ヨシュア記 – 中原キリスト教会 https://domei-nakahara.com 調布 深大寺のプロテスタント教会 Mon, 17 Aug 2020 02:52:59 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=5.3.18 https://domei-nakahara.com/wp-content/uploads/2020/03/cropped-favicon-32x32.png ヨシュア記 – 中原キリスト教会 https://domei-nakahara.com 32 32 アカンの罪ヨシュア記7:19-26森田俊隆 https://domei-nakahara.com/2020/08/16/%e3%82%a2%e3%82%ab%e3%83%b3%e3%81%ae%e7%bd%aa%e3%83%a8%e3%82%b7%e3%83%a5%e3%82%a2%e8%a8%98719-26%e6%a3%ae%e7%94%b0%e4%bf%8a%e9%9a%86/ Sun, 16 Aug 2020 14:42:00 +0000 https://domei-nakahara.com/?p=606 "アカンの罪
ヨシュア記7:19-26
森田俊隆
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* 当日の説教ではこのうちの一部を省略して話しています。

今日はヨシュア記のなかの物語の一つである「アカンの罪」からメッセージを得ます。このお話は、簡単に言えば、エリコにおける戦勝で奪ったものは、神に捧げるものとしなければならないのに、アカンという家族の長が自分のものとしました。その結果、アイの町との戦いに敗れたということです。そして犯人を見つけ、犯人の家族を石打ちの刑に処して罪を償わせた、ということです。そのあと8章でアイを攻めて勝利を売ることができました。また、新約聖書の使徒行伝4:32-5:11のアナニアとサッピラの話で、家を売って得たお金の一部を手元に置き、残りのみを教会に捧げるということをしたのに対し、神の怒りにより夫婦が死ぬ、という話がでてきます。これは、すべてを神に捧げたはずなのに、一部を自分のものとしたのは神のものを盗んだに等しい、ということから、このような罰が下されることとなった、というものです。「アカンの罪」も主なる神のものとされた聖絶のものを一部自分のものとしたことによって神の怒りを引き起こしイスラエルは、彼の家族全員を石打ちの刑と、焼き尽くすことにより償った、ということです。主なる神のものをちょろまかすのは旧約・新約通して大罪であり死を免れない、ということの話として伝えられてきました。しかし、今日は少々別の角度からこの物語を理解していきたい、と思います。

まず「神に捧げられるべきものを黙って自分のものとした罪に対する裁きは極めて重大なことで一族の死に値する。神の裁きを恐れよ。」という伝統的な解釈への疑問を申し上げます。このアカン一家を石打ちの刑にした場所は「アコルの谷」と呼ばれ石くれの山をつみあげた状態で放置された場所、と言われています。しかし、この「アコルの谷」の名が出てくる他の聖書個所をみると異なる理解の仕方が見えてきます。二か所あります。まず、イザヤ書65:10です。ここは所謂第三イザヤの部分であり、新しい祝福の約束としての新天新地を描写したところです。「わたしを求めたわたしの民にとって、シャロンは羊の群れの牧場、アコルの谷は牛の群れの伏す所となる。」とあります。シャロンというのは農耕地帯ですから、新天新地のイメージにはつながるのですが「アコルの谷」が牛の群れの伏すところとなる、というのはどういうことでしょう。「アカンの罪」の発生した場所として呪われた地として毛嫌いされてもおかしくない「アコルの谷」が、祝福の表現として描かれているのです。

もう一か所はホセア書です。2:15に「わたしはその所を彼女のためにぶどう畑にし、アコルの谷を望みの門としよう。彼女が若かった日のように、彼女がエジプトの国から上って来たときのように、彼女はその所で答えよう。」とあります。「わたし」と言うのは神様であり、彼女と言われているのはイスラエルです。ホセアは北王国滅亡の時の預言者であり「姦淫の女をめとれ」と神に命じられた人物です。あのアカンの罪が刻印されているアコルの谷が「望みの門」となる、と言われています。イスラエルに悔い改めを強く勧め、そしてアコルの谷を神に立ち返るイスラエルに対する望みの門にしようと主なる神が述べている、というのです。

この二か所をみると、ヨシュアの時代において大罪人アカンが死に定められたアコルの地が呪いの地ということで伝承されてきた、ということではないのではないか、と思わざるをえません。むしろ、イスラエルの大いなる罪を贖った人物の葬られた地、即ち、そこに主なる神の大いなる憐れみが示される地である、という伝承が存在したのではないか、と推測させます。そしてそこで石打ちの刑にされたアカンは、本当はイスラエルの罪を贖った人物という理解がこの伝承の裏に隠されているのではないか、という推測が成り立ちます。イザヤ書63章の前には第二イザヤの「苦難に僕」の個所があります。苦難の僕と称せられている実にみすぼらしい人物が実はイスラエルの大いなる罪を贖う人物であったという箇所です。またホセア書2章はホセアに対し残酷極まりない人生を運命づけだ主なる神が、それでも罪ある者を愛せ、と命じ、主なる神自身が希望の道を示す、とおっしゃっています。ホセアが示す犠牲の地「アコルの谷」は望みの門につながっている、と言っているのです。

「アコルの谷」がこのようなイスラエルの罪に関する贖いの犠牲の捧げられた地、として伝承されていた、とすれば、ヨシュア記における「アコルの谷」に関する理解、また「アカンの罪」に関する理解は神に対し大罪悪をおかしたアカンのお話、ということで済まされるものではありません。むしろアカンはイスラエルの罪の贖いとして神に捧げられた人物というのが聖書の理解なのではないか、という風にも思われます。ではヨシュア記の個所に戻って、聖書に述べられていることを見てみましょう。

