳にはいかないので、新しい教師を受け入れるかどうかの判断材料が必要だったのです。彼らにとって、自分たちが旧約聖書の時代に神に選ばれた唯一の民であるユダヤ人であるということは大きなセールスポイントの一つでした。ユダヤ人として子どものころから聖書に親しんでいる彼らは、ギリシア人のクリスチャンたちよりも聖書のことをずっとよく知っていたからです。ユダヤ人とギリシア人とでは、聖書知識ではまさに大人と子供の差があったのです。また、彼らはこれまでどのような地域で伝道活動をしてきたのか、どれだけの人にバプテスマを授けたのかなど、自分たちのこれまでの実績も披歴しました。さらに彼らは自分たちの特殊な霊的体験、不思議な幻を見たという体験などについても語り、自分たちがいかに優れた霊性の持ち主であるかもアピールしました。このように彼らはコリントの人々の信頼を勝ち取ろうと必死の努力をし、その甲斐あってコリント教会に教師として受け入れてもらいました。これだけならば、彼らのしていることは理解できるというか、問題はないわけですが、しかし彼らは一つの大きな過ちを犯しました。それは、彼らは自分たちのことをコリント教会の創設者であるパウロと比較して、自分たちの方がパウロよりも優れている、優秀だということを仄めかしたのです。しかも一部のコリント教会の人たちは、彼らの言うことを真に受けて、パウロから心が離れていったり、あまつさえパウロを軽く見る人さえ現れました。パウロは、このように自らの出自や実績をアピールしたり、他人と比較して誇ることなどということは全く愚かなことだと考えていましたが、しかしコリントの信徒たちの心が自分から離れかねない状況に危機感を抱きました。パウロは今コリントにいないので、彼らに直接語りかけることができません。そこで、いわば強いられる格好で、手紙の中でユダヤ人宣教師たちとの自慢合戦、「愚かな誇り合戦」に参戦することにしたのです。

しかし、そこはパウロのことですから、単に彼らが誇るのと同じような事柄について、自分の方がもっとすごいんだぞ、と誇ったわけではありませんでした。特に、伝道実績については、パウロは自らの卓越した実績については何も語りませんでした。パウロはコリント教会以外にも、ピリピやテサロニケ、エペソなどに立派な教会を短期間で次々と建て上げたわけで、伝道者としての力量はまさに折り紙つきだったわけですが、そうしたことについては一切自慢せず、ただこれまでの伝道に伴う様々な苦難について誇りました。それも「俺はこんなに頑張ったんだぞ、こんなに苦労して伝道してきたのだ」と自慢したいわけではなく、その苦難はイエス様の苦難に倣っていることのしるしだと言いたかったのです。自分の生き方はイエス様の生き方に倣ったものだ、だから自分は本物だと言える、そういうことです。パウロの言い方を借りれば、「イエスの死をこの身に帯びたこと」、それこそがパウロの誇りでした。パウロはさらに進んで、この自らの苦難や試練、そして何よりも自分の弱さの中に神の恵みが現わされてきたこと、そのことこそを自分は誇るのだ、と語っています。今日の12章からの内容は、パウロによる「愚かな自慢合戦」の後半部分です。このような文脈を考えながら、今日の箇所を詳しく読んで参りましょう。

2.本文

では、さっそく12章1節から読んでいきましょう。パウロはまず、「無益なことですが、誇るのもやむをえないことです」と書き出しています。人間、意味がないと思ってもやらなければならない時があるということです。パウロは、自慢合戦など無意味だが、あなたがたのためにあえてそれをすると宣言しています。次いで「私は主の幻と啓示のことを話しましょう」と切り出します。第一コリント書簡でも学びましたが、コリント教会の人たちは天使の言葉と言われる異言語りに夢中になっていました。「異言」というのは、通常の言語ではない、見知らぬ言葉で突然語りだすことです。その言葉は天国で語られる言葉だとも信じられていました。コリントの人たちは神から特別な、天上的なことについての啓示を受けることを何よりも重視していましたので、異言語りを重視したのです。パウロのライバル宣教師たちは、コリント教会の人たちのこうした傾向を知って、彼らに自分たちのことをアピールしようとして「私たちは主から素晴らしい幻や啓示を受けた」と誇ったのです。そこでパウロも、彼らに負けていないことを示すために、自分も確かに神からの天の啓示を受けたのだということを言わなければならなくなったのです。しかし同時に、パウロは自分のそうした霊的体験について語ることに躊躇も覚えていました。そこで、まるで他人の話をするかのように、「私はキリストにあるひとりの人を知っています」と話し出しました。しかし、これは明らかにパウロ本人の経験のことです。ではなぜパウロは自分の霊的な体験について語るときに、まるで他人の話のように話したのでしょうか?一つには、そうしたことを自慢げに話すライバル宣教師たちへの批判がありました。このような体験をすることができるのは、自分の霊性が優れているからとか、そういうことではなくて、ひたすら神様の恵みだからです。一つ例を挙げましょう。20世紀後半になって、いわゆる臨死体験に注目が集まるようになりました。臨死体験とは、医学的に死亡宣告を受けた人がその後に蘇生するという非常に稀なケースにおいて、その人が死んでいる間に体験した様々な不思議な出来事のことです。その人は死んでいたのですから、その間のことは覚えているはずがないのにもかかわらず、はっきりと覚えている、そういう不思議な現象なのですが、それについての本格的な研究、医学的な考察がアメリカで始められました。これらの体験のすべてが本物だとは言えないでしょうが、しかし中には本当に霊の世界を垣間見たとしか思えないような証言もあります。しかし、そういう霊的な体験をした人は、もともと霊的に優れていたからとか、霊的な感受性が高いからとかいうことではありませんでした。むしろ神とか霊とか、そういうものを全く信じていなかった人が、思いもよらずにそういう体験をしているからです。そして、その体験をした後に、急に人格が変わってしまって霊的な事柄に強い関心を抱くようになった人も少なくありません。クリスチャンになった人もいます。ですから、不思議な霊的体験というのはその人の霊性に関係なく、神がご自身の判断で特定の人に与えるものであり、したがって人に誇るようなものではないのです。

また、キリスト教の歴史の中で聖人と呼ばれるような人で、こういう不思議な経験をした人も歴史上に何人かいますが、彼らは一様に自分たちの体験を語ることに慎重です。例えば20世紀のインドの聖者、パウロの再来とまで呼ばれたキリスト教宣教師のサンダー・シングという人がいます。彼には癒しの賜物が与えられ、奇跡的に病気を癒したことがありました。現代人にはにわかに信じがたいことですが、本当に使徒の時代に起きたような癒しの奇跡が起こったようなのです。しかし彼は二度と癒しの業を行おうとはしませんでした。それは、彼の行う奇跡が人々の関心をイエス様よりも、奇跡を行う自分の方に向けてしまう危険を感じたからでした。サンダー・シングは使徒パウロのように、生きたまま天上界に連れていかれるという経験をしていますが、彼はこの体験も人には語ろうとはせず、死期が近いと悟ったときに人々の霊的な益のためにと、ようやく自らの経験を書き残しています。彼がこの体験について語ろうとしなかったのは、無防備のままで霊的体験を持つことは非常に危険なことであり、人々に無責任な形で霊界への関心を抱かせたくなかったからだと語っています。パウロも同じような懸念を持っていたように思います。さて、2節に戻りましょう。彼は「十四年前の」霊的経験を語ります。パウロがこの手紙を書いていたのは紀元55年だと思われますが、そこから14年前とはだいたい紀元40年過ぎのことです。パウロが復活の主と邂逅して回心したのが30年の半ばだとすると、パウロがこの不思議な霊的体験をしたのは、クリスチャンになって数年後のことだということになります。パウロは肉体を離れて、いわゆる幽体離脱という状態だったのか、あるいは肉体のままか、いずれにせよ生きたままで「第三の天にまで引き上げられました。」第三の天ということは、第一の天と第二の天もあるわけですが、パウロの時代のユダヤ人は天国には階層があると信じていて、神様はその最上階におられると信じられていました。ですから第三の天とは最上階、神のおられる最も高き天のことです。パウロはその第三天のことを「パラダイス」とも呼んでいます。パウロはそこで、「人間には語ることを許されていない、口に出すことのできないことばを聞いた」と言っています。パウロが自らの霊的体験を語ることに慎重だった原因の一つがここにあります。パウロはそこで見聞きしたことを、人の言葉では表現できなかったのです。第一コリント書簡でも学んだように、パウロはそれがいくら霊的に価値が高くても、他の人が理解できない言葉は教会形成にとっては無意味だと言っています。パウロは「教会では、異言で一万語話すよりは、ほかの人を教えるために、私の知性を用いて五つのことばを話したいのです」(第一コリント14:19)と言っていますが、それと同じ理由でパウロはこの第三天での経験を教会では語らなかったのです。パウロは、天上に引き上げられるという経験そのものは誇るべきものだが、そのような体験を与えてくださった神をこそ誇るべきなのであって、その人自身には誇るべきものはない、そのように言いたいのです。しかし6節では、もし私がこの不思議な天上での体験を誇りたいと思っても、それで私は愚か者だということにはならない、なぜなら私は真実を語っているからだ、と続けています。それでもやはり、パウロはそれを誇るのを控えると言っています。それは、パウロの話を聞いた人が、パウロが示そうとするイエス、それは弱さの中を歩まれた地上のイエスですが、そのイエス様よりも天上での素晴らしい啓示の方に心を奪われてしまう危険を感じたからでした。天国の希望を抱くこと自体には何も悪いことはありませんが、私たちは今地上で生かされている以上、ここでなすべき務めがあるのです。そして、その務めは地上のイエスの生き方に倣うことで全うされます。その先にこそ天国の希望があるのであり、地上での苦難をすっ飛ばしていきなり天国に行きたいというわけにはいかないのです。

次いでパウロは自分の「弱さ」について誇るということの意味を示すために、自分自身の体験を語ります。それはパウロ自身の「肉体のとげ」の話です。それが具体的には何を指すのかは謎ですが、パウロは肉体に持病を抱えていたようです。しかも、相当な苦痛を伴う病だったと思われます。そのことをパウロは「私を打つための、サタンの使い」だと言っています。これはヨブ記の中で、サタンが神に、ヨブが神を敬うのは彼が幸せだからで、彼が不幸になれば神を呪うに決まっています、だからヨブを苦しめさせてくださいと願い出るのですが、それが許されてサタンがヨブを死ぬよりつらい苦痛で苦しめるという場面がありますが、それと同じようなものだと思われます。パウロは初め、なぜ自分がそんなに苦しめられなければならないのか、理解できなかったでしょう。しかし、だんだんとそれが、先ほど語った第三の天での体験、そのあまりのすばらしさに、自分が高慢になることがないために神がサタンを遣わしてこの苦しみを与えたのだと信じるようになりました。それでも、そのあまりの苦しさのために、パウロはその痛みを取り去ってくださいと主イエスに三度祈っています。これはゲッセマネの園で、神に十字架という死の杯を取り去ってくださいと三度願った主イエスの祈りを思い起こさせます。しかし、主イエスはパウロからこの痛みを取り去ることはなさらずに、代わりに次の言葉をパウロに送りました。「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである。」この言葉は、主イエスだからこそ言えることばだと思います。普通に考えれば、神様に病気を治してくださいと祈って、いや、あなたの病気は治らないけれど、しかしその病の苦しみの中にこそ私の力が現れる、などと言われればがっかりするか、さもなくば怒ってしまいそうなものです。しかし、主イエスこそがまさに弱さの中を生き、その弱さの中に神の力を現したお方だったのです。私たちと同じように苦しまれた主イエスがおっしゃられることだからこそ、説得力があるのです。パウロはこの手紙の少し先で、イエスについてこう書いています、「確かに、弱さのゆえに十字架につけられましたが、神の力のゆえに生きておられます。」イエス・キリストの最大の奇跡は、無力で惨めな十字架の死を通じて実現しました。死を打ち破るという復活の力、神の力は、イエスの弱さを通じて現わされたのです。だからパウロは言います、「ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。」そしてパウロは続けてこう言っています。「なぜなら、私が弱いときこそ、私は強いからです。」パウロのこの言葉には、パウロの外見は弱々しく、その話しぶりはなっていないという中傷や批判に対する答えが込められているように思えます。そのような貧弱な自分をも神は用いて、大きな働きを成し遂げておられる。この私の弱さに神の力が輝き出る、それこそが私の誇りなのだとパウロは高らかに宣言します。

そしていよいよこの愚かな自慢合戦を締めくくる時がきます。11節でパウロはこう言っています、「私は愚か者になりました。あなたがたが無理にそうしたのです。」この意味は、私は自分で自分を自慢する愚か者にはなりたくなかったのに、あなたがたが無理やり私をそうさせたのだ、というパウロの口惜しさがにじみ出た言葉です。あなたがたが、ライバルのユダヤ人宣教師たちの私への批判に耳を貸さずに、私を擁護してくれたなら、あなた方自身が私の推薦状になってくれたなら、私はこんな愚かな自慢合戦などに参加しなくて済んだのに、というパウロの思いが込められています。私はたとえ神の前には取るに足らないものだとしても、それでもあの宣教師たちにはいかなる面でも劣ってなどいなかったし、あなたがたがそれを認めてさえいてくれれば、私はそれを証明する必要もなかったのだ、ということです。あなたがたも、私が使徒としての働きをしてきたのを見てきたではないですか、私があなたがたの間で行った力ある業、つまり奇跡を目撃したではないですか、とパウロは12節で言います。しかしパウロがここで強調したのは、奇跡を行ったこと、奇跡そのものよりも、むしろ「忍耐を尽くして」という、忍耐の方でした。そしてこの忍耐こそが、彼が使徒であることの証明なのです。奇跡というのは、聖書によれば神でなくても、サタンの僕でも人々が驚くようなことをすることができるのです。ですから、奇跡はその人が神の人であることの究極的な証明にはなりません。しかし、キリストに倣う忍耐をパウロが身をもって示す時、彼が本物の使徒であることがおのずから証明されます。そしてこの誇り合戦の最後の言葉が13節なのですが、パウロはここで一つだけコリント教会の人たちにお詫びを言っています。それは、パウロがコリント教会から謝儀を受け取らなかったことでした。他のマケドニアの教会、ピリピやテサロニケからは謝儀を受け取ったのに、コリントの人たちには私を経済的に支えるという恵みの機会を奪ってしまった、それがあなたがたを他の諸教会より劣ったものにしてしまったのなら、それについてはお詫びする、とパウロは述べています。確かに、ピリピからは喜んで献金を受け取ったのに、どうしてコリント教会からは受け取らないのか、パウロも説明が出来ませんでした。そのことをパウロは詫びたのです。逆に言えば、他のことでは何一つあなたがたに迷惑をかけたり、恵みの機会を奪ったりはしなかったのだ、そのことを忘れないでほしい、というパウロの思いもここには込められているのです。

3.結論

まとめになります。前回から二回にわたって、パウロがライバル宣教師たちと「愚かな自慢合戦」を繰り広げているのを見てきました。パウロは相手の土俵に乗るように見せながら、実際には相手とは同じ土俵で戦うようなことはしませんでした。パウロにとっての誇りとは、自分自身の出自や経歴などではなく、主がパウロの人生にしてくださったこと、その恵み、その力なのでした。そして神の恵み、神の力は、パウロが弱い時にこそ、より一層輝き出でるのです。だからこそ、パウロは自分の弱さを誇ることができたのでした。

私たちの生きる時代は、自己アピールが求められる時代です。学校において、職場において、家庭において、私たちは自分が有能であることを示さなければならないというプレッシャーに常に晒されています。ですから別にそうしたいとは思わなくても、自己アピール、聞き方によっては自慢話にしか聞こえないことも言わなければならないことがあります。入学試験や入社試験など、自己アピールをしなければならない機会は人生に何度も訪れます。しかし、そのこと自体には悪いことは何もありません。私たちはこの世で生きている以上、この世のルールには従わなければならない場面がたくさんあるからです。それでも、そうはいっても私たちは弱い存在です。もう自分にはアピールできるものが何もない、そういう状態にまでなることがあります。それは不運な事故やアクシデントのためかもしれないし、年齢や病気のためかもしれません。そんな時には、もう希望はないのか、と言えば、決してそんなことはありません。むしろ、自分がどん底にいると思うような時にこそ、神の力が現れる、働いてくれるのです。そして、そのような神の力を受け止めるために私たちに必要なのは信仰です。今、神がこの私の近くにおられる、私を支えてくださっているという信頼です。反対に、一番悪いのは自暴自棄になってしまうことです。もう自分はダメだ、自分には何の価値もない、そう思ってしまうことです。なぜなら私たちの価値を決めるのは他人ではなく、自分自身ですらなく、神だからです。その神に信頼し、新しい2022年度も歩んで参りましょう。お祈りします。

イエス・キリストの父なる神様。前回、今回とパウロの「愚かな誇り合戦」について学びました。そしてその先に、パウロがたどり着いた確信、すなわち「私が弱い時こそ、私は強いからです」という境地があることを学びました。私たちは強さを求められる時代に生きていますが、しかし本当の強さは私たちの内にはなく、主にあることを知り、また神の強さは私たちの弱さの内に現れることを教えられたことを感謝します。私たちの多くは病や悩みを抱える者ですが、どうかその中に主の恵みと強さを輝かせてください。われらの救い主、イエス・キリストの聖名によって祈ります。アーメン

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愚かな誇り合戦第二コリント11章16~33節 https://domei-nakahara.com/2022/03/13/%e6%84%9a%e3%81%8b%e3%81%aa%e8%aa%87%e3%82%8a%e5%90%88%e6%88%a6%e7%ac%ac%e4%ba%8c%e3%82%b3%e3%83%aa%e3%83%b3%e3%83%8811%e7%ab%a016%ef%bd%9e33%e7%af%80/ Sun, 13 Mar 2022 05:14:00 +0000 https://domei-nakahara.com/?p=2613 "愚かな誇り合戦
第二コリント11章16~33節" の
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1.導入

