中原キリスト教会 https://domei-nakahara.com 調布 深大寺のプロテスタント教会 Sun, 22 Jun 2025 04:16:49 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=5.3.18 https://domei-nakahara.com/wp-content/uploads/2020/03/cropped-favicon-32x32.png 中原キリスト教会 https://domei-nakahara.com 32 32 メシアの系図マタイ福音書1章1~17節 https://domei-nakahara.com/2025/06/22/%e3%83%a1%e3%82%b7%e3%82%a2%e3%81%ae%e7%b3%bb%e5%9b%b3%e3%83%9e%e3%82%bf%e3%82%a4%e7%a6%8f%e9%9f%b3%e6%9b%b81%e7%ab%a01%ef%bd%9e17%e7%af%80/ Sun, 22 Jun 2025 04:16:00 +0000 https://domei-nakahara.com/?p=6535 "メシアの系図
マタイ福音書1章1~17節" の
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1.序論

みなさま、おはようございます。私は2022年の5月から2023年の7月まで、一年余りにわたってマルコ福音書の講解説教を行いました。それから約二年ぶりに、今度はマタイ福音書の講解説教を行います。マタイ福音書はマルコよりもずっと長いので、当然ながらマタイからの説教はマルコよりもずっと長くなるでしょう。私たちにとって最も大切なことは、イエス・キリストを深く理解することです。マタイ福音書を通じて、私たちはこのことを目指して参ります。

新約聖書には四つの福音書があります。私は今後、主の御心であれば当教会でマルコ、マタイ、ルカ、ヨハネという順番ですべての福音書の講解説教をしていきたいと願っています。この順番にする理由は簡単で、書かれた順番、古い順ということです。マルコが最古の福音書ですのでこの福音書からの説教を初めに行いましたが、これからはマタイ福音書の説教をしていくということです。かつては、マタイ福音書こそ、12使徒のひとりであるマタイによって書かれた最初の福音書だと信じられてきました。しかし、近代以降の研究が進んでマルコが最古の福音書であることはもはや誰も疑わないようになりました。マタイ福音書には、マルコの記事の9割以上が含まれています。これは、マタイ福音書の記者が執筆に際してマルコ福音書を資料として用いたことを強く示唆します。また、このことはマタイ福音書の作者がイエスの直接の弟子ではない、イエスの公生涯の直接の目撃者ではない、ということをも示しています。マルコ福音書は、マルコがペテロの通訳者であったことからペテロの証言に基づくものだと言われています。では、もしマタイ福音書も同じく12使徒だったマタイ自身によって書かれたものだとするならば、彼が他の使徒の証言にここまで全面的に依存するとは考えられないからです。したがって、私はマタイ福音書が12使徒マタイによって書かれたとは思いませんが、慣例に従って便宜上この著者のことをマタイと呼ぶことにします。

マタイは、マルコ福音書がすでに存在しているのに、なぜ新しい福音書を書こうとしたのでしょうか?それはマルコ福音書とマタイ福音書を比べれば明らかです。マルコ福音書には山上の垂訓はありません。このことが端的に示すように、マルコ福音書の特徴はイエスの教えが比較的少ないことです。もちろんまったくないわけではありませんが、主の祈りも含まれていないし、良きサマリア人のようなたとえ話もありません。マルコ福音書はイエスの行動にフォーカスした福音書なのです。それに対し、マタイ福音書には山上の垂訓に代表される、イエスの教えを収録した大きなかたまり、ブロックが五つもあります。これがまさにマタイ福音書の特徴であり、またこの福音書が書かれた目的だといえます。それは、マルコ福音書を読んだマタイがその福音書に強い感銘を受けつつも、イエスの教えが少ないことに不満を覚え、この福音書にイエスの教えを包括的に含めることでより充実した福音書を書き上げようとしたということです。マタイはさらにマルコ福音書に欠けていたもの、すなわちイエスの誕生物語と、復活後のイエスと弟子たちとの出会いというエピソードを含めました。つまり、マタイはマルコ福音書をアップグレードしようとしたのです。このことは、マタイ福音書がマルコ福音書より優れているということではありません。しかし、後に書かれたものの方が先に書かれたものよりも、いくらかのアドバンテージがあることも確かです。より多くの情報を持っているのですから。しかし、後に書かれるということは、イエスの時代からそれだけ時間的に隔たっているということでもあります。時間の経過に従って、イエスの記憶が薄れ、また変化していく可能性があるということです。特に、マタイ福音書が書かれたのは紀元70年のエルサレム陥落後だと考えられています。イエスの時代にはエルサレムには神殿が建っていましたが、マタイの時代にはそれはもう存在しなかったということです。これは非常に大きな時代の変化です。マタイ福音書はこうした時代の変化を反映しているので、イエスの時代にはなかった要素も含まれています。例えば、昨今の説教ではスマホについて触れられることがたびたびあるでしょうが、30年前の20世紀の説教にはスマホのスの字もありませんでした。そんなものが存在しなかった以上、当然ですよね。マタイ福音書にはイエスの時代にはなかった内容や特徴が含まれるというのは、そういうことです。このことは、講解説教のなかでおいおい触れていくつもりです。

これまでマルコ福音書との関係でマタイ福音書の特徴を考えていきました。しかし、もっと重要な特徴があります。それは、マタイ福音書が非常に「ユダヤ的な」福音書だということです。ユダヤ的とは、すなわち旧約聖書とのつながりが非常に強いということです。マタイ福音書には、イエスの生涯の出来事の意味を説明することばとして「これは預言者たちを通して語られたことが成就するためであった」というフレーズが繰り返し登場します。預言者たち、とはイザヤやエレミヤのような旧約聖書の預言者です。ただ、これからの説教でも説明していくように、マタイが引用した旧約聖書の記事を読むと、それが本当にイエスについての預言なのかと考え込んでしまうようなものも少なくありません。例えばマタイ2章で、ヘロデ王が多くの幼児を殺害した事件の預言としてマタイはエレミヤの預言を引用しますが、エレミヤはここではバビロン捕囚に連れて行かれていく人たちを嘆いたのであって、彼の時代から500年も先の出来事について語ったのではありません。イザヤやエレミヤは、彼らが生きていた同じ時代の人々に対して語りかけたのであり、彼らの時代から数百年後の子孫たちに向けて語ったわけではないのです。この問題は簡単には説明できない問題です。マタイの旧約聖書預言の用い方というのは、今後の説教で少しづつ解説していきたいと思います。ここでこれだけは申し上げたいのは、マタイは、イエスのあらゆる行動はすべて旧約聖書に予告されているのだと言いたいわけではない、ということです。むしろマタイは、イエスの生涯とイスラエルの歴史との間には深い関係があるということを読者に伝えたいのです。これは私の恩師であるN.T.ライトという新約聖書学者が語っていることですが、マタイはイエスの生涯をイスラエルの歴史の縮図として描いています。それがどういう意味なのかということは、これからの説教で明らかにしていきます。

2.本論

では、今日のテクストを読んで参りましょう。今日の箇所はイエスの系図です。イエスについての物語が始まる、と期待する読者は、いきなり長々とした系図を見せられて面食らうかもしれません。私の大学の後輩に柳生君という人がいたのですが、彼はあの有名な柳生一族の末裔だそうで、その家系図を持っているそうですが、そういう特殊な場合を除いて私たちの中で何十代前の祖先が誰かなどということを気にする人はいないでしょう。しかし、イエスの時代のユダヤ人にとって家系というというのは極めて重要なことでした。なぜなら神はアブラハムの子孫に大いなる約束を与えましたので、ある人がその約束を受けられるかどうか、相続人になれるかどうかは、その人が実際にアブラハムの子孫かどうかにかかってくるからです。下世話なたとえですが、皆さんも、自分が1億円という遺産の相続人かもしれない、その遺産を受け継ぐには自分がその遺産の正当な受取人であることを証明しなければならない、ということになれば必死に自分の家系図を探そうとするでしょう。マタイ福音書が家系図から始まるというのは、当時のユダヤ人の家系への強いこだわりを反映しています。これなども、マタイが「ユダヤ的な」福音書であることの一つの表れだと言えます。

最初の一行目は、メシアであるイエスがアブラハムの子孫であり、ダビデの子孫であることが特筆されています。イスラエルの歴史の中でも、特にアブラハムとダビデが重要視されているのです。その理由はこれから説明します。この一文のギリシア語原文を読むと、ビブロス・ゲネセオス・イエズゥ・クリストウとなっています。ビブロスとは本という意味で、ゲネセオスとは英語のジェネシス、つまり創世記という意味です。ですからこの出だしを直着すると、「イエス・メシアの創世の書」、「イエス・メシアの創世記」ということになります。なかなか壮大な書き出しではないでしょうか。ここにはイエス・キリストご自身の起源、家系のルーツについてという意味合いと、イエス・キリストにおいて新しい創世、新しい創造が始まるという二重の意味合いが込められているように思えます。

ルカ福音書のイエスの系図では、人類全体の祖先であるアダムからの系図になっていますが、マタイ福音書では族長アブラハムから系図が始まっています。マタイはイエスの生涯をイスラエルの歴史の縮図として描いた、ということを先に申しましたが、イエスの系図がイスラエル民族の祖であるアブラハムから始まるということもそれを強く示唆するものです。イエスがアブラハムの子孫であることがなぜそれほど重要かと言えば、それは神がアブラハムに与えた約束が問題になるからです。神は、アブラハムが神の命令に従ってその独り子イサクをまさに献げようとしたときに、それを押しとどめてアブラハムの信仰を賞賛します。そしてこう約束しました。「あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる」(創世記22:18)と。この世界の国々に祝福をもたらすのが、アブラハムの子孫、すなわちイエス・キリストだというのがマタイの主張です。ですからイエスの系図はアブラハムで始まるのです。

さて、この系図の特徴の一つは「十四」という数字の強調です。アブラハムからダビデまでが十四代、ダビデからバビロン捕囚までが十四代、バビロン捕囚からイエスまでが十四代ということです。この十四という数字がなぜ重要かといえば、この数字はダビデを表わす数字だからです。どういうことかといえば、現在私たちはアラビア数字という大変便利なものを使っています。しかし、アラビア数字がなかったとしたらどうでしょうか?古代の人々は、アラビア数字がないかわりにアルファベットを数字としても使っていました。英語で言えば、aがaという言語であるだけでなく、数字の1を意味したということです。ヘブライ語も同じでした。ヘブライ語のアルファベットであるアレフは1、ベートが2、という数字をも意味したのです。ダビデを表わす三文字(ダレット、ヴァヴ、ダレット)はそれぞれ4、6、4ですので合計すると14なのです。ですから、このマタイ福音書の系図がなぜ十四代という数字にこだわるのかといえば、それはダビデを示す数字だからです。そして、アブラハムに続いて焦点が当たるのは、アブラハムから数えて十四代目のダビデです。しかし、ダビデという人物はこれまでサムエル記で学んできたように、光と影のある人物です。特に彼の後半生は、この人物の信仰について重大な疑問符を突き付けます。彼はアブラハムのように信仰の生涯を全うしたとは言い難いということです。では、なぜダビデがこんなに注目されているのでしょうか。ここでも、ダビデ本人というよりも、神がダビデに与えた約束の方が重要なのです。神は、バテ・シェバ事件を起こす前のダビデに、次のような約束を与えました。それは、「あなたの家とあなたの王国とは、わたしの前にとこしえまでも続き、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ」(第二サムエル7:16)というものです。神はダビデに対し、あなたの王国はサウルの王国のように短命では終わらずに、永遠に続くと約束したのです。しかし、この約束は、すくなくともそれから四百年後には潰えたように見えました。それがバビロン捕囚です。ダビデ王朝は、当時の超大国であるバビロンによって攻め滅ぼされ、ダビデの王座は消滅してしまったからです。この系図ではダビデから十四代目にバビロン捕囚が来ます。こうなると、ダビデに対する神の約束はどうなってしまうのか、という問題が生じます。ここで、イエス・キリストが求められるのです。神のダビデへの約束、永遠の王国の約束は、イエス・キリストにおいてついに実現するというのがマタイの主張なのです。ちなみに、系図で用いられているこの「十四」という数字は象徴的なものであり、厳密には実際の数字ではありません。なぜなら、このマタイの系図ではダビデ以降のキリストまでは二十七代となっているのに対し、ルカ福音書の系図では同じ期間は四十二代もあるからです。

このように、マタイはこの系図において、イエスこそ神のアブラハムへの約束、そして神のダビデへの約束を成就する方なのだ、ということを示しています。マタイはこの系図において、この福音書の最も大切なテーゼを示そうとしているのです。

そしてこの系図にはもう一つ、非常に興味深い特徴があります。それは、女性の名前がこの系図に四人も含まれていることです。イエスの母マリアを含めれば五人ですが、ここではマリア以外の四人のことを言っています。現代の価値観でいえば家系図に女性の名前があるのは当たり前のことですが、古代社会は徹底した男尊女卑の時代、女性の証言は法廷では認められないような時代だったことを忘れてはなりません。しかも、その四人というのが貞淑で模範的な女性たちではなく、むしろ問題含みの女性ばかりなのです。その四人とはタマル、ラハブ、ルツ、そしてウリヤの妻、つまりバテ・シェバです。タマルという女性は売春婦を装ってユダと性的関係を持った女性で、ラハブはエリコの売春婦です。しかも彼女はイスラエル人ではなく異邦人です。ルツはダビデの祖先として有名ですが、彼女もイスラエル人ではなくモアブ人です。律法によれば、モアブ人はイスラエルの集会に加わることが禁じられています。そして、あのバテ・シェバです。彼女との不法な結婚によってダビデの家は崩壊してしまったのです。このように、イエスの時代には「罪人」と呼ばれた売春婦、あるいは姦淫の女性、そして同じくイエスの時代には「罪人」と呼ばれた異邦人、こうしたカテゴリーに入る女性ばかりがイエスの系図に記されているのです。これは何を意味するのでしょうか?マタイは、イエスがイスラエル民族のためのメシアであるだけでなく、イスラエル以外の外国人、あるいはイスラエルからは「罪人」として排除されていたような人たちのための救世主であるということを示そうとしたのです。イエスはあらゆる人々、男性も女性も、ユダヤ人も異邦人も、義人も罪人も、これらすべての人を救う救い主なのです。

3.結論

まとめになります。これからマタイ福音書をじっくりと読んで参りますが、最初はイエスの系図を学びました。系図というと無味乾燥なイメージを持つかもしれませんが、このマタイ福音書のイエスの系図は非常に興味深い、神学的に示唆に富んだものです。ここで強調されているのは二つでした。一つはイエスが旧約聖書のあらゆる約束を成就する人物だということです。使徒パウロは第二コリント書簡で、「神の約束はことごとく、この方において『しかり』となりました」(1:20)と記していますが、マタイもまったく同じことをこの家系図で示そうとしたのです。そしてもう一つは、イエスはイスラエルのためでなく、あらゆる人々、すべての人類のための救世主だということです。この二つのメッセージがこの家系図に刻まれています。

このように、イエスという人物の重要性がこの系図に暗示されているのですが、では彼が一体どんな方だったのか、ということはこれから段々と明らかになっていきます。マタイ福音書にはイエスについての非常に大切な情報がたくさん含まれていますが、それはマタイ福音書を慎重に読み解いていくことで明らかになるでしょう。それは簡単なことではなく、大変根気の必要なものです。この者が、そのような大切な役割を果たすことができるように、ぜひ皆様に祈っていただきたいと願っております。お祈りします。

イエス・キリストの父なる神様、そのお名前を賛美します。今朝からマタイ福音書の説教に入りましたが、どうか主の助けと憐みにより、この講解説教が実り多いものとなりますように。聞くみなさまの上にも聖霊の導きがありますように。われらの救い主イエス・キリストの聖名によって祈ります。アーメン

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ダビデの歌第二サムエル22章1~51節 https://domei-nakahara.com/2025/06/15/%e3%83%80%e3%83%93%e3%83%87%e3%81%ae%e6%ad%8c%e7%ac%ac%e4%ba%8c%e3%82%b5%e3%83%a0%e3%82%a8%e3%83%ab22%e7%ab%a01%ef%bd%9e51%e7%af%80/ Sun, 15 Jun 2025 00:35:00 +0000 https://domei-nakahara.com/?p=6508 "ダビデの歌
第二サムエル22章1~51節" の
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1.序論

みなさま、おはようございます。約二年間に及んだサムエル記からの講解説教も今回で最終回となります。ハンナの祈りから始まったサムエル記ですが、サムエルやサウル、ダビデといった非常に個性的な登場人物が生き生きと描かれた、旧約聖書文学の最高峰と呼ぶべき非常に内容の濃い話でした。その講解説教の結びに当たり、今日は第二サムエル記の22章に収められたダビデの歌を見て参りましょう。

この歌は、詩篇18編に収録されているダビデの歌と同じものです。これは、若き日のダビデがサウル王の手から救い出されたときに歌われたものだとされています。つまり、ダビデが王となった後に奢り高ぶり、バテ・シェバ事件やウリヤ殺害を引き起こし、その結果ダビデの家が完全に崩壊していくというダビデの後半生をこれまで見てきましたが、この歌はダビデがそのようになってしまう前の時期、信仰者として最も充実していた時期のダビデの歌だということです。しかし、長々とダビデ家が崩壊していく物語を聞かされた私たちがここで突然、堕落する前の輝かしい時期のダビデの歌を聞かされると違和感を覚えるかもしれません。あれほどの罪を犯したダビデが「私は主の道を守り、私の神に対して悪を行わなかった」などと言っても、何と白々しいとかえって反発を覚えてしまいます。むしろ、アブシャロムの乱という最悪の出来事を経験した晩年のダビデの悔悛の歌を聞きたいと思うのではないでしょうか。では、サムエル記の作者はなぜこのダビデの歌を彼の人生の終わりの記述の中に置いたのでしょうか?その意味を考える前に、まずはダビデの人生全体を振り返ってきましょう。

旧約聖書には様々な人物が登場します。どの人物も、とても個性豊かなので、類型化はできないとは思いますが、あえて私なりに三類型を提示してみたいと思います。第一の類型は「ヤコブ型」です。ヤコブという人物は、最初はお世辞にも信心深いとは言えず、父親を騙すなど、本当にこんな人が神に選ばれた人なんだろうか?という疑念を読者に抱かせるような行動ばかりしています。しかし、そんな彼が神の取り扱いを受け、また自分の罪の問題にも真剣に向き合うようになり、最終的には非常に霊性の高い人間となっていくというものです。第二の類型は「エレミヤ型」です。若い時のエレミヤは、ヤコブのようにひねくれたような面があったわけではないですが、しかしどこかナイーブなところがあり、危なっかしいと感じさせることもありました。しかし、多くの苦難に直面しながら段々と強さやたくましさを身に着けていき、ついには謙虚でありながらも揺るがない心を持つ神の人へと成長していくというものです。モーセもこのような類型の人物と考えてもよいのではないでしょうか。そして第三の類型は「ダビデ型」です。若い時のダビデは神への信仰に篤く、勇敢であり、苦難の時にも神への信頼を失いません。まさに今日の「ダビデの歌」で言い表されているような信仰の持ち主です。しかし、そのダビデも絶対的な権力を手に入れると傲慢になり、次々と罪を重ねて自滅していきます。そういう残念な人生ですが、彼の前のサウル王もそのような人生を送ったと言えるかもしれません。このように言うとショッキングに響くでしょうが、ダビデやサウルの原型ともいえるのがサタンです。もともと大天使であったサタンはあまりの美しさゆえに高慢になり、神に反逆したと言われています。預言者エゼキエルは次のように記しています。「あなたの心は自分の美しさに高ぶり、その輝きのために自分の知恵を腐らせた。そこで、わたしはあなたを地に投げ出し、王たちの前に見せものにした」(エゼキエル28:17)。ダビデやサウルも、始めは神に忠実だったのに、絶対権力者である王となってからは段々と神の道から逸れて行ってしまいました。サウルはともかく、ダビデとサタンを比較するなどとんでもない、と思う人も多いでしょうが、しかしダビデの人生が転落の人生であることは確かです。

