礼拝メッセージ – 中原キリスト教会 https://domei-nakahara.com 調布 深大寺のプロテスタント教会 Sun, 13 Jul 2025 03:57:42 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=5.3.18 https://domei-nakahara.com/wp-content/uploads/2020/03/cropped-favicon-32x32.png 礼拝メッセージ – 中原キリスト教会 https://domei-nakahara.com 32 32 出エジプトマタイ福音書2章13~23節 https://domei-nakahara.com/2025/07/13/%e5%87%ba%e3%82%a8%e3%82%b8%e3%83%97%e3%83%88%e3%83%9e%e3%82%bf%e3%82%a4%e7%a6%8f%e9%9f%b3%e6%9b%b82%e7%ab%a013%ef%bd%9e23%e7%af%80/ Sun, 13 Jul 2025 03:56:00 +0000 https://domei-nakahara.com/?p=6605 "出エジプト
マタイ福音書2章13~23節" の
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1.序論

みなさま、おはようございます。マタイ福音書からのメッセージは今回で三回目になります。今日の箇所も、大変有名な箇所ですが、同時になかなか難しい箇所でもあります。そこで初めに、何がどのように難しいのかについてお話しさせていただきます。

今日の箇所では、三度も「これは、主が預言者を通して言われたことが成就するためだった」という言い回しが登場します。イエスの生涯において起こったことは、旧約聖書の預言者が語ったことの成就なのだ、ということです。その二つについては、どの預言書なのかがはっきりしています。ホセア書とエレミヤ書です。しかし、三つ目のもの、すなわち「この方はナザレ人と呼ばれる」は、どこを引用したのかまったくわかりません。なぜなら旧約聖書には「ナザレ」という地名は出てこないからです。さて、私がなぜこのような話を始めたのかといえば、今日の聖書箇所の理解のポイントが、マタイの旧約聖書の用い方だからです。

問題の、「これは、主が預言者を通して言われたことが成就するためだった」という言い回しですが、みなさんはこの言葉からどんなことを連想するでしょうか?普通に考えると、旧約聖書の預言者たちが主イエスのことを予告していて、その預言がイエスの生涯においてまさに実現したのだ、ということのように思えます。しかし、実際にマタイが引用した箇所を読むと、そのようには解釈できないのです。たとえば今日の交読文で読んだホセア書ですが、マタイはここから「わたしはエジプトから、わたしの子を呼び出した」という一節を引用しています。ホセアは、イエスがエジプトから連れ出されることを数百年も前に予告していたということになるのでしょう。しかし、みなさんもお気付きのように、これはホセアが未来を預言したものではなく、過去を振り返ったものですよね。ホセア書11章1節、2節は次のようになっています。

イスラエルが幼いころ、わたしは彼を愛し、わたしの子をエジプトから呼び出した。それなのに、彼らを呼べば呼ぶほど、彼らはいよいよ遠ざかり、バアルたちにいけにえをささげ、刻んだ像に香をたいた。

もしこれがイエスとその両親についての預言だということになるなら、イエス様や母マリアはエジプトから脱出した後に偶像のバアルを礼拝するだろう、というような話になってしまいます。しかし、そんなとんでもないことが起きるはずがないのです。イエス様が偶像礼拝をしたなんてことになれば、キリスト教は崩壊してしまいますよね。そうではありません。ホセアはここで、未来のことではなく、イスラエルの過去の歴史を振り返っているのです。イスラエル人はモーセに率いられてエジプトを脱出し、カナンの地に定住しますが、そこで異教の神々、とくにバアルを礼拝するようになってしまったという過去の失敗をホセアは語っているのです。しかしマタイは、このホセアの預言をホセアの時代から数百年未来の出来事を預言したかのように取り扱っているように見えます。でも、本当にそうなのでしょうか?

また、マタイはヘロデ大王がベツレヘムの2歳以下の子どもを虐殺した件について、これも預言者エレミヤによって予告されていた、と語ります。これはエレミヤ書31章からの預言です。しかし、ここでエレミヤが語っているのは過去の出来事ではありません。エレミヤは、彼の生きていた時代に起った出来事、すなわちバビロン捕囚について語っています。エレミヤの時代、ユダ王国はバビロンに征服されてしまい、主だった人々はユダヤの地から連行されてバビロンに連れて行かれました。この連れていかれた人々を嘆いているのがラケルですが、彼女は族長ヤコブの奥さんです。エレミヤの時代からは千年以上も前の時代を生きた女性ですから、エレミヤの時代に生きているはずもありません。ですからここで言われている「ラケル」とは大昔の人物のことではなく、イスラエル人にとっての母なる大地、ユダヤの地を擬人化した存在だということになります。でも、そうなるとマタイは、イエスの時代から五百年以上も前のバビロン捕囚について語ったエレミヤの言葉を、ヘロデによる幼児殺害の預言だ、と言っていることになります。しかしそれもおかしな話ですよね。

しかし、そんなことは当然マタイも分かっていたはずです。彼はホセア書の内容も、エレミヤ書の内容もよく知っていたはずです。では、なぜ彼はこのように一見おかしな旧約聖書の引用をしたのでしょうか?ここがポイントなのですが、マタイはイエスの生涯において起こることのすべてが旧約聖書に預言されていた、といいたいのではありません。そうではなく、彼が主張しているのは、イエスの生涯においてイスラエルの希望はすべて成就したのだ、ということなのです。マタイがラケルの嘆きについて引用したエレミヤ書31章にはどのようなことが書かれているのでしょうか?エレミヤ書31章のメインテーマとは何でしょうか?ご存じのように、そこにはイスラエルの究極の希望と呼べるものが預言されています。そこをお読みします。エレミヤ書31章31節から33節です。

見よ。その日が来る。―主の御告げ―その日、わたしは、イスラエルの家とユダの家とに、新しい契約を結ぶ。その契約は、わたしが彼らの先祖の手を握って、エジプトの国から連れ出した日に、彼らと結んだ契約のようではない。わたしは彼らの主であったのに、彼らは私の契約を破ってしまった。―主の御告げ―彼らの時代の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうだ。―主の御告げ―わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。

このように、バビロン捕囚という破局の先には「新しい契約」の希望があると、エレミヤは預言しているのです。私が思うに、マタイがエレミヤ書のラケルの嘆きを引用した時に、彼はその先にある新しい契約の希望を意識していたに違いないのです。そして、イエスこそエレミヤによって預言された「新しい契約」を成し遂げる方だ、ということをマタイは言いたいのです。マタイの旧約聖書の引用は、こういう旧約聖書の大きな文脈を意識したものです。ですから私たちはマタイ福音書を読むときに、旧約聖書そのものをより深く理解している必要があります。旧約聖書を知らないと、マタイ福音書は深く味わうことができません。そのような点を踏まえながら、聖書テクストを読んで参りましょう。

2.本論

では13節です。前回は、ヘロデ大王が東方の三博士を使って新しく生まれたユダヤ人の王を見つけ出そうとしましたが、幼子イエスに会った三博士は夢の中でヘロデのところに戻ってはいけないという警告を受けたので、その警告に従ってヘロデに会わずに帰ってしまった、という話をしました。騙すつもりが騙されたと知ったヘロデ大王が怒り狂うのは想像に難くありません。実際、晩年のヘロデの精神状態はまともではありませんでした。これは作り話ではなく、れっきとした歴史書に記録されている実話なのですが、ヘロデ大王の狂気を伝える話があります。それは死の床に就いたヘロデ大王の話です。ヘロデは非常な痛みと苦しみの中で死を待つばかりになっていたのですが、その時彼は恐るべき命令を出します。それはエルサレムの有力者たちを集めて競技場に閉じ込めろという命令でした。そして、自分が死んだらそれらの有力者たちも一緒に殺せという最後の命令を下したのです。なぜそんな途方もない命令を出したのかといえば、ヘロデは自分が死んだらエルサレム中の人々が大喜びしてお祭り騒ぎになるに違いない、そんなことは許せない。しかし、自分と一緒に街の有力者がみんな死んだらエルサレムの人々も悲しむに違いない、だから彼らを殺せというのです。おそろしく自己中心的で無茶苦茶な命令ですが、なんとも物悲しい命令でもあります。ヘロデは自分がそれほどエルサレム中の人々から嫌われていることを自覚していたからです。イスラエルの中で最も大きな権力を持っていた人物にしては、なんと寂しい心の風景でしょうか。ヘロデはユダヤ人たちから尊敬されて愛される王になろうとして必死に頑張ったのですが、かえって自分は誰からも愛されない王になってしまったということを良く分かっていたのでした。自分だけ不幸になるのは許せない、だから一人でも多くの人を道連れにして、彼らにも自分と同じ苦しみを与えてやろうというのです。これは非常に悪魔的な発想です。悪魔も、かつては神の大天使の一人だったと言われています。しかし、自らが神になろうとして神に反逆し、神から裁きを受けてしまいました。自分が堕落して神との交わりを失ったことを知った悪魔は、他の人も自分と同じように堕落させることにすべてを賭けています。悪魔は人間も自分と同じように堕落させようとして私たちを様々な形で誘惑します。悪魔とは、自分と同じ不幸に他人を引きずり込もうとする存在です。晩年のヘロデもまさにそのような悪魔の化身となってしまったのでした。

そのようなヘロデが、騙されたと知って何をするのかは予想がつきます。そこで神は天使を遣わして、ヨセフに警告します。ヘロデが幼子を殺そうとしているから逃げなさい、と。ヨセフはここまでの不思議な出来事の数々を経験し、今やこの幼子こそがイスラエルの希望であることを深く確信するようになりました。ですからこの警告を信じて直ちに行動に移します。まさに夜逃げ同然に、すぐにベツレヘムを離れます。そして、そのおかげでヨセフ一行は命拾いしたのです。なぜならまさにその夜、ヘロデは恐ろしい命令を出したからです。騙されたと知ったヘロデ大王は怒り狂い、ベツレヘム周辺の2歳以下の赤子を皆殺しにせよとの命令を出したのです。さきほどもお話ししたように、ヘロデという人はこのような狂った命令を出しても不思議ではない人物でした。しかし、このような出来事があったという他の歴史的な記述はありません。ヘロデの悪辣さは盛んに喧伝されていたので、ヘロデが本当に嬰児殺害という大罪を犯したのなら、そのことは歴史家たちの注目を集めたはずなのですが、そうした記録はマタイ福音書以外にはどこにもありません。ですので、研究者で出来事の歴史的信憑性に疑問を持つ人が少なくありません。しかし、これまで繰り返しお話ししてきたように、マタイ福音書を読むうえで大事なのはその出来事が本当に起こったかどうかよりも、むしろその意味なのです。マタイがここで間違いなく意識していたのは、出エジプトの出来事です。出エジプト記1章15節、16節にはこうあります。

また、エジプトの王は、ヘブル人の助産婦たちに言った。そのひとりの名はシフラ、もうひとりの名はプアであった。彼は言った。「ヘブル人の女に分娩させるとき、産み台の上を見て、もし男の子なら、それを殺さなければならない。女の子なら、生かしておくのだ。」

この時、エジプトの王ファラオはイスラエル人の数が増えすぎたので脅威を感じて男の子を殺そうとしたのですが、後の時代になるとそれは違うように解釈されるようになりました。紀元一世紀のユダヤ人の歴史家ヨセフスはイスラエルの歴史について詳しい文書を書き残していますが、その書にはまったく別の記述が残されています。それによれば、モーセの父は夢の中で神からお告げを受けます。それは、あなたの子がイスラエルを救う救世主となるだろうという夢でした。同時に、エジプトの王ファラオの神官も神託を受けて、イスラエル人の子どもがいずれエジプトを打ち破るような人物に成長するだろうということをファラオに告げます。それを聞いたファラオが恐れてイスラエルの赤子を殺せという命令を出したというのです。この話はイエス誕生の話とほとんど同じです。おそらくマタイは、ヨセフスが記したようなモーセについての伝承を知っていたのでしょう。そして、イエスこそモーセの再来、イスラエルを抑圧から救い出す救世主であることを示すためにモーセの話に重ね合わせてイエスの誕生物語を描いたのだと思われます。

というわけで、幼子イエスはヘロデ大王から命を狙われるのですが、それは単にヘロデ大王の狂気によるものであるだけではありません。先ほど述べた悪魔、サタンそのものがヘロデを用いてメシアであるイエスを滅ぼそうとしていたことも忘れてはなりません。そのことを劇的に描いているのがヨハネ黙示録です。ヨハネ黙示録12章1節以降をお読みします。

また、巨大なしるしが天に現れた。ひとりの女が太陽を着て、月を足の下に踏み、頭には十二の星をかぶっていた。この女は、みごもっていたが、産みの苦しみと痛みのために、叫び声をあげた。また、別のしるしが天に現れた。見よ。大きな赤い竜である。七つの頭と十本の角を持ち、その頭には七つの冠をかぶっていた。その尾は、天の星の三分の一を引き寄せると、それらを地上に投げた。また、竜は子を産もうとしている女の前に立っていた。彼女が子を産んだとき、その子を食い尽くすためであった。女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖をもってすべての国々を牧するためである。

長くなりましたが、これはイエス誕生と、それを阻止しようとする悪魔との戦いを描いています。女とはイエスの母マリアのみならず、イスラエル民族そのものを指しているのですが、その女が子ども、つまりイエスを産もうとするときに、悪魔はそれを食い尽くそうとしていた、とあります。それは具体的にはどういうことか?その悪魔の手先として動いたのがまさにヘロデ大王だったということです。そこでベツレヘム近郊の二歳以下の子どもを皆殺しにするという恐るべき行動だったのです。

しかし、ヨセフたちはエジプトに逃げたので、かろうじて難を逃れることができました。これが歴史的事実なのかどうかは、正直分かりません。しかし、マタイはイエスの生涯をイスラエルの歴史の縮図として描いているということを再三お話ししてきたように、マタイはイエスの生涯をイスラエルの歴史と重ね合わせています。そしてイスラエルの歴史においてもっとも重要な出来事の一つが「出エジプト」でした。神はモーセを遣わし、イスラエルを奴隷状態から救い出したのです。マタイは、イエスこそ第二のモーセである、再びイスラエルを奴隷状態から救い出す人物であるということを示そうとして、イエスたちのエジプトからの脱出、新しい「出エジプト」を描いたのです。かつてモーセはエジプトからイスラエルを解放しましたが、イエスはもっと巨大な力、罪を用いて人間を堕落させようとする悪魔の支配から人々を解放しようとしたのです。それで、マタイはヘロデ大王が死んだ後イエスたちがエジプトから戻って来たという「出エジプト」の話を描きました。

イエスの家族はユダヤの地のさらに北にあるガリラヤ地方の、ナザレという小さな村に定着することになりました。マタイはそのことを、「この方はナザレ人と呼ばれる」という聖書の預言が実現するためだった、と書いています。しかし、先ほども申しましたように旧約聖書にはナザレという地名は出て来ません。それほど小さな、名もなき村だったのです。では、マタイはなぜイエスがナザレ人と呼ばれることが聖書の預言なのだと主張したのでしょうか。それはおそらく、このイザヤの預言が念頭にあったのではないかと思います。イザヤ書53章1節、2節です。

私たちの聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕は、だれに現れたのか。彼は主の前に若枝のように芽ばえ、砂漠の地から根のように育った。彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。

これは、「苦難の僕」と呼ばれる不思議な人物についての預言です。初代教会の人々はこの苦難の僕こそイエスのことなのだと確信したのですが、この苦難の僕は見ばえのしない人だとされています。そして「ナザレ出身」というのはまさに見ばえのしない人なのです。「ナザレ?どこだそれは。そんな誰も知らないようなしょぼい村からメシアが生まれるはずないじゃないか」と人々は言うでしょう。イエスがナザレ人と呼ばれるというのは、まさにイエスがそのような名もない村から全く無名の人物として現れることを指しているのだと思われます。このように、マタイの旧約聖書の用い方というのは一筋縄ではいかない、旧約聖書を非常に深く理解した上での引用だということが言えるでしょう。

3.結論

まとめになります。今日は、イエスたち親子が狂える暴君ヘロデ大王の迫害を逃れてエジプトに逃げ延び、さらにそこから「出エジプト」を果たすという話を見て参りました。この出来事の背後には、人類を救おうとする神の働きと、それに対する悪魔の妨害という、私たちの目には見えない世界、霊の世界の戦いがあったわけです。そのような戦いを描くためにマタイは旧約聖書、イスラエルの歴史の重要な出来事である「出エジプト」をその舞台背景として用いました。モーセがかつてのイスラエルの人々をファラオの支配から解放したように、イエスも世界の人々を悪魔の支配から解放します。その解放の出来事を予告するのが、この幼子イエスの出エジプトだったのです。

私たちはすでにイエスによる解放が実現した世界に生きています。この後、成長した後のイエスの人生をマタイ福音書は描いていますが、イエスはついに人類解放の偉業を成し遂げます。ですから私たちはもはや悪魔の奴隷ではありません。しかし、出エジプトを果たしたイスラエルの人々を再び奴隷にしようとファラオの軍隊が追いかけてきたように、私たち主によって自由にされた民に対しても悪魔の追撃は終わることがありません。私たちは未だにそのような戦いの中にいます。しかし私たちには主イエスとその御霊がついています。私たちを守り導く方がおられるのです。ですから勇気を持って、信仰を持って歩んで参りましょう。お祈りします。

出エジプトを導かれた神、そのお名前を賛美します。私たちはすでに自由にされた民ですが、しかし悪魔の攻撃はやむことはありません。どうか私たちを守り導き、栄光のゴールへと導いてください。われらの平和の主イエス・キリストの聖名によって祈ります。アーメン

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ユダヤ人の王の誕生マタイ福音書1章18~2章12節 https://domei-nakahara.com/2025/07/06/%e3%83%a6%e3%83%80%e3%83%a4%e4%ba%ba%e3%81%ae%e7%8e%8b%e3%81%ae%e8%aa%95%e7%94%9f%e3%83%9e%e3%82%bf%e3%82%a4%e7%a6%8f%e9%9f%b3%e6%9b%b81%e7%ab%a018%ef%bd%9e2%e7%ab%a012%e7%af%80/ Sat, 05 Jul 2025 23:52:00 +0000 https://domei-nakahara.com/?p=6587 "ユダヤ人の王の誕生
マタイ福音書1章18~2章12節" の
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1.序論

みなさま、おはようございます。私が当教会に遣わされて6年になりますが、同じ聖書箇所から説教するということは今までのところ、ほとんどありません。聖書は膨大な内容が含まれており、まだまだ説教で取り上げていない箇所が山ほどあるからです。しかし、このマタイ福音書の誕生物語だけは例外で、今回でなんと三回目です。最初が2022年のクリスマス、二回目が半年前の2024年のクリスマスになります。そこで今回の説教ではなるべく過去の話と重複しない内容にしたいと思っております。

さて、前回はイエスの系図でしたので、マタイ福音書の物語は実質的には今回が最初になります。そこで、これからマタイ福音書を読み進めていくうえで重要だと思う点を一点だけ、説明させていただきます。今回の箇所に限らず、マタイ福音書全体に関わることなのですが、マタイ福音書の様々なエピソードが本当の「歴史上の」出来事なのかどうか、という問題です。マタイ福音書には様々な出来事が記されています。その多くがイエスのなさったこと、特に奇跡物語なのですが、それらの中には「これは本当に起こったことなのだろうか」と思えてしまうようなものがいくつかあります。奇跡などあり得ない、起きないと確信している人はイエスの奇跡物語をすべて否定するでしょうが、私はそういう立場は取りません。奇跡と呼ばれる、私たちの日常生活では決して起こらないようなことが特別な場合に起きることはあり得る、と私は信じているからです。だからといって、マタイ福音書の奇跡物語はすべて文字通りに起ったのだ、と考える必要もありません。奇跡物語の中には、実際に起った出来事というよりも、象徴的な表現、つまりイエスのなさったことの深い意味を説明するために奇跡をある種のたとえとしてマタイが用いる場合もあるからです。