みなさま、おはようございます。2020年の10月から始めた第一、第二のコリント書簡の連続説教も、1年半に及びましたが、それも今回を含めてあと4回になります。ですから復活祭の前の週、棕櫚の主日までは第二コリント、復活祭には特別なメッセージをして、復活祭の後からはマルコ福音書の講解説教を始めます。

さて、それでは今日の箇所ですが、これは先週からの続きになります。この11章においてパウロは今コリント教会で牧会をしている現役の宣教師たちと全面的に対決しています。今コリント教会にいる宣教師たちは、無牧であったコリント教会にやって来たのですが、彼らはコリントの信徒たちに教師として認めてもらう、受け入れてもらうためにいろいろと自己アピール、自己推薦をしました。彼らはユダヤ人の宣教師たちでしたが、初代教会の総本山、エルサレム教会から推薦状を携えてやってきました。これは理解できることですね。私たち教団に属する牧師たちも、本部教団からこの人は按手礼を受けた正式な教師であるという推薦を受けて個別教会に派遣されます。また、彼らは自分たちのこれまでの伝道実績や、自分たちの聖書についての知識についてもコリント教会の人たちにアピールしました。これも理解できますね。今でも各教会に送られる教師は、それまでの学歴とか社会人経験、神学校での学びやこれまでの伝道実績などを経歴書にまとめて教会の役員会に送ります。コリントにいた宣教師たちはこれらに加えて、彼ら自身の霊的な体験、つまり「私はこのような御霊の賜物を受けた、神からこのようなヴィジョンを受けた」ということもコリント教会の人たちと分かち合ったものと思われます。その結果、彼らはコリント教会の正式な教師として受け入れられ、教会から謝儀を受け取っていました。

これらのことは特に何の問題もないように思われるかもしれませんが、しかし彼らのやっていることの中には大問題も含まれていました。これらの宣教師たちは、自分たちの前任者、コリント教会の創業者であるパウロのことをよく思っていなかった、よく思っていなかっただけでなく、実際に口に出してパウロへの批判をコリント教会の人たちに伝えていたのです。そのため、パウロへの信頼がコリント教会の中で失われつつありました。なぜ彼らはパウロを批判するような真似をしたのかといえば、初代教会の宣教師たちの中にはパウロをあまりよく思わない人々がいたということがあります。パウロはガラテヤ教会やピリピ教会をめぐってそれらの人たちと対決していました。コリントに来た宣教師たちも、パウロと敵対していた他の宣教師たちと近い立場にいたと思われます。

パウロもそのことをはっきりと自覚していました。パウロは自分とは考えが違う宣教師たちが自分の立て上げた教会、ガラテヤ教会やピリピ教会にやってきて、自分とは異なる福音、より分かりやすく言えばよりユダヤ教に近い福音を宣べ伝えていたことに危機感を抱いていました。パウロの掲げる福音とは「ユダヤ人も異邦人もない教会」、民族の垣根が取り壊された、真にユニバーサルな教会でした。その教会において、ユダヤ人だけが特別である、ユダヤ人は旧約時代からずっと神の民だったのだから、異邦人とは異なる特別な存在なのだ、というようなユダヤ人の誇りが広がることをパウロは非常に警戒していました。今コリントに来ている宣教師たちがまさにそのような誇りを持った人たちでした。彼らはコリント教会の人たちに自らのユダヤ人としての出自を誇り、コリント教会の人々もそれを受け入れてしまっていたのです。そこでパウロはこの危機的状況を打破しようと、あえて彼らの土俵に乗ることを決意します。彼らがユダヤ人としての血統や、これまでの実績や、あるいは霊的体験について誇るのなら、私だっていささかも負けていないことを証明しましょう、そう言っているのです。パウロはそんな誇りは愚かなことだと分かっているのですが、ここでは進んで馬鹿になって、この「愚かな誇り合戦」に参戦しようというのが今日と次回の説教箇所の内容です。それではさっそく、聖書箇所を詳しく見ていきましょう。

2.本文

では、16節から読んでいきましょう。パウロは「繰り返して言いますが、だれも、私を愚かと思ってはなりません」と切り出しています。これは、新しい宣教師たちに影響されて、パウロは少し愚かなのではないかと考え始めたコリントの一部の信徒たちへの警告です。彼らがパウロについてこういう疑問を抱いたのは、彼があまりにもいろいろなところで苦難に遭っているというのが一つの理由でした。つまり彼は十分に用心深くなく、危険を回避する知恵に欠けていて、しょっちゅう地雷を踏んでしまうような人なのだという印象を持たれたのです。しかしパウロは、自らの苦難に積極的な意味を見出していました。それはキリストの生き方に倣うこと、パウロの言い方では「キリストの死をこの身に帯びること」であり、恥ではなくむしろ誇るべきことでした。パウロは続けてこう書いています。「しかし、もしそう思うなら(つまり私を愚か者と思うなら)、私を愚か者扱いしなさい。」ここでパウロは、もしあなたが私を愚かだと言い張るのなら、私も愚か者になってやろうじゃないか、ということです。パウロがここでいう「愚か者」とはライバル宣教師たちのことです。彼らは愚かにも、自分たちの生まれや実績を誇っているが、私も彼らのように愚か者になって、ここでは自慢合戦に付き合ってあげましょう、ということです。そこで17節、18節でこう書いています。

これから話すことは、主によって話すのではなく、愚か者としてする思い切った自慢話です。多くの人が肉によって誇っているので、私も誇ることにします。

「多くの者が肉によって誇っている」とありますが、これはライバル宣教師たちのことです。前回もお話ししたように、パウロのボキャブラリーでは「肉によって」というのは悪い意味合いがあります。それは「この世の基準に従って」ですとか、「この世的な」というほどの意味です。

19節から21節までは、パウロは痛烈な皮肉でもってコリント教会の人たちを叱責します。「あなたがたは賢いのに、よくも喜んで愚か者たちをこらえています」というのは、「あなたがたコリントの信徒たちは自分たちが賢いなどと悦に入っているくせに、あの愚かな宣教師たちをよくもまあ有難がって受け入れるものだ」というほどの意味です。20節の、「事実、あなたがたは、だれかに奴隷にされても、食い尽くされても、だまされても、いばられても、顔をたたかれても、こらえているではありませんか」というのもライバル宣教師たちのことです。これらの宣教師たちは、あなたがたを奴隷にし、あなた方に対していばりちらし、だましているのに、あなたがたは彼らにせっせと貢いでいて、結構なことですね、というような意味です。先週もお話ししましたが、パウロのこの宣教師たちへの評価はあまりにも酷だという気がします。現職の牧会者が信徒たちを騙しているなどと、そんなことを言ってしまってよいのかと。しかし、こういうところはとてもパウロらしいという気もします。パウロは剛球一直線的な人で、この激しい言葉がコリント教会の中でどんな騒動を引き起こそうとも自分は思ったことをはっきりと言う、自分は逃げないという強い決意を感じます。21節でパウロは、こういうのは恥だが、私たちは弱かった、と言っています。この「弱い」には二重の意味があるでしょう。一つは、「パウロは弱い、気が小さい」というコリント教会の一部の人々からの批判を意識したもので、もう一つはライバル宣教師たちの挑発に負けて、彼らのように自らを誇ってしまう自分のことを自嘲気味に「弱い」と言っているということです。しかしパウロはそれでもあえて、誇り始めます。

22節では、ライバル宣教師たちがユダヤ人であることを誇るなら、私もいささかも引けを取らないと語ります。ここでパウロは自分がヘブル人でありイスラエル人だと同じようなことを言っていますが、ヘブル人とはヘブル語が話せることを、イスラエル人とは神の契約の民であることを強調したものと思われます。彼はピリピ教会への手紙でも、こう書いています。

私は八日目に割礼を受け、イスラエル民族に属し、ベニヤミンの分かれの者です。きっすいのヘブル人で、律法についてはパリサイ人、その熱心は教会を迫害したほどで、律法による義についてならば非難されるところのない者です(ピリピ3:5-6)

律法の義については非難されるところがなかった、というのはパウロがいかに熱心で厳格なユダヤ教徒だったかを示しています。ですから、他の誰かがユダヤ人であること、ユダヤ教徒であることを誇るなら、私はいささかも引けを取らないとパウロは自負していました。

では、かつてはユダヤ教徒として立派だったのは分かるが、今はどうなのか、今はキリスト教徒としてどう歩んでいるのか、ということを書いているのが23節以降です。

彼らはキリストのしもべですか。私は狂気したように言いますが、私は彼ら以上にそうなのです。

パウロはここで、ライバル宣教師たちのことを「キリストのしもべ」だと認めています。彼らのことを「サタンの手下ども」とまで呼んでいたので、このことには驚きですが、パウロは彼らをキリストのしもべだと認めつつ、自分はもっともっとそうなのだと語ります。その証拠として「私の労苦は彼らよりも多く」と指摘しますが、これも意外ですね。普通なら、私は彼らよりも多くの人たちにバプテスマを授けたとか、私の開拓伝道した教会の数は彼らよりも多いとか、そういういわゆる伝道実績を挙げそうなものですが、パウロはここで、自分は彼らよりもたくさん苦しんできたと、そのことを誇っています。当時のギリシア・ローマの人々は、人が多く苦しむのは神々の加護を受けていないからだと信じていたので、このパウロの発言は意外だったでしょう。しかしパウロにとって、宣教のために苦しむことは主イエスの生き方に倣うこと、主イエスのように生きていることの証であり、大いに誇るべきことなのです。パウロは「ユダヤ人から三十九のむちを受けたことが五度」とさらっと書いていますが、これは恐ろしい痛みを伴ったものです。申命記25章にはむち打ちの刑は40回までという限界が定められていますが、その限界すれすれまでむち打ちをされたということです。40回のむち打ちで死ぬ人もいましたから、これがどれほど恐ろしい刑罰であるのかは想像を超えます。次の「むちで打たれたことが三度」とありますが、これはユダヤ人ではなくローマ帝国の当局者からのむち打ちです。イエス様も十字架に架かる前にこのむち打ちに苦しめられましたが、パウロは三回もそれを経験していたのです。しかしどうしてパウロはこんなひどい目に遭ったのでしょうか。その理由の一つは、主イエスがユダヤ当局とローマ当局によって正式に犯罪者として処刑されていたからです。そのような人物を世界の王として宣べ伝えることはユダヤ人にとっては神への冒涜であり、ローマ人にとっては騒擾罪、社会の安定を乱す行為だと見なされました。しかし、それは他の宣教師たちも同じであり、パウロだけの問題ではありませんでした。パウロがユダヤ人から特に目をつけられていたのは、彼の異邦人とのかかわりのせいだったと思われます。厳格なパリサイ派の人は異邦人とは付き合わないし、食事も一緒に取りません。そうすると汚れてしまうと考えられていました。厳格なパリサイ派としてそのように生きてきたパウロが、いきなり百八十度方向転換して、無割礼の異邦人と親しく付き合っていることに保守的なユダヤ教徒の人たちは衝撃を受けたことでしょう。「パウロだけは赦せない。自分たちの仲間だと思っていたのに、あいつは裏切り者だ」と思った人もいたことでしょう。かつてのパウロがキリスト教徒を迫害したように、これらのユダヤ教徒もキリスト教徒となったパウロをことさらに迫害したのでした。それ以外にも、パウロはいつも旅をしていたので、旅に伴う数えきれないほどの苦難がありました。ローマは各都市間の交通網を整備していたとはいえ、今日とは比較にならないほど当時の旅は危険を伴うものでした。そうした中で何度も命の危険を感じながら、パウロは伝道を続けました。このバイタリティーはどこから来るのか、信じられないほどです。普通は一回でも死ぬ目に遭えば、それ以降は続けることに後ずさりしてしまうものですが、パウロはますます伝道に励んでいったのです。パウロのライバル宣教師たちへの批判は厳しすぎるようにも思えましたが、このようなパウロ自身の生き方を基準にすれば、確かに彼らには裁かれるべき点が多々あったのだと思わされます。

こうした開拓伝道に伴う苦難だけでなく、パウロは自らが建て上げた各教会についての心配という重荷がありました。パウロはこう書いています。

このような外から来ることのほかに、日々私に押しかかるすべての教会への心づかいがあります。だれかが弱くて、私が弱くない、ということがあるでしょうか。だれかがつまずいて、私の心が激しく傷まないでおられましょうか。

ここは、牧会者としてのパウロの真心が伝わってくる、感動的な箇所です。パウロは教会の一人一人の信仰者のことを覚えていて、その一人が苦しめば自分も苦しむ、つまずけば自分もつまずく、と語っています。思えば、パウロがコリントの宣教師たちにあれほど攻撃的になってしまったのも、それだけコリント教会の人たちのことを深く憂慮しているからなのでしょう。

そして30節ですが、ここでパウロは最も大切なこと、また本当にコリントの人たちに伝えたかったことを述べています。「もしどうしても誇る必要があるなら、私は自分の弱さを誇ります。」ここまでは、ライバル宣教師たちに対抗する形で愚かな誇り合戦に参戦してきたパウロですが、ここから先は自分の弱さ、そして自分の弱さの中に輝く神の恵みを誇るというように、内容が変わってくるのです。そしてパウロは自分の弱さを示す例として、彼が復活のキリストにダマスコ途上で出会って劇的な回心を遂げてからまだそんなに時間が経っていないころの出来事を話し始めます。彼はナバテヤ王国というアラブの国のアレタ4世からお尋ね者として指名手配されていて、一時期ダマスコを占拠したアレタ四世は、ダマスコにいるパウロを捕らえようとしました。そこで彼は命からがらダマスコの城壁から夜逃げしたのですが、このエピソードをパウロが語ったのは、当時の有名な英雄談義を意識してのことでした。当時、あるローマの兵隊が城壁都市の攻略の一番乗りとして、最初に城壁の壁をよじ登って敵を攻めたのですが、その功績を称えられて冠を与えられました。パウロはそのローマの英雄とは正反対に、戦わずに城壁から逃がしてもらったのですが、パウロはその体験を語ることで、自分の英雄的な行為を誇ることを拒否し、自分の弱さこそを誇ろうとしたのでした。イエスの十字架も、世の中の基準から見れば弱さの証拠です。敵にむざむざ殺されるなら、せめて一矢報いてから死ぬべきだという価値観が当時も今もあるわけですが、イエスはそのような英雄主義、レジスタンス精神を拒否し、一切の抵抗をせずに、弱さの中に死にました。しかし、その弱さの中にこそ、死人をよみがえらせるという神の力が働いたのです。パウロもそれをよく理解していたからこそ、自らの弱さを誇ったのです。

3.結論

まとめになりますが、今日はパウロがライバル宣教師たちの挑発にあえて乗っかる格好で、愚かな誇り合戦に参加するところを学びました。パウロもその気になれば、世の人々に対して誇れるものはたくさん持っていました。しかしパウロは、自らの伝道者としての驚くべき実績を誇ることをせず、むしろ自分の苦難の体験をこそ誇りました。それはパウロが、確かにイエスの道に倣って歩んでいることの証拠だったからです。そしてパウロは、だんだんと強さではなく弱さを誇るというように、「誇る」ということの意味そのものを変えていきました。

今の時代も、私たちの誇りは社会的地位や財産、学歴や外見などであることがほとんどで、自分の弱さを誇るというのは自虐ネタをするお笑い芸人ぐらいなのかもしれません。そういう意味ではパウロの時代も私たちの時代も大して変わりがないように思われます。しかし、私たちの信じる方は世の人が誇るようなものを何も持たない方でした。そして無力な存在として十字架で死なれたのです。しかし、その弱さの中にこそ、神の偉大な力が現れました。今私たちはレントの期間を過ごしています。その中で、このように弱さの中を歩まれたイエスの歩み、またイエスに倣ったパウロの歩みを今一度思い起こしたいと願うものです。お祈りします。

イエス・キリストの父なる神様。今日は使徒パウロが、ライバル宣教師たちの挑発に乗るようにして自らを誇りながら、だんだんと自らの弱さをこそ誇り、またその弱さの中に働く神の恵みを誇るようになっていったのを学びました。私たちの時代もパウロの時代と同じく、強さや豊かさや美しさや賢さを誇る時代ですが、どうかイエス様やパウロの示した道を私たちも歩むことができますように。われらの救い主、イエス・キリストの聖名によって祈ります。アーメン

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ライバル宣教師たち第二コリント11章1~15節 https://domei-nakahara.com/2022/03/06/%e3%83%a9%e3%82%a4%e3%83%90%e3%83%ab%e5%ae%a3%e6%95%99%e5%b8%ab%e3%81%9f%e3%81%a1%e7%ac%ac%e4%ba%8c%e3%82%b3%e3%83%aa%e3%83%b3%e3%83%8811%e7%ab%a01%ef%bd%9e15%e7%af%80/ Sun, 06 Mar 2022 05:08:00 +0000 https://domei-nakahara.com/?p=2596 "ライバル宣教師たち
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1.導入

みなさま、おはようございます。先週から第二コリント書簡の中でも最後の部分、10章から13章までを学んでいます。先週もお話ししたように、この10章から13章まではひとまとまりの独立した部分です。ここでパウロは、自分から心が離れかけているコリント教会の人々に必死で訴えかけ、今コリントに来ている新しい宣教師たち、彼らはエルサレム教会と関係の深いユダヤ人宣教師たちなのですが、彼らに耳を貸してはいけない、彼らを信用してはいけないと強い口調で警告します。前回の10章でも彼らのことを遠回しに言及していたパウロですが、この11章以降では彼らを直接名指しし、いわば全面対決のような形になっています。

