弟子たちの召命
マルコ福音書1章16~20節

1.導入

みなさま、おはようございます。先週は大変恵まれたペンテコステ礼拝になりましたが、今週から通常通り、マルコ福音書からの説教に戻ります。前回は、イエスがいよいよ福音宣教に乗り出すという場面でしたが、イエスにはまだその時には仲間がおらず、単独で行動を始められました。しかし、神の王国を人々に広めるという任務は一人だけでできるようなものではありません。ある王国があって、その王国には王様一人しかいなければ、それは王国とはとても呼べません。神の王国は神の支配という意味ですが、その支配に従う人々がいて初めて王国は王国となるのです。ですからイエスの最初の仕事は、王国の中で自分に従ってくる弟子たち、しもべたちを呼び集めることでした。今回は、十二使徒の中でも特に有名な四人の弟子たち、彼らの召命物語を見てまいります。

しかし、例によってマルコは必要最小限の情報しか読者に伝えてくれません。このわずか5節の描写からは、イエスと弟子たちとの出会いの場面はいったいどんなものだったのか、ほとんどわかりません。この簡潔な記述を読むと、逆にいろんな疑問がわいてきます。まず、ここに出て来る四人の漁師たちはイエスから一声かけられただけで自分の仕事を捨てて彼に従っていく決断をしたように見えます。しかし、マルコ福音書によれば、イエスはまだこの時点では一つも奇跡を行っておらず、まったく無名の青年です。もしこの四人とイエスがそれまで面識がなく初対面だとしたら、見知らぬ人物から一声かけられただけで自分の仕事を捨ててついていく大の大人がこの世にいるのだろうか、いるとしたらよほど軽率な人物なのではないか、となんだか心配になってきます。こういう疑問については、マルコ福音書よりも後に書かれた別の福音書が補ってくれます。マルコを資料として用いながら、ルカはより詳しくて長い福音書を書きましたが、ルカによればシモン・ペテロはこの召命の場面より前に、すでにイエスに会っています。イエスはひどい熱に苦しむシモンのしゅうとめを一声で癒しています。マルコでは、この癒しはシモンの召命の後になっているので、マルコとルカのどちらが時間的に正確なのか、私には分かりませんが、もしルカの方が正しいのだとすると、イエスはシモン・ペテロを召し出す前に、彼のしゅうとめを奇跡的に癒していることになります。ルカは病の癒しの後に起こった出来事として、シモンの召命物語に11節を割いて詳しく記しています。そこでは夜通し働いても魚一匹取れなかったシモンが、イエスの言われた場所に網をおろすと網が破れそうなほどの大漁になったというエピソードが書かれています。これほど印象的な奇跡を立て続けに見せられれば、シモンがこの見知らぬ青年に人生を賭けてみようと決断することもできたでしょう。シモンは決して軽率だったのではなく、むしろイエスのなさったことがあまりにすごかったのだ、ということをルカは私たちに納得させてくれます。そして四つの福音書の中で最後に書かれたヨハネ福音書は、この件についてさらなる情報を提供してくれます。ヨハネによれば、イエスがシモンと彼の兄アンデレと初めて出会ったのはガリラヤではなく、ユダヤ地方でした。彼らはバプテスマのヨハネの所に来ていて、そこで出会っているのです。ですからガリラヤでの召命物語は、イエスとシモンたちが生まれ故郷のガリラヤで再開した際の情景だということになります。