また、マタイ福音書の中には別の意味で「これは本当の歴史的な出来事なのか」と考え込んでしまうようなことも含まれています。マタイ福音書にしか書かれていない出来事で、他の福音書の記述とは矛盾しているではないか、と思えるものがあります。例えば次回の説教で取り上げるイエスとその両親のエジプト下りとそこからの帰還の話です。当時の歴史的状況から考えても、またルカ福音書との比較で考えても、これは歴史的事実なのか確信が持てないのです。ここで考えたいのは、マタイは現代の歴史家のように、実際に歴史の舞台で起きた出来事を正確に、間違いなく伝えることを第一に心がけたのだろうか、ということです。適切なたとえかどうか分かりませんが、マタイの福音書の内容は写真のようなものなのか、あるいは絵画のようなものなのか、ということです。写真というものは、撮るアングルによって大きく印象が変わっていきますが、しかしそこにないものを付け加えたり、あるいはあるものを削除したりということはできません。赤い花を青い花として写真に収めることは、現像の際に細工でもしない限り不可能なのです。しかし、絵画の場合は、画家は目の前ある風景を絵にする場合に色彩を変えてみたり、そこにはないオブジェを絵の中に加えたり、あるいは描く対象そのものの姿かたちを変えてしまうことすらあります。芸術としての絵そのものが一つの独立した世界ですので、画家の描く絵と、画家の目の前に広がっている世界とが必ずしも一致する必要はないのです。その典型が、いわゆる「印象派」や「ポスト印象派」と呼ばれるグループ画家たちの作品でしょう。セザンヌやヴァン・ゴッホの作品です。ゴッホの絵を見ると、その絵の元になった風景をなんとなく想像できます。南仏のプロヴァンスの強烈な色彩をイメージできるのですが、しかし彼の描く独特の絵画は南仏の風景というよりその風景を目の前にしたゴッホの心象風景、彼の内面そのものと言えます。つまり私たちはゴッホの絵を通じて南仏だけでなく、ゴッホの心の中を覗いているような気持になるのです。 

正確なたとえではないものの、マタイ福音書にも似たようなところがあります。私たちはマタイ福音書を読むことで、マタイの描く対象であるナザレのイエスという歴史的な人物に出会うだけでなく、そのイエスをマタイがどう理解したのか、マタイ自身の解釈とも出会うのです。ゴッホの描く絵が、彼の描いた対象だけでなく、彼の心の中をも表しているのと同じです。ではマタイはイエスをどのように捉え、理解したのでしょうか?前回もお話ししたように、彼はイエスの生涯をイスラエルの歴史の縮図として捉えました。マタイはイエスの生涯を、イスラエルの歴史と二重写しになるように描いたということです。なぜならマタイにとってイエスこそイスラエルの長い歴史を真の完成へと導く人物だったからです。このような観点から、私はマタイ福音書に書かれていることが必ずしも歴史上で起こったものだとは考えません。先ほどのエジプト下りとそこからの帰還の話は、イエスの幼年時代をモーセの時代の出エジプトの出来事に重ね合わせたものといえます。それが本当に起こったかどうかよりも、マタイにとってはイエスもまた、出エジプトを経験したことを示すことの方が重要だったのでしょう。イスラエルの歴史において、出エジプトは決定的と言ってよいほど重大な出来事でした。イエスの生涯がイスラエルの歴史の縮図なら、イエスもまた出エジプトを経験しなければならないのです。他の例では、マタイ福音書ではイエスが十字架上で絶命した時に、旧約時代の聖徒たち、つまりダビデやイザヤのような人たちが墓から出てきてよみがえった、と書かれていますが、私はそのような出来事が歴史上にあったとは信じられません。新約聖書全体も、死者の中からよみがえったのは今のところイエスただお一人だと強調しているからです。むしろマタイは、預言者エゼキエルによって預言されたイスラエルの12部族の再統合、回復がイエスによって成し遂げられたということを、死者たちの復活というたとえによって言い表そうとしたのだと考えます。ですから私はマタイ福音書に書かれていることが歴史的事実かどうかということにはあまりこだわらずに、むしろそこに込められた「意味」に注目して参りたいと思います。それでは、さっそくテクストを読んで参りましょう。

2.本論

さて、今日の箇所ですが、今回の中心的なテーマは「ユダヤ人の王」です。イエスという方はどんな方といえば、「救い主」というのが私たちの真っ先に浮かぶ答えかもしれませんが、マタイは前回の家系図でもお分かりのようにイエスをイスラエルの正統な王、ユダヤ人の王として提示しようとします。ただ、イエスがユダヤ人の王だというと、「王」というのはともかく、「ユダヤ人の」という方が少し気になってしまうかもしれません。イエス様はユダヤ人だけでなく、全世界のあらゆる民族の王なのではないか、と。この点については特に注意が必要です。ユダヤ人の王であるということと、全世界の人々の王、というのでは言うまでもなく同じことではありません。日本の王だからといって、世界の王ではないのと同じです。そしてマタイ福音書は、いやマタイ福音書だけではなく新約聖書全体は、イエスはユダヤ人の王として生まれ、そして復活の後に全世界の王にまで高められたという物語を描いているのです。これは非常に大切なポイントです。つまり、イエスが全世界の王になるのはその苦難の生涯をやり抜いた後の話なのです。ですからマタイはこの誕生物語でイエスがユダヤ人の王としてお生まれになるということを示そうとしています。ユダヤ人の王として誕生したことにどんな意味があったのか、それを示しているのが今日の箇所だということです。

 マタイがイエスをユダヤ人の王として描いている、ということは今日のみことばを読むうえで忘れてはならないことです。1章21節では、天の御使いはイエスの父となるヨセフに対して、「この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です」と夢の中で語ります。ここで言われている「ご自分の民」とはほかでもないユダヤ人のことです。私たち日本人を含む全世界の民ではなく、ユダヤ人なのです。では、ユダヤ人をその罪から救う、というのはどういう意味なのでしょうか。それが、ユダヤ人たちを地獄への裁きから救うというような意味ではなかったことに注意してください。この言葉の意味を理解するためには、当時のユダヤの人々は自分たちが神の裁きの下にいると信じていたことを知っておく必要があります。当時のユダヤ人は外国人、つまり当時の超大国であるローマ帝国の植民地になっていました。真の神の民であるユダヤ人が、偶像を拝む異教徒たちに服従しなければならないという屈辱的な状況について、ユダヤ人はそれを自分たちの罪に対する神の罰だと信じていました。したがって、その罪から救い出されるというのは罪の罰から救い出されるということでした。そして罪の罰からの救いとは異邦人への隷属状態、つまりローマ帝国の支配から解放されるということでした。当時のユダヤ人はローマから課される重い税金と、彼らからの暴力に苦しめられていました。それで、神が救世主、すなわちユダヤ人の王を遣わして自分たちをこの惨めな状態から解放してくれることを待ち望んでいたのです。かつてダビデが周辺諸国を服従させたように、ダビデの子孫がローマを倒してくれることを期待したのです。しかし、イエスはローマを暴力によって打ち倒そうとはしませんでした。そのことが、イエスと当時のユダヤ人との間に壁を作ることになるのですが、それについては今後詳しくお話しして参りたいと思います。

 さて、イエスはこのようにユダヤ人から待ち望まれていた王として誕生することになるのですが、しかしそのことを歓迎しない人たちもいました。なぜなら、当時はすでにユダヤ人の王が存在していたからです。今いる王からすれば、別の新しい王の登場など許すことは到底できません。そして当時の王は、有名な「ヘロデ大王」でした。このヘロデ王というのは悲劇的な人物なのですが、彼がどんな人物であったのかを少しみていきましょう。実は彼はユダヤ人ではなく、イドメヤ人でした。イドメヤ人とはエドム人のことです。エドム人というのは、イスラエル民族の族長ヤコブのお兄さんエサウの子孫のことです。ヤコブの12人の子どもたちがイスラエルの12部族になるのに対し、兄エサウの子どもたちがエドム人になったのです。エドム人とユダヤ人は兄弟民族でありながら、長い歴史を通じて犬猿の仲でした。イエスが誕生する100年ほど前の時代、ユダヤ民族の国であるイスラエルはまだローマに支配されず独立国でした。しかも、ハスモン王朝という王家の下で周辺諸国を従えるほどの強国になっていました。その時にユダヤ人たちはエドム人を征服しましたが、エドム人を征服しただけではなく、彼らをユダヤ教徒に改宗させました。つまりエドム人をユダヤ人にしてしまったのです。これは戦前の日本のやり方と似ていますね。戦前の日本は朝鮮や台湾を植民地にしただけでなく、彼らに日本語を習わせて「日本人にしてしまった」のです。彼らの意志に関係なく、強制的に日本人にしてしまったのです。エドム人も、彼らの意志にかかわらずユダヤ人にさせられてしまいました。しかし、そのいわば改宗ユダヤ人であるヘロデが、当時のユダヤの宗主国のローマの力を借りてユダヤ人の王になると、ユダヤ人たちは今度は彼を激しく嫌うようになりました。「エドム人のくせに、俺たちユダヤ人の王になるとは何事か!」ということです。自分たちの都合で無理やりユダヤ人にさせたのに、いざその人が自分たちの上に立つと「あいつは本物のユダヤ人ではない」と言い出す始末です。勝手なものですね。日本の例で言えば、戦後の日本でアメリカの後ろ盾で日本の総理大臣まで上り詰めた元朝鮮人のことを、「あいつは本物の日本人じゃないんだ」と陰口をたたくようなものです。実際、こういうメンタリティーを今日でも多くの日本人が持っているのは否定できないのではないでしょうか。

 ヘロデも、ユダヤ人の王になった後も多くのユダヤ人が自分のことを白い目で見ていることに気付いていました。それで、なんとかユダヤ人たちに認めてもらおうと涙ぐましい努力を重ねました。ユダヤ人の歓心を買おうと、神殿の大規模拡張に乗り出して、その結果エルサレムの神殿は空前の壮麗さを持つ神殿に生まれ変わりました。そして、自らの正統性を得るためにかつての王家、つまりハスモン王朝のお姫様であるマリアムネを妻に迎えました。しかし、いくら努力してもユダヤ人たちは自分をどこか馬鹿にしている、本物のユダヤの王として認めてくれないと疑心暗鬼になり、狂気に囚われてしまいました。そしてかつてはぞっこんだった王女であり妻であるマリアムネをはじめとして、自分の家族を次々と殺すようになります。その結果、ますます周囲の人々から嫌われ恐れられ、それでもっと周囲の人々に厳しく当たるという悪循環に陥ってしまいました。大出世を遂げたはずのヘロデの晩年はまったく暗いものとなっていったのです。

このような寒々としたヘロデ王の元に届けられたのが、東方からやって来た外国の使者からの「ユダヤ人の王が生まれた」という知らせでした。ヘロデからするととんでもない話です。これまでさんざん苦労して、やっとのことでユダヤ人の王にまで上り詰めたのに、何の苦労もせずに生まれながらの王として外国人からすらも祝福される人物がいるという事実が許せませんでした。しかし、ここですぐに怒りをあらわにしてその生まれたばかりの人物を殺そうとしてもきっと妨害する人々、つまり救世主を待望する人たちが現れるに違いないとも考えました。そこで一計を案じました。この東方の博士たちを抱き込もうとしたのです。彼らに協力するふりをして、彼らの探し求めるユダヤ人の王を探させて、その上で殺してしまおうとしたのです。彼らに、その王は預言によればダビデの町ベツレヘムにいるはずだと教えてやりました。

さて、ではこの東方の三博士とはいったい何者なのでしょうか?そもそも、この三博士の訪問は実話なのでしょうか?遥か東方に住む外国人たちが、ローマ帝国の植民地に過ぎないユダヤの地に来て、その民族に生まれた赤子に贈り物を携えて来るというような話はほとんど現実離れしています。当時は当然ながら電車も飛行機もない時代で、その旅は命がけの旅だったはずです。ですから、なんとも夢のない話だと思われるかもしれませんが、この東方の三博士の話は必ずしも実話であると考える必要はないように思います。では、このエピソードの「意味」は何なのでしょうか。マタイはこの出来事を通じて何を読者に伝えようとしたのでしょうか。ここでのポイントは、東方の三博士が贈り物を携えてやってきたことです。黄金、乳香、没薬という、当時としては大変高価な品々でした。それらを外国の人々がユダヤ人の王に献上する、ということはユダヤ人の預言者たちが預言してきたことでした。例えば、バビロン捕囚後の預言者ハガイは、外国人がダビデの子孫である王に財宝を献げるという預言をしました。ハガイ書2章7節をお読みします。

わたしは、すべての国々を揺り動かす。すべての国々の宝物がもたらされ、わたしはこの宮を栄光で満たす。万軍の主は仰せられる。

マタイは、ユダヤ人の王であるイエスの誕生によって、旧約の預言者たちによって語られたことが実現しつつあるということを示すために、この外国の三博士による贈り物の話を語ったのだと思われます。この三博士は目的を達した後に、しかしヘロデの依頼を無視して彼に会わずに帰国してしまいました。そのことが大いなる悲劇を生み出すことになりますが、それは次回にお話しします。

3.結論

まとめになります。今朝はイエスがユダヤ人の王として誕生した際のエピソードを読んで参りました。イエスは苦難を乗り越えて世界の王へと昇りつめますが、まずはユダヤ人の王として人生の第一歩を踏み出します。そのイエスに対し、外国人の代表ともいえる三博士は宝物を携えてその誕生を祝いました。これはイエスがこれから外国人、異邦人を祝福する存在となることを暗示します。同時に、当時ユダヤで王の座に就いていたヘロデ王は新しい王の誕生を歓迎しません。ヘロデ自体、ユダヤのかつての帝国主義の犠牲者のような存在でもあるのですが、彼は新しい王の誕生の知らせに警戒感を強めます。それがどんな結果を生むのかは次回お話しします。

今日の話のポイントとして忘れてはならないのは、イエスはユダヤ人の王として誕生したということです。しかし、キリスト教はその長い歴史の中でユダヤ人を徹底的に虐め抜き、迫害してきました。今のイスラエルがガザの地で行っていることを正当化することはできませんが、しかしユダヤ人たちをそこまで追い込んでしまったのはキリスト教徒だということも私たちは肝に銘じなければなりません。同時に、ユダヤ人の王として生まれながらもなぜ多くのユダヤ人がイエスを拒絶してしまったのか、その意味も深く考えなければなりません。多くのユダヤ人は、イエスの愛敵の教えが理解できませんでした。しかし、ユダヤ人だけではなく多くのクリスチャンもまた、イエスの愛敵の教えを実践できていないことも確かです。それは、多くのクリスチャンがイエスを実質的に拒絶しているということでもあることを私たちは知らなければなりません。これからマタイ福音書を通じてイエスの平和のヴィジョンを深く学んで参りましょう。お祈りします。

平和の君であるイエス・キリストの父なる神様、そのお名前を賛美します。今日はイエスがユダヤ人の王として誕生した時にことを学びました。このイエスの歩みを通じて、私たちも平和への道を学ぶことができますように。われらの平和の主、イエス・キリストの聖名を通じて祈ります。アーメン

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悪をもって悪に報いない第一ペテロ3章8~17節 https://domei-nakahara.com/2025/06/29/%e6%82%aa%e3%82%92%e3%82%82%e3%81%a3%e3%81%a6%e6%82%aa%e3%81%ab%e5%a0%b1%e3%81%84%e3%81%aa%e3%81%84%e7%ac%ac%e4%b8%80%e3%83%9a%e3%83%86%e3%83%ad3%e7%ab%a08%ef%bd%9e17%e7%af%80/ Sun, 29 Jun 2025 00:48:00 +0000 https://domei-nakahara.com/?p=6557 "悪をもって悪に報いない
第一ペテロ3章8~17節" の
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1.序論

みなさま、おはようございます。ここのところ、ペンテコステ礼拝でローマ書を読み、それから第二サムエル記の後半部分を読み、さらにはマタイ福音書の講解説教を始めてと、聖書の様々な箇所から説教をしていますので、第一ペテロからの説教は久しぶりに感じられるかもしれませんが、実際はこれまでと変わらず、毎月月末の説教として今日も第一ペテロからメッセージをさせていただきます。今日の箇所は非常に深遠なというか、キリスト教の本質について触れた箇所です。キリスト教という宗教の独自性に光を当てているのが今日の箇所だということです。キリスト教の独自性は、人生における苦難の捉え方、そして私たちを苦しめる人たちへの接し方にあります。

世界には古今東西、実に多くの宗教があります。宗教がこれほど普遍的なのはそれが人間性に深く根差したものだからなのですが、様々な宗教には共通する点がいくつかあるように思います。その一つは、人間を超えた偉大な存在に守って欲しい、という気持ちではないでしょうか。それはキリスト教の場合も同じで、私は以前に大変尊敬する立派なクリスチャンの方に、受洗をするきっかけは何でしたか、とお尋ねしたことがあったのですが、そのお答えが「守ってほしかった」というものでした。ちょっと意外な感じがしたのですが、それからも他の方から同じような動機を伺ったこともあって、キリスト教に入信する理由の一つが守られたいという願いにあるのだな、と思いました。

日本人の宗教行動を見ていくと、交通安全祈願とか、家内安全・無病息災祈願とか、安産祈願など、不慮の事故などから守られたいという願いが色濃く表れています。人生に苦しみや悲しみはつきものであり、何の問題もない人生を送る人などいないのですが、それでも私たちはなるべく人生に嫌なこと、辛いことがないことを願うのです。人々がお金に執着するのも、お金そのものが好きということではなく、むしろお金が私たちに安全・安心を与えてくれると信じられているからこそ、お金を求める人が多いのです。しかし、いくらお金があっても病気や老いの問題と無縁でいられる人はいません。それは宗教も同じことで、熱心に信仰していれば病気にも事故にも無縁だ、というわけにはいかないのです。それはキリスト教においても全く変わりません。進化論を提唱したことで有名なチャールズ・ダーウィンは熱心なクリスチャンでしたが、愛する娘を病気で失ったことで信仰に動揺をきたし、それが進化論という見方に傾いていった理由の一つだというようなことが言われています。つまり、神が私たちの人生に深くかかわって私たちを守ってくれるということが信じられなくなり、すべては偶然によって決まっていくというような世界観に傾いていったということです。

では、聖書はどうなのでしょうか。聖書は信仰者と災いの関係についてどのように言っているのでしょうか。神は信仰者を災いから守ってくれると約束しているのでしょうか。一つの見方は、正しい者は災いに遭わない、というものです。箴言12章21節にはこうあります。

正しい者は何の災害にも遭わない。悪者はわざわいで満たされる。

これは聖書の一つの典型的な見方です。正しい者は神によって守られるので災いに遭わない、ということがもっと明確に語られている箇所もあります。詩篇91編10-12節にはこうあります。

わざわいは、あなたにふりかからず、えやみも、あなたの天幕に近づかない。まことに主は、あなたのために、御使いたちに命じて、すべての道で、あなたを守るようにされる。彼らは、その手で、あなたをささえ、あなたの足が石に当たることがないようにする。

この一節は、サタンが荒野で主イエスを誘惑する時に用いた一節ですので、ご存じの方も多いと思いますが、よく知られた一節です。神は、神を信じて従う人々を守ってくださるという教えは確かに聖書にあります。

しかし、実際の私たちの人生においてはこのことは必ずしも本当ではないのではないか、と思えてしまうことがあります。熱心に神を信じてきたのに、どうしてわたしばかりこんな目に遭うのか、なぜ神はわたしを守って下さらないのか、と思ってしまうような経験は、信仰歴の長い方には一度ならずあるのではないでしょうか。この問題に正面から取り組んでいる書が聖書にあります。それが「ヨブ記」です。聖書はヨブを評して、「この人は潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっていた」と記しています。しかし、そのヨブにありとあらゆる災いが降りかかります。正しい人は神から守られるはずなのに、どうしてヨブはこのような目に遭わなければならないのか、という疑問が生じます。そこでヨブの友人たちが次々やって来て、彼に説教します。君は品行方正に見えるが、実は隠れたところで大きな罪を犯しているんだ、だから神は君に罰を下しているんだ、というように傷口に塩を塗るようなことばかり言います。しかしヨブは、私にはそんな隠れた罪などないと言い張り、彼らの論争は噛み合いません。そして、ヨブの言うことは正しかったのです。ヨブは正しいと、神ご自身も認めておられます。ではなぜヨブが苦しんだのかと言えば、サタンが神に、ヨブは幸せだから神を敬っているだけで、不幸になれば信仰を捨てるだろう、というようなことを言ったので、では本当にそうなのか試してみるがよい、とサタンにヨブを苦しめることを認めた、ということだったのです。つまりこうした試練は一種のテストだったのです。ヨブは最後までそのことを知らされず、それでも忍耐し続けました。このヨブ記は実話ではないと言われていますが、このヨブ記を書いた著者の動機は、なぜ義人が実際には苦しむのか、という難題に取り組むためだったとされています。神は善人を守って悪人に災いを下すと言われていますが、実際は「悪い奴ほどよく眠る」という黒澤明監督の映画ではありませんが、悪人が枕を高くして眠るのに対し、善人が理不尽な目に遭っているということは普通にあることなのです。そんな時に「神も仏もあるものか」という信仰の危機に陥ってしまうことが多いわけです。ヨブ記の著者もその問題に取り組みました。彼は、神は信仰者を災いから守るどころか、かえって何らかの理由により信仰者が災いに遭うことを許容されることがある、と指摘したのです。このように旧約聖書を通じても、この問題についての考え方の違いというか、変遷があります。しかし、新約聖書の時代になると、まったく新しい要素が登場します。主イエスの福音の新しさはここにある、と言ってもよいほどです。今日のペテロの言葉も、そのような大きな問題を扱ったものです。では、さっそくその内容を詳しく見て参りましょう。

