第一テサロニケ – 中原キリスト教会 https://domei-nakahara.com 調布 深大寺のプロテスタント教会 Sun, 28 Jan 2024 05:46:06 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=5.3.18 https://domei-nakahara.com/wp-content/uploads/2020/03/cropped-favicon-32x32.png 第一テサロニケ – 中原キリスト教会 https://domei-nakahara.com 32 32 パウロの勧め第一テサロニケ5章12~28節 https://domei-nakahara.com/2024/01/28/%e3%83%91%e3%82%a6%e3%83%ad%e3%81%ae%e5%8b%a7%e3%82%81%e7%ac%ac%e4%b8%80%e3%83%86%e3%82%b5%e3%83%ad%e3%83%8b%e3%82%b15%e7%ab%a012%ef%bd%9e28%e7%af%80/ Sun, 28 Jan 2024 05:45:00 +0000 https://domei-nakahara.com/?p=5282 "パウロの勧め
第一テサロニケ5章12~28節" の
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1.序論

みなさま、おはようございます。第一テサロニケ書簡からのメッセージは今日で七回目になりますが、最終回となります。毎月原則一度のメッセージでしたので、ゆっくりとこの書簡を学んで参りましたが、これまでの内容を思い返しつつ、このパウロにしては比較的短い書簡の締めくくりの部分を読んで参りましょう。

さて、前々回、前回の4章13節から5章の12節までは、パウロは終末論、つまりキリストの再臨とそれにまつわる問題について述べていました。前回の説教でもお話ししましたが、キリストの再臨というのは私たちにも分からないことの非常に多い、大変難しい問題です。そして、再臨をめぐるいろいろな問題が、過去二千年の教会の歴史の中でも繰り返し起きてきました。例えば中世ヨーロッパでは、紀元千年を迎える頃にキリストの再臨が近いという期待が人々の間で高まり、自分の仕事を捨ててエルサレムに巡礼に出かける人たちが急増し、社会全体がそわそわした雰囲気に包まれてしまいました。また、キリストの再臨がいつなのかを計算するという試みも何度もなされてきました。中でも有名なのは、宗教改革者のマルティン・ルターで、彼はヨハネ黙示録の独自の解釈から、キリストの再臨の時期は1739年頃であるとし、彼自身の生きている時代は反キリストであるローマ教皇が猛威を振るっている時代なのだという見解を残しています。互いをキリストの敵だと見なし合うプロテスタントとカトリックとの間の争いは悲惨なものとなり、宗教改革の百年後から始まった三十年戦争ではドイツの人口の三分の一が死に絶えたと言われています。まさに世の終わりを思わせるような惨劇が繰り広げられたのです。そして20世紀が終わるころ、日本でもオウム真理教がキリスト教の終末論を曲解してハルマゲドン、つまり世界最終戦争が近いと唱えて多くの優秀な若者を引き付けたことは未だに記憶に新しいことです。私も地下鉄サリン事件が起きた時には大手町で働いていましたので、あの時の動揺は忘れることができません。アメリカでも同じころ、ブランチダビデアン事件という凄惨な事件が起こり、アメリカ政府を相手にしたカルト教団の本部ビルは炎上し、80人以上の信徒が死にました。このように、キリストの再臨をめぐる期待は一歩間違えれば社会を危うくさせかねない危険性を秘めたものでもあります。

そして、この第一テサロニケ書簡は、そうした終末論を巡る問題を正面から扱った最初の書簡、元祖終末論書簡とも呼べるものです。パウロはギリシアのマケドニア地方にある大都市テサロニケを訪れ、十字架に架けられて死んだユダヤ人のイエスこそ世界の主、王であると宣言し、しかもそのイエスが天から戻られて地上に住む人々を裁く日は近いという福音を宣べ伝えました。テサロニケには、パウロの伝える福音を熱心に受け入れる人々と、彼のメッセージは社会に混乱をもたらすと危険視する人々の両方を生み出しました。さらには、パウロの伝えるメッセージを受け入れた人たちの間でさえ、パウロの言わんとすることを誤解したり、あるいはもうすぐ世界が終わるのだから仕事をしても仕方がないと、だらけた生活を送る人が現れるなど、様々な問題を生じさせました。こうした混乱を収めることが、パウロがこの書簡を書いた目的の一つでした。今日のこの結びの箇所においても、終末論は大切なテーマになっています。このことに注意を留めながら、今日の箇所を読み解いて参りましょう。

2.本論

ではまず12節と13節です。これまでお話ししてきたように、パウロは紀元49年にヨーロッパ伝道のためにギリシア北部のテサロニケの地にやってきて、そこで開拓伝道を始めました。ただ、伝道の道半ばで、あまりにも迫害や反対が大きくなり、命の危険を感じて逃げるようにテサロニケを後にしました。テサロニケ教会は設立から1年も経たないうちに、無牧の教会となってしまったのです。今日の日本の教会では高齢化が進み、無牧あるいは兼牧による教会が増えています。こういう教会に重荷を持つ役員の方々のご苦労は大変なものだと聞きますが、テサロニケの教会もパウロの離脱によりそのような無牧状態になってしまいました。しかし、それでも礼拝や集会を支えるべく、イエスを信じてから1年にも満たないような新米クリスチャンの人々が、教会の柱として牧師の代わりの務めを果たしてきたのです。もちろん牧師としての訓練も、聖書の十分な学びの期間もなかったので、彼らのミニストリーはパウロとは較べるべくもなかったでしょうが、彼らなりに一生懸命説教の準備をしたりして、教会を維持発展させるために粉骨砕身したのでした。パウロは彼らの苦労を思い、こうした指導者たちに深い尊敬を払うようにとテサロニケの信徒たちに勧めています。同時に、信徒たちの間で教会のリーダーシップを巡って主導権争いのようなことが生じないように、互いに平和を保つようにと勧めています。

そして14節ですが、「気ままな者を戒め」とありますが、気ままなという言葉のギリシア語は「義務を果たすのを怠っている者」、というような意味です。パウロの書簡の中でも、この言葉を用いているのはここだけなので、パウロはこの特殊な言葉である特定の人たちを念頭に置いていたと考えてよいでしょう。ではどんな人たちかといえば、パウロは第二コリント書簡で、ここで言われていると思われる人々について、次のように非常に具体的な指示を出しています。3章の11節から15節までをお読みします。

ところが、あなたがたの中には、何の仕事もせず、おせっかいばかりして、締まりのない歩み方をしている人たちがあると聞いています。こういう人たちには、主イエス・キリストによって、命じ、また勧めます。静かに仕事をし、自分で得たパンを食べなさい。しかしあなたがたは、たゆむことなく善を行いなさい。兄弟たちよ。もし、この手紙に書いた私たちの指示に従わない者があれば、そのような人には、特に注意を払い、交際しないようにしなさい。彼が恥じ入るようになるためです。しかし、その人を敵とはみなさず、兄弟として戒めなさい。

この仕事をしない人たちというのは、クリスチャンになったときから無職だった人というわけではなく、むしろクリスチャンになった後に働くのを辞めてしまった人だと思われます。どうしてそんな話になってしまうのかと言えば、ここで終末論が関係してきます。つまり、世界の終わりが近いのならば、真面目に働いて将来のためにお金を貯えるとか、そんなことをしている場合ではない、仕事を辞めて一人でも多くの人を救うために伝道に専念しようという、そのように考えて行動していた人たちです。ですから、必ずしも怠け者というわけではなく、ちょっと慌て者といいますか、落ち着きのない人たちのことだと思われます。パウロも、この点はとても気にしていました。5章2節で書いたように、キリストの再臨はいつかというのは誰にも分からないのだから、分からないことを根拠に軽はずみな行動をすることなく、落ち着いて自分の義務をしっかり果たすようにと勧めています。実際、パウロ自身も誰よりも熱心に伝道をしていましたが、その彼は日夜汗を流して働いていました。ですから伝道を言い訳にして仕事をしないというのは許されないと、パウロは厳しいことを言うことができたのです。

次に「小心な者を励まし」とありますが、小心というのは「気落ちした人」あるいは「落胆した人」と訳してもよいかと思います。どうして落胆してしまったのかといえば、理由はいくつか考えられますが、4章13節で仲間の信徒が死んでしまったことで「悲しみに沈んだ人たち」がいたとパウロは記しています。あるいは、パウロがいなくなった後の、テサロニケでの周囲の人々からの迫害のあまりの激しさに落ち込んでしまった人たちがいたものと思われます。そういう人たちを励ますようにとパウロは勧めています。人を励ますためには希望が必要ですが、その希望とはパウロがこの書簡で繰り返し語っているキリストの来臨です。キリストが来られるのは近いのだから、それまで忍耐強く待ちなさい、ということです。ただ、このような励ましは諸刃の剣でもあります。なぜならキリストの来臨がないと、むしろさらにがっかりしてしまうかもしれないからです。この問題がこの第一テサロニケ書簡に横たわる大きな問題なのです。

次の「弱い者」については、パウロはローマ書簡やコリント書簡で「弱い者」というのを独特な意味合いで用いているために、それがどういう意味なのかは慎重に判断する必要があります。ですがこの場合は素直に解釈したほうがよいでしょう。つまり文字通りに弱い人、病気などで弱っている人か、あるいは社会的に弱い立場に置かれている人、そういう人たちを助けなさい、ということです。これは当然のことですね。自然災害の多い私たち日本人にはおのずから助け合いの精神が根付いていると言われていますが、テサロニケの信徒たちも皆大なり小なり苦しんでいたので、助け合っていたのです。そして四番目に、パウロはすべての人に対して寛容でありなさいと勧めています。寛容であれ、とは「我慢強くありなさい」という意味にも取れます。人に対してすぐにイライラしたりすることなく、辛抱強く付き合いなさい、と教えているのです。これは実際にはなかなか難しいことですが、相手の立場になることで、辛抱強さを養うことができるのでしょう。

それからパウロは次の16節、17節、18節で三つのことするようにと教えます。それは「喜ぶこと」、「祈ること」、そして「感謝すること」の三つです。いつも喜びなさいというのはパウロの他の手紙、特にピリピ教会への手紙に繰り返し出てくる言葉です。いつもハッピーな状態にある人ならばそのように喜べるかもしれませんが、辛い現実を抱えている人にはいつも喜んでいるというのは不可能に思えるかもしれません。しかしパウロは、ピリピ教会への手紙において、自分自身がすぐにも死刑になるかもしれないという崖っぷちに立たされていたのにもかかわらず、いつも私は主にあって喜んでいる、と書き記しています。それはどんなに辛い状況においても、パウロは自分のために主の助けが与えられていることに目を向けて、そのことを感謝し、喜んでいたのです。絶望的な状況の中にも、神に希望を見いだして喜んでいたのです。ですからいつも喜ぶということと、すべての事に感謝する、というのはセットで考えるべき事柄です。そして、神に感謝を表すための方法とは祈ることです。ですから「喜びなさい」、「祈りなさい」、「感謝しなさい」というのは、実際のところ一つの事を指しているということができます。そして、そうすることが「キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられる」ことなのです。

そして19節です。「御霊を消してはいけません」という短い戒めの意味はいろいろに解釈できます。一つは、倫理的・道徳的によくないことをして、私たちを導いてくださる聖霊をがっかりさせてはいけないという解釈があり、このような解釈が古くからありました。しかし、おそらくここでの意味はそういうことではないでしょう。ではどういう意味かといえば、20節と併せて考えればその意味が見えてきます。20節には「預言をないがしろにしてはいけません」とありますが、直訳すれば預言を軽蔑してはいけない、あるいは預言を無視してはいけない、ということになります。ここで言われている「預言」とは、一般的な意味での預言の事ではなく、終末の預言、キリストの来臨に関する預言であろうと思われます。冒頭でもお話ししたように、キリスト教の二千年の歴史に置いて終末への期待や預言が繰り返し起こってきましたが、それらは教会に祝福よりも混乱をもたらしてきたということは否めません。キリスト教最初期の時代であるパウロの時代においても、世の終わりへの待望は非常に強く、また世の終わりに関することを預言する人も多かったのです。しかも、キリスト教最初期においては、預言の賜物は一部の特別な預言者だけではなく、すべての信徒、一般信徒たちにも与えられていました。テサロニケ教会でもそれは同じでした。パウロがいなくなった後、信徒たちだけの集会で、ある信徒が突然立ち上がり、「私は天におられるキリストから次のようなメッセージを授かった」というように語りだす人もいたのでしょう。こういう預言行為に対し、テサロニケの信徒たちは段々警戒するようになります。本当にキリストがあなたを通じて語っていると、どうして言えるのか、あなたは単に自分の願望を語っているだけではないのか、という反発や拒絶反応が起こったというのは十分に考えられます。終末の預言というのは、確かに一歩間違えればとんでもない事態を招きかねないものだからです。ですから、そのような自由な預言活動を禁じること、それが「御霊を消す」ことであり、「預言を軽蔑する」ことだということです。しかし、パウロはそのように一様に世の終わりに関する預言を禁じることがないように、むしろそれらの預言を見分けて、本当に良い預言については受け入れなさいと教えています。ではそうすれば預言の真偽を鑑定できるのか、という疑問が生まれます。その点については、パウロ自身の教えに照らしてあまりにも逸脱したものは退けるべきだけれど、パウロの教えと調和するものは受け入れるように、と指示したと考えられます。ですから22節の「悪を避けなさい」という教えも、悪いことをしないようにしなさいという一般的な教えではなく、悪い性質の預言を遠ざけるようにしなさい、という意味であろうと私は考えています。しかし、このパウロの勧告については、今の時代に当てはめるのは慎重であるべきでしょう。パウロの時代は聖霊の働きが強力で、どんな信徒にも聖霊の力が強く働く可能性のある時代でした。それに対して今の時代は、聖霊のそこまでの強力な働きは見られません。今の時代に世の終わりについて預言する人がいたなら、むしろ騙しごとである可能性の方が高いと私は考えています。ですから今の時代においては、終末預言はすべからく退ける方が霊的に安全だと言って良いでしょう。

そして23節以降は、祝祷、終祷です。キリストが来られた時に、あなたがたが万が一にも責められることがないように、キリストがあなたがたを完全な者として守ってくださるように、という祈りです。「キリスト者の完全」というのは私たちにはあまりなじみのない見方で、私たちのような欠けの多い者が完全なんかになれるんだろうか、というのは誰もが感じることかもしれません。ただ、完全というのは一つも間違いのない人間という意味ではありません。そんな人はどこにもいないからです。人の一生に譬えるならば、子供はまだ完全な大人にはなっていません。身長も、体の各機関も成長段階です。しかし、みないずれは完全な大人になります。完全と言っても、いまだに欠けだらけの大人ですが、子どもと比較すれば完全に成長した人間だということができます。キリスト者も同じです。私たちはみなキリストの身の丈にまで、つまり霊的に大人になるまで成長していきます。キリストの身の丈になったといっても、それはキリストと全く同じになるとか、キリストと同じ完全さを身に着けるということでもありません。しかし一人のキリスト者として十分に成熟したとは言えます。そのような段階にまで、あなたがたが健やかに成長できるようにと、パウロは祈っているのです。その祈りは私たちに対する祈りでもあります。

最後にパウロは、この手紙がすべての信徒たちの間で読まれるようにと指示して、手紙を締めくくっています。

3.結論

まとめになります。これまで七回にわたり、現存するパウロ書簡の中でも最も古いものとされる第一テサロニケ書簡を学んで参りました。この書簡はローマ書簡やコリント書簡のような長大な手紙と比べると短いものの、パウロのテサロニケ教会に向ける熱い思いが伝わってくる、大きな魅力を持った書簡でもあります。テサロニケ教会の特徴は、非常に若いということ、つまり設立されてから1年ぐらいしか経ていない若い教会であり、にもかかわらず大変な苦難や試練を経験した教会だということです。それはまず設立者であり牧会者であるパウロを失ってしまったこと、そしてパウロが去った後にテサロニケの人々からの批判や迫害の矢面に立つことになってしまったことです。普通に考えればとても耐えられないような状況、教会が空中分解してしまうような状況にあったテサロニケの人々ですが、その彼らを支えたのがキリストの来臨の希望でした。もうすぐキリストが天から戻られて私たちを救ってくださる、そのような希望が苦難の中にある彼らを支えたのです。しかし、そのような希望は諸刃の剣でした。そもそもキリストの来臨とは何なのか、その時に何が起きるのかがよく分かりませんでした。またその時期についても不明です。ですから期待と憶測が入り混じり、信徒たちは来臨について様々な預言の言葉を語りだし、それは教会内の混乱を益々深めてしまいました。このような困難な状況にある信徒たちを助けるために、パウロはこの手紙を送ったのです。パウロのポイントは明快です。キリストがいつ来るのかは誰にも分からないのだから、あれこれ憶測することはせずに、むしろ主がいつ戻って来られても恥ずかしくないように、しっかりとした地に足の着いた歩みを続けなさい、ということです。