ヨシュア記はモーセなきあとヨシュアに率いられたイスラエル民族がカナンの地に侵入することを描いた文書です。まずエリコという大きな町を占領します。七人の祭司と契約の箱を先頭にしてこの町の周囲を回ります。そして、時の声をあげると城壁が崩れ、町を攻め取ります。遊女ラハブがイスラエルの手引きをしました。そして、6:21では、「彼らは町にあるものは、男も女も、若い者も年寄りも、また牛、羊、ろばも、すべて剣の刃で聖絶した。」とあります。その地にあったすべての命を絶ったというのです。今の我々は“なにもそこまでしなくても”と言いたくなりますが、ヤハウェを唯一神とするイスラエル共同体の創成の時においては、信仰的妥協は許されない、時であったと思われます。イスラエルは圧倒的少数派ですから、一寸した妥協がヤハウェ信仰の崩壊につながります。

エリコのあとはアイという町の攻略にかかります。まず、偵察を送ります。偵察隊は帰ってきて、アイの町を攻め落とすことは容易であり全軍が総力をあげる必要はない旨、ヨシュアに報告します。従って一部の者を戦いに出しましたが、敗北し、逃げ帰ってきました。イスラエルの民は「心がしなえ、水のようになった」と記されています。7:6では「ヨシュアは着物を裂き、イスラエルの長老たちといっしょに、主の箱の前で、夕方まで地にひれ伏し、自分たちの頭にちりをかぶった。」とあります。これは改悛の気持ちの表現です。

エリコの時は、イスラエルは自分たちが非力であり、神に頼る以外に対処の方法はありませんでした。自分たちは神の言葉に従ったのみです。しかし、このアイ攻略の場面では、自分たちの力を過信し、敵を侮り、全力を傾注して敵に当たる態度を欠いていました。また主なる神のアイ攻略の明確な言葉も与えられていません。「主が戦われる」のが「聖戦」の基本的条件です。無力な民が全能の主なる神に全くより頼み、戦闘を行うのです。このイスラエルによるアイ攻略はこの基本条件を満たしておらず、聖書で言う聖戦ではなく、人間による人間との戦争になっているのです。「主が戦われる」戦争が、容易に「人による人の支配のための戦争」になってしまうことが示されています。ここに、主なる神への全面的信頼から離れていくイスラエルの罪の現実が示されています。

このあと、ヨシュアによるぐちとも言える言葉がでてきます。7:7-9をお読みします。「ヨシュアは言った。「ああ、神、主よ。あなたはどうしてこの民にヨルダン川をあくまでも渡らせて、私たちをエモリ人の手に渡して、滅ぼそうとされるのですか。私たちは心を決めてヨルダン川の向こう側に居残ればよかったのです。/ああ、主よ。イスラエルが敵の前に背を見せた今となっては、何を申し上げることができましょう。/カナン人や、この地の住民がみな、これを聞いて、私たちを攻め囲み、私たちの名を地から断ってしまうでしょう。あなたは、あなたの大いなる御名のために何をなさろうとするのですか。」と言われています。カナンに侵入することをせず、ヨルダン川の東にとどまっていた方がよかった、と言っています。これは「カナンの地を与える」とした神の約束に対する不信の表明です。これは極めて重大なことです。ヨシュアが不信の大罪を犯しているのです。聖書のこの個所は「アカンの」のことをテーマとしていますが、敗戦に係る罪の関係から言えば、このヨシュアの罪の方がずっと重大です。ヨシュアはイスラエルの民全体を指導する立場にある最高指導者です。聖書は一貫して、指導者の罪は共同体全体の罪とみなされ、その責めは共同体全体が負わなければならない、と言っています。裏返して言えば、その指導者が罪を犯す背後には民の罪が横たわっているということでもあります。アカンもそれなりの指導的な立場の人間ではありましたが、ヨシュアとは比較になりません。

これと類似のことが出エジプトの後に起きています。イスラエルの民がモーセに率いられエジプトを出たすぐに、エジプトの軍勢がイスラエルにせまり、彼らは恐れをなして、出エジプト記14:11-12でモーセに「エジプトには墓がないので、あなたは私たちを連れて来て、この荒野で、死なせるのですか。私たちをエジプトから連れ出したりして、いったい何ということを私たちにしてくれたのです。/私たちがエジプトであなたに言ったことは、こうではありませんでしたか。『私たちのことはかまわないで、私たちをエジプトに仕えさせてください。』事実、エジプトに仕えるほうがこの荒野で死ぬよりも私たちには良かったのです。」と言っています。主なる神への不信です。ヨシュアはイスラエルの指導者ですが彼自身も「不信の罪」に陥っていた、と記されています。おそらく、ヨシュアは民衆の「つぶやき」を代表して主なる神に不平を言ったのでしょう。注意点は、この時既に、イスラエル共同体全体が「不信の罪」にある、という点です。ヨシュアは民衆にこびて、神への不信を表明しているのです。モーセがイスラエルの民が不平を言った時に取った態度と比較すれば、ヨシュアの問題性は明らかです。この償いはアカンの一族が石打ちの刑のもとに置かれる、こととして示されます。アカンの罪の物語は単にアカンが聖絶のものをかすめた、ということに終わらせて済む話ではありません。全イスラエルとその指導者であるヨシュアが「不信の罪」を犯し、「主が戦われる」聖戦ではない戦争を仕掛け、敗北する、という根本的な罪の問題が背後にある、ということを忘れてはなりません。