ダビデの人生は、この世における成功が信仰者にとっては罠となってしまうという警告を私たちに与えています。主イエスを信じるクリスチャンであっても、多くの人はこの世での成功や名声や財産を求めます。私たちは競争社会に生きていて、子どもの時からスポーツや芸術での勝利、あるいは学歴社会での勝利を目指すようにとけしかけられています。スポーツや勉強は自分を磨くためだ、自分との闘いだ、というようなことが言われますが、それがきれいごとにしか聞こえないほど私たちは子どものころから人に勝つこと、実績を挙げることを求められます。もちろん、努力して神から与えられた自分の才能を伸ばすことは良いことです。しかし、その成功に対する報酬が大きくなればなるほど、私たちの霊性が脅かされる可能性も高くなるということを忘れないようにしたいものです。では今日のダビデの歌そのものを見て参りましょう。

2.本論

今日のダビデの歌は詩篇18編と同じだ、ということは申し上げました。その他にも、この歌は旧約聖書の多くの箇所と関連の深い内容になっています。そこで、今回はたくさん旧約聖書の他の箇所に言及することをあらかじめ申し述べておきます。では、2節から3節をお読みしましょう。「主はわが巌、わがとりで、わが救い主、わが身を避けるわが岩なる神、わが盾、わが救いの角、わがやぐら。私を暴虐から救う私の救い主、私の逃げ場」となっています。ここで注意したいのは、神がすべて防御用の物事に譬えられていることです。神が刃とか、槍とか、人を殺傷するための武器ではなく、人を攻撃から守る盾など、そういうイメージで神が語られているのです。新約聖書でも同じで、神の武具と呼ばれるものは盾とか兜とか胸当てとか、大抵は防御用のものです。その唯一の例外は「剣」ですが、これは「私たちの心を刺し貫く」というような意味合いでのみ用いられています。つまり、人間の体に危害を与えるための剣ではなく、私たちの心に深く突き刺さる「神のことば」のたとえとして剣という言葉が使われているのです。新約聖書では平和が強調されているのに対し、旧約聖書の神は好戦的な神として描かれているというようなことがしばしば言われますが、この詩篇で描かれている神は攻撃ではなく防御、ダビデを守る方として描かれているのは大変興味深いことです。

 5節から20節までは、死の谷を歩み、危機にあるダビデが神の助けを叫び求めると、天から神が救出にやって来られる様が劇的に、また詩的に描かれています。神がその民の叫びを聞かれるというテーマは、旧約聖書では最初に出エジプト記に登場します。その箇所を読んでみます。出エジプト記2章23節から25節です。

イスラエル人は労役にうめき、わめいた。彼らの労役の叫びは神に届いた。神は彼らの嘆きを聞かれ、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた。神はイスラエル人をご覧になった。神はみこころを留められた。

神はその民の苦しみの声、叫びを聞かれます。この詩篇においても、ダビデの声を聞かれた神が天から降りて来られる様が描かれています。もちろん神は霊ですから、このように実際に神が天から降りて来るのを人間が肉眼で捉えることはできません。それはダビデの時代も、私たちの時代も同じです。しかし、私たちの霊眼が開かれれば、神とその軍勢が私たちのために戦ってくださるのを見ることが出来るのです。そのことは、預言者エリシャが示してくれたことです。その箇所もお読みしましょう。第二列王記6章15節から17節です。

神の人の召使いが、朝早く起きて、外に出ると、なんと、馬と戦車の軍隊がその町を包囲していた。若い者がエリシャに、「ああ、ご主人さま。どうしたらよいでしょう」と言った。すると彼は、「恐れるな。私たちとともにいる者は、彼らとともにいる者よりも多いのだから」と言った。そして、エリシャは祈って主に願った。「どうぞ、彼の目を開いて、見えるようにしてください。」主がその若い者の目を開いたので、彼が見ると、なんと、火の馬と戦車がエリシャを取り巻いて山に満ちていた。

このように、私たちの肉眼では霊の世界のことは見えないし分かりませんが、この世界と霊の世界は重なり合っているのです。私たちが信仰的に落ち込んで神のことが信じられなくなるときは、霊的な意味での悪の軍勢に囲まれてとりこにされてしまっているのです。そしたときに、ますます私たちは落ち込みます。しかし、神はそのような私たちを救出すべく天から降りて来られます。ダビデは霊的な目が開かれて、その様子を見ることが許されました。その様子が10節と11節に描かれています。

主は、天を押し曲げて降りて来られた。暗やみをその足の下にして。主は、ケルブに乗って飛び、風の翼の上に現れた。

もちろん、ダビデは言い尽くせないような神の栄光を表すために、非常に劇的な描写を用いているのであって、神の姿が文字通りにこのようであったとは言えません。人間には神のみ姿を見ることは許されていませんので。しかし、このダビデのイマジネーション溢れる描写は後の時代のイスラエル人に大変大きな影響を及ぼしました。大預言者イザヤもその一人です。イザヤがダビデの表現に基づいて神の降臨を描いていると思われる箇所を見てみましょう。イザヤ書64章1節から2節です。

ああ、あなたが天を裂いて降りて来られると、山々は御前で揺れ動くでしょう。火が柴に燃えつき、火が水を沸き立たせるように、あなたの御名はあなたの敵に知られ、国々は御前で知られるでしょう。

このように、後の預言者たちに影響を与えていることはダビデの詩人としての面目躍如といったところです。17節には、ダビデが天から降りて来られたダビデが神によって救出される様が劇的に描かれています。「主は、いと高き所から御手を伸べて私を捕らえ、私を大水から引き上げられた。」この、神による救出というのはダビデにとって非常に重要なテーマであり、他の歌にも見られるものです。詩篇40編の冒頭には以下のような下りがあります。

私は切なる思いで主を待ち望んだ。主は私のほうに身を傾け、私の叫びを聞き、私を滅びの穴から、泥沼から、引き上げてくださった。そして私の足を巌の上に置き、私の歩みを確かにされた。

今日の聖書箇所の17節から20節までも同じようなことが書かれています。ダビデにとって、溺れた人が救い出されるというイメージがとても大切だったのが分かります。

 そして、21節から28節までは、なぜダビデが苦境から救い出されたのか、その理由が記されています。それは、ダビデは主の前に常に清く正しく歩んだからだ、というものでした。ダビデはこう言っています。

私は主の前に全く、私の罪から身を守る。主は、私の義にしたがって、また御目の前のわたしのきよさにしたがって 私に償いをされた。

バテ・シェバ事件以降のダビデを知っている私たちからすればこれは驚くような発言ですが、しかしサウル王に追われて放浪者だったころのダビデは確かに主の前に正しく歩んでいたのです。彼はサウル王からいわれのない嫌疑をかけられてもサウル王に報復せずに、さばきを主に委ねました。サウル王も、ついにはダビデに対し、あなたは私よりも正しい、主があなたに幸いを与えるだろうと宣言するまでになりました。これはまったく皮肉なものです。理不尽な目にばかりあって、まるで神から見放されていたように見えた頃のダビデが信仰者としてはもっとも輝いていて、反対にこの世の栄耀栄華をすべて手に入れてまさに神の寵愛を一身に集めていたように見えた頃のダビデが信仰者としてはまったく堕落してしまっていたのですから。しかし、ここに重要な真理があります。先ほども申しましたが、この世における大きな成功は私たちの霊性においては大いなる罠になってしまうということです。これは難しい問題です。確かに私たちは自分たちに神から与えられた才能を生かし、伸ばすべきです。しかし、その結果としてこの世から大きな賞賛が与えられると、私たちは何か非常に大切なものを失いかねないということです。実際、この世での成功は大きな代償を伴うということを私たちはみな知っているのかもしれません。政治家が選挙で勝つため、あるいは大臣ポストを得るために自らの信念を曲げる、サラリーマンが自らの良心を殺してでも会社の利益のために行動する、というようなことがあるのを私たちは知っています。偉くならなければ、上に行かなければ何も変えられない、世の中をよくするためには出世するしかない、そして出世のために自らの理想や信念を一時的に棚上げするのは仕方のないことなのだ、ということがしばしば言われます。しかし、そうして世と折り合いをつけていくうちに、私たちは何か大事なものを失っている、代償を支払っているということも忘れてはならないのです。ダビデも、いつしか保身のために道に迷い、神の掟を破り、大変な災いを招くことになりました。ダビデはこう続けています。

あなたは、恵み深い者には、恵み深く、全き者には、全くあられ、きよい者には、きよく、曲がった者には、ねじ曲げる方。

この言葉はダビデにそのまま当てはまりました。ダビデがひたすら主に忠実であった時には、神は大いなる報いを彼に与え、羊飼いに過ぎなかった彼は王にまで出世しました。しかし彼の心がねじ曲がり、無実のウリヤを殺害した後は、彼の人生にはひたすら災いがありました。神はそれぞれの人に行いに応じて報いられるというのはいつの時代にも真理なのです。

そしてダビデの次の言葉は、サムエル記の冒頭にあったハンナの祈りを思い起こさせます。「あなたは、悩む民を救われますが、高ぶる者に目を向けて、これを低くされます。」ハンナもこう歌っています。「主は、貧しくし、また富ませ、低くし、また高くするのです。」サムエル記全体がまさにこのようなテーマに貫かれていると言えます。ダビデはまさにその典型でした。彼は小さな名もなき羊飼いでしたが、苦難においてさえも神に忠実だったがゆえに引き上げられて、イスラエルの王にまで昇りつめました。しかし、成功して高ぶってからは、辱められ、低くされました。このダビデの一生の中にサムエル記のテーマが凝縮されていると言えるのではないでしょうか。

3.結論

まとめになります。今日はサムエル記の結びの部分に収録されているダビデの歌を読んで参りました。この歌は、晩年のダビデの歌ではなく、むしろダビデが信仰者として最も充実していた時期、すなわちサウル王の嫉妬によってゆえなく命を狙われ、何度も命の危険を乗り越えたダビデが神に感謝して歌った歌でした。この歌が第一サムエル記の終わりに置かれているのならともかく、どうしてこの箇所に収録されているのか、不思議に思う方もおられると思います。私もそうでした。その理由を自分なりに解釈すれば、サムエル記の作者は私たちに大切な教訓を与えようとしているのだと思います。今やダビデの悲惨な後半生を知る私たちは、この青年時代のすがすがしく自信にあふれたダビデの歌を読むときに、人の人生の移ろいやすさというものを感じずにはおれません。あんなに立派だった人が、とその落差を思わざるを得ないのです。そしてそれがサムエル記の記者の狙いなのではないでしょうか。私たちの人生は、苦しい時期、ピンチだと思われる時期、将来が不安で一杯な時期の方が、神との関係でいえば実は安全なのかもしれません。なぜならこういう時期の私たちは神により頼まざるを得ないからです。苦難の時は、私たちの心は主に近く、それゆえ安全なのです。ひるがえって、ひとたびこの世の提供する安心・安全を手にしてしまうと、私たちの心は知らず知らずのうちに神から遠ざかっていきます。「私は安全だ。私を脅かすものはなにもない」という心が忍び寄ってくるのです。しかし、こういう状態が実は一番危険なのです。ダビデがまさにそうでした。外国との戦争も部下に任せて自分は安穏と王宮でうたたねをしていたときに、大きな罪がダビデの心に忍び寄りました。その後にどうなったかはよく知る通りです。私たちの人生は、ある意味で安心・安全を求めるためにあるといっても過言ではありません。私たちが必用以上にお金を貯めたり、いろいろな心配事をするのもすべては将来の不安を取り除きたいからです。しかし、それで自分が本当に安全になるのかを今一度問うてみたいと思います。主イエスは「人は、たとい全世界を手に入れても、まことの命を損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう」と語られました。この言葉は、人としての栄華を極めながらすべてを失ったダビデの生涯を思う時、一層強く胸に迫ります。私たちはまことのいのちを目指して歩んで参りましょう。お祈りします。

天におられます我らの父よ、二年間におよぶサムエル記からの講解説教を守り導いてくださったことに感謝します。本当にいろいろなことを考えさせられましたが、その一つ一つが今後の信仰生活の糧となりますように。われらの平和の主イエス・キリストの聖名によって祈ります。アーメン

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御霊に従うローマ書8章5節~15節 https://domei-nakahara.com/2025/06/08/%e5%be%a1%e9%9c%8a%e3%81%ab%e5%be%93%e3%81%86%e3%83%ad%e3%83%bc%e3%83%9e%e6%9b%b88%e7%ab%a05%e7%af%80%ef%bd%9e15%e7%af%80/ Sat, 07 Jun 2025 23:56:00 +0000 https://domei-nakahara.com/?p=6485 "御霊に従う
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みなさま、ペンテコステおめでとうございます。毎年ペンテコステ礼拝のさいには、私はいつも「ペンテコステ」とは何か、という短い説明をしてきました。といいますのも、キリスト教の三大主日のうち、クリスマスやイースターについてはキリスト教にあまり関心のない方々にも広く知られているのに対し、ペンテコステについてはクリスチャンでない方々にはほとんど知られていないからです。その理由は、クリスマスやイースターが何の日であるのかの説明がしやすいのに対し、ペンテコステについてはその意義を説明するのが簡単ではない、ということがあるように思います。

クリスマスはイエスの誕生を祝う日で、イースターはイエスの復活を祝う日です。では、ペンテコステとは何か?というと、しばしば「教会が誕生した日だ」ということが言われます。しかし、正確に言えばペンテコステは教会の誕生した日ではありません。教会とは、イエスが救い主であることを信じる人々の群れですが、ペンテコステと呼ばれる日の前から、イエスを信じる人々の群れは存在していたからです。では、ペンテコステの前と後では何が違ったのかといえば、それは人々に「イエスは主である」と公に告白する勇気があったか、なかったか、その違いにあります。ペンテコステの前には、イエスを信じる人たちは一緒に集まってはいたのですが、しかしそれは人目を忍んで、隠れて集まっていました。それは彼らが迫害を恐れていたからです。なぜ彼らはビクビクしていたのか?それは彼らの絶対的な指導者であるイエスが犯罪者として処刑されてしまったからでした。イエスが十字架刑で殺されたことの意味は重大です。なぜなら十字架刑とは宗教的な罪に対してではなく政治的な罪、特に国家転覆罪などの暴動や反乱に加担した人物をみせしめとして殺すための方法だったのです。端的に言えば、イエスは当時の超大国であり、ユダヤを支配していたローマ帝国に反乱を企てた者として殺されたのです。もちろん、イエスは暴力的な反乱などはまったく考えてはいませんでしたが、イエスを処刑した側はそのような嫌疑でイエスを殺したのです。となると、イエスの仲間だとみなされてしまうと、彼らもまたローマに対する反乱を企てる危険分子だとみなされて、逮捕され最悪の場合は殺されてしまうかもしれません。弟子たちはそれが怖かったので、イエスが復活したのを目撃してこの人こそ本物の救い主だと確信したものの、その確信を公の場で告白することを恐れたのです。そんなことをすれば逮捕されて殺されてしまうかもしれないからです。

このように、非常に現実的な恐れからイエスの弟子たちは自らの信仰を告白することを恐れました。彼らは復活した主イエスを目撃したことで、「この人こそ本物の救い主だったのだ」という強い確信を得ました。しかし、心の中で強く信じることと、それを人々の前ではっきりと告白することとは別物なのです。つまりは、イエスの復活を目撃するという、彼らの世界観をひっくり返すような衝撃的な経験さえも、命をも恐れずにその信仰を告白するという勇気までは彼らに与えてはくれなかったのです。しかし、歴史を振り返れば分かるように、こうして怯えて隠れていた弟子たちは、これから命がけで世界中にこの犯罪者として惨めに十字架で死んだイエスこそ本物の世界の王なのだという、初めて聞く人にはきちがいじみた福音を世界に届け、その多くは殉教の死を遂げています。では、なぜ彼らはこんなに変わったのでしょうか。なにが彼らに、命がけで福音を届ける勇気を与えたのでしょうか?その答えが、ペンテコステの日に彼らに激しく降った「聖霊」でした。聖霊は彼らを劇的に変えました。彼らに勇気を与えました。聖霊に押し出されて、使徒たちは世界中に出て行ったのです。

このように、「聖霊」というお方は私たちを劇的に変える、作り変える力を持ったお方です。今日の説教は、使徒パウロの書簡から、この私たちを「変える」聖霊の力について学んで参ります。今日の説教で特に強調したいのは、パウロの神学における「聖霊」の重要です。パウロの神学というと、「信仰義認」ですとか「十字架の神学」ということが言われますが、実際はパウロの神学、特に救済論においてもっとも重要なのは「聖霊」です。けれども、パウロ神学というと、実際のところ多くの人が真っ先に思い浮かべるのはやはり「信仰義認」ではないでしょうか。つまり「行いではなく信仰で救われる」という教理です。このように聞くと、「救われるためには行いは必要ないんだ。信じるだけでいいんだ」という風に考える方がとても多いように思います。キリスト教の福音とは、何の行いがなくても、頭で、心で信じれば救われるということなのだ、なんて簡単なことでしょう!というように説明されることも少なくないのではないでしょうか。しかし、聖書はなんと言っているでしょうか。主イエスはこう言われました。

わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者がみな天の国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです。(マタイ7:21)

と、このように救われるのは「行う」人だとはっきりとおっしゃっています。また、その主の兄弟ヤコブもこう言っています。

あなたは、神はおひとりだと信じています。りっぱなことです。ですが、悪霊どももそう信じて、身震いしています。ああ、愚かな人よ。あなたは行いのない信仰がむなしいことを知りたいと思いますか。(ヤコブ2:19-20)

つまり、頭で信じるだけで救われるのなら悪霊も救われるということになります。悪霊たちはイエスが全世界の主であることを強く確信していますから、彼らもみんな救われることになってしまいます。しかし、それがおかしいことはだれでも分かるでしょう。そして「信仰義認」を説いたパウロもこう書いています。

あなたがたは、正しくない者は神の国を相続できないことを、知らないのですか。だまされてはいけません。不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、盗む者、貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪をする者はみな、神の国を相続することができません。(第一コリント6:9-10)

このようにパウロは正しい行いをしない者は救われないとはっきり述べています。しかも、一度ならず何度も述べています。こうしてみると、「行いはいらない、信じるだけでよい」というのは明らかに非聖書的な主張なのです。確かに、私たちは価なしにキリストの贖いによって義とされます。義とされるとは、神から遠く離れた状態から、神との正しい関係に入る、戻されるということです。しかし、神との正しい関係にあるからこそ、私たちはその後は正しい歩みを続ける必要があります。正しい歩みとは、つまりは正しい行いです。ですから「行いはいらない、信じるだけでよい」というような言い方は、聖書を真面目に読むならば、おかしいのは誰でも分かります。でも、パウロは「律法の行いではなく、キリストのピスティスによって義とされる」と述べているではないですか?という方もおられるでしょう。この問題については、キリストの信仰と訳される「キリストのピスティス」とは一体どういう意味なのかをしっかりと考える必要がありますが、今日の説教ではこのテーマには入りません。しかし、このパウロの難解な言葉を別にすれば、イエス御自身のことばを含む聖書の圧倒的な証言は、「救いに行いは不要だ」などということは決して言ってはいないのです。それでも、そういう考え方が流行ってしまうのは、そのほうが私たちにとって都合が良い、楽だからなのかもしれません。しかし、そんな考えでいると終わりの日に後悔することになりかねません。

でも、そういわれると私たちは困ってしまいますよね。「そんなことを言われても、私は正しく生きるなんてことはできません。それができないから、こうして救いを求めているのではないですか」という方もおられるでしょう。そして、キリスト教の教理でしばしば言われるのは、「大丈夫です。あなたが正しい行いができなくても問題ありません。なぜならあなたが行うべき正しい行いは、キリストが代わりにやってくださったからです。あなたは、キリストがあなたに代わってやってくださった行いを、信じるだけで自分のものとすることができるのです」というような教えがあります。言い方が悪いですが、これは替え玉受験のようなもので、あなたが受けるべき人生というテストをキリストが代わりにやってくださったということです。しかし、聖書には本当にそんなことが書いてあるのでしょうか?こう考えている方は、自分自身でしっかり聖書を確かめてみることをお勧めします。