私たちはパウロの時代から2千年も離れた時代にいますが、「終末」ということについては現実味を帯びた時代に生きています。アメリカの科学雑誌は、人類の歴史を60分にたとえると、終わりまでの時間があと90秒しかないと発表しました。どういう根拠でそう言えるのかよく分からないセンセーショナルな発表だという気がしなくもないですが、人類絶滅とまではいかなくても、私たちが困難な状況にあることは間違いありません。クリスチャンの中には、主の再臨を待望し、キリストがすべての問題を一挙に解決してくれることを望んでいる方もいます。しかし、パウロがキリストの再臨がもうすぐだと言った時から二千年も経っているのですから、再臨の時が今の時代からさらに二千年、あるいはもっと長い期間の後であっても何の不思議もありません。ですから私たちも、それがいつかと詮索することなしに、むしろいつキリストが戻られても恥ずかしくないように、日々自分に与えられた責任をしっかりと果たしていこうではないですか。そのような力を与えてくださるように、祈りましょう。

テサロニケの教会を守り導いてくださった神様、また今日では当教会を守り導いてくださる神様、そのお名前を讃美します。私たちはキリストの来臨を待ち望みつつ、しかし同時にそのことによって動揺することなく着実な歩みを続けたいと願っています。どうか私たちの歩みを導いてください。われらの平和の主、イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

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目をさましていましょう第一テサロニケ5章1~11節 https://domei-nakahara.com/2023/12/31/%e7%9b%ae%e3%82%92%e3%81%95%e3%81%be%e3%81%97%e3%81%a6%e3%81%84%e3%81%be%e3%81%97%e3%82%87%e3%81%86%e7%ac%ac%e4%b8%80%e3%83%86%e3%82%b5%e3%83%ad%e3%83%8b%e3%82%b15%e7%ab%a01%ef%bd%9e11%e7%af%80/ Sun, 31 Dec 2023 03:07:00 +0000 https://domei-nakahara.com/?p=5209 "目をさましていましょう
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1.序論

みなさま、おはようございます。今日は今年最後の礼拝であるのみならず、今年の最終日になります。振り返ってみれば、いろいろあったようにも思えるし、あっという間だったという感じもいたします。ともかくも、無事に年末を迎えられるのは大変ありがたいことで、年末年始はいきおいリラックス・ムードになるものです。忘年会などで深酒をして、うとうとと眠り込んでしまう、そんな時期です。そんな中で、今日のメッセージはハッとさせられる、気を引き締めさせられるような響きがあります。

いつも目を覚ましていなさい、というのが今日のパウロのメッセージです。そしてその教えは、主イエスのメッセージを思い起こさせるものでもあります。マタイ福音書の24章は、主イエスの終末に関する教えですが、そこに今日のパウロの教えと非常に近い内容のことが書かれています。少し長くなりますが、今日の箇所とも関係が深いところでもあるので、42節以降を読んでみましょう。

だから、目をさましていなさい。あなたがたは、自分の主がいつ来られるか、知らないからです。しかし、このことは知っておきなさい。家の主人は、どろぼうが夜の何時に来ると知っていたら、目を見張っていたでしょうし、また、おめおめと自分の家に押し入られはしなかったでしょう。だから、あなたがたも用心していなさい。なぜなら、人の子は、思いがけない時に来るのですから。主人から、その家のしもべたちを任されて、食事時には彼らに食事をきちんと与えるような忠実な賢いしもべとは、いったいだれでしょう。主人が帰って来たときに、そのようにしているのを見られるしもべは幸いです。まことに、あなたがたに告げます。その主人は彼に自分の全財産を任せるようになります。ところが、それが悪いしもべで、『主人はまだまだ帰るまい』と心の中で思い、その仲間を打ちたたき、酒飲みたちと飲んだり食べたりし始めていると、そのしもべの主人は、思いがけない日の思わぬ時間に帰って来ます。そして、彼をきびしく罰して、その報いを偽善者たちと同じにするに違いありません。しもべはそこで泣いて歯ぎしりするのです。

長い引用になりましたが、とても有名な箇所ですね。「人の子」とは主イエスのことです。天に昇られた主イエスは、いつかこの世界を裁くために戻って来られますが、その時期はいつだか誰も知らないのだから、注意しなさいという内容です。パウロも今日の聖書箇所を書くときに、イエスのこの教えを念頭に置いていたものと思われます。「主の日が盗人のように来る」というのは、まさにイエスの警告そのものだからです。しかし、では具体的に「目をさましている」というのはどういう意味なのでしょうか。どのような生き方を指しているのでしょうか。そのことを考えながら、今日の聖書箇所を読んで参りましょう。

2.本論

まず1節を見ましょう。「それらがいつなのか」についてはあなたがたは知る必要はない、という書き出しになっています。この「それら」とは、パウロが4章の後半で話していた内容です。つまり、4章16節で「主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます」とパウロが記した内容のことです。ここで言われている「主」とは、もちろんイエス・キリストのことです。「御使いのかしら」とは天使長であるミカエルのことかもしれません。キリストは、大天使ミカエルの大号令の下に、地で行われている不正や悪を裁くため、あるいはこの世の悪に苦しんでいるご自身の民を救うために、天から下ってくるというのです。パウロはそれを「主の日」と呼びますが、その日はキリスト教神学では「キリストの再臨」と呼ばれます。再臨とは、キリストが再び来るという意味です。

キリストの再臨とは一体どのような出来事なのか、私たちには想像もつきません。ただ、かなり確信を持って言えることは、キリストが文字通りに白馬に乗って空から降りて来るということではないだろう、ということです。しばしばキリストの再臨はそのようなイラストで描かれることがありますが、これは比喩的な表現であって文字通りに取るべきではないということです。もしキリストが文字通りに空から地上のある地点、例えば聖地エルサレムをめがけて天から下って来たとしても、地球の反対側の日本にいる私たちはそれを見ることができないでしょう。テレビがあれば衛星放送でそのスペクタクルな情景を見ることができるかもしれませんが、テレビとは無縁の生活を送っている人にはそれを知るすべはない、ということになります。そうなると、キリストの再臨があっても、地球上の様々な地域にいる少なからぬ人たちはそれとは関係なく日常生活を続けることになります。いずれはそういう人たちにもイエスの再臨のニュースが何らかの形で届けられるのかもしれませんが、それはいつになるのか分かりません。だいたい、主イエスが二千年前に来られたという「福音」ですら、世界中すべての人に伝わっているわけではないのですから。

しかし、キリストの再臨はエルサレムやその周辺に住んでいる人たちや、あるいは文明の利器であるテレビを持っている先進国の人たちだけに関係することではないはずです。むしろそれは全世界のすべての人にとって重要な出来事であるはずです。また、それが起きた時には、世界中の人が同時にそれを知るようになるはずです。ですから、キリストの再臨とは文字通りにキリストが空から地上の特定の場所に降りて来ることではないのだろうと、思えるのです。むしろそれは、私たちの心、あるいは精神の領域で起きるのかもしれません。つまり世界中の人たちが、キリストこそ世界の真の王であると認識するようになる、瞬時のうちに、地上のあらゆる人が隠された真実、イエス・キリストの真の姿をはっきりと知るようになる、そんな瞬間なのではないでしょうか。

それは一瞬にして意識の中に伝わってくるテレパシーのようなものかもしれませんが、具体的なイメージは私も持ち合わせてはいません。もちろん、キリストの再臨とは純粋に精神世界での出来事で、物質世界には何の変化も起きない、といっているわけではありません。パウロは、キリストが再臨する時に生きている人は、たちまちのうちに不死の体に変えられると言っています。そのような劇的な変化は起きるでしょうが、それは人間の精神の変化、あるいは霊的な状態を反映したものとなるでしょう。なにしろ、キリストの再臨については新約聖書も詳しく語っているわけではないので、私たちが知りもしないことをあれこれ詮索するのはあまり有益なことではありません。ただ一つだけ確信を持って言えることは、キリストの再臨とよばれる出来事が起きる時には、クリスチャンや世界の一部の人ではなく、すべての人がそれを知るだろうということです。

これに関連して、キリストの再臨は世界に終末をもたらすと信じられていますが、終末といってもこの世界が滅びることではない、ということも強調しておきます。キリストの再臨に伴って文字通りの意味で大宇宙が崩壊する、つまりいくつもの恒星が空から巨大な隕石となって地球に落ちてきたり、宇宙そのものが巨大なブラックホールの発生によって文字通りにバラバラになるというようなことではないだろうということです。むしろ、地上の人々にキリストの真の姿がはっきりと示されることを通じて、多くの人たちが当たり前のように信じていた常識や考え方が一瞬にして崩れ去る、古い世界観が粉々になる、イエスが語る「天地が滅びる」(マルコ13:31)という表現は、そのような精神世界の大変動を言っているように思えます。

このように、「主の日」というのは、新約聖書ではキリストの再臨を指す言葉として用いられていますが、この「主の日」という言葉自体は旧約聖書で何度も登場する言葉です。旧約の時代にはまだイエスは知られていませんので、当然ながら「主の日」とはキリストの再臨のことではなく、むしろ全世界に神の怒りが降る時だというように捉えられていたようです。旧約聖書にはいくつかそのような預言がありますが、そうした預言は恐怖を呼び起こすものです。救いの時というより、裁きの時というイメージが非常に強いです。その代表的なものとして、旧約聖書のゼパニヤ書には次のような預言があります。1章14節以降をお読みします。

主の大いなる日は近い。それは近く、非常に早く来る。聞け。主の日を。勇士も激しく叫ぶ。その日は激しい怒りの日、苦難と苦悩の日、荒廃と滅亡の日、やみと暗黒の日、雲と暗やみの日、角笛とときの声の日、城壁のある町々と高い四隅の塔が襲われる日だ。わたしは人を苦しめ、人々は盲人のように歩く。彼らは主に罪を犯したからだ。彼らの血はちりのように振りまかれ、彼らのはらわたは糞のようにまき散らされる。彼らの銀も、彼らの金も、主の激しい怒りの日に彼らを救い出せない。そのねたみの火で、全土は焼き払われる。主は実に、地に住むすべての者をたちまち滅ぼし尽くす。

恐ろしい預言ですね。神の怒りは一部の人たちだけでなく、地に住むすべての人に臨むというのです。新約聖書の「主の日」とは、神の怒りの日であると共に、キリストによる全世界の人々の救いの日であるとされていますが、旧約の預言では明らかに神の怒りの方に重点が置かれています。しかし、そこにも救いがないわけではありません。ゼパニヤは続けて2章で、神の怒りから逃れる道をも示しているからです。

恥知らずの国民よ。こぞって集まれ、集まれ。昼間、吹き散らされるもみがらのように、あなたがたがならないうちに。主の燃える怒りが、まだあなたがたを襲わないうちに。主の怒りの日が、まだあなたがたを襲わないうちに。主の定めを行うこの国のすべてのへりくだる者よ。主を尋ね求めよ。義を求めよ。柔和を求めよ。そうすれば、主の日にかくまわれるかもしれない。

ここにあるように、神の怒りを逃れる道とは、へりくだって歩むこと、主を尋ね求め、義と柔和を求めることだということです。新約聖書では、キリストを信じることが救いの道であるということが強調されますが、旧約聖書では何を信ずべきかということよりも、どのように生きるべきか、ということの方が強調されます。もちろんこの点は新約でも大切なことです。「信仰」というのは、単に頭の中で何かを信じることではありません。行動が伴ってこそ、本物の信仰です。ですから旧約聖書が教えるように、へりくだって柔和な生き方をすることが、すなわちキリストへの信仰を持つ人の生き方だと言うことができます。「キリストを信じる」ということは、単にキリスト教の教理の幾つかを信じることではなく、「主を恐れる」歩みをすることだ、ということです。そして、残念ながら世の中の多くの人は、主を恐れることを忘れてしまっています。私たちは世界を好きなように扱ってよいわけではありません。私たちはこの地球を、真の所有者である神から預かっているのです。ですから私たちは神に対して、クリスチャンであろうとなかろうと、地球の管理者としての説明責任があります。しかし私たち人類はそのことを忘れて、地球環境を好きなように扱ってしまっています。神を忘れて、パウロが3節で言うように「平和だ。安全だ」と言っているような状況なのですが、それは実は危険な状態なのです。自分の身の回りだけを見回して、そこが安全であるなら、平和であるならそれで満足し、もっと広い世界の状況を見ようとしない、注意しようとしない、そういう自己中心的な状態に陥らないようにしたいものです。旧約聖書でも、預言者エレミヤはそのことを警告しています。当教会では3年前にエレミヤ書を学びましたが、ここでエレミヤ書6章13節以降をお読みします。

「なぜなら、身分の低い者から高い者まで、みな利得をむさぼり、預言者から祭司に至るまで、みな偽りを行っているからだ。彼らは、わたしの民の傷を手軽にいやし、平安がないのに、『平安だ、平安だ』と言っている。彼らは忌みきらうべきことをして、恥を見ただろうか。彼らは少しも恥じず、恥じることも知らない。だから、彼らは、倒れる者の中に倒れ、わたしが彼らを罰する時に、よろめき倒れる」と主は仰せられる。

このように、人々は上から下までお金のことばかり考えて、自分の身の回りさえ安全ならば他の人はどうでもよいとばかりに「平和、平和」と念仏のように唱えているというのです。エレミヤがもし今日の日本に生きていたとしたら、おそらくまったく同じ預言の言葉を投げかけたことでしょう。日本も上から下まで利得をむさぼり、それが明るみになっても、「みんなやっていることだ」と平然としています。世界を見回せば終わらない戦争が続いている中で、日本のリーダーである政治家はお金の事ばかり考えて、国民にはマイナンバーだインボイスだと、お金の流れを透明にするように求めておきながら自分たちは数千万円もの裏金を作り、「政治にお金がかかるのは当たり前だ」と開き直っている姿はまさに「恥を知らない」という言葉が残念ながら当てはまってしまいます。パウロはこのような人々を評して、「眠る者は夜眠り、酔う者は夜酔うからです」と言っているのです。つまり、世の中の欲得がらみのことばかりに心を奪われ、真実が見えなくなっている状態、感覚が麻痺してしまっている状態をパウロは「眠っている」と表現しています。自分自身のこの世での地位やステイタスにばかり目が行ってしまい、神の目には自分の魂の状態がどのように映っているのかには気を配らない、そのような状態の人は神の目には眠りこけている人なのです。主イエスも、そうならないようにと警告をしています。

あなたがたの心が、放蕩や深酒やこの世の煩いのために沈み込んでいるところに、その日がわなのように、突然あなたがたに臨むことのないように、よく気をつけていなさい。(ルカ21:34)

主イエスやパウロの言う「目をさましている」とはそれとは反対の状態のこと、つまり世の中の欲得ばかりに心を奪われずに、神の愛と正義を自らの生活の中心に据えることです。霊的な暗がりにいる人は自分の魂の欠点が良く見えず、たとえそれがひどい状態だったとしても気にしません。まるで酔っているかのように、自分の本当の姿を客観的に見ることができないからです。それに対し、神の光の中を歩んでいる人は、自分の魂の状態を常にはっきりと知ることができます。もちろん、それはいつも望ましい状態であるとは限りません。あまり褒められたものではない霊的な状態であるかもしれません。しかし、神の光に照らされて、自分の欠点がよく見える人は、努力してそこから良くなろう、改善しようとします。そのような努力が大切なのです。そして、世の中の悪い影響から自分自身の身を、魂を守ろうとします。パウロはこのことを、「しかし、私たちは昼の者なので、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの望みをかぶととしてかぶって、慎み深くしていましょう」と防具のたとえを引きながら勧めています。