2.本論

まず8節です。ここでペテロは、クリスチャン同士の間での在り方、お互いへの接し方について語ります。ここでペテロが語っていることは、使徒パウロが言うことととても似ています。ピリピへの手紙の2章1節と2節とは、特に似通っています。そこをお読みしましょう。

こういうわけですから、もしキリストにあって励ましがあり、愛の慰めがあり、御霊の交わりがあり、愛情とあわれみがあるなら、私の喜びが満たされるように、あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしてください。

このように、主イエスを信じる者の共同体においては、互いを思いやり、何よりも一致を保つことが大切です。ペテロもそのように語っています。

ここまでは良いのですが、問題は9節以降です。ここからペテロは苦しみの問題を扱います。ペテロは、主イエスを信じて彼に従えばあなたは苦しみには遭わない、イエス様が守ってくれるからあなたは災いから守られる、とは教えません。むしろその反対です。信仰者は必ず苦しみに遭うのだということを前提にして話しています。このことは、ペテロの書簡以上に第二テモテに明確に言い表されています。第二テモテ3章12節にはこうあります。

確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。

このように、敬虔に生きようとする者は祝福される、ではなく迫害を受けると言い切っています。しかし、それはなぜでしょうか?これは大きな問題です。私はサラリーマンを15年した後にイギリスに留学し、英国の国立大学の学部に入って三十代半ばでイギリスの二十歳前後の学生たちと一緒に聖書学を学び始めたのですが、その時に印象深いことがありました。その時、講師の方がキリスト者の人生には苦難や苦しみがつきものだ、ということを語ったのに対し、ある女子学生が「イエス様が私たちの代わりに苦しんでくれたのに、なぜ私たちが苦しまなければならないのですか」という、単刀直入で、日本人なら遠慮して聞かないような質問をずばりと聞いたのです。その時の講師の答えはよく覚えていないのですが、質問の方は今でもよく覚えています。

この問題については、中間時代、すなわち旧約と新約の間の時代に書かれた書で、七十人訳というギリシア語の聖書に収録されている『知恵の書』がその理由を明らかにしています。そこには、義人を故なく憎む世の人々の気持ちが描かれています。

正しい人は、自分は神を知っていると公言し、自らを主の僕と称している。彼は我々の思いをとがめる存在となり、我々には目に映るだけで重苦しい。その生き方は他の者とは異なり、その振る舞いも変わっているからだ。正しい人は我々を偽り者と見なし、汚れを避けるように我々の道から遠ざかる。正しい人たちの最期は幸せだと言い、神を自分の父だと豪語する。(2:13-16)

このように、正しい人の生き方はこの世の生き方とは異なるので、この世の人はそうした人を見るだけで嫌になります。自分たちの生き方が悪いということを、その人は無言のうちに示しているからです。そのイライラから、正しい人を虐めたくなる、苦しめたくなるというのです。つまり自己正当化のために、正しい人の生き方を破壊したいのです。したがって、正しく生きようとすると、その生き方が苦難を招くのです。つまり、ありていに言えば、キリストを信じることで人は災いから守られるのではなく、むしろ災いを招いてしまうのです。使徒パウロは自らの伝道について、こう述べています。第一コリント4章11節以降をお読みします。

今に至るまで、私たちは飢え、渇き、着る物もなく、虐待され、落ち着く先もありません。また、私たちは苦労して自分の手で働いています。はずかしめられるときにも祝福し、迫害されるときにも耐え忍び、ののしられるときには、慰めのことばをかけます。

このように、パウロの人生はまさに災い続きだったのですが、驚くべきことに、パウロは自分に災いをもたらす人たちを祝福し、慰めているのです。これがキリスト教の新しさ、独自性なのです。ペテロも今日の箇所で全く同じことを語っています。それが9節なのですが、この一節は解釈が分かれるところです。私たちの聖書では、

悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。

と訳されています。しかし、多くの研究者がしてきするように、より字義通りに訳せば、「あなたがたは、あたなたがたに悪をなす者たちを祝福するようにと召されているのです、そうしてあなたがたが祝福を受け継ぐようになるためです」となります。つまり、クリスチャンの召命とは敵を愛する、敵を祝福することであり、そのように行動するからこそ、私たちは神の祝福を受け継ぐことができるのだ、ということです。私はこの解釈の方が正しいと思いますし、それは主イエスの教えとも一致しています。イエスはこう教えられました。

『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、あなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。(マタイ5:43-45)

この、敵を愛しなさい、迫害する者のために祈りなさい、という言葉ほど、イエスの教えの中で衝撃的なものはないでしょう。キリスト教を拒否する人は、このようなイエスの教えは実行不可能だと考えるからだ、ということは皆さんも聞いたことがあると思います。しかし、イエスは私たちがこのように行動するからこそ、神の子となれるのだ、と教えています。そしてペテロも、私たちは敵を愛し、迫害する者たちに祝福を与えるために召されたのだと教えています。そして、これこそがキリスト教の本質なのです。もちろん、敵を愛するというのが人間の本性に反するものだということも事実でしょう。やられたらやりかえす、というのが残念ながら人の自然な行動なのかもしれません。聖書も「目には目を」と教えているではないか、という指摘もあるでしょう。しかし、ここにこそイエスの教えの新しさ、福音の新しさがあるのであり、これを取り去ったらキリスト教はキリスト教ではなくなってしまうのです。そして、敵を愛するというのは感情というよりも行動の問題だ、ということも大切なポイントです。自分に害をなす人を、感情的に好きになれ、というのは確かに不可能でしょう。そんな人はいなくなって欲しい、顔も見たくない、と思うのが普通です。しかし、主イエスが言われているのは、そのような無理な感情を無理やり持ちなさいということではなく、むしろ感情がどうであっても平和作りのために行動しなさい、ということなのです。目には目を、殺されたら殺し返す、という報復の連鎖では、いつまでたっても平和はやってこないからです。

近代以降の戦争で残念なのは、戦争が終わるのは徹底的に相手を痛めつける、報復しようという気持ちすら起こせないほどまでに相手を痛めつけることでしか実現しなかったということです。その典型はまさに日本の敗戦です。戦前は「鬼畜米英」と叫んでいたのに、戦後はアメリカ万歳になりました。それは、アメリカが人格的に素晴らしかった、敵である我々にも憐み深く寛容だった、と多くの日本人が感激したからではなく、その反対でアメリカ人があまりにも恐ろしかったからです。東京大空襲で一夜にして10万人もの民間人の命が奪われ、原爆では一瞬にして20万人もの民間人の命が奪われました。こんな恐ろしい相手には抵抗しても無駄だ、というあきらめが転じて、アメリカは素晴らしいという卑屈な精神構造になってしまいました。ですから戦後の日本人は、アメリカが正当な理由もなくイラク人の民間人を何万人殺そうが批判しない、いやアメリカは正義のために正しいことをしたのだ、とまで言い出すようになってしまったのです。相手への恐怖心のゆえに、相手を批判できないのです。

このように、この世の方法というのは、「目には目を」という報復の気持ちを抱くことができなくなるほどまでに相手を痛めつけることで、それはまさにローマ帝国が十字架でやったことでした。十字架のような惨めな死に方をしたくなければ、ローマに反抗しようなどと愚かなことは考えるな、ということです。しかし、イエスはそれとはまったく異なる道を示されました。平和づくりのために、報復といういわば当然の権利を捨てて、むしろ相手との和解の道を探るために相手を祝福しなさい、というのです。そんなことをすれば悪者を増長させるだけではないか、そんな愚かな行為では平和は実現しない、悪を倒さなければこの世の秩序は保てない、という反論が当然出てきます。私はそれもある意味では正しいと思います。私たちには警察が必要です。警官が武力を行使して一般市民を守ってくれるのはありがたいことです。その延長線上で、国家としての軍事力や武力も必要でしょう。ある一つの国だけが圧倒的な軍事力を持っていて、周りの国はまったく武器を持っていなければ、攻めてくださいと言っているようなものです。平和のためには、いわゆるバランス・オブ・パワー、力の均衡というものも必要でしょう。しかし、そこに安住していたら、いつまでたっても「目には目を」の世界から前進できません。本当に平和を目指すのなら、誰かが「目には目を」ではなく、「砲弾に花束を」という行動を採らなければなりません。すべての人がそうすることはできないかもしれないけれど、ではまずクリスチャンがそれを始めるべきだ、というのがペテロの、そして主イエスの教えていることなのです。ペテロは、善を行ったのに苦しみを受けるなんて理不尽だ、とは言いません。かえってそれは幸いなことだと言っています。今日の箇所の最後の一節をお読みします。

もし、神のみこころなら、善を行って苦しみを受けるのが、悪を行って苦しみを受けるよりよいのです。

3.結論

まとめになります。今日は人生における苦しみの問題、とりわけ真面目に正しく生きている人に降りかかる災いや苦しみの問題をペテロの言葉を通じて考えて参りました。新約聖書と旧約聖書の大きな違いの一つは、新約聖書では正しい人は苦しみには遭わない、神から守られる、とは言わないことです。むしろ正しい生き方は周囲からの反発を招き、あなたは必ず災いに遭うだろうと教えます。なにかとんでもないことのようですが、実はそれが新約聖書の教えです。さらに驚くべきことは、このように私たちに災いをもたらす人に報復せずに、むしろ祝福しろ、と教えていることです。これもとんでもない教えですね。ここ数年間、世界では大きな紛争がいくつも起きて私たちを震撼させましたが、どの戦争でも「憎むべき敵に罰を与えろ」、「報復しろ」、「そのためにはもっと強い武器が必要だ」というようなことばかりが叫ばれてきました。そして、これがこの世の在り方です。しかし、イエスが示した十字架の道は、自分が苦難を引き受けることで敵との和解を目指す生き方です。そんな生き方は愚かしいと思われるかもしれません。しかし、これこそが、いやこれだけが、神の認めた道なのです。そして、そのイエスに対し神は大きな報いを与え、彼を万物の支配者となさいました。今やキリストの支配は始まっていますが、その支配は暴力や強制によるものではなく、自己犠牲的な愛によるものです。そのような生き方、神の支配に私たちは招かれています。その報いは大きいのです。ですから勇気をもって、信仰をもって歩んで参りましょう。お祈りします。

イエス・キリストの父なる神様、そのお名前を賛美します。本日は人生における苦難と、その苦難にどう向き合うべきか、ということを学びました。私たちには不可能にも思える生き方ですが、神には不可能なことはありません。私たちに力をお与えください。われらの平和の主イエス・キリストの聖名によって祈ります。アーメン

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メシアの系図マタイ福音書1章1~17節 https://domei-nakahara.com/2025/06/22/%e3%83%a1%e3%82%b7%e3%82%a2%e3%81%ae%e7%b3%bb%e5%9b%b3%e3%83%9e%e3%82%bf%e3%82%a4%e7%a6%8f%e9%9f%b3%e6%9b%b81%e7%ab%a01%ef%bd%9e17%e7%af%80/ Sun, 22 Jun 2025 04:16:00 +0000 https://domei-nakahara.com/?p=6535 "メシアの系図
マタイ福音書1章1~17節" の
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1.序論

みなさま、おはようございます。私は2022年の5月から2023年の7月まで、一年余りにわたってマルコ福音書の講解説教を行いました。それから約二年ぶりに、今度はマタイ福音書の講解説教を行います。マタイ福音書はマルコよりもずっと長いので、当然ながらマタイからの説教はマルコよりもずっと長くなるでしょう。私たちにとって最も大切なことは、イエス・キリストを深く理解することです。マタイ福音書を通じて、私たちはこのことを目指して参ります。

新約聖書には四つの福音書があります。私は今後、主の御心であれば当教会でマルコ、マタイ、ルカ、ヨハネという順番ですべての福音書の講解説教をしていきたいと願っています。この順番にする理由は簡単で、書かれた順番、古い順ということです。マルコが最古の福音書ですのでこの福音書からの説教を初めに行いましたが、これからはマタイ福音書の説教をしていくということです。かつては、マタイ福音書こそ、12使徒のひとりであるマタイによって書かれた最初の福音書だと信じられてきました。しかし、近代以降の研究が進んでマルコが最古の福音書であることはもはや誰も疑わないようになりました。マタイ福音書には、マルコの記事の9割以上が含まれています。これは、マタイ福音書の記者が執筆に際してマルコ福音書を資料として用いたことを強く示唆します。また、このことはマタイ福音書の作者がイエスの直接の弟子ではない、イエスの公生涯の直接の目撃者ではない、ということをも示しています。マルコ福音書は、マルコがペテロの通訳者であったことからペテロの証言に基づくものだと言われています。では、もしマタイ福音書も同じく12使徒だったマタイ自身によって書かれたものだとするならば、彼が他の使徒の証言にここまで全面的に依存するとは考えられないからです。したがって、私はマタイ福音書が12使徒マタイによって書かれたとは思いませんが、慣例に従って便宜上この著者のことをマタイと呼ぶことにします。

マタイは、マルコ福音書がすでに存在しているのに、なぜ新しい福音書を書こうとしたのでしょうか?それはマルコ福音書とマタイ福音書を比べれば明らかです。マルコ福音書には山上の垂訓はありません。このことが端的に示すように、マルコ福音書の特徴はイエスの教えが比較的少ないことです。もちろんまったくないわけではありませんが、主の祈りも含まれていないし、良きサマリア人のようなたとえ話もありません。マルコ福音書はイエスの行動にフォーカスした福音書なのです。それに対し、マタイ福音書には山上の垂訓に代表される、イエスの教えを収録した大きなかたまり、ブロックが五つもあります。これがまさにマタイ福音書の特徴であり、またこの福音書が書かれた目的だといえます。それは、マルコ福音書を読んだマタイがその福音書に強い感銘を受けつつも、イエスの教えが少ないことに不満を覚え、この福音書にイエスの教えを包括的に含めることでより充実した福音書を書き上げようとしたということです。マタイはさらにマルコ福音書に欠けていたもの、すなわちイエスの誕生物語と、復活後のイエスと弟子たちとの出会いというエピソードを含めました。つまり、マタイはマルコ福音書をアップグレードしようとしたのです。このことは、マタイ福音書がマルコ福音書より優れているということではありません。しかし、後に書かれたものの方が先に書かれたものよりも、いくらかのアドバンテージがあることも確かです。より多くの情報を持っているのですから。しかし、後に書かれるということは、イエスの時代からそれだけ時間的に隔たっているということでもあります。時間の経過に従って、イエスの記憶が薄れ、また変化していく可能性があるということです。特に、マタイ福音書が書かれたのは紀元70年のエルサレム陥落後だと考えられています。イエスの時代にはエルサレムには神殿が建っていましたが、マタイの時代にはそれはもう存在しなかったということです。これは非常に大きな時代の変化です。マタイ福音書はこうした時代の変化を反映しているので、イエスの時代にはなかった要素も含まれています。例えば、昨今の説教ではスマホについて触れられることがたびたびあるでしょうが、30年前の20世紀の説教にはスマホのスの字もありませんでした。そんなものが存在しなかった以上、当然ですよね。マタイ福音書にはイエスの時代にはなかった内容や特徴が含まれるというのは、そういうことです。このことは、講解説教のなかでおいおい触れていくつもりです。

これまでマルコ福音書との関係でマタイ福音書の特徴を考えていきました。しかし、もっと重要な特徴があります。それは、マタイ福音書が非常に「ユダヤ的な」福音書だということです。ユダヤ的とは、すなわち旧約聖書とのつながりが非常に強いということです。マタイ福音書には、イエスの生涯の出来事の意味を説明することばとして「これは預言者たちを通して語られたことが成就するためであった」というフレーズが繰り返し登場します。預言者たち、とはイザヤやエレミヤのような旧約聖書の預言者です。ただ、これからの説教でも説明していくように、マタイが引用した旧約聖書の記事を読むと、それが本当にイエスについての預言なのかと考え込んでしまうようなものも少なくありません。例えばマタイ2章で、ヘロデ王が多くの幼児を殺害した事件の預言としてマタイはエレミヤの預言を引用しますが、エレミヤはここではバビロン捕囚に連れて行かれていく人たちを嘆いたのであって、彼の時代から500年も先の出来事について語ったのではありません。イザヤやエレミヤは、彼らが生きていた同じ時代の人々に対して語りかけたのであり、彼らの時代から数百年後の子孫たちに向けて語ったわけではないのです。この問題は簡単には説明できない問題です。マタイの旧約聖書預言の用い方というのは、今後の説教で少しづつ解説していきたいと思います。ここでこれだけは申し上げたいのは、マタイは、イエスのあらゆる行動はすべて旧約聖書に予告されているのだと言いたいわけではない、ということです。むしろマタイは、イエスの生涯とイスラエルの歴史との間には深い関係があるということを読者に伝えたいのです。これは私の恩師であるN.T.ライトという新約聖書学者が語っていることですが、マタイはイエスの生涯をイスラエルの歴史の縮図として描いています。それがどういう意味なのかということは、これからの説教で明らかにしていきます。

2.本論

では、今日のテクストを読んで参りましょう。今日の箇所はイエスの系図です。イエスについての物語が始まる、と期待する読者は、いきなり長々とした系図を見せられて面食らうかもしれません。私の大学の後輩に柳生君という人がいたのですが、彼はあの有名な柳生一族の末裔だそうで、その家系図を持っているそうですが、そういう特殊な場合を除いて私たちの中で何十代前の祖先が誰かなどということを気にする人はいないでしょう。しかし、イエスの時代のユダヤ人にとって家系というというのは極めて重要なことでした。なぜなら神はアブラハムの子孫に大いなる約束を与えましたので、ある人がその約束を受けられるかどうか、相続人になれるかどうかは、その人が実際にアブラハムの子孫かどうかにかかってくるからです。下世話なたとえですが、皆さんも、自分が1億円という遺産の相続人かもしれない、その遺産を受け継ぐには自分がその遺産の正当な受取人であることを証明しなければならない、ということになれば必死に自分の家系図を探そうとするでしょう。マタイ福音書が家系図から始まるというのは、当時のユダヤ人の家系への強いこだわりを反映しています。これなども、マタイが「ユダヤ的な」福音書であることの一つの表れだと言えます。

最初の一行目は、メシアであるイエスがアブラハムの子孫であり、ダビデの子孫であることが特筆されています。イスラエルの歴史の中でも、特にアブラハムとダビデが重要視されているのです。その理由はこれから説明します。この一文のギリシア語原文を読むと、ビブロス・ゲネセオス・イエズゥ・クリストウとなっています。ビブロスとは本という意味で、ゲネセオスとは英語のジェネシス、つまり創世記という意味です。ですからこの出だしを直着すると、「イエス・メシアの創世の書」、「イエス・メシアの創世記」ということになります。なかなか壮大な書き出しではないでしょうか。ここにはイエス・キリストご自身の起源、家系のルーツについてという意味合いと、イエス・キリストにおいて新しい創世、新しい創造が始まるという二重の意味合いが込められているように思えます。

ルカ福音書のイエスの系図では、人類全体の祖先であるアダムからの系図になっていますが、マタイ福音書では族長アブラハムから系図が始まっています。マタイはイエスの生涯をイスラエルの歴史の縮図として描いた、ということを先に申しましたが、イエスの系図がイスラエル民族の祖であるアブラハムから始まるということもそれを強く示唆するものです。イエスがアブラハムの子孫であることがなぜそれほど重要かと言えば、それは神がアブラハムに与えた約束が問題になるからです。神は、アブラハムが神の命令に従ってその独り子イサクをまさに献げようとしたときに、それを押しとどめてアブラハムの信仰を賞賛します。そしてこう約束しました。「あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる」(創世記22:18)と。この世界の国々に祝福をもたらすのが、アブラハムの子孫、すなわちイエス・キリストだというのがマタイの主張です。ですからイエスの系図はアブラハムで始まるのです。