しかも、その言及の仕方が非常に激しいものになっています。まずパウロは、彼らのことをエデンの園でアダムとエバを騙した蛇になぞらえています。8節では彼らのことを「大使徒」と呼んでいますが、これはもちろん本気でそう言っているのではなく皮肉です。「彼らは自分たちのことを大使徒だと自惚れているようだが」というほどの意味です。そしてその舌鋒はだんだんと激しくなり、彼らを「にせ使徒」であるとか、しまいには「サタンの手下ども」とまで呼ぶようになります。さすがに同じクリスチャンの宣教師を「サタンの手下」とまで呼ぶというのは衝撃的で、私もこの箇所を読む度に動揺を覚えます。では、パウロがサタンの手下と呼ぶこれらの宣教師たちとは、いったいどんな人だったのでしょうか。

一つ確認しておきたいのは、パウロも彼らのことを詐欺師、つまりコリント教会の人たちを騙して彼らからお金を巻き上げようとしている犯罪者だとか、そういう風に見ていたわけではありません。むしろ、彼らは初代教会の総本山であるエルサレム教会からの推薦状を携えて来るような、れっきとした宣教師でした。また、本物のメシアはイエス様ではなく、自分こそがそうなのだとかいうような、いわゆる異端的な教えを広めている人たちでもありませんでした。さらにいえば、パウロはこれらの宣教師たちと、おそらく直接会ったことはありませんでした。パウロの二度目のコリント教会の訪問の際に、彼らとのいくらかの接触はあったかもしれませんが、この時パウロはすぐにコリントを去ってしまったので、彼らとよく知り合う機会はなかったでしょう。ですからパウロの彼らに対する知識は伝聞に基づくものです。ではなぜパウロが、それほどよく知っているわけでもない彼らのことをそこまで目の敵にしたのかといえば、そこにはいくつかの理由がありました。

注意したいのは、パウロと反目状態にあったのは、コリント教会にいた宣教師たちだけではなかったということです。小アジアのガラテヤ教会にも、パウロが「かき乱す者たち」と怒りをもって呼んだ宣教師たちがいましたし、マケドニアのピリピ教会にもパウロが「犬たち」と呼んだ宣教師たちがいました。おそらくこれらの各教会の宣教師たちは別々の人たちだと思われますが、パウロは自分が開拓したいくつかの教会に、後から自分とは考え方の異なる宣教師たちがやってきて、教会に混乱をもたらすという状況に非常に危機感を抱いていました。繰り返しますが、ガラテヤ教会やピリピ教会にやってきた宣教師たちと、今回のコリント教会にやってきた宣教師たちとは別々の人たちである可能性の方が大きいのですが、しかし彼らにはある共通点がありました。それは彼らがユダヤ人であること、あるいはユダヤ教徒であることを非常に大切にしていたということです。ガラテヤ教会でパウロに敵対する宣教師たちは、ガラテヤの異邦人信徒に割礼を受けるように勧めました。ユダヤ教にとっての割礼は、キリスト教における洗礼のような意味を持っていました。ですから割礼を受けた異邦人クリスチャンは、ユダヤ人クリスチャンになってしまうのです。私たち日本人のクリスチャンが割礼を受けるとユダヤ人クリスチャンとなる、そういうことです。したがって、ガラテヤ教会で異邦人信徒たちに割礼を受けるように勧めた宣教師たちは、彼らにイエスを信じるだけでなく、ユダヤ人になる、ユダヤ教徒になることを求めたということになります。もちろん彼らにも悪意があったわけではないでしょう。創世記には、アブラハムの子孫はみな割礼を受けなさいという教えがあるので、これらの宣教師たちも「あなたも割礼を受けてアブラハムの子孫になって、約束の祝福を受けなさい」と聖書に基づいて勧めたのでしょう。しかしそうなると、異邦人にとってクリスチャンになるということは、同時にユダヤ人にならなければならないということになります。そして異邦人クリスチャンが割礼を受けてユダヤ人になってしまうなら、教会にはユダヤ人しかいないことになってしまいます。そのような状況は、「ユダヤ人も異邦人もない教会」、ユダヤ人と異邦人との敵意の壁を打ち破ることこそ福音の真理であると信じていたパウロには到底容認できないものでした。コリント教会に来ていたユダヤ人宣教師たちは、コリント教会の人たちに割礼を促すことはしなかったようですが、しかし彼らは自分たちがユダヤ人であること、アブラハムやヤコブやダビデの子孫であることを大変誇りにしている人たちでした。彼らがコリント教会で影響力を増すと、ユダヤ人であるということが教会の中で特別なステイタスとなってしまい、パウロの目指す「異邦人もユダヤ人もない教会」というヴィジョンからは大きく後退してしまうことになります。パウロはそのような状況は何としても避けたいと思っていました。

二つ目の理由は、コリント教会の複雑な状況でした。これまで何度かお話ししたように、パウロとコリント教会との関係はこれまであまりうまくいっていませんでした。パウロの「悲しみの手紙」により、一応はその関係は修復されたかに見えたのですが、それでもパウロに不満を持つ一部の人たちが残っていました。その彼らが、エルサレム教会から来たユダヤ宣教師たちと結びついてしまったのです。これらのユダヤ人宣教師たちも、どうもパウロのことを初めから良く思っていなかったようです。ですから彼らがタッグを組むと、やっとまとまりかけてきたコリント教会が再び混乱してしまう、そうするとエルサレムへの献金プロジェクトも再び頓挫してしまうかもしれない、そういう危機感をパウロは抱いていたのです。

そして三つ目として、パウロは彼らがキリストの謙虚な生き方に倣っていないと見ていました。彼らはエルサレム教会の推薦状を持ってきて、自分たちは優れた教師だと自己宣伝し、あまつさえパウロのことを揶揄するようなこと、つまりパウロの話し方はなっていないとか、そういう批判めいたことを吹聴して、コリント教会の人々のパウロへの信頼を奪って、自分たちへの支持を集めようとしました。そんな彼らの態度は、謙虚で自己犠牲的なイエスの生き方からかけ離れているとパウロは確信しました。彼らの生き方がイエスの生き方を反映していないなら、彼らはイエスを正しくコリントの人々に伝えることに失敗している、だから彼らの福音は本当の福音ではなく、彼らの宣べ伝えるイエスは本当のイエスではない、そう確信したのです。ですからパウロは彼らのことを「サタンの手下」という、非常に厳しい言葉で非難したのです。

とはいえ、パウロの言葉はあまりにも厳しすぎるように思えます。同じ宣教師をここまで言ってしまっていいのだろうか、という思いも正直あります。しかし、パウロはそれほどまでに追い込まれていたともいえます。そういう危機的な状況を考えながら、今日のみことばを読んでいきましょう。

2.本文

では、1節から読んでいきましょう。パウロは「私の少しばかりの愚かさをこらえていただきたいと思います」と言っていますが、これは何を言っているのでしょうか。パウロは先の10章12節で、ライバル宣教師たちが彼らとパウロのことを比較していることについて「知恵のないことだ、愚かなことだ」と批判していました。しかしパウロは11章以降で、彼らの土俵に乗ることを決意します。つまり彼らが私と比較してあれこれ言うのなら、私も彼らと自分を比較してみましょう、彼らが私に対して何かを誇るなら、私も負けていないことを証明しましょう、ということです。ですから「少しばかりの愚かさ」とは、宣教師たちの愚かな挑発に乗って、彼らとの愚かな誇り合戦に参戦することです。その内容は、特に次週以降の説教箇所で詳しく取り上げます。

2節と3節では、パウロは自分のことを花嫁の父になぞらえています。では花嫁とは誰かと言えば、それはコリント教会の信徒たちのことで、花婿とはイエス・キリストのことです。パウロはコリント教会を花婿であるイエス様に嫁がせる、その父親の役目を自分は担っていると言っているのです。当時のユダヤ社会では、父親は嫁入り前の娘の、古い言い方をすれば操を守る義務がありました。もっと平たくすれば、娘に悪い虫がつかないようにする義務があったのです。ここでパウロにとっての悪い虫とは、新しい宣教師たちのことです。パウロはさらに、彼らを悪い虫どころか、エデンの園でアダムとエバを騙した蛇に譬えています。このエデンの園の蛇はサタンを象徴すると考えられますので、パウロはなんとコリントにいる宣教師たちのことを悪魔の使いのように言ったということです。ではなぜパウロは、いわば同業の宣教師たちのことをそこまで言うのかといえば、それは彼らが別のイエス、異なる御霊、異なる福音を宣べ伝えているからだ、と4節で述べています。では、ライバル宣教師たちが一体どんな「福音」を宣べ伝えていたのかといえば、その詳しい内容は分かりません。ただ、いわゆる今日のキリスト教カルト、教祖が「実は私こそ再臨のキリストなのだ」というような分かりやすい異端的な教えを述べていたのではないのは明らかです。もしそうなら、パウロははっきりとそう指摘したでしょうし、コリント教会の人も聞く耳を持たなかったでしょう。教理的には、彼らはそれほどおかしなことは教えていませんでした。むしろパウロが問題にしたのは、宣教師たちの行動がイエス様の歩みを反映していない、彼らは主イエスのように柔和で謙虚でまっすぐな歩みをしていないという点にありました。これらの宣教師たちの、自分の優秀さを喧伝するようなやり方はイエス様とはまったく異なっている、それゆえに彼らの伝えるイエスは「別のイエスだ」と断じたのです。パウロが他の宣教師たちを評価する際に、彼らの教える内容だけでなく、彼らの生き方そのものを見ていたというのは私たちにも非常の大きな示唆を与えます。人間は言っていることやっていることが一致して初めて、本物だと認められるということです。パウロはコリントの人々がそのような宣教師たちを受け入れてしまっている状況について、「あなたがたはみごとにこらえているからです」と皮肉をこめて叱責しています。

5節と6節では、パウロは自分を宣教師たちと比較して、「私は自分をあの大使徒たちに少しでも劣っているとは思いません」と言っています。先ほども言いましたが、パウロはライバル宣教師たちのことを「使徒」だとは思っていませんが、ここでは皮肉を込めて彼らを「大使徒たち」と呼んでいます。「使徒」というのは特別な地位でした。それは、イエス様の地上の生涯に最後まで付き従い、主イエスから直々に福音を宣べ伝えるように選ばれた人たちのことです。12使徒のリーダーであるシモン・ペテロがその代表格です。パウロ自身は生前のイエス様に会ったことがないので、彼が使徒かどうかというのは実は微妙な問題でした。実際、「使徒の働き」ではルカはパウロのことを使徒とは呼んでいません。しかしパウロは、自分は復活のキリストから直々に宣教のために召されたのだから、自分は間違いなく使徒なのだと主張していました。ライバル宣教師たちは、パウロはイエス様に会ったこともないのに使徒だというのだから、自分たちだって当然使徒なのだ、と主張していたのでしょう。そのことを聞いたパウロが彼らのことを皮肉交じりに「大使徒たち」と呼んだのです。パウロはその宣教師たちが自分のことを、話し方がなっていないと言っているのを知っていました。6節ではそのことを認めたうえで、「しかし知識についてはそうではない」と書いています。これは間違いなくそうだったでしょう。実際、どんな宣教師と比較しても、聖書の知識に関してパウロの右に出る者はいなかったでしょう。パウロもこんな自慢はしたくなかったのですが、いわば売られた喧嘩ということで、ライバル宣教師たちに自分は決して負けてはいないということを、ここで改めて強く主張しているのです。

7節以降では話題が変わり、パウロは難しい問題を扱っています。パウロはコリント教会から謝儀を受け取らなかったのですが、そのことが実はいろいろな問題を生み出していました。パウロがコリント教会から謝儀を受け取らない理由については、第一コリント9章でも詳しく説明していました。パウロ自身は、主イエスが福音を宣べ伝える者はその宣教の働きから生活の糧を得るべきだと命じておられたことを知っていましたが、パウロは自分はその権利を用いないのだと言っています。主の働き人としての権利を用いずに自らの手で肉体労働をすること、そうしてコリント教会に経済的な負担をかけないことがパウロの誇りであり、誰もその誇りを奪うことはできないと語っています。これ自体は立派な態度なのですが、しかしそのことがコリント教会においていくつかの問題を生じさせました。

まず第一に、パウロの後からやって来たライバル宣教師たちがコリント教会から謝儀を受け取ったことです。同じ宣教師なのに、パウロは受け取らずに彼らが謝儀を受け取るのはなぜか。それはパウロが彼らより劣っていて、謝儀を受け取る資格のない、いわば無資格の宣教師だからだ、というようなことを言う人がいたのです。そういう人たちは、パウロがエルサレム教会やアンテオケ教会などの大教会から推薦状を持ってきていなかったことを問題にしました。パウロは自分には推薦状など必要ない、私の推薦状はあなたがたコリント教会そのものなのだとこの手紙の中で書いていますが、そういう弁明をする必要があったのは、自分に対しての批判を意識してのことでした。

第二の問題はさらに厄介なもので、それはパウロが謝儀を受け取る権利を用いないと誇っていたにもかかわらず、別の教会、つまりマケドニアのピリピやテサロニケ教会からコリントでの働きを支えてもらうために献金を受け取っていたことが明らかになったことでした。パウロは、「マケドニヤから来た兄弟たちが、私の欠乏を十分に補ってくれました」と書いています。コリント教会としては、どうして自分たちの教会での牧会のために他の教会から献金を受け取るのかと、少し馬鹿にされたような気持になったかもしれません。特にパウロがピリピやテサロニケ教会と仲が良いことは良く知られていたので、パウロは私たちのことがそんなに好きではないのか、と勘繰ってしまったのかもしれません。この点については、パウロも説明に苦労したものと思われます。11節では「私があなたがたを愛していないからでしょうか」と書いていますが、それはこうした批判があることを意識してのことでしょう。

さらに第三の問題として、パウロが今熱心にエルサレム教会への献金をコリント教会に促していることもあらぬ疑いを呼び起こしてしまいました。パウロはエルサレム教会への献金と言っているが、自分の当座の活動資金をそこから調達しているのではないか、自分たちを騙しているのではないか、とつぶやく人たちが現れたのです。実際、少し先の12章16節で、パウロは「私は、悪賢くて、あなたがたからだまし取ったのだと言われます」と書いています。

このように、パウロの謝儀を受け取らないという行動は、むしろより深刻な疑念を引き起こしてしまいました。他の教会からは謝儀を受け取っているのだから、より豊かな教会であるコリント教会からも受け取ってもよいのではないかとも思われるのですが、パウロはここで、私は今後もあなたがたからは謝儀を受け取らないと宣言しています。パウロがこの点では頑なとも思える態度を取り続ける理由は、彼のライバル宣教師たちがコリント教会から謝儀を受け取っていることにありました。パウロは彼らがコリント教会から謝儀を受け取っていることについて、少し先の20節で「食い尽くされても」と非常にきつい言い方で非難しています。パウロとしては、コリント教会から謝儀を受け取ることで、彼らと同列になってしまうのは受け入れられないことだったのです。それで11節ではこう書いています。

しかし、私は、今していることを今後も、し続けるつもりです。それは、私たちと同じように誇るところがあるとみなされる機会をねらっている者たちから、その機会を断ち切ってしまうためです。

ここでパウロが何のことを言っているのか、分かりづらいですね。ここでパウロのいう「私たちと同じように誇るところがあるとみなされる機会をねらっている者たち」とは、ライバル宣教師たちのことです。自分と彼らとは同列ではない、そのことを示すために私は謝儀を受け取らない、とパウロは言っているのです。パウロは暗に、彼らの福音宣教がお金のためだということを明らかにするために、私は彼らと違って謝儀を受け取らないのだ、と言っているようにも思えます。しかし、これはどうなのかなという気も致します。イエス様も福音の働きから謝儀を受け取るのは当然のことだと言っておられるので、この点でパウロが彼らとの差別化を図ることにどれほどの意味があるのか、正直なところ疑問です。

そして13節から15節は、先ほども言いましたがパウロの手紙の中でも最もつまずきを覚える箇所です。パウロはライバルの宣教師たちのことを「にせ使徒」がとか、「人を欺く働き人」、さらには「サタンの手下」とまで呼んで酷評しています。第二コリントの註解書をいくつか読んでも、パウロが本当に他の宣教師たちのことをサタンの手下だと信じていたということはないだろう、と見ている学者がほとんどです。ここでは勢い余って、いわば言葉の綾(あや)でこういう強い言葉になってしまったのだろうということです。しかし、これらの宣教師たちは今コリント教会で牧会にあたり、教会から謝儀も受けている教師たちです。その彼らのことを、教会員全員の前で読み上げる公開書簡で「サタンの手下」と呼んだことはとんでもない騒動をもたらしたことでしょう。前任の牧師が、後任の牧師のことを皆の前で「悪魔の手下」と呼ぶようなものですから。実際、そのように信徒たちの前で名指しされた宣教師たちが怒り心頭に達したことは想像に難くありません。パウロは初代教会の宣教師チームの中ではもともと一匹狼的なところのある人でしたが、こういう手紙を書くことでますます敵を作ってしまったのもやむを得ないことだったでしょう。

私自身も、いくらパウロ先生でも同じキリスト教宣教師をここまで酷評してよいのだろうか、と思ってしまうのです。少し先の23節では、パウロもライバル宣教師たちのことを「キリストのしもべ」だと認めています。キリストのしもべを裁けるのはキリストだけであり、他のしもべではないとパウロ自身もローマ人への手紙で言っていることを思えば(ローマ14:4)、ここでのパウロの態度はいささか度が過ぎていたようにも思えます。しかし、パウロにのしかかっていたプレッシャーや危機感があまりにも大きかったので、強すぎる口調になってしまったのでしょう。