霊的な暗やみの中を歩む人にとっては、イエスが来られて自分たちの恥ずかしい状態が明るみに出ることは破滅を意味します。パウロはそのことを「御怒りに会う」という言い方で表現しています。しかし、光の中を歩み、常に自らの霊的状態の向上に励んでいた人にとっては、主の来臨は喜ぶべき時、救いの時となります。主イエスが死なれたのは、正に私たちがそのような正しい道を歩めるようになるためだったのです。パウロは10節で、

主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが目ざめていても、眠っていても、主とともに生きるためです。

と語っています。紛らわしいですが、ここでの「眠っていても」というのは霊的に酔っぱらった状態にあることではなく、比喩的な意味で死んだ状態の事を指しています。つまりここでパウロは、私たちは生きていても死んでいても、つねに主とともに歩んでいるのです、と言っているのです。パウロはこのことをピリピ書で、「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬことも益です」(ピリピ1:21)と語っています。なぜ死ぬことが益なのかといえば、それはキリストと共にいることができるからです。このように、パウロはいつ来るのか分からない主の日に備えて、つねに霊的な向上を心がける生活を送るようにと勧めています。その締めくくりの言葉が11節にあります。

ですから、あなたがたは、今しているとおり、互いに励まし合い、互いに徳を高め合いなさい。

パウロはテサロニケ教会の人々の歩みを肯定しています。テサロニケの教会は、設立されたばかりで十分な力はなかったけれども、厳しい迫害の中でも信仰を守り通しました。そんな彼らに対し、パウロは「あなたがたはよくやっている、だから今の歩みを続けなさい」、と言っているのです。しかしそれは一人でできることではありません。仲間たちと励まし合い、良い意味で競い合いながら、高みを目指していきなさいと勧めています。実に、教会の存在意義はここにあるのです。

3.結論

まとめになります。今日は今年最後の礼拝となりましたが、一年を締めくくるにふさわしい、目の覚めるようなパウロの勧めの言葉を学びました。私たちは旅人のようなものです。旅には終着点があるように、私たちの人生にはいつか終わりがあるし、私たち人類全体の歩みも、始まりがあれば終わりもあるのでしょう。私たちは自分の寿命がいつ終わるかを知りませんし、人類全体ともなれば、なおのこと知りようがありません。ですから、いつ終わりがくるのかなどと考えるよりも、今の歩みを大切にしたいものです。また私たちの今の命は、永遠のいのちの準備の時でもあります。私たちは今の世で、来世のために自らの霊性を育てなくてはいけないのです。ただ、何も難しいことをする必要はありません。私たちにできることは、今生かされていることを感謝し、一日一日を大切にし、人との交わりを大切にし、神に喜ばれるように歩むことです。今年一年無事に歩めたことを感謝し、来年も喜びをもって一日一日、主の前を歩む、それが「目をさましている」ということです。来年も主の導きがあるように、共に祈りましょう。

2023年の私たちの歩みを守ってくださった神様、感謝いたします。明日から始まる新年においても、御前を歩ませてください。来年こそ、世界での戦争や紛争が終わりますように。私たちもそのために祈り、行動できますように。われらの救い主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

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眠った人々について第一テサロニケ4章13~18節 https://domei-nakahara.com/2023/11/26/%e7%9c%a0%e3%81%a3%e3%81%9f%e4%ba%ba%e3%80%85%e3%81%ab%e3%81%a4%e3%81%84%e3%81%a6%e7%ac%ac%e4%b8%80%e3%83%86%e3%82%b5%e3%83%ad%e3%83%8b%e3%82%b14%e7%ab%a013%ef%bd%9e18%e7%af%80/ Sun, 26 Nov 2023 05:07:00 +0000 https://domei-nakahara.com/?p=5107 "眠った人々について
第一テサロニケ4章13~18節" の
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1.序論

みなさま、おはようございます。本日は当教会では召天者記念礼拝で、先に天に召された信仰の兄弟姉妹のことを覚える日です。そして今日の聖書箇所は、親しい兄弟姉妹と死別して悲しんでいるテサロニケの信徒たちを慰め、励ますために使徒パウロが書き送った箇所です。ですから召天者記念礼拝にふさわしい聖書箇所だと言えるでしょう。

パウロがこの手紙を書いたのは、テサロニケの信徒たちが「他の人たちのように悲しみに沈むことがないように」するためでした。他の人たち、というのはクリスチャン以外の人々を指しています。つまり、テサロニケという大都市にいた一般のギリシア人のことです。クリスチャンであろうとなかろうと、親しい人々と死別することは大きな悲しみですが、その死んだ人々がどうなるのか、死後の魂がどのような状態になると考えているのか、その見方によって悲しみ方も変わってくるでしょう。パウロはテサロニケの信徒たちに、あなたがたには希望があるのだから、他の人たちにように悲しんではいけないと言っているのです。

私たち現代人の間でも、人が死んだらどうなるのかという問いについての考え方は様々です。私もクリスチャンではない学生さんたちに、死後の世界があると思うか、という質問をしたことがありますが、あると答えた人と、ない、死んだらすべて消滅すると答えた人が半々ぐらいでした。若い人の間でも死後の世界をなんとなく信じている人が結構いるのだな、という印象を受けました。現代は唯物論が優勢な時代、つまり物質がすべてで、精神や霊などは存在しない、意識というのは脳内の化学反応に過ぎず、物質的な基盤が失われれば意識も消滅すると考える人が増えています。しかし、これは現代だけの特殊な考え方ではありません。イエスやパウロの時代にも、そのように考える人は多かったのです。イエスの時代から100年ほど前の時代に書かれた書で、旧約聖書続編に含まれている『知恵の書』という知恵文学がありますが、そこには次のような一節があります。

我々の一生は短く、労苦に満ちている。人生の終わりには死に打ち勝つすべがない。我々の知るかぎり、陰府から戻って来た人はいない。我々は偶然に生まれ、死ねば、まるで存在しなかったかのようになる。鼻から出る息は煙にすぎず、人の考えは心臓の鼓動から出る火花にすぎない。それが消えると体は灰になり、魂も軽い空気のように消えうせる。我々の名は時とともに忘れられ、だれも我々の業を思い出してはくれない。我々の一生は薄れゆく雲のように過ぎ去り、霧のように散らされてしまう。太陽の光に押しのけられ、その熱に解かされてしまう。我々の年月は影のように過ぎ行き、死が迫るときは、手のつけようがない。死の刻印を押されたら、取り返しがつかない。だからこそ目の前にある良いものを楽しみ、青春の情熱を燃やしこの世のものをむさぼろう。(知恵の書2:1-6)

これはとても現代的な響きがある一文です。まさに死んだらそれですべて終わり、という見方です。ですから生きている間にどれだけ楽しむか、ということが関心のすべてとなり、この世の楽しみのためには他の人を傷つけたり、他の人から奪ってもよいのだという、恐ろしい考え方に至ります。死後の裁きなどないのだから、道徳など気にせずともよい、と考える人たちを『知恵の書』は描いています。

死後のいのちを否定するという考え方は神を知らない異邦人特有の考え方かというと、そうでもありませんでした。実は、神を信じるユダヤ人の中にも、死後のいのちを信じない人たちがいました。それも、大祭司などユダヤ人社会のエリート中のエリート、宗教的指導者であるサドカイ派はそのような信仰の人たちでした。このサドカイ派と、死後のいのちやからだのよみがえりを信じるパリサイ派の違いについてよく分かる箇所があります。それは使徒の働きの23章6節以降です。そこをお読みします。

しかし、パウロは、彼らの一部がサドカイ人で、一部がパリサイ人であるのを見て取って、議会の中でこう叫んだ。「兄弟たち。私はパリサイ人であり、パリサイ人の子です。私は死者の復活という望みのことで、さばきを受けているのです。」彼がこう言うと、パリサイ人とサドカイ人との間に意見の衝突が起こり、議会は二つに割れた。サドカイ人は、復活はなく、御使いも霊もないと言い、パリサイ人は、どちらもあると言っていたからである。

このエピソードから分かるように、サドカイ人は死後のいのちを信じていませんでしたが、パリサイ派はクリスチャンと同じく、死後も人の霊は存続することや、さらにはからだがよみがえること、つまり復活も信じていました。パリサイ派とクリスチャンはこの点では信仰を共有していました。パウロも、元パリサイ派でイエスを信じてクリスチャンになった人ですので、キリスト教信仰に入る前も、信じた後も、死後にも霊が存続し、さらにはその霊が新しいからだをもってよみがえること、復活することを信じていました。

しかし、パウロが宣教をしたテサロニケの人たちはそうではありませんでした。彼らの中にも、人は死んだ後にもその魂が生き続けると信じていた人たちは少なくありませんでしたが、彼らの死後のいのちに対する考えた方は漠然としており、またそのいのちが喜ばしいものであるとは必ずしも考えてはいませんでした。天国のような素晴らしい世界があるとしても、そこに行ける人がごく限られた特別な人たちに過ぎない、と考える人の方が多かったようです。他のほどんどの人は、天国でも地獄でもない世界に行くのだろうけれど、そこがどんな世界なのかはよく分からないと考えていたようです。そんな彼らにとって、パウロの語る福音は衝撃的なものでした。別に特別な人ではなくても、イエスを信じ従う人はみな、天国のような素晴らしい世界に行くことができるのだと。いや、パウロはもっとすごいことを語りました。それは、イエスを信じる人は死を味わうことなく、天から戻ってこられるキリストによって、生きたまま新しいからだを与えられ、そして新しくされた世界、刷新された世界をそのまま受け継ぐことできるのだ、とパウロは教えました。この、死を味わうことなく、生きたまま新しいいのち、新しいからだを与えられるというパウロの教えは衝撃的であり、また大変魅力的なものでした。死ぬ、ということは誰にとっても未知の領域であり、恐怖を感じさせるものです。もし死を経験することがないというなら、それは大変ありがたいことです。テサロニケの信徒たちはこのような希望を抱いていたので、キリストが来られる前に死んでしまった仲間のクリスチャンを見送った彼らの衝撃も大きなものでした。「キリストはすぐに戻ってこられるのではなかったのか。そして私たちは死ぬことなく、生きたまま新しいいのちへと変えられるのではなかったのか。この死んでしまった仲間はいったいどうなってしまうのか」というような動揺が広がったのです。そのようなテサロニケの信徒に対し、パウロは嘆き悲しんではいけない、と書き送ったのです。そのような背景を踏まえて、今日の箇所を読んで参りましょう。

2.本論

では13節です。「眠った人々については」というのは、死んだ人たちについては、という言葉の婉曲表現です。ただ、注意したいのは、パウロは人は死んだ後に眠ったような状態になる、と言いたいわけではないことです。ですから「眠った人々」という言葉をあまり字義通りに取らないようにすべきです。この点については後ほどお話しします

ともかくも、パウロがテサロニケを去った後、教会員の中で死んでしまった人がいたのでした。周囲の社会からの圧力や厳しい迫害に良く耐えて来たテサロニケの信徒たちでしたが、もしかするとそうした迫害が原因で命を落とした仲間がいたのかもしれません。迫害が直接の原因ではなかったとしても、厳しい状況を共に堪えてきた仲間が亡くなってしまったということは、大きな動揺と悲しみをもたらしたことでしょう。彼らの動揺をさらに大きくしたのは、パウロの教えによればキリストはすぐにも天から戻ってきて、そのとき生きている信徒たちを生きたまま不死のからだへと変えてくださるはずだったからです。つまり、彼らは死を味わうことなく新しいいのちへと移ることができると信じていたのです。しかし、仲間の信徒の何名かは、キリストが天から来られる前に死んでしまいました。死んでしまった人たちは、これからキリストが戻ってこられる時にどうなるのか、彼らは栄光のいのちを得ることなく滅んでしまったのではないか、とそのように考えてしまう人たちがいて、彼らは深い悲しみに沈んでしまいました。

パウロはこのような誤った考えによって意気消沈している人たちに、悲しんではいけないと励まします。先に死んでしまった人のことを悲しむ必要はないのだとパウロは訴えます。なぜなら、キリストも死を経験されたからです。キリストは死の苦しみを味わいましたが、しかし神はキリストを死者の中から復活させられました。ですから、キリストを信じ、キリストにあって死んだ人たちのことも、神は必ず復活させるはずだ、だからあなたがたは悲しむ必要などないのだ、とパウロは論じます。ここには、キリストとキリストを信じる者たちとの間には、絶対的な強いきずながあるのだ、というパウロの確信があります。キリストを信じる者は、キリストとの神秘的なつながりがあるのです。キリストが死に打ち勝ったのなら、キリストを信じる人にも同じことが起きるのです。

そして15節で、パウロは自分の言っていることが確かである証拠として、「主のみことばどおりに言います」と語ります。この「主のみことば」とはどういう意味なのか、解釈が分かれるところです。地上での生涯を送られたイエスがペテロたち十二弟子に教えられたことなのか、あるいは死と復活を経て天に上げられた栄光のキリストが、天から啓示や幻を通じてパウロや他のクリスチャンに語られた内容なのか、そのどちらの可能性もあります。ただ、福音書を読む限り、地上の生涯を過ごされたイエスが、ここでパウロが記しているような内容を語ったことはないので、おそらくこれは天に昇られたキリストが、パウロかあるいはほかのクリスチャンに語った内容なのではないかと思います。

実際、キリストの再臨の時に起こることは「奥義」あるいは「神秘」に属する事柄なのです。キリストの再臨の際に起こることについて、パウロは第一コリント15章の51節で、それはミステリオン、つまり「奥義」なのだと語ります。この「ミステリオン」という言葉の意味は、これまでの時代には隠されてきた神の救いの計画という意味です。ですから、このことはパウロの時代までは秘密にされてきた事柄です。したがって、パウロがここで書かれていることは旧約聖書には書かれていない内容です。第一コリントの15章51節では、パウロはこう述べています。

聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみな、眠ることになるのではなく変えられるのです。終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。

つまりパウロは、キリストが戻られる時に生き残っている人は、死ぬことなく変えられる、不死のからだへと変えられると言っているのです。テサロニケの信徒たちも、この奥義をパウロ自身から伝えられていたのでしょう。だからこそ、死んでしまった仲間の信徒たちのことで動揺してしまったのです。そこでパウロは、彼らが十分に理解していなかった事柄、つまり再臨前に死んでしまった人たちのことをここで説明しているのです。

パウロは、キリストの再臨の際に、生きている人たちが生きたまま変えられる前に、まず死んだ人たちがよみがえることになるのだ、と記しています。天からキリストが下って来られるときに、「キリストにある死者が、まず初めによみがえり」とあります。このように、イエスが再臨する時に、死者は新しい朽ちないからだへとよみがえります。それから、「生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです」とあるように、キリストの再臨の時まで生きているクリスチャンは、生きたまま新しいからだに変えられて、天に引き上げられるというのです。このように、パウロはキリストが再び来られるときに何が起こるのかについて、このテサロニケ書簡やコリント書簡で詳しく説明しています。

しかし、ではそのキリストの再臨が起きるのはいつなのか、ということは誰にも分かりません。パウロ自身は、自分が生きている間にキリストの再臨があると信じていました。ですから「生き残っている私たち」と記しているように、自分を含めたテサロニケの信徒たちは死を味わうことなく新しいいのちへと移ることを期待していました。しかし、そのようにはならなかったのです。あのパウロですら、キリストがいつ来られるのか、その時期については何も知らなかったということです。ですから、私たちも、あるいはキリスト教会のどんな偉い人や高い地位の人でも、再臨がいつなのかということについては何も知りません。なぜなら、パウロより偉大なクリスチャンなど、世界中を探してもおそらく見つからないだろうからです。再臨は今から千年後かもしれないし、一万年後かもしれないし、あるいは十年後かもしれません。私たちにはそれを知る手掛かりはありません。

では死んでからキリストが再臨して新しいからだをいただけるまでの間、死者の魂はどのような状態になっているのでしょうか?主にあって死んでいったこれまでの二千年間の世界中の無数のクリスチャンたち、その中には私たちが良く知る、先に天に召された敬愛する兄弟姉妹たちも含まれるわけですが、彼らは今どこでどうしているのでしょうか?彼らは眠っているのでしょうか?あるいは起きているのでしょうか?何か仕事をしているのでしょうか?私たちは、死後の世界、あの世がどうなっているのかについては知りようがないし、聖書にもそれについての情報は断片的なことが少し書かれているだけです。しかし、この点についてもパウロは重要なことを書いています。それはピリピの手紙においてです。この手紙を書いている時に、パウロは獄中にいて、自分が死刑になるかもしれないと思っていました。しかし、パウロは仮に死刑になったとしても、私はそれを恐れないし、悲しむこともないと書いています。その箇所、ピリピ書1章21節から22節をお読みします。