さて、この系図の特徴の一つは「十四」という数字の強調です。アブラハムからダビデまでが十四代、ダビデからバビロン捕囚までが十四代、バビロン捕囚からイエスまでが十四代ということです。この十四という数字がなぜ重要かといえば、この数字はダビデを表わす数字だからです。どういうことかといえば、現在私たちはアラビア数字という大変便利なものを使っています。しかし、アラビア数字がなかったとしたらどうでしょうか?古代の人々は、アラビア数字がないかわりにアルファベットを数字としても使っていました。英語で言えば、aがaという言語であるだけでなく、数字の1を意味したということです。ヘブライ語も同じでした。ヘブライ語のアルファベットであるアレフは1、ベートが2、という数字をも意味したのです。ダビデを表わす三文字(ダレット、ヴァヴ、ダレット)はそれぞれ4、6、4ですので合計すると14なのです。ですから、このマタイ福音書の系図がなぜ十四代という数字にこだわるのかといえば、それはダビデを示す数字だからです。そして、アブラハムに続いて焦点が当たるのは、アブラハムから数えて十四代目のダビデです。しかし、ダビデという人物はこれまでサムエル記で学んできたように、光と影のある人物です。特に彼の後半生は、この人物の信仰について重大な疑問符を突き付けます。彼はアブラハムのように信仰の生涯を全うしたとは言い難いということです。では、なぜダビデがこんなに注目されているのでしょうか。ここでも、ダビデ本人というよりも、神がダビデに与えた約束の方が重要なのです。神は、バテ・シェバ事件を起こす前のダビデに、次のような約束を与えました。それは、「あなたの家とあなたの王国とは、わたしの前にとこしえまでも続き、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ」(第二サムエル7:16)というものです。神はダビデに対し、あなたの王国はサウルの王国のように短命では終わらずに、永遠に続くと約束したのです。しかし、この約束は、すくなくともそれから四百年後には潰えたように見えました。それがバビロン捕囚です。ダビデ王朝は、当時の超大国であるバビロンによって攻め滅ぼされ、ダビデの王座は消滅してしまったからです。この系図ではダビデから十四代目にバビロン捕囚が来ます。こうなると、ダビデに対する神の約束はどうなってしまうのか、という問題が生じます。ここで、イエス・キリストが求められるのです。神のダビデへの約束、永遠の王国の約束は、イエス・キリストにおいてついに実現するというのがマタイの主張なのです。ちなみに、系図で用いられているこの「十四」という数字は象徴的なものであり、厳密には実際の数字ではありません。なぜなら、このマタイの系図ではダビデ以降のキリストまでは二十七代となっているのに対し、ルカ福音書の系図では同じ期間は四十二代もあるからです。

このように、マタイはこの系図において、イエスこそ神のアブラハムへの約束、そして神のダビデへの約束を成就する方なのだ、ということを示しています。マタイはこの系図において、この福音書の最も大切なテーゼを示そうとしているのです。

そしてこの系図にはもう一つ、非常に興味深い特徴があります。それは、女性の名前がこの系図に四人も含まれていることです。イエスの母マリアを含めれば五人ですが、ここではマリア以外の四人のことを言っています。現代の価値観でいえば家系図に女性の名前があるのは当たり前のことですが、古代社会は徹底した男尊女卑の時代、女性の証言は法廷では認められないような時代だったことを忘れてはなりません。しかも、その四人というのが貞淑で模範的な女性たちではなく、むしろ問題含みの女性ばかりなのです。その四人とはタマル、ラハブ、ルツ、そしてウリヤの妻、つまりバテ・シェバです。タマルという女性は売春婦を装ってユダと性的関係を持った女性で、ラハブはエリコの売春婦です。しかも彼女はイスラエル人ではなく異邦人です。ルツはダビデの祖先として有名ですが、彼女もイスラエル人ではなくモアブ人です。律法によれば、モアブ人はイスラエルの集会に加わることが禁じられています。そして、あのバテ・シェバです。彼女との不法な結婚によってダビデの家は崩壊してしまったのです。このように、イエスの時代には「罪人」と呼ばれた売春婦、あるいは姦淫の女性、そして同じくイエスの時代には「罪人」と呼ばれた異邦人、こうしたカテゴリーに入る女性ばかりがイエスの系図に記されているのです。これは何を意味するのでしょうか?マタイは、イエスがイスラエル民族のためのメシアであるだけでなく、イスラエル以外の外国人、あるいはイスラエルからは「罪人」として排除されていたような人たちのための救世主であるということを示そうとしたのです。イエスはあらゆる人々、男性も女性も、ユダヤ人も異邦人も、義人も罪人も、これらすべての人を救う救い主なのです。

3.結論

まとめになります。これからマタイ福音書をじっくりと読んで参りますが、最初はイエスの系図を学びました。系図というと無味乾燥なイメージを持つかもしれませんが、このマタイ福音書のイエスの系図は非常に興味深い、神学的に示唆に富んだものです。ここで強調されているのは二つでした。一つはイエスが旧約聖書のあらゆる約束を成就する人物だということです。使徒パウロは第二コリント書簡で、「神の約束はことごとく、この方において『しかり』となりました」(1:20)と記していますが、マタイもまったく同じことをこの家系図で示そうとしたのです。そしてもう一つは、イエスはイスラエルのためでなく、あらゆる人々、すべての人類のための救世主だということです。この二つのメッセージがこの家系図に刻まれています。

このように、イエスという人物の重要性がこの系図に暗示されているのですが、では彼が一体どんな方だったのか、ということはこれから段々と明らかになっていきます。マタイ福音書にはイエスについての非常に大切な情報がたくさん含まれていますが、それはマタイ福音書を慎重に読み解いていくことで明らかになるでしょう。それは簡単なことではなく、大変根気の必要なものです。この者が、そのような大切な役割を果たすことができるように、ぜひ皆様に祈っていただきたいと願っております。お祈りします。

イエス・キリストの父なる神様、そのお名前を賛美します。今朝からマタイ福音書の説教に入りましたが、どうか主の助けと憐みにより、この講解説教が実り多いものとなりますように。聞くみなさまの上にも聖霊の導きがありますように。われらの救い主イエス・キリストの聖名によって祈ります。アーメン

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ダビデの歌第二サムエル22章1~51節 https://domei-nakahara.com/2025/06/15/%e3%83%80%e3%83%93%e3%83%87%e3%81%ae%e6%ad%8c%e7%ac%ac%e4%ba%8c%e3%82%b5%e3%83%a0%e3%82%a8%e3%83%ab22%e7%ab%a01%ef%bd%9e51%e7%af%80/ Sun, 15 Jun 2025 00:35:00 +0000 https://domei-nakahara.com/?p=6508 "ダビデの歌
第二サムエル22章1~51節" の
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1.序論

みなさま、おはようございます。約二年間に及んだサムエル記からの講解説教も今回で最終回となります。ハンナの祈りから始まったサムエル記ですが、サムエルやサウル、ダビデといった非常に個性的な登場人物が生き生きと描かれた、旧約聖書文学の最高峰と呼ぶべき非常に内容の濃い話でした。その講解説教の結びに当たり、今日は第二サムエル記の22章に収められたダビデの歌を見て参りましょう。

この歌は、詩篇18編に収録されているダビデの歌と同じものです。これは、若き日のダビデがサウル王の手から救い出されたときに歌われたものだとされています。つまり、ダビデが王となった後に奢り高ぶり、バテ・シェバ事件やウリヤ殺害を引き起こし、その結果ダビデの家が完全に崩壊していくというダビデの後半生をこれまで見てきましたが、この歌はダビデがそのようになってしまう前の時期、信仰者として最も充実していた時期のダビデの歌だということです。しかし、長々とダビデ家が崩壊していく物語を聞かされた私たちがここで突然、堕落する前の輝かしい時期のダビデの歌を聞かされると違和感を覚えるかもしれません。あれほどの罪を犯したダビデが「私は主の道を守り、私の神に対して悪を行わなかった」などと言っても、何と白々しいとかえって反発を覚えてしまいます。むしろ、アブシャロムの乱という最悪の出来事を経験した晩年のダビデの悔悛の歌を聞きたいと思うのではないでしょうか。では、サムエル記の作者はなぜこのダビデの歌を彼の人生の終わりの記述の中に置いたのでしょうか?その意味を考える前に、まずはダビデの人生全体を振り返ってきましょう。

旧約聖書には様々な人物が登場します。どの人物も、とても個性豊かなので、類型化はできないとは思いますが、あえて私なりに三類型を提示してみたいと思います。第一の類型は「ヤコブ型」です。ヤコブという人物は、最初はお世辞にも信心深いとは言えず、父親を騙すなど、本当にこんな人が神に選ばれた人なんだろうか?という疑念を読者に抱かせるような行動ばかりしています。しかし、そんな彼が神の取り扱いを受け、また自分の罪の問題にも真剣に向き合うようになり、最終的には非常に霊性の高い人間となっていくというものです。第二の類型は「エレミヤ型」です。若い時のエレミヤは、ヤコブのようにひねくれたような面があったわけではないですが、しかしどこかナイーブなところがあり、危なっかしいと感じさせることもありました。しかし、多くの苦難に直面しながら段々と強さやたくましさを身に着けていき、ついには謙虚でありながらも揺るがない心を持つ神の人へと成長していくというものです。モーセもこのような類型の人物と考えてもよいのではないでしょうか。そして第三の類型は「ダビデ型」です。若い時のダビデは神への信仰に篤く、勇敢であり、苦難の時にも神への信頼を失いません。まさに今日の「ダビデの歌」で言い表されているような信仰の持ち主です。しかし、そのダビデも絶対的な権力を手に入れると傲慢になり、次々と罪を重ねて自滅していきます。そういう残念な人生ですが、彼の前のサウル王もそのような人生を送ったと言えるかもしれません。このように言うとショッキングに響くでしょうが、ダビデやサウルの原型ともいえるのがサタンです。もともと大天使であったサタンはあまりの美しさゆえに高慢になり、神に反逆したと言われています。預言者エゼキエルは次のように記しています。「あなたの心は自分の美しさに高ぶり、その輝きのために自分の知恵を腐らせた。そこで、わたしはあなたを地に投げ出し、王たちの前に見せものにした」(エゼキエル28:17)。ダビデやサウルも、始めは神に忠実だったのに、絶対権力者である王となってからは段々と神の道から逸れて行ってしまいました。サウルはともかく、ダビデとサタンを比較するなどとんでもない、と思う人も多いでしょうが、しかしダビデの人生が転落の人生であることは確かです。

ダビデの人生は、この世における成功が信仰者にとっては罠となってしまうという警告を私たちに与えています。主イエスを信じるクリスチャンであっても、多くの人はこの世での成功や名声や財産を求めます。私たちは競争社会に生きていて、子どもの時からスポーツや芸術での勝利、あるいは学歴社会での勝利を目指すようにとけしかけられています。スポーツや勉強は自分を磨くためだ、自分との闘いだ、というようなことが言われますが、それがきれいごとにしか聞こえないほど私たちは子どものころから人に勝つこと、実績を挙げることを求められます。もちろん、努力して神から与えられた自分の才能を伸ばすことは良いことです。しかし、その成功に対する報酬が大きくなればなるほど、私たちの霊性が脅かされる可能性も高くなるということを忘れないようにしたいものです。では今日のダビデの歌そのものを見て参りましょう。

2.本論

今日のダビデの歌は詩篇18編と同じだ、ということは申し上げました。その他にも、この歌は旧約聖書の多くの箇所と関連の深い内容になっています。そこで、今回はたくさん旧約聖書の他の箇所に言及することをあらかじめ申し述べておきます。では、2節から3節をお読みしましょう。「主はわが巌、わがとりで、わが救い主、わが身を避けるわが岩なる神、わが盾、わが救いの角、わがやぐら。私を暴虐から救う私の救い主、私の逃げ場」となっています。ここで注意したいのは、神がすべて防御用の物事に譬えられていることです。神が刃とか、槍とか、人を殺傷するための武器ではなく、人を攻撃から守る盾など、そういうイメージで神が語られているのです。新約聖書でも同じで、神の武具と呼ばれるものは盾とか兜とか胸当てとか、大抵は防御用のものです。その唯一の例外は「剣」ですが、これは「私たちの心を刺し貫く」というような意味合いでのみ用いられています。つまり、人間の体に危害を与えるための剣ではなく、私たちの心に深く突き刺さる「神のことば」のたとえとして剣という言葉が使われているのです。新約聖書では平和が強調されているのに対し、旧約聖書の神は好戦的な神として描かれているというようなことがしばしば言われますが、この詩篇で描かれている神は攻撃ではなく防御、ダビデを守る方として描かれているのは大変興味深いことです。

 5節から20節までは、死の谷を歩み、危機にあるダビデが神の助けを叫び求めると、天から神が救出にやって来られる様が劇的に、また詩的に描かれています。神がその民の叫びを聞かれるというテーマは、旧約聖書では最初に出エジプト記に登場します。その箇所を読んでみます。出エジプト記2章23節から25節です。

イスラエル人は労役にうめき、わめいた。彼らの労役の叫びは神に届いた。神は彼らの嘆きを聞かれ、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた。神はイスラエル人をご覧になった。神はみこころを留められた。

神はその民の苦しみの声、叫びを聞かれます。この詩篇においても、ダビデの声を聞かれた神が天から降りて来られる様が描かれています。もちろん神は霊ですから、このように実際に神が天から降りて来るのを人間が肉眼で捉えることはできません。それはダビデの時代も、私たちの時代も同じです。しかし、私たちの霊眼が開かれれば、神とその軍勢が私たちのために戦ってくださるのを見ることが出来るのです。そのことは、預言者エリシャが示してくれたことです。その箇所もお読みしましょう。第二列王記6章15節から17節です。

神の人の召使いが、朝早く起きて、外に出ると、なんと、馬と戦車の軍隊がその町を包囲していた。若い者がエリシャに、「ああ、ご主人さま。どうしたらよいでしょう」と言った。すると彼は、「恐れるな。私たちとともにいる者は、彼らとともにいる者よりも多いのだから」と言った。そして、エリシャは祈って主に願った。「どうぞ、彼の目を開いて、見えるようにしてください。」主がその若い者の目を開いたので、彼が見ると、なんと、火の馬と戦車がエリシャを取り巻いて山に満ちていた。

このように、私たちの肉眼では霊の世界のことは見えないし分かりませんが、この世界と霊の世界は重なり合っているのです。私たちが信仰的に落ち込んで神のことが信じられなくなるときは、霊的な意味での悪の軍勢に囲まれてとりこにされてしまっているのです。そしたときに、ますます私たちは落ち込みます。しかし、神はそのような私たちを救出すべく天から降りて来られます。ダビデは霊的な目が開かれて、その様子を見ることが許されました。その様子が10節と11節に描かれています。

主は、天を押し曲げて降りて来られた。暗やみをその足の下にして。主は、ケルブに乗って飛び、風の翼の上に現れた。

もちろん、ダビデは言い尽くせないような神の栄光を表すために、非常に劇的な描写を用いているのであって、神の姿が文字通りにこのようであったとは言えません。人間には神のみ姿を見ることは許されていませんので。しかし、このダビデのイマジネーション溢れる描写は後の時代のイスラエル人に大変大きな影響を及ぼしました。大預言者イザヤもその一人です。イザヤがダビデの表現に基づいて神の降臨を描いていると思われる箇所を見てみましょう。イザヤ書64章1節から2節です。

ああ、あなたが天を裂いて降りて来られると、山々は御前で揺れ動くでしょう。火が柴に燃えつき、火が水を沸き立たせるように、あなたの御名はあなたの敵に知られ、国々は御前で知られるでしょう。

このように、後の預言者たちに影響を与えていることはダビデの詩人としての面目躍如といったところです。17節には、ダビデが天から降りて来られたダビデが神によって救出される様が劇的に描かれています。「主は、いと高き所から御手を伸べて私を捕らえ、私を大水から引き上げられた。」この、神による救出というのはダビデにとって非常に重要なテーマであり、他の歌にも見られるものです。詩篇40編の冒頭には以下のような下りがあります。

私は切なる思いで主を待ち望んだ。主は私のほうに身を傾け、私の叫びを聞き、私を滅びの穴から、泥沼から、引き上げてくださった。そして私の足を巌の上に置き、私の歩みを確かにされた。

今日の聖書箇所の17節から20節までも同じようなことが書かれています。ダビデにとって、溺れた人が救い出されるというイメージがとても大切だったのが分かります。

 そして、21節から28節までは、なぜダビデが苦境から救い出されたのか、その理由が記されています。それは、ダビデは主の前に常に清く正しく歩んだからだ、というものでした。ダビデはこう言っています。

私は主の前に全く、私の罪から身を守る。主は、私の義にしたがって、また御目の前のわたしのきよさにしたがって 私に償いをされた。

バテ・シェバ事件以降のダビデを知っている私たちからすればこれは驚くような発言ですが、しかしサウル王に追われて放浪者だったころのダビデは確かに主の前に正しく歩んでいたのです。彼はサウル王からいわれのない嫌疑をかけられてもサウル王に報復せずに、さばきを主に委ねました。サウル王も、ついにはダビデに対し、あなたは私よりも正しい、主があなたに幸いを与えるだろうと宣言するまでになりました。これはまったく皮肉なものです。理不尽な目にばかりあって、まるで神から見放されていたように見えた頃のダビデが信仰者としてはもっとも輝いていて、反対にこの世の栄耀栄華をすべて手に入れてまさに神の寵愛を一身に集めていたように見えた頃のダビデが信仰者としてはまったく堕落してしまっていたのですから。しかし、ここに重要な真理があります。先ほども申しましたが、この世における大きな成功は私たちの霊性においては大いなる罠になってしまうということです。これは難しい問題です。確かに私たちは自分たちに神から与えられた才能を生かし、伸ばすべきです。しかし、その結果としてこの世から大きな賞賛が与えられると、私たちは何か非常に大切なものを失いかねないということです。実際、この世での成功は大きな代償を伴うということを私たちはみな知っているのかもしれません。政治家が選挙で勝つため、あるいは大臣ポストを得るために自らの信念を曲げる、サラリーマンが自らの良心を殺してでも会社の利益のために行動する、というようなことがあるのを私たちは知っています。偉くならなければ、上に行かなければ何も変えられない、世の中をよくするためには出世するしかない、そして出世のために自らの理想や信念を一時的に棚上げするのは仕方のないことなのだ、ということがしばしば言われます。しかし、そうして世と折り合いをつけていくうちに、私たちは何か大事なものを失っている、代償を支払っているということも忘れてはならないのです。ダビデも、いつしか保身のために道に迷い、神の掟を破り、大変な災いを招くことになりました。ダビデはこう続けています。

あなたは、恵み深い者には、恵み深く、全き者には、全くあられ、きよい者には、きよく、曲がった者には、ねじ曲げる方。

この言葉はダビデにそのまま当てはまりました。ダビデがひたすら主に忠実であった時には、神は大いなる報いを彼に与え、羊飼いに過ぎなかった彼は王にまで出世しました。しかし彼の心がねじ曲がり、無実のウリヤを殺害した後は、彼の人生にはひたすら災いがありました。神はそれぞれの人に行いに応じて報いられるというのはいつの時代にも真理なのです。

そしてダビデの次の言葉は、サムエル記の冒頭にあったハンナの祈りを思い起こさせます。「あなたは、悩む民を救われますが、高ぶる者に目を向けて、これを低くされます。」ハンナもこう歌っています。「主は、貧しくし、また富ませ、低くし、また高くするのです。」サムエル記全体がまさにこのようなテーマに貫かれていると言えます。ダビデはまさにその典型でした。彼は小さな名もなき羊飼いでしたが、苦難においてさえも神に忠実だったがゆえに引き上げられて、イスラエルの王にまで昇りつめました。しかし、成功して高ぶってからは、辱められ、低くされました。このダビデの一生の中にサムエル記のテーマが凝縮されていると言えるのではないでしょうか。