更に、アカンの罪に関しのべた個所を見てみましょう。7:11です。「イスラエルは罪を犯した。現に、彼らは、わたしが彼らに命じたわたしの契約を破り、聖絶のものの中から取り盗み、偽って、それを自分たちのものの中に入れさえした。」と言われています。聖書ははっきりと「イスラエルは罪を犯した。」と言っています。アカンが犯した罪がイスラエル全体の罪とみなされたということではなく、イスラエルの罪がまずあって、その表れの一つしてアカンの罪が表に出てきた、ということなのです。そして、ここで主なる神との契約を破り、聖絶のものから盗んだ人はすべて複数形です。アカン一人と言うことではないのです。アカンの罪と同様の罪を実は多くのイスラエル人が犯していたのです。考えてみれば、一部族の長であったにしてもイスラエルの全体指導者でもないアカンが犯した罪によってアイとの戦争で敗戦の憂き目にあうなど、おかしなことです。アカンは罪のただなかにあるイスラエルの代表のようなもので、ここにおけるアカンに向けられた怒りは、実は全イスラエルに向けられた神の怒りなのだ、と聖書は述べている、ということです。

旧約聖書神学には「集合的人格」という考え方があります。特定の人物のこととして聖書が表現していることが実はイスラエルという共同体全体を指して言っているのだという考え方です。特定の人物が共同体全体を集合的に指し示している、という聖書神学での用語です。先ほどのイザヤ書53章における「苦難の僕」の議論のなかで出てきた考え方です。この考え方は「苦難の僕」はイスラエル民族のことである、という解釈となり、イスラエル民族は全人類の犠牲の供え物として選ばれたのだ、というユダヤ教の一部の説につながります。新しきイスラエルとしての我々はすんなりこれを受け入れることはできません。しかし、このアカンの罪の話では、アカンは集合的人格として理解され、イスラエルの伝承に生き続けていった、と推測することは許されるのではないか、というのが私の言いたいことです。そうでなければ、第三イザヤ、ホセアにおいて「アコルの谷」が主なる神の恵みの象徴として描かれるはずはないのです。                                            

次にここで述べられている「聖絶のもの」について申し上げたい、と思います。敗戦の原因について7:11で「聖絶のものの中から取り、盗み、偽って、それを自分たちのものの中に入れさえした。」と主なる神はおっしゃられます。エリコとの闘いにおいて神がすべてもものに対する聖絶を命じたのにその中から盗み自分たちのものとした、ことが敗戦の理由である、と言っているのです。7:13では主の言葉として『イスラエルよ。あなたのうちに、聖絶のものがある。あなたがたがその聖絶のものを、あなたがたのうちから除き去るまで、敵の前に立つことはできない。』と言われています。「聖絶のもの」を除き去る必要がある、と言っています。さらに7:15では「その聖絶のものを持っている者が取り分けられたなら、その者は、所有物全部といっしょに、火で焼かれなければならない。」とまで言われています。                      

「聖絶」と言う言葉はヘブル語では「he:rem」ギリシャ語では「anathema」です。ヘブル語は「ha:ram」という「滅ぼし尽くす」という意味の言葉からきています。翻訳としては「奉納物」「詛われし物」と訳されている場合もあります。残虐な感じを避けるための訳かもしれません。「聖絶のもの」「奉納物」「呪われしもの」では言葉の意味合いが全く異なります。「聖絶」は聖別したうえでこれを滅する、という意味で、生命体については殺したうえで霊的動きを一切封じる、ということです。「奉納」は聖別したうえでこれを神への捧げものとすることで、イスラエルの信仰では罪の贖いの供え物です。贖いの供え物にするのは自分たちの最も大切なものを捧げるのであって、犠牲をともなうものだ、というのはイスラエル信仰の基本です。犠牲を伴わない供え物は信仰告白にはなりません。聖書での「呪い」は神の恵みが全く及ばない状態を指しています。罪の中にあるがゆえに呪われた状態、即ち全く救いがない状態にあることです。その象徴物が「呪われたもの」です。ここの文脈では神の命に反し、自分のものとした金銀などです。この言葉の異なる三つの意味をあわせ考えると罪の贖いの供え物、という意味でつながっています。

新改訳聖書以外はこの言葉を、意味内容を考えて日本語を使い分けているようですが、新改訳は愚直にも、機械的に「聖絶」の言葉で翻訳しています。この言葉の適切な翻訳は極めて難しい課題です。“私は解ったふりをして翻訳し分けるなどというようなことをするくらいなら、通じなくても構わないから機械的に翻訳しろ、読む方が考えて理解しようと努めるのだ”という考えですので新改訳の訳し方の方が好きです。他の訳においての苦労は解るのですが、神の言葉をそんな無理して訳したって、たかが知れている、と思う次第です。特に「奉納物」と訳する場合には残忍とも思われるような主なる神の厳格さ、一点の罪も許さない、という主なる神の迫力が伝わらなくなってしまいます。

この「ha:ram」「he:rem」は極めて宗教的なことばであり、日常の世界で使われる言葉ではありません。当時の戦争が極めて宗教的な事柄である、ことの現れです。さきほどの「聖戦」と「聖絶」は密接に結びついています。「聖戦」における勝利は神の勝利ですから、勝利の結果得た物は、基本的には神の物になります。敵の財産、生命等は神への奉納物になる、というのが基本です。その一部をくすねるということは神の所有物を盗むことになるのです。しかし、この奉納物は「良きもの」を奉げるのではありません。神の恵みが及ぶことの一切ないように、滅ぼし尽くすのです。その方法は、いけにえを奉げる時の方法である「全焼のいけにえ」です。この「全焼のいけにえ」はヘブル語で「o:lah」ギリシャ語で「holokauto:ma」といいます。このギリシャ語の言葉がナチスのホロコーストの語源になったことばです。敵のすべてを「全焼のいけにえ」として神に捧げることにより「聖絶」を実行する、ということです。7:15では「その聖絶のものを持っている者が取り分けられたなら、その者は、所有物全部といっしょに、火で焼かれなければならない。彼が主の契約を破り、イスラエルの中で恥辱になることをしたからである。』」 と言われていますので、「聖絶の物」を盗んだ者は敗北した敵と同様、「聖絶の物」とされ「全焼のいけにえ」にされる、ということです。