私にとっては、生きることはキリスト、死ぬことも益です。しかし、もしこの肉体のいのちが続くとしたら、私の働きが豊かな実を結ぶことになるので、どちらを選んだらよいのか、私には分かりません。私は、その二つのものの間に板ばさみとなっています。私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。実はそのほうが、はるかにまさっています。

パウロは、自分が死んだ後には直ちにキリストと共にいることになる、と書いています。しかもそれは、キリストが天から来られて死者をよみがえらせる前のことなのです。キリストが来られた後には、復活のからだをいただいてキリストと共にいることになりますが、復活のからだをいただく前の霊の状態においても、キリストと共にいるようになるとパウロは言っているのです。キリストを信じて死んでいった人たちは、キリストの再臨の前にもキリストと共にいることができるのです。ですから、死んでいった主にある兄弟姉妹の方々は、今眠っているわけではありません。死んだ後も、起きていて意識を持ち続けているのです。それがどんな状態なのか、詳しいことは分かりませんが、パウロはその状態が「はるかにまさったもの」だと書いています。私たちの愛する兄弟姉妹たち、先に天に召された仲間たちも、とても良い状態にいるということなのです。そのことで、私たちも励ましや慰めを得ることができます。

3.結論

まとめになります。今日はパウロの手紙から、主イエスを信じて死んでいった兄弟姉妹たちがどのような状態にあるのかを学んで参りました。パウロは特に、キリストが再び来られる時、再臨の際に何が起きるのかを詳しく書いています。しかし、残念ながらキリストの再臨というのはいったいいつ、どのようにして起きるのか、私たちには分かりません。むしろ私たちの関心は、今現在、主にあって天に召された兄弟姉妹たち、私たちの愛する仲間たちがいまどうなっているのか、そこにあります。パウロはこの点についても、大変励まされることを書いています。彼らはいま、キリストと共にいるというのです。

しかし、キリストと共にいるといっても、これまで二千年間に地上での生涯を送った何万、何億ものクリスチャンの人たちが、一人しかいないキリストと一緒にいられるのだろか、と思われるかもしれません。これはもっともな疑問ですね。聖霊とは違い、キリストはからだをもっておられます。そのキリストが、何億人もの人たちと同時にいることは物理的には無理ではないか、ということです。それについては、天国のキリストは太陽のような存在だという人もいます。この世界でもすべての人が太陽を見ることができるように、天国でもすべての人はキリストを見ることができるというのです。それがどんな状態なのか、想像もできませんが、ともかくも、主にあって死んだ兄弟姉妹は幸せな状態にいるのです。そのことに感謝し、私たちも同じように地上における信仰の歩みを全うしたいと願うものです。お祈りします。

イエス・キリストを死者の中からよみがえらせた父なる神様、そのお名前を讃美します。今日は召天者記念礼拝で、先に天に召された人たちを覚える日です。その彼らが今どうしているのか、これからどうなるのかを、パウロの書簡から学びました。私たちもそのことで慰められ、また希望を持っています。この希望を胸に、私たちもまた信仰の生涯を全うできますように。われらの救い主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

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キリスト者としての生き方第一テサロニケ4章1~12節 https://domei-nakahara.com/2023/11/19/%e3%82%ad%e3%83%aa%e3%82%b9%e3%83%88%e8%80%85%e3%81%a8%e3%81%97%e3%81%a6%e3%81%ae%e7%94%9f%e3%81%8d%e6%96%b9%e7%ac%ac%e4%b8%80%e3%83%86%e3%82%b5%e3%83%ad%e3%83%8b%e3%82%b14%e7%ab%a01%ef%bd%9e12/ Sun, 19 Nov 2023 03:38:00 +0000 https://domei-nakahara.com/?p=5091 "キリスト者としての生き方
第一テサロニケ4章1~12節" の
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1.序論

みなさま、おはようございます。私たちはこれまで、毎週旧約聖書のサムエル記を読み、月末の最終週のみ新約聖書のパウロのテサロニケ書簡を読んでいます。今日は第三週ですが、なぜ今日がサムエル記ではなくテサロニケ書簡なのか、と疑問に思われたかもしれません。それは、来週の主日礼拝が当教会では召天者記念礼拝であり、その聖書箇所として第一テサロニケの4章13節以下が相応しいので、今日はちょうどその前の箇所を取り上げようと考えた次第です。

そして今日の箇所です。説教タイトルは「キリスト者としての生き方」ですが、まさにそのままの内容です。パウロはここで、聖なる聖い生活の必要性、兄弟愛、そして労働について短いながらも、とても大切な内容について記しています。パウロの勧告を詳しく見る前に、テサロニケという都市の状況について簡単に振り返りたいと思います。テサロニケはギリシア北部のマケドニア地方の最大の都市でしたが、そこでは多くの神々が礼拝されていました。半神半人の大英雄ヘラクレス、芸術の神アポロン、美と愛と性の女神アプロディテ、エジプトの神であるイシスとオリシス、そして前回もお話ししたようにローマの皇族を礼拝する皇帝礼拝など、あらゆる宗教が混在していました。そうした宗教の特徴として、性的な事柄に甘いというかオープンである、ということがありました。ギリシア・ローマの神話によれば、神々自身が不倫や略奪愛のようなことを平気で行っていますので、そういう神々を礼拝する人たちがそうした神々の真似をする、ということになるのです。ですから、異性関係について高い倫理を持つユダヤ教やキリスト教の信者と、ギリシア世界の人々の道徳観念が大きく異なってくるのは当然のことでした。

また、テサロニケはマケドニア州最大の都市で、地中海世界の様々な人々が行き交う国際都市でしたので、今風に言えば「進んだ」都市でした。進んだ、というのは道徳的に退廃したという意味合いも含まれます。パウロの時代の地中海世界の文化を先導したのはもちろんローマ帝国でしたが、その時代の特徴は性の解放でした。私たちも20世紀にフラワームーブメントやヒッピー文化などの運動を経験しましたが、その時のスローガンは「愛と平和とフリーセックス」でした。パウロの時代のローマにも、同じような現象が起きていました。ローマ帝国というのは基本的には圧倒的な男社会で、妻が姦淫をした場合には死刑になりますが、夫が浮気した場合には何の罰もないという歪んだ男性優位の社会だったということです。ところが、上流階級の女性を中心に、女性の性の解放が進んでいたのが皇帝ネロの時代、つまりパウロが活躍した時代だったのです。旧約聖書の創世記に、エジプトに奴隷として売られたヨセフを、侍従長ポティファルの妻が「私と寝なさい」と誘惑する場面がありますが、ローマの貴婦人たちもそういうことを堂々と行い、夫たちはそれを見て見ぬふりをするということが当たり前の風潮になっていたとのことです。これを女性の社会的な地位の向上とはとても呼べないし、呼びたくはありませんが、ともかくも男女とも性道徳の基準が非常に下がったというのが、この時代の風潮でした。テサロニケのような大都市は、ローマの文化的な潮流に敏感でしたから、性道徳については非常に緩い状態になっていました。そのような場所にパウロは福音を宣べ伝え、神に召された者としての聖い生活の必要性を訴えたのです。こうしたことを踏まえながら、今日の聖書箇所を読んで参りましょう。

2.本論

では、1節から読んで参りましょう。「終わりに」となっていますが、このギリシア語のロイポンという言葉には「したがって」という意味もあります。私はしたがって、の方がよいと思います。というのも、「終わりに」というとこの手紙がもうすぐ終わってしまうような印象を受けますが、実際にはこれから重要なパウロのお勧めがいくつも書かれているからです。一般的にパウロの手紙では、後半部分に教会員のための実際的な教えや勧めが置かれることが多いです。例えばローマ人への手紙では、1章から11章までは難解な神学議論が展開されますが、12章以降は信徒の日常生活に適用できるような実際的、具体的な教えが続きます。第一テサロニケ書簡の場合には、1章から3章までがパウロのテサロニケ伝道を振り返るような内容になっていて、4章から5章までがテサロニケの信徒たちのための具体的な教えとなっています。そのような具体的な内容の冒頭部分は、「終わりに」よりも「したがって」の方がよいと思うのです。

パウロは、これから書き記すことは「お願い」であり、「勧告」であると語ります。それは、彼らの日常生活、日々の歩みについてです。パウロが願うのは、テサロニケの信徒たちが日々神に喜ばれる歩みをすることです。宗教というのは、私たちの命が神から与えられたものであり、また私たちが日々当たり前のように思っているもの、空気や水や食料や太陽の光と熱、これらすべてのものが神から私たちに無償で与えられているということを認識し、それに感謝することです。私たちはその感謝の気持ちを、礼拝の場で言い表しますが、それだけでは十分ではありません。むしろ、日々の生活や歩みの中でこそ、その感謝の気持ちを言い表さなくてはなりません。私たちが神に喜ばれる歩みをすることで、私たちは神に感謝の気持ちを伝えることができます。そして、そのような歩みの具体例を、パウロは伝道活動をしながら自らテサロニケの信徒たちに示してきたのです。パウロがこの手紙の前半部分で、自分たちがテサロニケでどのように歩んできたのかをテサロニケの人々に思い出すように促していますが、それはパウロたちの歩みがそのまま4章と5章の勧めの生きた見本だからなのです。

そしてパウロは、テサロニケの信徒たちが実際にそのように歩んでいると、彼らを賞賛します。パウロの願いは、彼らがますますそのように歩んでいくことでした。

しかし、テサロニケの信徒たちは完ぺきな人たちではありませんでした。パウロはテサロニケを訪問していたテモテから、あるいはほかの情報源から、テサロニケ教会のことを聞いて、少し気になった事柄があったようです。そこで念を押すように、いくつかの勧告をテサロニケ教会に書き送ったのだと思われます。パウロは、自分たちがテサロニケの人々に与えた命令、あるいは生き方は主イエスによって彼らに授けられたものだ、ということを改めて強調しています。つまり、パウロの教えは一般的な道徳でも、あるいはパウロ独自の考えでもなく、主イエスの命令だということです。

そして、3節から具体的な教えが提示されます。神の御心は、あなたがたが聖なるものとなることだ、とパウロは書き記します。ここには、旧約聖書の教えがこだましています。それは、レビ記11章45節の教えですが、「あなたがたは聖なる者となりなさい。わたしが聖であるから」というものです。聖なる者、というのはどういうことかといえば、基本的な意味は「神様のものとして取り分けられた者」という意味です。私がよくいうたとえ話ですが、みなさんの財布に千円札が7枚入っているとします。そして、その1枚を神様にお献げしよう、献金しようと思い、その千円札を取り分けます。そうすると、その千円札は神様のものとして取り分けられた千円として、聖なる千円札になります。といっても、他の千円札と何も変わるところはありません。ただ、その用途が神様のためのものとなったということです。

とはいえ、千円札の場合はそうであっても、人間の場合は、神様のために取り分けられた人が他の人と何も変わらないというのでは困ります。私たちクリスチャンは、一人一人が神様から召されたものです。多くの人の中から、あなたが選ばれて神のものとされたのです。あなたが神に選ばれ召された時点では、あなたはほかの人たちと何ら変わるところがないかもしれません。しかし、その時にはそうでも、それからもずっとそのままでは困るということです。神に召され、神のものとされた以上、神と民としてふさわしい者に変えられていかなければならない、ということです。それはもちろん一朝一夕で起きることではありません。時間が必要ですが、しかし着実に変わっていく必要があります。私たちが目指すのは、主イエス・キリストのような人格を身に着けることであり、それがすべてのクリスチャンの目標、ゴールなのです。キリストのようになること、それが聖なる者となるということの意味です。

ただ、キリストのようになるといっても曖昧ですので、パウロはそこから具体的な話を始めます。最初の戒めは、「不品行を避けなさい」というものです。不品行はギリシア語では「ポルネイア」で、ポルノという言葉の語源になった言葉です。今風に言えば、ズバリ「ポルノを避けなさい」ということです。私たちの時代には性的な情報が氾濫しており、子どもでもインターネットでポルノ的なものが簡単に見れるという恐るべき状況になっていますが、古代の大都市であるテサロニケでも性的な絵画があふれていて、性的な事柄には非常にルーズというか、オープンな状態でした。今日の先進国では「婚前交渉」などという言葉は死語になっていて、結婚前のお試し同棲が奨励すらされていますし、婚姻関係にある人以外の性交渉が悪いとか、それに罪悪感を覚える人はほとんどいなくなっていますが、当時のテサロニケでも似たような状況でした。律法によって教えられていたユダヤ人以外は、結婚していない相手との性交渉を罪だと感じる、そういう感覚を失っていました。しかしローマ社会は、妻以外の女性をどうやって手に入れるか、などということが公然と語られるような社会でした。そのような環境で生きていたテサロニケの人々は、パウロの教えを聞いて、そういう生活から離れようと努めました。しかし、これまでの付き合いや人間関係から、そういった事柄からさっぱりと足を洗うのが難しい人もいたでしょう。不倫関係を続けていた人が、クリスチャンになってそれを止めようと思っても、相手がそれに納得せずに騒ぎ出せば、そう簡単に関係を清算できないのです。テサロニケの信徒の中にも、あるいはそういう問題を抱えていた人がいたかもしれません。パウロがどこまでテサロニケの信徒たちの個別の事情を知っていたかは分かりませんが、聖なる生き方をせよ、と命じたすぐ後にポルノを避けよという勧告が最初に来るということは、実際にテサロニケ教会にはそのような問題があったのを伝え聞いたのでしょう。

4節では原則的なことを述べています。しかし、この4節がなかなか解釈の難しい箇所なのです。というのも、「自分のからだ」と訳されている箇所を直訳すると「彼の器」、あるいは「彼の容器」となるからです。スケウオスという言葉は「器」という意味ですが、第一ペテロの3章7節でこの言葉が使われていて、そこでは妻が「弱い器」と呼ばれています。つまり、器とは比喩的に女性や妻を指す場合があります。ですからこの4節についても、「聖さと尊厳をもって妻を得なさい」と訳す学者も少なくありません。つまり、ここは「男たちはポルノを避けて、おのおの聖さと尊厳において妻を得なさい」とパウロは勧めているということになります。しかし、こう訳すとパウロの他の手紙の教えとは相いれない内容になってしまいます。たとえば第一コリントの7章27節では「妻に結ばれていないのなら、妻を得たいと思ってはいけません」と書いています。パウロ自身は独身で通していて、信徒たちにも私と同じようにできるならそうしなさいと勧めています。つまりパウロは男は結婚すべきだ、とは教えていないのです。そう考えると、パウロはここで、「人は結婚していても独身でも、各自の身体を聖く尊厳をもって扱いなさい」と教えているということになるでしょう。そのようにパウロが教えるのは、テサロニケの人々が「神を知らない異邦人たち」に取り囲まれて暮らしているからです。朱に交われば赤くなる、ということわざが示す通り、人は周りの環境に常に影響を受けます。パウロは、神を知らない異邦人たちは情欲におぼれている、と指摘します。その詳しい意味は、パウロはローマ書簡で説明しています。神は、神を認めず感謝もしない人たちを情欲に引き渡した、とパウロは書いています。その箇所を読んでみましょう。

こういうわけで、神は彼らを恥ずべき情欲に引き渡されました。すなわち、女は自然の用を不自然なものに代え、同じように、男も、女の自然な用を捨てて男どうしで情欲に燃え、男が男と恥ずべきことを行うようになり、こうしてその誤りに対する当然の報いを自分の身に受けているのです。また、彼らが神を知ろうとしたがらないので、神は彼らを良くない思いに引き渡され、そのため彼らは、してはならないことをするようになりました。(ローマ書1:26-28)