3.結論

まとめになります。今日はサムエル記の結びの部分に収録されているダビデの歌を読んで参りました。この歌は、晩年のダビデの歌ではなく、むしろダビデが信仰者として最も充実していた時期、すなわちサウル王の嫉妬によってゆえなく命を狙われ、何度も命の危険を乗り越えたダビデが神に感謝して歌った歌でした。この歌が第一サムエル記の終わりに置かれているのならともかく、どうしてこの箇所に収録されているのか、不思議に思う方もおられると思います。私もそうでした。その理由を自分なりに解釈すれば、サムエル記の作者は私たちに大切な教訓を与えようとしているのだと思います。今やダビデの悲惨な後半生を知る私たちは、この青年時代のすがすがしく自信にあふれたダビデの歌を読むときに、人の人生の移ろいやすさというものを感じずにはおれません。あんなに立派だった人が、とその落差を思わざるを得ないのです。そしてそれがサムエル記の記者の狙いなのではないでしょうか。私たちの人生は、苦しい時期、ピンチだと思われる時期、将来が不安で一杯な時期の方が、神との関係でいえば実は安全なのかもしれません。なぜならこういう時期の私たちは神により頼まざるを得ないからです。苦難の時は、私たちの心は主に近く、それゆえ安全なのです。ひるがえって、ひとたびこの世の提供する安心・安全を手にしてしまうと、私たちの心は知らず知らずのうちに神から遠ざかっていきます。「私は安全だ。私を脅かすものはなにもない」という心が忍び寄ってくるのです。しかし、こういう状態が実は一番危険なのです。ダビデがまさにそうでした。外国との戦争も部下に任せて自分は安穏と王宮でうたたねをしていたときに、大きな罪がダビデの心に忍び寄りました。その後にどうなったかはよく知る通りです。私たちの人生は、ある意味で安心・安全を求めるためにあるといっても過言ではありません。私たちが必用以上にお金を貯めたり、いろいろな心配事をするのもすべては将来の不安を取り除きたいからです。しかし、それで自分が本当に安全になるのかを今一度問うてみたいと思います。主イエスは「人は、たとい全世界を手に入れても、まことの命を損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう」と語られました。この言葉は、人としての栄華を極めながらすべてを失ったダビデの生涯を思う時、一層強く胸に迫ります。私たちはまことのいのちを目指して歩んで参りましょう。お祈りします。

天におられます我らの父よ、二年間におよぶサムエル記からの講解説教を守り導いてくださったことに感謝します。本当にいろいろなことを考えさせられましたが、その一つ一つが今後の信仰生活の糧となりますように。われらの平和の主イエス・キリストの聖名によって祈ります。アーメン

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御霊に従うローマ書8章5節~15節 https://domei-nakahara.com/2025/06/08/%e5%be%a1%e9%9c%8a%e3%81%ab%e5%be%93%e3%81%86%e3%83%ad%e3%83%bc%e3%83%9e%e6%9b%b88%e7%ab%a05%e7%af%80%ef%bd%9e15%e7%af%80/ Sat, 07 Jun 2025 23:56:00 +0000 https://domei-nakahara.com/?p=6485 "御霊に従う
ローマ書8章5節~15節" の
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みなさま、ペンテコステおめでとうございます。毎年ペンテコステ礼拝のさいには、私はいつも「ペンテコステ」とは何か、という短い説明をしてきました。といいますのも、キリスト教の三大主日のうち、クリスマスやイースターについてはキリスト教にあまり関心のない方々にも広く知られているのに対し、ペンテコステについてはクリスチャンでない方々にはほとんど知られていないからです。その理由は、クリスマスやイースターが何の日であるのかの説明がしやすいのに対し、ペンテコステについてはその意義を説明するのが簡単ではない、ということがあるように思います。

クリスマスはイエスの誕生を祝う日で、イースターはイエスの復活を祝う日です。では、ペンテコステとは何か?というと、しばしば「教会が誕生した日だ」ということが言われます。しかし、正確に言えばペンテコステは教会の誕生した日ではありません。教会とは、イエスが救い主であることを信じる人々の群れですが、ペンテコステと呼ばれる日の前から、イエスを信じる人々の群れは存在していたからです。では、ペンテコステの前と後では何が違ったのかといえば、それは人々に「イエスは主である」と公に告白する勇気があったか、なかったか、その違いにあります。ペンテコステの前には、イエスを信じる人たちは一緒に集まってはいたのですが、しかしそれは人目を忍んで、隠れて集まっていました。それは彼らが迫害を恐れていたからです。なぜ彼らはビクビクしていたのか?それは彼らの絶対的な指導者であるイエスが犯罪者として処刑されてしまったからでした。イエスが十字架刑で殺されたことの意味は重大です。なぜなら十字架刑とは宗教的な罪に対してではなく政治的な罪、特に国家転覆罪などの暴動や反乱に加担した人物をみせしめとして殺すための方法だったのです。端的に言えば、イエスは当時の超大国であり、ユダヤを支配していたローマ帝国に反乱を企てた者として殺されたのです。もちろん、イエスは暴力的な反乱などはまったく考えてはいませんでしたが、イエスを処刑した側はそのような嫌疑でイエスを殺したのです。となると、イエスの仲間だとみなされてしまうと、彼らもまたローマに対する反乱を企てる危険分子だとみなされて、逮捕され最悪の場合は殺されてしまうかもしれません。弟子たちはそれが怖かったので、イエスが復活したのを目撃してこの人こそ本物の救い主だと確信したものの、その確信を公の場で告白することを恐れたのです。そんなことをすれば逮捕されて殺されてしまうかもしれないからです。

このように、非常に現実的な恐れからイエスの弟子たちは自らの信仰を告白することを恐れました。彼らは復活した主イエスを目撃したことで、「この人こそ本物の救い主だったのだ」という強い確信を得ました。しかし、心の中で強く信じることと、それを人々の前ではっきりと告白することとは別物なのです。つまりは、イエスの復活を目撃するという、彼らの世界観をひっくり返すような衝撃的な経験さえも、命をも恐れずにその信仰を告白するという勇気までは彼らに与えてはくれなかったのです。しかし、歴史を振り返れば分かるように、こうして怯えて隠れていた弟子たちは、これから命がけで世界中にこの犯罪者として惨めに十字架で死んだイエスこそ本物の世界の王なのだという、初めて聞く人にはきちがいじみた福音を世界に届け、その多くは殉教の死を遂げています。では、なぜ彼らはこんなに変わったのでしょうか。なにが彼らに、命がけで福音を届ける勇気を与えたのでしょうか?その答えが、ペンテコステの日に彼らに激しく降った「聖霊」でした。聖霊は彼らを劇的に変えました。彼らに勇気を与えました。聖霊に押し出されて、使徒たちは世界中に出て行ったのです。

このように、「聖霊」というお方は私たちを劇的に変える、作り変える力を持ったお方です。今日の説教は、使徒パウロの書簡から、この私たちを「変える」聖霊の力について学んで参ります。今日の説教で特に強調したいのは、パウロの神学における「聖霊」の重要です。パウロの神学というと、「信仰義認」ですとか「十字架の神学」ということが言われますが、実際はパウロの神学、特に救済論においてもっとも重要なのは「聖霊」です。けれども、パウロ神学というと、実際のところ多くの人が真っ先に思い浮かべるのはやはり「信仰義認」ではないでしょうか。つまり「行いではなく信仰で救われる」という教理です。このように聞くと、「救われるためには行いは必要ないんだ。信じるだけでいいんだ」という風に考える方がとても多いように思います。キリスト教の福音とは、何の行いがなくても、頭で、心で信じれば救われるということなのだ、なんて簡単なことでしょう!というように説明されることも少なくないのではないでしょうか。しかし、聖書はなんと言っているでしょうか。主イエスはこう言われました。

わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者がみな天の国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです。(マタイ7:21)

と、このように救われるのは「行う」人だとはっきりとおっしゃっています。また、その主の兄弟ヤコブもこう言っています。

あなたは、神はおひとりだと信じています。りっぱなことです。ですが、悪霊どももそう信じて、身震いしています。ああ、愚かな人よ。あなたは行いのない信仰がむなしいことを知りたいと思いますか。(ヤコブ2:19-20)

つまり、頭で信じるだけで救われるのなら悪霊も救われるということになります。悪霊たちはイエスが全世界の主であることを強く確信していますから、彼らもみんな救われることになってしまいます。しかし、それがおかしいことはだれでも分かるでしょう。そして「信仰義認」を説いたパウロもこう書いています。

あなたがたは、正しくない者は神の国を相続できないことを、知らないのですか。だまされてはいけません。不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、盗む者、貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪をする者はみな、神の国を相続することができません。(第一コリント6:9-10)

このようにパウロは正しい行いをしない者は救われないとはっきり述べています。しかも、一度ならず何度も述べています。こうしてみると、「行いはいらない、信じるだけでよい」というのは明らかに非聖書的な主張なのです。確かに、私たちは価なしにキリストの贖いによって義とされます。義とされるとは、神から遠く離れた状態から、神との正しい関係に入る、戻されるということです。しかし、神との正しい関係にあるからこそ、私たちはその後は正しい歩みを続ける必要があります。正しい歩みとは、つまりは正しい行いです。ですから「行いはいらない、信じるだけでよい」というような言い方は、聖書を真面目に読むならば、おかしいのは誰でも分かります。でも、パウロは「律法の行いではなく、キリストのピスティスによって義とされる」と述べているではないですか?という方もおられるでしょう。この問題については、キリストの信仰と訳される「キリストのピスティス」とは一体どういう意味なのかをしっかりと考える必要がありますが、今日の説教ではこのテーマには入りません。しかし、このパウロの難解な言葉を別にすれば、イエス御自身のことばを含む聖書の圧倒的な証言は、「救いに行いは不要だ」などということは決して言ってはいないのです。それでも、そういう考え方が流行ってしまうのは、そのほうが私たちにとって都合が良い、楽だからなのかもしれません。しかし、そんな考えでいると終わりの日に後悔することになりかねません。

でも、そういわれると私たちは困ってしまいますよね。「そんなことを言われても、私は正しく生きるなんてことはできません。それができないから、こうして救いを求めているのではないですか」という方もおられるでしょう。そして、キリスト教の教理でしばしば言われるのは、「大丈夫です。あなたが正しい行いができなくても問題ありません。なぜならあなたが行うべき正しい行いは、キリストが代わりにやってくださったからです。あなたは、キリストがあなたに代わってやってくださった行いを、信じるだけで自分のものとすることができるのです」というような教えがあります。言い方が悪いですが、これは替え玉受験のようなもので、あなたが受けるべき人生というテストをキリストが代わりにやってくださったということです。しかし、聖書には本当にそんなことが書いてあるのでしょうか?こう考えている方は、自分自身でしっかり聖書を確かめてみることをお勧めします。

パウロはそのような教えではなく、まったく別のことを語っています。それは自分でやらなくてもイエスが代わりにやってくれるというような話ではなく、あくまで自分でやるのですが、しかし一人でやるのではない、聖霊がついてくださるということです。「聖霊」があなたを変える、聖霊の力によって、ダメだったあなたは正しい歩みができるようになる、ということを語っているのです。それが今日の箇所のエッセンスです。パウロは、なぜ私たちが正しい行いができないのかといえば、私たちが「肉」の力に囚われているからだと言います。今日の7節で、パウロはこう説明しています。

というのは、肉の思いは神に対して反抗するものだからです。それは神の律法に服従しません。いや、服従できないのです。

私たちは、自分では良くないと思っていても、つい欲望に負けて罪を犯してしまうということがあります。女性の方々を前にして不愉快な話をするのをお許しいただきたいのですが、最近はNHKのニュースなどでも毎週のように痴漢の報道があります。それも学校の先生とか警察官とか、社会の中で一番信頼されるべき人たちがそういうことをしてしまったという報道が後を絶ちません。彼らがしばしば言うのは、「欲望に負けてしまった」という言い方です。悪いと分かっているのに、欲望に突き動かされてしまったというのです。もちろん性被害に遭われた方々の恐怖や無念を思えば、こんな言い訳は許されないのですが、しかし人間は弱い存在でもあります。あの神の人のダビデでさえ、衝動的な性欲に負けて彼の後半生を台無しにしてしまったのですから。しかも今日のテレビやインターネットの広告は、私たちの欲望を刺激するものばかりです。そういう意味で、現代人は大変な時代に生きていると言えるかもしれません。

パウロは、このように肉の欲望に振り回されている人に対して「福音」を伝えました。ローマの人たちにとっても、欲望を抑えるというのは大変重大な関心事だったのです。では、具体的にどのようにして欲望に打ち勝つことができるのでしょうか?パウロの示したポイントは二つです。ひとつは、過激に聞こえるかもしれませんが、キリストと共に十字架に架かって、それで肉の働きを殺すというものです。パウロはガラテヤ書の5章24節でこう述べています。

キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。

これと同じことを、パウロはローマ書簡でも語っています。それがローマ書6章6節です。お読みします。

私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなったためであることを、私たちは知っています。

このように、パウロは繰り返し私たちの罪のからだ、肉のからだは十字架につけられたのだと語ります。しかし、私たちが文字通りに十字架に架かるわけではありませんので、これは一種の比喩的な表現だということになります。ではパウロは何を言いたかったのでしょうか?その点を考えて見る前に、パウロが欲望に打ち勝つ二つ目のポイントに挙げたものを見てみましょう。一つ目はキリストと共に十字架に架かることですが、二つ目は「聖霊に従う」ということなのです。パウロは今日の箇所の13節でこう述べています。

もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行いを殺すなら、あなたがたは生きるのです。

このように、パウロは聖霊が肉のからだの働きを殺すと述べています。しかし、十字架に肉の欲望を付けなさいとか、御霊によってからだの行いを殺しなさいとかいわれても、なんだかとても曖昧で良く分からないですよね。じゃあ、具体的にはどうすればよいのか、と思われるのではないでしょうか。

私たちはどうすれば聖霊に従うことができるのでしょうか?いえ、もっと分かりやすく言えば、どうすれば聖霊が私たちの上に働いてくださるのでしょうか。単刀直入に言えば、聖霊は私たちが福音を聞くことで私たちの上に働きます。この場合、福音を「イエスの生涯」と言い直してもよいでしょう。私たちがイエスのご生涯の話を聞き、そしてその生き方に倣いたい、そのように生きたいと願う時に聖霊は私たちの上に強く働くようになるのです。これがポイントです。

ここで忘れてはならないのは聖霊、神の霊とはキリストの霊、キリストの御霊とも呼ばれることです。聖霊とは主イエスご自身の霊なのです。ですから私たちに聖霊が降るということは、私たちが主イエスそのものを受けるということなのです。主イエスがある意味で私たちに乗り移って、私たちを強め、助け、ご自身のように生きる力を私たちに与えてくださるのです。よくスポーツ選手が、試合の時に先輩の選手の力が自分に乗り移って、思わぬ力を発揮できた、というようなことを言うことを聞きますよね。ある意味で聖霊を受けるというのはそういう意味であり、パウロはこのことを非常に劇的な言い方で表現しています。これはガラテヤ書の一節ですが、より原文に近い訳ということで新改訳ではなく聖書協会共同訳からお読みします。ガラテヤ書の2章19節と20節です。

私はキリストと共に十字架につけられました。生きているのは、もはや私ではありません。キリストが私の内に生きておられるのです。私が今、肉において生きているのは、私を愛し、私のためにご自身を献げられた神の子の真実によるものです。

福音の私たちを救う力とは、自分もイエスのように生きたいと思わせる力であり、そして実際にそのように生きる力を私たちに与えるのは主イエスご自身の霊なのです。自分の体をキリストと共に十字架に付けなさい、ということの意味は、私たちも自分の人生においてキリストが苦しまれたような苦難を受けることを恐れるな、ということです。なぜなら、そのような時にこそキリストの霊が私たちの内に強く働くからです。私たちがイエスのように苦しむとき、そのような時には私たちは肉の欲望に支配されずに、むしろ主イエスの力に満たされるのです。主イエスが私たちと共にいてくださる、という確信を抱くときはすなわち聖霊、主イエスの霊が私たちと共にいてくださるときなのです。したがって、聖霊を受けたいと願うならば、イエスの生涯を深く学び、常に心に留めておくべきなのです。

まとめになります。キリスト教神学において、聖霊論は一番難しいとしばしば言われます。しかし、「聖霊」という概念が難しく感じられてしまうのは、私たちが三位一体という大事な教理を忘れたり、見失ったりしてしまうからです。キリスト教には「キリスト」という神と「聖霊」という神の別々の二人の神がいるのではありません。キリストと聖霊とは、区別はできますが、それでも同じ唯一の神なのです。イエスという方は人間として地上を歩まれた歴史上の人物で、聖霊は霊であり肉体を持ったお方ではありません。しかし、私たちの体と心が密接不可分で一つであるように、キリストと聖霊も一つであり分離できないのです。ですからキリストと聖霊が思うこと、願うことは一つです。聖霊の願われることはすなわちキリストの願われることです。ですから「聖霊を受けなさい」というのは「キリストを受けなさい」ということであり、「御霊に従いなさい」とは「キリストに従いなさい」ということなのです。そして私たちがキリストに従おう、キリストのように生きようと強く願う時に聖霊はもっとも強く私たちの内に働き、私たちを作り変えてキリストに似たものとしてくださるのです。ですから、聖霊を受けたいと願う人がすべきことは、主イエスご自身のことをより深く知る事です。イエスをより深く理解すればするほど、イエスの霊は私たちにより強く働きかけるからです。当教会では、これまで二年にわたってサムエル記を読んできましたが、いよいよ今度の後半は「マタイ福音書」の学びに入ります。この福音書を通じて主イエスの事を知れば知るほど、聖霊は私たちの人生に強く働きかけるでしょう。聖霊を受けるために、今後もイエスに学び、イエスに倣って歩みましょう。お祈りします。

主イエス・キリストの父なる神様、ペンテコステ礼拝を持てたことを深く感謝します。私たちもますます主イエスの事を知り、聖霊の力に与ることができますように。われらの平和の主イエス・キリストの聖名によって祈ります。アーメン

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反乱の後に第二サムエル19章1~30節 https://domei-nakahara.com/2025/06/01/%e5%8f%8d%e4%b9%b1%e3%81%ae%e5%be%8c%e3%81%ab%e7%ac%ac%e4%ba%8c%e3%82%b5%e3%83%a0%e3%82%a8%e3%83%ab19%e7%ab%a01%ef%bd%9e30%e7%af%80/ Sun, 01 Jun 2025 00:27:00 +0000 https://domei-nakahara.com/?p=6464 "反乱の後に
第二サムエル19章1~30節" の
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1.序論

みなさま、おはようございます。2023年の7月からサムエル記の講解説教を始めましたので、この6月で二年が経ったわけですが、いよいよサムエル記の説教も今回を含めて残すところあと二回になります。サムエル記そのものはこの19章の後もまだ続いていきますが、サムエル記の主人公であるダビデの生涯という意味では、このアブシャロムの乱を一つの区切りとしてよいと考えています。ですから今日の話でアブシャロムの乱について振り返り、次回の説教ではダビデの生涯の全般を考えて、サムエル記の説教を終えるということです。

前回見てきましたように、この反乱はアブシャロムの死という悲劇的結末で幕を閉じます。これはダビデが最も望まなかった、彼にとっては最悪の結末だったわけですが、しかし皮肉にもアブシャロムの死によってダビデの家の大混乱は一旦落ち着きを見せることになります。このアブシャロムの乱とはいったい何だったのか、それをどう理解すべきか、ということですが、これまで繰り返し述べてきたように、これはバテ・シェバ事件の引き起こした結果でした。つまり神はダビデに自らの犯した罪の刈り取りを求めたのですが、その刈り取りの一つがアブシャロムの乱だということです。使徒パウロは「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。」(ガラテヤ6:7)と書いていますが、ダビデは自らが蒔いた種、つまり人妻の強姦とその夫の殺害という悪の種が熟し、その刈り取りをしたということです。バテ・シェバ事件やその夫のウリヤ殺害については、神はダビデを赦したではないか?と思う方もおられるでしょう。しかし、罪が赦されるということと、罪の刈り取りをすることとは別なのです。ここは非常に大切なポイントなので、詳しくお話しします。

いきなりとんでもないたとえだと思われるかもしれませんが、あなたの大切な家族や友人が誰かに殺害されたとします。あなたはその人殺しを赦せないと思うでしょうが、しかし彼がその行為を深く反省しているのを知って、赦してあげようと思うようになりました。あなたはその殺人犯に会って、「あなたを赦します」と言うことが出来ました。その犯人もあなたのことばを涙を流して聞いていました。しかし、だからといって彼がその犯した罪の償いをしなくてもよいということになるでしょうか?すぐに刑務所から出て、何事もなかったように日常生活を送ってよいものでしょうか?そうではないでしょう。あなたも、彼を赦したとしても、彼にはきちんと罪を償ってほしいと願うでしょう。神とダビデの関係も同じです。確かに預言者ナタンは、神がダビデの罪を見過ごしてくださったと語りました。ダビデと神との関係は完全に決裂することはなかったのです。しかし、ではダビデが犯した罪とその結果は消えてなくなったのでしょうか?いいえ、それどころか実際は、ダビデがバテ・シェバ事件を起こしてからというもの、ダビデの家には忌まわしい、呪われたような事件が立て続けに起こりました。まず、ダビデの娘のタマルを、ダビデの息子のアムノンが強姦するという事件が起きました。兄妹間の近親相姦、しかも強姦という国を揺るがすようなスキャンダルが王家の中で起こってしまいました。しかし、ダビデはこの事件を黙認してしまいました。このダビデの無責任な行動に抗議するかのように、タマルの兄であるアブシャロムが妹を辱めた第一王子のアムノンを殺害します。動機は理解できますが、しかし王子を暗殺するというのは国家を揺るがす事態です。しかし、このクラウン・プリンス殺害という大事件でさえ、ダビデはうやむやにして、アブシャロムの罪を問うとはしませんでした。王の仕事、あるいは一家の大黒柱としての父親の大切な仕事の一つは「裁く」ことです。公平な裁きを執行し、国家の、あるいは家族の秩序を維持するというのが大切な役割なのです。時には厳しい、非情な判断を下さざるを得ない時もあるでしょう。三国志の諸葛孔明の「泣いて馬謖を斬る」という故事にあるように、自らの心情に反してでも違反者には厳罰を下すということが指導者には求められます。ダビデもイスラエルという国家を預かる者として、またダビデ王家の家長として、公平な裁きをする必要がありました。