パウロはそのような教えではなく、まったく別のことを語っています。それは自分でやらなくてもイエスが代わりにやってくれるというような話ではなく、あくまで自分でやるのですが、しかし一人でやるのではない、聖霊がついてくださるということです。「聖霊」があなたを変える、聖霊の力によって、ダメだったあなたは正しい歩みができるようになる、ということを語っているのです。それが今日の箇所のエッセンスです。パウロは、なぜ私たちが正しい行いができないのかといえば、私たちが「肉」の力に囚われているからだと言います。今日の7節で、パウロはこう説明しています。

というのは、肉の思いは神に対して反抗するものだからです。それは神の律法に服従しません。いや、服従できないのです。

私たちは、自分では良くないと思っていても、つい欲望に負けて罪を犯してしまうということがあります。女性の方々を前にして不愉快な話をするのをお許しいただきたいのですが、最近はNHKのニュースなどでも毎週のように痴漢の報道があります。それも学校の先生とか警察官とか、社会の中で一番信頼されるべき人たちがそういうことをしてしまったという報道が後を絶ちません。彼らがしばしば言うのは、「欲望に負けてしまった」という言い方です。悪いと分かっているのに、欲望に突き動かされてしまったというのです。もちろん性被害に遭われた方々の恐怖や無念を思えば、こんな言い訳は許されないのですが、しかし人間は弱い存在でもあります。あの神の人のダビデでさえ、衝動的な性欲に負けて彼の後半生を台無しにしてしまったのですから。しかも今日のテレビやインターネットの広告は、私たちの欲望を刺激するものばかりです。そういう意味で、現代人は大変な時代に生きていると言えるかもしれません。

パウロは、このように肉の欲望に振り回されている人に対して「福音」を伝えました。ローマの人たちにとっても、欲望を抑えるというのは大変重大な関心事だったのです。では、具体的にどのようにして欲望に打ち勝つことができるのでしょうか?パウロの示したポイントは二つです。ひとつは、過激に聞こえるかもしれませんが、キリストと共に十字架に架かって、それで肉の働きを殺すというものです。パウロはガラテヤ書の5章24節でこう述べています。

キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。

これと同じことを、パウロはローマ書簡でも語っています。それがローマ書6章6節です。お読みします。

私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなったためであることを、私たちは知っています。

このように、パウロは繰り返し私たちの罪のからだ、肉のからだは十字架につけられたのだと語ります。しかし、私たちが文字通りに十字架に架かるわけではありませんので、これは一種の比喩的な表現だということになります。ではパウロは何を言いたかったのでしょうか?その点を考えて見る前に、パウロが欲望に打ち勝つ二つ目のポイントに挙げたものを見てみましょう。一つ目はキリストと共に十字架に架かることですが、二つ目は「聖霊に従う」ということなのです。パウロは今日の箇所の13節でこう述べています。

もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行いを殺すなら、あなたがたは生きるのです。

このように、パウロは聖霊が肉のからだの働きを殺すと述べています。しかし、十字架に肉の欲望を付けなさいとか、御霊によってからだの行いを殺しなさいとかいわれても、なんだかとても曖昧で良く分からないですよね。じゃあ、具体的にはどうすればよいのか、と思われるのではないでしょうか。

私たちはどうすれば聖霊に従うことができるのでしょうか?いえ、もっと分かりやすく言えば、どうすれば聖霊が私たちの上に働いてくださるのでしょうか。単刀直入に言えば、聖霊は私たちが福音を聞くことで私たちの上に働きます。この場合、福音を「イエスの生涯」と言い直してもよいでしょう。私たちがイエスのご生涯の話を聞き、そしてその生き方に倣いたい、そのように生きたいと願う時に聖霊は私たちの上に強く働くようになるのです。これがポイントです。

ここで忘れてはならないのは聖霊、神の霊とはキリストの霊、キリストの御霊とも呼ばれることです。聖霊とは主イエスご自身の霊なのです。ですから私たちに聖霊が降るということは、私たちが主イエスそのものを受けるということなのです。主イエスがある意味で私たちに乗り移って、私たちを強め、助け、ご自身のように生きる力を私たちに与えてくださるのです。よくスポーツ選手が、試合の時に先輩の選手の力が自分に乗り移って、思わぬ力を発揮できた、というようなことを言うことを聞きますよね。ある意味で聖霊を受けるというのはそういう意味であり、パウロはこのことを非常に劇的な言い方で表現しています。これはガラテヤ書の一節ですが、より原文に近い訳ということで新改訳ではなく聖書協会共同訳からお読みします。ガラテヤ書の2章19節と20節です。

私はキリストと共に十字架につけられました。生きているのは、もはや私ではありません。キリストが私の内に生きておられるのです。私が今、肉において生きているのは、私を愛し、私のためにご自身を献げられた神の子の真実によるものです。

福音の私たちを救う力とは、自分もイエスのように生きたいと思わせる力であり、そして実際にそのように生きる力を私たちに与えるのは主イエスご自身の霊なのです。自分の体をキリストと共に十字架に付けなさい、ということの意味は、私たちも自分の人生においてキリストが苦しまれたような苦難を受けることを恐れるな、ということです。なぜなら、そのような時にこそキリストの霊が私たちの内に強く働くからです。私たちがイエスのように苦しむとき、そのような時には私たちは肉の欲望に支配されずに、むしろ主イエスの力に満たされるのです。主イエスが私たちと共にいてくださる、という確信を抱くときはすなわち聖霊、主イエスの霊が私たちと共にいてくださるときなのです。したがって、聖霊を受けたいと願うならば、イエスの生涯を深く学び、常に心に留めておくべきなのです。

まとめになります。キリスト教神学において、聖霊論は一番難しいとしばしば言われます。しかし、「聖霊」という概念が難しく感じられてしまうのは、私たちが三位一体という大事な教理を忘れたり、見失ったりしてしまうからです。キリスト教には「キリスト」という神と「聖霊」という神の別々の二人の神がいるのではありません。キリストと聖霊とは、区別はできますが、それでも同じ唯一の神なのです。イエスという方は人間として地上を歩まれた歴史上の人物で、聖霊は霊であり肉体を持ったお方ではありません。しかし、私たちの体と心が密接不可分で一つであるように、キリストと聖霊も一つであり分離できないのです。ですからキリストと聖霊が思うこと、願うことは一つです。聖霊の願われることはすなわちキリストの願われることです。ですから「聖霊を受けなさい」というのは「キリストを受けなさい」ということであり、「御霊に従いなさい」とは「キリストに従いなさい」ということなのです。そして私たちがキリストに従おう、キリストのように生きようと強く願う時に聖霊はもっとも強く私たちの内に働き、私たちを作り変えてキリストに似たものとしてくださるのです。ですから、聖霊を受けたいと願う人がすべきことは、主イエスご自身のことをより深く知る事です。イエスをより深く理解すればするほど、イエスの霊は私たちにより強く働きかけるからです。当教会では、これまで二年にわたってサムエル記を読んできましたが、いよいよ今度の後半は「マタイ福音書」の学びに入ります。この福音書を通じて主イエスの事を知れば知るほど、聖霊は私たちの人生に強く働きかけるでしょう。聖霊を受けるために、今後もイエスに学び、イエスに倣って歩みましょう。お祈りします。

主イエス・キリストの父なる神様、ペンテコステ礼拝を持てたことを深く感謝します。私たちもますます主イエスの事を知り、聖霊の力に与ることができますように。われらの平和の主イエス・キリストの聖名によって祈ります。アーメン

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反乱の後に第二サムエル19章1~30節 https://domei-nakahara.com/2025/06/01/%e5%8f%8d%e4%b9%b1%e3%81%ae%e5%be%8c%e3%81%ab%e7%ac%ac%e4%ba%8c%e3%82%b5%e3%83%a0%e3%82%a8%e3%83%ab19%e7%ab%a01%ef%bd%9e30%e7%af%80/ Sun, 01 Jun 2025 00:27:00 +0000 https://domei-nakahara.com/?p=6464 "反乱の後に
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1.序論

みなさま、おはようございます。2023年の7月からサムエル記の講解説教を始めましたので、この6月で二年が経ったわけですが、いよいよサムエル記の説教も今回を含めて残すところあと二回になります。サムエル記そのものはこの19章の後もまだ続いていきますが、サムエル記の主人公であるダビデの生涯という意味では、このアブシャロムの乱を一つの区切りとしてよいと考えています。ですから今日の話でアブシャロムの乱について振り返り、次回の説教ではダビデの生涯の全般を考えて、サムエル記の説教を終えるということです。

前回見てきましたように、この反乱はアブシャロムの死という悲劇的結末で幕を閉じます。これはダビデが最も望まなかった、彼にとっては最悪の結末だったわけですが、しかし皮肉にもアブシャロムの死によってダビデの家の大混乱は一旦落ち着きを見せることになります。このアブシャロムの乱とはいったい何だったのか、それをどう理解すべきか、ということですが、これまで繰り返し述べてきたように、これはバテ・シェバ事件の引き起こした結果でした。つまり神はダビデに自らの犯した罪の刈り取りを求めたのですが、その刈り取りの一つがアブシャロムの乱だということです。使徒パウロは「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。」(ガラテヤ6:7)と書いていますが、ダビデは自らが蒔いた種、つまり人妻の強姦とその夫の殺害という悪の種が熟し、その刈り取りをしたということです。バテ・シェバ事件やその夫のウリヤ殺害については、神はダビデを赦したではないか?と思う方もおられるでしょう。しかし、罪が赦されるということと、罪の刈り取りをすることとは別なのです。ここは非常に大切なポイントなので、詳しくお話しします。

いきなりとんでもないたとえだと思われるかもしれませんが、あなたの大切な家族や友人が誰かに殺害されたとします。あなたはその人殺しを赦せないと思うでしょうが、しかし彼がその行為を深く反省しているのを知って、赦してあげようと思うようになりました。あなたはその殺人犯に会って、「あなたを赦します」と言うことが出来ました。その犯人もあなたのことばを涙を流して聞いていました。しかし、だからといって彼がその犯した罪の償いをしなくてもよいということになるでしょうか?すぐに刑務所から出て、何事もなかったように日常生活を送ってよいものでしょうか?そうではないでしょう。あなたも、彼を赦したとしても、彼にはきちんと罪を償ってほしいと願うでしょう。神とダビデの関係も同じです。確かに預言者ナタンは、神がダビデの罪を見過ごしてくださったと語りました。ダビデと神との関係は完全に決裂することはなかったのです。しかし、ではダビデが犯した罪とその結果は消えてなくなったのでしょうか?いいえ、それどころか実際は、ダビデがバテ・シェバ事件を起こしてからというもの、ダビデの家には忌まわしい、呪われたような事件が立て続けに起こりました。まず、ダビデの娘のタマルを、ダビデの息子のアムノンが強姦するという事件が起きました。兄妹間の近親相姦、しかも強姦という国を揺るがすようなスキャンダルが王家の中で起こってしまいました。しかし、ダビデはこの事件を黙認してしまいました。このダビデの無責任な行動に抗議するかのように、タマルの兄であるアブシャロムが妹を辱めた第一王子のアムノンを殺害します。動機は理解できますが、しかし王子を暗殺するというのは国家を揺るがす事態です。しかし、このクラウン・プリンス殺害という大事件でさえ、ダビデはうやむやにして、アブシャロムの罪を問うとはしませんでした。王の仕事、あるいは一家の大黒柱としての父親の大切な仕事の一つは「裁く」ことです。公平な裁きを執行し、国家の、あるいは家族の秩序を維持するというのが大切な役割なのです。時には厳しい、非情な判断を下さざるを得ない時もあるでしょう。三国志の諸葛孔明の「泣いて馬謖を斬る」という故事にあるように、自らの心情に反してでも違反者には厳罰を下すということが指導者には求められます。ダビデもイスラエルという国家を預かる者として、またダビデ王家の家長として、公平な裁きをする必要がありました。

しかしダビデは王としての責務、家長としての責務よりも私情を優先しました。大きな罪を犯した子供たちの一人として処罰しませんでした。その結果、一番苦しんだのは兄に強姦されて処女を奪われたタマルでした。ダビデは彼女の名誉回復のために何もしなかったのです。その結果、ダビデの家にはさらに恐ろしい惨劇が起ることになりました。そして、おそらくこちらの方がより大きなダビデの根深い問題なのですが、ダビデが息子たちの罪を裁かなかったのは、それによって自分の罪の問題が蒸し返されることを嫌った、恐れたということがあったということです。ダビデは長男アムノンの強姦の罪を裁いて、死罪とまではいかなくとも彼の王位継承権を剥奪して僻地への流罪とするというぐらいの処置をとる必要がありました。けれども、そのように厳しい処置を取ったならば、ではなぜダビデ自身の罪への処罰は何もないのか?という疑問の声が上がる可能性がありました。もちろん相手は王様ですので、表立ってダビデを糾弾する勇気のある人はいないとしても、内心そのような不満を抱く人たちは少なくなかったでしょう。今の日本のクリスチャンの間でも、誰かを故意に殺した人がいて、その人が心から悔い改めて神の前にへりくだったのだから、もうその人の罪についてとやかくいうのはやめよう、神様に赦されたのだからそれで終わりにしよう、という話にはならないでしょう。ですから、ダビデも神の前に謙虚にへりくだるのは当然のこととして、自分が治める国民に対してもしっかりと責任を取る必要がありました。しかしダビデはそのようなことを何もしなかったのです。そのダビデが自分の子どもには厳罰で報いるということになれば、片手落ちの非難は免れないでしょう。ダビデは結局自分の罪に真摯に向き合えなかったのです。そのために息子たちの罪の問題を取り扱うことができませんでした。しかし、このように罪の根本原因と向き合うことを拒んだために、さらなる問題が生じるのです。ダビデがこの負のスパイラルを止めるには、どこかで自らの罪の問題と向き合う必要がありました。神はダビデにそれを求めておられたのです。しかしダビデはそれから逃げ続けました。

そして今回のアブシャロムに対してもそうです。今回のアブシャロムの乱の根本的な原因が親子の対立、息子の父親に対する怒りがあったのだとしても、これは国家を転覆させかねない大事件で、しかもその内戦の結果数多くの死傷者が出たのです。そのような大事件を引き起こしたアブシャロムは当然処刑されるべきなのですが、またもやダビデはその責任をうやむやにし、アブシャロムを助けようとしました。そのことに怒ったのが今やダビデ軍団の大黒柱、大将軍のヨアブでした。ヨアブはダビデから直接アブシャロムを助けてくれと頼まれていたにもかかわらず、それを無視してアブシャロムを殺しました。そうしないとこの内戦が終わらないからでした。今回の場面はその結果を受け止めきれなかったダビデに対してヨアブがどのような言葉をかけたのか、そこから始まります。では、さっそくその場面を見て参りましょう。

2.本論

さて、前回見てきたように、わが子アブシャロムの死を知ったダビデは、人目もはばからずに衆目環視の下で大泣きします。門の屋上に上がって泣いたとありますから、皆がそれを目撃していたのです。本来なら勝利の喜びに沸き上がるはずのダビデ陣営は、文字通りにお通夜のようになってしまいました。サムエル記の記者は端的に、「それで、この日の勝利は、すべての民の嘆きとなった」と書いています。本当は戦勝記念のお祭りが開かれるところが、民は王に遠慮して、自分の住居に戻ってしまいました。しかし、このような状況を快く思わない人たちもいました。兵士たちはダビデのために命がけで戦ったのです。ダビデが敗北すれば、彼に従った人たちもアブシャロムによって処刑されるか、あるいは赦されたとしても新体制の中で冷や飯食いに甘んじたことでしょう。ですから彼らは必死に戦って、敵の大将を討ち取ったのです。それなのに、我らが大将は自分たちの獅子奮迅の働きに感謝もせずに、むしろ敵の大将ではなく自分が死ねばよかったと泣き出す始末です。彼らからすれば、俺たちは何のために必死に戦ったのか、ということになります。そして、こうした兵士たちの気持ちを一番よく理解していたのが、彼らの先頭に立って戦ったヨアブでした。ヨアブは知っていました。自分だけがダビデを叱ることができるのだと。このままダビデが民の前で女々しく泣き続けていれば、この王国は崩壊してしまう、ここでダビデを正気に戻さなければならないと。

ヨアブはダビデを激しく叱責します。あなたはアブシャロムの代わりに自分が死ねばよかったと言うが、ではなぜアブシャロムと戦ったのか、いや自分の部下たちをアブシャロムと戦わせたのか、と。それはつまりあなたの部下がアブシャロムを殺すことより、あなたの部下がアブシャロムに殺されるほうがよかった、ということではないか。部下たちに「生きて帰って来い」と命じるのではなく、「俺の息子のために死んでくれ」と言うようなものではないか。これは命がけで戦った部下たちへの侮辱であり、こんなことをすれば国は立ち行かなくなる。そのように諭して、ヨアブは最後にこう言いました。

それで今、立って外に行き、あなたの家来たちに、ねんごろに語ってください。私は主によって誓います。あなたが外においでにならなければ、今夜、だれひとり、あなたのそばに、とどまらないでしょう。そうなれば、そのわざわいは、あなたの幼いころから今に至るまでにあなたに降りかかった、どんなわざわいよりもひどいでしょう。

ここでヨアブは主の名によって、つまり預言者として語っています。今もしダビデが兵士や民に語りかけて、彼らに感謝の気持ちを伝えなければ、国は崩壊し、これまでの災いよりもさらに酷い災いがあなたを襲うだろう、という恐るべき預言です。ここまで言われてようやくダビデは正気を取り戻し、立ち上がって民の前に出ました。ここでダビデとイスラエルの民の信頼関係が崩壊するという最悪の事態は回避できたのでした。ダビデにとってヨアブは意のままにならない目の上のたん瘤のような部下でしたし、確かに彼は何度も独断専行をするような部下でしたが、しかし彼なしにはダビデの王朝はとっくに崩壊していたでしょう。今回も、ヨアブのおかげでダビデ王朝は救われたのでした。ヨアブはまさに「汚れ役」ですが、しかしこういう人物なしには組織も立ち行かないというのがこの世の現実なのでしょう。

しかし、ダビデはヨアブのこうした貢献を正当には評価せず、どこか疎ましく思っていました。それも当然かもしれません。ヨアブはもはやダビデ王朝の最高権力者であることが、隠しきれない事実として人々の間で認識されるようになっていたからです。ダビデもヨアブの言っていることが正しいのは分かっていましたが、しかしこれ以上ヨアブが増長するのを黙って見ているわけにもいかないという思いが強くなっていました。そこでダビデは、禁じ手ともいうべきことを考え出します。それはなんと、反乱軍の親玉、アブシャロムの反乱に加担したヨアブの親戚のマアサをヨアブに代えてダビデ軍団の長として迎え入れるという提案でした。これは反乱軍を懐柔するという作戦なのかもしれませんが、しかし今やアブシャロム軍は壊滅しています。このような譲歩を行って相手を懐柔する必要などなかったのです。またヨアブからすれば、自分の顔に泥を塗られたような思いだったでしょう。なんだかんだ言っても、今回のアブシャロムの乱に勝利したことの最大の功労者はヨアブです。にもかかわらず、恩賞が与えられないどころか、自分の親類の年下の若造の部下に降格させられるのですから、腹の虫がおさまるはずがありません。実際、このマアサは後にヨアブに暗殺されます。こうなることが分かり切っているのに、このような提案をすること自体、ダビデのどこか大人になり切れないといいますか、王たる器ではないことがここでも露呈しているように思えます。

ともかくも、反乱軍はダビデに全面的に降伏してダビデをエルサレムの王城に迎え入れることを決断します。かつてエルサレムを逃げ延びようとしたダビデに呪いの言葉を投げかけたシムイという男がいました。彼はサウル家の家来で、自分の主君の家を滅ぼしたダビデを恨んでいて、ダビデに呪いの言葉を浴びせたのでした。しかし、そのダビデが勝利者として戻ってくると聞いて、手のひらを反すようにしてダビデに平謝りに誤ります。なんとも情けない話ではありますが、シムイも生き延びるために必死で、恥も外聞もないわけです。ダビデの家来の中には、このような人物は厳罰に処すべきだという意見もありましたが、そこはダビデの政治家としての顔が出てきます。ここでシムイを厳罰にしてしまうと、他の反乱軍に与した人々が自分も罰されてしまうのではないかと不安を覚えて、再びダビデに対して反旗を翻してしまうかもしれません。そこでここは寛大な顔を見せて人心を落ち着かせることを選びました。また、このように恥も外聞もないシムイは放っておいても今後の脅威にはならないという判断も働いたのでしょう。シムイに対して、あなたを殺すことはないと誓って安心させました。しかし、ダビデはシムイのことを赦してはいなかったのです。彼はソロモンに遺言してシムイを殺させているからです。ダビデもなかなか執念深い男なのです。

