いちじくの木
マルコ福音書11章1~21節

1.序論

みなさま、おはようございます。今私たちはレント、受難節と呼ばれる季節を歩んでいますが、それはイエスの苦難の日々を覚える季節です。今日の聖書箇所は、イエスのエルサレムでの最後の一週間、苦難の一週間の始まりの箇所で、マルコ福音書における第三幕の始まりの箇所でもあります。第三幕といいましたが、マルコの第一幕はガリラヤ編で、イエスのガリラヤ地方における宣教活動を描いている場面です。第二幕は、ペテロがイエスこそ待望の救世主、メシアであると告白したところから始まる、イエスと弟子たちのエルサレムへの旅を描いています。その旅の目的の一つは、弟子たちの霊的な盲目を癒し、神の国の価値観を彼らに教えることにあった、ということを前回まで詳しく学んで参りました。そして、最終章である第三幕となるのですが、その舞台は聖都エルサレムです。

エルサレムという都市が私たちクリスチャンにとって特別な意味を持つのは、そこで主イエスが苦難を受けられたからなのですが、ではイエスはなぜエルサレムにおいて逮捕、死刑判決、拷問という苦難、そしてそれに続く十字架刑という悲惨な末路を遂げなければならなかったのでしょうか?これまでイエスがなさったことは、病人を癒したり悪霊の力から人々を解放したりと、人助けばかりでした。何も悪いことはしていませんし、それどころか良いことばかりをしてきたのです。逮捕されたり死刑になるようなことは何もしていません。いや、パリサイ派とか祭司とか、そういう権力者たちを批判したので、それで彼らから恨まれて殺されたのではないか、と思われるかもしれません。しかし、当時のユダヤ社会は権力者を批判するだけで粛清されるような、そういう独裁政治・恐怖政治の体制ではありませんでした。ユダヤ人は歯に衣着せぬ民族で、日本人のように対立を恐れて議論を避けるような人たちではなく、むしろ正しいことであれば権力者や権威ある人に対してもずけずけ批判できるような、そういう自由な気風を持った民族でした。イエスだけでなく、他のユダヤ人も権力者に対して大胆に批判をする人はいたのです。これは旧約聖書の預言者を先祖に持つユダヤ人の特徴であり、ですから権力者を批判しただけで逮捕されるようなことは当然ありません。イエスにやり込められて、イエスを殺したいほど憎んでいた律法学者たちもいたでしょうが、だからといって本当に彼に手を出すわけにはいかなかったのです。

また、イエス自身はガリラヤでの宣教時代にはガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスや、エルサレムの最高権力者である大祭司カヤパを公然と批判したことはありませんでした。イエスはこれまで政治的には慎重に行動してきた、とすら言えます。

いや、イエスは権力者ではなく、神を冒涜したと思われたので、それで殺されたのだ、と考える人もおられるでしょう。イエスは人々の罪を赦すという、神だけができることを行い、自分が神に等しい者であるかのような言動をした、だから殺されたのだ、というのです。しかし、これまでイエスは自分が神だと公言したことはありませんし、それどころかメシア、つまりイスラエルの王だということさえ秘密にしてこられました。イエスの言動は確かに普通の人間とは思えないようなものがありましたが、しかし旧約聖書にもモーセやエリヤのような、人間業とは思えないようなことをした人々がいました。ですからイエスが神の特別な預言者であるならば、彼の言動も許容されるべきものだ、ということになるのです。しかも、宗教的な冒瀆罪で殺されるのなら、それは石打の刑であり、ローマ帝国への反乱者に対する政治的な処刑方法である十字架ではなかったはずです。  