この聖書箇所は、今日大きな政治的・社会的テーマになっている性的マイノリティ、いわゆるLGBTQの問題との関連で取り上げられることが多い箇所ですが、パウロはここで医学的な意味での性的マイノリティの問題を語っているわけではありません。むしろローマの退廃的な性文化、権力を持つ者は男でも女でも子どもでも、社会的身分が低ければだれかれ構わず性的な対象としていた文化を批判したものだと思われます。ここでのポイントは、そうした人は神を敬わない結果として、神によってそうした情欲に引き渡された、と言われていることです。パウロはテサロニケの信徒たちに、今やあなたがたは真の神を知っているのだから、そうした情欲に流されてはいけない、と勧めています。

6節では、「兄弟を踏みつけるな」、「兄弟を欺くな」という勧告が与えられています。非常に生々しい言い方になりますが、同じクリスチャンの仲間の妻と関係を持つな、ということが言われているものと思われます。そんなことがあり得るのだろうか、と思われるかもしれませんが、実際にそのような問題が原因となって崩壊寸前になった教会もあります。私はそのような状況を見て、「なぜなら、主はこれらのことについて正しくさばかれるからです」というみことばは真実なのだと実感しました。不倫を純粋な愛だ、などと呼ぶ今日の文化は、クリスチャンの倫理ではないのです。

7節、8節ではさらに重たいことが語られます。性的不品行は聖霊を拒むことになる、という警告です。この警告は、同じく性的不品行の問題を扱った第一コリント書簡で詳しく書かれています。第一コリント6章18節から20節までを読んでみます。

不品行を避けなさい。人が犯す罪はすべて、からだの外のものです。しかし、不品行を行う者は、自分のからだに対して罪を犯すのです。あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まわれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。

なぜキリスト者は聖い生活を送るべきなのか、それは聖なる神の霊を汚れた住まいに住まわせるべきではないからです。このことは改めて私たちの胸に刻むべきことでしょう。

9節と10節では、また別のテーマ、すなわち「兄弟愛」のことが語られています。この兄弟愛という言葉のギリシア語は、有名なアガペーではありません。ここではフィラデルフィアという言葉が使われています。これはアメリカの大都市フィラデルフィアの語源となった言葉です。アガペーというのは神の無償の愛、すべての人類に対する神の愛を表す言葉ですが、フィラデルフィアは肉親、血族に対する愛を表す言葉です。つまり非常に親密な関係にある人々の間での愛情です。キリスト者はすべての人に対する愛、つまり神のようなアガペーの愛を持つことが求められていますが、それにもまして同じ信仰を持つ者同士の愛、フィラデルフィアの大切さがここでは強調されています。一般的な社会全般でも、万人に対する博愛と、家族に対する愛とは、やはりその濃密さという意味では違いがありますが、クリスチャン同士の間では家族同士の絆に等しい愛を持つべきだということです。パウロは、テサロニケ教会の人々の兄弟愛はマケドニア全土の兄弟姉妹に向けられている、と語っています。マケドニアで有名な教会はピリピとテサロニケの教会ですが、他にもマケドニアの小さな町や村にもクリスチャンはいたものと思われます。そうした人々が大都市テサロニケを訪れた時、彼らはそこに住んでいるクリスチャンを真っ先に頼ることになります。テサロニケのクリスチャンは、そうした旅人を家族の一員のように温かくもてなす、そのようなホスピタリティーで有名でした。パウロはそのことに満足していて、それを賞賛しつつ、ますますそれに励んでくださいと述べています。

11節と12節では三番目の勧告、落ち着いた暮らしをし、自分自身の手で働くべきことが語られています。当たり前のことではないか、と思われるかもしれませんが、この点は特にテサロニケ教会にとって重要なことでした。今日でも、世界の終わりが近いということを強調する新興宗教があります。そういう教団に入る人の中は、世界の終わりが近いので働いて将来に備えてお金を貯めても仕方がない、と考えて仕事を辞めてひたすら世界が終わるのを待っているという行動を取る人がいます。しかし、なかなか世の終わりが来ない場合でも日々の生活を過ごすためにはお金が必要ですから、誰かの世話にならないといけません。そして、いつまでたっても世の終わりにならない場合はその人は生活力を失って、一生誰かの好意に甘えて生きなければならなくなります。パウロはテサロニケ教会への伝道において、主イエス・キリストが天から戻られる日は近い、ということを強調しました。それを聞いたテサロニケの信徒の中には、もう仕事などしている場合ではない、仕事をやめて、一日中伝道活動に費やして、一人でも多くの人を滅びから救わなくては、と考える人が出てきました。しかし、そんなことになればその人を養うために他の人が働かなくてはならなくなります。また、周囲の人も、その人の言うことをまともに受け止められなくなります。あいつは頭がおかしいんだ、世界が終わるという強迫観念に取りつかれた可哀そうな人なんだ、という評判が立ちます。こうなってしまうと、キリスト教そのものの評判が大暴落してしまいます。パウロはそんなことにならないように、外の人たちに対しても品位を保てるように、しっかり働きなさいと語ります。パウロ自身も、伝道にすべてを献げる人生を送りながらも、自分の生活を支えるために日夜テント職人として働きました。その真剣な姿が福音を伝えるのに大いに役立ったのです。要は、伝道を言い訳にして仕事をしない、ということではいけないということです。

3.結論

まとめになります。今日は、パウロがテサロニケの信徒たちに送った、三つの非常に具体的な教えについて学びました。一つ目は聖なる生活、特に性的な事柄について、二つ目は兄弟兄について、三番目は労働についてです。これらはすべて、当たり前の事柄に思えるかもしれませんが、しかし折に触れてキリスト者の生活の基本として胸に刻んでおきたいことです。繰り返しになりますが、「聖なる人」というのは特別な聖人のことではなく、クリスチャン一人一人のことです。聖なる人とは、神によって取り分けられた人、神のものとして召された者という意味であり、すべてのクリスチャンはこの意味で聖なる人なのです。自分なんか、とても聖なる人とは呼べない、自分は俗物だ、と多くのクリスチャンは考えるかもしれません。そのような謙虚な心持はとても大切なものですが、しかしその状態に甘んじてもいけないのです。私たちは、自分が一番大切に思う人、例えば恋人などを家に招くときに、家を散らかし放題のひどい状態にできるでしょうか?もしそんな家に恋人を招いたとしたら、自分はその人を愛していないのだ、ということを公言するようなものではないでしょうか。私たちクリスチャンは、なんと神の霊である聖霊をわたしたちのからだにお招きしているのです。そのことをよくよく考えるならば、私たちがどのように生きるべきかがおのずから理解できるのではないでしょうか。もちろん、いつもいつも家をきれいにしていくのは難しいことです。生活するというのは、ある意味では散らかすことですから。でも、やはり心地よい生活のためには定期的な家の掃除が必要であるように、クリスチャンとしてのふさわしい歩みのためには定期的に自らの歩みを吟味する必要があるでしょう。ですから、ぜひ今日の聖書箇所を折に触れて読み返し、自らの生活についての指針として参りましょう。お祈りします。

私たちを聖なる者として召してくださったイエス・キリストの父なる神様、そのお名前を讃美します。私たちはこの世の在り方にながされ、キリスト者としての生き方を忘れがちになる者ですが、どうかそのような私たちを導き、あなたが喜ばれる生き方をする者とならしめてください。われらの救い主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

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テモテからの知らせ第一テサロニケ2章17~3章14節 https://domei-nakahara.com/2023/10/29/%e3%83%86%e3%83%a2%e3%83%86%e3%81%8b%e3%82%89%e3%81%ae%e6%89%8b%e7%b4%99%e7%ac%ac%e4%b8%80%e3%83%86%e3%82%b5%e3%83%ad%e3%83%8b%e3%82%b12%e7%ab%a017%ef%bd%9e3%e7%ab%a014%e7%af%80/ Sun, 29 Oct 2023 06:50:00 +0000 https://domei-nakahara.com/?p=5028 "テモテからの知らせ
第一テサロニケ2章17~3章14節" の
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1.序論

みなさま、おはようございます。今日は、パウロという有名なキリスト教の伝道者がテサロニケというギリシアの都市にある教会に向けて書いた手紙の一節を読んでいます。パウロという人は、もともとはキリスト教に反対し、教会を攻撃して破壊しようとしていた、かなり過激な人でした。それが、復活したイエス・キリストと出会うという神秘的な体験をした後に一変し、最も熱心なキリスト教の伝道者になりました。パウロはまだキリスト教が伝わっていない地域に福音を届けることに強い情熱をもっていました。そしてヨーロッパのギリシアにはまだ福音が伝わっていなかったので、いち早くそこへむかって伝道をしたのがパウロでした。パウロはまず、ギリシアの北部のマケドニア地方に向かい、まずピリピという都市、そしてマケドニア地方の中核都市であるテサロニケに向かいました。今日お読みいただいた箇所は、パウロがそのテサロニケを去った後、テサロニケの信徒たちに書き送った手紙の一部です。

テサロニケという都市は、現在でもギリシア第二の都市として有名です。つまり今日でも大きな都市なのですが、パウロが活躍した二千年前も大きな都市でした。テサロニケは、あのアレクサンダー大王を生んだマケドニア地方の州都で、テサロニケという名前そのものが、アレクサンダー大王の妹テサロニケイアに由来しています。紀元前二世紀になると、テサロニケは当時地中海世界を猛烈な勢いで征服していたローマ帝国に従属するようになり、ローマに忠実な都市として発展していきました。ローマもテサロニケの忠誠に応えるように、様々な特典をテサロニケに与えました。テサロニケはローマによって「自由都市」、つまり税を免除されるという特権的な地位も与えられました。税が免除されるというのはとてつもない特典です。

そうした中で、テサロニケ市民も、ローマとの良好な関係を築くことをなによりも大切にするようになりました。その努力の一つがローマ皇帝を讃えることでした。讃える、と言っても人間として讃えるのではなく、神として讃えるということです。テサロニケの硬貨には「テサロニケ人はユリウスを神として讃える」と刻まれています。ユリウスとはもちろんローマの英雄ユリウス・カエサルのことです。また、カエサルのための神殿も建立されました。ですからカエサルの養子でローマの初代皇帝となったアウグストゥスは「神の子」となるわけです。また、ギリシアの諸都市ではアウグストゥスが世界の支配者となったことがエバンゲリオン、つまり「福音」であると宣言されていました。さて、お気づきになると思いますが、ローマの皇帝を讃美する言葉と、イエス・キリストを讃美する言葉がとてもよく似ていますよね。しかもそのイエスは、ローマによって罪人として十字架で処刑された人物なのです。パウロはそのイエスが、神によって死者の中から復活させられ、今や世界の真の王となられた、そのイエスがこの世を裁くために天から戻って来られる日は近い、という「福音」を宣べ伝えたのです。

ローマの支配の下に生きていたギリシア人には、パウロのメッセージは何とも理解しかねるものでした。十字架刑というのは、ローマ帝国がその支配する領域の人々に恐怖を植え付けるために用いた、極めて残忍で非人間的な処刑方法でした。人間の尊厳を奪う、誰もが目をそむけたくなるようなものです。そんなひどい死に方をした人が、今や世界の王となって、やがて世界を裁くことになる、という話は荒唐無稽な作り話にしか思えないと考えた人は多かったでしょう。しかし、パウロは真剣そのものでした。彼はこの福音を伝えるために、昼も夜も休みなく働き、そして仕事の合間を縫って熱心に伝道しました。その彼の真摯な生き方を見て、この人の言っていることは嘘ではない、真実の力がある、と感じる人たちが起こされていきました。しかし、パウロの言葉を受け入れる人たちが段々と増えていくと、周囲の人々は不安を感じました。パウロはイエスを信じるようになった人々に、それまでの生活を改めるようにと促しました。あなたがたは神に選ばれたのだから、神の民としてふさわしい生き方をしなさい、と教えました。これまでギリシア・ローマ世界の人々の間では当たり前のように行われていたことも、キリスト教の倫理観からは許容されないということがあるのです。その最も分かりやすい例は、多神教信仰からの決別です。

ギリシアの人々は、八百万の神を信じる日本人のように多神教に寛容でした。いろいろな神々を同時に礼拝することに何の問題も感じませんでした。しかし、パウロは神は唯一であり、他の多くの神々は存在しない、まやかしなのだと教えました。当然、人間に過ぎないローマ皇帝を神として礼拝することにも反対しました。しかしこのことは、単に宗教的な問題に留まらない、政治的な意味合いもありました。例えば戦前の日本のことを考えてみてください。クリスチャンが、「私はキリスト教徒だから、お寺の仏像には手を合わせません」と言っても問題にはならなかったでしょうが、「私はキリスト教だから、現人神と言われる天皇陛下を崇めることはできません」といえば大問題になったでしょう。非国民と呼ばれ、不敬罪に問われたことでしょう。テサロニケの場合も似たような状況だったと考えられます。クリスチャンとなったテサロニケの人々が、ギリシアの神々を礼拝するのを止めたとしても、人々はあるいは大目に見てくれたかもしれません。しかし、テサロニケの経済的安定を支えてくれているローマ皇帝への忠誠心を疑われるような行動は、大目には見られなかったでしょう。そして、彼らにそのような行動を促していたパウロは、ローマへの反逆者という嫌疑がかけられても不思議ではありません。実際、「使徒の働き」という、パウロたちの伝道活動を記録した文書では、パウロにかけられた嫌疑を次のように記しています。

世界中を騒がせて来た者たちが、ここにもはいり込んでいます。それをヤソンが家に迎え入れたのです。彼らはみな、イエスという別の王がいると言って、カイザルの詔勅にそむく行いをしているのです。

パウロは、ローマ皇帝カエサルとは別の王、イエスという真の王がいると宣べ伝えているという反逆罪の嫌疑をかけられていたということです。パウロは逮捕監禁され、下手をすると死罪になる恐れがありました。パウロとしては、やむなくテサロニケを立ち去るしかありませんでした。パウロとしては、もっと時間をかけて伝道をしたかったのですが、彼に対する反対があまりにも大きかったので、やむを得ず撤退を決めたのでした。

しかし、キリスト教に対する不信や憤りの心は、テサロニケの多くの人々の心に残ったままでした。リーダーであるパウロがいなくなった今、そうした敵意の心はテサロニケ教会の人々に対して向けられました。誕生して間もないテサロニケ教会は、パウロという指導者を失っただけでなく、敵対的な人々に取り囲まれて孤立無援の状況にありました。パウロもテサロニケの状況を、遠く離れたアテネという都市で伝え聞いて、彼らのことが心配でなりませんでした。その時のパウロの揺れ動く気持ちを綴っているのが今日お読みした箇所なのです。

2.本論

では、2章17節から見てまいりましょう。パウロは、「兄弟たちよ。私たちは、しばらくの間あなたがたから引き離されたので」と書いています。これは、命の危険からパウロがテサロニケを急遽立ち去らざるを得なかったことを言っています。しかしパウロは、身体的には遠く離れていても、心では常にテサロニケの人々のことを思い続けてきたことを強調します。パウロと、彼の同労者であるシルワノとテモテは、テサロニケを去った後ベレヤというところに行き、それからずっと南下してギリシアの首都であるアテネに行きましたが、その旅の途上でも、機会があればなんとかテサロニケに戻りたいと願っていました。パウロは一度ならず、二度までも引き返してテサロニケに行こうとしたのです。しかしそれは実現しませんでした。パウロは、「しかし、サタンが私たちを妨げました」と書いています。もちろん、サタンと呼ばれる悪魔が文字通りに現れてパウロたちを妨害したわけではありません。おそらく政治的な力がパウロの帰還を妨げたのですが、その政治的な勢力の背後に悪魔的な力が働いていた、とパウロは示唆しているのです。それでも、パウロはテサロニケに戻ろうとした自分の気持ちは本物だったということを強調します。パウロは、イエス・キリストが間もなく天から戻ってきて自分たちを救ってくれると信じていたのですが、その時にパウロが誇りとし、喜びとするのはあなたがたテサロニケの信徒たちなのだ、ということを強調しています。

さて、そのパウロですが、テサロニケから350キロ以上も離れたアテネにまでたどり着いて、そこで伝道していました。私もアテネには一度だけ行ったことがありますが、学問と宗教が盛んな大都市です。そこで腰を落ち着けて伝道するというのも一つの策なのですが、パウロはテサロニケの教会のことがここでも気になって仕方がありません。そこで、300キロ以上あるテサロニケにまで、自分の右腕であるテモテを送り返すことにしました。パウロ本人が行けば大問題になりますが、若くてあまり目立たないテモテならば、うまくテサロニケに潜り込めるだろうと考えたのです。パウロはその目的を、次のように記しています。