シムイに続いて、今度はダビデの盟友のヨナタンの忘れ形見であるメフィボシェテがダビデを迎えに出てきました。ダビデがエルサレムを逃げ延びるときに、メフィボシェテの家臣のツィバという男がやってきて、メフィボシェテはダビデを裏切ったと告げました。ダビデはその話を信じて、あるいはもしかすると信じたふりをして、メフィボシェテのすべての所領をツィバに与えるという約束をしたのでした。しかし、この話は嘘、つまり讒訴であって、ツィバは足が悪くて動けない主君のメフィボシェテを裏切ってダビデに取り入ろうとしたのでした。メフィボシェテはそのような事情をダビデに話して、自分は決してダビデを裏切ってなどいないと訴えました。こうなると、ツィバが嘘をついているか、あるいはメフィボシェテが嘘をついているのか、二つに一つです。ダビデとしては真実を明らかにすべきでした。しかし、ここでもダビデは判断を下す、さばきを下すことを回避します。そして玉虫色の解決策を提示します。ダビデはメフィボシェテになぜ言い訳ばかりするのかと叱責しながらも、彼の言い分も認めて、彼の所領をツィバと二等分せよと命じます。これもおかしなことで、ツィバが嘘をついているならメフィボシェテに全部所領を戻すべきなのですが、どっちが嘘をついているのかはまあどうでもいいじゃないか、とばかり二人に財産を二等分するように命じたのです。この一件からも、ダビデは裁き人としてはもはや機能していないことが明らかになったのでした。

3.結論

まとめになります。冒頭で申し上げたように、今回のアブシャロムの件は神がダビデに自らの罪の刈り取りをさせるという流れの中で起こった出来事でした。ダビデはその中で、自らの罪の問題に向き合いつつも、イスラエルの王として人々の罪を正しく裁くという責任も果たしていかなければなりませんでした。そしてダビデがもし裁き人として正しい行動をしていたのなら、ダビデの家に起った不幸の連鎖は途中で止まったはずでした。しかし、ダビデは自分を裁くことも他人を裁くこともできませんでした。その結果、ダビデの家の崩壊は加速していき、ついに内乱という最悪の結果をもたらしてしまったのです。この負の連鎖を止めるためにダビデはアブシャロムを裁かなければなりませんでした。しかしダビデはそれをせずに、そのためにヨアブがダビデに代わって裁きを執行しました。しかし、そのヨアブの行動をダビデは快く思わずに、ヨアブの顔に泥を塗るような人事でそれに応えました。そのために、たしかにダビデ家の崩壊という負のスパイラルは一旦ここで止まるのですが、未来にさらなる禍根を残し、ソロモンが王となる時に再び大きなお家騒動が起きることになります。ダビデはヨアブを恨み続けていて、ソロモンにヨアブを殺せと遺言するのです。ダビデ家の流血はまだ終わっていなかったのです。 

最後に、このアブシャロムの乱を通じて、聖書が私たちに何を語りかけているのか、何を教えているのかを考えてみたいと思います。この一連の出来事を読み進めて、なかなか「恵まれた」という気持ちにはならないでしょう。人間社会の浅ましい現実、信仰の勇者だと思っていたダビデの惨めな有様、しかもこれだけの悲劇を経験した後もダビデがあいかわらずご都合主義的な対応に終始しているのを見ると、なんとも救われない気持ちになります。しかし、聖書はそれだけ正直に人間のありのままの姿を描いていると言えます。なぜ私たちに宗教が必要なのか、救いが必要なのかといえば、私たちがそれだけ浅ましい本性を秘めた人間だからです。ダビデも立派な人でしたが、権力の高みに上るや否や、たちまち堕落してしまいました。私たちも、自分は良い人間だ、そんなに悪い事などしないと思っていても、もし大きな権力を振るえる立場に身を置くと、たちまち誘惑や権力の罠に堕ちてしまいかねません。ですから私たちは、大人になっても、いくつになっても自分たちを導いてくれる方が必要なのです。「自分は大丈夫だ」と過信しないことです。私たちもいつ何時、ダビデと同じような迷路に堕ちてしまうかもしれないのです。そして、私たちを導いてくださるイエス・キリストは私たちの弱さに同情しないようなお方ではありません。主も私たちと同じように人間としてのあらゆる苦しみや誘惑を経験されました。だからこそ、私たちをよく理解した上で導くことができるのです。ダビデを反面教師として、また主イエスを見上げて今週も歩んで参りましょう。お祈りします。

歴史を導かれる神様、そのお名前を賛美します。今回はアブシャロムの乱が終わった後のダビデの行動を見て参りました。責任ある地位に就いた者が、その地位に相応しく行動することの難しさを思わされた箇所でもありました。私たちも様々な責任を負う場面がありますが、そのような際にはそれにふさわしい行動ができるように力をお与えください。われらの平和の主イエス・キリストの聖名によって祈ります。アーメン

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主の後ろに従うマルコ福音書8章31節~34節 https://domei-nakahara.com/2025/05/25/%e4%b8%bb%e3%81%ae%e5%be%8c%e3%82%8d%e3%81%ab%e5%be%93%e3%81%86%e3%83%9e%e3%83%ab%e3%82%b3%e7%a6%8f%e9%9f%b3%e6%9b%b88%e7%ab%a031%e7%af%80%ef%bd%9e34%e7%af%80/ Sun, 25 May 2025 05:45:00 +0000 https://domei-nakahara.com/?p=6449 "主の後ろに従う
マルコ福音書8章31節~34節" の
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矢田洋子

「私の後ろに従って来なさい」とイエスさまが言われたのは、福音宣教の旅をするイエス・キリストが最初に弟子たちに受難予告をしたその場面でした。イエスさまは、今ここで、初めてご自分の救い主としての使命を、弟子たちにはっきりとお話になりました。ご自分が苦しみを受けて排斥され殺されるということ、そして復活するということ、それこそがご自分の使命なのだということを、弟子たちにここで初めてはっきりとお話しになりました。

しかし、弟子たちはこの時、イエスさまのこの言葉の意味を理解することは、全くできませんでした。イエスさまは、多くの病人を癒し、力強い教えを語る、力ある輝かしいお方でした。イエスさまが「静まれ」というと、荒れ狂う嵐はすぐに静まりました。イエスさまが「出ていけ」というと、悪霊は取りついた人から出て行きました。多くの人がイエスさまの教えを聞こうと集まって来て、イエスさまの力強い教えに喜んで耳を傾けました。イエスさまの癒しによって、足の萎えた人は立ち、耳の聞こえない人は聞こえ、目の見えない人は見えるようになりました。

それだからペトロは告白したのかもしれません。「あなたはキリストです」と。この時代に「キリスト」とは、ただ一般的に、特別な力を持った救い手を指しています。救い主という一般名詞です。新共同訳では、その「一般的さ」を強調するためだと思いますが、ここを「あなたはメシアです」と訳しています。ただこの世を救ってくれる人、すごい王様、そんな意味にすぎないものでした。この時、ペテロは、イエスさまが救い主であるという本当の意味を全く理解できていなかったのです。力強いイエスさまは、キリスト、メシアなのだ。救い主なのだから、殺されるなんていうことがあるわけがない。ペテロは、イエスさまを脇にお連れして、いさめ始めました。「いさめる」「忠告する」とは「叱る」と同じです。ペトロがイエスさまを叱ったのです。イエスさまはこういう働きをしてくれるはずだと決めつけて、メシアはこうあるべきだと決めつけて、ペテロが上になり、イエスさまを下において叱ったのです。・・イエスさまの後ろに従ってきたつもりだったのに、いつの間にか前へ出て、ペテロはイエスさまに教えようとしていました。あなたはこういうお方のはずです。救い主キリストはこうあるべきである。殺されるなどと言ってはなりません。・・・他人事ではありません。私たちも、私たちは十字架と復活の出来事を知っているはずなのに、神さまの前に出て、神様に自分の確信を押しつけようとしていることがあります。神は愛である、正義である、秩序であるから、だから神はこうあるべきであります。教会はこうあるべきであります。キリスト教信仰はこうあるべきであります。・・従っているつもりだったのに、いつの間にかイエスさまの前へ出て、イエスさまの上に立って意見していることがあることがあります。

イエスさまはそのペトロを叱りました。「下がれ、サタン」。「サタン」、私たちは、イエスさまがここでペテロを「サタン」と呼ばれたことに衝撃を受けます。「サタンのような者」ではなく、「サタンよ、ペテロから出ていけ」でもなく、ペテロを「サタン」と呼んでいるのです。・・「サタン」という言葉は、旧約聖書の原語であるヘブライ語由来の言葉で、旧約聖書でもともと「サタン」とは、「敵対する者」「妨げる者」という普通名詞でした。注解書によりますと、マルコ福音書では、「サタン」は、「神の御心を妨げる者」という意味で用いられているとありました。ペテロのここでの発言は、イエスさまを十字架から遠ざけようとする行為です。十字架の出来事は、神さまの最大の愛の出来事ですから、それを邪魔する者は、神さまの御心に決定的に反した者です。その意味ではサタンそのもの。・・・でも、この「サタン」という言葉が、あまりに強烈なので、私たちはここで、突然、断罪され切り捨てられるように受け取ってしまいます。

ペテロだって、悪気があったわけではありませんでした。ペテロなりに一生懸命だったのです。「あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」イエスさまはそう叱って言われましたが、人間に神のことが全部わかるはずがありません。人間は、どんなに神様の御心を尋ね求めようとしても、そうしているつもりでも、人のことを思って、人間世界の考えと感情を引きずってしか、何を言うことも、何をすることもできないのです。

たしかに、ペテロの理解は間違っていました。でも、ペテロは、イエスさまを救い主だと信じていたから、ああ言ってしまったのです。イエスさまがこの世の中を変えてくれる救世主だと思っていたから、そしてイエスさまが大好きだから、ああ言ったのです。それなのに「サタン」と・・・神様の御心を理解することのできない私たちは、いつ神様に「サタン」と言われるかわからない。そう思うと、神様に何も言ってはいけないんだと、何を言うことも怖くなります。神様に捨てられないように、自分を捨てなければと自分を抑圧して、自分が何も考えないように、何も感じないように自分を強いるしかないかと思ってしまいます。

しかし、イエスさまはここで、ペテロに「サタン」と非難して、切り捨てようとしているのではありません。「サタン」と呼びながら、同時に「下がれ」と言われているのです。「消え失せろ」ではなく「下がれ」です。「下がれ」は、直訳すると「私の後ろへ行け」です。イエスさまは、十字架の邪魔をしようとしたペテロに対して、「サタン」という激しい言葉でその間違いを指摘しながらも、同時に、「私の後ろへ」と言われているのです。

「下がれ」「私の後ろへ行け」・・それは、間違って前に出てしまった者を叱りつけて引き戻す、きびしい指導の言葉です。でも、切り捨てられるのではありません。「私の後ろへ」・・それは、後ろへと引き戻して、「後ろにいさせてくださる」、後ろに一緒に居させてくださるという言葉でもあります。どんな失敗をしても、何をしてしまっても、決して見捨てないでいてくださるイエス・キリストの姿がここにあります。私たちは、失敗を恐れて縮こまらなくてよいのです。どんな間違いをしてしまったとしても、神さまは私たちを決して見捨てません。

私たちが持っている信仰理解も、間違っているかもしれません。神を賛美しているつもりの私の言葉も行動も、福音伝道の妨げになるかもしれません。でも、私の思いを、私の確信を、素直に神様に祈り求めてよい、と聖書は言います。間違ったら怒られるでしょう。しかし、イエス・キリストが、ペテロをサタンと叱りながらも見捨てなかったように、私たちをも決して見捨てません。何をしてしまっても、神様は、間違いは間違いだと教えてくださり、そして、「イエスさまの後ろ」へ行くようにと導いてくださいます。

ペテロは今、「下がれ、サタン」「私の後ろへ行け」とイエスさまに叱られました。おそらくペテロはきっと、「サタン」というお叱りの言葉にびっくりして、立ちすくんでしまったに違いありません。ペテロは、後ろへ、一緒にいた弟子たちの一番後ろへ、そして群衆たちに紛れてもっともっと後ろへ遠く下がりながら、不安になっていたことでしょう。イエスさまは、そのペテロを放っておきません。イエスさまは言いました。「誰でも私について来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、私について来なさい。」「ついて来なさい」は「従って来なさい」「従いなさい」とも訳されます。イエスさまは、弟子たちと、群衆たちと、そして今叱られてどうしていいか分からなくなっているペテロに対しても「私に従って来たい者は、従いなさい。ついて来なさい」と呼びかけてくださったのです。ペテロは喜んで、イエスさまの後にくっついて、イエスさまと一緒に歩き出したことでしょう。

「私の後ろへ」・・それは、かつての召しの言葉、ペテロが初めてイエスさまに呼ばれたときの言葉でもありました。ペテロと兄弟アンデレは、ガリラヤ湖で漁師をしていた時、イエスさまから「私について来なさい」直訳すれば、「さあ、私の後ろへ」(マルコ1:17)と呼びかけられて、イエスさまの弟子としての人生をスタートしました。「私の後ろへ」。イエスさまの後ろが私たちの本来の居場所なのです。

「イエスさまの後ろ」は、イエスさまの後ろ姿をずっと見続けていられる場所です。イエスさまより前を歩こうとしてしまったら、イエスさまが見えませんから勝手な方向に行ってしまうかもしれません。勝手な方向へ迷い出て、イエスさまからはぐれてしまうかもしれません。でもイエスさまの後ろにくっついて歩いていれば、イエスさまを見続けていられる。イエスさまを見失って迷子になることはないのです。

主の後ろ姿を見続けていましょう。主の背中をいつも見ていられる、主の後ろにいましょう。主の後ろ姿を見続けることは、それがそのまま、主に従い行くことにつながります。主なる神さまと同じ方向を向いて、主の後ろを従い行くのです。神さまの背中をいつも見ている者は、生きて働かれている神さまの進み行かれるのと同じ方向へ、神さまの後ろにくっついて、歩み続けるのです。主の後ろで、主の後ろ姿を見続けるとき、人は神に聞き従う者へと変えられるということなのだと思います。

イエスさまに従うとは、イエスさまの後ろにいつもいること、イエスさまの後ろについて行くことです。イエスさまの後ろ姿を見続けて、主の栄光によって力と平安をいただきながら、イエスさまと同じ方向を向いて、一緒に歩ませていただくことです。ペトロはまた、イエスさまの後ろに従って歩み始めました。イエスさまの後にくっついて、イエスさまを見つめながら、日々何でもイエスさまに相談しながら、イエスさまから勇気も希望も知恵もすべてを与えていただきながら、歩みを続けたことでしょう。神さまは私たちにも、「後ろ」という素晴らしい居場所を与えて、一緒にいなさい、ついて来なさいと、招いて下さっています。「だれでもわたしついて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」

「自分を捨てて、従う」とは、大切な自分よりもイエスさまをこそ見つめる、ということです。自分を握りしめるよりも、イエスさまを握りしめて、イエスさまの後ろについて行くことです。「自分を捨てて従う」とは、決して自分の素直な感情や沸き起こる考えを無理に捨てて、足を引きずりながらいやなことをすることではありません。「自分を捨てる」というと、私たちはどうしても、日本文化にある滅私奉公のニュアンスに惑わされてしまいがちですけれども、イエスさまは決して、自分の感情や考えを無理やり捨てて命令通りに動くロボットになれ、とはおっしゃっていません。

イエスさまに従うとは、いつもイエスさまの後ろにいて、イエスさまをどんな時も見上げつつ歩むことです。主に従うとは、主の後ろで、主の栄光を見せていただきつつ、主と同じ方向を向いて歩ませていただくことです。「自分を捨てて」と言われると、私たちはどうしても、自分の力で「自分を捨てなければ」と思ってしまいます。自分の力で自分を抑えつけなければと考えてしまう。でも、自分をどうにかしようと自分にばかり集中してしまっては、従うべきイエスさまを見失ってしまいます。大切なのは、自分よりもイエスさまの後ろ姿に集中することです。自分を見てうつむくよりも、他人と比較して横をきょろきょろ見て動揺するよりも、大切なのは、ただ主の後ろ姿を見上げ続けることです。主が私たちに示してくださっている主の恵みの後ろ姿から目を離さず、ひたすら主の後ろを見続け、主から離れないようにすること、それが、そのまま、主の後ろに従うことになります。

ただ、それは、「自分の十字架を背負って」というのですから、ただ楽しいだけの簡単な道のりではないでしょう。十字架の道を歩まれるイエスさまについて行くのですから、険しい道です。自分自身の力ではとうてい無理だとしか思えません。この時、イエスさまに従ったペテロは、この後、イエスさまが十字架に付けられた時、イエスさまを知らないと三度も言って逃げてしまいます。ペテロは、「自分を捨てる」のではなく、イエスさまを捨てたのでした。・・・しかし、そのペテロも、イエス・キリストの十字架の死と復活が実現した後には、復活のイエスさまの命に生かされて、復活のイエスさまの後にしっかりとついてもう二度と離れず、福音を宣べ伝える者となりました。イエスさまの後ろという、本来の居場所で、神さまの平安と力に満たされて歩んで言ったのでした。

私たちにもそれが可能です。今を生きる私たちにとって、主が見せてくださる後ろ姿とは、第一に、歴史の中に働かれた神さまの出来事のことでしょう。つまり、聖書に記された啓示です。主の後ろ姿を見るとは、「イエス・キリストが私たちの救いのために、十字架で死なれ、復活された」という聖書が啓示する事実から、決して目を離さないことです。私たちは、この聖書を通して、主の後ろ姿を見る幸いが与えられているのです。この聖書が私たちに与えてられていることに感謝します。私たちは、何よりもこの聖書を通して神さま御自身を見、神様の栄光が私たちに働きかけてくださっている今をしっかりと受け取りたいと思います。

もちろんそれは簡単なことではないでしょうけれども、私たちを決して見捨てない神様が、私たちが、主の後ろという場所で、いつも喜びに満たされて、主に従っていけるようになるまで、恵みと憐れみを持って、導いてくださいます。私たちには、主の後ろという素晴らしい居場所が与えられているのです。そして、私たちがその「後ろ」という居場所から迷い出ようとするときには、その間違いを教えてくださり、またイエスさまの後ろへと引き戻して、本当にしっかりと自分の十字架を背負って主に従いゆく者へと導いてくださるのです。ですから、私たちはただ、その見捨てないイエス・キリストの神様の安心の中で、神様にすべての思いを打ち明けながら、どんな時もイエス・キリストをしっかりと見上げてついていきたいと思います。

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妻と夫第一ペテロ3章1~7節 https://domei-nakahara.com/2025/05/18/%e5%a6%bb%e3%81%a8%e5%a4%ab%e7%ac%ac%e4%b8%80%e3%83%9a%e3%83%86%e3%83%ad3%e7%ab%a01%ef%bd%9e7%e7%af%80/ Sun, 18 May 2025 00:59:00 +0000 https://domei-nakahara.com/?p=6420 "妻と夫
第一ペテロ3章1~7節" の
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1.序論

みなさま、おはようございます。これまで当教会では毎週サムエル記から講解説教を行い、月末のみ新約聖書から、現在は第一ペテロから説教をしております。今日は月末ではないのですが、来週の説教は矢田洋子先生がしてくださいますので、今日は一週早めて第一ペテロからお話しさせていただきます。