3.結論

さて、今日はパウロが他の宣教師たちを痛烈に批判するという、非常に重たい箇所を学びました。先週も言いましたが、同じ宣教師仲間に対して、ここまで攻撃的にならなくてもよいのではないかとも思います。このライバル宣教師たちも、無牧のコリント教会に来て、これまで彼らなりに一生懸命コリント教会のために働いてきたという事実はあるわけです。もちろん、ライバル宣教師たちにも非難されるべきことがあります。彼らはコリント教会を一から立て上げた、いわば創業者であるパウロに対してもっと敬意を払うべきでした。パウロに批判的なコリント教会の一部の信徒たちと結託して、反パウロ的な空気をコリント教会で作るなどということは決してやってはいけないことでした。彼らに対し、パウロが怒るのも当然です。いずれにせよ、教会の牧会者同士がいがみあって一番迷惑するのは教会の信徒たちです。コリント教会の人たちからすれば、先生方に早く仲直りしてほしい、そういう気持ちだったことでしょう。

どんな教会も、ある程度の歴史があれば、かならず牧会者の交代があります。新しく来る先生が、前の先生のやり方をそのまま受け継いだり、前の先生とよく似たタイプの先生が来ることもあるでしょうが、牧師というのは結構皆さん個性的なので、新しい先生が前の先生とは正反対の人で、牧会の仕方もがらりと変わる、ということもあり得ることです。むしろそういうケースの方が多いように思えます。そういう時には信徒の側にも戸惑いがあるでしょう。今までの私たちの教会が変わってしまうと反発を感じることもあるかもしれません。しかし、私たちの教会は本当に私たちのものなのでしょうか。私たちはしばしば「私の教会」という言い方をします。それは教会への深い愛着を示すもので、決して悪いことではないのですが、しかし忘れてはならないのは、教会は何よりも「主の教会」であるということです。私たちは教会のためにいろんな奉仕をしたり、献金をしたりして、教会を支えています。ですからどこかで「教会は私のもの」という気持ちが生まれます。しかしそれでも、究極的には教会は神のもの、主のものであるのです。そのことを忘れなければ、教会の中での争いの少なくともいくつかは避けることができるでしょう。私たちがどれほど教会のために多くのものを献げてきても、教会は決して私たちのものにはならないというのも真理なのです。教会のすべては主のものなのです。

そして私たちの教会が主の教会であるというのは、大変大きな励ましになります。私たちは自分たちの教会を支えなくては、という思いを持っていて、その思いはもちろん貴いですが、しかし究極的にこの教会を支える責任を担っておられるのは主ご自身なのです。ですから、私たちは困難な時期においてさえ教会の未来を信じられるのです。そのことに感謝したいと思います。お祈りします。

イエス・キリストの父なる神様。今日は使徒パウロが、ライバルの宣教師たちとコリント教会の人々の信頼をめぐって激しく争っている箇所を読んで参りました。そして教会は誰のものなのか、という問題も考えさせられました。私たちもまた、この教会は自分たちのものではなく、主からお預かりしているものだということを忘れずに歩むことができますように。またこの教会はあなたの教会ですので、どうか当教会を益々祝福してください。われらの救い主、イエス・キリストの聖名によって祈ります。アーメン

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パウロの戦い第二コリント10章1~18節 https://domei-nakahara.com/2022/02/27/%e3%83%91%e3%82%a6%e3%83%ad%e3%81%ae%e6%88%a6%e3%81%84%e7%ac%ac%e4%ba%8c%e3%82%b3%e3%83%aa%e3%83%b3%e3%83%8810%e7%ab%a01%ef%bd%9e18%e7%af%80/ Sun, 27 Feb 2022 04:18:00 +0000 https://domei-nakahara.com/?p=2578 "パウロの戦い
第二コリント10章1~18節" の
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1.導入

みなさま、おはようございます。今日の説教タイトルは「パウロの戦い」となっています。「戦い」とは穏やかではない、と思われるかもしれませんが、聖書にしばしばみられるように、パウロはここで戦争のイメージを用いています。実際パウロは、4節では「戦いの武器」という言い方をしています。ではパウロはどんな戦いをしているのかといえば、その戦いには二重の意味合いがあります。一つはコリント教会に今やしっかりと根付いてしまったパウロの反対者たちとの戦いです。コリント教会にはもちろんパウロを支持する多くの信徒たちがいましたが、パウロに敵対的な一部の信徒たちのグループがあり、彼らはエルサレムから来た新しい宣教団とタッグを組んで、パウロに批判的な勢力を形成していました。

そしてもう一つの戦いとは、パウロがどの程度まで自覚していたかは分かりませんが、それは自分自身との戦いでした。パウロの、例えばガラテヤ教会への手紙をよく読んだ方はお気づきかもしれませんが、パウロの性格には激情的なところがあり、ついかっとなりやすいところがありました。また、自分に反対する人に対して過剰に防衛的になるというか、徹底的にやりこめてしまうような怖さ、激しさを持っていました。彼の書簡のところどころからそういった彼の激しい気性が感じ取れます。しかし、同時にパウロはそういった自分の性格を直そうと努力していたのも感じられます。特に今日の箇所を読んでいて、私にはそのように思われました。パウロはコリント教会で自分に反対する人々に強い憤りを覚えつつ、それをストレートにぶつけずにむしろ抑えようとしていました。なぜそのような努力をしたのかと言えば、パウロはイエス様を見倣っていたからです。自分の激しい気性をコントロールし、イエス様の優しく柔和な性格に少しでも近づけようと努力していた、ということです。こう考えると、パウロのことが少し身近に感じられるかもしれません。私たちも自分の性格を変えたいと思っても、なかなか変えられないものですが、パウロも案外同じような苦労をしていたのではないかということです。

さて、パウロがこのような二重の戦いをしていた背景には、コリント教会との難しい関係がありました。ありていに言えば、コリント教会はパウロをカリカリさせていました。パウロについて、彼らがあることないことを言っていることが風の噂で伝わってきて、それが彼を不安にさせたり、怒らせたり、がっかりさせました。その彼らに対し、パウロは厳しい態度で臨みたかったでしょうが、しかしあまりにも上から目線で叱りつけるのは、イエス様に倣うことにはならないとも思っていました。いくら愛の鞭だとパウロが思っても、相手がそう思ってくれなければ、キリストの愛を彼らに伝えるというパウロの目的は失敗してしまうのです。

ここで、パウロとコリント教会との愛憎の歴史をもう一度振り返りましょう。今まで何度かこの話はしていますが、しかしこの10章をよく理解するためには、コリント教会とのこれまでの経緯をしっかり頭に入れておく必要があるからです。パウロは紀元50年から1年半かけて、ギリシアのアカヤ州の大都市コリントで開拓伝道をしていました。その後、教会が軌道に乗ったと考えてパウロはコリントを去ります。無牧となったコリント教会には他の宣教師が来ますが、その中には弁舌さわやかなアポロもいました。アポロは決してパウロと対立していたわけではありませんでしたが、しかしパウロとは教え方やスタイルがかなり異なっていたのは間違いないでしょう。彼はエジプトのアレクサンドリア出身ですが、アレクサンドリアは知恵文学で有名な都市だったので、アポロの教えにはパウロにはない知恵文学の香りがありました。コリントの一部の信徒たちは、「私はパウロ先生よりアポロ先生の教えの方が良い」と言い出す人も出る始末です。こうしてコリント教会の中にはいくつかのグループというか、派閥が出来上がってしまいました。そのほかにも、コリント教会には様々な難しい問題が生じていたので、パウロは54年ごろにそうした問題を解決すべく、「第一コリント書簡」をしたためます。私たちもかなり時間をかけてこの書簡を学びました。この手紙で、パウロはかなり率直にコリント教会の信徒を叱責しました。たとえばこんな言葉がありました。「私はあなたがたに乳を与えて、堅い食物を与えませんでした。あなたがたには、無理だったからです。実は、今でもまだ無理なのです」(3:2)。コリント教会の一部の人からすれば、あなたはまだよちよち歩きの赤ん坊に過ぎないとみんなの前で言われるのと同じですから、自分はパウロ先生からみんなの前で辱めを受けた、と感じた人もいたのです。確かに今の教会でも、牧師から「あなたは信仰的に赤ちゃんですね」などと面と向かって言われれば、傷つきますよね。朗読されるパウロの手紙を皆と一緒に聞いていて、「ああ、パウロ先生は私のことを書いているんだ」と思ったコリント教会の信徒は、もしかするとパウロを恨んでしまったかもしれません。当時のローマ社会は何よりも名誉を重んじたので、人前で恥をかかされることを一番嫌ったからです。果たして、パウロの名代としてこの第一コリント書簡をコリント教会に届けたテモテは、一部の信徒から猛反発を受けました。いたたまれなくなったテモテは、逃げ帰るようにしてパウロの待つエペソに戻ります。それでパウロは、では今度は自分が行かざるを得ないと思い、急いでコリントに向かいます。これがパウロの二度目のコリント訪問です。しかし、前の説教でも話しましたが、この訪問は悲惨な結果になりました。一部の信徒は、皆の前でパウロに対して暴言を吐き、パウロもこれには耐えきれずにすぐにコリントから立ち去ってしまったのです。おそらく、パウロに暴言を吐いた信徒の背後には、新しい宣教師たち、パウロをあまりよく思っていないユダヤ人宣教師たちの存在があったものと思われます。エペソに戻ったパウロは、「悲しみの手紙」と呼ばれる、今では現存していない手紙を今度はテトスに託し、コリント教会に猛省を促します。パウロの剣幕にびっくりしたコリント教会の人たちは、パウロに暴言を吐いた人を処罰します。その知らせを聞いたパウロは、これでコリント教会との和解が成ったと考え、これまで中断していたエルサレム教会への献金を再開するようにとコリント教会に強く促します。それが9章までの内容でした。

そして今日の10章です。これまでにも何度か申し上げましたが、第二コリントは一通の手紙ではなく、パウロがコリント教会に送った何通かの手紙を一つにまとめたものだと思われます。そしてかなりの数の学者は、10章から13章は、9章までとは別の独立した手紙、しかも第二コリントに含まれる何通かの手紙の中でも最後に書かれた手紙だろうと推測しています。私もその可能性が高いと考えています。それはなぜかと言えば、これまでの9章までは、パウロはコリント教会との和解を成し遂げて、前向きな話、つまりエルサレム教会への献金を呼びかけていました。しかし、10章以降では、その和解がまたもや暗礁に乗り上げてしまい、コリント教会の中では新しくエルサレムから来た宣教師たちの存在感が日に日に増大していったことが読み取れます。しかも新しい宣教師たちはパウロに対して良い感情を持っていなかったのです。この状況を知ったパウロは、必死にライバルの宣教師たちからコリント教会の人々の心を取り戻そうとしている、その涙ぐましいまでの熱意が伝わってくるのが10章から13章までなのです。そしてこのような必死さは、9章までの箇所には見られなかったものです。ですから今日以降の説教では、10章から13章までを独立した一つの手紙であるという前提で読んで参ります。

2.本文

パウロは10章の冒頭で、「私パウロは、キリストの柔和と寛容をもって、あなたがたにお勧めします。」パウロはこれから、かなり強い調子でコリントの人たちに手紙で呼びかけます。すなわち、今コリントに滞在している別の宣教師たちの言うことを聞いてはいけない、彼らになびいてはいけない、というような内容です。パウロは彼らのことを「サタンの手下」とまで呼んで非難しますが、しかしパウロは同時に、この手紙がますますコリント教会の人たちの心を自分から離れさせることにはならないか、という心配も抱えています。実際、過去の手紙では厳しい叱責が逆効果だったこともあるからです。そのために、自分自身に言い聞かせるように「キリストの柔和と寛容をもって」と前置きし、高圧的にならないように、キリストのやさしさに倣って、あなたがたに呼びかけます、と言っているのです。

次いでパウロは「私は、あなたがたの間にいて、面とむかっているときはおとなしく、離れているとあなたがたには強気な者です」と書いていますが、これはパウロが自分自身をこのように理解しているという意味ではもちろんなくて、私を批判する人たちは、私のことをこう評しているそうですね、と皮肉を込めて書いているのです。10節にもあるように、コリントの一部の人たちは、パウロは手紙では迫力満点で厳しいことをバシバシ書くけれど、直接会うとビビってしまって何も言えなくなる、などと揶揄する人たちがいたのです。パウロはこれから三度目のコリント訪問をすることを考えているので、今度会った時には私がおとなしいなどと考えない方が良い、ということをほのめかします。それで、あなた方に対して「強気でふるまうことがなくて済むように願っています」と書いたのです。逆に言えば、必要とあらば私は強気に振舞います、と宣言しているのです。

パウロはここで、「肉に従って」とか、「肉にあって」というように、「肉」という言葉を何度も使っています。パウロのボキャブラリーでは、「肉」という言葉はあまりいい意味では使われません。「肉に従って歩む」というのは、この世的な価値観やこの世的な欲望に従って歩んでいるということなので、パウロのことを「肉に従って歩んでいる」という人たちは、パウロのことを俗物だと批判しているということになります。しかしパウロは、自分はそのような者ではないと強く主張します。「私たちの戦いの武器は、肉のものではない」とパウロは言います。パウロは自分たちがこの世的には価値があると思われていること、雄弁であること、かっこいいことやスマートさなど、この世的な価値基準に照らして優れたものを用いて宣教という戦場に立つのではなく、むしろ十字架の愚かさ、十字架の弱さによって宣教を推進しているのだ、と言っているのです。弱さ、惨めさ、辱めの象徴であるローマ帝国の処刑方法である十字架が、実は神の力であり、神に対するあらゆる高ぶりを打ち砕く神の武器なのだ、というパウロ神学の真骨頂ともいえる逆説的な議論を展開しているのが4節から5節です。当時のギリシアでは、議論において人を屈服させるのは議論の巧みさや知識の豊富さでしたが、パウロは愚直に十字架の福音一本やりで勝負しました。そしてその愚直さが、あらゆる人間的な知恵や考えをキリストに屈服させるのだ、といいます。実際にはパウロも非常に高度な議論を展開する、大変頭の良い人なのですが、しかし同時にパウロは、自分の究極の武器は十字架の愚かさなのだ、と繰り返し語っています。

これは私たちの宣教にもヒントを与えてくれるでしょう。キリスト教には護教学といって、キリスト教の正しさを理路整然と論証する学問があります。こういう学問も確かに大切ではありますが、しかし本当に人の心を打つのは議論の巧みさではなく、人のために自分の命さえ投げ打つキリストの愛なのです。そして私たちがこのキリストの愛に倣う時、私たちの宣教は本当に力強いものとなります。

さて、パウロの言葉に戻ると、6節では「また、あなたがたの従順が完全になるとき、あらゆる不従順を罰する用意ができているのです」と書いています。かなり怖いことばですね。パウロがここで念頭に置いているのは、コリント教会の中でパウロに反抗している一部の信徒と、彼らと連携しているユダヤ人宣教師たちのことです。コリント教会の大多数がパウロに完全に従う状態になったら、これらの反抗的で不従順な一部の人々を厳しく処罰する、おそらく破門する、とパウロは言っているのです。ここまで厳しくやらなければならないのか、とびっくりされるかもしれません。しかし、パウロの性格を考えると、こういうことになるのだろうな、という気もします。パウロは妥協をしない人です。ユダヤ人宣教師たちは、パウロにとってはコリント教会における異分子です。彼らをどうしても排除しなければならないというパウロの強い決意をここでは感じます。この宣教師たちは何者で、なぜパウロがこれほど彼らを敵視しているのかについては、次週詳しくお話ししたいと思います。

パウロのライバル宣教師たちへの姿勢については、いろいろと考えさせられます。キリスト教の歴史、特にプロテスタントの歴史を振り返ると、立場の違いについては妥協をせず分裂を繰り返してきたという経緯があります。自分たちの教えの純粋さを守るためには異分子を排除する、分裂もやむを得ないという立場です。しかし、そうではなく、違いを認め合ってなるべく協力し合おうという流れもプロテスタントにはあり、私たちの教団もそういう姿勢を大事にしています。ですから、ここでのパウロの峻厳なアプローチは、時と場合によっては必要な場合もあるかもしれませんが、しかし必ずいつもどこでも正しいというものでもありません。そこには慎重な判断が必要だということも申し添える必要があります。

7節で、パウロは「あなたがたは、うわべのことだけを見ています」と書いています。これはコリント教会の一部の人たちが、パウロの外見や、弱弱しい話し方などを批判しているのを意識してのことだと思われます。パウロは自分を批判する人に対し、「あなただけでなく、私パウロもキリストに属していることを忘れないでほしい」と訴えます。ここまでパウロに言わせるとは、ちょっと驚きですね。しかし、パウロに自分がキリストの使徒だと改めて強調させなければならないほど、コリントの一部の人々の心はパウロから離れてしまっていたのです。

9節では、パウロも自分の口調が厳しくなっているのを意識してでしょうか、「私は手紙であなたがたをおどしているかのように見られたくありません」と書いています。手紙というのは、直接会うのとは違って、真意がうまく伝わらない場合があります。この一言に、パウロがそういう事態を心配していることが見て取れます。どうか私の意図を誤解しないでほしいと、パウロは訴えているのです。