それは、あなたがたの信仰についてあなたがたを強め励まし、このような苦難の中にあっても、動揺する者がひとりもないようにするためでした。あなたがた自身が知っているとおり、私たちはこのような苦難に会うように定められているのです。

パウロがテサロニケを去ってから、テサロニケの信徒たちは周囲の人々の批判の矢面に立つことになりました。批判といっても、悪口を言われるというような生易しいものではなく、実際に暴力を振るわれたり、仕事の上で大きな不利益を受けて経済的な損害を受けた人もいたでしょう。普通の人なら、入信したばかりの宗教のために、こんな苦しい目に遭うのなら、いっそ信仰を捨てたほうがよい、と考えたかもしれません。しかしパウロは、こうした苦難に会うのは必然なのだ、と言います。これは新約聖書に一貫した教えなのですが、クリスチャンは信仰のために必ず苦難に会う、ということが言われています。それはなぜなのか、信仰というのはそもそも苦しみから救ってもらうために持つものなのに、なぜ信仰のためにむしろ苦しむようになるのか、というのは誰もが思う疑問でしょう。しかし、「艱難汝を玉にす」ということわざがあるように、人間の品性というものは、順風ばかりのなかでは育たないものなのかもしれません。パウロはローマ人への手紙の中で、こう書いています。

そればかりでなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。(ローマ5:3-5)

人間は、実際に苦難に会わないと、苦しんでいる人のほかの気持ちが分からなくなると言います。人というのは、そのように他人の気持ちに鈍感な生き物なのでしょう。したがって、人生嫌なことばかりというのでは困りますが、良い事づくめの人生というのも、人間性の向上という意味ではあまり良くないのかもしれません。パウロはさらに、患難は最終的に希望を生み出すとも語っています。希望というのは、神から来ます。普段は神など必要ない、自分の力でなんでも解決できると思っている人でも、本当に追い込まれると自分の無力さを痛感させられます。そのような時、自分で自分を救えないと思ったとき、人は初めて神の方を向き直り、神からの救いを待ち望むようになるのかもしれません。ですから、希望というのも苦難を通じて初めて得ることができるのでしょう。

パウロも、苦難の中にあるテサロニケの人たちに、神への信仰に固く立ち、未来に希望を持つように促しています。さらにパウロは、テサロニケの人々が苦難に会うことを私はあらかじめ語っておいた、と言っています。

あなたがたのところにいたとき、私たちは苦難に会うようになる、と前もって言っておいたのですが、それが、ご承知のとおり、はたして事実となったのです。

これは、今私たちが苦難に会っているのはパウロのせいではないか、彼が私たちをキリスト教に導いておきながら、自分だけ逃げだすのは卑怯ではないか、という不満を抱いたであろう一部の信徒を意識した発言かもしれません。パウロもテサロニケを去ったことは甚だ不本意だったので、こうした思いを抱いた信徒がいたとしたら、本当に苦しい思いをしたに違いありません。しかしパウロは、私はあなたがたを欺いたわけではない、むしろ初めからあなたがたがこうした苦難に会うと警告しておいた、ということを思い起こさせます。パウロは、キリスト教について良いことばかりを語って人々を信仰に導いたのではありません。信仰に伴う負の側面、信仰を持つことが苦難を招くことにつながる、ということも語っていたのです。とはいえ、実際に苦難が訪れれば人は動揺します。その時に、精神的な指導者であるパウロがいなければなおさらのことです。そこで、パウロはテモテをテサロニケに遣わす決断をしたのです。

パウロは「誘惑者があなたがたを誘惑して、私たちの労苦がむだになるようなことがあってはいけないと思って」と書いています。「誘惑者」という言葉は「試みる者」と訳した方がよいと思いますが、人間をテストする者、試みる者というのは、これもサタンのことです。サタンあるいは悪魔は、ある意味で人間の本質を図る試験官のようなものです。彼は人間を試みて、神への信仰が本物なのかどうかを図るのです。こう考えると、サタンですらその存在がすべて悪ということでもなく、彼もまた間接的には神の計画を遂行するために働いているということになります。キリスト教は善悪二元論、つまりこの世界を支配する善の力と悪の力は拮抗しているという世界観ではなく、善であれ悪であれ、すべてのものは究極的には神から来ているという信仰を持っています。ですから悪の権化のようなサタンでさえ、究極的には神の目的に奉仕する存在なのです。

さて、そのテモテが数週間して無事にテサロニケから戻ってきました。パウロはアテネの後にはコリントに向かいますが、おそらくパウロはテモテが帰ってくるまではアテネを離れずに彼の帰りをじっと待っていたものと思われます。そしてテモテは大変うれしいニュースを届けてくれました。それは、テサロニケの人たちが非常に困難な状況の中でも信仰を捨てず、また彼らを見捨てたような格好になっていたパウロについて不満を持たず、むしろパウロについて非常に好意的な感情を持ち続け、パウロに再会するのを楽しみにしているという知らせでした。それはパウロを大喜びさせました。彼らはパウロという指導者をなくし、人々の敵意に囲まれながらも、信仰を捨てなかったからです。パウロはその気持ちを、率直にこう書いています。

このようなわけで、兄弟たち。私たちはあらゆる苦しみと患難のうちにも、あなたがたのことでは、その信仰によって、慰めを受けました。あなたがたが主にあって、堅く立っていてくれるなら、私たちは今、生きがいがあります。

つまりパウロは、あなたたちのお陰で生きていてよかったと思えた、とその喜びを表しているのです。パウロの願いは、一刻も早く彼らに再会したいということでした。実際には、その再会までには数年間を要することになりましたが、その間もテサロニケの人たちは信仰を守り抜き、パウロの事を祈りにおいて、また時には経済的に支え続けたのでした。パウロの願いが、こうしてテサロニケの人々の信仰生活の中で成就していったのです。

3.結論

まとめになります。今日は不本意ながらもテサロニケを去らなければならなかったパウロと、あとに残されたテサロニケ教会の信徒たちのことを学びました。テサロニケの信徒たちは、パウロが去った後に厳しい迫害や困難に直面しました。普通に考えれば、入信して1年足らずの宗教で、しかもそれを伝えた伝道者がいなくなってしまうという状況の中で、そんな困難な状況を耐えられるはずがない、と思うでしょう。しかしテサロニケの人々は耐えきったのです。それは、期間は短かったとはいえ、テサロニケで伝道していた時のパウロの真摯な生き方が、深くテサロニケの人々の胸に刻まれたためだと思われます。彼らはパウロに倣い、苦難を耐え忍ぶことができたのです。

日本でも、かつて戦国時代にキリスト教が伝わり、その後は厳しいキリスト教への弾圧が始まり、江戸時代の長きにわたって厳しい禁制が引かれました。普通ならキリスト教は死に絶えたと思われるところですが、しかしなんと明治時代まで信仰が絶えることはなかったのです。信仰の力は本当に強いと思わされます。同時に、命がけでキリスト教を伝えた伝道者たちの生き方が人々の記憶に残り続けたことが大きかったのでしょう。

私たちは今日、キリスト教信仰を持つうえで何の障害もない時代に生きています。信教の自由が保障され、反社会的なカルト的な宗教でない限り、自由に信仰を持ち続けてよい時代に生きています。しかし、このような自由が得られるようになるためには、先人たちの多くの労苦があったことを忘れてはならないでしょう。同時に、たとえ信仰のために迫害を受けることはなくても、私たちの人生には多くの苦難や悩みがあります。しかし、そうした苦難の中でも耐えることを学び、また将来に希望を持ち続けるものでありたいと願うものです。現実は私たちの願い通りにはならないかもしれません。パウロも、キリストがすぐにも天から戻ってきて信徒たちを救ってくれることを願いましたが、その希望は叶いませんでした。しかし、その代わりに二千年もの間続く教会を立ち上げることができました。ですから、私たちも主を信じて辛抱強く伝道の働きを続けてまいりましょう。お祈りします。

イエス・キリストの父なる神様。そのお名前を賛美します。今日は音楽の集いが午後に控えていることもあり、多くの兄弟姉妹と礼拝を守ることができる幸いに感謝します。また、今日は教会の礎を作ったパウロやテサロニケの信徒たちのことを学びました。私たちも彼らの忍耐に倣い、忍耐強く福音を伝える者とならしめてください。我らの救い主イエス・キリストの聖名によって祈ります。アーメン

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テサロニケでのパウロ第一テサロニケ2章1~16節 https://domei-nakahara.com/2023/10/01/%e3%83%86%e3%82%b5%e3%83%ad%e3%83%8b%e3%82%b1%e3%81%a7%e3%81%ae%e3%83%91%e3%82%a6%e3%83%ad%e7%ac%ac%e4%b8%80%e3%83%86%e3%82%b5%e3%83%ad%e3%83%8b%e3%82%b12%e7%ab%a01%ef%bd%9e16%e7%af%80/ Sun, 01 Oct 2023 03:46:00 +0000 https://domei-nakahara.com/?p=4951 "テサロニケでのパウロ
第一テサロニケ2章1~16節" の
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1.序論

みなさん、おはようございます。毎月の月末には新約聖書のパウロ書簡からメッセージをさせて頂くことにしていますが、先月は一度お休みがあったことで一週繰り上がって、今日パウロのテサロニケ教会への手紙からメッセージをさせていただきます。今回の箇所は、パウロがテサロニケで開拓伝道をしていた時期を回顧する、そのような場面です。この箇所からは、パウロがギリシアのマケドニア地方にあった都市であるテサロニケと、またテサロニケに来る前に伝道していた同じくギリシアの都市であるピリピにおいて、大きな反対や苦難に直面していたことが分かります。パウロの伝道に苦難はつきものなのですが、しかしどうしてパウロは行く先々でこんなに多くの反対や迫害に遭ったのでしょうか?その理由を改めて考えてみたいと思います。

まず、パウロが伝道に際して受けていた反対や反発は、主イエスが伝道で受けていた反対とは性質が異なるということに注意しましょう。主イエスは、同じ唯一の神を信じるユダヤの人々に伝道を行いました。イエス様もユダヤ人ですから、同じ仲間、同胞にメッセージを伝えたのです。イエスのメッセージは「神の国」、あるいは「神の支配」と言ったほうがよいでしょうか、その到来を告げ知らせるものでした。イエスは人々に、「もうすぐ神が、私たちの困難な状況を変えるために介入してくださる、神が新しい形で私たちを導いてくださる」ということを伝えました。このようなメッセージは現状に不満を抱くユダヤ人たちに大きな期待を抱かせるものでした。では、なぜそのユダヤ人たちがイエスに反発したのでしょか?それは、イエスの指し示す「新しい形」、「新しい道」が彼らの期待していたものとは大きく異なっていたからです。ユダヤ人たちは、分かりやすい単純明快な解決策を求めていました。それは、彼らを支配する外敵であるローマを追い払って、ユダヤ人たちが再び繁栄と栄光を取り戻すということでした。しかしイエスは、敵を憎むことよりも愛すること、武力によらずに善意によって悪意を乗り越える道を教えました。確かにこれはまったく「新しい道」なのですが、実行するのが非常に困難に感じられる道であることは想像に難くないでしょう。人々はイエスの語る理想についていけず、かえって反発するようになってしまったのです。

それに対し、パウロが語り掛けた聴衆はイスラエルの神を知らない異邦人であったということは、とても重要なポイントです。彼らはパウロの語る福音を理解するために、まず天地万物を造られた神がおられ、そのほかの神々はみな偶像に過ぎないということを知らなければなりませんでした。ユダヤ人に語り掛ける場合は、このことは共通認識ですから説明するまでもないのですが、異邦人にはまず唯一の創造主なる神の存在を知らしめなければならないのです。そのうえで、その創造主なる神が人類救済のためにイエスを遣わしたということを福音として伝えるわけです。このように、ユダヤ人の場合とは違って対異邦人伝道は二段階での説得が必要になります。

パウロがこのように、創造主なる神、そしてその神によるイエスの派遣という福音を異邦人に伝えたときに、それがどうして彼らの反発を招いたのでしょうか。別に新しい神や新しい宗教を伝えてはならないという法律がテサロニケにあったわけではありませんでした。それどころか、ギリシア人は新しい宗教や哲学に寛容で、というよりもむしろ新しがり屋で、そういうことを伝えてくれる人たちを歓迎する傾向すらありました。しかし、パウロの場合は強い反発を受けています。なぜだったのでしょうか?それは、パウロの伝える福音が新しい宗教だっただけではなく、新しいライフ・スタイル、新しい生き方を伝えるものだったからです。テサロニケの手紙のなかで、パウロがこのことに触れているのは後半の部分になりますが、大事な箇所なのであらかじめ読んでみましょう。4章3節以降です。

神のみこころは、あなたがたが聖くなることです。あなたがたが不品行を避け、各自わきまえて、自分のからだを、清く、また尊く保ち、神を知らない異邦人のように情欲におぼれず、また、このようなことで、兄弟を踏みつけたり、欺いたりしないことです。

ここでパウロは、「神を知らない異邦人のように情欲におぼれず」と言っています。ここで言われている異邦人は、札付きのだらしのない異邦人ということではなく、むしろ平均的なテサロニケ市民のことを言っています。つまりパウロの高い倫理基準から見れば、普通の異邦人は情欲におぼれている人々というようにしか見えなかったのです。パウロはテサロニケの信徒たちに、創造主なる神を信じ、その神が遣わしたイエスを信じるようにというメッセージを伝えました。しかしパウロの福音はそこで終わりではありませんでした。さらに異邦人信徒たちに、まことの神の民としてふさわしい聖なる生き方をすることを求めたのです。

テサロニケの信徒たちも、パウロの勧告に従いました。今までの行き方をがらりと変えて、まるで新しい人になったかのように歩み始めました。それ自体は素晴らしいことです。しかし、周囲の人たちは必ずしもそうは思いませんでした。今まで親しく付き合っていた仲間が、いきなり付き合いが悪くなった、と感じられたことでしょう。私もサラリーマン時代に、人並みの接待や付き合いをしていましたが、クリスチャンとして越えられない一線というものがあり、そういう場合には付き合いを断るようなこともありました。そういうことを、特に上司に対してするのはかなり勇気がいることですが、しかし今の時代はクリスチャンという生き方にもある程度理解があって、わりと鷹揚に受け入れてもらえました。しかし、パウロがテサロニケ伝道をしていた時代には、当時の人々はキリスト教なるものについて何の知識をも持っていませんでした。それどころか、「人の血と肉を食らう怪しげな儀式をしている」とか、「他人を兄弟姉妹と呼び合って乱交騒ぎをしている」などというよくない流言が飛び交っていました。それなのに、自分たちに対しては「自分たちは聖なる生活に召されている」などと言って、自分たちが何か低俗な人たちであるかのようにいう、そういう腹立たしい行動を取り始める人々、そのようにテサロニケの市民にはクリスチャンが見えたのです。また、テサロニケはローマ帝国の庇護の下で発展してきた都市なので、ローマ皇帝を讃える皇帝礼拝は市民にとっての大事な公式行事ですが、これも「偶像礼拝だ」と言って参加しないわけです。しかし、そんなことをすれば「こいつらはローマに対する不満分子ではないか」と当局者から目を付けられかねず、そんなことになれば商売にも支障がでてきます。

これらのことが相まって、人々のクリスチャンに対する目は厳しくなり、クリスチャンへの民衆のリンチのようなことすら起きかねないほど緊迫した状況になってきました。しかし、そのような厳しい状況になってもパウロは一切妥協せず、イエス・キリストの福音を大胆に宣べ伝えています。キリスト教に反感を持つ人たちは、「あのパウロというやつこそ諸悪の根源だ」と目の敵にするようになりました。そのような中で、パウロがどう行動したのか、というのが書かれているのが今日の箇所なのです。

2.本論

では、今日の聖書箇所を読んで参りましょう。まず2章1節です。パウロはここで、「私たちがあなたがたのところに行ったことは、むだではありませんでした」と言っています。むだではない、ということは確かに収穫はあった、ということです。パウロはこの後、テサロニケでの迫害が厳しくなり逃れるようにして脱出しますが、それはここでの伝道が失敗だったとか、決してそういうことではなかったということです。現に、パウロが去った後もテサロニケの信徒たちは立派に信仰を守り抜いてきたのですから。

