パウロの第二の予定変更
第二コリント1章23~2章4節

1.導入

みなさま、おはようございます。だんだんと秋らしい天気になってきました。第一コリントからの最初の説教が昨年の10月からでしたので、パウロのコリント教会への手紙を読み始めてちょうど今月で1年ということになります。第二コリントの説教は今日で四回目になりますが、みなさんもこの第二コリントの内容というかトーンが、第一コリントとはだいぶ違うということにお気づきになられたことと思います。パウロは第二コリントの手紙において、一生懸命自分のことをコリントの教会の人たちに対して弁明しています。少し弱気になっているようにすら感じられます。その前の第一コリントの手紙では、パウロは権威を持って、かなり強い調子でコリント教会に対して耳の痛いことも書いていました。それは逆に言えば、厳しいことを書いてもコリントの人たちは自分のことを受け入れてくれるだろうという自信がパウロの側にもあったからでした。確かに第一コリントの手紙を書いたころにも、パウロに反対する人々がコリント教会にはいました。当時のコリント教会は「パウロ派」、「アポロ派」、「ペテロ派」というようにいくつかの派閥ができてしまっていました。自分はアポロ派だ、アポロ先生に付くんだ、という人たちはパウロからは距離を置いていたことでしょう。しかし、こういう派閥は教会員の人たちが勝手に作ったもので、パウロとアポロが対立したり、コリント教会の主導権を握ろうと争っていたわけではありません。パウロとアポロはお互いを優れた同労者として認めあっていて、コリント教会で自分たちをめぐって派閥が出来てしまったことに憂慮していました。ですから、パウロはアポロ派の人々に対しても遠慮することなく語りかけることができました。

しかし、パウロが第一コリント書簡を書いているころに、パウロには思いもよらない事態が生じていました。パウロもアポロも不在のコリント教会に、新しい宣教師たちがやってきたのですが、彼らはパウロのことをあまりよく思っていない人たちでした。パウロは教会の外だけでなく、内側にも少なからぬ敵を作っていました。この宣教師たちはコリント教会に来て、いわば無牧の状態にあったコリントの信徒たちから歓迎されたのですが、彼らにパウロについて良くないことをいろいろと吹き込んだのです。そして、なんとコリント教会の少なからぬ人々が、その宣教師たちの語ることを信じてしまったのです。これまで何度かお話ししたように、パウロという人物は現代の教会においてはイエス様に次いで権威を持っている人物だといっても言い過ぎではありません。なにしろ、新約聖書の約半分はパウロの手紙で占められているのですから。しかし、パウロが実際に活躍していたころは、事情は大きく異なっていました。パウロは12使徒のようにイエス様から直接教えを受けたわけではないし、主の兄弟ヤコブのように、イエス様と血のつながった兄弟であったわけでもありません。それどころか、かつては教会を滅ぼすために活躍していたユダヤ教の異端審問官のような人物でした。パウロのせいで仲間が傷つけられた、という個人的な怨恨を抱いていたクリスチャンも、もしかすると、いたかもしれません。そんな人物ですから、いくら最近は目覚ましい働きをしているとはいえ、初代教会全体のリーダーだという風には見なされていませんでした。コリント教会の人たちにとっても、パウロとの付き合いはせいぜい1年半ですから、パウロのことを何でも知っている、というほどの間柄ではありませんでした。その彼らに、モーセの律法のこともよく知っている宣教師たちがやって来て、パウロからは聞いたこともなかったこともいろいろ詳しく教えてくれる、そういう事態になると、彼らもだんだんと新しい宣教師たちの言うことに耳を傾けるようになっていきます。そうして、パウロから第一コリントの手紙を託されてテモテがコリントに来たころには、コリント教会の人たちの心はパウロからすっかり離れてしまったかのようでした。この危機的状況を聞きつけて、パウロは当初はマケドニア教会に行く予定にしていたのですが、予定を変えて慌ててコリント教会に駆け付けました。これが前回の説教でお話しした、「パウロの第一の予定変更」でした。

