パウロのための推薦状
第二コリント3章1~3節

1.導入

みなさま、おはようございます。さて、第二コリントもいよいよ三章に入りました。ここからは、パウロの真骨頂ともいうべき議論が始まります。これまでの1章、2章では、パウロとコリント教会の人々との間のこれまでのいきさつについてパウロが振り返っていました。一度は険悪な状態になったパウロとコリントの信徒たちですが、双方が和解に向けて歩み寄っている、そのような内容でした。しかし、3章からはこれまでとは内容が変わっていきます。ここからパウロはキリスト教の真髄について語り始めます。パウロは、ここではキリスト教とは何なのか、特にこれまでパウロ自身の同胞であるユダヤ人たちが信じてきたユダヤ教とはいったい何が違うのか、ということを詳しく語り始めます。パウロのポイントを一言で言うならば、キリスト教とは聖霊の宗教なのだ、ということになるでしょう。ユダヤ教も神のことば、聖書という聖なる書に基づく宗教です。しかし、キリスト教は文字ではなく、むしろ御霊に基づく宗教なのだ、というのがパウロの主張なのです。しかもそれは旧約聖書に約束されていたことの成就なのだ、ということをパウロは論じていきます。

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いのちに至らせる務め
第二コリント2章12~17節

1.導入

みなさま、おはようございます。10月に入りました。昨年の10月から第一コリント書簡を読み始めたので、今日でちょうど1年になりますが、これからもパウロとコリント教会との交流を通じて、多くのことを学んでいきたいと思います。

さて、何度もお話ししているように、第二コリントはパウロの弁明とも呼べる書簡です。この前の手紙、第一コリント書簡をパウロがエペソでしたため、その手紙を彼の右腕であるテモテに持たせてコリント教会に送ったころ、コリント教会では深刻な事態が生じていました。それは、コリント教会にパウロをよく思わない宣教師たちが到来し、彼らがパウロについてよからぬことをコリント教会の人たちに吹き込んでいたのです。今日の箇所についても、パウロは自分に対する批判を強く意識して、そのような批判に対する反論としてこの箇所を書いているのです。パウロに対する批判はいくつかありましたが、今日のみことばを理解するうえで特に重要なのは、パウロがその宣教において受けた極度の苦しみです。パウロはなぜこんなに苦しんでいるのか、この苦しみに意味はあるのか、これが今日の聖書箇所の背後にある問いです。

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和解
第二コリント2章5~11節

1.導入

みなさま、おはようございます。今日は「音楽の集い」が午後から開催されるので、いつもより多くの方が礼拝に来られています。心より歓迎いたします。当教会では第二コリント書簡からの連続説教を行っていて、今日が5回目なのですが、今回が初めてという方もおられますので、この手紙の背景からお話ししていきたいと思います。

パウロがこの手紙を送った教会のあるコリントという都市はギリシアの南部に位置する貿易港で、当時の地中海世界では最大の都市の一つでした。人口は50万人を超えていたといわれますが、それより大きな人口を抱えた都市といえばローマなどごくわずかでした。パウロもこの大都市に宣教地としての大きな可能性を見出し、紀元51年から1年半にわたり伝道活動を続けました。1年半というと、今日の教会員の感覚ではとても短いものではないでしょうか。新しい教会に赴任してきた牧師が、1年半で別の牧師に交代、ということになれば、なんて急な話だろう、と私たちは思うでしょう。1年半かけて、やっと牧師と教会の方々の信頼関係が出来上がる、というのがせいぜいではないでしょうか。ですからコリント教会の人にとっても、開拓伝道者であるパウロが1年半で他の都市に行ってしまったということに対し、なんだかすこし寂しいというか、取り残されたような思いがしたことでしょう。

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ユダ王国の宗教改革
列王記下22:8-13
森田俊隆

本日はユダ王国における宗教改革についてお話しようと思います。ユダヤ教の形成される最初の段階ということになります。王様でいうと、最初はユダ王国三番目の王アサです。次は第8代のヨアシュです。三番目は北王国滅亡直後のユダ王国の13代の王ヒゼキヤです。最後は第16代王ヨシヤです。このヨシヤ王が戦死したのちユダ王国は急速におとろえ、王国滅亡に向かっていきます。

ユダヤ教とイスラエル信仰との関係について一言申し上げます。イスラエル信仰の出発点は創世記に示されています。創世記は世界の創造から始まっており、イスラエル信仰には、他民族も含んだ世界大の信仰の流れと、イスラエル民族の形成と言う民族主義的な流れとが共存しています。しかし、出エジプト記以降、歴史書まではそのうちの民族主義的傾向を強く示しており、ユダヤ教の基礎となっている申命記律法の確立過程が描写されています。これがユダヤ教です。創世記に示された、世界大、国際的潮流が旧約聖書の傍系の流れとして繋がっていきます。ルツ記とかヨブ記、箴言、伝道者の書などに受け継がれていきます。イザヤ、エレミヤの預言書にも、このような国際的志向が強く表れています。そしてその頂点が、主イエスの言動です。それがキリスト教となるのです。