今回の説教題は「妻と夫」です。新約聖書の中で妻と夫の関係について扱っているところはいくつかありますが、パウロの第一コリント書簡の7章が有名です。これは結婚生活のリアルな現実について語っている箇所ですが、私は第一コリントの講解説教をしたときにこの箇所からお話ししました。説教の録音がホームページにアップしてありますので、ご関心のある方は聴いてみてください。今日の箇所や、あるいは第一コリントの7章のみことばを聞く上で注意したいのは、私たち21世紀の日本に住む人々と、ペテロやパウロが語りかけた1世紀のギリシア・ローマ世界での文化の違いです。日本は永らく男尊女卑の社会だと言われてきましたが、ジェンダーバランスの改善、つまり男女間の社会における地位の格差をなくそう、男性も女性も同じ給与をもらい、同じ地位に就けるようにしようという意識が急速に高まっています。今でも日本での女性の社会参加率は世界ランキングで100番以下という、残念な結果にはなっていますが、それでも私が社会人になった30年前と比べると大きく改善しているように思えます。そのような現代から見ると、ペテロが語っている内容は、何と言うかあまりにも古風というか時代遅れのような、そんな気持ちにさせられてしまうかもしれません。しかし、そのように現代人の価値観で読むのではなく、なるべく当時の人々の気持ちになって、当時の社会状況を考えながら今日の箇所を読んで参りたいと思います。 

ペテロが活躍した紀元1世紀の女性の地位はどうだったのか、というのは研究者たちの注目を集めるテーマになっています。どんなことが論じられているかといえば、紀元前1世紀からローマには「新しい」タイプの女性が現れたということが言われています。実は、現代でもこれと同じような現象がありました。みなさんは「ウーマン・リブ」運動というのを聞いたことがあると思います。これは1960年代から70年代にかけてアメリカを席捲した運動で、女性の解放、特に女性に押し付けられているとされたいわゆる「女らしさ」、家事や育児は女の仕事だ、みたいな考え方から解放されて、より自由に生きようという運動でした。それと同じとはいませんが、似たような動きが当時の古代ローマ世界にもあったのです。これはローマ社会全体というよりも、上流社会の女性を中心に起きた動きでしたが、しかしそれは徐々にローマ世界に広く影響を及ぼしていったと見られています。日本でも、一部の「進んだ」女性たちが新しいことをし始めると、多くの人たちはしばらく様子見をしていますが、段々と影響を受けていくということがありますよね。そんな感じです。このローマの「新しい」女性たちは、男性と同じような権利や生き方を要求し、自分らしく、自分が好きなように生きることを求めました。彼女たちは性的にも奔放で、貞操観念に縛られないという特徴もありました。これもウーマン・リブ運動やベトナム戦争への抗議から生まれたフラワー・ムーブメントと似ていますね。特に彼女たちがこだわったのが服装、ファッションでした。服装は人を表すとばかりに、ものすごくファッションに力を入れました。今日のペテロの女性への勧告は、そのような時代背景に留意して聞く必要がありますしかし同時に、そうした「進んだ」女性たちは例外的な存在であり、一般的にはローマ社会における女性の地位は低く、また女性への強い偏見もありました。上流階級の裕福な女性は例外的存在であり、普通の女性は隷属的な立場に置かれていました。つまり、妻は夫の権威の下に生きるというのがごく当たり前のことだったのです。特に問題だったのが、妻には実質的に信教の自由がなかったことでした。女性は結婚前は父親の宗教を信じ、結婚後は夫の宗教を信じるべきだ、というのが当然視されていたのです。これはキリスト教徒にとっては由々しき問題、死活的な問題でした。なぜなら、今日の日本の教会のように、当時のローマでも妻だけがクリスチャンというケースが圧倒的に多かったからです。こうしたことを踏まえたうえで、今日の聖書箇所を読んで参りましょう。

2.本論

では、3章1節です。そのすぐ前の2章の後半では、ペテロは奴隷と主人の関係について話していました。これは必ずしも奴隷という社会的身分にあった人だけに語られたのではなく、クリスチャンは「神の奴隷」であるという観点から、様々な社会における組織の中で人に仕える立場にあったクリスチャンに対して語られたと考えるほうがよい、ということを前回の説教で申し上げました。とはいえ、基本的には奴隷と主人についての訓告でした。ですから、「同じように」というのは奴隷が主人に仕えるように、妻は夫に服従しなさい、という意味です。しかし、現代社会においてこんなことを言ったら、「なんてことを言うんだ」とお叱りを受けてしまうかもしれません。夫婦関係は奴隷と主人の関係に譬えられるようなものではないし、妻が夫に一方的に服従するなんてとんでもない!と思われるでしょう。しかし、当時のローマにおいては一般的な家庭において妻の立場はそのようなものでした。ペテロは、そのような当時の社会慣行に抗って、妻も夫と同様の権利を主張すべきだ、とは教えませんでした。実際、今日のように経済的に自立する手段を持っていなかった当時の女性の立場は弱く、経済力を持つ夫に従うほかはありませんでした。しかしペテロは、そのような服従をいやいやするのではなく、むしろ証しの機会として用いなさい、と述べています。というのも、この1節で呼びかけられている「妻たち」とは、夫がクリスチャンではない女性たちだったからです。「たとい、みことばに従わない夫であっても」とは、「福音を信じない夫であっても」という意味です。この1節は、家庭の中で自分だけがクリスチャンだという妻たちに呼びかけられているのです。

少し前に戻りますが、ペテロは2章の19節で「横暴な主人に対しても従いなさい」と書いていますが、ここでいう「横暴」とは暴力的なパワハラ的人物ということでは必ずしもなく、むしろ「心の曲がった主人」、つまり福音を素直に受け入れない主人という意味合いがあります。ですからペテロは奴隷に対しても妻に対しても、福音を受け入れない主人に対しても従いなさい、ということを教えているのです。とはいえ、夫から「キリスト教なんて信じるな、やめちまえ」と言われても、それについては従うことはできないわけです。では、そのようなキリスト教に対して全く理解のない夫に対してどのように行動すべきか?ということですが、そういう夫に対し、いくら口で「イエス様を信じなさい、クリスチャンになってください」と言ったところで逆効果で、何を偉そうに、とかえって反発を招き、ますますキリスト教に対して敵意を燃やしてしまうかもしれません。火に油を注ぐという具合です。ですから、口先ではなく行動で、言葉ではなく生き方で福音を示しなさい、とペテロは教えます。これは非常に大切な教えで、今日にもそのまま当てはまります。今の日本でも、クリスチャンの男女比の割合はだいたい1対2であり、圧倒的に女性の方が多いです。おのずと、妻だけがクリスチャンだという家庭が多いのです。多くのご婦人は、夫が信仰を持ってほしいと願っておられます。ではそのためにどうすればよいのか、というのがここでのペテロの教えです。ペテロは「無言のふるまいによって」、夫が神のものとされるようにしなさいと教えています。つまり「神を恐れかしこむ清い生き方」を主人に示しなさいということです。つまり言葉よりも行いで、ということです。こう言われると、キリスト教とは「行いなしで、信じるだけで救われる宗教だ」と考える人にはえらくハードルが高いと感じられるかもしれません。しかし、これまで何度もお話ししてきたように、主イエスも十二使徒ペテロも異邦人の使徒パウロも、「行いは不要だ、信じるだけでよい」とは誰も言ってはいません。むしろ主の兄弟ヤコブが言うように、「行いのない信仰は、死んでいるのです。」そして、未信者を信仰へと導くのは、キリスト教を擁護する巧みな議論ではなく、クリスチャン一人一人の生き方なのです。私は神学も知らない、聖書もあんまり勉強したこともないので、キリスト教の伝道なんて無理だ、私にはできません、と思われる方がおられるかもしれませんが、そうではないのです。なぜならキリストを証しするのはキリストについての巧みな議論ではなく、キリストに倣う私たち一人一人の歩みだからです。

では、婦人たちのキリストに倣う歩みとは具体的にはどのようなものなのでしょうか?寛容でありなさいとか、親切でありなさい、というような教えが来るのではないか、と思われるかもしれません。しかしペテロはなんと、髪型や服装について話し始めます。なぜ外見のことばかり書いているのか、と不思議に思われるかもしれませんが、そこには当時の進歩的な女性運動の影響がありました。当時のいわゆる「新しい」女性たちは外見に異様にこだわりました。女の価値を決めるのは美である、という信念のもと、派手な装飾品やセクシーな服を好みました。妊娠でお腹がふくれるのはみっともないということで、妊娠を隠そうとしたと、ローマの哲学者セネカは嘆いています。当時のこうした女性は妊娠を嫌がり、中絶もしばしば行ったと言われています。セネカのようなローマの一級の知識人はこうした外面ばかりにこだわる世相を憂い、女性を本当に美しく装うのは内面の慎み深さという美徳なのだ、と書き残しています。そして奇しくもペテロも、同じようなことをここでは述べています。ここでペテロのことばを改めて読んでみましょう。

あなたがたは、髪を編んだり、金の飾りをつけたり、着物を着飾るような外面的なものでなく、むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい。これこそ、神の御前に価値あるものです。

ペテロも、適切なおしゃれまでも否定しているわけではないことに注意してください。ペテロもセネカと同じように、過度に外見的なことにこだわる世相を意識してこのような勧告を書いているのです。そうでなければ、女性に勧めるべきことはたくさんあるのに、このように装飾の問題に殊更に的を絞って話す必要はなかったでしょう。

ペテロはさらに、こうした内面の美しさを持った女性の例として族長アブラハムの妻サラのことを挙げています。ただ、みなさんはサラについてどんなイメージを持っておられるでしょうか?サラはかなり高齢だったのにもかかわらずエジプトの王から見染められるほどの絶世の美女だったとされていますが、主人に従順な控えめな女性というよりも、むしろ亭主を尻に敷かせるような強い女性というイメージではないでしょうか。特に、アブラハムの尻を叩いて側室のハガルを追い出させた場面などを思い浮かべると、気が強そうだなという感じですよね。ただ、ユダヤ人にとってアブラハムはいわば伝説化・理想化された人物でしたので、その妻であるサラも良妻賢母の鏡というイメージが出来上がっていたのでしょう。ペテロはおそらくそのようなユダヤ人のイメージに従って、手紙の受け手の異邦人たちにサラを見倣うようにと書き送ったのでしょう。

そして7節では今度は夫たちに対して勧告を書いています。妻たちに対しては6節も費やして、夫にはたった1節しかないのはおかしいではないか、と思われるかもしれません。旧約聖書でも、例えば箴言では、「良き妻はこうあるべきだ」ということはたくさん書かれているのに、「良き夫はこうあるべきだ」という教えはほとんどありません。これは聖書が男性目線で書かれているからだ、男性優位が当然視されているからだと、フェミニスト神学の方々は批判しますし、それにはもっともな面もあると思います。しかし、ここでペテロが夫について1節しか割いていないのは彼が男性優位主義者だったからではありません。むしろ、彼の手紙の受け手には妻だけがクリスチャンという家庭の方の方が圧倒的に多かったという事情があったのです。また、クリスチャンの女性が家庭で肩身の狭い思いをしていたように、男性・女性を問わす異邦人のクリスチャンは社会の中で肩身の狭い思いをしていました。ですからペテロは「妻たちよ」と語りかけながらも、クリスチャン全体に同じメッセージを伝えようとしていたのです。ということで、7節の内容に戻りたいのですが、ここでもペテロは現代の私たちから見ればポリコレに抵触するようなことを書いています。コリコレとは「政治的に正しい言い方」という意味で、人種や性別で差別するようなことは言ってはいけないというものです。ペテロは女性のことを「自分よりも弱い器」だと言っています。シェークスピアのハムレットも、夫を殺したかもしれない人物と再婚した母について、「弱き者、汝の名は女」などと述べていますが、こういう女性=弱いという見方は今日の社会では許容されない見方になっています。実際、確かに体力では男性の方が強いかもしれませんが、知性においては女性の方が男性よりも優れていることがいろいろな場面で示されてきています。ここでペテロが女性を弱いと言っているのは、主に社会的・経済的な立場のことです。当時の女性には今日のように自由に職業を選ぶ自由がありませんでした。むしろ、親が決めた相手に嫁がされ、そこで夫に従って生きるより他はなかったのです。もちろん上流社会の女性のように、実家が有力者であれば、嫁ぎ先でも強い立場を維持できるわけですが、そういう女性はほんのわずかで、多くの女性は夫に頼って生きるほかなかったのです。そういう妻に対し、自分の社会的・経済的優位を誇示してつらく当たってはいけない、いばり散らしてはいけない、ということをペテロは教えています。むしろ、信仰のパートナーとして、同伴者として敬意を持って接しなさいと諭しています。これは当然のことですが、改めて心に刻むべき教えです。

3.結論

まとめになります。今日はペテロの妻と夫に対する教えを学びました。ペテロは当時の社会の中で弱い立場にある人々、前回は奴隷でしたが、今回は妻に対して語りかけました。イエスへの信仰を持つようになった奴隷、あるいは妻が、信仰を共有しない主人あるいは夫に対してどのように振舞うべきなのか、というのがここでのテーマでした。このように、奴隷や妻という当時の社会において立場の弱かった人たちに語りかけているのは、当時のクリスチャン全体が社会的に弱い立場に置かれていたことを反映しています。イエスを信じない人々に取り囲まれたクリスチャンたちはどうすべきなのか、というより大きなテーマが、キリスト教に否定的な考えを持っている未信者の夫に対してクリスチャンの妻がどう振舞うべきかというペテロの教えの背後にあるのです。ペテロは、主を信じない人に抗議しなさいとか、あるいは巧みな言葉で説得しなさいとは教えません。むしろ敬虔な生き方を無言で示すことで、彼らが回心するようにしなさいと促しています。これは妻たちだけでなく、社会の様々な場面で弱い立場に置かれていたクリスチャンに対するメッセージでもあります。私たちにとっても、大きなチャレンジですね。言葉よりも行動で、というのはよく言われることではありますが、実践するのは容易ではありません。しかし、それが最も重要な証しの方法だと述べているペテロの言葉を真摯に受け止める必要があります。私たちがお手本とすべきは、主イエスの生き方です。彼はののしられてもののしりかえさず、裁きを神に委ねられました。私たちも苦しい立場に置かれた時には主イエスの事を思い、耐え忍ぶ力を与えていただきましょう。キリスト教について悪くいう人がいる時には、こちらが悪いのかもしれないという謙虚な思いを持つことも必要です。よくあるキリスト教への非難は、「キリスト教国と言われる国々は戦争ばかりしている」というものですが、ごもっともだと思います。キリスト教国は正義を振りかざすことは得意だけれど、譲歩したり我慢するのが苦手だというのも耳が痛い話です。批判を受けた際は、批判する相手が悪いとは思わず、自らを省みる機会とするというのも平和づくりのためには大切なことです。ともかくも、私たちの目的は勝つことではなく平和を作り出すことです。そのことを覚えて歩んで参りましょう。

天におられます我らの父よ。そのお名前を賛美します。今日は妻と夫というテーマからより大きな問題までを考えて参りました。私たちがこの世界で主イエスをどう証ししていくべきか、その際に最も大切なのは私たちの行動なのだ、という教えには身が引き締まる思いがします。どうか私たちをお助け下さい。われらの平和の主イエス・キリストの聖名によって祈ります。アーメン

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アブシャロムの死第二サムエル18章1~33節 https://domei-nakahara.com/2025/05/11/%e3%82%a2%e3%83%96%e3%82%b7%e3%83%a3%e3%83%ad%e3%83%a0%e3%81%ae%e6%ad%bb%e7%ac%ac%e4%ba%8c%e3%82%b5%e3%83%a0%e3%82%a8%e3%83%ab18%e7%ab%a01%ef%bd%9e33%e7%af%80/ Sat, 10 May 2025 23:46:00 +0000 https://domei-nakahara.com/?p=6400 "アブシャロムの死
第二サムエル18章1~33節" の
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1.序論

みなさま、おはようございます。これまでサムエル記を読み進めて参りましたが、今日の箇所はサムエル記の中の一つのクライマックス、少なくとも後半の部分では最大の山場ともいえる箇所です。サムエル記の後半部分のテーマは「ダビデ家の崩壊」でした。ダビデ家といっても王朝としてのダビデ家ではなく、家族としてのダビデ家です。ダビデ王朝は存読したけれど、ダビデの家族は崩壊してしまった、そういう哀しい物語です。

さて、前回はダビデの策略、つまりトロイの木馬としてアブシャロム陣営に送り込んでいた策士フシャイと祭司長であるツァドクとエブヤタル、彼らの活躍のおかげでアブシャロムは愚かにもダビデに有利な作戦を採用してしまい、さらにはアブシャロム陣営の作戦計画はダビデに筒抜けになりました。もうこうなってしまえば、勝敗は決したようなものです。アブシャロムは入念に準備をしてクーデターを決行したのですが、しかし人心掌握術ではダビデの方が一枚も二枚も上手でした。

2.本論

では、今日の内容を見ていきましょう。相手の作戦が筒抜けとなり、敵軍の動きが手に取るように分かるようになったダビデは、いよいよ反転攻勢の準備に入ります。ダビデは自軍を三つに分けて、大将軍のヨアブとその兄弟ツェルヤの子アビシャイ、またペリシテ人、つまりイスラエルとは敵対している民族からやって来た傭兵隊長であるイタイ、この三人に任せました。その時、ダビデは意外なことを言いました。これまで見て来たように、かつては兵士たちの先頭に立って戦場で活躍していたダビデですが、王になってからは戦場のことは大将軍ヨアブに任せ、王宮で昼寝をしたり遊び暮らす毎日を送り、挙句の果ては勇敢の兵士の妻であるバテ・シェバを奪い取るということまでしてしまいました。その事件がダビデ家崩壊の始まりとなり、それから次から次へとダビデ家には災厄が降りかかり、とうとうアブシャロムの乱となってしまったのです。

このように、王となってからは戦場に立つことを止めたダビデが今度は戦場に立とうというのです。これはダビデ軍の士気をあげるためには大変有効なことでした。ダビデがいるといないのとでは、全然士気が違います。日本の歴史でも、天下分け目の戦いと言われた関ケ原の戦いで、豊臣家の当主豊臣秀頼が戦場に出るか出ないかで、その命運は分かれたとも言われています。西軍に秀頼が大将として出陣すれば、徳川方についていた豊臣恩顧の武将たちも秀頼様には弓が弾けないということで、東軍は著しく不利になっただろうと言われています。実際は秀頼は戦場に来ることはなく、その結果西軍は敗れてしまいました。このように大将が戦場に出るというのはたいへん重要なことで、今回はダビデが久々に戦場に出ようというのです。では、なぜダビデは戦場に出る決意を固めたのでしょうか?対アブシャロム戦の必勝を期しての決意だったのでしょうか。おそらくそうではないでしょう。経験豊富な司令官であり政治家であるダビデは、もう自軍の勝利を確信していました。ダビデが気にしていたのは、むしろアブシャロムの命でした。ダビデはアブシャロムのことを反乱軍のリーダーとしてではなく、反抗的だがかわいい息子として見ていたのです。ダビデは部下たちが引き留めるので、戦場に出ることは断念しますが、その代わりある指示というか、お願いのようなことを命じます。彼は三人の部隊長、ヨアブ、アビシャイ、イタイを呼んで、「私に免じて、若者アブシャロムをゆるやかに扱ってくれ」と頼んだのでした。しかもこっそりとではなく、全軍の兵士たちに知れ分かるように公然とこうしたことを口にしたのです。親としてのダビデの気持ちは誰もが理解できたでしょうが、しかしこれから命がけで戦場に向かう兵士たちにとってアブシャロムは敵の大将です。彼を倒さないことには戦争は終わらないのです。しかも相手は自分たちを殺そうとしているのです。そんな敵を相手に果たして手加減ができるのか、という疑問が当然生じます。しかし、王の命令に逆らったらどうなるか分かったものではない、という恐怖もあります。このように、ダビデの命令というか要請は、命を懸けて戦う兵士たちをとんでもないジレンマに置くことになります。敵に勝たなくてはならないのに、敵を殺してはならないというのですから。