しかし、このように急いで駆け付けたにもかかわらず、このコリント教会への訪問は最悪のものとなりました。コリント教会の人たちのパウロに対する態度はよそよそしくて冷たく、中にはパウロに面と向かって面罵する人さえいました。この胸のつぶれるような状況に、パウロはもちろんのこと、コリント教会の心ある人々もひどく胸を痛めたのでした。今日の2章1節では、パウロは「そこで私は、あなたがたを悲しませることになるような訪問は二度とくり返すまいと決心したのです」と書いていますが、ここで言われている「あなたがたを悲しませることになるような訪問」とはちょうど今お話しした訪問のことでした。

パウロはこのコリント教会の悲惨な状態を目のあたりにして、再度予定の変更を余儀なくされます。一番初めのパウロ予定計画は、エペソからマケドニア、次いでコリント、そして諸教会からの献金を携えてエルサレムに向かうはずでしたが、一度目の予定変更では、エペソから直接コリントへ、次いでマケドニア、そこからもう一度コリントに戻り、そのあとにエルサレムに行くことにしました。しかし、コリントの状況がパウロの予想をはるかに超えるほど悪かったのを受けて、パウロはマケドニアに行くことを断念し、出発地点であるエペソへと戻ることにしたのです。

この変更に次ぐ変更を見て、パウロを批判する人たちはその批判の声をさらに強めました。なんだパウロは、予定をころころ変えて、いったい何を考えているのか、と。彼らはパウロが臆病だと非難しました。コリントの信徒たちから面と向かって批判されたことに恐れをなして、マケドニアの教会に行くことも、またコリントの教会を再び訪問することもできないでいる、パウロは腰抜けだ、と非難しているのです。この厳しい状況の中で、パウロはこの二度目の予定変更はどうして必要だったのか、そのことを切々と訴えているのが今日の箇所なのです。

2.本文

さて、では本日の聖書箇所の23節ですが、パウロはこう書いています。

私はこのいのちにかけ、神を証人にお呼びして言います。私がまだコリントへ行かないでいるのは、あなたがたに対するおもいやりのためです。

パウロはここで神に誓っていますが、パウロがこの手紙で神に誓うのは二度目です。先の18節でも「神の真実にかけて言いますが」とありますが、これは神への宣誓です。先週もお話ししましたように、イエス様もイエス様の兄弟ヤコブも、誓わないようにと教えています。そこを読んでみましょう。まずマタイ福音書の5章33-37節をお読みします。

さらにまた、昔の人々に、「偽りの誓いを立ててはならない。あなたの誓ったことを主に果たせ」と言われていたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。決して誓ってはいけません。すなわち、天をさして誓ってはいけません。そこは神の御座だからです。地をさして誓ってもいけません。そこは神の足台だからです。エルサレムをさして誓ってもいけません。そこは偉大な王の都だからです。あなたの頭をさして誓ってもいけません。あなたは、一本の髪の毛すら、白くも黒くもできないからです。だから、あなたがたは、「はい」は「はい」、「いいえ」は「いいえ」とだけ言いなさい。それ以上のことは悪いことです。

ヤコブの手紙5章12節にもこうあります。

私の兄弟たちよ。何よりもまず、誓わないようにしなさい。ただ、「はい」を「はい」、「いいえ」を「いいえ」としなさい。それは、あなたがたが、さばきに会わないためです。