しかし、敗北した敵も、聖絶のものをくすめた者も単に、滅ぼし去って、なかったもの、としてしまいなさい、と言っているのではありません。聖絶のものとしなさい、と言っているのです。聖別し、供え物、奉納物としたうえで、火で燃やすなり、この世での滅するものとするのです。いわば、主なる神に引き渡すのです。奉納物にするものですから、それは無価値なものではなく、寧ろ非常に大切なものなのです。戦争に勝って、自分たちのものとなったものは大切なものです。なかでも生き物は自分たちのこれからの生活を支える大きな力となるものです。それを、手を付けず聖別し、奉納せよ、と言われているのです。犠牲の捧げものという考えが根本にあります。聖絶のものを盗んだ者はイスラエルの民です。いやしくも主なる神の選ばれた民、イスラエルの一人なのです。その罪を犯した人物を聖絶のもの、としなさい、と言っているのです。イスラエルの民としては大きな犠牲を払うことを意味します。その罪ある者とされた人物を聖別し、石打ちの刑にし、持ち物をすべて火で焼くということです。これは大いなる罪の中にあるイスラエルがその代表者を呪われた者とし、贖罪の供え物としていることです。石打ちの刑は自らの罪を悔い改め、主なる神にすべてをお任せする、という信仰の告白なのです。だから、イスラエルは皆、石打ちの刑に参加しなければならないのです。聖なる行為、と言うことなのです。

犯人をさぐり当てる話に行く前に一点注意をしていただきたい点があります。ヨシュアが「不信の罪」を犯した直後、主はその原因を指摘する言葉を、「立て」ということばではじめています。また、主は民の清めについてのべ、聖絶の物を取り除くことを命ずる直前に7:10と7:13で「立て」とおっしゃっています。この「立て」はヘブル語では「qu:m」という「立つ」という意味の言葉、ギリシャ語でも同じ意味の「anasthe:mi」という言葉の命令形です。この言葉は実は後に「復活」の意味を持って使われるようになる言葉です。その意味がはっきり出ている言葉を外典の第二マカバイ書で見てみます。7:14です。「死ぬ間際に彼は言った。「たとえ人の手で、死に渡されようとも、神が再び立ち上がらせてくださるという希望をこそ選ぶべきである。」 とあります。旧約と新約の中間にある時期の文書です。「再び立ち上がらせてくださるという希望」の「立ち上がる」が同じギリシャ語の言葉です。この箇所は「復活」がユダヤ教の中で具体的に出てくる箇所として有名です。「再び立ち上がる」=「復活」です。ヨシュア記のこの箇所で「復活」を直接言っている訳ではありませんが、あたかも主なる神が、イスラエルが本来の信仰にすべてを掛ける人々に立ち帰ることを期待し、呼びかける言葉と解釈できます。

「聖絶」は極めて宗教的な行為ですからこれに対する罰である「全焼のいけにえ」も宗教的行為です。宗教的行為という意味は歴史的事実としてその通りに行われたのかが重要なのではなく、象徴的行為として重要だ、ということです。信仰の表現としての象徴行為が重要なのです。歴史的事実としてはエリコもアイも集団殺戮的なことが行われた事実はありません。何らかの「聖絶」的な祭儀が行われ、イスラエル共同体が全員、例外なしに、真実をもってヤハウェを礼拝・賛美したことが重要なのです。このアカンという罪人を特定すること自身が極めて重要という訳ではなく、罪を犯したイスラエルの代表者としてその罰を受け、イスラエル共同体全員が、例外なしに二度とこのような事をしない、という誓約をすることが重要だったのです。

しかし、物語としては特定の個人の罪という形で展開されます。「アカンの罪」の話と言えば、アカンと言う特定の人間が聖絶のものをくすねる、という大罪を犯したので、その罪を償うためにアカンの親族全部を聖絶の対象にして神の怒りがおさまった、という話として、後世のイスラエルに伝えられたかのようにも思われます。しかし、このような表面上の物語の裏では、アカンが自分たちの罪の代表者として死の裁きを受け、贖罪の業を成し遂げてくれた、というイスラエル信仰が伝えられていったのです。そしてその死を象徴するアカンの谷は主なる神の憐れみと救いの示される地となっていったのです。これが主イエスの十字架の死、ゴルゴタの丘につながってくる、のです。イスラエル信仰が底流に流れているのです。

ここでヨシュアは7:19でアカンに対し、「わが子よ。イスラエルの神、主に栄光を帰し、主に告白しなさい。あなたが何をしたのか私に告げなさい。私に隠してはいけない。」と述べます。「わが子よ」という呼びかけは犯罪者に対する呼びかけではありません。明らかに同胞として扱っています。また「告白しなさい」「告げなさい」は、命令形であり「隠してはいけない」のところは未完了形です。ヘブル語の場合命令形は、強く勧める、という意味合いですが、未完了形の否定は“そんなことがあってはならない”という意味合いの強い否定です。従って、ここでヨシュアはアカンを同等の者として、扱っています。聖絶の物を一部自分のものとしたことよりもその事実を隠していたことの方がずっと罪が重いかの如し、です。しかし、神の裁きは逃れられません。その償いはされなければなりません。十戒に「盗んではならない」との戒めがありますが、これは人間の間でのことを指しています。神の物を盗むことは、神を侮辱することに該当し、石打の刑です。十戒で裁かれることではなくあえて十戒に当てはめれば、第一戒「唯一神信仰」違反でしょう。