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パウロの第二の予定変更
第二コリント1章23~2章4節

1.導入

みなさま、おはようございます。だんだんと秋らしい天気になってきました。第一コリントからの最初の説教が昨年の10月からでしたので、パウロのコリント教会への手紙を読み始めてちょうど今月で1年ということになります。第二コリントの説教は今日で四回目になりますが、みなさんもこの第二コリントの内容というかトーンが、第一コリントとはだいぶ違うということにお気づきになられたことと思います。パウロは第二コリントの手紙において、一生懸命自分のことをコリントの教会の人たちに対して弁明しています。少し弱気になっているようにすら感じられます。その前の第一コリントの手紙では、パウロは権威を持って、かなり強い調子でコリント教会に対して耳の痛いことも書いていました。それは逆に言えば、厳しいことを書いてもコリントの人たちは自分のことを受け入れてくれるだろうという自信がパウロの側にもあったからでした。確かに第一コリントの手紙を書いたころにも、パウロに反対する人々がコリント教会にはいました。当時のコリント教会は「パウロ派」、「アポロ派」、「ペテロ派」というようにいくつかの派閥ができてしまっていました。自分はアポロ派だ、アポロ先生に付くんだ、という人たちはパウロからは距離を置いていたことでしょう。しかし、こういう派閥は教会員の人たちが勝手に作ったもので、パウロとアポロが対立したり、コリント教会の主導権を握ろうと争っていたわけではありません。パウロとアポロはお互いを優れた同労者として認めあっていて、コリント教会で自分たちをめぐって派閥が出来てしまったことに憂慮していました。ですから、パウロはアポロ派の人々に対しても遠慮することなく語りかけることができました。

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パウロの第一の予定変更
第二コリント1章12~22節

1.導入

みなさま、おはようございます。第二コリント書簡からの今日で三回目の説教になります。さて、過去二回の説教でも言いましたが、パウロの第二コリント書簡は非常に難しい手紙です。難しいというのには二重の意味がありますが、一つには、この手紙を書いた時のパウロの状況が大変難しかったことがあります。パウロはその当時、伝道に伴う大変な迫害を経験していて、その上自分が開拓伝道して立てた教会の信者たちとの関係も必ずしも良好ではありませんでした。まさに内憂外患という状態でした。私たちは1年前に旧約聖書の預言者エレミヤの生涯を学びました。人々の無理解に苦しむエレミヤは涙の預言者と呼ばれましたが、パウロも涙の使徒と呼びたくなるような困難に直面していたのです。そして二つ目の難しさとは、この手紙の内容そのものが難しいということです。それは、この手紙には難しい理屈や教理が書かれていて難解だという意味ではありません。そうではなく、この手紙を書いたときのパウロの置かれていた状況をよく踏まえておかないと、この手紙を理解するのはなかなか難しいということです。

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アジアでの苦しみ
第二コリント1章8~12節

1.導入

みなさま、おはようございます。第二コリント書簡からの第二回目の説教になります。前回はこの手紙の特徴やテーマについてお話ししましたが、この書簡は「パウロの弁明」と呼んでもいいほど、パウロは必死に自らの使徒としての立場を擁護しています。パウロというと、新約聖書の約半分の文書を書いた、使徒の中の使徒、大使徒というイメージがあるでしょうが、まだ新約聖書が完成されていなかった最初期のキリスト教の黎明期、パウロの教会全体の中での立場は盤石ではありませんでした。盤石どころか、自らが設立した教会、いわばおひざ元と言える教会から次々と火の手があがる、そんな危機的な状況でした。

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第一と第二コリントの間
第二コリント1章1~7節

1.導入

みなさま、おはようございます。第一コリントの32回のメッセージを終えて、今日からいよいよ第二コリントに入ります。しかし、この第二コリントは、パウロがコリント教会に出した第一の手紙のすぐ後に書かれた手紙、というわけではありません。第一コリントの手紙が書かれてから、第二コリントの手紙が書かれるまで、非常に重要な事件が起きているのです。今日は第二コリントの手紙の背景として、こうしたことを学んでいきたいと思います。この手紙の歴史的背景ということです。ですから、これまでの説教の内容のおさらいのような面もあります。

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イスラエルにおける王権の根拠
列王記下9:1-6
森田俊隆

今日のお話のタイトルとしては「イスラエルにおける王権の根拠」とさせていただきました。列王記というのはイスラエルの王国が南北に分裂し、その後の王の変遷を記した文書です。北イスラエルは通常、イスラエル王国と言い、南イスラエルはユダ王国と言います。北王国についてはアッシリアにより、南王国は新バビロニアにより滅ぼされるまでが対象です。南北分裂がBC922年、南王国の滅亡BC587年ですから、300年強のイスラエルの歴史、ということになります。北王国では19代、南王国では20代の王の変遷があります。この歴史の中から見えてくる、イスラエルの王の正当性の根拠はどこにあるのか、と言うのが今日のお話です。

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パウロとコリントの教会
第一コリント16章5~24節

1.導入

みなさま、おはようございます。第一コリント書簡からの説教は今日で32回目、いよいよ最終回になります。といっても、これから引き続き第二コリント書簡の説教を続けていきますので、これで終わりということではなく、まだ道半ばといったところです。コリントというのは地中海世界の交易・交通の要衝に位置する大きな都市で、人口も50万人を超えていたと推定されます。50万というのは当時の古代世界では途方もない、大変な数です。ですからパウロはこのコリント教会に大きな期待をかけていて、自身のヨーロッパ伝道の拠点にしたいと考えていました。そこでパウロは時間をかけて、コリントの地に教会を建てあげたのです。このように、パウロとコリント教会の関係は深いものがありますが、それは愛憎愛半ばするといった感じで、いつも良好なものではありませんでした。それはこれまで読んできた第一コリントの内容からもお判りいただけると思います。これから私たちは第二コリントを学んでいきますが、そこにはパウロとコリント教会との間での生々しい葛藤が描かれています。今日の第一コリントのあとがきでも、そのことを暗示する箇所があります。その点に気を付けながら、今日の箇所を読んでいきましょう。

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第一コリント16章5~24節” の
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