次いでパウロは、自分に対するコリント教会の人々の揶揄をそのまま書いています。「パウロの手紙は重みがあって力強いが、実際に会った場合の彼は弱弱しく、その話しぶりは、なっていない。」パウロがこの批判を非常に気にしていたのはよく分かります。実際、彼の後にコリントに来たアポロのような人と比べると、パウロはお世辞にも話し上手とは言えませんでした。しかし、会ってみると弱弱しいという評価については、パウロは断固拒否しています。パウロは今度自分が三度目にコリントに行くときは、今までのようではない、面と向かって厳しい態度を取ることもいとわない、と11節では書いています。それだけパウロは次のコリント訪問に並々ならぬ決意を抱いていたのです。たとえ二度目の訪問の時のように、コリント教会の人たちがパウロに失礼な態度を取ったとしても、今度は決して逃げ帰るような真似はしないという決意が伝わってきます。

さて、最後の12節から18節ですが、ここではパウロは明らかにライバルの宣教師たちのことを意識して書いています。「自己推薦しているような人たち」というのは、パウロがコリントを離れてから数年後、エルサレム教会からの推薦状を携えてコリントに来たユダヤ人宣教師たちのことです。彼らはコリント教会の人たちに、自分たちがパウロと比べても優れた教師であることをアピールし、そして実際に、少なくともいくらかのコリント教会の人たちは彼らの言うことを受け入れました。しかしパウロは、私は自分を彼らと比較したいとは思わないし、そんなことは愚かなことだと言います。13節で「私たちは、限度を超えて誇りはしません」とありますが、ここでいう「限度」とは何のことでしょうか。パウロがここでいう「限度」というのは「境界線」と言い換えてもよいです。では何の境界線かといえば、それはパウロが最初に伝道した地域、その範囲のことです。パウロは、自分が誇っていいのは自分が最初に福音を伝えた地域だけだ、と言っているのです。パウロはテサロニケやピリピ、コリントでいち早く開拓伝道に励み、そこで教会を立ち上げました。パウロは自分が誇れるのは、そういう自分が最初に開拓した教会だけだと言っています。そこには、自分が立ち上げた教会に後からやって来て、引っ掻き回しているユダヤ人宣教師たちへの批判が込められています。彼らは自分たちがコリント教会で立派に牧会をしていると誇っているが、彼らにはそんな資格はない、なぜならコリント教会を開拓したのは彼らではなく自分だからだ、という自負があるのです。それでパウロは16節で、「決して他の人の領域でなされた働きを誇るためではないのです」と言っていますが、ここでの「他の人の領域」とは「パウロの領域」のことです。彼らはパウロの領域に土足で上がり込んだ闖入者に過ぎない、というパウロの強烈な自負があります。パウロは、自分こそ主に推薦されたものであり、他の宣教師たちは自分で自分を推薦しているにすぎないと断じています。

3.結論

さて、今日はパウロがコリント教会の人々をめぐって他の宣教師たちと激しいつばぜり合いをしているところを学びました。この箇所は、正直なところ読んでいて気持ちの良い箇所ではありません。パウロの言っていることも、理解はできますが、胸にすっと入ってこないようなところもあります。なにか宣教師同士のいさかいの内幕を見させられているような気持ちになってしまうのです。パウロが他の宣教師たちに、どうしてそこまで厳しく当たるのか、同じ宣教師同士、もう少し仲良くできなかったのか、という気もします。しかし次週で学ぶように、パウロには後には引けない事情がありました。それでも、和を以て貴しとなすという伝統のある日本では、パウロのやり方はあまり真似をしないほうがよいようにも思います。

私たちの教会も、他のどんな教会も、一人だけの宣教師や牧師によって建てられたものはありません。多くの働き人の働きの結果が、今の教会なのです。その教師たちは一人一人みな違っています。教え方、牧会のスタイルや、神学そのものもかなり幅があると思います。しかし、そうした違いは教会にとって決して悪いものではなく、むしろ大きな恵みともなり得ます。違いを分裂の原因とするか、あるいは多様性の源とするのか、そのどちらを選ぶのかということをコリント教会の歴史から問われている気がします。簡単に結論が出ることではありませんが、パウロの経験を真剣に考えることで私たちにも得るものが必ずあります。次回の説教箇所は今日よりもさらに激しい内容を含みますが、そのみことばにも真摯に向き合いたいと思います。お祈りします。

天の父なる神様。今日は使徒パウロの赤裸々とも言えるような思いをつづった激しい内容の手紙を読んで、いろいろと考えさせられました。動揺すら覚えました。しかし、このパウロの経験から私たちも多くのことを学ぶことができます。このような出来事の記録を私たちに届けてくださった神に感謝し、私たちの教会形成に生かすことができますように。われらの救い主、イエス・キリストの聖名によって祈ります。アーメン

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エルサレム教会への献金(2)第二コリント9章1~15節 https://domei-nakahara.com/2022/02/06/%e3%82%a8%e3%83%ab%e3%82%b5%e3%83%ac%e3%83%a0%e6%95%99%e4%bc%9a%e3%81%b8%e3%81%ae%e7%8c%ae%e9%87%91%ef%bc%882%ef%bc%89%e7%ac%ac%e4%ba%8c%e3%82%b3%e3%83%aa%e3%83%b3%e3%83%889%e7%ab%a01%ef%bd%9e15/ Sun, 06 Feb 2022 05:33:00 +0000 https://domei-nakahara.com/?p=2508 "エルサレム教会への献金(2)
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1.導入

みなさま、おはようございます。今日の説教は、先週に続いてエルサレム教会への支援募金、支援献金のお話です。前回と今回の箇所は、第二コリントでは8章と9章に分かれていますが、内容的は同じか、同じとまではいかなくてもかなり重複していると感じられたかもしれません。ではなぜパウロは同じような話を繰り返しているのでしょうか。この疑問についてパウロ書簡を研究している学者の間では、8章と9章はもともと別々の手紙で、その二つの手紙がこの第二コリント書簡に並んで収録されたのだとする説が有力です。私自身は、その説に100パーセント合意しているわけではありませんが、あり得ることだと思います。例えば私たちの例で考えても、東日本大震災で被災した教会への支援募金を訴える場合、アピール文は一回だけでなく、二回・三回と繰り返されます。パウロも、前回にもお話ししたようにエルサレム教会への献金に、それこそ命を懸けて取り組んでいたので、同じような趣旨の手紙を二回コリント教会に送るというのは十分考えられるからです。また、8章と9章の内容は似て非なるものなので、それぞれじっくり読むに値します。こういう言い方は変かもしれませんが、みことばの有名度合いという点では、この9章の方が私たちにはなじみ深いものだと思います。私たちが使っている同盟教団所定の月定献金袋に書かれているみことばも、この9章から取られたものです。

さて、先ほど東日本大震災の話をしましたが、当時のエルサレム教会も、ある意味で被災地の教会に比べられるほどの苦境にありました。エルサレムが大地震に見舞われたということではもちろんありません。しかし、当時非常に深刻な飢饉が繰り返し起きていたのも確かです。ですからエルサレムの民衆は、お金持ちの大祭司たちを除けばみな生活が苦しかったのです。その中でも、イエスを信じるユダヤ人たちはユダヤの相互扶助ネットワークからのけ者にされていたので、周囲の人たちから支援を受けられず、一層苦しい立場にいました。エルサレム教会の苦境を伝え聞いたパウロは、なんとか飢饉に苦しむエルサレム教会を助けたいという思いがありました。また、パウロは自分にはその義務があることを自覚していました。ガラテヤ書2章によれば、パウロはペテロやヤコブのようなエルサレム教会の重鎮たちとの間である取り決めをしています。パウロは異邦人信徒には割礼を受けさせないという方針で伝道していましたが、それに反対する宣教師たちもいました。ヤコブやペテロらのエルサレム教会のリーダーはその問題について、パウロの立場を認める裁定を下しています。パウロは、いわばその見返りとして次の約束をしたと書かれています。ガラテヤ書2章10節です。

ただ私たちが貧しい人たちをいつも顧みるようにとのことでしたが、そのことなら私も大いに努めて来たちところです。

ここでパウロが「貧しい人たち」と言っているのは一般的な意味での貧しい人のことではありません。むしろ、エルサレム教会の貧しいクリスチャンのことです。ですから分かりやすく言えば、パウロはペテロたちに、律法を軽視して伝道しているという評判が立っていたパウロに不満を持つ他の保守的な教会の指導者たちを押さえてもらう見返りとして、エルサレムの貧しい信徒たちを助けるという約束をしていたのです。パウロはどうしてもこの約束を果たしたいと思っていました。ですからパウロは何度でも、コリントの異邦人信徒たちに献金・募金のアピールをしたのです。

2.本文

さて、では9章を見ていきましょう。1節にはこうあります。

聖徒たちのためのこの奉仕については、いまさら、あなたがたに書き送る必要はないでしょう。

ここでの「聖徒たち」というのは、エルサレム教会の人々のことです。もっとも、パウロはコリント教会の人たちのことも「聖徒たち」と呼んでいますから、エルサレム教会を特別に「聖徒」と呼んでいるわけではありません。つまりこれは聖徒同士の助け合いだということです。ここでパウロは、エルサレム教会の聖徒たちのための献金とは言わずに、奉仕だと言っています。「奉仕」という言葉はディアコニアというギリシア語で、宣教という意味合いもあります。実際、12使徒の働きを表すためにもこの言葉が用いられています(使徒1:25)。ですからパウロは、このエルサレム教会への献金が、人々にキリストを宣べ伝える伝道と同じ性質のものである、非常に大切なものだとみなしていたのです。パウロは、「いまさら、あなたがたに書き送る必要はないでしょう」と言いながらも、それでも実際はこの件について熱心に書いています。いまさら書く送る必要がなかったのだけれども、今やそうする必要が生じてしまったのです。それはなぜかと言えば、コリント教会の人たちはこのエルサレムへの献金を集めるのを中断してしまっていたからでした。コリントの人たちは、昨年ごろから熱心にエルサレム教会のための募金活動をしていました。パウロは次の2節で、こう書いています。

私はあなたがたの熱意を知り、それについて、あなたがたのことをマケドニヤの人々に誇って、アカヤでは昨年から準備が進められていると言ったのです。

アカヤとはギリシアの州の名前で、コリントはそのアカヤの首都でした。ですから、アカヤというのはコリント教会です。コリント教会は他の教会に先駆けて、エルサレムへの献金集めに着手していました。さて、先週お話ししたように、パウロはこの第二コリントの手紙でコリント教会の人たちに、マケドニア地方の教会、ピリピやテサロニケ教会の信徒たちはエルサレムのためにすごく頑張って献金している、だからあなた方も彼らを見倣って献金しなさい、とハッパをかけていたことを学びました。しかしパウロは、実はマケドニア教会の人たちに対しても以前同じことをしていたのです。パウロはピリピやテサロニケの人たちに対し、アカヤ地方の州都であるコリント教会では、昨年から熱心にエルサレムへの献金プロジェクトが進められている、だからあなたがたも負けずに頑張ってほしいとアピールしていたのです。マケドニアではコリント教会のことを褒めて、他方でコリントではマケドニア教会のことを持ち上げていたということになります。パウロは双方を競わせていたのではないか、そうやって献金集めを盛り上げようとしたのではないかと勘繰りたくなるかもしれません。別にパウロに悪気はなかったと信じますが、ただ物事をありのままに見れば、少なくとも結果としてパウロはこれらの教会を競わせていたことになると思います。私としては、正直、他の教会と自分が仕えている教会を比較したり、競わせたりしたくはありません。ですから、パウロのこのやり方は反面教師として受け止めています。

繰り返しになりますが、パウロはピリピやテサロニケ教会に対して、コリント教会のことを盛んにほめて、彼らもエルサレム教会に参加するように促したということがありました。しかし、そのコリント教会がパウロとの感情的なもつれから、パウロにはもう協力できないと、この献金プロジェクトを中止してしまいました。そうすると、マケドニア教会の人に対してコリントを盛んにほめていたパウロの面目も、そしてコリント教会そのものの面目も潰れてしまう、そうならないために、なんとしてもコリントでは献金プロジェクトが再開してもらわないと困る、そうパウロは焦っていたことでしょう。そして、「悲しみの手紙」の説教でお話ししたように、テトスの活躍もあって、パウロとコリント教会との関係は一旦は落ち着きました。それで、先週もお話しした通りに、パウロは再度テトスを献金集めのためにコリントに遣わし、彼の同行者としてマケドニア教会の信徒二人もこれからコリント教会に派遣しようとしています。そういう背景で書かれているのが3節、4節です。お読みします。

私が兄弟たちを送ることにしたのは、この場合、私たちがあなたがたについて誇ったことがむだにならず、私が言っていたとおりに準備していてもらうためです。そうでないと、もしマケドニヤの人が私といっしょに行って、準備ができていないのを見たら、あなたがたはもちろんですが、私たちも、このことを確信していただけに、恥をかくことになるでしょう。

当時のギリシア・ローマ社会は何よりも名誉を重んじ、恥を嫌う文化でした。パウロはマケドニア教会の人たちに、コリント教会は素晴らしい、熱心に献金していると盛んに自慢していました。しかし、では実際にコリントに行って見たら、全然献金が集まっていなかったということになってしまうと、マケドニア教会に対するコリント教会の面目丸つぶれです。コリント教会だけでなく、パウロたち宣教チームも恥をかきます。コリント教会の人たちも、パウロにこう言われてしまったら、必死で献金を集めるほかなくなるでしょう。しかし、後ほどパウロとコリント教会の関係が悪化するという事実から見れば、パウロのこのやり方は少なくとも一部のコリント教会の人たちから好意的には見られなかったものと思われます。

このように、パウロのやり方、募金のアピールの仕方そのものにはいくらか疑問が残るものの、しかし逆に言えば、それほどパウロはこの献金について真剣だったとも言えるでしょう。5節ではこの献金について「贈り物」と訳されていますが、これは直訳すれば「祝福」という言葉です。でも、献金が祝福だ、というのはどういう意味なのでしょうか。聖書では、祝福という言葉の主語は、基本的に神です。人に祝福を与えるのは神だからです。ですから、コリント教会がエルサレム教会に祝福を与える、というのは基本的にはありません。パウロもそういう意図で、「祝福」という言葉を用いたのではないように思います。むしろ、神はコリント教会を通じてエルサレム教会を祝福しようとしている、という意味ではないかと思います。さらに言えば、コリントはこのように神の祝福のご用のために用いられることで、彼ら自身も神から祝福されるだろうと、そういうニュアンスも含まれているように思われます。コリント教会がこの献金を神の祝福としてエルサレムに送ることは、巡り巡って彼らへの神の祝福となるだろうとパウロは言っているということです。

さて、次の6節以降ですが、私はここを読んでいると、私の祖母、おばあちゃんの話していたことを思い出します。祖母は、たらいの中の水を自分の方に持ってこようとするとかえって水は遠ざかってしまい、反対に水を自分の方から外に押し出すようにすると水は自分の方にたくさん戻って来る、とよく話していました。その話のポイントとは、自分の持ち物を自分のものだと独り占めしてため込もうとすると、かえってそれは減ってしまい、むしろ他の人に気前よく与えた方が結局は自分の所にもっと多くのものが返ってくる、それを教えようとしたのでした。祖母は熱心な仏教徒でしたが、立派な人で、本当に気前の良い人でした。パウロも6節で、祖母と同じことを言っています。

少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。

献金というのは、自分の持ち物を手放すことであるように思えるかもしれません。しかし、私たちが自分のものだと思っているものはすべて神から頂いたもの、もっと言えば神から預かっているものです。それを献金したり、あるいは困った人に与えたりすることは、神のものを神に返すことでもあります。しかも神はその返されたものを、もっと大きな祝福としてあなたに再び与えてくださる、そうパウロは言っているのです。また神は、与えたいと願う人に、そうするために必要なものをあらかじめ与えてくださると、そうパウロは言っています。

パウロは9節で、今日交読文で読んだ詩篇112篇9節から引用しています。ただ、パウロはギリシア語訳旧約聖書から引用しているので、私たちが使っているヘブル語から訳した旧約聖書とは少し違っています。ヘブル語からの訳の方は、

彼は貧しい人に惜しみなく分け与えた。彼の義は永遠に堅く立つ。

となっています。とってもよいみことばですね。あとで詩篇112篇を、その前の詩篇111篇と続けて読んで下されば分かりますが、詩篇111篇では神が人々に必要な物を与え、112篇では神を恐れる人が人々に必要な物を与える、そういう流れになっています。ですから、貧しい人に惜しみなく与える人というのは、神のなさっていることに倣っているのです。それが聖書のいう救い、つまり私たち罪ある人間が、人間本来の姿、神の似姿、神のイメージを取り戻すということなのです。神が憐み深いように、私たちも憐み深くなる、これこそが聖書の提示する私たちのあるべき姿なのです。そして、繰り返しますが、神は与えようとする人に、あらかじめ与えるべきものを備えてくださいます。10節の、「蒔く人に種と食べるパンを備えてくださる方」とは、もちろん神様のことなのです。神様は与える人に、与えるものの種となるものと、また与える人自身が必要とするパンを備えてくださるのです。

11節以降では、このエルサレム教会のための献金が、神への感謝と賛美を生み出すことになる、ということが語られています。みなさんも、エルサレム教会の人たちの立場に立って考えてみてください。皆さんもよく分かると思いますが、皆さんが一生懸命必要な物を神様に願っていて、その願っていたものがある日ついに届けられたとき、もちろん届けてくださった人、送ってくれた人に感謝しますが、それにもまして、神様に感謝をするでしょう。そのすべての背後に神の業があるからです。ですから、貧困に苦しむエルサレム教会の人たちに、異邦人教会からまとまった額の献金が届けられたとき、彼らはまっさきに神に感謝をささげることでしょう。そしてもちろん、エルサレム教会の人たちは、まだ会ったこともないギリシアや小アジアの、同じくキリストを信じる信徒たちが自分たちのためにしてくれたことを心から感謝するでしょう。そのことが13節に書かれています。