これに対するアカンの返答は見事なものです。主に対し罪を犯したことをはっきり認め、盗んだものを具体的に示し、真実を語っています。他の人もやったのだ、というような言い訳的なことは一切言っておりません。そしてその告白はすべて事実であることが証明されました。アカンの盗んだものはまず「シヌアルの美しい外套一枚」と記されています。これはバビロン製の外套で高貴な人のものだったはずです。次に「銀二百シェケル」です。1シェケルは12gですから銀2.4kgです。かなりの量です。今は60円/gですので大した価値ではありませんが、当時は、金より銀か、と言われるほどでしたから、大きな価値があったはずです。あと、50シェケルの金の延べ棒ですが600gの金ということになります。これは大変な量です。どうも単なる出来心では済まされない財宝です。今、金は6,500円/gですので約4百万円になりますが、当時ははるかに大きな価値を持つものだったでしょう。戦いによってそれだけのものを得たら、これはイスラエルの財産としてその民族の幸せのために役立てる、というのが普通の考えですが、主なる神はこれらを聖別し、主なる神に捧げよ、とおっしゃられるのです。それはイスラエルの民に対し、大きな犠牲を強いるものです。贖罪には犠牲がつきものです。何も言わず、いい子だ、いい子だ、許してあげる、という無限の慈悲というような神ではないのです。イスラエル信仰、そしてその系譜にあるキリスト教信仰は、人間の願望を神とするようなものとは異なり、罪の贖いには大きな犠牲を求める、と言うことなのです。聖別の思想にはこのようなイスラエル信仰の基本が反映されているのです。

これだけ正直に罪を認めているのですから、一般の刑事事件であれば「改悛の情強く罪一等を減ず」というところですが、これは神様に対する罪ですから、人間世界での温情による罪の軽減は成り立ちません。神が求める贖罪が必要です。そしてその結果が7:24に記されています。「そこでヨシュアは言った。「なぜあなたは私たちにわざわいをもたらしたのか。主は、きょう、あなたにわざわいをもたらされる。」全イスラエルは彼を石で打ち殺し、彼らのものを火で焼き、それらに石を投げつけた。」とあります。アカンとその家族は「覚悟していた」かの如く、従順にその罰に服したようです。抵抗を示した兆候は全くありません。彼は敗戦の責任を誰かが取らなければならないことを十分に理解しており、くじの結果、自分に当たったことを、神の導きと理解し、イスラエルの民とヨシュアに代わり、その罪を負ったかに見えます。むしろ、イスラエルの罪の贖いの供え物になる事を光栄と感じていたのかもしれません。しかし、当時は、当然のことではあったにしても家族一同が石打ちの刑にあったことには言葉もありません。

レビ記24:16には「主の御名を冒涜する者は必ず殺されなければならない。全会衆は必ずその者に石を投げて殺さなければならない。」とあります。これは主イエスの罪状と同じ、神冒涜罪です。そして、7:24によれば「彼の息子、娘、牛、ろば、羊、天幕、それに、彼の所有物全部」にその裁きが与えられたと記されています。ここでもアカン個人と家族共同体が同一視されています。それは所有物という「命」とは別のものにも及ぶとされています。この石打の刑は今の我々からみると残酷極まりない、ように思えますが、イスラエル信仰の文脈のなかでみると、共同体が「二度とこのような罪は犯さない」という誓約をすることを意味していた、と考えられます。「火で焼き」とも言われていますので、「全焼のいけにえ」の意味も持たせられていたと推測されます。

そして最後の一節が7:26「こうして彼らは、アカンの上に、大きな、石くれの山を積み上げた。今日もそのままである。そこで、主は燃える怒りをやめられた。そういうわけで、その所の名は、アコルの谷と呼ばれた。今日もそうである。」と名前の原因説明、所謂原因譚となっています。「アコルの谷」の名前は「苦悩の谷」を意味する名前で、「アカン」の名前の語源と同じ言葉です。エリコの東にあった谷と推測されています。「今日もそのままである」とありますから、ヨシュア記が文書となったと推測される、ユダ王国ヨシヤ王の時代にもこの「アコルの谷」がこの名であった、と考えられます。ユダヤ人の歴史を振り返ると、“そんなの「希望」ではなく「幻想」なのでは?”と突っ込みを入れたくなりますが、実に「絶望のなかで主の約束の希望をみる」というのがイスラエル信仰の真髄です。「アコルの谷」が「苦悩の谷」から「希望の谷」に代わるところにそれを見る思いがします。8章で再びアイを攻め勝利を得ていますから、神はアカンの家族の犠牲をもって、イスラエルとその指導者の罪を赦した、ということになります。