パウロはテサロニケに来る前での、ピリピでの伝道についても回顧します。パウロにとってヨーロッパ伝道の第一歩となったピリピでの伝道は、支援者も見つかり幸先の良いスタートになりましたが、段々とパウロの伝道が成功するにつれ反対も大きくなり、パウロははずかしめを受けたこともありました。また、むち打ちなど肉体的な苦痛に耐えたこともありました。私たち今日の伝道者は、キリスト教を宣べ伝えることで肉体的な苦痛を受けるという経験をほとんどしたことはありません。むちろん、江戸時代以降の宣教者や、明治時代以降の伝道者の中にはそうした体験をした人が数多くおられます。そういう意味では、私たちは大変恵まれた時代に生きていると言えます。むち打ちの痛みは卒倒しそうになるほどのものと言われていますので、一回でもそういう経験をすると、二度とそんな目に遭わないようにという恐怖心を抱いてしまうものですが、パウロはそんな目に遭いながらも大胆に福音伝道を続けたのです。これはものすごいことです。

さて、ピリピを離れ、テサロニケに来てからも、相変わらずパウロの苦闘は続きましたが、それでもパウロは大胆に神の福音を語りました。パウロは、自分たちの勧告は「迷い」から出たものではない、と言っています。ただこの言葉は「迷い」よりも「誤り」と訳した方が良いでしょう。パウロは、私のメッセージは誤りから生じたものではない、と言っているのです。誤りと、不純な心すなわち名声を求める気持ちから出たものでもない、と言っています。「だましごとでもない」とも重ねていいますが、これは「狡猾さから出たものでもない」というような意味合いです。パウロは、福音は誤りでも不純な心や狡猾な心から出たものでもない、といっているのです。なぜパウロがここで、こんな当たり前のことについて弁明のようなことを語るのかは分かりません。おそらくは、パウロがテサロニケを去った後、パウロの伝道の動機について誹謗中傷を言う人がいたのでしょう。4節でも、パウロの動機が純粋で神から出たものであり、人の歓心を買うためのものではないことは、人の心をお調べになる神がご存じだと語ります。5節では、自分たちの伝道は金銭目的のためでもない、ということを述べています。このパウロの主張は、テサロニケではなおさら説得力があったことでしょう。パウロは、テサロニケの信徒たちに負担をかけまいと、謝儀を受け取らず日夜働き、それでも足りない部分は先の伝道地であるピリピの信徒たちからの献金に頼っていました。当時の宗教家でも、あるいは人々に知識を教える哲学者でも、まったくの無給で人々に教えている人などいませんでした。ですからパウロの生きざまというのは、テサロニケの人々に強い印象を与えたのは間違いありません。だからといって、パウロは人々は「パウロ先生はすごい、あんなに献身的に、しかも無報酬で働くなんて、本当に聖人様だ」と褒められたい、名声を得たいからそんなに頑張っていたのでもない、ということを6節で語ります。このように、6節まではパウロは自分たちの宣教がだましごとではないし、金銭や名声のためでもないということを強く訴えているのです。

7節以降では、むしろパウロは母が子に接するように、また父が子に対してするように、愛情をこめてテサロニケの人々に接してきたことを思い起こさせます。人のために命すら与えるというような人はほとんどいないでしょうが、親子の場合だけは例外と言えるでしょう。特別な聖人君主ではなくても、子どものためなら自分の命も惜しくはない、という親はたくさんいます。しかしそれは親子という特別な関係だからこそできることです。パウロは、自分たちとテサロニケの人たちはそのような特別な紐帯で結びついていると語ります。単なる教師と教え子ではなく、親子のような深い情愛で結びついているのだと言うのです。そのような愛情があるからこそ、パウロは子どもにも等しいテサロニケの信徒たちのために一生懸命頑張ったのです。その当時の生活のことをパウロは率直に記しています。9節をお読みします。

兄弟たち。あなたがたは、私たちの労苦と苦闘を覚えているでしょう。私たちはあなたがたのだれにも負担をかけまいとして、昼も夜も働きながら、神の福音をあなたがたに宣べ伝えました。

パウロはテント職人として働いていましたが、そういう肉体労働者が働く時間は昼だけでした。日没と共に仕事を終えていたのです。しかしパウロは、夜も働いていました。日本の童謡に、「母さんが夜なべして手袋編んでくれた」という歌がありますが、子どものためなら夜だって働くという親御さんは多いと思います。まさにパウロはそのような親心で働いていたのです。

親というのは子どものために一生懸命働くだけではありません。子どもに、人生の生き方の模範を示さなければなりません。子は親の背中を見て育つと言いますが、子どもの生き方は親の生き方から非常に大きな影響を受けます。パウロは子どもであるテサロニケの信徒たちに恥ずかしくない歩みをしてきた、あなたがたに道を示してきた、ということを大胆に10節で語ります。そのことは、テサロニケの信徒たちだけでなく、神も証ししてくださることなのだ、と言い切っています。パウロは父の権威をもってテサロニケの信徒たちに「ご自身の御国と栄光とに召してくださる神にふさわしく歩むように勧め」たのです。

13節では、パウロは再び感謝の言葉を述べます。それは、テサロニケの使徒たちがパウロの言葉を人間のことばとしてではなく、神の言葉として受け止めてくれたことに対してです。テサロニケの人々がパウロの言葉を神の言葉として聞いたということは、彼らがその言葉を厳粛に受け止め、それに従ったということも含まれています。ですからパウロはここで、自分たちの福音の言葉がテサロニケの人々の生き方や歩みを変えた、神の民にふさわしい人々に造り変えていった、そのことに感謝しているのです。

そして14節ですが、パウロはここでユダヤ人クリスチャンたちのことについて言及します。テサロニケの人々が同胞のギリシア人に苦しめられているように、ユダヤのユダヤ人クリスチャン、これは特にエルサレム教会のクリスチャンの事だと思われますが、彼らも同胞のユダヤ人から苦しめられているのです。ユダヤ社会の中では、イエスはユダヤの最高法院から正式に断罪された犯罪者です。そのイエスをメシアとして信じるユダヤ人クリスチャンたちは、周囲の人たちから白眼視され、村八分状態でした。テサロニケのクリスチャンたちも、彼らがガラリとライフ・スタイルを変えたことに周囲の人々が戸惑い、段々と彼らは仲間外れにされ、「そんな訳の分からない新しい宗教はやめておけ」というようなプレッシャーを受けるようになりました。パウロはそんな彼らの状態が、ユダヤ人クリスチャンたちに倣うものだと言っています。

しかし、15節から16節の内容は、かなりきつい言葉です。私たちはホロコーストという筆舌に尽くしがたい悲劇を経験してきましたので、反ユダヤ主義に非常に敏感になっています。新約聖書の中には、ユダヤ人に偏見を抱かせかねないような、慎重に扱わなければならない箇所がいくつかありますが、この15節と16節もその一つです。パウロが書いた手紙の中で、ユダヤ人に対してここまで厳しく語っている箇所はありません。ユダヤ人が「神に喜ばれず、すべての人の敵となっています」というのは、いくらなんでも言い過ぎではないか、と思わされますが、これは当時のパウロとユダヤ人たちとの関係が良くなかったことを反映しているものと思われます。というのも、パウロはかつて、ユダヤ人の代表としてクリスチャンを迫害していたのです。クリスチャンが「異邦人の救いのために語るのを妨げてきた」のは、かつてのパウロ自身なのです。そんなパウロがクリスチャンになったことをほかのユダヤ人たちが快く思うはずがありません。むしろ「裏切り者」としか思えなかったでしょう。パウロの方はパウロの方で、異邦人の救いのために働く自分たちに反対するユダヤ人のことを、かつての自分自身のことを見る思いがして、嫌悪感のようなものを抱いたとしても不思議ではありません。そうした複雑な思いがパウロをして、同胞のユダヤ人に対してここまで厳しい言葉を書かせたものと思われます。しかし、その同じパウロは後に書かれたローマ書簡の中で、ユダヤ人について「福音によれば、あなたがたのゆえに、神に敵対している者ですが、選びによれば、父祖たちのゆえに、愛されている者なのです」と語っています。このように、パウロのユダヤ人に対する態度や思いは複雑で、一言では語りつくせません。ですからこの箇所だけから、パウロのユダヤ人観をうんぬんするのは慎重であるべきでしょう。

3.結論

まとめになります。今日の箇所は、パウロがテサロニケで伝道していた時期を振り返る箇所でした。パウロは自らの伝道の目的が、名声を求めたり金銭を求めたりするような動機に基づくものではなく、神の召しに忠実なものであったことを強調しています。さらには、パウロはコリントの信徒たちのことを、自分の本物の子どものように想い、愛してきたと語ります。パウロがテサロニケで昼も夜も熱心に働いたのは、子どものために日夜懸命に働く親のような気持から出たことだ、とパウロは語ります。テサロニケの信徒たちにそのような深い情愛を持っていることをパウロは切々と語るのです。テサロニケの人たちも、パウロの言葉に感動したことでしょう。それだけでなく、子どもに正しい道を示すことが親の責任です。ですからパウロも、テサロニケの人々の模範となるように、立派にふるまってきました。同時にテサロニケの人たちにも、自分と同じように歩んでほしい、生きてほしいと訴えるのです。

今日の箇所からは、パウロがどれほど偉大な伝道者だったのかということを改めて思わされます。私自身も、パウロの爪の垢を煎じて飲まなければならないな、と身が引きしまる思いがします。同時に、テサロニケの信徒たちもパウロの思いをしっかりと受け止めて、パウロを喜ばせるような霊的成長を示しました。彼らはパウロがテサロニケを去った後も、信仰を捨てずにむしろ困難な状況を耐え抜きました。それは、パウロという身近な模範がいたためでしょう。このように、パウロとテサロニケの信徒たちとの関係は、一つの理想ともいえるほど良好なものでした。私はとてもパウロのような器ではありませんが、しかしこの教会のみなさんと、これからもより良い関係を築いていきたいと願っています。パウロのようにはなかなかできませんが、少しでも努力していきたいと思います。そして、ともに霊的に成長できれば本当に幸いです。そのような力を与えていただけるように、祈りましょう。

イエス・キリストの父なる神様。そのお名前を賛美いたします。今日はパウロのテサロニケにおける伝道の様子を学びました。私たちは小さな群れですが、パウロとテサロニケ教会のような素晴らしい関係をこれからも築くことができるように力をお与えください。我らの救い主イエス・キリストの聖名によって祈ります。アーメン

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テサロニケの教会第一テサロニケ1章1~10節 https://domei-nakahara.com/2023/08/27/%e3%83%86%e3%82%b5%e3%83%ad%e3%83%8b%e3%82%b1%e3%81%ae%e6%95%99%e4%bc%9a%e7%ac%ac%e4%b8%80%e3%83%86%e3%82%b5%e3%83%ad%e3%83%8b%e3%82%b11%e7%ab%a01%ef%bd%9e10%e7%af%80/ Sun, 27 Aug 2023 05:07:00 +0000 https://domei-nakahara.com/?p=4852 "テサロニケの教会
第一テサロニケ1章1~10節" の
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1.序論

みなさま、おはようございます。先月までは、毎週マルコ福音書を学び、月に一度だけ旧約聖書から説教をさせていただきましたが、今は毎週の説教が旧約聖書のサムエル記からなので、今度は逆に毎月一度は新約聖書から説教をさせていただきます。これから数カ月間は、パウロのテサロニケ教会への手紙からメッセージさせていただきます。

今日は最初の説教なので、まずパウロが手紙を書き送ったテサロニケの教会とはどんなところなのか、その話からさせて頂きたいと思います。テサロニケというのは、現代においても大きな都市で、ギリシア第二の都市です。第一の都市である首都アテネを東京とすると、テサロニケは大阪のようなイメージになるでしょうか。しかし、東京と大阪では東京のほうが北に位置しますが、テサロニケはアテネよりも北側にあります。

テサロニケは、現代だけでなく古代においても重要な都市でした。パウロの時代にはテサロニケはマケドニア地方の州都で、地中海世界の覇者であるローマ帝国との関係が非常に強い都市でした。マケドニアとは、あの征服王のアレクサンダー大王を生んだ地です。マケドニア地方には、二つの有名な教会があり、それがピリピ教会とテサロニケ教会なのですが、いずれも使徒パウロが開拓伝道によって立ち上げた教会でした。順番はピリピ教会が最初で、テサロニケはマケドニアで二番目に立ち上げた教会です。

さて、パウロはどのようにしてテサロニケ教会を開拓伝道したのでしょうか。使徒の働きによれば、パウロが初めてヨーロッパの地に伝道に赴いたのは「第二回伝道旅行」においてでした。その時パウロは、アンテオケというシリアの大きな教会から派遣された宣教師として活躍していました。パウロはシラスとも呼ばれるシルワノと、そしてテモテと三人でチームを組んで宣教活動を行っていました。当初パウロたちがターゲットとしていた宣教地は、小アジア、つまり現代のトルコがあるあたりですが、そこの最大の都市であるエペソであったと思われます。しかし、何らかの理由でパウロはエペソで伝道をすることができませんでした。使徒の働きでは「聖霊に禁じられて」という謎めいた書き方になっていますが、詳しい理由は分かりません。その後、ガラテヤ地方で宣教を行った後、再び小アジアのトロアスという都市に向かいました。その都市で、使徒の働きによればパウロは不思議な幻を見ます。それはマケドニアの人が、パウロのマケドニアに来て私たちを助けてください、と懇願する幻でした。パウロはその時、現在のトルコがある小アジアにいました。トルコという国は、現代でもヨーロッパとアジアの架け橋と呼ばれていますが、パウロがトロアスからマケドニアに行くということは、現代でいえばアジアのトルコからヨーロッパのギリシアに行くという感覚に少し近いものがあったと思います。つまり、異なる文化圏に行くということです。パウロを送り出したアンテオケ教会がパウロに与えたミッションは、あくまで小アジアで福音を広めることだったので、ヨーロッパ伝道はパウロたちの当初のプランには含まれていませんでした。しかし、パウロはこの幻を、神からの召しだと感じました。また、パウロはまだ福音が届けられていないところにいち早く福音を届けたい、という希望を常に抱いていました。パウロはローマ書の中でこのように述べています。

このように、私は、他人の土台の上に建てないように、キリストの御名がまだ語られていない所に福音を宣べ伝えることを切に求めたのです。(ローマ15:20)

ですから、パウロとしては他の人たちに先駆けてギリシアに福音を届けるという機会を絶対に逃したくなかったのでしょう。そこでトロアスから船出して、マケドニアのピリピに上陸しました。

ピリピでは、パウロは幸運に恵まれました。彼の宣教を全面的に支えてくれる裕福なご婦人と出会ったからです。彼女はルデヤという商人でしたが、彼女のおかげでパウロは衣食住の心配なしに、福音宣教に打ち込むことができました。パウロはここで熱心な信徒たちを獲得していきましたが、パウロの成功を快く思わない人たちもいました。パウロは様々な誹謗中傷を受けて、ピリピを離れざるを得なくなりました。そこで次に目指したのは、マケドニア地方の州都で、最大の都市であるテサロニケでした。パウロはテサロニケに紀元49年の夏ごろやって来て、一年弱を当地で過ごしました。

テサロニケでのパウロの宣教活動はどうだったのでしょうか。テサロニケでは、パウロはピリピにおけるルデヤのような裕福な後援者を見つけることができませんでした。ですからここではパウロは、生活のために働く必要がありました。パウロは2章9節で「昼も夜も働きながら」と書いていますが、当時の肉体労働者は日没と共に仕事を終えるのが普通でしたから、テント職人として働いていたパウロは夜も残業を続けていたことになります。しかし、パウロの本業は福音宣教者であり、いつもテント職人の仕事をすることができたわけではありません。また、パウロは毎月決まった日に給料を貰えるサラリーマンではないので、仕事がないときには収入もありません。かなり不安定な状況にあったわけですが、そんなパウロを支えていたのはピリピの教会の信徒たちでした。ピリピの教会が如何にパウロを支えていたのかは、ピリピ人への手紙の次の一節からも明らかです。

ピリピの人たち。あなたがたも知っているとおり、私が福音を宣べ伝え始めたころ、マケドニアを離れて行ったときには、私の働きのために、物をやり取りしてくれた教会は、あなたがたのほかには一つもありませんでした。テサロニケにいたときでさえ、あなたがたは一度ならず二度までも物を送って、私の乏しさを補ってくれました。(ピリピ4:15-16)

このように、同じマケドニア地方でテサロニケで開拓伝道に励むパウロのために、ピリピの教会は支援物資を送ってくれていたのです。

さて、このように日夜テント職人としての仕事に励みながら伝道活動を行っていたパウロですが、ではパウロはどうやって福音を人々に伝えたのでしょうか。福音伝道のためだけに時間を使うことができなかったパウロは、テント職人として働いている時に、同業の仲間や、あるいはテントを買ってくれる顧客に、チャンスがあればいつでも福音を伝えていたものと思われます。パウロの伝道活動の対象は、仕事をする必要がなく、いつも哲学の議論などを広場で行っていたお金持ちや知識人ではなく、パウロと同じように汗水たらして働く労働者階級の人が多かっただろうということです。パウロは外国人ですから、同労者たちは「あんたはどこから来たのか?なぜテサロニケに?」と尋ねたでしょうが、その時にパウロは自分は神の道を人々に伝えるために来たのだ、というような自己紹介をしたことでしょう。そうすると、興味のある人はパウロからさらに話を聞いて、段々とパウロの語る福音に関心を示していったのではないか、そのように考えています。

パウロは彼らのことを、かつては偶像礼拝者だった人たちと言っていることから、彼らはユダヤ人ではありませんでした。したがって、旧約聖書についての知識もまったくなかったでしょう。したがって、ユダヤ人に伝道する時のように、旧約聖書から解き明かして、イエスこそ聖書で預言されている約束のメシアなのだ、というように説得することもできませんでした。ではパウロの言葉を聞いた人々は、なぜ見知らぬ外国人であるパウロの語る新しい宗教に魅力を感じたのでしょうか?