このように、聖書には誓ってはならないという教えがあるのですが、先週お話ししたように、これは文字通りに誓いを禁止しているわけではありません。むしろイエス様は、誓いなど必要ないような人間関係を築きなさいと教えているのです。誓いというのは、自分の言った言葉に責任を持たないような人、約束を平気で違えるような言葉の軽い人に対し、自分の言ったことに責任を持たせるために必要なものです。子供がよく「嘘ついたら針千本飲ます」などと誓いあいますが、これは誓いというより「嘘をついたらひどい目に遭うからね」という一種の呪いというか脅迫です。こんな誓いの言葉が必要になるのも、相手が約束を違えるかもしれないという、信頼関係の欠如が根底にあります。ですから、イエス様が「誓うな」と教えられたのは、いちいち誓わなくても、自分の言ったことは必ず守る、相手の言ったことも必ず守られる、そういう確かな信頼関係を築きなさい、ということでした。その意味で、パウロがこの手紙で二度も誓わなければならなかったことにパウロは忸怩たる思いをしていたことでしょう。なぜなら、自分とコリント教会との人々との間には、誓いを必要としないような信頼関係が育っていないということを自ら認めるようなものだからです。それでもパウロは誓わずにはおられませんでした。それは、自分が言っていることが自分の命に賭けて、また神に賭けて真実だということをコリントの人々に伝えたかったからです。パウロは、自分がコリント教会を再び訪れるのを先延ばしにしているのは、彼らから拒絶されることを恐れてのことではなく、彼らに対するおもいやりのためだ、と言っています。どういうことかと言えば、パウロが訪問を先延ばしにしているのは、彼らに悔い改めのための時間を与えるためだということです。これは、キリストがこの世界を再び訪れることを先延ばしにしているのと同じことです。使徒ペテロは、なぜキリストがこの世界に再び来られるという約束を先延ばしにしているのかという理由についてこう書いています。第二ペテロの3章9節をお読みします。

主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。

パウロも同じように、自分がすぐさまコリントの教会を訪れないのは、コリントの人たちが態度を改めて悔い改めてくれるのを待っているのだ、と言っているのです。もっと言えば、もし彼らが悔い改めなければ彼らはさばきに遭うだろう、とも仄めかしているわけです。ですからパウロはコリントの人々からの拒絶を恐れて訪問できない臆病者ではなく、むしろ非常に強い態度で彼らに臨んでいるとも言えます。こう考えるとちょっと怖いですが、しかしパウロは自分が彼らを力づくで支配しようとしているのではなく、むしろ優しい気持ちで仲間として呼びかけているのだ、ということも強調します。それが24節の内容です。

私たちは、あなたがたの信仰を支配しようとする者ではなく、あなたがたの喜びのために働く協力者です。あなたがたは、信仰に堅く立っているからです。

こう書いています。裁きを暗示して彼らを恐怖で縛り付けようとしているのではなく、むしろ信仰に堅く立つ同労者、仲間として語りかけているのですよ、と言っています。協力者、ギリシア語ではスネルゴスという言葉ですが、これはパウロがテモテやプリスカとアクラなど、親しい同労者に対して使う言葉です。パウロはこの言葉をコリント教会の信徒たちにも用いることで、彼らに対する権威を振りかざすのではなく、主にある兄弟姉妹としての仲間意識と尊敬を込めて語りかけているように思えます。

2章の1節から4節までは、パウロがコリントへの訪問を先延ばししていることについてのさらに詳しい理由が語られます。パウロが訪問を遅らせているのは、コリント教会の人が誰も悲しまないようになるためだということです。先ほども言いましたように、コリント教会のすべての信徒がパウロを拒絶したのではありませんでした。むしろパウロを支持していた人たちの方が多かったでしょう。しかし、パウロを支持して応援していた人たちにとっても、先のパウロのコリント訪問は、ある意味でパウロ以上に失望させられるものでした。せっかくパウロが何年かぶりにコリント教会に戻ってきてくれて、旧交を温めようとしたのに、一部の人の心ない振舞により台無しになってしまいました。パウロはすぐにエペソに戻ってしまって、いつまたコリントに来てくれるかもわからない、こんな状況に心底がっかりしたことでしょう。パウロとしても、彼らが二度とこのような失望を味合わないことを願っていました。そのためには、彼らのようにパウロに好意的な人たちだけでなく、パウロに疑問を抱いている人やパウロを批判している人たちも心を入れ替えてもらう必要がありました。