このアカンの家族に対する罰を旧約聖書の流れの中でみると、イスラエルの罪に対する「全焼のいけにえ」とみることができます。「全焼のいけにえ」は律法の書「レビ記」にその説明がありますが、基本的には「罪のための供え物」です。イスラエルの罪は改悛の告白だけでは済まされません。赦しには犠牲を伴う、というのがイスラエル信仰の基本です。このヨシュア記の「アカンの罪」により示されているのはイスラエルの罪の贖いの供え物としてアカンの家族のすべてが犠牲として捧げられた、ということです。このことはイスラエルの伝承として伝えられ、ホセア書に「望みの門」として示され、第二イザヤにおいて「苦難の僕」として明確に指示され、第三イザヤにおいて新天新地の象徴として描写され、そして主イエス・キリストにおいて完成した形で示される、という流れです。主なる神のそのメッセージは新しいイスラエルである我々に継承され、主イエスの再臨の時に御国がきて、この世が神の国とされる、ということです。その最後の時までの世界を描写しているのが黙示録です。我々キリスト者からみると「あれ、アカンというのはそれ主イエスの事ではないのですか?」と問いたくなります。主イエスの十字架の業は「罪なき者が罪ある者とされた」のであり、アカンの場合と根本的に異なる、という見方もあろうと思いますが、このアカンの崇高とも言える最後の時、イスラエル民族の信仰告白ともいうべき石打の刑、等に示されているところを見ると、主イエスの十字架とダブって見えてくるのです。そして私たち新約のイスラエルは第一ヨハネ書9:1「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」の言葉を、感謝をもって受けることができるのです。アカンとイスラエルは罰を受けなければなりませんでした。我々は、そのため罪のために犠牲になった神の子の恵みのもとにあるのです。祈ります。

ご在天の父なる御神様、今日は「アカンの罪」を理解する中で、イスラエルに綿々と流れる、イスラエルの贖いの供え物として命を捧げる方の話をみました。罪人の処刑の地としての「アコルの谷」が「希望の谷」となったのです。「ゴルゴタの丘」は私たちの「希望の丘」となりました。主イエスの再臨を望む私たちに知恵と力とそして勇気をお与えください。主の御名により祈ります。アーメン

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遊女ラハブヨシュア記2:1-7森田俊隆 https://domei-nakahara.com/2020/07/19/%e9%81%8a%e5%a5%b3%e3%83%a9%e3%83%8f%e3%83%96%e3%83%a8%e3%82%b7%e3%83%a5%e3%82%a2%e8%a8%9821-7%e6%a3%ae%e7%94%b0%e4%bf%8a%e9%9a%86/ Sun, 19 Jul 2020 14:15:28 +0000 https://domei-nakahara.com/?p=526 "遊女ラハブ
ヨシュア記2:1-7
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本日はヨシュア記です。ヨシュア記はモーセの死後、ヨシュアに率いられ、カナンの地に侵入するイスラエルの民の物語です。クリスチャンにとって重要な問題を孕んでいる書物です。重要な問題と言うのは「戦争」と「聖絶」の問題です。ヨシュア記では神が戦争の先頭に立ち、また、戦いの勝利のあと、すべての命を完全に絶つこと、即ち「聖絶」を要求している、問題です。この社会倫理に関する根本問題は私自身、今一つ納得できる解釈を持っていませんが、その問題は、別の機会に譲ることとして、本日はイスラエルの民が最初に占領する町エリコにまつわる一つの話からです。

では聖書本文に入ります。2:1をみるとふたりの斥候が派遣され、彼らは遊女ラハブの家に泊まります。おそらく、エリコの支配者からは疑われることを避けるため敢えて遊女のところに泊まったのでしょう。「ラハブ」という名前の意味は「広い」と言う意味で、普通名詞や形容詞としてはよく使われる言葉ですが人間の名前として使用されているのはここにおいてだけです。エリコの町は大きな町で、その町をかこっている城壁は幅が広いものだったようですし、エレミヤ書にその意味で「広い」という言葉を使っている箇所もあります。このラハブの家族はこの城壁を住まいとしていたようです。そのため「広い」という意味で「ラハブ」の名がつけられたのかもしれません。“広い城壁を家としている遊女”という訳です。

遊女というのはヘブル語では「zo:na:」といいます。遊女という言葉が出てくる旧約聖書の箇所をみると、申命記23:18があります。そこでは「どんな誓願のためでも、遊女のもうけや犬のかせぎをあなたの神、主の家に持って行ってはならない。これはどちらも、あなたの神、主の忌みきらわれるものである」と言われています。忌み嫌われる者とされていますが罪ある者とはされていません。他の旧約聖書の箇所をみてもこの「zo:na:」を罪と言っている箇所はありません。軽蔑されていたし、忌み嫌われる者として扱われたにしても、「罪」として言われていないことは注意するべきです。どんな女性だって好き好んで遊女になる人間などいないはずです。にもかかわらず、経済的報酬をあてにした売春行為は、古来から存在します。聖書はそのような女性を罪ある者とあえて言わないのです。性を、お金をかせぐ手段にすることは、創造主の摂理に反していることは明白だと思われますが、申命記はそれを直ちに、罪即ち神の命に反することには含めていないのです。十戒には「姦淫してはならない」とあります。結婚している者が他の異性と性的関係をもってはならない、ということです。姦淫は結婚という神聖な契約を破るものだからです。日本語では姦通の方が当たっていると思います。ヘブル語で姦淫する、は「na:af」です。遊女とは全く別の系統の言葉です。これらから解る通り、罪はまず神に対してのことであり、姦淫は神の定めた秩序に反しているから罪なのです。遊女については罪と定められていないことは遊女とならざるを得ない女性を神は、罪に定め、裁かれはしない、ということを意味します。

新約聖書には姦淫の女の話が出てきます。主イエスが姦淫の女について、彼女を石打ちの刑にせよ、という律法学者やパリサイ派の人々に対し、「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」とおっしゃられたところ、だれも石をなげるものはいなかった、というお話です。新約聖書原本はギリシャ語を見てみると、「moikyu:wo」という言葉で、十戒の「姦淫するな」のギリシャ語訳と同じ言葉です。新約聖書のヘブル語訳でも十戒の「姦淫」と同じ言葉です。この女性が姦淫・姦通することになったのには、よくよくの事情があったのだろうと思いますが、モーセ律法で死に値するとされていることは間違いありません。ラハブはこの「姦淫の女」とは異なり、そもそも罪ある者とされていない、ということです。