しかしダビデは王としての責務、家長としての責務よりも私情を優先しました。大きな罪を犯した子供たちの一人として処罰しませんでした。その結果、一番苦しんだのは兄に強姦されて処女を奪われたタマルでした。ダビデは彼女の名誉回復のために何もしなかったのです。その結果、ダビデの家にはさらに恐ろしい惨劇が起ることになりました。そして、おそらくこちらの方がより大きなダビデの根深い問題なのですが、ダビデが息子たちの罪を裁かなかったのは、それによって自分の罪の問題が蒸し返されることを嫌った、恐れたということがあったということです。ダビデは長男アムノンの強姦の罪を裁いて、死罪とまではいかなくとも彼の王位継承権を剥奪して僻地への流罪とするというぐらいの処置をとる必要がありました。けれども、そのように厳しい処置を取ったならば、ではなぜダビデ自身の罪への処罰は何もないのか?という疑問の声が上がる可能性がありました。もちろん相手は王様ですので、表立ってダビデを糾弾する勇気のある人はいないとしても、内心そのような不満を抱く人たちは少なくなかったでしょう。今の日本のクリスチャンの間でも、誰かを故意に殺した人がいて、その人が心から悔い改めて神の前にへりくだったのだから、もうその人の罪についてとやかくいうのはやめよう、神様に赦されたのだからそれで終わりにしよう、という話にはならないでしょう。ですから、ダビデも神の前に謙虚にへりくだるのは当然のこととして、自分が治める国民に対してもしっかりと責任を取る必要がありました。しかしダビデはそのようなことを何もしなかったのです。そのダビデが自分の子どもには厳罰で報いるということになれば、片手落ちの非難は免れないでしょう。ダビデは結局自分の罪に真摯に向き合えなかったのです。そのために息子たちの罪の問題を取り扱うことができませんでした。しかし、このように罪の根本原因と向き合うことを拒んだために、さらなる問題が生じるのです。ダビデがこの負のスパイラルを止めるには、どこかで自らの罪の問題と向き合う必要がありました。神はダビデにそれを求めておられたのです。しかしダビデはそれから逃げ続けました。

そして今回のアブシャロムに対してもそうです。今回のアブシャロムの乱の根本的な原因が親子の対立、息子の父親に対する怒りがあったのだとしても、これは国家を転覆させかねない大事件で、しかもその内戦の結果数多くの死傷者が出たのです。そのような大事件を引き起こしたアブシャロムは当然処刑されるべきなのですが、またもやダビデはその責任をうやむやにし、アブシャロムを助けようとしました。そのことに怒ったのが今やダビデ軍団の大黒柱、大将軍のヨアブでした。ヨアブはダビデから直接アブシャロムを助けてくれと頼まれていたにもかかわらず、それを無視してアブシャロムを殺しました。そうしないとこの内戦が終わらないからでした。今回の場面はその結果を受け止めきれなかったダビデに対してヨアブがどのような言葉をかけたのか、そこから始まります。では、さっそくその場面を見て参りましょう。

2.本論

さて、前回見てきたように、わが子アブシャロムの死を知ったダビデは、人目もはばからずに衆目環視の下で大泣きします。門の屋上に上がって泣いたとありますから、皆がそれを目撃していたのです。本来なら勝利の喜びに沸き上がるはずのダビデ陣営は、文字通りにお通夜のようになってしまいました。サムエル記の記者は端的に、「それで、この日の勝利は、すべての民の嘆きとなった」と書いています。本当は戦勝記念のお祭りが開かれるところが、民は王に遠慮して、自分の住居に戻ってしまいました。しかし、このような状況を快く思わない人たちもいました。兵士たちはダビデのために命がけで戦ったのです。ダビデが敗北すれば、彼に従った人たちもアブシャロムによって処刑されるか、あるいは赦されたとしても新体制の中で冷や飯食いに甘んじたことでしょう。ですから彼らは必死に戦って、敵の大将を討ち取ったのです。それなのに、我らが大将は自分たちの獅子奮迅の働きに感謝もせずに、むしろ敵の大将ではなく自分が死ねばよかったと泣き出す始末です。彼らからすれば、俺たちは何のために必死に戦ったのか、ということになります。そして、こうした兵士たちの気持ちを一番よく理解していたのが、彼らの先頭に立って戦ったヨアブでした。ヨアブは知っていました。自分だけがダビデを叱ることができるのだと。このままダビデが民の前で女々しく泣き続けていれば、この王国は崩壊してしまう、ここでダビデを正気に戻さなければならないと。

ヨアブはダビデを激しく叱責します。あなたはアブシャロムの代わりに自分が死ねばよかったと言うが、ではなぜアブシャロムと戦ったのか、いや自分の部下たちをアブシャロムと戦わせたのか、と。それはつまりあなたの部下がアブシャロムを殺すことより、あなたの部下がアブシャロムに殺されるほうがよかった、ということではないか。部下たちに「生きて帰って来い」と命じるのではなく、「俺の息子のために死んでくれ」と言うようなものではないか。これは命がけで戦った部下たちへの侮辱であり、こんなことをすれば国は立ち行かなくなる。そのように諭して、ヨアブは最後にこう言いました。

それで今、立って外に行き、あなたの家来たちに、ねんごろに語ってください。私は主によって誓います。あなたが外においでにならなければ、今夜、だれひとり、あなたのそばに、とどまらないでしょう。そうなれば、そのわざわいは、あなたの幼いころから今に至るまでにあなたに降りかかった、どんなわざわいよりもひどいでしょう。

ここでヨアブは主の名によって、つまり預言者として語っています。今もしダビデが兵士や民に語りかけて、彼らに感謝の気持ちを伝えなければ、国は崩壊し、これまでの災いよりもさらに酷い災いがあなたを襲うだろう、という恐るべき預言です。ここまで言われてようやくダビデは正気を取り戻し、立ち上がって民の前に出ました。ここでダビデとイスラエルの民の信頼関係が崩壊するという最悪の事態は回避できたのでした。ダビデにとってヨアブは意のままにならない目の上のたん瘤のような部下でしたし、確かに彼は何度も独断専行をするような部下でしたが、しかし彼なしにはダビデの王朝はとっくに崩壊していたでしょう。今回も、ヨアブのおかげでダビデ王朝は救われたのでした。ヨアブはまさに「汚れ役」ですが、しかしこういう人物なしには組織も立ち行かないというのがこの世の現実なのでしょう。

しかし、ダビデはヨアブのこうした貢献を正当には評価せず、どこか疎ましく思っていました。それも当然かもしれません。ヨアブはもはやダビデ王朝の最高権力者であることが、隠しきれない事実として人々の間で認識されるようになっていたからです。ダビデもヨアブの言っていることが正しいのは分かっていましたが、しかしこれ以上ヨアブが増長するのを黙って見ているわけにもいかないという思いが強くなっていました。そこでダビデは、禁じ手ともいうべきことを考え出します。それはなんと、反乱軍の親玉、アブシャロムの反乱に加担したヨアブの親戚のマアサをヨアブに代えてダビデ軍団の長として迎え入れるという提案でした。これは反乱軍を懐柔するという作戦なのかもしれませんが、しかし今やアブシャロム軍は壊滅しています。このような譲歩を行って相手を懐柔する必要などなかったのです。またヨアブからすれば、自分の顔に泥を塗られたような思いだったでしょう。なんだかんだ言っても、今回のアブシャロムの乱に勝利したことの最大の功労者はヨアブです。にもかかわらず、恩賞が与えられないどころか、自分の親類の年下の若造の部下に降格させられるのですから、腹の虫がおさまるはずがありません。実際、このマアサは後にヨアブに暗殺されます。こうなることが分かり切っているのに、このような提案をすること自体、ダビデのどこか大人になり切れないといいますか、王たる器ではないことがここでも露呈しているように思えます。

ともかくも、反乱軍はダビデに全面的に降伏してダビデをエルサレムの王城に迎え入れることを決断します。かつてエルサレムを逃げ延びようとしたダビデに呪いの言葉を投げかけたシムイという男がいました。彼はサウル家の家来で、自分の主君の家を滅ぼしたダビデを恨んでいて、ダビデに呪いの言葉を浴びせたのでした。しかし、そのダビデが勝利者として戻ってくると聞いて、手のひらを反すようにしてダビデに平謝りに誤ります。なんとも情けない話ではありますが、シムイも生き延びるために必死で、恥も外聞もないわけです。ダビデの家来の中には、このような人物は厳罰に処すべきだという意見もありましたが、そこはダビデの政治家としての顔が出てきます。ここでシムイを厳罰にしてしまうと、他の反乱軍に与した人々が自分も罰されてしまうのではないかと不安を覚えて、再びダビデに対して反旗を翻してしまうかもしれません。そこでここは寛大な顔を見せて人心を落ち着かせることを選びました。また、このように恥も外聞もないシムイは放っておいても今後の脅威にはならないという判断も働いたのでしょう。シムイに対して、あなたを殺すことはないと誓って安心させました。しかし、ダビデはシムイのことを赦してはいなかったのです。彼はソロモンに遺言してシムイを殺させているからです。ダビデもなかなか執念深い男なのです。

シムイに続いて、今度はダビデの盟友のヨナタンの忘れ形見であるメフィボシェテがダビデを迎えに出てきました。ダビデがエルサレムを逃げ延びるときに、メフィボシェテの家臣のツィバという男がやってきて、メフィボシェテはダビデを裏切ったと告げました。ダビデはその話を信じて、あるいはもしかすると信じたふりをして、メフィボシェテのすべての所領をツィバに与えるという約束をしたのでした。しかし、この話は嘘、つまり讒訴であって、ツィバは足が悪くて動けない主君のメフィボシェテを裏切ってダビデに取り入ろうとしたのでした。メフィボシェテはそのような事情をダビデに話して、自分は決してダビデを裏切ってなどいないと訴えました。こうなると、ツィバが嘘をついているか、あるいはメフィボシェテが嘘をついているのか、二つに一つです。ダビデとしては真実を明らかにすべきでした。しかし、ここでもダビデは判断を下す、さばきを下すことを回避します。そして玉虫色の解決策を提示します。ダビデはメフィボシェテになぜ言い訳ばかりするのかと叱責しながらも、彼の言い分も認めて、彼の所領をツィバと二等分せよと命じます。これもおかしなことで、ツィバが嘘をついているならメフィボシェテに全部所領を戻すべきなのですが、どっちが嘘をついているのかはまあどうでもいいじゃないか、とばかり二人に財産を二等分するように命じたのです。この一件からも、ダビデは裁き人としてはもはや機能していないことが明らかになったのでした。

3.結論

まとめになります。冒頭で申し上げたように、今回のアブシャロムの件は神がダビデに自らの罪の刈り取りをさせるという流れの中で起こった出来事でした。ダビデはその中で、自らの罪の問題に向き合いつつも、イスラエルの王として人々の罪を正しく裁くという責任も果たしていかなければなりませんでした。そしてダビデがもし裁き人として正しい行動をしていたのなら、ダビデの家に起った不幸の連鎖は途中で止まったはずでした。しかし、ダビデは自分を裁くことも他人を裁くこともできませんでした。その結果、ダビデの家の崩壊は加速していき、ついに内乱という最悪の結果をもたらしてしまったのです。この負の連鎖を止めるためにダビデはアブシャロムを裁かなければなりませんでした。しかしダビデはそれをせずに、そのためにヨアブがダビデに代わって裁きを執行しました。しかし、そのヨアブの行動をダビデは快く思わずに、ヨアブの顔に泥を塗るような人事でそれに応えました。そのために、たしかにダビデ家の崩壊という負のスパイラルは一旦ここで止まるのですが、未来にさらなる禍根を残し、ソロモンが王となる時に再び大きなお家騒動が起きることになります。ダビデはヨアブを恨み続けていて、ソロモンにヨアブを殺せと遺言するのです。ダビデ家の流血はまだ終わっていなかったのです。 

最後に、このアブシャロムの乱を通じて、聖書が私たちに何を語りかけているのか、何を教えているのかを考えてみたいと思います。この一連の出来事を読み進めて、なかなか「恵まれた」という気持ちにはならないでしょう。人間社会の浅ましい現実、信仰の勇者だと思っていたダビデの惨めな有様、しかもこれだけの悲劇を経験した後もダビデがあいかわらずご都合主義的な対応に終始しているのを見ると、なんとも救われない気持ちになります。しかし、聖書はそれだけ正直に人間のありのままの姿を描いていると言えます。なぜ私たちに宗教が必要なのか、救いが必要なのかといえば、私たちがそれだけ浅ましい本性を秘めた人間だからです。ダビデも立派な人でしたが、権力の高みに上るや否や、たちまち堕落してしまいました。私たちも、自分は良い人間だ、そんなに悪い事などしないと思っていても、もし大きな権力を振るえる立場に身を置くと、たちまち誘惑や権力の罠に堕ちてしまいかねません。ですから私たちは、大人になっても、いくつになっても自分たちを導いてくれる方が必要なのです。「自分は大丈夫だ」と過信しないことです。私たちもいつ何時、ダビデと同じような迷路に堕ちてしまうかもしれないのです。そして、私たちを導いてくださるイエス・キリストは私たちの弱さに同情しないようなお方ではありません。主も私たちと同じように人間としてのあらゆる苦しみや誘惑を経験されました。だからこそ、私たちをよく理解した上で導くことができるのです。ダビデを反面教師として、また主イエスを見上げて今週も歩んで参りましょう。お祈りします。

歴史を導かれる神様、そのお名前を賛美します。今回はアブシャロムの乱が終わった後のダビデの行動を見て参りました。責任ある地位に就いた者が、その地位に相応しく行動することの難しさを思わされた箇所でもありました。私たちも様々な責任を負う場面がありますが、そのような際にはそれにふさわしい行動ができるように力をお与えください。われらの平和の主イエス・キリストの聖名によって祈ります。アーメン

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主の後ろに従うマルコ福音書8章31節~34節 https://domei-nakahara.com/2025/05/25/%e4%b8%bb%e3%81%ae%e5%be%8c%e3%82%8d%e3%81%ab%e5%be%93%e3%81%86%e3%83%9e%e3%83%ab%e3%82%b3%e7%a6%8f%e9%9f%b3%e6%9b%b88%e7%ab%a031%e7%af%80%ef%bd%9e34%e7%af%80/ Sun, 25 May 2025 05:45:00 +0000 https://domei-nakahara.com/?p=6449 "主の後ろに従う
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矢田洋子

「私の後ろに従って来なさい」とイエスさまが言われたのは、福音宣教の旅をするイエス・キリストが最初に弟子たちに受難予告をしたその場面でした。イエスさまは、今ここで、初めてご自分の救い主としての使命を、弟子たちにはっきりとお話になりました。ご自分が苦しみを受けて排斥され殺されるということ、そして復活するということ、それこそがご自分の使命なのだということを、弟子たちにここで初めてはっきりとお話しになりました。

しかし、弟子たちはこの時、イエスさまのこの言葉の意味を理解することは、全くできませんでした。イエスさまは、多くの病人を癒し、力強い教えを語る、力ある輝かしいお方でした。イエスさまが「静まれ」というと、荒れ狂う嵐はすぐに静まりました。イエスさまが「出ていけ」というと、悪霊は取りついた人から出て行きました。多くの人がイエスさまの教えを聞こうと集まって来て、イエスさまの力強い教えに喜んで耳を傾けました。イエスさまの癒しによって、足の萎えた人は立ち、耳の聞こえない人は聞こえ、目の見えない人は見えるようになりました。

それだからペトロは告白したのかもしれません。「あなたはキリストです」と。この時代に「キリスト」とは、ただ一般的に、特別な力を持った救い手を指しています。救い主という一般名詞です。新共同訳では、その「一般的さ」を強調するためだと思いますが、ここを「あなたはメシアです」と訳しています。ただこの世を救ってくれる人、すごい王様、そんな意味にすぎないものでした。この時、ペテロは、イエスさまが救い主であるという本当の意味を全く理解できていなかったのです。力強いイエスさまは、キリスト、メシアなのだ。救い主なのだから、殺されるなんていうことがあるわけがない。ペテロは、イエスさまを脇にお連れして、いさめ始めました。「いさめる」「忠告する」とは「叱る」と同じです。ペトロがイエスさまを叱ったのです。イエスさまはこういう働きをしてくれるはずだと決めつけて、メシアはこうあるべきだと決めつけて、ペテロが上になり、イエスさまを下において叱ったのです。・・イエスさまの後ろに従ってきたつもりだったのに、いつの間にか前へ出て、ペテロはイエスさまに教えようとしていました。あなたはこういうお方のはずです。救い主キリストはこうあるべきである。殺されるなどと言ってはなりません。・・・他人事ではありません。私たちも、私たちは十字架と復活の出来事を知っているはずなのに、神さまの前に出て、神様に自分の確信を押しつけようとしていることがあります。神は愛である、正義である、秩序であるから、だから神はこうあるべきであります。教会はこうあるべきであります。キリスト教信仰はこうあるべきであります。・・従っているつもりだったのに、いつの間にかイエスさまの前へ出て、イエスさまの上に立って意見していることがあることがあります。

イエスさまはそのペトロを叱りました。「下がれ、サタン」。「サタン」、私たちは、イエスさまがここでペテロを「サタン」と呼ばれたことに衝撃を受けます。「サタンのような者」ではなく、「サタンよ、ペテロから出ていけ」でもなく、ペテロを「サタン」と呼んでいるのです。・・「サタン」という言葉は、旧約聖書の原語であるヘブライ語由来の言葉で、旧約聖書でもともと「サタン」とは、「敵対する者」「妨げる者」という普通名詞でした。注解書によりますと、マルコ福音書では、「サタン」は、「神の御心を妨げる者」という意味で用いられているとありました。ペテロのここでの発言は、イエスさまを十字架から遠ざけようとする行為です。十字架の出来事は、神さまの最大の愛の出来事ですから、それを邪魔する者は、神さまの御心に決定的に反した者です。その意味ではサタンそのもの。・・・でも、この「サタン」という言葉が、あまりに強烈なので、私たちはここで、突然、断罪され切り捨てられるように受け取ってしまいます。

ペテロだって、悪気があったわけではありませんでした。ペテロなりに一生懸命だったのです。「あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」イエスさまはそう叱って言われましたが、人間に神のことが全部わかるはずがありません。人間は、どんなに神様の御心を尋ね求めようとしても、そうしているつもりでも、人のことを思って、人間世界の考えと感情を引きずってしか、何を言うことも、何をすることもできないのです。

たしかに、ペテロの理解は間違っていました。でも、ペテロは、イエスさまを救い主だと信じていたから、ああ言ってしまったのです。イエスさまがこの世の中を変えてくれる救世主だと思っていたから、そしてイエスさまが大好きだから、ああ言ったのです。それなのに「サタン」と・・・神様の御心を理解することのできない私たちは、いつ神様に「サタン」と言われるかわからない。そう思うと、神様に何も言ってはいけないんだと、何を言うことも怖くなります。神様に捨てられないように、自分を捨てなければと自分を抑圧して、自分が何も考えないように、何も感じないように自分を強いるしかないかと思ってしまいます。

しかし、イエスさまはここで、ペテロに「サタン」と非難して、切り捨てようとしているのではありません。「サタン」と呼びながら、同時に「下がれ」と言われているのです。「消え失せろ」ではなく「下がれ」です。「下がれ」は、直訳すると「私の後ろへ行け」です。イエスさまは、十字架の邪魔をしようとしたペテロに対して、「サタン」という激しい言葉でその間違いを指摘しながらも、同時に、「私の後ろへ」と言われているのです。