こう考えると、これまでのイエスの言動には、死刑、特に政治犯である十字架刑になるような決定的なものは何もなかったと言えます。しかし、エルサレム入城から物事は大きく変化します。ここからはイエスは非常に大胆な行動を取り、しかもそれは当時の権力者たちに公然と盾突くもの、さらに言えば体制の転換や転覆を目論んでいる、と取られてもおかしくないようなことを次々と行います。今日の箇所でも、イエスは公衆の面前で、二つの非常に重大な、象徴的な行動を取ります。こうした行動によってイエスとエルサレムの権力者たち、さらにはエルサレムの権力者たちの背後にいるローマ帝国との緊張関係が一気に高まり、一触即発の緊張が続き、それからイエスの逮捕という出来事へとつながっていくのです。イエスがなぜそのような緊張を高める行動を取ったのか、というのは非常に重要な問いです。イエスには、死を覚悟してまでも人々に伝えなければならないことがあったのです。それは、このままではエルサレムが、それどころかユダヤ人の国家そのものが滅んでしまう、という緊急のメッセージでした。当時のユダヤ社会は非常に歪んだ構造をしていました。神に選ばれ、任職されたはずの宗教的な権威者たち、大祭司や律法学者たちはローマ帝国と結託し、大地主となって貧しい民衆から富を搾り取り、そして自らの宗教的権威を盾にして批判を寄せ付けませんでした。こうした偽善的な宗教権力者たちへの民衆の不満は高まり、爆発寸前でした。寸前どころか、実際には何度も爆発して暴動が起こったのですが、ユダヤの権力者たちはローマの軍隊の力を借りてそうした暴動を鎮圧してきました。それでも民衆の怒りは収まるどころか、ますます激しくなります。ユダヤ社会は非常に危険な状態にあり、テロが頻発する暴力的な空気が満ちていました。それは、5・15事件や2・26事件などのテロ、また中国大陸での盧溝橋事件など、軍部の暴走が際立った日本の戦前の不穏な空気に近いものでした。その後日本は自殺行為とも呼べるような対米戦争を始めますが、イエスの時代から40年後にユダヤ民族もローマ帝国との無謀な戦いを始めました。イスラエル民族全体が、今こそ神の前に悔い改めて方向転換しないと、恐ろしい未来が待ち受けている、それがイエスの伝えようとしたメッセージでした。イエスはそのことを二つの象徴行動、つまりロバに乗ってのエルサレム入城と、神殿でのいわゆる宮清めによって示そうとしました。そのことを、これから学んで参ります。

2.本論

では、1節から読み進めて参りましょう。イエスとその弟子たち、またイエスに従う多くの民衆がエルサレムに近づいてきました。オリーブ山という、エルサレムが一望できる小高い山の近くにベテパゲとベタニヤという二つの村がありました。ベタニヤとはあのマルタとマリアの姉妹、そしてその弟ラザロが暮らしていた村で、エルサレム滞在中のイエスが宿泊地にしていた村でもあります。そこを通ったイエスは、ふたりの弟子を近くの村に遣わして、ろばを引いてくるように指示します。弟子たちは言われたとおりにすると、村の中でろばを見つけ、村人から何の抵抗も受けずにろばを連れて来ることができました。普通、自分の飼っているろばを見知らぬ人が連れて行こうとしたら抵抗するはずですが、この村人たちはなぜ黙ってそれを許したのでしょうか?ある人は、「これは奇跡なのだ。イエスは奇跡の力で、見知らぬ人さえもコントロールしたのだ」と考えるかもしれません。しかし、恐らくそうではないでしょう。ヨハネ福音書によれば、イエスはこれまで何度もエルサレムに来たことがあり、ベタニヤや近くの村に知り合いが多くいたものと思われます。ですからイエスはあらかじめ、そうした知り合いにろばを用意するように頼んでおいたのでしょう。彼らとは「主がお入用なのです」という言葉を符牒、暗号として取り決めておいたものと思われます。

さて、ろばが連れて来られたのを見て、イエスはそれに乗り込みます。この時点ではイエスはまだエルサレムには入っていません。エルサレムが見えてきた、エルサレムの城門はそうすぐだ、という段階です。そこでイエスがろばに乗るのを見て、イエスと一緒にガリラヤから巡礼に来ていた人々は聖書のある預言を思い出したことでしょう。それはゼカリヤ書にある預言でした。ゼカリヤ書9章9節以降をお読みします。

シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜り、柔和で、ろばに乗られる。それも、雌ろばの子の子ろばに。

ここでは、エルサレムにろばに乗ってこられる方こそイスラエルの王、救い主なのだ、ということが預言されています。ガリラヤからイエスにつき従ってきて、イエスの数々の奇跡を目撃してきた民衆は、このイエスのメシア的な行動に興奮します。そして、イエスのことをまだよく知らないであろうエルサレムの住民たちに向かって、この人こそわれらの王なのだ、と叫びたくなりました。そこで、詩篇118篇を引用しながら歌い始めました。その詩篇の箇所も見てみましょう。118篇25節から27節までです。