実際、パウロが次に訪問してくれた時にその訪問が素晴らしいものとなる条件は、コリントの一部の人だけがパウロを歓迎するのではなく、皆が心を一つにしてパウロを迎え入れることでした。イエス様の99匹の羊と一匹の迷える羊の譬えのように、一人でもコリント教会の信徒がパウロに対して敵意を持っている状態では、パウロの再度の訪問は祝福されたものとはなり得ないのです。パウロが3節で「それは、私の喜びがあなたがたすべての喜びであることを、あなたがたすべてについて確信しているからです」と、「すべて」という言葉を強調しているのはそのためです。第一コリントでもパウロが強調したように、教会はキリストの体であり、「もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです」(第一コリント12:26)。ですからパウロは、特に自分に好意的ではないコリントの信徒たちに向けて、涙ながらの手紙を書きました。4節ではパウロの切々とした思いが綴られています。

私は大きな苦しみと心の嘆きから、涙ながらに、あなたがたに手紙を書きました。それは、あなたがたを悲しませるためでなく、私があなたがたに対して抱いている、あふれるばかりの愛を知っていただきたいからでした。

パウロが二度目の予定を変更してエペソに戻り、再びコリントを訪れる前に手紙を書き送ったのは、彼らに頭を冷やす時間を与え、そして手紙という手段で自分の真意を伝えるためでした。手紙というのは、時には直接会うことにも増して、コミュニケーションの手段としては有効なものになり得ます。手紙は十分に準備して冷静な頭で書いて送ることができますし、受け取った側も何度も読み返して、よくその内容を考えることもできるからです。面と向かって言えないようなことも、手紙なら伝えられることもあります。パウロも、自分がどれだけコリントの人たちのことを思っているのか、ということを手紙に込めたのです。そして、次の訪問こそ皆が喜びあえる、素晴らしいものにしたかったのです。

3.結論

まとめですが、今日はパウロが自分の二度目の予定変更のこと、つまりコリント教会を訪れてからマケドニアに行き、それから再度コリントを訪問するというプランを変更し、エペソに戻ってしまい、すぐにはコリントには戻ろうとはしなかった真意を説明している箇所を学びました。パウロはコリントの人たちから再び拒絶することを恐れていたり、あるいはコリントの人たちに怒っていて顔を合わせたくなかったとか、そういう理由でコリントの再訪を先延ばししていたのではありません。むしろ自分の都合ではなく彼らのことを思いやって、訪問を延期していたのです。それは彼らがその間に悔い改めて、今度訪問した時には本物の和解を成し遂げるためでした。

私たちも誰かと仲たがいしてしまった時には、いろいろと和解のために手段はあるとは思いますが、ある一定期間あえて距離を置くことが有効な場合があります。いわゆる頭を冷やすための期間です。その間に、自分の本当の思いを伝えるために手紙を書くということも意味のあることかもしれません。今日のネットワーク社会では、携帯やメールですぐに誰とでもつながることとできますが、この余りの便利さゆえに、かえって人間関係が難しくなっているのかもしれません。特にSNSではすぐに返事をしないと相手から嫌われてしまうという不安が先立ち、落ち着いてじっくりと考える時間が無くなっているのかもしれません。手紙は今や時代遅れの古風なものと思われているかもしれませんが、しかし今日のパウロの手紙を読むと、改めて手紙の持つ力を感じます。これからもパウロの二千年前に書いた手紙を通じて、私たちは恵みを受け取っていきたいと願います。お祈りします。

天の父なる神様。今日はパウロがなぜ二度目の予定変更をしたのか、パウロの真意を彼の手紙から学びました。私たちもいろいろな理由で親しい人と疎遠になったり、誤解しあったりしてしまうことがあります。そのような時に、パウロのような心で真剣に和解を求め、またそのために行動することができますように。私たちに真の和解をもたらして下さった方、イエス・キリストの聖名を通して祈ります。アーメン

ダウンロード