このダビデの命令をどう考えるべきでしょうか。一つ確実に言えることは、もしダビデに反乱を起こしたのが息子のアブシャロムではなく赤の他人だったとしたら、ダビデはこのような指示は決して出さずに躊躇なく殺しただろうということです。王の命を狙い国を奪おうとするのは大罪ですから、当然のことです。ですからダビデのこの処置は身内に甘いという批判を免れないものです。実際、アブシャロム軍との戦いで命を落とす兵もいるわけですから、そうした兵士たちの遺族からすればダビデのやっていることは身びいき、えこひいきだと感じられるでしょう。ここで、ダビデの問題が再び明らかになります。ダビデのこれまでの行動の問題点は、公平な裁きができないということに尽きると言えます。公平どころか自分に甘い、身内に甘いというのがあからさまなほど目立っていました。まずバテ・シェバ事件ですが、その時にダビデは自らがバテ・シェバの夫ウリヤを殺害したことの責任を取ろうとしませんでした。神に赦されたからそれで十分とばかり、罪の償いを遺族に対してしようとはしませんでした。それどころか、結局望み通りにバテ・シェバを自分の妻としてしまい、新しく子どもを設けています。また、自分の息子アムノンが自分と同じ強姦の罪、しかもこともあろうに自分の妹であるタマルを辱めたことについてもお咎めなしでした。さらにはその第一王子であるアムノンを第三王子のアブシャロムが殺害するという、王子殺しの大罪すらも不問に付しました。国がひっくり返るような大罪を続けざまに見逃したのです。そして今度はクーデター、国家転覆の罪さえ赦しかねないということなのです。もはやダビデは王としては全く機能してはいないのですが、しかし王ですから絶対的な権力を持っていて、部下たちは彼に振り回されることになります。

このことを苦々しく思っている人物がいました。それが大将軍ヨアブです。彼は今の企業でいう総務部長のように汚れ役、上役のしりぬぐいばかりしてきたわけですが、彼にもプライドというか矜持がありました。自分は確かに汚い仕事ばかりしてきたが、それもこれもお家のため、ダビデ家存続のためだという思いがありました。ですから彼は、ダビデ家の存続のためならダビデに逆らってでも行動するという決意があったし、これまでもそのように行動してきました。ですから今度のアブシャロムを殺すな、見逃せというダビデの命令も、ダビデ王朝存続のためにプラスにならない、そういう反発心を持って聞いていました。

そのようなことがあったのですが、いよいよアブシャロム軍とダビデ軍の雌雄を決する戦いがありました。アブシャロムはフシャイの作戦にしたがって、なるべく多くの兵士をかき集めて物量作戦でダビデ軍を押しつぶそうとしましたが、ダビデたちは大軍の利点が打ち消されてしまう森の中を戦場に選びました。ゲリラ戦に慣れたダビデ軍古参の兵士たちにとって森は非常に戦いやすい場所ですが、大軍の場合は寸断されやすく、敵と味方の区別がつきづらくてかえって不利になってしまいます。大軍で押しつぶそうというアブシャロム軍の作戦を事前に知っていたダビデたちは、敵軍が不利になるような戦場を選び、敵をそこに誘い込んだのです。その作戦はてきめんでした。アブシャロム軍は神出鬼没の動きをするダビデ軍に翻弄されてしまい、瞬く間に2万人もの兵士を失ってしまいました。彼らはダビデ軍にやられたというよりも、自滅していったという方が正確でしょう。密林の中を迷ったり、同士討ちになったり、野獣と遭遇したりと、ダビデ軍と戦う以前に自壊していったのです。

アブシャロム軍は総崩れになり、大将のアブシャロムは護衛の兵士たちとも離れて単身で逃げ延びていました。しかし彼は大変な長身で、髪の毛も長かったのでそれが災いしました。なんと髪の毛が木の枝に絡まってしまい、宙ぶらりんになってしまったのです。アブシャロムは惨めな思いで一杯だったことでしょう。これではサウル王のように自害もできません。そして、そのアブシャロムをヨアブの軍団の兵士たちが見つけました。敵の大将ですから、普通であれば我先にととどめを刺しに行ったはずです。しかし、兵士たちにとってはダビデの言葉がすべてでした。敵将の首を取る手柄を挙げたとしても、それでダビデの逆鱗に触れては元も子もありません。兵士たちは遠巻きにアブシャロムを眺めるだけで、誰もとどめを刺そうとはしませんでした。そこに大将軍ヨアブが駆け付けました。彼は敵の大将を前にして黙って見ているだけの兵士を見て一喝します。大手柄だというのに、なぜ何もしないのか、と。しかし兵士たちは反論します。あなただって、ダビデ王の言葉を聞いたでしょう。ダビデの命に逆らってアブシャロムを殺したら、恩賞どころか死刑になります。その時、あなたは知らんぷりで私の命を助けてはくれないでしょう、とこのように抗議したのです。そこで、だったら俺がやる、責任は俺が取ってやる、とばかりにヨアブは手に三本の槍を持ってアブシャロムの心臓めがけて投げつけました。

先ほども言いましたが、ヨアブはダビデから直接アブシャロムを助けてくれと頼まれた後も、なんとしてもアブシャロムは殺さなければならないと決めていました。彼にとって一番大事なのはダビデ個人の思いではなく、ダビデ王朝の存続です。これまでも、ダビデの命に逆らってでも、ダビデ家に仇なすと思われる人物は暗殺まがいのことをしてでも排除してきました。ヨアブはダビデのすぐ近くにいて彼の行動をつぶさにみてきたので、ダビデが王としてはもはや正常な判断ができなくなっていることに気が付いていました。ダビデは間違いなくアブシャロムを生かすだろう、しかも反乱の責任すらうやむやにしてしまうだろう、ということがヨアブには分かっていました。そしてそれが王国にとってどれほど大きなダメージを与えるかということも分かっていました。なにしろクーデターをしても許されるという前例を作ってしまえば、第二、第三のアブシャロムが生まれても不思議ではありません。アブシャロム自身も再びよからぬたくらみに加わる可能性もあります。さらには、今回のクーデターと戦争でダビデ側も少なくない犠牲者を出しています。犠牲となった兵士の家族たちは、この反乱の責任者の罪が赦されたと知ったら強い憤りを感じることでしょう。そんなことになれば、ダビデ王朝への人々の信頼が揺らいでしまいます。こうしたことを踏まえて、ヨアブはアブシャロムをダビデに引き渡さずに戦場で殺してしまおうと覚悟を決めていました。どうせダビデは自分に手を出せない、自分なしではダビデは王としてはやっていけないだろうという自信、あるいは奢りもあったのでしょう。

こうしてヨアブはダビデの命令を無視し、アブシャロムの息の根を止めました。ヨアブの道具持ち、親衛隊のような兵士たちも、大将がやったのだから遅れてはならないとばかり、アブシャロムに斬りかかりました。あわれアブシャロムは滅多切りにされてしまいました。ヨアブは敵の大将を倒したのだからと、全軍に攻撃停止を命じます。戦争は終わったのです。そしてアブシャロムですが、本当に無残な姿を晒していました。イスラエル一の偉丈夫とほめそやされたアブシャロムはもはや見る影もない姿になり果てました。こんな姿をダビデに見せるわけはいかないとばかり、兵士たちは彼の遺体を深い穴に投げ込み、大きな石をそこに投げ込んで誰も遺体を見ることが出来ないようにしました。ダビデの命令に逆らって彼を滅多切りにしたことがばれないように、いわば証拠隠滅でした。

こうしてアブシャロムの乱は終わりました。しかし、ヨアブ軍には厄介な問題が一つ残っていました。それはアブシャロムの事をどのようにダビデに報告するのか、という問題でした。ヨアブとその部下たちは公然とダビデの命令を無視したのですから、当然報告しづらいわけです。大勝利を喜んで報告したいのに、できないというなんとも悩ましい状況になってしまいました。彼らは、アブシャロムの悲報を知ったらダビデは何をしでかすか分からないという不安がありました。といのも、ダビデは敵であったはずのサウルの死を知らせた使者を斬首したことがあったからです。そこでヨアブはイスラエル人ではない外国の傭兵であるクシュ人にこの知らせを伝えさせることにしました。最悪の場合、このクシュ人がダビデに殺されても仕方がないと思ったのでしょう。しかし、祭司長のツァドクの息子で、ダビデにアブシャロム側の情報を伝えたアヒアマツは不満でした。こんなに大事な知らせを伝えるという大きな役目を外国人に渡してしまうのが我慢ならなかったのです。アヒアマツは、彼がダビデの逆鱗に触れてしまうことを心配したヨアブから制止されましたが、どうしてもと強く言い張ってダビデの元に向かうことにしました。しかも近道を使って、先に走っていったクシュ人を追い越しました。そして最初にダビデに勝利を知らせるという名誉を自分のものにしました。しかし、さすがにアブシャロムの事を知らせるのはためらわれたのでしょう、ダビデからアブシャロムの安否を問われると、何があったか分からないと言ってごまかしました。そうすると、次にクシュ人の伝令がやってきました。ダビデは同じことを聞きました。アブシャロムはどうなったのかと。このクシュ人の伝令も、ダビデがサウル王の死を知らせた伝令を殺したことを知っていたので、身の危険を感じましたが、しかし伝えないわけにもいかないので、回りくどい言い方をしました。「王さまの敵、あなたに立ち向かって害を加えようとする者はすべて、あの若者のようになりますように」と言ったのです。これでダビデはすべてを知りました。アブシャロムが死んだのだと。そして門の屋上に上って、皆が聞こえるような大声で泣きだしました。「わが子アブシャロム。ああ、私がおまえに代わって死ねばよかったのに」と。

3.結論

まとめになります。今日はアブシャロムの死に際しての、ダビデの矛盾した行動を見て参りました。ダビデはアブシャロムの乱を鎮圧するために、権謀術数の限りを尽くしました。何人ものスパイ、つまりトロイの木馬を送り込み、アブシャロム陣営をかき乱して彼らが自滅するように仕向けました。にもかかわらず、反乱の首謀者であるアブシャロムの命は何としても救おうとし、彼が死んだことを知ると「自分が代わりに死ねばよかったのに」と皆の前で泣き出す始末です。しかし、兵士たちは命がけでダビデの命を救おうと頑張ったのです。そのダビデの命を狙う者を殺したら、「自分が代わりに死ねばよかった」などと言われてしまえば、何のために戦ったのか分からなくなってしまいます。

ここからわかるように、もうダビデは王としては機能していません。確かにアブシャロム陣営にスパイを送り込む手練手管は見事でした。しかし、自分の感情を抑えきれず、自分のために命を捨てようとする兵士たちの前で醜態をさらす姿は無様としか言いようがありません。王は自軍の兵士たちの命を何だと思っているのか、バテ・シェバの夫のウリヤのように、兵士の命など好きなように扱ってよいとでも思っているのか、と皆から思われても仕方がありません。どうしてダビデはここまで耄碌してしまったのでしょうか。

ダビデは王ですので、彼を止めることが出来る人は誰もいません。それができるのは神だけであり、神はダビデの家に大きな災いを送り込むことで、ダビデに悔い改めを促してきたのですが、ダビデはこれまでずっと悔い改めを拒んできました。悔い改めには具体的な行動が求められます。私は、ダビデは少なくとも部下殺しの罪を認めて王位を退くべきだったと考えています。責任を取るべきだったのです。神もダビデが自ら責任を取ることを望んでおられたように思います。しかしダビデはそれを拒み続け、王位にしがみつきました。その結果、ダビデは本当に醜い老人になってしまいました。地位が高い者であればあるほど、その地位には責任が伴い、自分に厳しくあらねばならないということを、ダビデの惨めな晩年を見ると思い知らされます。

日本の政治不信が続いています。その大きな原因の一つは、政治家が責任を取らなくなったことにあると思います。近年大きな金銭スキャンダルが続きましたが、みな口をそろえて「職務を全うすることで責任を取ります」というようなことを言い、決して辞任しようとはしません。その結果、政治の緊張感は失われ、ますます惨めな状態になっています。その行き就く先はどのようなものか、それはダビデの生涯が教えてくれているのではないでしょうか。聖書のメッセージは慰めばかりではありません。人間世界の厳しい現実をも教えてくれます。私たちもその厳しい教訓も心に刻んで歩んで参りましょう。お祈りします。

歴史を支配される主よ、そのお名前を讃美します。今朝はアブシャロムの乱の悲劇的な結末を学びました。ダビデの王としてはまったく矛盾に満ちた行動も見て参りました。責任を取ることの難しさを思い知らされますが、私たちはダビデの生涯から大切なことを学ぶことができますように。われらの平和の主イエス・キリストの聖名によって祈ります。アーメン

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トロイの木馬第二サムエル17章1~29節 https://domei-nakahara.com/2025/05/04/%e3%83%88%e3%83%ad%e3%82%a4%e3%81%ae%e6%9c%a8%e9%a6%ac%e7%ac%ac%e4%ba%8c%e3%82%b5%e3%83%a0%e3%82%a8%e3%83%ab17%e7%ab%a01%ef%bd%9e29%e7%af%80/ Sun, 04 May 2025 03:38:00 +0000 https://domei-nakahara.com/?p=6383 "トロイの木馬
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1.序論

みなさま、おはようございます。しばらくイースター関連で新約聖書からメッセージをして参りましたが、今日は久しぶりにサムエル記からのメッセージに戻ります。今日の説教タイトルは「トロイの木馬」ですが、これは古代ギリシアの故事から取られたことばで、敵にスパイを送り込んで内部から崩壊させるという話です。そして本日の聖書箇所は、まさにそのような内容になっています。

今日の世界では、戦争という現実が否が応でも私たちを取り囲んでいます。ウクライナ戦争は2022年の開始からもう三年が経過していますが、停戦はまだまだ難しいように思えます。また、ガザ紛争が始まって、早くも一年半になります。ガザの場合は、一応は停戦になっていますが、それはガラスのような脆さです。私たちは戦争そのものに反対する平和憲法の国の国民なのですが、しかしこうした世界の戦争の現実から逃れられている訳ではありません。それは、第二次世界大戦後の世界のほとんどの紛争に関与してきたアメリカ合衆国の同盟国という立場にあるからであり、アメリカはますます日本の軍事的貢献を期待しています。日本はこれまでのアメリカに守ってもらうという立場から、共に戦う同志になるようと期待されているのです。そして私たちがそれを拒否するのは大変難しいのです。なぜなら私たち日本は、食糧・エネルギー・防衛のあらゆる分野でアメリカに依存しており、アメリカに逆らっては毎日の生活すらおぼつかないからです。そのアメリカは明確に中国を仮想敵国としており、日本はその戦いの最前線に位置する国だとされています。そんなのとんでもないことだ、と多くの人は考えるでしょうが、それが現実なのです。戦後80年戦争とは無縁でやってきたこの日本が、これから80年間も平和な国でいられるかどうか、今がまさに運命の分かれ道、正念場だといえます。

聖書にも、至る所に戦争の記述があります。今日の箇所もまさにそういう記述です。不幸にも戦争が始まってしまった場合、人々はどのように行動するのか、特に信仰者はどう行動するべきなのか、ということを考えさせられる箇所です。聖書には、大きく分けて二種類の戦争があります。一つは「聖戦」、聖なる戦争というもので、神が命じる戦争、さらにいえば神ご自身が戦うという戦争です。神は平和の神ではないか、その神が自ら戦うなどということがあるのか、と思われるかもしれませんが、聖書には確かにそのような記述があります。その特徴は、戦いの主体は神であり、人間側の関与は少なければ少ないほどよい、ということです。普通戦争の場合、如何に相手よりも大きな戦力、兵隊を集めるのかということがポイントになり、兵士は多ければ多いほど良いのですが、聖戦の場合はそれは逆になり、兵士は少なければ少ないほど良いということになります。その典型が士師ギデオンの戦争です。ギデオンはミデヤン人との戦争に臨むときに、味方の兵士は三万人も集まったのですが、それでは多すぎるということで一万人にまで減らし、それでも多すぎるということで何と三百人にまで減らして戦ったのです。三万人が三百人ですから百分の一にしたわけで、普通に考えれば自殺行為ですが、しかしこれは信仰の表明、「神が私たちのために、私たちに代わって戦ってくださる」という信仰の表明なのです。

聖戦のこのような性格を考えた場合、サムエル記の中にもこれまで聖戦と呼べるような戦いがいくつかあったということが言えます。一つはサウル王の息子ヨナタンの戦いで、ヨナタンは圧倒的優位にあったペリシテ人に対してたった二人で奇襲をかけて成功し、ペリシテ軍を敗走させました。これは戦術の勝利というよりも、神は我らに勝利を下さるというヨナタンの強い信仰の勝利と言えるでしょう。そしてもう一つは、あの少年ダビデと巨人ゴリヤテとの戦いです。ボクシングで言えばヘビー級とフライ級のような圧倒的に不利な戦いに、少年ダビデは石礫だけを武器に戦いを挑みました。この時のダビデを支えたのも、神はイスラエルに勝利を下さるという強い信仰でした。そして神は、このように圧倒的に不利な状況にあるイスラエルに力を与え、勝利を賜ります。これが聖書のいう「聖戦」の姿です。

そのような観点から見れば、今回のアブシャロムとダビデとの内戦はとても聖戦とは呼べません。両軍とも、如何に大きな兵力を集めて相手を圧倒しようかという、普通の人間的な考え方で戦術を組み立てているからです。神がどちらかの側に立って戦われたというわけでもありません。たしかに、今日の14節には神がアヒトフェルの戦略を打ち壊そうとしたとありますので、神がダビデ側に加勢している印象を受けますが、しかしそもそもこのアブシャロムの乱そのものが、ダビデの罪に対する神の裁きだと考えられるので、神がダビデの側に立っているのかどうかは自明ではありません。サムエル記はダビデ王朝を擁護する立場から書かれているので、神がダビデ側に立っているという記述は多少割り引いて読む必要もあります。つまりは、アブシャロムとダビデの戦いは聖戦ではなく、人間同士の権謀術数を繰り広げた戦いだということです。その戦いのことを神はどのように見ておられたのか、神の御心はどこにあったのか、というのは判断が難しいところです。

今回の件に限らず、現代の戦争についても、「神はこちら側についておられる、正義は我々の側にある」というような主張は常に疑ってみる必要があります。本当にそう思うなら、ギデオンのように思いっきり軍備を削減して、ほとんど丸裸の状態で敵に挑めばよいのです。そのような覚悟、そのような信仰があるならばそれは「聖戦」と呼んでよいのでしょうが、そんなことをする国はどこにもありません。どの国も「もっと武器をよこせ。もっと強力な武器が必要だ」と叫んでいます。しかし、そんなことを言っているのはそれが聖戦ではない証拠なのです。したがって、神の戦いではない人間同士の戦いとして、今日のテクストを読み解いて参りましょう。

2.本論

さて、それでは1節です。ここではアブシャロムの軍師、神のごとき知恵があると謳われたアヒトフェルが登場します。前にもお話ししましたが、アヒトフェルはあのバテ・シェバのおじいさんです。つまり、ダビデとバテ・シェバの子のソロモンはアヒトフェルのひ孫になります。そしてアブシャロムはソロモンの腹違いの兄であり、王位を争うライバルです。普通に考えればソロモンが王位に就くのを助けるためにアブシャロムに敵対すべき立場です。では、なぜアブシャロムの参謀役などを買って出たのか?ここからは私の想像ですが、アヒトフェルは非常に正義感の強い人で、ダビデがバテ・シェバの夫、アヒトフェルからすれば義理の孫ですが、そのウリヤを謀殺しておきながら、何の罪にも咎められなかったことが許せなかったのでしょう。ですから彼は本気でダビデとその王朝を倒しに来ているのです。実際、彼は非常に優れた作戦を具申します。それは、ダビデ軍がまだ準備が整っていないうちに急襲し、ダビデ一人の首を取ろうというものでした。今回のアブシャロムの乱は入念に準備したものですので、最初の段階では成功しましたが、しかし人々の間のダビデへの人気や信頼は根強く、時間が経てばたつほどダビデに有利な状況に傾いていくだろうというのがアヒトフェルの読みでした。そしてその状況判断は正確だったのです。