ああ、主よ。どう救ってください。ああ、主よ。どうか栄えさせてください。主の御名によって来る人に、祝福があるように。私たちは主の家から、あなたがたを祝福した。主は神であられ、私たちに光を与えられた。枝をもって、祭りの行列を組め。祭壇の角のところまで。

これはユダヤの大祭、すなわち過越祭などのためにエルサレムに巡礼に来た人が歌った詩篇ですが、救いを求める歌でもあります。イエスにつき従ってきた人たちは、このイエスこそわれらに救いをもたらす王なのだ、ということを伝えようとしたのです。これまで自分がイスラエルの王、メシアであることを秘密にしてこられたイエスも、ついにここで自らの行動によって自分が王であることを公に宣言したのです。このイエスの行動を、エルサレムの一部の人々は「ガリラヤの田舎者が、何を調子に乗っているのだ」と冷ややかに見つめていたかもしれません。しかし、イエスの人気と実力を伝え聞いていたエルサレムの有力者たちは、イエスたち一行はこれからエルサレムで何をするつもりなのだ、暴動でも起こす気か、と警戒感を強くしたことでしょう。

一方、イエスはといえば、確かにここで自分が王であることを宣言したのですが、同時に自らが戦いをするのではなく、むしろ戦いをやめさせるために来た平和の王である、というシグナルを送っていました。ろばというのは戦争で使われる動物ではありません。馬ではなく、ろばを選んだということに、「私は革命や戦争をするためにやってきた王ではない」というメッセージを読み取ることができます。また、先のゼカリヤ書の預言にも、

わたしは戦車をエフライムから、軍馬をエルサレムから絶やす。戦いの弓も断たれる。この方は諸国の民に平和を告げ、その支配は海から海へ、大川から地の果てに至る。

という言葉が続きます。イエスは、自分の目的が平和をもたらすことであるということを、ろばに乗るという象徴的な行動を通じて示したのです。

こうしてイエスたち一行は、人々の注目を集めながらエルサレムに入りました。そしてイエスがまず初めに行ったのが、エルサレム神殿の視察でした。礼拝ではなく、「視察」と言ったことにご注意ください。エルサレムへの巡礼者たちは普通、神殿で礼拝するためにやって来るのですが、イエスの場合は礼拝をすることなく「すべてを見て回った」のです。イエスは、神の神殿においてどのような礼拝が行われているのか、その礼拝は神に喜ばれるものなのか、その判定をするためにやって来たのです。そしてその判定の結果は、翌日のイエスの行動を通じて明らかにされます。イエスはその日はすでに遅かったので、神殿を後にし、エルサレムを離れて滞在先のベタニヤに向かいました。

そして、運命の日が来ました。前日イエスが神殿を視察した結果、彼がどういう判定を下したのかが明らかにされる日です。ここで、以前お話しした「マルコのサンドイッチ」という文学技法を思い出していただきたいと思います。マルコ3章の説教の時にお話ししたのですが、それはある一つのエピソードを二つに割って、その間に別のエピソードを、まるでサンドイッチの具のように挟み込むという技法です。この二つのエピソードは一見無関係に見えて、実は深くつながっている、関連しあっている、というのがミソなのです。今回の場合、二つに割られるエピソードが「いちじくの木を呪う」という話です。マタイ福音書では、いちじくの木はイエスが呪うとたちまち枯れた(マタイ21:19)となっていますが、マルコの場合にはいちじくの木は一日経ってから枯れています。どちらが正しいのか、と思われるかもしれませんが、そのように考えてしまうとマルコの意図を読み違えることになります。歴史的事実として、いちじくの木がすぐに枯れたのか、あるいは一日経ってから枯れたのか、私には分かりません。しかし、マルコがここで「サンドイッチ」の技法を使ったのは間違いない、ということは確信を持って言えます。マルコのストーリーの流れでは、いちじくの木が枯れるまでに一日が必要でした。なぜならその一日の間にマルコはもう一つの重要なエピソード、つまり「宮清め」を挟み込む必要があったのです。つまりマルコは、このいちじくの木を呪う話と、その間に挟まれた「宮清め」とが関連しあっていることを読者に悟らせようとしているのです。