このわざの証拠として、彼らは、あなたがたがキリストの福音の告白に対して従順であり、彼らに、またすべての人々に惜しみなく与えていることを知って、神をあがめることでしょう。

エルサレム教会の人々は、この献金を通じてコリント教会が「キリストの福音の告白」に従順であることを知るようになる、こうパウロは記しています。これは大切なことを言っています。例えば、夫婦の間で夫が妻に「愛しているよ」と口で言っても、そのことが少しも行動に反映されていなければ、その愛を疑うでしょう。同じように、口で「神様、あなたを信じます、愛します」といくら告白しても、行動が伴わなければその告白が本心から出たものかを疑うでしょう。しかし、神の御心に添ったエルサレム教会への献金は、コリント教会の信仰告白が本物であることを証明したのです。そしてそれは、エルサレム教会のユダヤ人たちに、異邦人たちへの従来の見方を改めさせることにもなるでしょう。イエス様が来られるまでは、異邦人は真の神を知らぬ偶像礼拝者でした。その異邦人が、今やパウロたちの伝道によって真の神を知るようになり、旧約の時代を通じて神の唯一の民であったユダヤ人を助けるまでになったのです。神の祝福が、いよいよユダヤ人の垣根を越えて全世界に及ぶ時代が到来した、そのことによってユダヤ人たちはますます神をあがめるようになる、これがパウロの言おうとしていることです。こうして、パウロの宣教の目的である「ユダヤ人も異邦人もない」教会、ユダヤ人と異邦人の和解の証しである教会が立て上げられます。そのような偉大なプロジェクトに参加できること自体が、コリントの人たちにとって大きな恵みだったのです。

3.結論

まとめになります。先週、今週と2回にわたってエルサレム教会への献金を訴えるパウロのことばを学んできました。エルサレム教会への献金にはいろいろな意味がありました。それは、神の民の共同体の中に平等を実現するためのものであり、また与えることを通じてさらに豊かになる、そういう機会でもあります。主イエスも、「受けるよりも与えるほうが幸いである」(使徒20:35)と言われましたが、コリント教会はこの献金活動を通じてさらに霊的に豊かになることができました。そして忘れてはならないのが、この献金がユダヤ人と異邦人の和解のしるし、「ユダヤ人も異邦人もない」教会のしるしであったということです。 

私たちもまた、世界に広がる神の共同体の一員として、他の教会から助けられたり、あるいは他の教会を助けたりしてきました。私たちの助け合いが、人種を超えた真にユニバーサルな教会を立て上げることにつながりますし、それはひいては世界の平和づくりにも貢献するでしょう。そのような願いと自覚を持って、今後も歩んで参りましょう。お祈りします。

ユダヤ人も異邦人もない教会を今も立て上げておられる神様、そのお名前を賛美いたします。二回にわたって、エルサレム教会への献金について学びました。そのことから、私たちが日常的に行っている献金の意味を改めて考えさせられました。私たちも奉仕や献金を通じて、ユニバーサルな教会の建設に少しでも貢献できるように、強め、また必要な物をお与えください。われらの救い主イエス・キリストの聖名によって祈ります。アーメン

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エルサレム教会への献金(1)第二コリント8章1~24節 https://domei-nakahara.com/2022/01/30/%e3%82%a8%e3%83%ab%e3%82%b5%e3%83%ac%e3%83%a0%e6%95%99%e4%bc%9a%e3%81%b8%e3%81%ae%e7%8c%ae%e9%87%91%ef%bc%88%ef%bc%91%ef%bc%89%e7%ac%ac%e4%ba%8c%e3%82%b3%e3%83%aa%e3%83%b3%e3%83%888%e7%ab%a01%ef%bd%9e/ Sun, 30 Jan 2022 05:31:00 +0000 https://domei-nakahara.com/?p=2483 "エルサレム教会への献金(1)
第二コリント8章1~24節" の
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1.導入

みなさま、おはようございます。先週は、パウロとコリント教会の信徒との対立、そして和解に向けての双方の努力ということについてお話ししました。今日の箇所では、内容が一転してエルサレム教会への献金がテーマとなっています。エルサレム教会への献金についてはこれまで何度かお話ししていますが、これはパウロの伝道生涯を考えるうえで極めて大切な事柄です。どれくらい大切かというと、パウロはこのエルサレム教会への献金のために命を懸け、そして実際にそのために命を落とした、それくらい重要な事柄でした。パウロは逮捕されて殺される危険があるにもかかわらずエルサレムへの最後の旅行をしました。それは、この献金をどうしてもエルサレム教会に自分自身の手で届けたかったからです。ではなぜエルサレム教会への献金がそんなに大事なのかと言えば、それがパウロにとって非常に大切なヴィジョンを体現するものだからです。パウロが抱いていたヴィジョンとは、「ユダヤ人も異邦人もない」教会、民族の垣根を乗り越えた、世界中のあらゆる民族が一つになる教会というヴィジョンです。私たち日本の教会で言えば、「日本人も外人もない」教会、人種や民族の違いを超えた真にユニバーサルな教会ということになるでしょう。

でも、コリント教会がエルサレム教会のために献金することが、なぜユニバーサルな教会を立て上げるためにそんなに大事なのでしょうか。なぜ他の教会、例えば他の有力な教会であるアンティオキア教会への献金ではないのでしょうか。それは、エルサレム教会が「ユダヤ人」という一つの民族グループを体現する教会だったからです。アンティオキア教会には異邦人もユダヤ人もどちらもいましたが、エルサレム教会はほぼユダヤ人だけで構成されていたからです。ですからほとんどが異邦人で構成されているコリント教会がエルサレム教会に献金を送ると言うことは、異邦人がユダヤ人を助けるという象徴的な行為、画期的なことだったのです。

キリストが現れる前は、ユダヤ人と異邦人との間には敵対的な関係がありました。神から選ばれた唯一の民であるユダヤ人から見れば、外国人、異邦人はみな真の神を知らない罪人で、汚れた存在、付き合ってはいけない人々でした。例えば使徒ペテロは、使徒の働きの10章28節でこう言っています。「ご承知のとおり、ユダヤ人が外国人の仲間に入ったり、訪問するのは、律法にかなわないことです。」このように、ユダヤ人は外国人と交際しない、外国人と親しく付き合うのは神の御心に反しているという、こういう姿勢を堅持していました。ユダヤ人と外国人、異邦人の間には敵意という厚い壁が存在していたのです。そして、この敵意の壁を壊したのがイエス様でした。パウロはエペソ教会への手紙2章14節でこう書いています、「キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。」ここでいう二つのものとはユダヤ人と異邦人のことです。パウロはイエスの十字架の目的は、ユダヤ人と異邦人の隔ての壁を壊すためだったと信じており、パウロもユダヤ人も異邦人もない、一つの新しい神の民を作るためにその生涯を捧げました。

実際、エルサレム教会は非常に困難な立場に置かれ、助けを必要としていました。エルサレム教会のユダヤ人たちは、イエスをメシアとは信じない、それどころかイエスをユダヤ当局によって公式に処刑された犯罪者だと思うようなユダヤ人に囲まれて、敵対的な状況の中で生活し、経済的にも困窮していました。そのようなユダヤ人クリスチャンを、異邦人のクリスチャンが助けること、それこそがユダヤ人と異邦人の和解の証だ、そう信じてパウロは異邦人教会において一生懸命献金集めをしていたのです。

このようなユダヤ人と異邦人という、大きな民族問題に加えて、パウロの個人的な事情もありました。実は、パウロはエルサレム教会との関係がうまくいっていなかったのです。パウロはローマ人への手紙の15章31節で、「エルサレムに対する私の奉仕が聖徒たちに受け入れられるものとなりますように」と祈っていますが、パウロは自分がエルサレム教会に持っていく献金がもしかすると受け取ってもらえないのではないかと、そんな不安を抱いていました。というのも、パウロはエルサレム教会のリーダーの一人であるイエスの一番弟子のペテロと気まずい関係にあったからです。ガラテヤ書2章によれば、使徒ペテロは律法遵守を徹底してほしいと注意するユダヤ人信徒たちの声を聞き入れて、律法を守らない異邦人信徒との食事を控えたのですが、その彼をパウロは皆の前で面罵しています。しかし、ペテロにはペテロの難しい事情がありました。彼はユダヤ人伝道に重荷を負っていましたから、その彼が神の律法を守っていないなどといううわさが立てば、ユダヤ人伝道には大きなマイナスだったからです。ペテロも異邦人信徒との食事を続けたかったのですが、しかしユダヤ人伝道にはマイナスになるのであれば、それを断腸の思いで諦めなければならなかったのです。ですからパウロのペテロへの非難は理解できるとはいえ、見方によっては大人げないものとも言えました。それ以来、パウロとエルサレム教会との関係は必ずしも良好なものとは言えませんでした。ですからパウロは、自ら献金を届けることで、個人的にもエルサレム教会の人たちと和解がしたいという、そういう思いを抱いていました。こういう事情から、パウロは熱心にエルサレム教会への献金をコリントの人たちに呼びかけたのです。

2.本文

さて、では8章の内容を詳しく見ていきましょう。パウロはコリント教会に献金を呼びかけるにあたり、まず他の教会のことについて言及しました。個人的には、私はこのパウロのやり方はどうなのかなと思います。他の教会も頑張っているから、あなたたちも負けずに献金しなさい、というのはちょっとどうだろう、ということです。献金は競争ではないのですから。しかし、パウロとマケドニアの諸教会、つまりテサロニケ教会とピリピ教会との関係は非常に良好でした。それでパウロも、ついそうした教会を褒めたくなってしまったのかもしれません。パウロはコリントで伝道活動をしていたころ、コリント教会からは献金を受け取らず、マケドニアの教会、ピリピやテサロニケ教会から支援を受けていました。こうした教会の方がコリント教会よりも貧しかったにもかかわらず、です。そのマケドニアの教会は、パウロの呼びかけに応えて、エルサレム教会への献金も熱心に行っていました。これらの教会は厳しい迫害に遭い、経済的にも苦しかったのにもかかわらず、そうしたのです。パウロは彼らのことを、2節から4節までに詳しく書いています。

苦しみゆえの激しい試練の中にあっても、彼らの満ちあふれる喜びは、その極度の貧しさにもかかわらず、あふれ出て、その惜しみなく施す富となったのです。私はあかしします。彼らは自ら進んで、力に応じ、いや力以上にささげ、聖徒たちをささえる交わりの恵みにあずかりたいと、熱心に私たちに願ったのです。

ここでの「彼ら」とは、ピリピやテサロニケ教会の信徒であり、「聖徒たちをささえる」とは「エルサレム教会のユダヤ人信徒たちをささえる」という意味です。これらの教会の人たちは、自分たちの力を超えたような額をエルサレム教会のためにささげたのでした。そしてパウロは、コリント教会の人たちにもテサロニケやピリピ教会のような積極さを求めたのです。それが6節に書かれています。

それで私たちは、テトスがすでにこの恵みのわざをあなたがたの間で始めていたのですから、それを完了させるよう彼に勧めたのです。

ここで突然テトスが出てきますが、テトスは以前からコリント教会で、エルサレム教会への献金を募る役回りをしていたからです。コリント教会での献金集めは、しかしパウロとコリント教会との関係が悪化した時に一度中断されてしまいました。けれども、テトスが使者としてパウロの「悲しみの手紙」をコリント教会に運んだ結果、パウロとコリント教会との関係は一応正常化しました。そこでパウロは再びテトスをコリント教会に遣わし、エルサレム教会への献金集めを完了させようとしたのです。

さて、7節以降でもパウロはコリント教会の人たちに、エルサレムへの献金を熱心に勧めます。パウロはコリントの人たちが、信仰にもことばにも知識にも熱心にも愛にも富んでいると、まるで褒め殺しのように彼らを讃えます。ほかのところではコリント教会の人たちに厳しいことを言っていたのに、パウロ先生少し調子が良くないですか、とつい言いたくなります。しかしパウロが言いたかったのは次のことでした。それは、「この恵みのわざ」、つまりエルサレムへの献金においても富むようになってください、ということです。そして8節では、「他の人々の熱心さをもって、あなたがた自身の熱心さを確かめたいのです」となっていますが、これはちょっと分かりづらいですね。これは新改訳の2017年版の方が分かりやすいので、その訳をお読みしますが、「他の人々の熱心さを伝えることで、あなたがたの愛が本物であることを確かめようとしているのです」となっています。「他の人々の熱心さ」とは、テサロニケ、ピリピ教会の信徒たちの熱心さです。彼らの話を聞かせることで、コリント教会の人々の愛が本物かを確かめたい、テストしたいとパウロは言っているのです。

マケドニアの教会の人たちの熱心さについて言及したパウロは、今度は最も重要な方、つまりイエス様の熱心さについて言及し、コリントの人たちもイエス様に倣うようにと促します。こう書いています、「すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。」パウロがここでイエス様について言及した理由は、富んだイエス様があなたがたのために貧しくなられたように、富んだあなたがたコリント教会の人たちも、貧しいエルサレム教会のために与えるのを惜しんではならない、そう伝えたかったのです。実際、コリント教会の人たちは他の教会に先駆けてエルサレム教会への献金を始めていました。「あなたがたは、このことを昨年から、他に先んじて行っただけでなく、このことを他に先んじて願った人たちです」と書いているように、彼らは最初はエルサレム教会への献金に積極的でした。しかし、牧師であるパウロとコリント教会との関係がおかしくなり、この献金集めは中断されてしまいました。そこでパウロは、「ですから、今、それをし遂げなさい」と訴えています。

しかし同時に、パウロはコリント教会の中の貧しい人々のことも忘れてはいませんでした。第一コリントで学んだように、コリント教会は経済的な格差の大きい教会でした。豊かな信徒と、経済的に苦しい信徒が混在していたのです。貧しい信徒たちにとって、エルサレム教会への献金を呼びかけるパウロの声は大きなプレッシャーになってしまったかもしれません。そこでパウロは、「もし熱意があるならば、持たない物によってではなく、持っている程度に応じて、それは受納されるのです」と書いています。つまり無理をしてはいけない、持っている程度に応じて献金するのがよいと言っているのです。

そして13節でもパウロは大事なことを書いています。パウロはこのエルサレム教会への献金の目的を、「平等を図る」ためだと言っています。14節の「今あなたの余裕が彼らの欠乏を補うなら」とありますが、これはコリント教会の経済的な余裕がエルサレム教会の欠乏を補うなら、という意味です。パウロはコリント教会がエルサレム教会に対してそうする義務があるのだと示唆しています。なぜなら、これまで霊的に豊かだったエルサレム教会は、霊的に貧しいコリント教会や他の異邦人教会のために多くを与え、骨折ってきたからです。エルサレム教会は世界最初の教会であり、すべての海外宣教チームはそこにルーツを持っています。パウロ自身はアンティオキア教会の出身でしたが、アンティオキア教会もエルサレム教会からの伝道者によって建てられた教会なのですから、パウロやバルナバのルーツも究極的にはエルサレム教会にあります。ですからお互いさま、困ったときの助け合いの精神で、コリント教会は霊的には借りのあるエルサレム教会のために、今度は一肌脱ぐべきだと、パウロはこう言っているのです。最後にパウロは旧約聖書の出エジプト記の記述から引用しています、「多く集めた者も余ることがなく、少し集めた者も足りないところがなかった」というみことばです。これはイスラエル共同体の社会理念が凝縮された言葉です。イスラエルが目指したのは格差社会ではなく、平等な社会でした。ある者が極端に富んで、ある者が極端に貧しいというのはイスラエルの目指す状態ではなかったのです。パウロはこのイスラエルの社会理念を、世界に広がる教会共同体の中で実現しなさいと、そう教えているのです。このことは私たちにも多くのことを考えさせられます。私たち日本の教会は小さく貧しいですが、その貧しさは大きくて豊かなアメリカの教会によって補われてきたという歴史的な事実です。私たちはアメリカの教会にお返しできるほどの経済的な余裕はないかもしれませんが、その分は霊的な仕方で、つまり祈りによってお返しすべきだということです。アメリカの教会はアメリカの教会なりの霊的問題を抱えていますし、イスラエル共同体の理念とは正反対の超格差社会となっているのがアメリカの現実ですが、彼らのために祈るべきだということです。

さて、第二コリントに戻りますが、16節以降を見ていきましょう。パウロは先に、「悲しみの手紙」を託してテトスをコリント教会に送りましたが、テトスは今度は自ら進んでコリント教会を訪問しようとしています。その大きな目的は、エルサレムへの献金プロジェクトを完遂することでした。しかしパウロは、このテトスのほかにもう一人の兄弟をも送ろうとしていました。この人物についての詳しい情報はありませんが、ほぼ間違いなくマケドニア教会の兄弟でしょう。それは少し先の9章4節から分かります。この人のほかにも、22節は更にもう一人の兄弟もいることが分かります。ですからテトスのほかに、マケドニア教会の信徒二人の合計三名が、コリント教会でのエルサレム教会の献金集めのために遣わされるということになります。しかし、なぜ三人も必要だったのでしょうか。その理由が20節に書かれています、「私たちは、この献金の取り扱いについて、だれからも非難されることがないように心がけています」とあります。このエルサレム教会への献金は、相当大きな金額になったと思われます。ではいくらなのかと、そこまで詳しいことは分かりませんが、多分金額を聞いたら「えっ」と思うような金額だったでしょう。そして、その献金をパウロが自分の懐に入れているという根も葉もないうわさがコリント教会には出回っていました。パウロもそのことを意識し、テモテやテトスという自分の宣教チームではない、独立した監査人のような人物がいたほうが透明性が増すだろうと考え、そこでマケドニア教会の信徒二人に、この献金プロジェクトに加わるように依頼したのだろうと思われます。コリント教会からしても、他の教会の信徒が来るというのは、いい意味での緊張をもたらしたことでしょう。パウロは8章の結びの24節でこう書いています。