このアヒトフェルの作戦計画は、一旦はアブシャロムやほかの長老たちに受け入れられました。しかし、ここでアブシャロムの未熟さが露呈してしまいました。リーダーたるもの、ひとたび戦略を決めたならそれをひたすら敢行すべきなのですが、若いアブシャロムには不安や迷いもあったのでしょう。アヒトフェルを信頼しきれず、本当にダビデに勝てるのかという不安に負けてしまい、セカンドオピニオンを求めてしまいます。アヒトフェルと並ぶ知者とされるフシャイの意見を聞こうとしたのです。そしてこのフシャイこそ、ダビデが送り込んだ「トロイの木馬」だったのです。戦争というものは、戦場だけで決着がつくものではありません。むしろ、戦場の外でこそ熾烈な戦いが繰り広げられているのです。この戦場の外での戦いではダビデは常にアブシャロムよりも上手で、今回もまさにそうでした。フシャイはダビデのために、アブシャロム陣営に毒を吹き込みます。それはダビデへの恐怖心です。フシャイは巧みに、かつてのダビデの勇士を人々に思い起こさせました。ダビデには、それこそ伝説ともいえるような武勇伝がいくつもあります。特に、サウル王の追及をかわしてついにはサウル王を出し抜いたゲリラ戦の名人としてのダビデの記憶はまだ人々の間には新しいものでした。そのダビデを、果たして我々は捕らえることができるだろうか、とフシャイは語るのです。実際には、このころにはダビデはすっかりふぬてけしまっていて、サウル王と渡り合った頃のような面影はないのですが、それでも人々のダビデに対するイメージは昔のままだったのです。フシャイはそれを巧みに利用して、より安全で確実だと思われる作戦を申し出ます。それは、蟻一匹逃さないような包囲陣を引いて、大軍団でダビデたちを押しつぶしてしまおうというものでした。確かに大軍で小さな相手を圧倒するというのは兵法における常道、正攻法です。しかし問題は、そんな大軍をアブシャロムが果たして集めることができるだろうか、ということなのです。アブシャロムは反乱軍であり、その正統性が今まさに問われているという、そのような状況です。そんなアブシャロムにイスラエルの人たちが無条件に従うでしょうか?いやむしろ、ダビデの方に味方するか、あるいは多くの人たちは決着がつくまで様子見をして、どちらにも肩入れしないようにするでしょう。そんな弱い立場にある以上、リスクを取ってでも敵の大将の首を狙いに行くというのがアブシャロムにとっては最善手でした。いや、そこにしか勝機はなかったのです。しかし、アブシャロムは自らの弱い立場も考えずに横綱相撲を取ろうとしました。ここで、アブシャロムの器が知れてしまいました。彼の敗北は実質的にここで決まったのです。さらにいえば、ここでアブシャロムという人物の信仰心も明らかになりました。もしこの戦いが本当に神の御心であるという確信に基づいて彼が行動していたのなら、圧倒的な武力で安全策によって敵に打ち勝とうなどとはしなかったでしょう。先ほどの「聖戦」の説明でもお話ししたように、神の戦いにおいてはむしろ圧倒的に不利な状況でこそ神の力が発揮されるのです。アブシャロムに主の御心を行うのだという強い信仰があるのなら、少ない手勢で戦う方を選んだことでしょう。しかし彼は目に見えない神よりも、現実的な力に頼ろうとしました。したがって、神も彼を助けようとはなさらなかったのです。

ここから後も、ダビデが巧妙に仕掛けておいた罠がことごとく成功していきます。ダビデはフシャイをトロイの木馬としてアブシャロムに送り込みましたが、ダビデが送ったトロイの木馬はこれだけではありませんでした。そのもう一つのトロイの木馬とは契約の箱であり、その箱を管理することのできる、大祭司になる資格のある二人の祭司ツァドクとエブヤタルでした。契約の箱は、日本で言えば三種の神器のようなものです。源平合戦もある意味では三種の神器をめぐる争いでした。なぜならそれを持つものは正統な日本の統治者であると見なされたからです。イスラエルの場合も、神とイスラエルの契約を象徴する契約の箱を持つ者こそが、イスラエルを代表する者とみなされます。アブシャロムからすれば、喉から手が出るほど欲しいものでした。これさえあれば、反逆者から卒業し、正統なイスラエルの王として認められることができるからです。その契約の箱を、祭司たちが持って来てくれました。まさに鴨が葱を背負って来るような状況です。これで、アブシャロムはコロッと騙されてしまいました。ダビデのスパイであるツァドクとエブヤタルをすっかり信用してしまったのです。そして彼らはフシャイと同じく獅子身中の虫としてアブシャロム陣営で動きます。アブシャロムがアヒトフェルの正しい献策を退け、フシャイの悪手を採用したことを、彼らの息子であるアヒマアツとヨナタンを伝令としてダビデに伝えようとしたのです。ダビデは、彼らからの情報を荒野で待つと言っていましたが、そのダビデに向けてこの二人は急いで最新情報を伝えようとしました。彼らはアブシャロムの手の者に見つかりかけましたが、ある女性が彼らを匿ってくれました。このことからも、アブシャロムへの支持は民衆の間では十分には広まっておらず、ダビデを応援している人たちが多かったことが分かります。この情報はダビデに伝わり、アブシャロム陣営の動きを知ったダビデたちは安全な地域に一旦退却します。そこで用意を整えてアブシャロムたちを迎え撃とうということです。こうして、アブシャロムは唯一の勝機を逃しました。また、自分の作戦が受け入れられなかったことを知ったアヒトフェルは静かに自害しました。彼には次に何が起きるか、もう見えていたのです。中国の歴史に項羽と劉邦という有名な二人の武将の話があり、特に「鴻門(こうもん)の会」という出来事があります。その際、項羽に劉邦を討つべきだと献策した范増(はんぞう)という軍師がいましたが、項羽はそれを退け項伯(こうはく)という人の案を受け入れて劉邦を生かしました。この劉邦が後に「漢」帝国を築いて項羽を滅ぼすことになります。范増はこの時大いに悔しがり、自分たちは必ず劉邦に滅ぼされるだろうと預言しましたが、アヒトフェルも同じ気持ちだったのでしょう。

3.結論

まとめになります。今日は、ダビデの「トロイの木馬」作戦が当たり、アブシャロムがダビデの送り込んだスパイによって翻弄され、誤った道を選択していく場面を見て参りました。アブシャロムも入念に準備をして反乱を起こしたのですが、政治家としての経験も実力も父ダビデがはるかに勝っていたことが露呈した事件でした。

今回の話では、アブシャロムという人物の本当の姿が明らかになったように思います。これまでの彼の行動は、勇敢で思慮深い人物という印象が強かったのですが、今回の件では政治的な未熟さのみならず、信仰的な弱さも浮き彫りになったと思われます。アブシャロムが反乱を起こしたのはなぜか?それは自分が王になりたいからという野心から出たものではなく、王として、また父としての責任を果たさないダビデに対して憤りを感じ、この人物にイスラエルは任せてはおけないという彼なりの正義感から出た思いも間違いなくあったでしょう。妹タマルのためになにもしてくれなかった父、自分の行動についてもいいとも悪いとも言わず、宙ぶらりんにして責任を果たさない父王、そのダビデに対する異議申し立てという思いがあったでしょう。そしてそれは主の御心に違いないという、彼なりの信仰の確信もあったものと思われます。しかし、彼はこの戦いを主の戦いとはしようとしなかったし、できませんでした。それを端的に表していたのが、アヒトフェルの作戦に対する彼の態度です。彼はその作戦のリスクが大きすぎると感じ、フシャイにも意見を求め、そのより安易な作戦に飛びつきました。神に信頼するよりも、人間的な安全策を選んでしまったのです。それが彼の墓穴となりました。もし彼が、本当に自分が主の御心を行っているという確信があるのならば、リスクはあっても、より戦死者が敵も味方も少なかったであろうアヒトフェルの作戦を採用すべきだったのです。

私たちも人生において様々な決断が求められるときがあります。その時、人間的にはリスクが大きいと思われても、より主の御心に適っていると思える道があるのならば、その道を選ぶ勇気を持ちたい、信仰を持ちたい、そのように思わされる今日のアブシャロムのエピソードでした。そのような信仰を持つことが出来るように、祈りましょう。

イエス・キリストの父なる神様、そのお名前を賛美します。今日はダビデのトロイの木馬作戦が大成功した話を学びました。ここではアブシャロムの信仰の弱さが浮かび上がりました。しかし、相対するダビデの側にも老獪な知恵はあっても、若々しい信仰は失われてしまったのだろうか、という疑問も消えません。私たちもまた、人生において様々な難しい選択を迫られるものですが、そのような時に信仰に立って決断できるように、お助け下さい。われらの平和の主イエス・キリストの聖名によって祈ります。アーメン

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キリストの模範第一ペテロ2章18~25節 https://domei-nakahara.com/2025/04/27/%e3%82%ad%e3%83%aa%e3%82%b9%e3%83%88%e3%81%ae%e6%a8%a1%e7%af%84%e7%ac%ac%e4%b8%80%e3%83%9a%e3%83%86%e3%83%ad2%e7%ab%a018%ef%bd%9e25%e7%af%80/ Sun, 27 Apr 2025 00:29:00 +0000 https://domei-nakahara.com/?p=6358 "キリストの模範
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1.序論

みなさま、おはようございます。私たちは毎週サムエル記を読み進めて参りましたが、月末だけは新約聖書からメッセージさせていただいております。今は第一ペテロを読み進めておりますので、今朝も第一ペテロから学んで参りましょう。

さて、今日のテーマはなかなか重たいものです。それは「理不尽な苦しみ」についてです。私たちの人生においては、自業自得、いわば身から出た錆というような苦しみがあります。人から憎まれたり、ひどいことをされてしまったとしても、自分が過去にその人にひどいことをしてしまった、悪い事をしてしまったという自覚があるならば、私たちはそういう苦しみを割と受け入れることができるのではないでしょうか。では、まったく身に覚えがない場合はどうなのでしょうか?仏教では「因果応報」という教えがあり、物事にはすべて原因がある。あなたの身に起きることはあなたの過去の行いの結果だ、たとえ身に覚えがないとしても、それはあなたが前世で行った悪行に対する報いなのだ、と教えられます。しかし、まったく記憶にない前世の報いだと言われてもなかなか納得できないのではないでしょうか。実際、身に覚えのないことで突然ひどい目に遭ってしまうという場合、私たちはそれを受け止めきれません。今日の悲惨な凶悪犯罪でしばしば耳にするのは「誰でも良かった」という言葉です。人生に深く絶望した人、社会に強い憤りを持った人がその怒りを外に向ける場合、特定の誰かではなく、社会そのものに復讐しようとします。そして、誰でもいいからそこにいる人を無差別に襲うのです。その時にたまたまそこに居合わせてしまったために、その人の怒りの対象になってしまった人、その人とは何の面識もないのにいきなり危害を加えられてしまう、そんな状況は考えただけでも恐ろしいですよね。しかし私たちの誰もが、そのような出来事とは無縁ではいられないのです。そんなことにならないように社会をよくすればいいではないか、と思う方もいるでしょうが、それができるものならもう実現しているでしょう。社会の悪というのは、個人の力では如何ともしがたいのです。

さて、このような突然襲って来る理不尽な苦しみにどう向き合うかという問題は、そうした苦しみとは無縁だと考えている人も平素から考えておくべき重要なテーマでしょう。というのも、そういった苦しみとは一生無関係だと言い切れる人などいないからです。自分に向けての理不尽な攻撃、これは文字通りの暴力のみならず言葉の暴力も含みますが、そうした攻撃に対してどうするべきなのでしょうか。クリスチャンの間ではしばしば「キリストを模範にしてどんな苦しみでも黙って受け止めなさい」というようなことが言われます。これは正論なので反論できないような重みがありますが、しかし場合によってはとても危険な勧めでもあります。たしかに、クエーカーやメノナイトのような非暴力主義のキリスト教のグループは、彼らの共同体に対して無差別殺人を犯した人たちでさえ即座に赦しを与えたというような話を聞きます。彼らは敵を愛しなさいというイエスの教えを文字通り実行しているのだと言います。それはクリスチャンを含めた多くの人々に衝撃を与えます。

しかし、なんでも赦せばいいのか、いや赦していいのか、というのはそれほど自明なことではもちろんないわけです。口にするのも憚られるようなおぞましい話ですが、カトリック教会で神父が小さな子供に性的な危害を与えてきたという事実がここ数十年に次々と明らかになっています。ドイツで8歳から16歳までの少なくとも23名の少年に性的な被害を加えた司祭がいました。しかし彼はその罪を問われることなく、他の教区で司祭になっていたことが明らかになりました。しかもそのような異動を認めたのが、先日亡くなられた教皇の前の教皇だったことが明らかになり、深刻な問題になりました。その後、世界中でこれに類する事件が報告されていますが、これらに対するカトリック教会の対応は驚くほど鈍く、むしろうやむやにしてしまおうというケースの方が多かったようです。いうまでもなく、ほとんどのカトリックの聖職者の方々は大変まじめで素晴らしい人格者です。犯罪者は目立ってしまいますが、他のまじめな人たちまで色眼鏡で見るべきではありません。しかし、こうした恐るべき罪を犯した司祭のことを、性被害にあった人たちに「赦す」ように勧めるというのは、なにかとんでもない誤りであるようにも思えます。そのために一生深い傷を負った人に、神の命令だからといって赦しを強要することは、ますますその人を傷つけることにもなりかねません。ですから、今日のテクストでは確かに理不尽な苦しみに耐え忍ぶべきことが教えられていますが、それはあらゆるケースに当てはまることではない、ということには十分注意する必要があります。キリスト教とはひたすら我慢しろ、泣き寝入りをしろ、という宗教ではないのです。むしろ、悪に対してはそれが自分に向けられるものであろうと他人に向けられるものであろうと、しっかりと向き合う、対決する必要があります。

今日のみことばで教えられているのは、「あらゆる不当な苦しみ」をひたすら耐え忍べということではなく、むしろ「神の前における良心のゆえに」、つまり福音のためにいわれのない苦しみを受ける場合に耐え忍べ、ということなのです。主イエスもこう言われました。

わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。喜びなさい。喜びおどりなさい。天ではあなたがたの報いは大きいから。あなたがたより前にいた預言者たちを、人々はそのように迫害したのです。(マタイ5:11-12)

私たちは理不尽な行動に対しては立ち向かう権利があるし、さらには責任があります。しかし、私たちクリスチャンが主イエスへの信仰、忠誠のゆえに受ける苦しみがあるとするなら、確かにそれは理不尽なものではありますが、耐え忍ばなければならない時があるのです。そのことを踏まえて今日のみことばを読んで参りましょう。

2.本論

では18節からです。「しもべたちよ」と呼びかけられていますが、このギリシア語原語は「オイケテイス」で、その意味は家隷(かれい)、家に隷属する奴隷ということです。ですからペテロは「奴隷たちよ」と呼びかけていることになります。問題は、奴隷というのは文字通りの奴隷という身分の人たちなのか、あるいは16節でペテロがクリスチャンのことを「神の奴隷」と呼んでいることから、ここでの家の奴隷とは神の家の奴隷であるクリスチャン全般のことなのか、ということです。つまりペテロは奴隷という特定の身分の人たちに向けて語っているのか、あるいはクリスチャン全体に向けて書いているのか、ということです。ここで注意したいのは、ペテロはしもべたちにキリストを模範にしなさいと述べていることです。そしてキリストを模範とすべきなのは奴隷だけでなく、あらゆるクリスチャンです。そこから考えると、ここでの「しもべ」とはクリスチャン全体を指すと考えるべきでしょう。実際、主イエスは足を洗うという奴隷の仕事を自ら行うことを通じて、弟子たちにも互いに奴隷として仕え合いなさいと命じています。先日学んだみことばですが、改めて読んでみましょう。ヨハネ福音書13章14節と15節です。

それで、主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしはあなたがたに模範を示したのです。

と、ここでははっきりと「模範」ということが語られています。私たちにとって主イエスとは信じ仰ぐ存在であるのみならず、その生き方に倣う、真似をする存在でもあるのです。そして私たちが見倣うべき主イエスの生き方とは、奴隷のように人に仕える生き方です。ですから今日の18節の「しもべ」と「主人」とは、単に身分制度社会の中での奴隷とその主人ということではなく、神の奴隷として召されている私たちが仕える社会の様々な立場の人々との関係と考えてもよいでしょう。サラリーマンなら部下と上司の関係もこれに当てはまります。

会社の上司というのは様々なタイプの人がいます。私もサラリーマンを15年間やり、しかも四つの日米の会社で働きましたから、ほんとうにいろいろな上司がいました。私は基本的には上司に恵まれてきたと思いますし、今でも心から感謝と尊敬の念を抱いている上司の方々も数多くおられますが、しかし中にはあまりにも昭和的といいますか、今の基準なら完全にパワハラだよな、というような思い出もあります。そういう経験も私の成長のためには必要だったと今なら思えますが、当時はそのように思えないような経験もしてきました。私自身も上司だったこともあり、若い人たちヘの態度が適切だったのか、もっと親身になって助けてあげるべきではなかったかと、恥ずかしくなるようなこともあります。ともかくも、人間というものは尊敬できる上司には喜んでお仕えできますが、そうでない場合はなかなかそうできない、ということもあります。ペテロも「善良で優しい主人」もいれば、「横暴な主人」もいると率直に語っています。しかし、そのような主人に対しても従いなさいとペテロは諭します。

そして19節と20節です。ここでも「主人」について語られていると思われますが、その主人はしもべが「善を行った」からといって打ち叩くというのです。しかし、そんなことがあるのでしょうか?ペテロは13節や14節では逆のことを言っているように見えます。主人と呼ばれるような人たちは「悪を行う者を罰し、善を行う者をほめるように王から遣わされる」のだと述べています。では、そのような秩序の維持者であるリーダーたちが、善を行ったからといって人を打ち叩くなどということがあり得るのでしょうか。もしそんなことをする指導者や主人がいるならば、身分が高い人だからといって遠慮するようなことはせずに、むしろ断固抗議していくべきなのではないでしょうか?