このように考えると、シモンたちがイエスに呼びかけられて、従っていく決意をしたのは、決して考えもなしの衝動的な行動ではなく、むしろ一連の運命的な出会いの結果だったということが言えます。しかし、それではシモン・ペテロたちが熟慮の末に、イエスの指し示すヴィジョンをよく理解したうえで彼に従っていく決断をしたのかといえば、そうとも言えません。むしろ、これからの物語展開の中で明らかにされるように、シモンたちはイエスのことをよく分かっておらず、それどころか根本的に誤解していました。特にシモン・ペテロについて、この福音書は赤裸々に彼のイエスへの無理解と失敗を描いています。そしてそれは驚くべきことなのです。なぜなら、このマルコ福音書の実質的な作者はこのシモン・ペテロに他ならないからです。福音書記者のマルコ自身は、イエス本人にはおそらく会ったことがありません。マルコは異邦人に向かって伝道するペテロの、通訳として活躍しました。ペテロはギリシア語がうまく話せなかったので、通訳が必要だったのです。ペテロという、イエスを最もよく知る人物の片腕として活躍したマルコは、ペテロから伝えられたイエスの伝記を書いたのです。ですからマルコ伝は実質的にはペテロの作品だとも言えます。普通、人は自分のことが歴史の本に描かれるのを知った時には、少しでも自分のことをよく描いてほしいと願い、そのためには脚色さえ要求するということがあります。一例を挙げましょう。現実の話ですが、明治時代の日露戦争の後にその戦争史を書くことになりました。その際、戦争で戦って生き残った将軍たちは「自分のことをもっとよく書け」と戦争史を書く歴史家に注文を出したために、歴史が歪められ、またそれを読んだ若い軍人は日本の軍は無敵だと勘違いしてしまったという話を聞いたことがあります。確かに大国ロシアに勝ったということは、明治の人々に大きな自信と勇気を与えました。しかし、日露戦争の現実は、ロシアは国内の革命騒ぎで対外戦争どころではなかったということ、日本軍が戦いを続けられたのも膨大な戦費を調達してくれたユダヤ人の存在や、陰に陽に支援してくれたイギリス軍のおかげだということ、またロシアに勝ったといっても実際には中国の一部からロシア軍を撤退させただけであり、勝利と呼ぶのは微妙であることも忘れてはなりません。私の祖先が日露戦争を戦った元帥の一人であることからも、このことははっきり申し上げたいと思います。もし日露戦争の現実がこのようなものであると当時の人々が知らされていたのなら、それから半世紀も経たないうちに超大国アメリカに戦いを挑むという愚は避けられたかもしれません。このことからも、歴史をありのままに記すというのは本当に大切なことだと思わされます。初代教会の絶対的な指導者だったペテロは、福音書記者マルコに自分のことをもっとよく描いてくれ、自分のみっともない場面は書かないでくれ、と注文を付けることもできたはずです。しかし、ペテロは自分の大失敗や恥ずかしい行動を包み隠さずに述べています。これは考えてみるとすごいことなのですが、しかもそれはペテロがイエスの福音をどう捉えていたのか、それを理解するための重要なカギともなるのです。ペテロがイエスから受け取った福音とは、罪深い者、あるいはどうしようもないダメ人間を憐み深く受け入れ、決して見放さず、根気よく我慢強く育ててくださる神でした。失敗が大きければ大きいほど、それを赦す神の懐の深さが明らかにされます。その恵み深い神の愛と本質は、イエスとペテロとの関係の中にこれ以上ないほどはっきりと示されている、これがペテロの確信でした。ですから彼は情けない自分、そしてその自分を受け入れて赦すイエスの姿を包み隠さずに人々に示したのです。

ここで、このシモン・ペテロと言う名前について一言説明しますと、彼の名前はシモンであり、ペテロというのは彼のあだ名です。ペテロ、アラム語ではケファと言いますが、それは「岩」という意味です。ですから、イエスはシモンに対して、日本語でいえば、「おい、岩」と呼びかけていたということです。なんだか微笑ましいですね。ペテロというニックネームの方が有名になりましたが、彼の正式な名前はシモンだということを確認したいと思います。

ペテロの目撃証言に基づくマルコ福音書の中では、ペテロは第二の主人公とも呼べるほどの存在感があります。そしてペテロこそ、「多く赦された者は多く愛するようになる」というイエスの言葉をまさに体現した人物だったのです。

2.本文

では、今日のみことばを読んでいきましょう。イエスが活動の拠点として選んだのはガリラヤ湖の周辺でした。ガリラヤ湖は琵琶湖の四分の一ほどの大きさなので、滅茶苦茶大きいというほどではありませんが、とてもきれいな湖です。私も1度しか行ったことがありませんが、忘れられない場所です。ガリラヤ湖はたくさんの魚がとれる漁場であり、同時に人々が舟で交通をするための重要な交通路でもありました。まさに人々の日常生活に密着した場でした。同時に時には嵐が起こって人々を恐れさせる場所でもありました。まさに自然の恵みと怖さ、さらに言えば自然を造られた神の恵みと厳しさを体現したような湖でした。イエスがガリラヤ湖を宣教の場として好んだのは、そこが多くの人に語りかけやすい場所だったということももちろんありますが、イエス自身がガリラヤ湖に強い魅力を感じておられたからではないのかな、と思います。そのガリラヤ湖の湖畔で、今回の召命物語が起きたのです。

イエスはここで、二組の兄弟と会っています。シモン・ペテロとその兄のアンデレ、またゼベタイという人の子であるヤコブとヨハネという兄弟です。この四人はこれから十二使徒の中核メンバーとなっていきます。当時の彼らが漁師という仕事を自分の天職として見ていたのは間違いないでしょう。イエスが十字架で死んだ後、ペテロたちは一旦漁師の仕事に戻ってしまいましたが、もし彼らが漁師という仕事を嫌っていたのなら、昔の生活に戻ることはしなかったでしょう。実際、ガリラヤ湖という豊かな自然の中での漁師という仕事は、やりがいのある、楽しい仕事だったのではないかと思います。特にゼベタイとその息子たちは使用人を雇っていたことから、比較的余裕のある生活を送っていたことがわかります。しかし、今の生活にそれほど強い不満を持っていなかった彼らが、どうして仕事を捨ててイエスについていくことを決意したのでしょうか。彼らはどんな気持ちでこの決断をしたのでしょうか。