ですから、あなたがたの愛と、私たちがあなたがたを誇りとしている証拠とを、諸教会の前で、彼らに示してほしいのです。

とありますが、ここで「諸教会」と一般的に言われているのは実際にはマケドニアの教会、テサロニケとピリピ教会のことです。こうした教会から遣わされる信徒たちの前で、いいところを見せてほしい、しっかり献金を集めて、「さすがコリント教会だ」と彼らに称賛されるようになってほしいとパウロは言っているのです。コリント教会としても、さんざんマケドニア教会の自慢話をパウロから聞かされていた後なので、それなりのプレッシャーを感じたかもしれません。もしかすると、マケドニア教会から人が来るということを心良く思わなかった人もいたかもしれません。しかしパウロがあえてこうしたことからも、エルサレム教会への献金に賭ける彼の並々ならぬ決意を感じさせます。

3.結論

まとめになります。今日の箇所を読んで、パウロとコリント教会を襲った問題も、ハッピーエンドになったと一安心するかもしれません。しかし、第二コリントを読んでいけばわかるように、問題はここでは終わりませんでした。パウロとコリント教会との愛憎劇はますます複雑な様相を呈するようになります。ここからは個人的な感想になりますが、パウロはここで暴言を吐いた人を叱責するだけでなく、自分の非をも認めるべきだったのではないかと考えてしまいました。コリント教会がこんなに問題だらけになってしまった理由の少なくとも一つは、パウロはコリント教会のために十分な時間と労力を割くことができなかったことにあると思えるからです。パウロにはパウロの言い分があったでしょう。彼はキリストの再臨が近いと確信し、それまでに世界中に福音を伝えようという大志を抱いていました。ですから個々の教会にそんなに労力を惜しみなく注ぐことができなかったのです。しかし、他方でコリント教会は生まれたばかりの教会であり、手取り足取りの指導を必要としていました。それが十分に与えあれなかったことで、どこかぐれてしまったようなところがあります。パウロに暴言を吐いた人も、そういう寂しさをパウロにぶつけたとも言えます。ですから、真の和解のためにはパウロはコリント教会の人たちに悔い改めを求めるだけでなく、自分自身のことも反省する、そういう懐の広さが必要だったのではないかと、そうも思えるのです。

冒頭でも申しましたが、私たちの教会はお互いの信頼関係という意味では大変良い状態にある教会です。しかし、もし将来、その信頼にひびが入るようになる事態があるとしたら、その時は、誰かが一方的に悪いと決めつけることなく、互いに反省しあい、赦し合うことが必要ではないかと、そんなことを思わされました。お祈りします。

主イエス・キリストを通じてすべての被造物に和解をもたらされた父なる神よ、そのお名前を讃美します。今日はコリント教会で生じた牧師と信徒との対立を通じ、真の和解のためには何が必要なのかを、改めて考えさせられました。私たちの教会は幸いなことに教会内に強い信頼関係がありますが、今後もし問題が生じたときには、互いに自分の非を認め合って真の和解を実現することができますように。われらに和解をもたらしてくださったイエス・キリストの聖名によって祈ります。アーメン

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悲しみの手紙第二コリント7章2~16節 https://domei-nakahara.com/2022/01/23/%e6%82%b2%e3%81%97%e3%81%bf%e3%81%ae%e6%89%8b%e7%b4%99%e7%ac%ac%e4%ba%8c%e3%82%b3%e3%83%aa%e3%83%b3%e3%83%887%e7%ab%a02%ef%bd%9e16%e7%af%80/ Sun, 23 Jan 2022 04:35:00 +0000 https://domei-nakahara.com/?p=2457 "悲しみの手紙
第二コリント7章2~16節" の
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1.導入

みなさま、おはようございます。今日も再び、第二コリントのみことばから学んでまいりましょう。今日の聖書箇所はとても重たい内容です。それは、牧師と信徒との対立という事情がこの手紙の背景にあるからです。コリント教会は深刻な問題を抱えていて、それが今日の箇所の重要な背景となっています。私たちの教会は、規模からすれば小さな教会ですが、とても仲が良く、互いに信頼し合っている教会です。私も皆さんのことを信頼していますし、皆さんも私のようなものを信頼してくださっています。ですから、このパウロの手紙が送られたコリント教会の状況とはずいぶん事情が違うのだろうと思います。しかし、残念ながら牧師と信徒の関係がうまくいっていない教会というのも少なからず存在するというのが現実です。そういう状況に置かれた時に、私たちはつい犯人捜しをしてしまいます。あの信徒が悪いからとか、あの役員が悪いからとか、あるいはあの牧師が悪いからとか、そういう犯人捜しをついしてしまうのです。みんなにいくらか問題があるというより、問題の所在をある人に集中させてしまうのです。このコリント教会の手紙に関して言えば、普通は牧師のパウロが100%正しく、コリント教会の信徒が100%悪い、という読み方をしてしまいます。キリスト教におけるパウロ先生の絶大な権威を考えればそれが当たり前なのかもしれません。しかし、ある共同体に深刻な亀裂が生じた際に、どちらか一方が100%正しくて、他方が100%悪いというような状況は現実にはあり得ないのではないでしょうか。コリント教会がこんなに大きな問題を抱えてしまったことに、牧師であるパウロにも少なからず責任があるというのが公平な見方ではないかとも思うのです。このコリント教会への第二の手紙からは、パウロの立場や視点しか知ることが出来ませんが、叱責されているコリント教会の側の立場になって考えるということも必要なことではないかということです。今日の説教では、なるべく複眼的なというか、いろんな角度からコリント教会の現実を考え、学んでいきたいと願っています。

今日の説教のタイトルは「悲しみの手紙」です。「涙の手紙」としても良いのですが、それはどんなものかというと、この第二コリント書簡の前に、パウロは一通の手紙をコリント教会に送っているのですが、その手紙のことです。その手紙自体は現存していませんが、その内容については第二コリントから大体のことは分かります。ではこの「悲しみの手紙」がどんなものだったのか、それを理解するために、パウロとコリント教会との関係を駆け足で振り返ってみたいと思います。

パウロは紀元50年から1年半かけてコリント教会で開拓伝道を行いました。この開拓伝道は大きな成果を生み出し、コリント教会はわずか1年半でかなりの大きさに成長し、その成果に満足したパウロは他の都市での開拓伝道のためにコリントを去りました。パウロが次の伝道の拠点にしたのが小アジアのエペソで、パウロはそこで2年を費やして伝道に励みます。そのエペソでの宣教活動の終わりごろに、コリント教会で様々な問題が勃発していることを聞いたパウロはコリント教会への第一の手紙をしたためます。この手紙については、私たちも1年間かけて学んで参りました。パウロはコリント教会に生じた様々な問題について、時には厳しい調子で指示を与えています。さて、コリント教会にこのような様々な問題が生じてしまった原因はいろいろあると思いますが、その原因の一つはパウロの牧師としての働きが1年半ととても短かったこと、またパウロが自分の後任の牧師を決めていなかったことがあると言えるでしょう。私もこの教会に来て2年足らずですが、もし私が2年足らずで他の教会に移ってしまったら、皆さんもなんて短いのだろうと失望してしまうのではないかと思います。しかもコリント教会の場合は新規開拓した教会ですから、ある信徒からすると洗礼を受けて信仰に入って数カ月も経っていないのに牧師のパウロ先生が他の任地に行ってしまった、ということになってしまったでしょう。でも、いくらパウロが優れた教師でも、わずか数カ月でキリスト教のすべてを伝えるのは不可能だったはずです。ですからある信徒は、自分はパウロ先生から十分にお世話してもらえなかった、教えてもらえなかった、という感じを抱いてしまったかもしれません。こうして無牧となったコリント教会に、パウロとは関係のない他の宣教師や牧師が次々とやってきて、しかもそれらの新しい先生たちがパウロとはいくらか違ったことを教えたりするとなれば、その教会が混乱してしまうのはむしろ当然であったと言えるでしょう。その混乱を、パウロは第一コリントの手紙を送ることで鎮静化しようとしました。パウロはこの手紙を自分の片腕であるテモテに託しました。しかし、このパウロからの手紙、第一コリント書簡を、コリント教会の少なくとも一部の人は素直に受け入れることができませんでした。たった1年半しかコリントにいなかったパウロがなにを今頃偉そうに、しかも自分で来るのではなくて若造を送って来るとは、パウロはこの教会を何だと思っているのか、と反感を持った人もいたことでしょう。実際、この第一コリントの手紙はコリント教会に良い結果をもたらさなかったのです。テモテもいろいろ文句を言われ、そして意気消沈してしまい、それですぐにパウロのいるエペソへと引き返しました。パウロはテモテからこの状況を聞いて、コリントでの危機が想像以上に大きいことを理解し、3年ぶりにコリント教会へと急行しました。しかし、この訪問は最悪の結果となりました。一部の信徒がパウロを面と向かって非難し、あなたは使徒ではないとの暴言を浴びせるという事件が起こってしまったのです。それに対してパウロも怒り、また激しく落胆し、すぐコリント教会から立ち去ってしまいました。エペソに戻ったパウロは、そこで今日の説教タイトルとなった「悲しみの手紙」、あるいは「涙の手紙」を書いたのです。しかし、涙の手紙といっても、その内容は非常に厳しいものであったのは間違いありません。パウロはコリントの信徒たちを厳しく叱責し、自分に暴言を吐いた人に対する処罰を要求したものと思われます。説教の「悲しみの手紙」というのも、パウロが悲しんだというより、コリント教会の人たちの方が悲しんだという意味に捉えても間違いではありません。ともかくも、この悲しみの手紙をパウロは今度はテモテではなくテトスに託しました。そしてコリントから戻ったテトスと再会した後に書かれたのが今日の箇所なのです。さて、状況説明が長くなりましたが、これから今日の箇所を詳しく見て参りましょう。

2.本文

さて、今日の7章2節ですが、これは前回の説教でもお話ししたように、6章13節から続けて読むべき箇所です。6章14節から7章1節までは、その間に挟まれた独立した説教と考えた方が良いというのは前回お話しした通りです。そして6章13節までと7章2節以降の内容は、コリント教会への和解の呼びかけです。今まで説明したように、コリント教会と、パウロやテモテらの教師たちとの間には深刻な亀裂が生じていました。その亀裂を乗り越えて、和解をしようということです。パウロがこのように呼びかけた理由の一つは、コリントの人たちがテトスの携えていった「悲しみの手紙」を真剣に受け取り、パウロの期待通りに悔い改めをし、そしてその悔い改めを実践する形でパウロに暴言を吐いた人を処罰したからでした。パウロもそのことに満足し、もう暴言を吐いた人のことは責めないから、彼を赦してやりなさいと、2章の6節、7節で記しています。ですから、その件は水に流して和解をしよう、と呼びかけたのです。

しかし、和解を呼びかけた理由はそれだけではありませんでした。コリント教会のパウロへの反発は根深く、一人の人を処罰すればそれで終わりというわけにはいかなかったのです。その暴言を吐いた人も、個人的なパウロへの不満というだけでなく、コリント教会の他の人たちが抱いている気持ちを代弁したという思いがあったことでしょう。また、さらに厄介な問題として、エルサレム教会との太いパイプを誇る新しい宣教師たちの存在がありました。彼らはパウロのことをあまり快く思っていなかったのでしょう。彼らのパウロに対する見方がコリント教会の人々にも伝染し、パウロに対する不信感を増幅させていたのです。特に、パウロがコリント教会に強く望み、また促していること、それはエルサレム教会のための献金なのですが、その献金をめぐってパウロの意図に疑問を抱く人たちがいたのです。ありていに言えば、エルサレム教会への献金をパウロが自分の懐に入れているのではないかと疑念を抱く人たちがいたのです。そこでパウロは、「私たちは、だれにも不正をしたことがなく、だれをもそこなったことがなく、だれからも利をむさぼったことがありません」と強く無実を訴えているのです。こう書きながらも、パウロはこの弁明をコリント教会の人々への非難と受け取らないでほしいと懇願します。第一コリントの手紙が、コリント教会の人々からの大きな反発を招いたという反省もあったのでしょう。これまでのコリント教会とのやり取りの中で生じた不幸な行き違いをもはや繰り返したくない、というのがパウロの切実な願いでした。そこでパウロは、自分はあなたがたを心から信頼している、いやあなたがたのことを誇りとすら思っている、とコリント教会の人たちに寄り添うような内容を書き連ねています。

そして5章以降では、これまでのいきさつについて改めて詳しく説明しています。先にお話ししたように、コリント教会の人々に悔い改めを求める内容を記した「悲しみの手紙」をテトスに託して送り出したものの、その後のパウロは不安でいっぱいになりました。第一コリントの手紙を運んでいったテモテのように、テトスもコリントの人たちからひどい扱いを受けているのではないか、またこの「悲しみの手紙」が悔い改めよりもさらなる反発を招いてしまうのではないか、という様々な思いにとらわれ、パウロはエペソでじっと待っていることが出来なくなりました。なかなか戻ってこないテトスを待ちきれずに、パウロはエペソを出てトロアスへと北上します。そこでの開拓伝道は順調なスタートを切ったものの、ここでもテトスからの知らせがないことにしびれを切らし、パウロはそこでも短期間で伝道を打ち切って、さらに北上し、テサロニケ教会やピリピ教会のあるマケドニアに行きます。しかし、そこでもパウロの心には平安がありませんでした。5節にはこうあります、「マケドニアに着いたとき、私の身には少しの安らぎもなく、さまざまの苦しみにあって、外には戦いがあり、うちには恐れがありました。」パウロにはテトスとの連絡がつかないとい不安に加え、マケドニア固有の問題もありました。パウロは数年前にマケドニアでピリピ、テサロニケ教会を次々と立ち上げましたが、テサロニケではあまりの迫害の激しさに伝道を続けることが出来ずに、逃げるようにしてアテネやコリントというギリシア南部の都市に向かったという過去がありました。数年ぶりに訪れたマケドニアでも事情は改善されておらず、かえって迫害は厳しくすらなっているようでした。コリントに加えてマケドニア教会における問題にも直面し、パウロの心は折れてしまいそうになりました。

しかし、その時についにテトスとの再会を果たすことが出来ました。テトスは、先のテモテとは違い、コリント教会の人たちから好意的に迎えられました。そしてコリントの人たちはパウロの「悲しみの手紙」を深刻に受け取り、そして行動を起こしました。パウロに暴言を吐いた人に対する処罰を断行したのです。それが書かれているのが11節です。

御覧なさい。神のみこころに添ったその悲しみが、あなたがたのうちに、どれほどの熱心を起こさせたことでしょう。また、弁明、憤り、恐れ、慕う心、熱意を起こさせ、処罰を断行させたことでしょう。あの問題について、あなたがたは、自分たちがすべての点で潔白であることを証明したのです。

そして12節では、パウロは自分がなぜ「悲しみの手紙」を送ったのか、その理由を説明します。それは「悪を行った人」、つまりパウロを面と向かって罵倒した人を非難するためでもなく、また「被害者」、つまりパウロの名誉の挽回のためでもなく、むしろ「私たちに対するあなたがたの熱心が、神の御前に明らかにされるため」、つまりコリント教会の人たちが神の教えにまっすぐに従っていることが示されるためだったのだ、と書いています。パウロはこの少し前に、悲しみには二種類あると書いています。一つは「神のみこころに添った悲しみ」で、もう一つは「世の悲しみ」です。神の御心に添った悲しみというのは、自分の行動が神の教えに従ったものではなかったことを認め、それを悲しむことです。そのような悲しみは悔い改めを生み、そしてそれは救いといのちをもたらします。「悲しみの手紙」を受け取ることで生じたコリント教会の人たちの悲しみはまさにそのような悲しみでした。しかし、「世の悲しみ」とは神の御心を考慮しない、自分のプライドが傷つけられたとか、自分が損をしたとか、自分中心の悲しみです。そういう悲しみはろくな結果をもたらさず、かえって死をもたらすとパウロは警告しています。

そして、コリント教会の人々はまさに神のみこころに添った悲しみをしたのです。こうしてパウロが「悲しみの手紙」を書き送った目的が達成されたことでパウロは大きな慰めを得ました。パウロだけでなく、彼の使者となったテトスも大きな慰めと励ましを得ました。おそらくパウロから使者の役目を仰せつかったテトスも内心では不安でいっぱいだったことでしょう。同僚のテモテも、また伝道チームのリーダーであるパウロ自身も、コリントの人たちから面罵されるという手荒い扱いを受けました。ですからテトスも内心大きな恐れを抱いていたことでしょう。そんなテトスを、パウロはコリントの人たちのことを褒めて、大丈夫だからと送り出しました。そのあたりの事情が書かれているのが14節です。

私はテトスに、あなたがたのことを少しばかり誇りましたが、そのことで恥をかかずに済みました。というのは、私たちがあなたがたに語ったことがすべて真実であったように、テトスに対して誇ったことも真実となったからです。

パウロがここで「テトスに対して誇ったこと」と言っているのは、テトスに「悲しみ手紙」を託す際に、「コリント教会の人たちは大丈夫だ。彼らはきっと悔い改めてくれるに違いない」と太鼓判を押したことでした。そして彼らが期待通りに悔い改めてくれたことで、パウロは恥をかかずに済んだのでした。そして、テトスからコリント教会のことを聞かされたパウロは、コリント教会の人たちへの信頼と愛情を新たにしたのでした。