「下がれ」「私の後ろへ行け」・・それは、間違って前に出てしまった者を叱りつけて引き戻す、きびしい指導の言葉です。でも、切り捨てられるのではありません。「私の後ろへ」・・それは、後ろへと引き戻して、「後ろにいさせてくださる」、後ろに一緒に居させてくださるという言葉でもあります。どんな失敗をしても、何をしてしまっても、決して見捨てないでいてくださるイエス・キリストの姿がここにあります。私たちは、失敗を恐れて縮こまらなくてよいのです。どんな間違いをしてしまったとしても、神さまは私たちを決して見捨てません。

私たちが持っている信仰理解も、間違っているかもしれません。神を賛美しているつもりの私の言葉も行動も、福音伝道の妨げになるかもしれません。でも、私の思いを、私の確信を、素直に神様に祈り求めてよい、と聖書は言います。間違ったら怒られるでしょう。しかし、イエス・キリストが、ペテロをサタンと叱りながらも見捨てなかったように、私たちをも決して見捨てません。何をしてしまっても、神様は、間違いは間違いだと教えてくださり、そして、「イエスさまの後ろ」へ行くようにと導いてくださいます。

ペテロは今、「下がれ、サタン」「私の後ろへ行け」とイエスさまに叱られました。おそらくペテロはきっと、「サタン」というお叱りの言葉にびっくりして、立ちすくんでしまったに違いありません。ペテロは、後ろへ、一緒にいた弟子たちの一番後ろへ、そして群衆たちに紛れてもっともっと後ろへ遠く下がりながら、不安になっていたことでしょう。イエスさまは、そのペテロを放っておきません。イエスさまは言いました。「誰でも私について来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、私について来なさい。」「ついて来なさい」は「従って来なさい」「従いなさい」とも訳されます。イエスさまは、弟子たちと、群衆たちと、そして今叱られてどうしていいか分からなくなっているペテロに対しても「私に従って来たい者は、従いなさい。ついて来なさい」と呼びかけてくださったのです。ペテロは喜んで、イエスさまの後にくっついて、イエスさまと一緒に歩き出したことでしょう。

「私の後ろへ」・・それは、かつての召しの言葉、ペテロが初めてイエスさまに呼ばれたときの言葉でもありました。ペテロと兄弟アンデレは、ガリラヤ湖で漁師をしていた時、イエスさまから「私について来なさい」直訳すれば、「さあ、私の後ろへ」(マルコ1:17)と呼びかけられて、イエスさまの弟子としての人生をスタートしました。「私の後ろへ」。イエスさまの後ろが私たちの本来の居場所なのです。

「イエスさまの後ろ」は、イエスさまの後ろ姿をずっと見続けていられる場所です。イエスさまより前を歩こうとしてしまったら、イエスさまが見えませんから勝手な方向に行ってしまうかもしれません。勝手な方向へ迷い出て、イエスさまからはぐれてしまうかもしれません。でもイエスさまの後ろにくっついて歩いていれば、イエスさまを見続けていられる。イエスさまを見失って迷子になることはないのです。

主の後ろ姿を見続けていましょう。主の背中をいつも見ていられる、主の後ろにいましょう。主の後ろ姿を見続けることは、それがそのまま、主に従い行くことにつながります。主なる神さまと同じ方向を向いて、主の後ろを従い行くのです。神さまの背中をいつも見ている者は、生きて働かれている神さまの進み行かれるのと同じ方向へ、神さまの後ろにくっついて、歩み続けるのです。主の後ろで、主の後ろ姿を見続けるとき、人は神に聞き従う者へと変えられるということなのだと思います。

イエスさまに従うとは、イエスさまの後ろにいつもいること、イエスさまの後ろについて行くことです。イエスさまの後ろ姿を見続けて、主の栄光によって力と平安をいただきながら、イエスさまと同じ方向を向いて、一緒に歩ませていただくことです。ペトロはまた、イエスさまの後ろに従って歩み始めました。イエスさまの後にくっついて、イエスさまを見つめながら、日々何でもイエスさまに相談しながら、イエスさまから勇気も希望も知恵もすべてを与えていただきながら、歩みを続けたことでしょう。神さまは私たちにも、「後ろ」という素晴らしい居場所を与えて、一緒にいなさい、ついて来なさいと、招いて下さっています。「だれでもわたしついて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」

「自分を捨てて、従う」とは、大切な自分よりもイエスさまをこそ見つめる、ということです。自分を握りしめるよりも、イエスさまを握りしめて、イエスさまの後ろについて行くことです。「自分を捨てて従う」とは、決して自分の素直な感情や沸き起こる考えを無理に捨てて、足を引きずりながらいやなことをすることではありません。「自分を捨てる」というと、私たちはどうしても、日本文化にある滅私奉公のニュアンスに惑わされてしまいがちですけれども、イエスさまは決して、自分の感情や考えを無理やり捨てて命令通りに動くロボットになれ、とはおっしゃっていません。

イエスさまに従うとは、いつもイエスさまの後ろにいて、イエスさまをどんな時も見上げつつ歩むことです。主に従うとは、主の後ろで、主の栄光を見せていただきつつ、主と同じ方向を向いて歩ませていただくことです。「自分を捨てて」と言われると、私たちはどうしても、自分の力で「自分を捨てなければ」と思ってしまいます。自分の力で自分を抑えつけなければと考えてしまう。でも、自分をどうにかしようと自分にばかり集中してしまっては、従うべきイエスさまを見失ってしまいます。大切なのは、自分よりもイエスさまの後ろ姿に集中することです。自分を見てうつむくよりも、他人と比較して横をきょろきょろ見て動揺するよりも、大切なのは、ただ主の後ろ姿を見上げ続けることです。主が私たちに示してくださっている主の恵みの後ろ姿から目を離さず、ひたすら主の後ろを見続け、主から離れないようにすること、それが、そのまま、主の後ろに従うことになります。

ただ、それは、「自分の十字架を背負って」というのですから、ただ楽しいだけの簡単な道のりではないでしょう。十字架の道を歩まれるイエスさまについて行くのですから、険しい道です。自分自身の力ではとうてい無理だとしか思えません。この時、イエスさまに従ったペテロは、この後、イエスさまが十字架に付けられた時、イエスさまを知らないと三度も言って逃げてしまいます。ペテロは、「自分を捨てる」のではなく、イエスさまを捨てたのでした。・・・しかし、そのペテロも、イエス・キリストの十字架の死と復活が実現した後には、復活のイエスさまの命に生かされて、復活のイエスさまの後にしっかりとついてもう二度と離れず、福音を宣べ伝える者となりました。イエスさまの後ろという、本来の居場所で、神さまの平安と力に満たされて歩んで言ったのでした。

私たちにもそれが可能です。今を生きる私たちにとって、主が見せてくださる後ろ姿とは、第一に、歴史の中に働かれた神さまの出来事のことでしょう。つまり、聖書に記された啓示です。主の後ろ姿を見るとは、「イエス・キリストが私たちの救いのために、十字架で死なれ、復活された」という聖書が啓示する事実から、決して目を離さないことです。私たちは、この聖書を通して、主の後ろ姿を見る幸いが与えられているのです。この聖書が私たちに与えてられていることに感謝します。私たちは、何よりもこの聖書を通して神さま御自身を見、神様の栄光が私たちに働きかけてくださっている今をしっかりと受け取りたいと思います。

もちろんそれは簡単なことではないでしょうけれども、私たちを決して見捨てない神様が、私たちが、主の後ろという場所で、いつも喜びに満たされて、主に従っていけるようになるまで、恵みと憐れみを持って、導いてくださいます。私たちには、主の後ろという素晴らしい居場所が与えられているのです。そして、私たちがその「後ろ」という居場所から迷い出ようとするときには、その間違いを教えてくださり、またイエスさまの後ろへと引き戻して、本当にしっかりと自分の十字架を背負って主に従いゆく者へと導いてくださるのです。ですから、私たちはただ、その見捨てないイエス・キリストの神様の安心の中で、神様にすべての思いを打ち明けながら、どんな時もイエス・キリストをしっかりと見上げてついていきたいと思います。

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妻と夫第一ペテロ3章1~7節 https://domei-nakahara.com/2025/05/18/%e5%a6%bb%e3%81%a8%e5%a4%ab%e7%ac%ac%e4%b8%80%e3%83%9a%e3%83%86%e3%83%ad3%e7%ab%a01%ef%bd%9e7%e7%af%80/ Sun, 18 May 2025 00:59:00 +0000 https://domei-nakahara.com/?p=6420 "妻と夫
第一ペテロ3章1~7節" の
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1.序論

みなさま、おはようございます。これまで当教会では毎週サムエル記から講解説教を行い、月末のみ新約聖書から、現在は第一ペテロから説教をしております。今日は月末ではないのですが、来週の説教は矢田洋子先生がしてくださいますので、今日は一週早めて第一ペテロからお話しさせていただきます。

今回の説教題は「妻と夫」です。新約聖書の中で妻と夫の関係について扱っているところはいくつかありますが、パウロの第一コリント書簡の7章が有名です。これは結婚生活のリアルな現実について語っている箇所ですが、私は第一コリントの講解説教をしたときにこの箇所からお話ししました。説教の録音がホームページにアップしてありますので、ご関心のある方は聴いてみてください。今日の箇所や、あるいは第一コリントの7章のみことばを聞く上で注意したいのは、私たち21世紀の日本に住む人々と、ペテロやパウロが語りかけた1世紀のギリシア・ローマ世界での文化の違いです。日本は永らく男尊女卑の社会だと言われてきましたが、ジェンダーバランスの改善、つまり男女間の社会における地位の格差をなくそう、男性も女性も同じ給与をもらい、同じ地位に就けるようにしようという意識が急速に高まっています。今でも日本での女性の社会参加率は世界ランキングで100番以下という、残念な結果にはなっていますが、それでも私が社会人になった30年前と比べると大きく改善しているように思えます。そのような現代から見ると、ペテロが語っている内容は、何と言うかあまりにも古風というか時代遅れのような、そんな気持ちにさせられてしまうかもしれません。しかし、そのように現代人の価値観で読むのではなく、なるべく当時の人々の気持ちになって、当時の社会状況を考えながら今日の箇所を読んで参りたいと思います。 

ペテロが活躍した紀元1世紀の女性の地位はどうだったのか、というのは研究者たちの注目を集めるテーマになっています。どんなことが論じられているかといえば、紀元前1世紀からローマには「新しい」タイプの女性が現れたということが言われています。実は、現代でもこれと同じような現象がありました。みなさんは「ウーマン・リブ」運動というのを聞いたことがあると思います。これは1960年代から70年代にかけてアメリカを席捲した運動で、女性の解放、特に女性に押し付けられているとされたいわゆる「女らしさ」、家事や育児は女の仕事だ、みたいな考え方から解放されて、より自由に生きようという運動でした。それと同じとはいませんが、似たような動きが当時の古代ローマ世界にもあったのです。これはローマ社会全体というよりも、上流社会の女性を中心に起きた動きでしたが、しかしそれは徐々にローマ世界に広く影響を及ぼしていったと見られています。日本でも、一部の「進んだ」女性たちが新しいことをし始めると、多くの人たちはしばらく様子見をしていますが、段々と影響を受けていくということがありますよね。そんな感じです。このローマの「新しい」女性たちは、男性と同じような権利や生き方を要求し、自分らしく、自分が好きなように生きることを求めました。彼女たちは性的にも奔放で、貞操観念に縛られないという特徴もありました。これもウーマン・リブ運動やベトナム戦争への抗議から生まれたフラワー・ムーブメントと似ていますね。特に彼女たちがこだわったのが服装、ファッションでした。服装は人を表すとばかりに、ものすごくファッションに力を入れました。今日のペテロの女性への勧告は、そのような時代背景に留意して聞く必要がありますしかし同時に、そうした「進んだ」女性たちは例外的な存在であり、一般的にはローマ社会における女性の地位は低く、また女性への強い偏見もありました。上流階級の裕福な女性は例外的存在であり、普通の女性は隷属的な立場に置かれていました。つまり、妻は夫の権威の下に生きるというのがごく当たり前のことだったのです。特に問題だったのが、妻には実質的に信教の自由がなかったことでした。女性は結婚前は父親の宗教を信じ、結婚後は夫の宗教を信じるべきだ、というのが当然視されていたのです。これはキリスト教徒にとっては由々しき問題、死活的な問題でした。なぜなら、今日の日本の教会のように、当時のローマでも妻だけがクリスチャンというケースが圧倒的に多かったからです。こうしたことを踏まえたうえで、今日の聖書箇所を読んで参りましょう。

2.本論

では、3章1節です。そのすぐ前の2章の後半では、ペテロは奴隷と主人の関係について話していました。これは必ずしも奴隷という社会的身分にあった人だけに語られたのではなく、クリスチャンは「神の奴隷」であるという観点から、様々な社会における組織の中で人に仕える立場にあったクリスチャンに対して語られたと考えるほうがよい、ということを前回の説教で申し上げました。とはいえ、基本的には奴隷と主人についての訓告でした。ですから、「同じように」というのは奴隷が主人に仕えるように、妻は夫に服従しなさい、という意味です。しかし、現代社会においてこんなことを言ったら、「なんてことを言うんだ」とお叱りを受けてしまうかもしれません。夫婦関係は奴隷と主人の関係に譬えられるようなものではないし、妻が夫に一方的に服従するなんてとんでもない!と思われるでしょう。しかし、当時のローマにおいては一般的な家庭において妻の立場はそのようなものでした。ペテロは、そのような当時の社会慣行に抗って、妻も夫と同様の権利を主張すべきだ、とは教えませんでした。実際、今日のように経済的に自立する手段を持っていなかった当時の女性の立場は弱く、経済力を持つ夫に従うほかはありませんでした。しかしペテロは、そのような服従をいやいやするのではなく、むしろ証しの機会として用いなさい、と述べています。というのも、この1節で呼びかけられている「妻たち」とは、夫がクリスチャンではない女性たちだったからです。「たとい、みことばに従わない夫であっても」とは、「福音を信じない夫であっても」という意味です。この1節は、家庭の中で自分だけがクリスチャンだという妻たちに呼びかけられているのです。

少し前に戻りますが、ペテロは2章の19節で「横暴な主人に対しても従いなさい」と書いていますが、ここでいう「横暴」とは暴力的なパワハラ的人物ということでは必ずしもなく、むしろ「心の曲がった主人」、つまり福音を素直に受け入れない主人という意味合いがあります。ですからペテロは奴隷に対しても妻に対しても、福音を受け入れない主人に対しても従いなさい、ということを教えているのです。とはいえ、夫から「キリスト教なんて信じるな、やめちまえ」と言われても、それについては従うことはできないわけです。では、そのようなキリスト教に対して全く理解のない夫に対してどのように行動すべきか?ということですが、そういう夫に対し、いくら口で「イエス様を信じなさい、クリスチャンになってください」と言ったところで逆効果で、何を偉そうに、とかえって反発を招き、ますますキリスト教に対して敵意を燃やしてしまうかもしれません。火に油を注ぐという具合です。ですから、口先ではなく行動で、言葉ではなく生き方で福音を示しなさい、とペテロは教えます。これは非常に大切な教えで、今日にもそのまま当てはまります。今の日本でも、クリスチャンの男女比の割合はだいたい1対2であり、圧倒的に女性の方が多いです。おのずと、妻だけがクリスチャンだという家庭が多いのです。多くのご婦人は、夫が信仰を持ってほしいと願っておられます。ではそのためにどうすればよいのか、というのがここでのペテロの教えです。ペテロは「無言のふるまいによって」、夫が神のものとされるようにしなさいと教えています。つまり「神を恐れかしこむ清い生き方」を主人に示しなさいということです。つまり言葉よりも行いで、ということです。こう言われると、キリスト教とは「行いなしで、信じるだけで救われる宗教だ」と考える人にはえらくハードルが高いと感じられるかもしれません。しかし、これまで何度もお話ししてきたように、主イエスも十二使徒ペテロも異邦人の使徒パウロも、「行いは不要だ、信じるだけでよい」とは誰も言ってはいません。むしろ主の兄弟ヤコブが言うように、「行いのない信仰は、死んでいるのです。」そして、未信者を信仰へと導くのは、キリスト教を擁護する巧みな議論ではなく、クリスチャン一人一人の生き方なのです。私は神学も知らない、聖書もあんまり勉強したこともないので、キリスト教の伝道なんて無理だ、私にはできません、と思われる方がおられるかもしれませんが、そうではないのです。なぜならキリストを証しするのはキリストについての巧みな議論ではなく、キリストに倣う私たち一人一人の歩みだからです。

では、婦人たちのキリストに倣う歩みとは具体的にはどのようなものなのでしょうか?寛容でありなさいとか、親切でありなさい、というような教えが来るのではないか、と思われるかもしれません。しかしペテロはなんと、髪型や服装について話し始めます。なぜ外見のことばかり書いているのか、と不思議に思われるかもしれませんが、そこには当時の進歩的な女性運動の影響がありました。当時のいわゆる「新しい」女性たちは外見に異様にこだわりました。女の価値を決めるのは美である、という信念のもと、派手な装飾品やセクシーな服を好みました。妊娠でお腹がふくれるのはみっともないということで、妊娠を隠そうとしたと、ローマの哲学者セネカは嘆いています。当時のこうした女性は妊娠を嫌がり、中絶もしばしば行ったと言われています。セネカのようなローマの一級の知識人はこうした外面ばかりにこだわる世相を憂い、女性を本当に美しく装うのは内面の慎み深さという美徳なのだ、と書き残しています。そして奇しくもペテロも、同じようなことをここでは述べています。ここでペテロのことばを改めて読んでみましょう。

あなたがたは、髪を編んだり、金の飾りをつけたり、着物を着飾るような外面的なものでなく、むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい。これこそ、神の御前に価値あるものです。

ペテロも、適切なおしゃれまでも否定しているわけではないことに注意してください。ペテロもセネカと同じように、過度に外見的なことにこだわる世相を意識してこのような勧告を書いているのです。そうでなければ、女性に勧めるべきことはたくさんあるのに、このように装飾の問題に殊更に的を絞って話す必要はなかったでしょう。

ペテロはさらに、こうした内面の美しさを持った女性の例として族長アブラハムの妻サラのことを挙げています。ただ、みなさんはサラについてどんなイメージを持っておられるでしょうか?サラはかなり高齢だったのにもかかわらずエジプトの王から見染められるほどの絶世の美女だったとされていますが、主人に従順な控えめな女性というよりも、むしろ亭主を尻に敷かせるような強い女性というイメージではないでしょうか。特に、アブラハムの尻を叩いて側室のハガルを追い出させた場面などを思い浮かべると、気が強そうだなという感じですよね。ただ、ユダヤ人にとってアブラハムはいわば伝説化・理想化された人物でしたので、その妻であるサラも良妻賢母の鏡というイメージが出来上がっていたのでしょう。ペテロはおそらくそのようなユダヤ人のイメージに従って、手紙の受け手の異邦人たちにサラを見倣うようにと書き送ったのでしょう。

そして7節では今度は夫たちに対して勧告を書いています。妻たちに対しては6節も費やして、夫にはたった1節しかないのはおかしいではないか、と思われるかもしれません。旧約聖書でも、例えば箴言では、「良き妻はこうあるべきだ」ということはたくさん書かれているのに、「良き夫はこうあるべきだ」という教えはほとんどありません。これは聖書が男性目線で書かれているからだ、男性優位が当然視されているからだと、フェミニスト神学の方々は批判しますし、それにはもっともな面もあると思います。しかし、ここでペテロが夫について1節しか割いていないのは彼が男性優位主義者だったからではありません。むしろ、彼の手紙の受け手には妻だけがクリスチャンという家庭の方の方が圧倒的に多かったという事情があったのです。また、クリスチャンの女性が家庭で肩身の狭い思いをしていたように、男性・女性を問わす異邦人のクリスチャンは社会の中で肩身の狭い思いをしていました。ですからペテロは「妻たちよ」と語りかけながらも、クリスチャン全体に同じメッセージを伝えようとしていたのです。ということで、7節の内容に戻りたいのですが、ここでもペテロは現代の私たちから見ればポリコレに抵触するようなことを書いています。コリコレとは「政治的に正しい言い方」という意味で、人種や性別で差別するようなことは言ってはいけないというものです。ペテロは女性のことを「自分よりも弱い器」だと言っています。シェークスピアのハムレットも、夫を殺したかもしれない人物と再婚した母について、「弱き者、汝の名は女」などと述べていますが、こういう女性=弱いという見方は今日の社会では許容されない見方になっています。実際、確かに体力では男性の方が強いかもしれませんが、知性においては女性の方が男性よりも優れていることがいろいろな場面で示されてきています。ここでペテロが女性を弱いと言っているのは、主に社会的・経済的な立場のことです。当時の女性には今日のように自由に職業を選ぶ自由がありませんでした。むしろ、親が決めた相手に嫁がされ、そこで夫に従って生きるより他はなかったのです。もちろん上流社会の女性のように、実家が有力者であれば、嫁ぎ先でも強い立場を維持できるわけですが、そういう女性はほんのわずかで、多くの女性は夫に頼って生きるほかなかったのです。そういう妻に対し、自分の社会的・経済的優位を誇示してつらく当たってはいけない、いばり散らしてはいけない、ということをペテロは教えています。むしろ、信仰のパートナーとして、同伴者として敬意を持って接しなさいと諭しています。これは当然のことですが、改めて心に刻むべき教えです。