テサロニケの人々がパウロの語る福音に魅力を感じたのには、三つの原因があっただろうと思われます。まずパウロの語る「福音」の内容そのものの強烈なインパクトです。第二は、パウロの語る福音が言葉だけでなく、力や不思議を伴っていたことです。第三は、パウロの誠実な生き方です。それらを一つずつ説明しましょう。パウロが語る福音は、私たち今日の教会でよく聞く福音とはかなり趣が異なっていました。現在の教会でよく語られる福音とは、イエスを信じれば天国に行けるという、個人の魂の救いに関するものではないでしょうか。それに対しパウロが語っていた福音は、個人より世界そのものの命運、つまりもうすぐキリストが天から戻られて、すべてを新しくしてくださる、私たちの生きる世界はもうすぐ劇的に変わるのだ、というものでした。パウロは自分が生きている間にキリストが天から現れると信じていました。だからこそ、彼は残された時間は少ないと感じて、大急ぎで地中海世界全体に福音を伝えようとしたのでした。それを聞いたテサロニケの人たちも、強烈なショックというか、強い印象を受けたことでしょう。世界が終わるというメッセージは非常に強いインパクトを持つのです。今日でも、急速に信者を増やして成長する新興宗教は、「世界の終わりは近い。もうすぐすべてのことが新しくなる」というような強い緊張感と切迫感を与えるメッセージを持つものが多いです。ただ、このように世の終わりが近いことを強調する新興宗教のほとんどは怪しげなものです。パウロもそうだった、と言いたいわけではないのですが、しかし彼は本気で世の終わりが近いと信じていました。その迫力に、彼のメッセージを聞いた人たちは打たれたのです。しかし、パウロが生きている間にキリストが天から戻られることはなかったし、それから二千年もの時が流れています。ここから得られる教訓は一つです。すなわち、パウロほどの人でも世の終わりがいつかということは、まったく分からなかったのです。ですからキリスト教の一派であろうと、他の宗教であろうと、世の終わりがいつかを教えることができると喧伝するような宗教はすべて嘘であるということです。未来を知っている、終末がどうなるかが分かっているという宗教家は確かに多くの人を惹きつけます。しかし、それらの宗教家は真実を語ってはいないのです。実際、聖書が語る終末は曖昧で、いろんな解釈が成り立ちうるし、実際に様々な解釈が乱立しています。聖書の記述から世界の終わりの年代を割り出すなどということは不可能ですし、過去にそのようなあらゆる試みはすべて失敗してきました。ですから、世界がいつどのように終わるのか、というようなことに不健全な関心を持つべきでないのです。

さて、話をパウロに戻します、パウロの福音がテサロニケの人々を惹きつけた第二の理由は、パウロの語る福音は言葉だけでなく、力を伴っていたということです。パウロの福音が地中海世界の多くの人々を惹きつけた一番の要因は、これかもしれません。パウロはガラテヤの信徒たちの手紙で、「あなたがたに御霊を与え、あなたがたの間で奇蹟を行われた方は」(ガラテヤ3:5)と書いています。また、パウロが書いた手紙ではありませんが、パウロたち第一世代の宣教者たちのことをよく知っている人物が書いたヘブル人への手紙には、次のような言葉があります。

そのうえ神も、しるしと不思議とさまざまの力あるわざにより、また、みこころに従って聖霊が分け与えてくださる賜物によってあかしされました。(ヘブル2:4)

このように、パウロたちキリスト教第一世代の宣教師たちは、言葉だけでなく奇蹟を行うことで、初めて福音を聞いた人々に強烈な印象を与えました。パウロはこのテサロニケ人への手紙でも書いているように、テサロニケでも言葉だけでなく神の力を伴って福音を伝えました。奇蹟といってもそれはどんな奇蹟だったのか、福音書に書かれているイエスが行ったような奇蹟をパウロも行ったのか、詳しくは分かりませんが、おそらくは病の癒しの奇蹟ではなかったかと思います。病から助けられた人は、文字通りに神の救いを体験したのですから。これらの力あるわざを行ったことがパウロの宣教が受け入れられた一つの重要な要因でした。

そして第三の理由は、パウロの伝道者としての生き方そのものです。先ほども言いましたように、テサロニケではピリピと違い、裕福な支援者を見つけることができませんでした。それどころか、テサロニケでパウロの福音に応答した人のほとんどは貧しく、その日暮らしの生活をしていました。パウロはそんな彼らに負担を掛けないようにと、自立した伝道者として自ら昼夜働いていました。しかし、当時のギリシア・ローマ世界で人々に知恵や知識を教える哲学者、あるいは宗教家でそんな生き方をしている人たちはいませんでした。彼らは教え子や信者さんからの月謝や献金で生活をしていました。そんな中で無給で福音を伝え、昼夜必死に働くパウロの姿は人々につよい印象を与えたことでしょう。

これら三つの理由が相まって、パウロのテサロニケ開拓伝道は段々と成果を上げてきました。しかし、テサロニケでもピリピと同じく周囲からの反対が大きくなっていきました。特に問題だったのは、テサロニケでは皇帝礼拝が盛んだったという事情でした。テサロニケはかつてマケドニア王国の首都として、ローマ帝国と敵対関係にありましたが、マケドニア王国が滅ぼされた後はローマに恭順を誓い、ローマの保護の下に発展してきた都市でした。日本もかつて鬼畜米英と叫びながら、戦後は一貫してアメリカに従属して、アメリカの保護の下に発展してきたのと少し似ていますね。そのような都市でしたので、ローマ皇帝を讃える皇帝礼拝に積極的でした。テサロニケの市民は皆この皇帝礼拝に加わるようにとの、強い社会的プレッシャーがありました。戦前の日本でも、天皇の写真、それは御真影と呼ばれましたが、それに対して敬礼することや、宮城遥拝といって皇居に向かって拝礼することは国民の義務であり、「私はクリスチャンだからできません」ということは許されなかったという事情がありますが、テサロニケでの皇帝礼拝もそれに似ていて、個人の宗教的信念によって皇帝礼拝を拒否することは、皇帝への反逆と見なされる空気がありました。そんな中で、イエスという新しい王、新しい世界の支配者を宣べ伝え、それ以外の一切の神々を拝むことを禁じるパウロの教えは、テサロニケの有力者たちから危険な教えと見なされました。そうした中で、暴動になりかねない状況になり、パウロは逃げるようにしてテサロニケを後にしました。しかし、残されたテサロニケの信徒たちはパウロというリーダーを失って、敵対的な人々に囲まれて信仰を守っていかなければならないのです。そのようなテサロニケの人々を案じる心が、パウロにこの書簡を書かせた一つの大きな理由でした。さて、背景説明がとても長くなりましたが、今日のみことばを読んで参りましょう。

2.本論

まず書き出しですが、そこにはこの書簡の差出人の名前が明記されています。パウロ、シルワノ、テモテの三人の名前が差出人として書かれています。この三人はパウロの第二次伝道旅行のメンバーなので、この書簡はパウロの第二次伝道旅行中に書かれたことになります。ではどこで書いたかというと、パウロはテサロニケを去った後にしばらくアテネで伝道し、その後さらに南下してコリントに腰を据えて1年半伝道を行いました。そのコリント伝道の最後の時期に書かれたのではないかと私は考えています。差出人に続いて宛名が書かれていますが、それはいうまでもなくテサロニケ人の教会です。パウロの手紙の冒頭は、差出人、受取人、そしてあいさつの言葉が続きますが、この第一テサロニケもまさにそうなっていて、宛名の次にはあいさつの言葉が続きます。それが、「恵みと平安があなたがたの上にありますように」です。恵みというのはカリスというギリシア語ですが、パウロの手紙では非常に重要な言葉です。このカリスから派生した言葉がカリスマですが、それは異能、神から与えられた特殊な能力という意味合いがあります。そうした能力を与えるのは聖霊です。ですからパウロが恵み、カリスという時に、聖霊の賜る様々な力のことが含意されていると考えてよいでしょう。つまりパウロが「恵みがあるように」という時、「聖霊が共にいてくださいますように」という意味合いが込められているということです。

パウロの手紙では、差出人、受取人、あいさつに続いて、神への感謝の祈りが来る、というのが通例になっていますが、この手紙もまさにそのようになっています。この聖書訳では、2節から5節までは句読点で句切られた三つの文から構成されているように見えますが、原文のギリシア語では2節から5節までは一続きの文です。ギリシア語には分詞という用法がありますが、この非常に長い文章は分詞によってつながれている格好になっています。何が言いたいかといえば、2節から5節まではひとまとまりの感謝の祈りだということです。パウロはここで、いかに自分が常にテサロニケの人々のことを考え、祈っているかということを強調します。

パウロは特に信仰者としての彼らの歩みのことを、三つの言葉で表しています。それは、「信仰」と「愛」と「希望」です。3節では「信仰の働き」となっていますが、直訳すれば「信仰の行い」です。「信仰」と「行い」を対立するものとして考える場合、つまり信仰とは「行いなしにただ信じること」、という風に考えている場合には「信仰の行い」という言葉はナンセンスに響くかもしれません。しかし、行いに結びつかないような信仰は信仰ではない、というヤコブの手紙の主張が示すように、行いという実を結ばない信仰は存在しません。パウロもそう考えていたことを示すのがこの「信仰の行い」という言葉なのです。次の言葉、「愛の労苦」というのも同じことです。愛とは単なる感情ではなく、行動を伴うものだということです。「あなたを愛しています」といいながら、その相手が困っているようなときに何もしないのならば、私たちはその愛を疑うでしょう。「あなたを信じます」、「あなたを愛します」と言っても、その言葉が行動に結びつかないのなら、その愛や信仰は本物ではないのです。繰り返しますが、愛や信仰は単なる感情や頭の中の知識ではなく、実践、行動を伴うものだということです。そして三つめは、「主イエス・キリストへの希望に基づく忍耐」です。私たちが苦難を耐え忍ぶことができるのは、この苦しみもいつかは終わる、その先にはもっと良い未来が待っている、そういう希望があるからこそ、今の苦しみを耐えることができます。未来に何の希望もない、という状態では心は折れてしまいます。テサロニケの信徒たちは困難な中を歩んでいましたが、パウロは彼らにより良い未来のヴィジョンを与えていました。それが彼らに今の苦しみを乗り越える勇気と力を与えていたのです。ただ、繰り返しになりますが、キリストはすぐにも天から戻られるというパウロのメッセージは、実際にはその通りにはなりませんでした。そこで生じた問題に対処するために、パウロがこの書簡を書いたという事情があります。

それからパウロはコリントの人たちに、彼らが神に愛され、そして神に選ばれているということを改めて告げます。彼らが神によって選ばれていることの証拠は、パウロの福音宣教には言葉だけでなく、力が伴っていたこと、また彼らが良く知るパウロの生き方そのものが、その福音にふさわしかったということにあります。ある人の語っているメッセージの真実味の裏付けは、その語る人の生き方に表れるということです。

さて、このように2節から5節までのパウロの感謝の祈りには豊かな内容が凝縮されています。では、6節から10節までを見ていきましょう。ここでパウロは、テサロニケの信徒たちの信仰の歩みを賞賛しています。テサロニケの信徒たちは、実際に本当によくやっていました。彼らはキリスト教信仰を持つことで、それまでのライフスタイルを改めました。悪い遊びはやめたということです。しかしそれは、これまでの彼らの仲間から見れば、付き合いが悪くなったという印象しか与えなかったことでしょう。また、ローマによって十字架に処せられて死んだ罪人を主だと崇めるような新興宗教は、テサロニケの人々からには気味が悪いものにしか思えませんでした。そのような宗教に対する周囲の人々のあたりは厳しく、さらにリーダーであるパウロを失ってしまった教会は、容赦なく様々な困難が降りかかって来ました。普通そんな組織は容易に空中分解してしまいそうなものですが、テサロニケの人々は困難にもめげずにしっかりと信仰に踏みとどまっていました。パウロはそんな彼らを讃え、彼らはパウロたちに倣っている、それだけでなく主イエス・キリストの歩みにも倣っているのだ、と語ります。彼らのそのような信仰は、マケドニアだけでなく、パウロが今活動しているコリントの位置するアカイア州でもよく知られるようになりました。彼らは先ほども言いましたが、ユダヤ教の背景を持たない異邦人、外国人でしたので、真の生ける神についてはパウロの福音を聞くまでは何も知りませんでした。そうした彼らがどのようにしてきっぱりと偶像との縁を切り、天からこの世界を裁くために来られるキリストを待ち望むようになったのか、その信仰の証しは今やギリシア全土にまで伝わるようになったのです。

3.結論

まとめになります。今日はパウロのテサロニケ教会への手紙の説教の第一回目ということで、背景説明に時間を割いた説教になりました。テサロニケの信徒たちは、ごく普通の労働者たちでした。彼らはそれまで、周りの人々が行っているギリシア・ローマの神々やローマ皇帝の礼拝を当たり前のように受け入れて、そうした礼拝に加わっていました。しかし、パウロという名の見知らぬユダヤ人が語る福音に強い衝撃を受けて、イエス・キリストへの信仰に入りました。彼らは旧約聖書のことはほとんど何も知らず、パウロから旧約聖書について詳しく教えてもらう時間もそれほどなかったでしょうが、パウロの伝道者としての真摯な生き方と、彼の語る福音が言葉だけでなく奇蹟的な力を伴っていたことに感銘を受け、熱心にキリストを信じるようになりました。そして、彼らに福音を伝えたパウロが一年足らずでテサロニケを去ってしまった後も、困難な状況の中で信仰を守り続けました。彼らの信仰の歩みは当時のギリシアの隅々にまで伝わりましたが、それだけでなく二千年の時を超えたこの遠い異国の地である日本にまで伝えられています。私たちも彼らの信仰から励ましを受けると同時に、彼らがどんな問題で悩み苦しんでいたのか、それらを学ぶことを通じて信仰の糧を得たいと願うものです。今週も私たちもテサロニケの人々のように忠実に歩むことができるように、祈りましょう。

パウロたちを召して、ギリシア・ローマ世界に福音を伝えられた父なる神様、そのお名前を賛美します。今日はテサロニケ書簡の最初の説教ということで、当時の社会状況などを学びました。私たちの生きる今日も多くの問題を抱えていますが、テサロニケの人たちも困難な状況を生きていたことを知りました。そうした中で、彼らは忍耐強く歩みましたが、私たちも彼らに倣って忠実に歩むことができるように、力をお与えください。われらの平和の主、イエス・キリストの聖名によって祈ります。アーメン

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