このいちじくの木の話は、そこだけ読むと読者をつまずかせてしまうような話です。まるでイエスが、お腹がすいたことへの八つ当たりとしていちじくの木を呪ったように読めてしまうからです。しかし、もちろんイエスはそんな自分勝手な理由で草木を傷つけたり呪ったりはしません。むしろこれは象徴的な意味を持つ行動なのです。ではその意味は何なのか、その答えはルカ福音書にあります。ルカ福音書13章6節から9節までをお読みします。

イエスはこのようなたとえを話された。「ある人が、ぶどう園にいちじくの木を植えておいた。実を取りに来たが、何も見つからなかった。そこで、ぶどう園の番人に言った。『見なさい。三年もの間、やって来ては、このいちじくの実のなるのを待っているのに、なっていたためしがない。これを切り倒してしまいなさい。何のために土地をふさいでいるのですか。』番人が答えて言った。『ご主人。どうか、ことし一年そのままにしてやってください。木の回りを掘って、肥しをやってみますから。もしそれで来年、実を結べばよし。それでもだめなら、切り倒してください。』」

このたとえの意味は明らかです。主人とは「神」を表し、いちじくの木とは神の民である「イスラエル」を表します。いちじくがイスラエルを表すというのは、エレミヤ書にも見られる聖書的な象徴表現です。イスラエルは神の民として実を結ぶべきなのですが、なかなかそうはなっていません。神は辛抱強くそれを待っていますが、我慢にも限界があります。来年も実がなっていなかったら、その時は木を切り倒すという取り決めが結ばれました。すなわち、イスラエルの霊的状態が果たして主の喜ばれる状態になっているのか、その審判がいずれ下されるということです。そして、イエスこそがその審判者だったのです。イエスは前日の神殿での視察において、イスラエルの霊的状態を吟味し、ユダヤ人たちが果たして実を結んでいるかどうかを確かめられました。そしてその結果、何の実も結んでいないという厳しい判定が下されたのです。そのことを象徴的に表しているのがこのいちじくの木のエピソードなのです。イエスのいちじくの木への呪いの言葉は、神の契約を守らずに、霊的に不毛な社会を作ってしまったイスラエルに対する神の審判の言葉なのです。

ですから、このいちじくの木のエピソードと、その間に挟まった「宮清め」とは全く同じ内容です。これはイスラエルへの裁き、イスラエルの霊的状態も、エルサレムの神殿での礼拝も、神が喜んでおられないという宣告なのです。そのことを示すために、イエスは神殿に入り、両替人や鳩を売っている人たちの商売道具をひっくり返しました。この場面については、あの平和の主であるイエス様が暴力を振るうなんて、とショックを受けるかもしれませんが、これは暴力ではなく預言者の象徴行動です。象徴行動とは何かと言えば、たとえば預言者エレミヤが、人々の目の前でびんを砕き、人々に「神はこのようにしてエルサレムを砕かれる」と予告したようなことを指します(エレミヤ19章)。主イエスは、主がエルサレム神殿に裁きを下されるだろう、神はこの神殿を守らず、かえって破壊されるだろうということをその行動を通じて示したのです。それはイスラエルがいちじくの木のように、霊的に不毛だったからです。

この宮清めについて、鳩を売ったり両替をしていた人たちが不正な商売をしていたので、それをイエスが怒ったのだ、というように説明されることがありますが、それは少し的を外しています。もちろん、神殿での両替商などは競争原理の働かないビジネスなので、通常より高い相場での売買があったのかもしれませんが、しかしそうしたビジネスは神殿での礼拝には必要不可欠なものだった、ということも忘れてはなりません。今日、私たちは礼拝において神への感謝を示すためにお金という形で献金しますが、当時の神殿では金銭の献金よりも重要なものがハトや羊や牛などの家畜を神に献げることでした。それは聖書で命じられた礼拝の形だからです。巡礼者たちは神殿での礼拝において神への献げものとして鳩を買う必要がありました。ですから鳩の行商人は礼拝のために必要なことをしていたのです。しかも、自分の持っている硬貨がローマの硬貨しかなかった場合、その硬貨で鳩などの献げものを買うことはできませんでした。ローマの硬貨には、「神の子である皇帝カエサル」などという、唯一神信仰のユダヤ人にとっては決して受け入れられないことが書かれていたので、神殿では使えないし、それを持ち込むことすら問題でした。ですから、そうした硬貨をユダヤの正しい硬貨に変えてくれる両替人も、礼拝のためには絶対必要な存在でした。その彼らを神殿から追い出すということは、礼拝そのものを中止させることを意味します。今の教会でいえば、献金を集めて回っている方から献金袋を奪って、その袋を地面投げつけるようなものです。ものすごくショッキングな行動です。この行動だけでも、イエスは神を冒涜した者として石打の刑で殺されても不思議ではない、それほどの行動でした。