ここでぜひとも注意していただきたいのですが、この四人の漁師たちはキリスト教の宣教師になるつもりでイエスについていく決断をしたのではありません。ここは誤解しないようにしましょう。今日では召命と聞くと、神を知らない人たちに福音を伝える宣教師や伝道者になる召しを受けることだと思うでしょうが、しかし私たちの時代や社会とペテロたちのそれとは全く異なります。思い出していただきたいのは、ペテロたち四人の漁師はみなユダヤ人であり神を信じており、彼の家族や仲間たち、また近隣の町や村のガリラヤの人たちもみな神を信じていたということです。ですから彼らは、ガリラヤ湖の近くに住んでいるユダヤ人たちに「神を信じなさい」と呼びかける必要はなかったのです。みんなすでに神を信じていたのですから。また、ペテロたちはガリラヤの人々に「このイエスこそ、あなた方の待ち望んでいた救世主キリストだ。彼を信じなさい」というメッセージを伝えようと思ったのでもありません。そもそもこの時点では、ペテロにもイエスがメシアであるという確信がありませんでした。ペテロは、マルコ福音書の8章でやっとイエスがメシアであると告白し、イエスもそれをお認めになりましたが、その時点まではペテロたち側近ですら、イエスがメシアであるという確証が持てなかったのです。ですからペテロたちはイエスに呼ばれた時、「よし、これから神とキリストのことを人々に伝えよう」と考えたのではありません。では、彼らはどういうつもりでイエスに従う決断をしたのでしょうか?宣教師でなければ、彼らは一体何になるつもりだったのでしょうか。

彼らが、イエスのことを新しい宗教を始める教祖としては見ていなかったのは確かです。もしイエスが、先祖伝来の神の教えであるユダヤ教を捨てて、全く新しい宗教を始めようとしていたのなら、保守的な宗教的環境で育ったガリラヤの漁師であるペテロたちは、とても彼について行く気にはなれなかったでしょう。もちろん彼らはイエスのことを優れた律法の教師、ラビとして見ていました。しかし、だからといって彼らは律法の勉強がしたくて、これまでの自分の仕事を捨ててまで、イエスの弟子になろうとしたのでもないでしょう。彼ら四人が勉強が好きで好きでたまらなくて、肉体労働である漁師を止めて、これからは学問で身を立てようとした、というのも彼らの性格からすればありそうもないことです。では、彼らが自分たちの気に入っている仕事を捨ててまで、イエスに従っていった動機はどこにあったのでしょうか。彼らがイエスに従っていった動機が明らかになるのは、聖都エルサレムに向かう途上で、彼らがイエスに願い出た内容からです。そこを読んでみましょう。マルコ10章35節から37節です。

さて、ゼべタイのふたりの子、ヤコブとヨハネが、イエスのところに来て言った。「先生。私たちの頼み事をかなえていただきたいと思います。」イエスは彼らに言われた。「何をしてほしいのですか。」彼らは言った。「あなたの栄光の座で、ひとりを先生の右に、ひとりを左に座らせてください。」

ここに、彼らのイエスに従っていった動機がはっきりと示されています。彼らは出世がしたかったのです。もっとはっきり言えば、天下を取りたかったのです。これはエルサレムに向かう途上での話ですが、彼らはイエスがエルサレムで栄光の座、つまり王様に就任することを期待していました。ダビデ王朝はもう600年も前に滅亡していましたが、この伝説の勇者ダビデ王の末裔であるイエスこそダビデ王朝を復興してくれるはずだと彼らは期待していたのです。使徒の働き1章6節では、復活したイエスに対し、弟子たちは「主よ。今こそ、イスラエルのために王国を再興してくださるのですか」と尋ねています(使徒1:6)。彼らの望みとは、イスラエル民族の悲願であるダビデ王朝の再興でした。そしてイエスが王になれば、彼の側近である我々は大臣になれるのです。だから私たちを十二使徒の中でも特別に高い地位であるナンバー2、ナンバー3にしてくださいと、彼らは願ったのです。今風に言えば、自民党の総裁候補に対し、「総理になった暁には、ぜひ私どもを財務大臣と外務大臣に指名してください」と頼むようなものです。それはペテロやアンデレにしても同じでした。ですから彼らは、ヤコブやヨハネに対し、抜け駆けしたと怒ったのです。ペテロが8章でイエスに対し、「あなたは、キリストです」と告白した時の彼の真意とは、「あなたこそダビデ王朝を再興してくださるメシア王です」というものでした。それ以上でもそれ以下でもありません。彼が思い描いていたのは、イスラエルを勝利に導くメシア王で、自分はそのそばに仕える勇敢な将軍になることでした。ですからペテロはイエスがこれから自分は死ぬ、と言った時にびっくりしたのです。あなたは勝利を得るお方だ、死ぬはずなどないではないですか、と抗議したのです。ペテロは最後の晩餐の後に、イエスに向かって私はあなたを決して裏切らない、一緒に死ぬことも厭わないと宣言しましたが、これは本気でそう言ったのでしょう。但しペテロは、死ぬとすれば勇敢に戦って死ぬのであり、むざむざ無抵抗で殺される気などはさらさらなかったのでした。だから彼は、イエスには戦う気が全くないということを思い知られた時に、イエスの下を逃げ去ったのです。そんな死は犬死でしかない、と思ったのでしょう。