3.結論

まとめになります。今日はペテロの妻と夫に対する教えを学びました。ペテロは当時の社会の中で弱い立場にある人々、前回は奴隷でしたが、今回は妻に対して語りかけました。イエスへの信仰を持つようになった奴隷、あるいは妻が、信仰を共有しない主人あるいは夫に対してどのように振舞うべきなのか、というのがここでのテーマでした。このように、奴隷や妻という当時の社会において立場の弱かった人たちに語りかけているのは、当時のクリスチャン全体が社会的に弱い立場に置かれていたことを反映しています。イエスを信じない人々に取り囲まれたクリスチャンたちはどうすべきなのか、というより大きなテーマが、キリスト教に否定的な考えを持っている未信者の夫に対してクリスチャンの妻がどう振舞うべきかというペテロの教えの背後にあるのです。ペテロは、主を信じない人に抗議しなさいとか、あるいは巧みな言葉で説得しなさいとは教えません。むしろ敬虔な生き方を無言で示すことで、彼らが回心するようにしなさいと促しています。これは妻たちだけでなく、社会の様々な場面で弱い立場に置かれていたクリスチャンに対するメッセージでもあります。私たちにとっても、大きなチャレンジですね。言葉よりも行動で、というのはよく言われることではありますが、実践するのは容易ではありません。しかし、それが最も重要な証しの方法だと述べているペテロの言葉を真摯に受け止める必要があります。私たちがお手本とすべきは、主イエスの生き方です。彼はののしられてもののしりかえさず、裁きを神に委ねられました。私たちも苦しい立場に置かれた時には主イエスの事を思い、耐え忍ぶ力を与えていただきましょう。キリスト教について悪くいう人がいる時には、こちらが悪いのかもしれないという謙虚な思いを持つことも必要です。よくあるキリスト教への非難は、「キリスト教国と言われる国々は戦争ばかりしている」というものですが、ごもっともだと思います。キリスト教国は正義を振りかざすことは得意だけれど、譲歩したり我慢するのが苦手だというのも耳が痛い話です。批判を受けた際は、批判する相手が悪いとは思わず、自らを省みる機会とするというのも平和づくりのためには大切なことです。ともかくも、私たちの目的は勝つことではなく平和を作り出すことです。そのことを覚えて歩んで参りましょう。

天におられます我らの父よ。そのお名前を賛美します。今日は妻と夫というテーマからより大きな問題までを考えて参りました。私たちがこの世界で主イエスをどう証ししていくべきか、その際に最も大切なのは私たちの行動なのだ、という教えには身が引き締まる思いがします。どうか私たちをお助け下さい。われらの平和の主イエス・キリストの聖名によって祈ります。アーメン

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アブシャロムの死第二サムエル18章1~33節 https://domei-nakahara.com/2025/05/11/%e3%82%a2%e3%83%96%e3%82%b7%e3%83%a3%e3%83%ad%e3%83%a0%e3%81%ae%e6%ad%bb%e7%ac%ac%e4%ba%8c%e3%82%b5%e3%83%a0%e3%82%a8%e3%83%ab18%e7%ab%a01%ef%bd%9e33%e7%af%80/ Sat, 10 May 2025 23:46:00 +0000 https://domei-nakahara.com/?p=6400 "アブシャロムの死
第二サムエル18章1~33節" の
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1.序論

みなさま、おはようございます。これまでサムエル記を読み進めて参りましたが、今日の箇所はサムエル記の中の一つのクライマックス、少なくとも後半の部分では最大の山場ともいえる箇所です。サムエル記の後半部分のテーマは「ダビデ家の崩壊」でした。ダビデ家といっても王朝としてのダビデ家ではなく、家族としてのダビデ家です。ダビデ王朝は存読したけれど、ダビデの家族は崩壊してしまった、そういう哀しい物語です。

さて、前回はダビデの策略、つまりトロイの木馬としてアブシャロム陣営に送り込んでいた策士フシャイと祭司長であるツァドクとエブヤタル、彼らの活躍のおかげでアブシャロムは愚かにもダビデに有利な作戦を採用してしまい、さらにはアブシャロム陣営の作戦計画はダビデに筒抜けになりました。もうこうなってしまえば、勝敗は決したようなものです。アブシャロムは入念に準備をしてクーデターを決行したのですが、しかし人心掌握術ではダビデの方が一枚も二枚も上手でした。

2.本論

では、今日の内容を見ていきましょう。相手の作戦が筒抜けとなり、敵軍の動きが手に取るように分かるようになったダビデは、いよいよ反転攻勢の準備に入ります。ダビデは自軍を三つに分けて、大将軍のヨアブとその兄弟ツェルヤの子アビシャイ、またペリシテ人、つまりイスラエルとは敵対している民族からやって来た傭兵隊長であるイタイ、この三人に任せました。その時、ダビデは意外なことを言いました。これまで見て来たように、かつては兵士たちの先頭に立って戦場で活躍していたダビデですが、王になってからは戦場のことは大将軍ヨアブに任せ、王宮で昼寝をしたり遊び暮らす毎日を送り、挙句の果ては勇敢の兵士の妻であるバテ・シェバを奪い取るということまでしてしまいました。その事件がダビデ家崩壊の始まりとなり、それから次から次へとダビデ家には災厄が降りかかり、とうとうアブシャロムの乱となってしまったのです。

このように、王となってからは戦場に立つことを止めたダビデが今度は戦場に立とうというのです。これはダビデ軍の士気をあげるためには大変有効なことでした。ダビデがいるといないのとでは、全然士気が違います。日本の歴史でも、天下分け目の戦いと言われた関ケ原の戦いで、豊臣家の当主豊臣秀頼が戦場に出るか出ないかで、その命運は分かれたとも言われています。西軍に秀頼が大将として出陣すれば、徳川方についていた豊臣恩顧の武将たちも秀頼様には弓が弾けないということで、東軍は著しく不利になっただろうと言われています。実際は秀頼は戦場に来ることはなく、その結果西軍は敗れてしまいました。このように大将が戦場に出るというのはたいへん重要なことで、今回はダビデが久々に戦場に出ようというのです。では、なぜダビデは戦場に出る決意を固めたのでしょうか?対アブシャロム戦の必勝を期しての決意だったのでしょうか。おそらくそうではないでしょう。経験豊富な司令官であり政治家であるダビデは、もう自軍の勝利を確信していました。ダビデが気にしていたのは、むしろアブシャロムの命でした。ダビデはアブシャロムのことを反乱軍のリーダーとしてではなく、反抗的だがかわいい息子として見ていたのです。ダビデは部下たちが引き留めるので、戦場に出ることは断念しますが、その代わりある指示というか、お願いのようなことを命じます。彼は三人の部隊長、ヨアブ、アビシャイ、イタイを呼んで、「私に免じて、若者アブシャロムをゆるやかに扱ってくれ」と頼んだのでした。しかもこっそりとではなく、全軍の兵士たちに知れ分かるように公然とこうしたことを口にしたのです。親としてのダビデの気持ちは誰もが理解できたでしょうが、しかしこれから命がけで戦場に向かう兵士たちにとってアブシャロムは敵の大将です。彼を倒さないことには戦争は終わらないのです。しかも相手は自分たちを殺そうとしているのです。そんな敵を相手に果たして手加減ができるのか、という疑問が当然生じます。しかし、王の命令に逆らったらどうなるか分かったものではない、という恐怖もあります。このように、ダビデの命令というか要請は、命を懸けて戦う兵士たちをとんでもないジレンマに置くことになります。敵に勝たなくてはならないのに、敵を殺してはならないというのですから。

このダビデの命令をどう考えるべきでしょうか。一つ確実に言えることは、もしダビデに反乱を起こしたのが息子のアブシャロムではなく赤の他人だったとしたら、ダビデはこのような指示は決して出さずに躊躇なく殺しただろうということです。王の命を狙い国を奪おうとするのは大罪ですから、当然のことです。ですからダビデのこの処置は身内に甘いという批判を免れないものです。実際、アブシャロム軍との戦いで命を落とす兵もいるわけですから、そうした兵士たちの遺族からすればダビデのやっていることは身びいき、えこひいきだと感じられるでしょう。ここで、ダビデの問題が再び明らかになります。ダビデのこれまでの行動の問題点は、公平な裁きができないということに尽きると言えます。公平どころか自分に甘い、身内に甘いというのがあからさまなほど目立っていました。まずバテ・シェバ事件ですが、その時にダビデは自らがバテ・シェバの夫ウリヤを殺害したことの責任を取ろうとしませんでした。神に赦されたからそれで十分とばかり、罪の償いを遺族に対してしようとはしませんでした。それどころか、結局望み通りにバテ・シェバを自分の妻としてしまい、新しく子どもを設けています。また、自分の息子アムノンが自分と同じ強姦の罪、しかもこともあろうに自分の妹であるタマルを辱めたことについてもお咎めなしでした。さらにはその第一王子であるアムノンを第三王子のアブシャロムが殺害するという、王子殺しの大罪すらも不問に付しました。国がひっくり返るような大罪を続けざまに見逃したのです。そして今度はクーデター、国家転覆の罪さえ赦しかねないということなのです。もはやダビデは王としては全く機能してはいないのですが、しかし王ですから絶対的な権力を持っていて、部下たちは彼に振り回されることになります。

このことを苦々しく思っている人物がいました。それが大将軍ヨアブです。彼は今の企業でいう総務部長のように汚れ役、上役のしりぬぐいばかりしてきたわけですが、彼にもプライドというか矜持がありました。自分は確かに汚い仕事ばかりしてきたが、それもこれもお家のため、ダビデ家存続のためだという思いがありました。ですから彼は、ダビデ家の存続のためならダビデに逆らってでも行動するという決意があったし、これまでもそのように行動してきました。ですから今度のアブシャロムを殺すな、見逃せというダビデの命令も、ダビデ王朝存続のためにプラスにならない、そういう反発心を持って聞いていました。

そのようなことがあったのですが、いよいよアブシャロム軍とダビデ軍の雌雄を決する戦いがありました。アブシャロムはフシャイの作戦にしたがって、なるべく多くの兵士をかき集めて物量作戦でダビデ軍を押しつぶそうとしましたが、ダビデたちは大軍の利点が打ち消されてしまう森の中を戦場に選びました。ゲリラ戦に慣れたダビデ軍古参の兵士たちにとって森は非常に戦いやすい場所ですが、大軍の場合は寸断されやすく、敵と味方の区別がつきづらくてかえって不利になってしまいます。大軍で押しつぶそうというアブシャロム軍の作戦を事前に知っていたダビデたちは、敵軍が不利になるような戦場を選び、敵をそこに誘い込んだのです。その作戦はてきめんでした。アブシャロム軍は神出鬼没の動きをするダビデ軍に翻弄されてしまい、瞬く間に2万人もの兵士を失ってしまいました。彼らはダビデ軍にやられたというよりも、自滅していったという方が正確でしょう。密林の中を迷ったり、同士討ちになったり、野獣と遭遇したりと、ダビデ軍と戦う以前に自壊していったのです。

アブシャロム軍は総崩れになり、大将のアブシャロムは護衛の兵士たちとも離れて単身で逃げ延びていました。しかし彼は大変な長身で、髪の毛も長かったのでそれが災いしました。なんと髪の毛が木の枝に絡まってしまい、宙ぶらりんになってしまったのです。アブシャロムは惨めな思いで一杯だったことでしょう。これではサウル王のように自害もできません。そして、そのアブシャロムをヨアブの軍団の兵士たちが見つけました。敵の大将ですから、普通であれば我先にととどめを刺しに行ったはずです。しかし、兵士たちにとってはダビデの言葉がすべてでした。敵将の首を取る手柄を挙げたとしても、それでダビデの逆鱗に触れては元も子もありません。兵士たちは遠巻きにアブシャロムを眺めるだけで、誰もとどめを刺そうとはしませんでした。そこに大将軍ヨアブが駆け付けました。彼は敵の大将を前にして黙って見ているだけの兵士を見て一喝します。大手柄だというのに、なぜ何もしないのか、と。しかし兵士たちは反論します。あなただって、ダビデ王の言葉を聞いたでしょう。ダビデの命に逆らってアブシャロムを殺したら、恩賞どころか死刑になります。その時、あなたは知らんぷりで私の命を助けてはくれないでしょう、とこのように抗議したのです。そこで、だったら俺がやる、責任は俺が取ってやる、とばかりにヨアブは手に三本の槍を持ってアブシャロムの心臓めがけて投げつけました。

先ほども言いましたが、ヨアブはダビデから直接アブシャロムを助けてくれと頼まれた後も、なんとしてもアブシャロムは殺さなければならないと決めていました。彼にとって一番大事なのはダビデ個人の思いではなく、ダビデ王朝の存続です。これまでも、ダビデの命に逆らってでも、ダビデ家に仇なすと思われる人物は暗殺まがいのことをしてでも排除してきました。ヨアブはダビデのすぐ近くにいて彼の行動をつぶさにみてきたので、ダビデが王としてはもはや正常な判断ができなくなっていることに気が付いていました。ダビデは間違いなくアブシャロムを生かすだろう、しかも反乱の責任すらうやむやにしてしまうだろう、ということがヨアブには分かっていました。そしてそれが王国にとってどれほど大きなダメージを与えるかということも分かっていました。なにしろクーデターをしても許されるという前例を作ってしまえば、第二、第三のアブシャロムが生まれても不思議ではありません。アブシャロム自身も再びよからぬたくらみに加わる可能性もあります。さらには、今回のクーデターと戦争でダビデ側も少なくない犠牲者を出しています。犠牲となった兵士の家族たちは、この反乱の責任者の罪が赦されたと知ったら強い憤りを感じることでしょう。そんなことになれば、ダビデ王朝への人々の信頼が揺らいでしまいます。こうしたことを踏まえて、ヨアブはアブシャロムをダビデに引き渡さずに戦場で殺してしまおうと覚悟を決めていました。どうせダビデは自分に手を出せない、自分なしではダビデは王としてはやっていけないだろうという自信、あるいは奢りもあったのでしょう。

こうしてヨアブはダビデの命令を無視し、アブシャロムの息の根を止めました。ヨアブの道具持ち、親衛隊のような兵士たちも、大将がやったのだから遅れてはならないとばかり、アブシャロムに斬りかかりました。あわれアブシャロムは滅多切りにされてしまいました。ヨアブは敵の大将を倒したのだからと、全軍に攻撃停止を命じます。戦争は終わったのです。そしてアブシャロムですが、本当に無残な姿を晒していました。イスラエル一の偉丈夫とほめそやされたアブシャロムはもはや見る影もない姿になり果てました。こんな姿をダビデに見せるわけはいかないとばかり、兵士たちは彼の遺体を深い穴に投げ込み、大きな石をそこに投げ込んで誰も遺体を見ることが出来ないようにしました。ダビデの命令に逆らって彼を滅多切りにしたことがばれないように、いわば証拠隠滅でした。

こうしてアブシャロムの乱は終わりました。しかし、ヨアブ軍には厄介な問題が一つ残っていました。それはアブシャロムの事をどのようにダビデに報告するのか、という問題でした。ヨアブとその部下たちは公然とダビデの命令を無視したのですから、当然報告しづらいわけです。大勝利を喜んで報告したいのに、できないというなんとも悩ましい状況になってしまいました。彼らは、アブシャロムの悲報を知ったらダビデは何をしでかすか分からないという不安がありました。といのも、ダビデは敵であったはずのサウルの死を知らせた使者を斬首したことがあったからです。そこでヨアブはイスラエル人ではない外国の傭兵であるクシュ人にこの知らせを伝えさせることにしました。最悪の場合、このクシュ人がダビデに殺されても仕方がないと思ったのでしょう。しかし、祭司長のツァドクの息子で、ダビデにアブシャロム側の情報を伝えたアヒアマツは不満でした。こんなに大事な知らせを伝えるという大きな役目を外国人に渡してしまうのが我慢ならなかったのです。アヒアマツは、彼がダビデの逆鱗に触れてしまうことを心配したヨアブから制止されましたが、どうしてもと強く言い張ってダビデの元に向かうことにしました。しかも近道を使って、先に走っていったクシュ人を追い越しました。そして最初にダビデに勝利を知らせるという名誉を自分のものにしました。しかし、さすがにアブシャロムの事を知らせるのはためらわれたのでしょう、ダビデからアブシャロムの安否を問われると、何があったか分からないと言ってごまかしました。そうすると、次にクシュ人の伝令がやってきました。ダビデは同じことを聞きました。アブシャロムはどうなったのかと。このクシュ人の伝令も、ダビデがサウル王の死を知らせた伝令を殺したことを知っていたので、身の危険を感じましたが、しかし伝えないわけにもいかないので、回りくどい言い方をしました。「王さまの敵、あなたに立ち向かって害を加えようとする者はすべて、あの若者のようになりますように」と言ったのです。これでダビデはすべてを知りました。アブシャロムが死んだのだと。そして門の屋上に上って、皆が聞こえるような大声で泣きだしました。「わが子アブシャロム。ああ、私がおまえに代わって死ねばよかったのに」と。

3.結論

まとめになります。今日はアブシャロムの死に際しての、ダビデの矛盾した行動を見て参りました。ダビデはアブシャロムの乱を鎮圧するために、権謀術数の限りを尽くしました。何人ものスパイ、つまりトロイの木馬を送り込み、アブシャロム陣営をかき乱して彼らが自滅するように仕向けました。にもかかわらず、反乱の首謀者であるアブシャロムの命は何としても救おうとし、彼が死んだことを知ると「自分が代わりに死ねばよかったのに」と皆の前で泣き出す始末です。しかし、兵士たちは命がけでダビデの命を救おうと頑張ったのです。そのダビデの命を狙う者を殺したら、「自分が代わりに死ねばよかった」などと言われてしまえば、何のために戦ったのか分からなくなってしまいます。

ここからわかるように、もうダビデは王としては機能していません。確かにアブシャロム陣営にスパイを送り込む手練手管は見事でした。しかし、自分の感情を抑えきれず、自分のために命を捨てようとする兵士たちの前で醜態をさらす姿は無様としか言いようがありません。王は自軍の兵士たちの命を何だと思っているのか、バテ・シェバの夫のウリヤのように、兵士の命など好きなように扱ってよいとでも思っているのか、と皆から思われても仕方がありません。どうしてダビデはここまで耄碌してしまったのでしょうか。

ダビデは王ですので、彼を止めることが出来る人は誰もいません。それができるのは神だけであり、神はダビデの家に大きな災いを送り込むことで、ダビデに悔い改めを促してきたのですが、ダビデはこれまでずっと悔い改めを拒んできました。悔い改めには具体的な行動が求められます。私は、ダビデは少なくとも部下殺しの罪を認めて王位を退くべきだったと考えています。責任を取るべきだったのです。神もダビデが自ら責任を取ることを望んでおられたように思います。しかしダビデはそれを拒み続け、王位にしがみつきました。その結果、ダビデは本当に醜い老人になってしまいました。地位が高い者であればあるほど、その地位には責任が伴い、自分に厳しくあらねばならないということを、ダビデの惨めな晩年を見ると思い知らされます。

日本の政治不信が続いています。その大きな原因の一つは、政治家が責任を取らなくなったことにあると思います。近年大きな金銭スキャンダルが続きましたが、みな口をそろえて「職務を全うすることで責任を取ります」というようなことを言い、決して辞任しようとはしません。その結果、政治の緊張感は失われ、ますます惨めな状態になっています。その行き就く先はどのようなものか、それはダビデの生涯が教えてくれているのではないでしょうか。聖書のメッセージは慰めばかりではありません。人間世界の厳しい現実をも教えてくれます。私たちもその厳しい教訓も心に刻んで歩んで参りましょう。お祈りします。

歴史を支配される主よ、そのお名前を讃美します。今朝はアブシャロムの乱の悲劇的な結末を学びました。ダビデの王としてはまったく矛盾に満ちた行動も見て参りました。責任を取ることの難しさを思い知らされますが、私たちはダビデの生涯から大切なことを学ぶことができますように。われらの平和の主イエス・キリストの聖名によって祈ります。アーメン

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