イエスはこの衝撃的な行動に続いて、二人の旧約聖書の預言者の言葉を引用して自らの行動の意味を説明しました。一人目は、理想的な神殿での礼拝の様子を描いた預言者イザヤの言葉でした。イザヤ書56章7節をお読みします。

わたしは彼らを、わたしの聖なる山に連れて行き、わたしの祈りの家で彼らを楽しませる。彼らの全焼のいけにえやその他のいけにえは、わたしの祭壇の上で受け入れられる。わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれるからだ。

これが、イザヤに示された幻、すべての民族に開かれた、理想的な神殿礼拝の姿でした。しかし、今目の前で行われている礼拝はそのようなものではなかったのです。いや、一見するとそこでは敬虔な祈りがささげられ、人々は心から主を讃美しているように思えたかもしれません。しかし、その美しい礼拝の背後では、ユダヤ社会はあまりにも多くの不正義や矛盾を抱え込んでいました。多くのユダヤ人は生活に困窮し、物乞いになるか、盗賊になるか、あるいは売春によってしか生きていけないほど追い詰められていました。しかも、人々をそんな生活に追い込んでいたのは神殿の主である大祭司たちでした。そして多くのユダヤ人は、大祭司たちが敵であるローマ帝国の言いなりになっていることが不満でした。彼らは外国人、特にローマ人のことを、真の神を伝える伝道の対象ではなく、むしろ打ち倒すべき敵だと見なしました。

このような社会の矛盾、貧しい人たちの苦しみ、あるいは外国人への敵意を無視して、表面的にはいくら素晴らしい礼拝がなされたとしても、そんな礼拝は神には喜ばれないし、受け入れられないのです。そのことを指摘したのは、イエスがここで引用したもう一人の預言者エレミヤでした。主イエスのおられた神殿は、バビロン捕囚後に再建された神殿なので第二神殿と呼ばれましたが、エレミヤはその前の最初の神殿、ソロモン神殿が神によって破壊されることを予告しました。イエスの時代よりも600年も前の事でしたが、エレミヤは目の前で行われている豪勢な礼拝も、イスラエルの中で公然と行われている弱者の迫害という事実を覆い隠すことはない、と鋭く叫びました。エレミヤ書7章10節と11節をお読みします。

それなのに、あなたがたは、わたしの名がつけられているこの家のわたしの前にやって来て立ち、『わたしたちは救われている』と言う。それは、このようなすべての忌みきらうべきことをするためか。わたしの名がつけられているこの家は、あなたがたの目には強盗の巣と見えたのか。そうだ。わたしにも、そう見えていた。

エレミヤは、絶対に滅びることがないと信じられていたエルサレムのソロモン神殿の破壊を予告したことで、あやうく殺されかけました。もちろんエレミヤだって、イスラエルの冠、誇りである神殿の破壊など望んではいませんでした。しかし、神殿での見事な礼拝が人々の間に蔓延する不正を覆い隠す現状を「強盗の巣」と呼んで厳しく糾弾しました。主イエスも、全く同じ言葉で第二神殿、ヘロデ神殿と呼ばれた豪勢な神殿での礼拝行為を批判し、いちじくの木が枯れるようにこの神殿も破壊されるだろう、と告げました。