3.結論

まとめになります。今日の箇所を読んで、パウロとコリント教会を襲った問題も、ハッピーエンドになったと一安心するかもしれません。しかし、第二コリントを読んでいけばわかるように、問題はここでは終わりませんでした。パウロとコリント教会との愛憎劇はますます複雑な様相を呈するようになります。ここからは個人的な感想になりますが、パウロはここで暴言を吐いた人を叱責するだけでなく、自分の非をも認めるべきだったのではないかと考えてしまいました。コリント教会がこんなに問題だらけになってしまった理由の少なくとも一つは、パウロはコリント教会のために十分な時間と労力を割くことができなかったことにあると思えるからです。パウロにはパウロの言い分があったでしょう。彼はキリストの再臨が近いと確信し、それまでに世界中に福音を伝えようという大志を抱いていました。ですから個々の教会にそんなに労力を惜しみなく注ぐことができなかったのです。しかし、他方でコリント教会は生まれたばかりの教会であり、手取り足取りの指導を必要としていました。それが十分に与えあれなかったことで、どこかぐれてしまったようなところがあります。パウロに暴言を吐いた人も、そういう寂しさをパウロにぶつけたとも言えます。ですから、真の和解のためにはパウロはコリント教会の人たちに悔い改めを求めるだけでなく、自分自身のことも反省する、そういう懐の広さが必要だったのではないかと、そうも思えるのです。

冒頭でも申しましたが、私たちの教会はお互いの信頼関係という意味では大変良い状態にある教会です。しかし、もし将来、その信頼にひびが入るようになる事態があるとしたら、その時は、誰かが一方的に悪いと決めつけることなく、互いに反省しあい、赦し合うことが必要ではないかと、そんなことを思わされました。お祈りします。

主イエス・キリストを通じてすべての被造物に和解をもたらされた父なる神よ、そのお名前を讃美します。今日はコリント教会で生じた牧師と信徒との対立を通じ、真の和解のためには何が必要なのかを、改めて考えさせられました。私たちの教会は幸いなことに教会内に強い信頼関係がありますが、今後もし問題が生じたときには、互いに自分の非を認め合って真の和解を実現することができますように。われらに和解をもたらしてくださったイエス・キリストの聖名によって祈ります。アーメン

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この世とのかかわり方第二コリント6章14~7章1節 https://domei-nakahara.com/2022/01/09/%e3%81%93%e3%81%ae%e4%b8%96%e3%81%a8%e3%81%ae%e3%81%8b%e3%81%8b%e3%82%8f%e3%82%8a%e6%96%b9%e7%ac%ac%e4%ba%8c%e3%82%b3%e3%83%aa%e3%83%b3%e3%83%886%e7%ab%a014%ef%bd%9e7%e7%ab%a01%e7%af%80/ Sun, 09 Jan 2022 04:47:00 +0000 https://domei-nakahara.com/?p=2408 "この世とのかかわり方
第二コリント6章14~7章1節" の
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1.導入

みなさま、おはようございます。先週は、今年最初の礼拝ということで、第二コリントから離れて、ルカ福音書のイエス様とザアカイさんとの出会いの場面から学びました。今日からは、再び第二コリントに戻ります。そして今日の聖書箇所と、先週のルカ福音書との箇所は対照的な内容になっています。先週のルカ福音書では、世の中の多くの人が汚れた人、罪深い人だとして付き合いを避けていたような人に、主イエスは積極的に係わっていき、彼らを救うという場面を学びました。それに対して今日の箇所は、世の中となれ合うな、罪深い人たちとは距離を取りなさいというように、正反対のことを教えているように思われます。では、どちらが正しいのでしょうか。罪人と呼ばれる人たちと親しく交わり、彼らを新しい人へと造り替えていったイエス様に倣うべきか、あるいは「朱に交われば赤くなる」という古くからの諺通りに、悪い人たちとの付き合いを避けるべきだというパウロの勧告に従うべきなのでしょうか。これは難しい問題ですが、どちらにも大切な真理が含まれています。私たちは一方に偏ることなく、どちらの教えにも耳を傾ける柔軟さを持ちたいと思います。

実際、この二つの教えはどちらも非常に大切な教えです。私たち人間は、社会的な生き物です。一人では生きていけず、常にだれかとのかかわりの中で生きています、いや生かされています。私たちは付き合う人々から影響を受け、また私たちも周囲の人たちに影響を与えます。イエス様のように非常に強い人格、感化力を持った人は、ご自分の愛に満ちた性格で他の人々を良い方向に変えていきます。ザアカイさんのケースは、まさにその典型でした。しかし、そこまでしっかりとした自分を持っていない多くの人は、むしろ周りの人々に感化され、悪い言い方をすると流されてしまうことがあります。特に日本に住む人にはこれが当てはまってしまうかもしれません。ある人が、日本人の間には暗黙の二つのルールがあると言っていました。一つは、「自分がしてほしくないと思うことは人にしてはいけない」というものです。これは聖書の教えと同じでまさにアーメンと言えるでしょう。しかしもう一つのルール日本独特のもので、それは「人と違ったことはしてはいけない」というものです。これは同調圧力などとも最近は呼ばれるものですが、空気を読んでみんなに合わせる、みんなと同じように行動しなければならないというものです。アメリカなどと違って、日本でマスクの着用率が際立って高いのはこのためだとも言われます。このように、人と違ったことはしてはいけないという暗黙のルールは、良い方向に働くこともありますが、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」にように、間違った方への力学として働くこともあります。先の太平洋戦争の際も、こんな戦争は負けるからやるべきではない、と内心では思っていたのに、周りの雰囲気に負けて言い出せなかった、などというのは最悪の例でしょう。こういう時に、自分は神の掟を第一とするので、世の中の雰囲気に流されてはいけないという意識を持つのは大切なのではないでしょうか。赤信号、みんなが渡っても自分は渡らない、という勇気を持つことも大事だということです。そんなことも考えながら、今日のパウロの言葉を見てまいりたいと思います。

2.本文

さて、今日の箇所を読む前に、一つ踏まえておきたい点があります。それは、この第二コリントの手紙というのが複雑な構成になっていて、おそらくいくつかのパウロの手紙や説教が合成されていると考えられているということです。あまり専門的な話はしませんが、それが多くのパウロ書簡の研究者の意見です。パウロはコリント教会に何通も手紙を出していて、その中には重複するような部分や関連しあう部分があったため、それらをひとまとめにしてできたのが、この聖書におさめられている「第二コリント書簡」だということです。この点は、特に今日の箇所を読むうえで大事なポイントになります。なぜなら、今日の箇所は、もともとのパウロの手紙に挿入された、別の機会における説教だと考えられるからです。どういうことかと言えば、前回の箇所の最後の一節、6章13節の「あなたがたのほうでも心を広くしてください」という和解への呼びかけは、今日の箇所を飛び越えて7章の2節、「私たちに心を開いてください」と、とてもうまくつながります。というより、パウロがコリント教会の人々に和解を呼びかけているのに、なぜ突然コリント教会の人たちに「未信者と釣り合わないくびきを負ってはいけません」と話題を全く違う方向に持っていくのか説明がつかないのです。ですから、もともとのパウロの手紙は6章13節の次に7章2節が来るという形になっていて、そこに今日の箇所が後から挿入されたと考える方が、より可能性が高いということです。つまり今日の6章14節から7章1節までは、独立したパウロの一つの説教として読むことができるということです。この前提に立って、今日の箇所をじっくりと読んでみましょう。

14節以降のパウロの議論は、はじめに断っておきますが、受け取りかたによっては極端な議論に聞こえます。これは信者と未信者とを厳しく線引きしている、そういう箇所です。しかし、パウロがどういう状況でこの説教を語ったのかははっきりとは分かりませんので、この箇所で言われていることを字義通りに受け止めて、すべての状況に当てはめるべきでもないと私は考えます。なぜならパウロは信者と未信者とを対比して、「正義と不法」、「光と暗やみ」、「キリストとベリアル」、ベリアルとは悪魔のことですが、さらには「神の神殿と偶像」、そういう具合に、全く正反対のものとして描いているからです。しかし、当たり前のことですが、キリスト教信仰を持たない人はみな不法を働くなどということはもちろんありません。他の宗教の方や、あるいはまったく無宗教の方でも立派な人はたくさんいます。むしろ、クリスチャンであっても、とんでもないことをする人たちもいます。また、伝道という観点からも、人口の99パーセントの人がキリストを信じていない日本において、99パーセントの日本人は不法の人、暗やみの人、ベリアルの人だから付き合うな、などと言えば誰も心を開いてくれないでしょう。むしろ前回のイエス様とザアカイのように、神様はベリアルのしもべなどと軽蔑されているような人にこそ手を差し伸べるのだ、というのが聖書の伝道メッセージだからです。しかし同時に、神様から離れて生きている人は、神様からの明確なメッセージを持たないという意味では霊的な暗やみの中にいて、サタンの悪い影響を受けやすいということも聖書が教えていることです。ですから私たちはそういう人たちに手を差し伸べて、光の下に来るようにと招くのです。けれども、ある人の持つ闇があまりにも強く、私たちの方がかえって闇の力、サタンの深みに引きずり込まれてしまうような場合があります。ミイラ取りがミイラになってしまう、ということです。そういう場合は、今日のパウロの教えのように、そうした人とは距離を置くのが賢明でしょう。私たちは自分の強さ、悪への耐性を過信してはいけないということです。ですから今日のパウロの教えについては、クリスチャンでない人とは親しい付き合いを避けなさい、という風に受け取るべきではないですが、他方で強い悪の力、自分が圧倒されてしまうような悪い影響力には十分気を付けて、そうしたものとは慎重に距離を置きなさいという戒めとして受け止めるべきでしょう。

日本の伝統的な文化に関して言えば、そこには非常に良いものもありますが、あまり好ましくないものもあります。「長い物には巻かれろ」などという風潮はそうしたものの一つでしょう。そういうものを慎重に見定めて、距離の取り方を是々非々で考えるべきだということです。私たちはクリスチャンになったからといって、自分が生まれ育った国の文化を否定したり捨てたりする必要はありませんが、しかしクリスチャンになるということは神の王国の民という新しい国籍を得たことでもあるのを忘れてはいけません。この新しい国籍にふさわしく歩むために、今までの古い生き方の中で改めるべきものは改める、そういう姿勢も大切なのです。

そして16節の後半からは、パウロが「神はこう言われました」と言っているように、旧約聖書からの神のことばがいくつか引用されています。パウロはこれらの旧約聖書の箇所を、神の聖なる民としてふさわしく歩みなさいという説教に重みを与えるために引用したのだと思われます。ここでパウロは旧約聖書の6か所から引用し、それを自由自在に組み合わせています。私たちにはちょっと信じられないことですが、おそらくパウロは旧約聖書全体を丸暗記していて、それらを自由自在にそらんじることができました。この6か所の引用は、適当にランダムに引用したのではなく、みなそれぞれ関連しあっていて、それをじっくり研究すると、なるほどパウロはこういう意図で引用したのかと思えるような箇所ばかりです。これらは皆、神の民であるイスラエルへの約束についてなのですが、パウロはこうした約束がすべてイエス・キリストにおいて実現したのだと、そのことを証明するためにこれらを引用しています。これらの聖書箇所に共通しているテーマは、旧約聖書において神はイスラエルの罪を裁き、彼らを世界中に離散させてしまわれたのですが、今や彼らの罪を赦し、彼らを再び呼び集めて新しい契約を結ぶという、そういう内容だということです。ここではそれらを若干駆け足になりますが、見ていくことにしましょう。

最初は16節の後半からですが、これは旧約聖書のレビ記26章11-12節とエゼキエル37章27節を組み合わせた引用です。この二つはどちらも神が新しい契約を結んでくださるという約束についてですが、特に重要なのはエゼキエルの方です。エゼキエル書37章27節のすぐ前の24節にはこうあります。

わたしのしもべダビデが彼らの王となり、彼ら全体のただひとりの牧者となる。彼らはわたしの定めに従って歩み、わたしのおきてを守り行う。

これは、預言者エゼキエルが国を失いダビデ王朝を失って亡国の民となったユダヤ人たちに、いつの日かダビデの子孫が到来してあなたがたの王となると約束した箇所です。パウロがここでエゼキエル書を引用したのは、この約束の王がイエスであり、エゼキエルが語ったすべての約束はイエス・キリストにおいて実現したことを強調するためでした。

次の17節のパウロの引用は、イザヤ書52章11節とエゼキエル書20章34節のことばを組み合わせたものです。この二つの聖書箇所にも共通点がありますが、それは国を失いバビロンに捕虜として連れていかれていたユダヤの民に、神が彼らをバビロンから救い出すことを約束した箇所だということです。特に重要なエゼキエル書20章33節をお読みしましょう。

わたしは、力強い手と伸ばした腕、注ぎ出る憤りをもって、あなたがたを国々の民の中から連れ出し、その散らされている国々からあなたがたを集める。

ユダヤ人たちはアッシリアやバビロン、またその後も次々とイスラエルに襲いかかった帝国の侵略によって世界中に散り散りにされていましたが、神は彼らを助けだし、彼らと新しい契約を結ぶことを約束されました。この約束も、今やイエス・キリストによって実現したと、そのことをパウロは言いたいのです。イエスは12弟子を選びましたが、なぜ12かと言えばイスラエルの部族は12あるからです。イエスは12弟子を呼び集めることで、象徴的な意味でイスラエルの12部族を再び呼び集めたのです。

最後に18節ですが、これはサムエル記下の7章14節とイザヤ書43章6節を組み合わせた引用になっています。サムエル記下の7章は非常に有名な箇所で、神がダビデに対し、あなたの王国は永遠の王国となると約束した箇所です。しかし、この約束にもかかわらず、ダビデ王朝はバビロン捕囚によって、断絶してしまい、それから600年以上も復興されることがありませんでした。イザヤ書43章はそのバビロン捕囚からの解放を約束した箇所ですが、パウロはここでサムエル記とイザヤ書を組み合わせて、ユダヤ人の解放とダビデ王朝再興の約束はいずれもイエス・キリストにおいて実現したのだと、そのことを示すためにこれらの箇所を引用したのです。

このようにパウロは旧約聖書から6つの聖書箇所を引用し、神がイスラエルの民を救い出し、ダビデ王の子孫の下で新しい契約を結ぶという、こうしたすべての約束はイエス・キリストにおいて実現し、そして今やイエス・キリストを信じて新しい契約に加わったコリントの人々は、これらすべての約束の恩恵を受けているのだと、そのことを伝えたかったのです。

こうして旧約聖書から神による壮大な歴史のドラマを描いて、それから7章1節でパウロはこの説教の締めくくりの言葉を書いています。それをお読みします。

愛する者たち。私たちはこのような約束を与えられているのですから、いっさいの霊肉の汚れから自分をきよめ、神を恐れかしこんで聖きを全うしようではありませんか。

ここで、聖書の語る「聖なる」とか「聖性」という言葉について少し考えたいと思います。少し注意してほしいのは、「清い」とか「汚れがない」ということと、「聖である」、「聖なる者である」というのは意味が異なっているということです。例えばお札で考えてみましょう。刷りたての、まだ一度も使われていないお札はきれいで、汚れがないといえるでしょうが、別にそれは聖なるお札ではありません。聖なるお札というのは、きれいであろうがきたなかろうが、それが神様のために取り分けられればそれは聖なるものとなるのです。財布に千円札が6枚入っていて、どれもくしゃくしゃで使い古されたものであっても、そのうちの一枚を献金のために取り分ければ、それは聖なる千円札になるのです。神様が私たちに「聖なる者になりなさい」という時、私たちが沁み一つないピカピカの存在になれと言っているわけではありません。むしろ、自分は神様のご用ために取り分けられたのだ、私は神様に何かをすることを期待されているのだと自覚する必要はありますが、だからといって直ちに自分が何の汚れもない清い存在になったのだと考える必要はありません。確かに清く生きることは私たちの目的の一つですが、それには時間がかかります。何がいいたいかと言えば、神を信じた瞬間に私たちは正に「聖なる者」となりますが、ただちに「清い者」になるわけではないということです。ですから信仰を持ったのに自分は清くないとがっかりする必要はありません。むしろ時間をかけて、一歩一歩清い生き方へと近づいていけばよいのです。

3.結論

まとめになります。今日の箇所は、おそらくこれまでのコリント書簡からは独立した、一つの完結した短い説教箇所だと思われるので、今日はそのような前提で説教をして参りました。今日の箇所では、信仰を持たない人たちとどのように接するべきか、その関係について語られていて、ここでは適切な距離を置くべきことが勧められていました。しかし、冒頭で申しましたように、私たちは伝道のためにむしろ未信者の人たちとは積極的に係わるべきだというのがイエス様の教えの基本にあるので、そのことを踏まえたうえで、それでも私たちに強い悪影響を及ぼすような場合については適切な距離を置く必要があること、付き合いにおいて慎重であった方が良いと、そういうお勧めとして読むべきだということを学んで参りました。これはいたって常識的なことではありますが、改めてそのことを考える機会としたいと願うものです。

今日の箇所の後半では、パウロは旧約聖書から6か所を引用してそれらを組み合わせることで、私たちの教会が生まれたのは神の全ての約束がイエス・キリストによって成就されたためなのだということを立証しています。わたしたちはこれらすべての約束の恩恵に与るものとして、また神様のご用のために取り分けられたものとして、ますます清く正しく歩んでいきましょうと、そうパウロは結論付けています。これらすべてを実現してくださったイエス様に感謝し、それに倣っていきたいという願いを新たにして、お祈りしましょう。

主イエス・キリストを通じて古(いにしえ)からの全ての約束を実現してくださった神様、そのお名前を讃美します。私たちは神様のご用のために取り分けられ、召されたものです。そのご用を果たすべく、私たちを清め、また強めてください。われらの救い主イエス・キリストの聖名によって祈ります。アーメン

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