これらのことから言えるのは、ペテロたち漁師四人がイエスに呼びかけられたとき、彼らはイエスのことを、たとえるならば、これから天下を取ろうとする織田信長か豊臣秀吉のような人物として見ていた、というほうがずっと真実に近いということです。ペテロとアンデレはイエスから、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう」と声を掛けられました。この意味は、魚とは人間の比喩であり、ペテロやアンデレはこれからは魚ではなく人々をとる、救う、そういう人物になるということです。イエスもそのような意図で言われたのは間違いありません。ただし、この言葉を聞いたペテロたちは全く別のことを想像していたかもしれません。彼らは自分が多くの敵の兵士、ローマ兵を魚のように生け捕りにする大将軍になれると、そのように勘違いしていた可能性も否定できないのです。実際、この勘違いのせいでペテロはイエスの言っていることがまったく理解できず、肝心な場面で大失態を犯してしまうことになります。ペテロはイエスが逮捕される場面で大祭司のしもべに剣で打ちかかりますが、イエスが逮捕されると一転して恐怖に囚われ、イエスのことを三度も知らないと否定してしまいました。このちぐはぐな行動は、ペテロは初めからこの時点までとうとうイエスの真意を理解できなかったことを示しています。

では、イエスの側はどうだったのでしょうか。彼は、この四人の漁師たちが自分の意図を全く誤解していることに気が付いていなかったのでしょうか?いや、間違いなく気が付いていました。しかし、それでも彼らをその勘違いごと引き受けた、受け止めたのです。彼らの目は今は見えないかもしれない、しかし私と行動を共にし、私の生涯を終わりまで見届けたなら、彼らにも分かる日がきっとくる、そう確信して彼らを自分の弟子として召したのです。実際、イエスの目は確かでした。この四人の漁師たちは失態を重ねましたが、ついにはイエスの意図を理解し、立派に彼の始めた神の王国の事業を引き継いでいったからです。特にペテロの成長は目覚ましいものでした。彼はユダヤ人からも異邦人からも信頼される、稀有なキリスト教指導者になりました。それは彼の温かい、人間的な性格によるものでしょう。彼は人の欠点や弱さを受け入れる懐の広さ、相手の立場になって自分とは異なる意見の人も受け止める包容力がありましたが、それこそ彼がイエスから直々に教えられたことでした。イエスはペテロの可能性を信じ、度重なる失敗にもかかわらず彼を見捨てずに育て上げました。そのようなペテロの人生を思う時、今回の召命物語も、より一層私たちの心に響くものとなるのではないでしょうか。

3.結論

まとめになります。今日はイエスがご自身の最初の弟子である四人の漁師たちを召し出した場面を学びました。この弟子たちは、イエスにすぐに従った弟子の模範のように見られることもしばしばですが、実際には彼らはイエスの意図を大きく誤解しており、また彼らがイエスについていった動機も、それほど純粋なものではなかった、ということも見てきました。しかしイエスは、彼らの内心の思いをよく理解しておられたのにも関わらず、彼らを召し出しました。そして時間をかけて少しずつ、彼らの誤解を解き、彼らの心の目が開かれるように導いていきました。私たちも、初めて信仰に入ったときには、イエスの意図を、そしてイエスの指し示す神の王国のヴィジョンをひどく誤解していた、ということがあるかもしれません。私自身がそうでした。しかし、主イエスはそんな私たちを丸ごと受け止め、正しい方向へと導いてくださいます。ですから、私たちも後ろを振り返らず、前を向いて進んでいきたいと願うのです。これからの信仰の旅路に、常に主イエスと聖霊の導きがあるように祈りましょう。

イエス・キリストの父なる神様。今日はイエスが最初の四人の弟子たちを召し出した場面を学びました。彼らは初めはイエスのことを誤解していたのですが、そんな彼らをイエスは温かく受け止めてくださいました。私たちも愚かであなたの意図を悟るのに遅い者ですが、どうか私たちをも完成へと導いてください。われらの救い主イエス・キリストの聖名によって祈ります。アーメン

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