このイエスの爆弾発言と、過激とも言える行動は、神殿を管理するユダヤの権力者たちには到底許されるものではありませんでした。彼らはイエスを殺したいと本気で思いました。しかし、民衆がイエスを支持していることも理解していたので、ここで下手に手を出すと暴動に発展するかもしれないということを恐れました。今や過越祭の最中で、ものすごい数のユダヤ人たちが狭いエルサレムの中に集まってきています。その大群衆の中にはローマ帝国と結託して暴利をむさぼるユダヤの大祭司たちに不満を持っている人たちも多く含まれていました。そうした人々がイエスの側に立って自分たちに反抗したらどうなるのか。そんな事態になれば、暴動の鎮圧のためにローマ軍の介入を招き、暴動を起こした責任を取らされて祭司長たちはローマから首になる可能性が現実にありました。だからなんとしても暴動だけは起こさないように、というのが祭司長たちの共通認識でした。そこでここでは手を出すのを控えて、明日皆の前でイエスを議論によって陥れるという戦略を立てました。その論争が、次回以降の箇所になります。

ともかくも、大騒動の後にイエスたち一行はエルサレムを後にして、ベタニヤに戻りました。そして翌朝、再びエルサレムに向かう途上で、昨日弟子たちはイエスが呪ったいちじくの木を見ると、それは根元から枯れていました。弟子たちも何とも不吉な思いを抱きながら、エルサレムへと向かっていきました。

3.結論

まとめになります。今日はマルコ福音書の第三幕の冒頭部分で、エルサレムにやって来たイエスが二つの重大な象徴行動を取ったことを学びました。一つはイエスがついに自分が何者であるのかを公衆の面前で明らかにするという行動、つまりろばに乗ってエルサレムに入るという行動でした。しかしイエスは、この行動によって自分は戦いをするための王ではなく、むしろ戦いを終わらせて平和を作り出す王であるというメッセージも送っています。イエスはいかなる暴力行為にも加担することはないのです。しかし、その次の象徴行動である宮清めは、その非暴力の方針とは矛盾するではないか、と思われるかもしれません。しかしここでもイエスは誰に対しても暴力を振るってはいません。ただ、神殿での礼拝を妨害することで、この神殿が神の裁きの下にあるというショッキングな事実をはっきりと伝えたのです。神殿のみならず、霊的な意味で実を結ばないイスラエル民族全体が今や神の裁きの下にあるということがいちじくの木を枯らすという象徴行動によって重ねて強調されています。

なんとも厳しい場面ですが、しかしイスラエルには全く救いの道が閉ざされたわけではありません。ヨナ書で学んだように、あと40日で滅びると言われたアッシリアの首都ニネべも、悔い改めたことによって裁きが撤回されました。歴史にイフ、つまり「もし」はありませんが、もしもイスラエルがイエスの示す道に倣い、非暴力の道を選んだのなら、その裁きの宣告は撤回されていたことでしょう。彼らの滅びは彼らの選択の結果でした。同時に、イスラエル全体に裁きが下ったわけではないことも忘れてはなりません。むしろイエスを信じて従っていったユダヤ人も少なくなかったのですが、彼らは救われただけでなく、世界伝道という大きな働きに召されていきました。ですから、裁きの宣告とは絶対に変えられない未来のようなものではなく、預言者の警告に耳を傾けない場合の一つの可能性であるということに注意したいと思います。

私たち現代文明も、今や神の裁きの下に立っているような思いを強くします。ヨハネ黙示録に書かれている様々な災害が誇張であると思えないほど、今日の戦争や疫病や地震などの自然災害は巨大化、深刻化しています。それでも欲望のままに突き進むことを止めようとしない人類は、まさに滅亡の瀬戸際に立っているのかもしれません。しかし、同時に主イエスは悪の力に打ち負かされずに、むしろ打ち勝っています。その主が私たちと共におられるのです。ですから私たちも決して諦めることなく、今日も明日もイエスの平和の福音を宣べ伝えて参りましょう。お祈りします。

二千年前に、イスラエルに悔い改めと平和への道を示すために来られたイエス・キリストの父なる神様、そのお名前を讃美します。イエスは二つの象徴行動によって、エルサレムの人々に強烈なメッセージを与えました。今日の世界に対しても、神は様々な形で語られ、悔い改めを求めておられます。どうか私たちに神の警告を聞き取る力を与え、それを人々に伝える力を下さいますように。われらの平和の主、イエス・キリストの聖名によって祈ります。アーメン

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