注意すべきなのは、ここで言われている「善を行う」というのは一般的な意味での善行のことではなく、福音を宣べ伝えたり、キリストのために働くことだということです。今日の先進国では、キリスト教を宣教したからといって非難されたり、暴力を振るわれることなどありませんよね。確かに時と場所をわきまえずに福音宣教をしたら嫌な顔をされるでしょうが、それでも信教の自由が保障されている日本においてはよほどのことがない限り妨げられることはありません。しかしペテロの手紙が書かれた時代のキリスト教はローマ帝国から公式に認められていた宗教ではなかったし、むしろ危険なカルト宗教として、時として非常に厳しい迫害を受けていました。「キリスト教徒は人肉を食べるカルトだ」というような、聖餐式を曲解されたとんでもないうわさが流れていたためです。そのような時代にイエスを宣べ伝えると、自分の上役や主人から厳しく罰せられることがあったのです。その主人が横暴な性格の持ち主であった場合、その処罰は極めて残忍なものにもなり得たでしょう。そのような理不尽な仕打ちを受けた場合の実質的な選択肢は、忍従しかなかったのです。下手に手向かえば、「キリスト教は危険だ、邪教だ」というようなさらに厳しい反応が返ってきたでしょう。

しかし、理不尽な仕打ちに黙って耐えるというのは大変なことです。酷いことをされても、ただ我慢しろ、などということは現代ではあり得ないことですよね。そんなことは、権利意識の強い今日の世間の常識ではあり得ないことです。けれども、キリスト教の黎明期のクリスチャンたちは時としてそのような過酷な状況に置かれていました。そして、ここで非常に強く強調したいのは、そのような理不尽な苦しみに遭ってきた人物の典型が、この手紙の書き手であるペテロ本人だということです。彼は苦しみの中にある読者を励ましていますが、彼自身がそのような苦しみを経験してきたのです。では、ペテロはどのようにしてその苦しい状況を乗り越えたのでしょうか?それは、彼の師であり主である生き方に倣うことでした。ペテロはここで、手紙の読者にイエスに倣うようにと語りかけていますが、それは自分自身が実践してきたことでもあったということを忘れてはなりません。キリストが苦しまれたのは私たちのため、とりわけ新しい契約を打ち立てて私たちをその契約に招き、私たちを神の子どもとして下さるためでした。そのような意味では、主イエスの受難とは唯一無二のものであり、私たちがまねをできるようなものではありません。私たちがどんなに苦しんでも、それで他の人を救うことはできません。このように主イエスの味わった苦しみは比類のないものですが、同時に主が苦しまれたのは私たちに模範を示すためだったともペテロは語ります。主イエスが苦難に遭った際に取られた態度、それはすべてのクリスチャンが模範とすべきものだということです。念のため繰り返しますが、私たちはどんなに理不尽な非難を浴びせられ、ひどい扱いを受けたとしても、それをただ我慢して受け入れなければならない、ということではありません。私たちは自分に対してであれ、他人に対してであれ、不当な扱いには抗議していく大切な義務があります。それぞれの人は神によって人間の尊厳を与えられているのであり、それを損なうような行為は許されないからです。しかし、それでも人間には、特にクリスチャンには、理不尽な扱いを黙って耐え忍ばなければならない時があるのです。そんなとき私たちが思い起こすべきなのは、主イエスもまったく不当な扱いを耐え忍ばれたということです。実際、私たちが主イエスに倣い、主イエスのように生きるならば、私たちもまた理不尽な扱いを受けるであろうことを主イエスも予告しています。その箇所、ヨハネ福音書15章20節をお読みします。

しもべはその主人にまさるものではない、とわたしがあなたがたに言ったことばを覚えておきなさい。もし人々がわたしを迫害したなら、あなたがたをも迫害します。

なんで私がこんな目に、なんて理不尽な、と感じる時には、主イエスもまさにそのような苦しみに遭われたことを思い起こすべきです。しかし、ペテロのようにイエスの苦難をつぶさに目撃した人物ならともかく、イエスを直接に知らない人はどうしたら良いのでしょうか?現代に生きる私たちには四つの福音書が与えられていますが、ペテロの手紙が書かれたころにはまだ福音書は書かれていませんでした。では、イエスを知らない当時の異邦人の信徒たちはどのように主イエスの苦難をイメージすればよかったのでしょうか?そのためにペテロが読者に提示したのがイザヤ書53章でした。イザヤ53章は主イエスの受難を予告した旧約聖書の箇所として大変有名で、「第五福音書」とまで呼ばれています。そのイザヤ書を引用することで、ペテロは手紙の受け手の信徒たちにキリストの受難の意味を深く考えるようにと促しているのです。ペテロの書いている、「その口には何の偽りもなく」や、「その打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされた」、「あなたがたは、羊のようにさまよいっていた」という下りはすべてイザヤ書53章からの引用です。みなさんも、この礼拝の後にぜひじっくりイザヤ書53章を読み返してみてください。そして、もし不当な苦しみに遭った時にはイザヤ書53章を通じてキリストの苦難を思い起こし、それを模範とも慰めともしてください。

3.結論

まとめになります。本日は、理不尽な苦しみに遭った際の心構えというものを、ペテロの言葉から学んで参りました。私たちは時として、意味の分からない不運や苦しみに巻き込まれることがあります。そうした際にどうすればよいのか、ということは人生におけるとても大きなテーマです。この説教で何度も申し上げたように、クリスチャンだからといって、何をされても我慢しなさいということではもちろんありません。今日の箇所でペテロが特に念頭に置いていたのは、福音を宣べ伝える、主イエスを信仰するがゆえに招いてしまった苦難です。これはクリスチャンにとっては全く不当な苦しみですが、しかし迫害する側の気持ちになって考えると、社会にとって有害な教えだから厳しく扱ってもよいのだ、ということになるのでしょう。ここには、キリスト教をどう考えるのかという点についての根本的な見解の相違があります。そんな時に、そうした迫害に対して強く反撃しようとすれば、「ああ、やっぱりキリスト教って危険な宗教なんだ」ということになりかねません。実際、かつての日本ではキリシタンが弾圧に耐えかねて島原の乱を起こしました。反乱を起こした信徒たちの気持ちは分かります。本当に必死だったのだと思います。それでも、この反乱の結果キリスト教はますます危険視されることになり、弾圧はもっと厳しくなってしまったのです。ですから、宗教的な理由での迫害については、表立って反撃をせずに黙って耐え忍ぶということが求められる場合がある、実際主イエスも使徒ペテロもそのような苦しみを通られたのだということを忘れないようにしたいものです。

幸いにも、今の日本ではそのような状況は考えられませんが、広く世界に目を向ければそうした苦難の中を歩んでいる兄弟姉妹たちがいます。私たちは彼らのために、祈り行動したいと願うものです。お祈りします。

苦難の中を歩まれ、私たちに模範を残されたイエス・キリストの父なる神、そのお名前を賛美します。私たちも主の御名のゆえに、不当な扱いを受けることがあるかもしれませんが、そのような時は主イエスの苦難を思い起こして、それをかえって良い証しの機会とすることができるように、私たちを助けてください。われらの平和の主イエス・キリストの聖名によって祈ります。アーメン

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エマオの途上ルカ福音書24章13節~32節 https://domei-nakahara.com/2025/04/20/%e3%82%a8%e3%83%9e%e3%82%aa%e3%81%ae%e9%80%94%e4%b8%8a%e3%83%ab%e3%82%ab%e7%a6%8f%e9%9f%b3%e6%9b%b824%e7%ab%a013%e7%af%80%ef%bd%9e32%e7%af%80/ Sun, 20 Apr 2025 04:49:00 +0000 https://domei-nakahara.com/?p=6336 "エマオの途上
ルカ福音書24章13節~32節" の
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みなさま、イースターおめでとうございます。今日は主イエスが死者の中からよみがえられたことを祝う、キリスト教における最も大切な主日です。今朝は、ルカ福音書の復活後における大変有名な物語、「エマオの途上」についてお話しします。この話は大変有名なので、イースター説教で取り上げられることが多いのですが、私も二年前のイースターに取り上げています。私がこの教会にきて五年目で、同じ箇所から説教するというのは今回が初めてになりますが、二年前の説教とは違う視点からこの箇所を読み解いて参りたいと思います。

主イエスは復活された後、多くの弟子たちの前に現れますが、その際に非常に興味深い現象が起こっています。それはどんなことかといえば、復活したイエスに会った人々は、最初はその人物がイエスだとは気が付かなかった、ということです。その典型がまさにこのエマオの出来事なのですが、それはなぜなのか、ということは主イエスの復活の意味を考える上でたいへん意味深いことだと思われます。

相手の顔を見ても、相手のことが認識できないという状態は相貌失認(そうぼうしつにん)と呼ばれているそうで、認知機能障害の一つだとされています。このような方は結構な割合でおられて、100人に1人はそういう問題を抱えておられると言われています。かなり多いですよね。1億人で考えれば100万人ということになります。有名なアメリカ映画のスターであるブラッド・ピットさんも自分はそういう症状を持っていると自ら明らかにしています。けれども、復活したイエスに会って、最初にそれとは気が付かなった人たち、ヨハネ福音書によればマグダラのマリアや十二使徒のペテロたちのことですが、彼らはそのような認知機能の問題を抱えていたわけではありません。彼らは他の人を見てもそれが誰だか分からない、ということはなかったわけですから。彼らは復活のイエスのことだけが分からなかったのです。

今回のエマオの途上でイエスに会った二人の人物、クレオパと呼ばれる人ともう一人の弟子はエマオに向かう途上でイエスに出会います。その際、別にイエスは覆いで顔を隠しているわけはないのですが、二人は道すがらイエスとずっと話し込んでいてもそれがイエスだとは分からなかったのです。17節では「ふたりの目はさえぎられていた」となっていますが、原語のギリシア語を直訳しますと、「彼らの目はイエスを認識しないように留められていた」となります。彼らはイエスと熱心に話し込んでいましたから、イエスの声や話しぶりを聞いて、「あれ、なんだかイエス様と話しているみたいだ」と、たとえ容貌からイエスだとは分からなくても、直観的にイエスだと気がついてもよさそうなものですが、しかし道中では全然気が付かなかったのです。彼らは夕方になり、目的地の家に入りますが、その見知らぬ人の話に興味を引かれて、彼を引き留めて一緒に泊まってほしいと願い出ます。そして一緒に坐って食事までします。立ち歩きではなく、座った状態で相手の顔をまじまじと見れば、今度こそイエスだと気が付きそうなものですが、それでもその相手がイエス本人だとはまだ気が付かないのです。イエスがパンを裂いた時にようやくイエスだと気が付くのですが、その時にイエスは消えてしまったという何とも不思議な結末でこの話は終わります。  

では、いったいどうして彼らはこれほど長い間一緒にいたのにイエスだと気が付かなかったのでしょうか。可能性は二つあります。一つは、イエスの姿が復活前とはまるで別人のようになっていて、顔つきだけでなく、声や雰囲気も変わってしまっていたので、彼らが気が付かなかったというものです。もう一つは、イエスと出会った二人の側に何らかの認知機能を妨げる要素が働いていたのではないか、という可能性です。その二つについて考えてみましょう。

先ほども申しましたが、復活のイエスに出会っても、それとは気が付かなかったのはエマオの途上にいた二人の弟子たちだけではありませんでした。ここではルカ福音書だけでなく、他の福音書も見てみましょう。まず最古の福音書であるマルコ福音書ですが、この福音書はイエスの墓に行った女性たちが天使と思われる青年に出会って、恐ろしくなって逃げだすという唐突な終わり方をします。つまりマルコ福音書では復活のイエスの描写がないのです。次いでマタイ福音書ですが、そこではお墓に行った女性たちに復活したイエスが挨拶をしますが、女性たちはすぐにイエスだと気が付いています。それから、イスカリオテのユダを除く十一弟子たちはガリラヤに行ってイエスと出会いますが、彼らもすぐにイエスを認識したようです。ただし、「ある者たちは疑った」という意味深な記述があります。そしてルカ福音書です。ルカ福音書では、イエスの墓に向かった女たちが天使と思われる人物ふたりに会ったという記述はあるものの、彼女たちはその後にはイエスには会っていません。ですから、復活のイエスに最初に会ったのは、このエマオの途上にいる二人の弟子だということになります。この二人の弟子たちがイエスのことに気が付いて、そのことを十一弟子に話すと、彼らもシモン・ペテロが主に会ったということを話していました。その彼らの前にイエスが現れます。彼らはそれがイエスだと直ぐわかりましたが、しかしすぐには信じられずにイエスの霊を見ているのではないかと驚き怪しみます。しかし、イエスが食べ物を食べている様子を見て、本当にイエスが生きているのだ、からだを持って生きているのだということを信じるようになりました。

このように、マタイ・マルコ・ルカのいわゆる共観福音書では、イエスを見てもそうだとは気が付かなかったのはエマオに向かっていた二人の弟子だけでした。しかし、ヨハネ福音書では復活したイエスに会っても気が付かない人物が複数います。まずはマグダラのマリアです。彼女はイエスの墓が空になっていることにショックを受け、泣いていました。その彼女にイエスが声をかけますが、その記述はこうなっています。

彼女はこう言ってから、うしろを振り向いた。すると、イエスが立っておられるのを見た。しかし、彼女にはイエスであることが分からなかった。

この場合、涙で目が曇っていてイエスだと気が付かなかった、という可能性がありますが、しかし声を聞けば気が付きそうなものです。しかし、その声を聞いても彼女はその人物がイエスだとは気が付かず、むしろ墓の管理人だと思っていました。その後にイエスが「マリア」と名前を呼ぶと、そこで初めてマリアはイエスだと気が付きます。マリアはそのことを他の十二弟子たちに伝え、その弟子たちの前にイエスが現れますが、彼らはそれがイエスだとすぐに分かります。ところが、ヨハネ福音書21章のエピソードによれば、その十二弟子の多くがガリラヤ湖の湖畔で再び復活のイエスに会うのですが、彼らの誰一人としてそれがイエスだとは気が付きませんでした。彼らはすでに復活の主と出会っているのですから分かりそうなものですが、にもかかわらずイエスだとは気が付かないのです。同時に、彼らはその人物が幽霊のような得体の知れない存在ではなく、普通の人だと見なしています。それから不思議な出来事が起きます。それは、かつてペテロが主イエスから召されたことを思い起こさせるような出来事で、夜通し漁をしても何も取れなかったのに、イエスの指示通りにすると夥しいほどの魚が釣れたという出来事です。その出来事がここで再現されました。ここに至ってやっと、弟子たちの内の一人、「主に愛されていた弟子」がこの人が主だと気付き、ペテロや他の弟子もここでようやく気が付きます。このように、復活のイエスと出会ったこれらの人々は、遅かれ早かれその人物がイエスだと気が付くのですから、復活したイエスの容貌が復活前のそれとは全然違っていた、まるで別人のような顔かたちになっていたということではなさそうです。もし姿かたちが全くの別人になってしまっていたのだとしたら、その人物が「私がイエスだ」と説明しないことには気が付くことはなかったでしょうが、そのような説明なしに彼らは復活の主のことが分かったのですから。

ですから、いくつかのケースで弟子たちがイエスの事を気が付かなかったのは、イエスの容貌が劇的に変わって、まるで別人のようになってしまったのではなく、むしろ弟子たちの側にイエスの認識を妨げる要因があったと考えた方がよさそうです。では、それはどういう要因なのでしょうか?そのことを考えてみましょう。

私たちが物事を認識しようとするとき、私たちの抱いている世界観がその認識を阻害する、邪魔するということがあります。私たちはある物事を目撃したとしても、それが自分の世界観と合わないと、それを受け入れられないのです。みなさんは超常現象というものを信じるでしょうか?そんなもの、信じられるわけがない、詐欺に決まっている、というのが大方の反応でしょうし、それは正しいと思います。世に超能力として喧伝されているもののほとんどは、金儲けのための詐欺話です。では、福音書に記された数多くの奇跡物語はどうでしょうか?それならば信じるけれど、それだけだ、聖書に書いていること以外の奇跡は信じない、というクリスチャンの方も多いと思います。なぜ聖書の話は信じるかといえば、それは「聖書は真実だ」という世界観を私たちが持っているからでしょう。逆に言えば、聖書の奇跡以外は決して信じない、という方が多いのではないでしょうか。

現代人の多くの方は、超常現象といいますか、奇跡的な出来事など決して起きない、信じないという方が多いと思います。それについて興味深い話があります。みなさんはフロイトという名前を聞いたことがあると思います。彼は心理学、特に深層心理学の創設者ともいえる人物で大変有名な人です。その弟子で、同じく大変有名な人物にユングという人物がいます。このフロイトとユングですが、二人は子弟だったのですが、後に決裂します。フロイトとユングの愛憎半ばする関係は有名で、それについてはいくつもの著作が書かれていますが、その決裂の原因について興味深い話があります。その話は、あまり学術書には取り上げられておらず、その理由もよく分かるのですが、それは超常現象に対するアプローチの違いでした。ユングはどうも特殊な能力の持ち主だったようで、若いころ誰もいない食卓の固いテーブルが轟音と共に大きく裂けたり、そのしばらく後に籠の中のナイフが粉々に砕けるという出来事がありました。そんなことがあるはずがない、誰かがそれを壊したのに違いない、と普通は考えるでしょうが、少なくともユングや家の人たちは、それらは自然に起きたと考えていました。しかし、堅いテーブルやナイフが自然に砕け散るなんてことがあり得るのでしょうか?ユング自身は、それは自らの精神的な力が引き起こしたと考えざるを得なかったのです。ユングという人は、滅茶苦茶頭の良い人ですが、しかし自分のそういう力を持て余していたようです。フロイトとユングはこのような現象についての考え方で決定的に意見が異なっており、いわゆる超常現象を信じざるを得なかったユングと、そんなことは決して受け入れないし、受け入れてはならないと考えるフロイトは対立していました。二人が決裂した最後の対談の時も、ユングの精神が高まってくると、バンというものすごい物音がしたのですが、ユングはそれは自分の精神が物理的なものに影響を及ぼしたのだと言いますが、フロイトは決してそんな話は信じずに、ユングが何かのトリックで自分を騙そうとしていると激高したといいます。こんな話は確かに学術的な本にはそぐわないので、このエピソードを紹介している本はあまりありませんが、どうもそのようないきさつがあったようなのです。

なぜ、聖書とは何の関係もないこのような話をしたのかといえば、私たちは目の前で起きる出来事を自らの世界観を通じて見るのだということを強調したかったからです。目の前で起きた不可思議な出来事を、フロイトは子供だましのトリックだと見なし、ユングは本物の出来事だと見なしました。フロイトにとって、そういう不思議な現象が起きるのだということを受け入れるということは、彼の世界に対する見方、世界観そのものを変えなければならないということを意味したのでしょう。世界には、そんな常識を超えたことが起り得るのだと。しかし、科学の法則に反するようなことは決して起こりえないという世界観を持つ人は、そんなことは絶対に受け入れないし、受け入れてはならないことなのです。

そして、イエスの復活を受け入れるということは、まさに私たちの世界観そのものをまったく新しいものに変えなければならないということを意味します。私は、ある弟子たちが復活のイエスを認識するのに相当な時間がかかったという話は、そのような世界観の変更を示しているのだと考えています。よみがえったイエスを認識するということは、ただ死んだ人がたまたま生き返ったということを信じるのに留まりません。むしろ、そんなことが決して起こりえない世界が、起こりうる世界に変わった、そしてそのような根本的な変化をもたらした方がいる、ということを受け入れることなのです。繰り返しますが、イエスが復活したということは、単に死んだ人が不思議なことに生き返ったといことではありません。そうではなく、この出来事は神が死を打ち破ったという事実を証明することなのです。この世界を支配する死は、もはや力を持たない、私たちの世界を支配する死はいずれ完全に打ち破られる、そのことを示しているのがイエスの復活なのです。ですからパウロはこう宣言します。

しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのみこまれた」としるされている、みことばが実現します。「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」(第一コリント15:54-55)

イエスの復活を信じるということは、神が死の力を打ち破った、それゆえ私たちももはや死を恐れる必要はないことを信じることなのです。これが信仰です。キリスト教信仰を持つということは、自分が罪びとで、その罪がイエスの死によって赦されたということを信じるだけではありません。イエスの死の意味を深く理解するということはもちろん重要ですが、それだけでは十分ではないのです。イエスがよみがえったということは、脳死状態に陥った人が数日後に蘇生したというような話ではありません。そんな現象なら長い歴史の中で何度も起きています。イエスの復活のからだは、また時がたてば死んでしまう、そういう肉のからだではありませんでした。たしかに触れたり触ったりすることのできるものではあるものの、しかし私たちの朽ちる肉体とは根本的に異なる性質を持ったからだです。それがどんなものなのかを説明するのが難しいので、使徒パウロは第一コリント書15章で長大な説明を提供しています。それは物質的なのに決して朽ちることのない、まったく新しい性質のからだなのです。そうしたからだをもってイエスがよみがえったということは、いわば新しいビックバン、第二のビッグバンです。最初のビッグバンがどうして生じたのか、それは誰にも説明できませんが、ともかくもそれが起り私たちの世界が生じました。その世界は今でも膨張し、拡大しています。しかし、イエスの復活はそのビッグバンを上回る新しい創造の始まり、新しい世界の始まりなのです。正しい人の死がただの無駄死にでは終わらない、「あの人は立派な人だったけれど、残念な死に方をしたね」ということでは終わらない世界の始まりです。エマオの途上の弟子たちは、「イエスはすごい人だったけれど、結局世界を変えられなかった。彼は道半ばで死んでしまったので、これで夢は終わってしまったのだ」と考えていました。しかし、彼らが路上で出会った不思議な人物は、聖書を用いて彼らの世界観を揺さぶります。神はそんなに小さな方だろうか。あなたがたは世界を変えてしまう神の偉大な力を過小評価しているのではないか、と。彼の話に引き込まれた二人の弟子は、ついにその語っている人物がイエスご自身だということに気が付きます。そしてその時には彼らの世界観も一新されていたのです。

私たちも、このエマオの途上の二人の弟子のように、世界観という根本的なレベルで物事の見方を変えること、変えさせられることが求められています。イエスの復活によって、この世界は根本的に変わってしまったということを信じること、これがキリスト教信仰です。それなしには、いくらイエスが立派な人だと信じていても、あるいはいくら自分の罪深さを自覚したとしても、私たちの信仰は虚しいものです。神はこの壊れた世界そのものを贖おうとしておられる、その神の遠大なプロジェクトの初めの一歩がイエスの復活なのです。そのような信仰を胸に、これからも福音を宣べ伝えて参りましょう。お祈りします。

イエス・キリストを死者の中からよみがえらせた神、そのお名前を賛美します。その大いなる力で私たちの死すべきからだをも生かしてください。復活の光の中を歩ませてください。われらの平和の主イエス・キリストの聖名によって祈ります。アーメン

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