この新約聖書・ヨハネ福音書の話のところでは、どうしても申し上げておきたいことがあります。まず十戒は、そもそもはイスラエルの男性に命じられたことで、イスラエルの女性を単独で罪に定めたり、するものではない、ということです。姦通の女性については、その相手となった男性が罪に定められ死罪になるのですが、律法ではその時一緒に女性も殺されなければならない、と言っているのです。律法違反はあくまでも第一次的には男性にあります。ヨハネ福音書では、律法学者やパリサイ人は、男性の方のことは忘れて、女性だけが石打ちの刑に値するかのように言っているように見えます。女性の方にも問題ある、とは思いますが、まず、最初に、これを行った男性の罪が問われなければならないのです。女性もその協力者として、同罪である、というのがモーセ律法です。律法の本来の趣旨から見れば、女性だけが罪に問われるなどありえません。その意味で、主イエスがこの姦淫の女を許したのは律法の本来の趣旨に合致しているのだ、という解釈をすることもできます。この解釈からすれば、主イエスは当然のことを為された、ということにもなります。ここで律法学者やパリサイ人が女性の罪を云々するのは律法の一面だけをとりあげるもので律法の偽善的適用であることは間違いありません。

もう一つ重要なことは、このラハブが一家の主人としてふるまっていることです。外来の人のもてなしは主人の役割ですし、斥候に対し、自分の家族を代表して交渉をしています。夫が出てきていないことから見て、独身女性であったように思われます。何らかの事情があって結婚できなかった、のでしょう。両親が、仕事ができず、彼女が一家を支えなければならず、婚期を逸したのかもしれません。また、エリコの地で軽蔑される身分の生まれであり、遊女のようなことをして生活の糧を売るしかなかったのかもしれません。日本でいう部落民のような存在です。私は、後者の見方をしています。当時カナンの地にあってこの地に侵入しようとしている放浪の民、イスラエルに味方をしたのは、人と認められていないいわば不可触民のような人々だったのではないか、と思うからです。2:13に「私の父、母、兄弟、姉妹」と言っていますので、彼女が一家の主人として家族を守る立場にあったことが推察されます。旧約聖書には時々このようなしっかり者の女性が登場します。ギリシャ社会、ローマ社会、中国の王朝などと比較しても女性の地位は相対的に高かったことが随所に、見て取れます。この女性の地位が相対的に高い社会は女性が経済活動の重要な部分を担っている社会です。イスラエル社会は小規模な牧畜と農業の兼務という社会ですから、特に農業における女性の役割が大きな社会でした。ラハブはエリコの住民で血統的にはイスラエルではありませんが、何らかの関係で、ヤハウェを信仰していたようですから、イスラエルの家族関係に近い状態にあったと思われます。

12-13節をみると、ここでラハブは斥候と一つの取引を致します。斥候に協力するからエリコに攻め込む時にラハブの親族は「死から救い出してください」というのです。そしてその証拠を求めます。12節で「主にかけて私に誓ってください」と言います。この「主にかけて」は他の箇所では「主にあって」と訳される言葉です。直訳英語では「in God」です。ここを見ると「主にあって」即ち「在主」というキリスト者が手紙の結びで使う言葉が実は「主にかけて誓う」というような重大な重みをもった言葉である、ということがわかります。このラハブの要求に対し斥候は「いのちにかけて誓おう」と答えます。おそらく「主にかけて誓う」ことは畏れ多いことなのでそれに準ずることとして「いのちにかけて誓う」としたのだと思われます。「主にあって」の言葉の重大さが更に了解されます。ラハブは城壁から彼らをつり降ろしでやり、追手がいなくなるまで3日間山地で身を隠しておくように勧めます。

そしてこの「誓い」という言葉は「のろい」を意味する言葉と同じですから、20節の“誓いから解かれる”とは“のろいを解かれる”という意味です。そして斥候たちは帰って、すべてをヨシュアに報告します。24節で斥候は「主は、あの地をことごとく私たちの手に渡されました」と言っています。エリコ城内での協力者を見つけたのでこの地を攻め取ることができることは確実です、と言っています。ヨシュアが言うのならまだしも斥候が「主が渡された」というような表現をすることは、ただ事ではありません。ラハブに「いのちにかけて誓って」きた訳ですから、このエリコ攻略は成功する、ということに心から確信をもっていたのだと想像されます。先ほどラハブの信仰をみましたが、斥候たちの信仰も見上げたものです。信仰は「主なる神」への信頼ですから、この斥候たちの言葉は明確な信仰告白です。

この結末は6:22以降にでてきます。25節をお読みします。「しかし、遊女ラハブとその父の家族と彼女に属するすべての者とは、ヨシュアが生かしておいたので、ラハブはイスラエルの中に住んだ。今日もそうである。これは、ヨシュアがエリコを偵察させるために遣わした使者たちを、ラハブがかくまったからである」とあります。一点、注意すべき点があります。それは「彼女に属するすべての者」を救出した、と言われていることです。これは神が一つの集団として扱う人々を指して言う時の表現です。一種の部族を指している、と言って良いでしょう。しかも遊女ラハブをその部族の代表者としているのです。そして「ラハブはイスラエルの中に住んだ」と言われています。これは“イスラエルの一員とされた”ことを意味します。イスラエルの歴史のなかに刻まれることになります。当然のことながらイスラエルの歴史が語られる時、彼女の名前も語られるということです。イスラエルの歴史が思い起こされる時、彼女の名前も想起されます。遊女ラハブの名が、です。これは聖書での女性の扱いからして全く異例な扱いですし、ましてや遊女がこのような取扱いをされるのは全くの異例中の異例です。

このことから見られるように、ラハブの名はイスラエル及びユダの庶民のなかで語り継がれていたものと想像されます。旧約聖書ではヨシュア記以降、彼女は登場致しません。また旧約外典とか偽典とか聖書に類する文書にもラハブの名は出てきません。従って、いわばイスラエルの正統的歴史ではラハブはまともな座はなかった、と言えます。しかし、庶民の中では、伝承として生きていたと想像されます。なお、ラハブと訳されている箇所はヨブ記、詩編、イザヤ書、にもありますが、これらはエジプトを指す神学的言葉とされており、否定的意味で使用されています。ヘブル語の母音も異なります。ヨシュア記のラハブはむしろ「ラーハーブ」であり、詩編等のラハブは「ラハブ」で長音ではありません。

では、ヨシュア記の「ラハブ」は新約ではどうなっているでしょうか。なんと、マタイ1:5、ヘブル書11:31、ヤコブ書2:25の三か所にラハブが登場します。へブル書、ヤコブ書の部分は先ほど招詞や聖書購読でお読みした個所です。まずマタイ1:5です。これは主イエス・キリストの系図が書かれている箇所です。ユダ族の系図の中でルツ記に登場するボアズという人物が居ますが、その母としてラハブの名があげられているのです。ボアズは異邦人ルツを妻とした信仰の偉人です。その父はサルモンと言いますがその妻としてラハブが登場するのです。新約聖書のここの系図は異邦人や女性が登場することで有名な箇所ですが、なんと遊女ラハブが信仰の偉人ボアズの母として登場するのです。先ほどのヨシュア記での記述と関連づければ「ラハブはイスラエルの中に住んだ」と言われていますから、イスラエルの民とされたのち、ユダ族のサルモンの妻となった、ということになります。マタイ1:5では「サルモンに、ラハブによってボアズが生まれ」とありますから、所謂めかけの存在でいたのかもしれません。「~によって」と言う場合通常は正式に結婚した妻によって、ということですが、そうでない時もないわけではありません。複数の妻が許容されていましたから、その一人の妻となった遊女ラハブ、ということかもしれません。それにしても、マタイ1章の主イエスの系図の中に、異邦人であり、女性であり、遊女であったラハブの名があげられている、ことは驚き以外のなにものでもありません。このことからも聖書は遊女であったという経歴を罪人とはみていない、と推測することは許される、と思います。

更に4-5cに成立したとされているラビの言説を集めたタルムードの中では、ラハブは何とあの、モーセの後継者であるヨシュアの妻となり、その子孫には預言者エレミヤやエゼキエルがいる、となっているそうです。ちょっと「やりすぎ」という感もありますが、このラハブがユダヤ人の中で信仰者の母ということで語り伝えられていったことは確かです。

そしてヘブル書とヤコブ書です。ヘブル書11:31をお読みします。「信仰によって、遊女ラハブは、偵察に来た人たちを穏やかに受け入れたので、不従順な人たちといっしょに滅びることを免れました」とあります。ヘブル書はユダヤ人キリスト者を読者と想定した文書といわれていますが、そのため、旧約聖書を引用しつつ新約の信仰、即ち主イエス・キリストへの信仰を述べています。そこで信仰による救いを語るためラハブの例を引き合いに出しているのです。いわば「信仰の人ラハブ」です。先にあげたラハブの信仰告白からして、このような場所で引用されるに値する人物とは思いますが、ヨシュア記以降ずっと記録にない遊女が信仰の偉人とされて登場するのですから驚くべきことです。

次にヤコブ書2:25をお読みします。「同様に、遊女ラハブも、使者たちを招き入れ、別の道から送り出したため、その行いによって義と認められたではありませんか」とあります。こちらは「義人ラハブ」です。ヤコブ書は「行い」の必要性を言っていることで有名な文書です。「行いを伴った信仰」を強調する意味からも重要です。そのヤコブ書はラハブが斥候を助けた行いにより「義」と認められた、と告げています。ラハブの信仰の表れとして斥候に協力する、という行動になった訳ですから、その行いの部分を信仰の証と理解するのは当然のことです。ヤコブ書が書かれた当時はキリスト者に対する迫害が本格化してきた時期ですので、とかく、この世の人々からのがれ、キリスト者だけで祈りの時をもつ、という傾向になりがちな時、ラハブの行動を思い起こし、キリスト者を勇気づけ、迫害にある他のキリスト者を救う努力をすることを意図していたと思われます。

ラハブがあのようなことをしたことがエリコの人々にしたことが知られたら、彼女の死は確実であったでしょうし、彼女の親族や仲間も悲劇的な事態になっていたでしょう。そのなかで「主なる神」への信仰を告白し、神の使者を助ける行いをしたラハブはやはり、「信仰の人」に入れられるべきでしょう。過去の経歴など無関係です。私たちもラハブの信仰にならい、主の証人として勇気をもって歩みたいものです。祈ります。

ご在天の父なる御神様、この時を感謝いたします。今日はヨシュア記のなかから、遊女ラハブのことについて学びました。聖書はこの遊女を罪ある者とは言っていない事、また信仰者、更には義人としてこの遊女を見ていることを知りました。更に新約の時代には主イエスの系図にさえ入れられることになったことも見ました。私たちに、彼女の信仰に倣う者となる勇気をお与えください。救い主イエス・キリストの御名により祈ります。アーメン

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